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四つの袖 (part2)

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「こつちでばかり極めた処で、むかふにも其の生れたばかりの子があるものを。」

トお貞さんはまだ未練。

「何アに、田舎のおかみさんなんていふ者は、体(からだ)は丈夫だし、物に屈託しないから、お乳は沢山 だらうし、子供ふたりの面倒ぐらゐ。」

わたしのいひぐさ、随分ひとりぎめのあてずつぼうなれど、お貞さんもわたしもかなり可愛が ツて使つた台所の奉公人、自分が迷惑ならば、どこぞほか/\へ世話をしてくれるぐらゐの深切(しんせつ) は有らうと、夫婦の人からの返事をあてにして待つて居ると、手紙を出してから四日目、こちら の子供は生れて一月経つか経たぬうち、ふと大熱で死に、淋しさにじめ/゛\として居る最中、お 貞姐さんの実子を育てさせで下されば、悲しさもまぎれ、乳の張るも助かる、ごつがふ次第一日 も早くお預かり申したい、お連れ下さるかお迎ひに上らうかと、拵へ事のやうないい返事、飛ん でいつてお貞さんに話すと、

「そんな丈夫な人達の子でさへ、他愛も無く死ぬのだもの、不養生はしはうだいのわたし達の腹 から産れた子が。」

ト直ぐにもお花さんが死ぬやうな心細い声。

「お信さんがひよいとおもひついてきいて下すツた先で、願つたり叶つたりといふ挨拶は、よくよく縁があるのだから、思切つてお預けがいい、何アにお前さん、物は取りやう、むかふのあか んぼのなくなつたのは、此の子の寿命のある兆(しらせ)ですよ。」

齢は齢だけ、叔母さんはうまく宥(なだ)める。お貞さんそれにも心は済まぬながら、直ぐ来る春を稼 がねば、自分の身の上、磯上さんとの仲にもさはり。

「ぢやアお信さん、どうかよろしく。」

ト淋しい笑顔(ゑがほ)にたつたひとこと、お花さんは他人の乳を呑むにきまる。

お貞さんは早速磯上さんに話しはしたものゝ、未だ書生の身の、勿論さへぎつてどうといふ仕 法も無し、堪忍してくれといふが心の千万言、わたしも其の時行合はせて居て、何ともいへぬ こゝろもちになツた。

肥立は悪く無けれどお貞さんの体(からだ)、東京から三十里近くもある宇都宮迄の汽車の旅、飛んでも 無い事と懇々と押止め、七夜(しちや)を過ぎたばかりの子を叔母さんが抱へ、万事の世話には磯上さんが 附いて、寒い風の吹く朝を上野へ。

わたしのひよんなおもひつきから、みづこのお花さんが宇都宮への里子(さとこ)、阿父さんの生れ故郷 の石岡と余り離れぬ処へいつたも、丁度久蔵夫婦の人が預かツてくれたのも、これ皆前生(さきしよう)からの 定まる運、お貞さんの一代の運の半分は、あとで思へばもう此の時に分つて居たのなり。

さて一夜明けてお貞さん二十二の春、また商売に出て見れば、芸はよし容色(きりやう)よし様子よし、固 より売れ盛つて居た人の事、なにかとうるさい噂のありはしても、これが世間に無い事では無し、 根掘り葉掘りの野暮も無くて、以前に変らぬ座敷の数、しかもいやみのはなしの減つたは、あや まちの功名か、もつけのさいはひ、お貞さんほつと息。

かうして稼業は順当、お花さんは息災に生(お)ひ育つ、磯上さんとの仲も無事と、まづ悪い事無し にあしかけ三年、お貞さんが二十四の秋までは過ぎたれど、そのまゝに済まなかツたればこそ此の話。

ひあし短き秋のひる過ぎ、胡散(うさん)臭く笹家のうちへ訪ねて来しは、六十ばかりのうすしらが、是 非ご主人の姐さんにお目に掛かりたい、私は磯上の家の支配人大萩和助と申す者と、かどぐちか らはや事有りげのご挨拶。

何となく胸(むな)騒ぎのするを無理から鎮めて、お貞さんが逢つて見れば、お国なまりの実体(じつてい)なるこ とばつきにて、重雄様にご良縁あツて、このたびご分家の上よめご様をお迎へなさるゝ、承れば こなた様とは永い間のたゞならぬお馴染(なじみ)、それを存じてわざと私がご相談に、といふは切れろの ほかに無しと、お貞さん例の気性に直ぐむかむかと、

「では、つまる処が切れてくれろとおつしやるのですね。」

トねぢかかれば、手を振つて、

「いや、決してさやうではござりません、ご婚礼をよそに見てさへ下されば、期(ご)して御側室(おてかけ)にでも致して。」

ト半分聞いて尚くわつとし、

「折角の思召でございますが、まアお断り申しませう、私と磯上さんとのお約束は、そんな事ぢ やアございません、わざ/\お話においで下さるくらゐでは、定めて深いいきさつもご存じでございませうに。」

ト顔や声には似ぬ手強い返答、どうであらうと磯上さんとふたりの仲、妾側室(めかけてかけ)などゝ思ひも寄 らぬ、然しそれも慾得でいふでは無し、こつちへ引取り何んの良人(ていしゆ)のひとりぐらゐ、わたしが売 物の小唄の師匠をしてなりと、きつと立派に立て過ごしにして見せます、とヅツケリいはれて、支配人さんおほきに困り、

「イヤお話は一々ごもつともではござりますが、何を申せ都会と違つて、万事昔気質(かたぎ)の田舎の事 で、兎角血すぢや家柄を申しまするゆゑ。」

ト聞いてお貞さん又納まらず、今の此の有様になツて居ていひたくは無けれど、家柄血すぢを 言立てる日になれば、磯上の家になに劣らう、見くびつたご挨拶はお使がらにも似合はぬと、きつといつて置いて、

「兎に角磯上さんのおなかをあらためて聞いて、それからのお返事に致しませう、これ程の事を、 ご当人がまさかに知らないといふはございますまい。」

ト何事も受附けねば、支配人はけんまくにおそれ、切上げ悪くそこ/\に立帰る、定めて悪婆(あくば)と驚いた事であらう。

だしぬけの縁談沙汰から切れ話、お貞さんおこるまい事か、ジリ/\とのぼせて、大萩さんの 帰つたあと、三度(ど)五度(たび)と手段(て)を変へ科(しな)を変へて、磯上さんを呼出しに掛かツたれど、岩佐さんの うちの人達相手にならず、お貞さん到頭やけ酒に涙を紛らして、その夜は座敷をことわつての八つ当たり、ひと目も睡(ね)なかツたとは可哀想。

処へ其の明くる日、立替つて訪ねて来たは磯上さんのおつかさん、お貞さんに逢つてのはなしがかう

自分の家は土地での旧家、親類縁者は堅い一方、それに又今の戸主は先妻の子、重雄は後妻の 自分の生みの子、甘やかしたための不始末と、八方から蔭口さるゝ近頃の辛さ、どうぞ暫らくの 間辛抱して居て下され、人の噂も七十五日、先へ寄つたら又お世話のしやうもあらうによつて、 と涙ながらのせつない頼み、現在の親御(おやご)が実の我が子可愛さの心のうちを察して見れば、自(じ)まゝ勝手の理窟も通せず、

「ではきつぱりあきらめませう。」

ト今はなか/\顔色も変へずにいつたお貞さんのひとことが縁の切れ目、お浜さんといふ其の おつかさん、どうやら腑に落ちぬ顔色であツたとはさうありさう、堅気さんにはいつそ薄情とも不実とも。

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