Angelic Boy

憧れ

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憧れ

―初恋シリーズ1―



 夕暮れの教室。
 そこから見る景色は、切ないほど綺麗で、いつまで見ていても飽きない。
 俺は窓枠に腰を下ろして夕日に染まる校庭を見詰めていた。
 見詰める先には、未だ部活動を続ける生徒の姿がある。その中でも一際目を引くのが陸上部。もう直ぐ冬も間近だと言うのに、ランニングに短パン姿の彼らは、見ていてこちらの方が寒くなるくらいだ。
「あ……あいつ、また走ってるんだ」
 クスリとした笑みが唇から漏れ、思わず頬が緩む。トラックを延々と走り続ける人物。真っ直ぐに前だけを向いて走り続ける姿が印象的で、遠目から見ても走るのが好きなんだと感じる。
 たった一度、放課後の教室で話をした事があるだけの相手。背が高くて、目鼻立ちもスッキリとしている。その癖、無口で、無愛想。
 「喋ればもっともてるのに」とか、「笑えばカッコイイのに」とか、いろんな事考えるけど、彼はそのままでいるのが一番良いのかもしれないとも思う。
 息を切らせて足を止めた彼に、マネージャーらしき人物が駆け寄ってくる。差し出されたジャージと、タオル。それを受け取りながら、彼は頷くように相槌を打っている。
「何……話してるんだろう」
 思わず漏れた呟き。それに苦笑を漏らすと、窓枠から腰を上げた。
 教室にかけられた時計が示す時刻。部活動を行わない生徒の殆どは帰宅している時間だ。
 俺は窓の鍵が掛かっていることを目でのみ確認すると、机に残っている鞄を持ち上げて教室を出た。
 夕日が差し込む廊下は、昼間とは違い静寂に満ちている。時折響く楽器の音色は吹奏楽部のものだろう。たまに耳を突く的外れな音がある。その音に笑い声を零すと、階段に足を掛けた。
 一つ、階段を下りたところで足が止まる。
 本校舎の階段は、下りれば昇降口へと繋がっている。当然そこから上がってくる人物は多く存在するだろう。けれど俺は、今自分の目の前にいる人物が上がって来ると言うことを失念していた。
 黙って足を止めた俺に、相手も足を止める。
 何を話して良いのか、どう言葉を紡いだら良いのか、そんなどうしようもないことを考えていた気がする。
「今、帰りか?」
 鼓膜を振るわせる低い声。その声に慌てて頷くと、その人物はゆっくりと階段を登ってきた。
 その姿がスローモーションのように俺の目に映り、やがてその足は俺の一歩手前で止まった。
 階段を一つ下げてちょうど合う視線。真っ直ぐに見詰める視線が何故だか心を騒がせた。
 そっと視線を逸らすと、相手の手に握られたタオルが目に入る。
「……今日は、もう走らないのか?」
 トラックを真っ直ぐ前を見ながら走る姿が脳裏を過ぎる。視界に入っているタオルは、先ほどマネージャーが手渡した物だろう。使い終えたばかりと言う雰囲気が、握られたタオルから伝わってくる。
「ああ。あまり走りすぎても意味がない」
 短い返事が返ってくる。
 ぶっきらぼうな声が、少しおかしくて笑みが零れた。
 顔を上げれば俺の顔を見詰める瞳がある。俺もその瞳を見詰め返して、そっと手を伸ばした。
「応援してるよ。あんたが、今度の大会で優勝できるように」
「……ありがとう」
 重なった手が、少しだけ震えた。
 自分よりも大きな手。その手がしっかりと俺の手を握り返してくる。離したくない様な、直ぐに離したいような、不思議な感覚に襲われる。
 それでもやがてその手は離れ、相手の足が動き出す。一歩階段を彼が登ると、俺よりも身長が高くなった。
 つられるように上げた視線。その目に映った夕日を浴びる相手の横顔。
 思わず呑み込んだ息が苦しくて、そっと眉を潜めると視線を外した。
 耳に響く足音は次第に遠ざかり、俺はそっと自分の手を動かすと、温もりの残るその手を見詰めた。
 大きな手の感触が残っている。その感触を握り締めるように手を動かすと、少しだけ胸の奥が痛んだ。
「……頑張れ」
 小さな呟き。
 少しその声は掠れていて、きっとその声を聞いたら彼は驚くだろう。そして今の 俺の顔を見たら、彼はもっと驚くかもしれない。
 頬を流れる一筋の涙。その涙が顎を伝うと、乱暴に手の甲でそれを拭って歩き出した。



―おわり―





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