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与論島サバイバル生活

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与論島サバイバル生活


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 1998年8月某日、むしごろうはヤボ用で沖永良部島という鹿児島県の離島にいた。せっかくここまで来たんだから、沖縄で遊んでいこうと考えていたむしごろうは知人と二人でフェリーに乗ろうと港に向かった。沖縄は高校の修学旅行で行ったことがある。だったら、一度行ったことのあるところよりも、行ったことのないところを楽しむべきだ。そう考えたむしごろうは知人、いやK君にしよう、K君と与論島の港に降り立った。与論島はフェリーで沖永良部島と沖縄(那覇港)との間にある。始めはちゃんとホテルに泊まって、おいしいもの食べて、海で泳いでとプランを練っていたのだが、港である一人の男に出会ったことで、一転してサバイバル生活になることをまだ誰も知らない。

 港に降り立った二人は、港で今後の予定を考えていた。与論島は自転車で1周するのに3~4時間位の小さな島だ。港と街は少し離れているし、観光名所であるビーチは港とは島の反対側に位置する。歩いていってもそんなに時間がかかるわけでもないが、荷物が結構あるんだな。どうしようかと悩んでいると、一人の若い男が声を掛けてきた。この男こそ、通称ミヤちゃん(アキちゃん)と後に呼ぶことになる、二人の運命を変えたその人であった。ミヤちゃんは、住所不定無職のライダーだった。日本各地を転々としながら働いているということだった。9月から、沖縄に渡りサトウキビの刈入れのバイトを住み込みでやるらしい(3ヶ月で100万円の稼ぎになるらしい)。その前に、この島で休暇(?)中とのことだった。そんなミヤちゃんは二人の格好を見て、同業または近い種族だと感じ取ったのだろう。家に帰るまで一緒に暮らさないかとのことだった。二人は二つ返事でO.K.した。なぜなら、こんなこと早々あるわけではない。第一こっちのほうが面白そうだ。

 ミヤちゃんは、港とは反対側のビーチに仲間2人と居(テント)を構えていると言った。そして、このことを仲間に伝えてくる、ビーチで待っていると言い残して、バイクにまたがり走り去った。

 二人は重い荷物を両手いっぱいに抱え、海岸線を歩き出した。海が青い。あとはサトウキビ畑。この島には山っていうほどの山はない。二人は暑い日差しの中、てくてくと歩いていった。そうそう、この暑さがまたきつかったんだ。なぜなら、この日の前一週間ほどは、台風の影響でずっと雨だったからだ。でもね、南国の暑さは本島とは違って、からりとしているから、我慢できない暑さじゃない。

 どれくらい歩いたかはわからない。海岸線沿いにひたすら歩くと、一軒のお土産屋があった。ここでいきなりお土産を(たしか)買った。サメの歯のネックレスとイモガイのブレスレット、植物(サトウキビの葉っぱ?)で編んである帽子、与論焼のお猪口。全部で3500円くらい。中でも一番のお気に入りは、与論焼のお猪口。今でも大事に使ってます。このお猪口、本当は二つでワンセットなんだけど、二つ買う余裕がなかったので、無理を言って一つだけ売ってもらったもので、中が与論島の海のように青くてキレイなのです。





 そのお土産屋でたしか麦茶をご馳走になった。K君は生きるうえで大量の水分を必要とします。ごくごく飲んでたと思います。
 そんなお土産屋を後にし、二人はさらに歩き続けました。行けども行けども青い空と海。そして、通行人が全然いない。まっすぐな水平線を眺めながら、二人は歩き続けたのです。







 何時間歩いたかは不明・・・。気づくとお店らしきものがあった。突然お邪魔するのだから、何かお土産でも持っていこうと考えた二人は、そのお店で月桂冠のカップ酒6本セットを購入。これで準備は万端だ。




浜辺までの道のり


 だんだん人通りが増えてきた。そして、ビーチの真ん中ら辺にトイレがあった。そのトイレの隣には、おお、テントが建っているではないか!!そして、そこにはアキちゃんと他に二人、怪しげな人がいた。その二人を紹介しよう!!一人はドン、白髪が目立つ、60歳過ぎくらいに見えた。文字通りこの住居(テント?)のドン(首領)である。もう一人はリョウさん、30歳代後半くらい、料理担当。ともに現地人よりも日焼けしていて真っ黒だったのが印象的だった。ここでは、本名は使わず、あだ名で呼び合うというルールがあったので、むしごろうは○○ちゃん、K君はカヅという名前になった。




我らが城(ただの浜辺のトイレです)(笑)


 むしごろうたちは、カップ酒をお土産に持ってきたので、とりあえず差し出した。そして、みんなで呑んだのだった。

 その日は、ひと泳ぎしてから水着のまま寝た。テントの外にビニールシートを敷いてその上で。星がとても綺麗で、流れ星が5分に1回くらい観察できた。途中、突然のスコールに見舞われたが、それはすぐにやみ、体もすぐに乾いた。

 翌朝、目覚めたのはたぶん6時くらい。暑くて寝ていられない。カヅはまだ寝ていたが、むしごろうは起き出した。ドンとミヤちゃんはすでに起きていて、リョウさんは朝飯らしきものを作っていた。朝食のメニューは・・・、ヤドカリの唐揚げとアダンの実のサラダ(ただ切っただけ)、そしてお好み焼きの生地(小麦粉オンリー)であった。ちなみに、1日3食これである(たまにオプションがつく)。これで300円/日とられるのはどうかと思ったが、まあ、材料費ということらしい。ちなみにこれらの収入で彼らが煙草(ECHO)を買っているところを私は見た(どうでもいいが)。
 ヤドカリの唐揚げは(丸ごと食うのだが)とても固かった。ヤドカリはどこからか捕まえてきて、発泡スチロールの中に生きたまま保存されていた。アダンの実(写真)は一見パイナップルのように見えるが、中身は大根のような食感だ。醤油で食べました。このアダンの実は、どこか(他人の家?)から採ってきていると、リョウさんは笑いながら話していた。火は流木を燃やして起こしており、専用のかまどが浜辺の一角につくられていた。




アダンの実と猫(右がハタ、左がアゲ)


与論の海1


 この日は、特に何かした訳ではない。とりあえず、朝食前にひと泳ぎ、朝食後にひと泳ぎ、昼食後にひと泳ぎ・・・、といったカンジで、泳いだり、休んだり、ぼーっとしたりを繰り返していただけだ。まっすぐな水平線を挟んで、上には青い空、下には青い海。青一色の風景(実際は雲があるんだけどね)が、むしごろうの瞳にただただ映っていた。






 次の日、むしごろうとカヅは与論島の観光に出かけた。当然、交通手段は自転車である。いわゆるレンタサイクルというやつである。前にも言ったが、この島は自転車で一周3~4時間程度の島なので、これで十分楽しめる。

 与論島と言えば百合ヶ浜だが、これは我らが城の目の前だし、後で話が出てくるのでここでは書きません。んで、他にどこに行ったかというと、まあ別にこれといった見所があるわけでもないんですが、一応、与論島民俗村(150円)とサザンクロスセンター、赤崎鍾乳洞に行ってきました。与論島民俗村は、時代はわからんが昔の人が住んでた家屋の様子や家具なんかが並んでました。感想は「南国」ってカンジです(謎)。サザンクロスセンターは南極星についての建物らしく(まんまですが)、建物の中には何故か昆虫の標本がありました(笑)。赤崎鍾乳洞は、山口県の秋芳洞に代表される観光鍾乳洞の一つです。真夏でも中は半袖では寒いくらいで、避暑にもってこいでした。ちなみに与論島は(沖縄もそうだけど)琉球石灰岩地帯(?)に位置しているので、島内にこのような鍾乳洞がたくさんありました。

 ここでちょっと怖い話・・・。与論島をサイクリングサイクリング、ヤホーヤホーと陽気に周っていたむしごろうたちは、とある鍾乳洞(そのへんにボコボコ開いています)の入り口に水色の大きなポリバケツが置いてあるのを発見した。フタが被さっているものの、中になにやら白い丸いものが見えていた。「むう、怪しい」むしごろうたちは興味津々に、徐々にそのポリバケツに近づいていった。そして、ポリバケツが目の前に来たとき、むしごろうの背筋に「これ、やばくね?」と言わんばかりに、ぞぞぞーっと何かを感じた。そして、むしごろうが引き返そうとした瞬間、カヅがポリバケツのフタに手をかけた!!その白く丸いものとは_____。

 その場は一目散に逃げました。まさか、こんなところで、シャレコウベに出会うとは夢にも思わず、ほんまにシャレにもなりません。あとで聞いた話ですが、この辺はまだ古い慣習で、遺骨を洞窟に保存(?)する風習があるそうで、いやぁ~、怖い怖いお話(小咄?)でした。


 城(トイレ)前のテントに帰ったのは午後2時くらいで、帰ると女子高生2人組がミヤちゃんと話し込んでいるところだった。この女子高生たちは、東京からフェリーで2日かけて遊びに来ていると言っていた。「ほほう、東京の女子高生か」これが噂に聞く、いわゆるコギャルというやつか。むしごろうは初めてコギャルを生で見ました(笑)。実際、話をしてみると、なかなかどうして、いい子たちじゃないか。おっさんくさくそう思ったむしごろうだが、「Y県って九州でしょ」とか言われたときは唖然としますた(泣)。日本の都道府県の位置くらいは抑えておいて欲しいものです。
 んでしばらく4人で波間で戯れました。そしたら、女子高生の一人が、「百合ヶ浜に行きたい」と言うので、ミヤちゃんの案内で、百合ヶ浜に行くことにしました。ところがところが、潮の関係で歩いていくこと叶わず。というわけで中止になりました。だって俺泳げないんだもん♪(遠泳は自信が無いというふうに解釈して下さい...( ==) トオイメ)

 てなわけで、この日も幕を閉じるのでした。








与論の海2


与論の夕焼け


 4日目の朝を迎えた。朝食のメニューは相変わらず例のヤツである。4日目ともなると慣れたもので、最初は硬いと思っていたヤドカリの唐揚げも、ボリボリと音を立てながら、なんてことなくたいらげた。

 明日の朝は帰りのフェリーが来る。つまり、今日いっぱいでこの島ともお別れ、みんなともお別れである。そう思ったら、なんだか寂しい気持ちになってしまった。しかし、旅は出会いと別れの連続である。くよくよしてもしょうがない。よしっ!最後なんだから今夜は盛り上がろう!そう思ったむしごろうは、カヅと釣りに出かけた。ご馳走の材料を得るためであった。

 城(テント)周辺は観光地だから、観光客がたくさんいて悠長に釣りをするような場所はない。ゆえに、むしごろう達は自転車を借りて、島の反対側である港の方まで出かけることにした。

 港に到着。早速釣りを開始した。竿などの釣具はドンたちのものを借りた。俺ってどこ行っても釣りしてるなぁなどと思いつつ、竿を立てていた。しかし、釣れない。あまりに暇なので、他に何か食料になるようなものはないかと探し始めた。すると、テトラポットに貝がへばりついているのを発見した。「ん?この貝は確か・・・」むしごろうは与論島に来たばかりのときにミヤちゃんが教えてくれた貝のことを思い出した。ミヤちゃんはこの貝をトコブシと呼んでいた。そして、ナイフでひっぺがしてその場で食べていた。むしごろうもその場で食べさせてもらったが、塩味が絶妙でとてもおいしかった。これを獲っていけば酒のつまみになるぞ、と思ったむしごろうは真似してナイフでひっぺがして食べてみた。ところが、まずい・・・。よく見りゃ、色が少し違う気がする・・・。これはヤバイ。貝毒は危険なので(って俺は食べてるが)この貝はやめることにした。

 何時間か粘ってみたが、結局何も釣れなかった。その間、カヅがひそかに竿を折ってしまってへこんでいたのは秘密である(笑)。そして、16時くらいだろうか、しぶしぶ撤退した。

 ここからがおもしろいところである。帰ると城(テント)がなかった。あれ?と思いつつ近づいていくと、デデーン!!警察の登場である。そして、その場で全員、職務質問・・・。そして、景観を乱すということでテント撤去&立ち退きの沙汰をいただいた。このときチラッと聞いた話だが、リョウさんは家が北海道にあり、妻子がいるらしいということだった。まあ、どうでもいい話だが。

 さて、住処を追われた5人は、とりあえずすべての荷物を持って、港まで行くことにした。ミヤちゃんがバイクで一人ずつ運ぶという手段をとった。むしごろうがバイクで二人乗りを経験したのはこれが初めてのことであった。しかもドカヘルを被って乗ったのだが、このドカヘルにはひも(?)が付いていないので、片手で頭を押さえながら、片手でミヤちゃんにしがみつきながらと大変だった。実際、途中でドカヘルが転がってしまい、何回か停止する場面もあった。こうして、一行は港へ辿りついたのであった。

 港といっても、待合室とかに泊まったら、また警察が登場しかねない。ゆえに、防波堤のそばでみんなで座っていた。そうこうしていると、夕飯時になった。とりあえず食うもん食わなきゃ始まらない。リョウさんはその場でバーナーを取り出し、調理を始めた。ヤドカリは浜辺で処理してきたので無い。ので、とりあえず小麦粉100%お好み焼きを焼き始めた。そして、最後の夜だからといわんがばかりに、荷物の奥底からポークランチョンミートの缶詰を取り出した。それならばと、むしごろう達は懲りずに夜釣りを始めたのだった。竿の無い(折ったから)カヅは、港に落ちていた針金をおもりにして、釣り糸を手に持って、竿無しで釣りを始めた。確かに理論上はそれで釣れるわけだが、普通は釣れんでしょ。だいたい昼間は竿があっても釣れなかったんだから。ところが、カヅは時折、ものすごいことをやってのける。なんと、その竿無しおもり針金でサユリを一匹釣ってみせた。そのサユリは刺身でおいしくいただきました。むしごろうも負けじと頑張ったが、黄色い熱帯チックな魚が一匹釣れただけだった。さすがにこれは食えんやろと思い、チュっとキスして逃がしてやった。そんなこんなで、住処は追われたものの、一番楽しい最後の夜は更けていったのでありました。

 翌朝、昨夜は結局防波堤周りでみんなで雑魚寝したわけだが、起きると、また夏の日差しがむしごろう達に降り注いでいた。フェリーの到着まであと数時間・・・。いよいよお別れだ。

 ミヤちゃんは身支度をしていた。バリカン(髭剃り?)で頭を坊主にしていたので、むしごろうはそれを手伝った(笑)。それからむしごろうとカヅはミヤちゃんの旅ノート(?)に記名させてもらった。このノートは今までミヤちゃんが出会った旅人たちのプロフィールや感想文なんかが書いてあるノートである。ミヤちゃんは「泊まるところに困ったら行くかも」と笑いながら言っていた。ミヤちゃんはむしごろう達と沖縄行きのフェリーに乗る。
 ドンとリョウさんはむしごろう達とは逆に北上するフェリーに乗るという。ドンは、浜辺にいた猫(ハタとアゲ)を連れてきていたが、フェリーに袋につめて持ち込むという。人との別れは寂しいから、猫くらいは連れていきたいという気持ちはなんだかわかる。特に、ドンの素性は詳しくはしらないが、旅がらすとでも言うんだろうか、日本各地を転々としているくらいしかわからない。結局、猫が袋の中であまりにも暴れるので、港で放してやったわけだが、走り去っていく猫の後姿を見るドンはどこか儚げに見えた。

 カヅがフェリーの切符を買いに行っている間に(狙ったわけではない、時間が迫ってたから)みんなで記念撮影をした。




みんなで記念撮影(港にて)
(左から、ミヤちゃん、リョウさん、ドン、むしごろう)


 そして、沖縄行きのフェリーが入港。むしごろう達とミヤちゃんはそれに乗り込んだ。出航の汽笛が鳴る。むしごろうは、デッキの上でドンたちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 俺はこの島での出会いと思い出を永遠に忘れない。忘れるもんか。
 ありがとう与論島、ありがとうみんな。





あとがき


 みなさん、長い文章を読んでいただきありがとうございました。これで与論島編は完結となります。四国編ともども、ご感想やご意見、ご指摘、ご質問などは掲示板及びメールで受け付けます。何かありましたら是非お願いします。

 さて、四国編とは違って写真を多用してみましたがいかがだったでしょうか?5年以上前の出来事なので、記憶が微妙で文章は一部おかしいところがあるかもしれません。そこを写真でカバーという形になりました。
 与論島にはあれから一度も行っていません。暇があったら一度は行きたいと思うのですが、なかなかそうもいきません。お金もないですし・・・。


 みなさんも記憶に残る、素晴らしい旅をしてくださいね。大阪駅伝編もお楽しみに。


2003年2月12日 自宅にて むしごろう


*この文章はむしごろうに著作権があります。営利目的で無断で使用することは法律で禁止されています。予め許可を得て使用して下さい。まあ、あんまり気にしないんですけど、一応ね。


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