KSAM自走地対空ミサイル「天馬」



性能緒元
重量 25.0t
全長  
全幅  
全高  
エンジン MAN D2848MT 液冷ディーゼル 550hp
最高速度 60km/h
航続距離 500km
武装 韓国型短距離対空ミサイル×8
射程 10km
  捜索レーダー×1(S-Band)
  追跡レーダー×1(Ku-Band)
乗員  

KSAM「天馬(チョルメ)」は機械化された部隊の低層防空を受け持つ自走システムとして開発された、韓国初の国産SAM(Surface-to-Air Missile:地対空ミサイル)である。

韓国軍は1964年にMIM-23「HAWK」中距離SAM、続いて1965年にMIM-14「ナイキ」長距離SAMをアメリカから導入して本格的防空体制を整えたが、北朝鮮軍が多数保有するヘリコプターや低速機に対処できる自走式近距離SAMの整備が必要と考えられていた。そこで外国製兵器に依存する現状からの脱却するために、近距離SAMを国内開発する事が1983年に決定された。海外のローランド(独・仏)やADATS(スイス)などの導入も検討されたが、地対地ミサイル「玄武」や対艦ミサイル「海龍」などのミサイル開発の経験を活かせば、近SAMの国内開発も行え得ると判断されたのである。国産近SAMの開発にはADD(Agency for Defense Development:国防科学研究所)の朴博士(陸士22期)の主導で国内外13社が参加した。主開発契約社は大宇重工で、SAMシステムは三星電子社(現三星タレス社)がフランスのトムソンCSF社(現タレス社)の協力を受けて開発した。本格的開発が始まったのは1989年7月からで、1997年に終了した。1999年に韓国陸軍はKSAM 48輌を3億3,000万ユーロで発注し、2003年に第2期として69輌を4億7,000万ユーロで発注している。第2期分は2009年までに軍に引き渡される予定。初期の国産化率は64%だったという。ミサイル1発の価格は2億8,000万ウォン。ミサイルの生産は慶尚北道亀尾市にあるNEX1社第2工場で行なわれている。同工場の生産管理課長によれば、ミサイル1発の生産にだいたい1ヵ月半かかるという。今のところ第20機械化歩兵師団の防空大隊に配備が確認されているほか、主に首都防衛司令部の部隊に配備が行われているようだ。2002年に行われた日韓開催のワールドカップにKSAMは早速出動し、ソウルの防空体制を補完した。

国産近SAM「KSAM」は先行して開発が進められていたK30 30mm自走機関砲「飛虎」とともに、ガン・ミサイル・コンプレックスを形成する事が計画された。また対空ミサイルとしてだけでなく対戦車ミサイルとしても使用できるようにと考えられていた(その後SAM専用とされた)。当初KSAMは装軌車体に光学式追尾装置と4発のミサイルを搭載する予定だったが、陸軍はミサイル8発の搭載を要求して譲らなかった。要求が通らないなら近距離防空は携行SAMで充分とまで言う陸軍に押される形で、結局KSAMにはミサイル8発が搭載される事になったが、開発側は小柄な車体に8発ものミサイルを搭載するのに頭を悩ませた。この問題はミサイルを小型軽量化する事で解決する事とされたが、それにはシーカー部分をどう処理するか(どういう誘導方式にするか)が重要な鍵だった。計画では発射されたあとUTDC(Up-To Data Command:間欠指令)で目標方向に向かい赤外線画像シーカーで空中でロックオンするLOAL(Lock-On After Launch:発射後ロックオン)と、目標が極近距離の場合は地上でロックオンしてから発射するLOBL(Lock-On Before Launch:発射前ロックオン)を併用する誘導方式が検討されていた。しかし開発陣はこの方式を諦めざるを得なかった。首振り角の大きな赤外線シーカーを搭載するにはミサイルそのものを大きくしなければならず、そうすると車体に8発搭載する事ができなくなるためだ(自衛隊が使用している同じ誘導方式の81式短SAMは4発装備)。結局KSAMの誘導方式はCLOS(Command to Line Of Sight:指令照準線一致)とする事が1987年に決定された。

FCS(Fire Control System:火器管制装置)はそれまでのミサイル開発・生産の経験を活かし、国内開発する事が可能と判断された。しかしレーダーによる目標の探知・追跡システムは海外の技術を自らのものにしてから国産化する事が必要だった。そこで韓国は海外16社に仕様要求書を送り、1987年末までに5社から回答を得た。その中からトムソンCSF社とスウェーデンのエリクソン社が最終選考に残り、最終的に三星電子社と繋がりが深く格安の技術移転料を提案したトムソン社が選ばれた。三星電子社は120億ウォンを投じ、トムソン社からの技術提供を受けて捜索レーダーと追跡レーダーを完成させた。構成部品の国産化率は初期で64%だったという。

ミサイルの開発はまずロケット・モーター部から始められた。開発陣は燃焼室に高張力鋼を使用する事を決定したが、これは当時の韓国では生産されていない先進鋼で、一から独自開発しなければならなかった。開発陣は三美特殊製鋼社(現浦項製鉄)と共同開発を試みたが、軽くするために薄く製鋼するとシワが寄るなど開発は難航したという。最終的に特殊高張力鋼の開発は成功し、ミサイルの軽量・小型化に大きな役割を果たす事になった。またミサイルの推進剤はCLOC誘導方式を阻害しないよう低煙化されたものが新たに開発されたが、後に誘導コマンド(指令)が断続的に切断される現象が発生したため無煙推進剤に切り替えられた。ロケット・モーター部の地上試験は1989年4月から行われ、1990年11月には初飛翔試験が行われたが、発射後制御不能になって暴走し試験は失敗に終わった。原因はノズルが振動に耐えられずに破損した事で、ノズルの素材を複合耐熱材に変更することで解決した。ミサイル誘導の核となる暗号コマンド受信機はアンテナやマイクロ・プロセッサーなどから成るが、小型のミサイル本体に収めるため極力小型化しなければならず、また200分の1秒単位でコマンドを受信して即座に制御翼の駆動モーターに指令を伝達しなければならないなど、小型堅牢で処理速度の速い電子部品を開発しなければならなかった。ミサイルの運動情報を測定するために加速度(2軸)と角速度(3軸)の検知器とデジタル多層基盤がLG精密電子社によって開発されたが、これは外国企業からの技術支援無しに行われた。ミサイルの指令受信機(誘導システムから送られる制御信号を受信する装置)は量産初期型は輸入品に頼っていたが、1998年8月にこの開発を完了させ、2000年4月に軍の運用試験をパスし、以後の量産型には国産指令受信機が装備された。

対空ミサイルで重要なのは、高速で飛行する目標に対して最適・最短な経路で追尾する事と、最も効果的に威力を発揮する地点で弾頭を破裂させる事と韓国の技術者達は考えた。弾頭を設計するに辺り、指向性炸裂型や多重成形炸薬弾頭など様々なタイプを検討したが、ドイツのローランドSAMに使用されている多重成形炸薬型は目標が6m以上離れている場合に著しく威力が低下する事が分かり、KSAMでは指向性の破片弾頭を採用する事になった。信管はレーザー近接信管が選ばれた。これでミサイル弾頭部を開発する枠組みが出来上がったが、技術陣は小型軽量でありながらも確実に目標を撃墜できる威力を持つ弾頭の開発に苦労したという。運動性が重要なSAMでは当然弾頭も小型軽量でなければならないが、弾頭が小さいと充分な威力を確保する事が出来ない。このため李英俊博士と金光州博士を中心とする弾頭開発チームは、火薬の種類と弾頭形状の違いによる破片分布パターンを徹底的に研究し、また従来の鋳造凝固型火薬ではなく、威力も大きく安全性も高い新しい圧縮凝固型複合火薬(火薬の密度が高いという)の開発を成功させた。レーザー信管もマイクロ・プロセッサーの信号処理アルゴリズムの開発に手間取ったが(アルゴリズムのミスにより、1990年7月にアメリカで行われた発射試験では信管が雲を目標と認識して起爆してしまい失敗に終わった)、小白山天文台の協力を得て太陽で誤作動せず、雨や雲中では自動的にその濃度を検知し目標探知距離を調節するなど天候に左右されない信管を作り上げた。

1993年10月には大統領も参加する大掛かりな発射試験が行われた。この時問題になったのは、小さなSAMの弾頭が爆発しても小規模な爆発しか起こらないため、それを見た大統領や国防委員などの要人達が「威力が低い」と勘違いするのではないか、という事だった。このため開発陣は権研究員を中心とする特別チームを結成、特殊な閃光弾頭を試験用ミサイルに搭載し、誇張した爆発を演出する事によって解決する事にした。結局試験当日は大統領は参加しなかったが、閃光弾頭は盛大に爆発し関係者を大いに納得させたという(なお権研究員は持病を押して閃光弾頭を開発したため、試験当日に44歳の若さで病死した)。この試験結果を受け同年12月にはKSAMの開発は完了した。ADDは引き続き1994年10月から1997年12月まで約3年に渡って実用評価試験を行い、捜索レーダーが至近目標をロストする点、零下30度以下の環境ではシステムのスタンバイに時間がかかる点、ミサイル発射時にランチャーが大きく振動する点などの問題を改善し、最終的にミサイル命中率82%を達成して軍当局も満足する性能を得る事が出来た。KSAMは1997年12月に各種試験を無事終了し、初期作戦能力獲得を認定され、翌1998年10月1日の韓国国軍記念日のパレードで試作1号車と2号車が初めて国民に公開された。

KSAMは大宇重工がK200の車体をベースに開発した汎用装軌式車輌に、8連装のミサイルランチャーとレーダー類を装備した全周旋回式ターレットを載せている。車体は前方左側が操縦席、右側が機関室になっており、その後方は戦闘室で車体後部には乗降用ハッチが設けられている。エンジンはドイツのMAN社製液冷ターボチャージド・ディーゼルで、60km/hの最大速度を発揮できる。また車内は自動消化装置、NBC防護システムが完備されているという。この車体はK30にも使われている。K30は砲塔に5連装の発煙弾発射機が2基装備されているが、KSAMはこれを車体前部の左右に移している。また大型のルーバーを操縦席右側上部に付けているが、これはK30には見られない(ルーバー自体はあるが極薄い物のようだ)。

Sバンド捜索レーダーの探知距離は最大20kmで8つの目標を自動追尾する。Kuバンド追跡レーダーの最大追跡距離は16kmで、ホバリング中のヘリコプターからマッハ2.0で飛行している航空機まで追跡できる。FLIR(Forward Looking Infra-Red:前方監視赤外線)システムの最大探知距離は15km。レーダー等は仏トムソン社からの技術支援で開発されたため、KSAMの外見は同社のクロタールNG SAMに非常によく似ている。搭載しているミサイルの有効射程は約10,000mで、最大速度はマッハ2.6、30Gを超える急旋回も可能な機動性を持っている。弾頭はレーザー近接信管で作動し、12kgの高性能指向性炸薬を備える。誘導方式はCLOSで、追尾レーダーと連動したFCSが目標を自動で追跡して照準し、発射したミサイルとの誤差角度をFLIRで検出して、飛行コースを修正する誘導波をミサイルに送る。この方式はミサイル本体に複雑な誘導システムを組み込む必要が無いため、小型軽量化する事が出来る利点がある。ミサイルの大きさは全長約2.6m。

【2007.12.16追記】
韓国は地対空ミサイルの導入を検討しているサウジアラビアに対し、KSAMを提案している。サウジアラビアは400発の近射程SAMを導入する予定で、韓国のほか数ヶ国が提案しており、2007年12月中にコンペティションの勝者が決まる見通し。もし韓国が勝利すれば、KSAM初の海外輸出となる。またトルコも約100輌の近射程SAM導入を検討しており、これにも韓国はKSAMを提案している。トルコは2009年に導入車輌を決定する見込み。輸出に成功した場合の推定総額は約2兆3,000億ウォンにもなり、これは韓国兵器輸出史上最高額となる。

【2009.05.07追記】
国防改革2020の見直しにより、「天馬」の改良事業は大幅に縮小される事になった。これは低中高それぞれのSAMが重複するという理由のため。

▼KSAM「天馬」の後部
▼ミサイルを発射する「天馬」
▼ダミーのランチャーを装備した試作車。画像のように車体側面の板は、整備やミサイル発射時に展開する。

▼生産工場で検査を受けるミサイル
▼ランチャー内のミサイル
▼ミサイルのフィン部

▼斗山社製8輪装甲車「ブラックフォックス」にKSAMを搭載した装輪型KSAM(モックアップ)

【参考資料】
軍事研究(株ジャパン・ミリタリー・レビュー)
中央日報
Kojii.net
Defense-Aerospace
Military Review
PowerCorea
R.O.K Joint Chiefs of Staff
Grobal Security
Army-technology
Jane's Defence Weekly

【関連項目】
K30 30mm自走機関砲「飛虎」


2009-05-17 01:29:01 (Sun)

最終更新:2009年05月17日 01:29