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    <title>彼と彼の故郷について （仮題）</title>
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    <description>彼と彼の故郷について （仮題）</description>

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    <title>戦国時代の中国地方</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/56.html</link>
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      *大見出し 
**中見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*大見出し 
*戦国時代の中国地方

**山口県（周防・長門）

:【政治・軍事】|
　周防・長門両国を基盤として周辺諸国に勢力をおよぼしていた大内政弘は、1477年の応仁の乱の終息とともに帰国し、以後多くの大内家壁書を発布するなどして領国の統治につとめた。その子義興は、1508年流浪の将軍足利義稙を奉じてふたたび大挙上京し、10年間中央政界を牛耳った。さらに大内氏は、1523年の寧波の乱で、細川氏との対明貿易をめぐる主導権争いに勝利した。
　この頃より出雲尼子氏の勢力が強大となり、中国地方の政治情勢は、両者の対立を基軸として展開するが、1541年尼子氏が安芸遠征に失敗、1543年には大内氏も出雲遠征に失敗した。そして1551年、大内義隆は重臣の陶晴賢によって自刃に追いこまれ、大内氏は滅亡した。かわって大内氏の支配権を事実上掌握した陶氏は、大友宗麟の弟晴英（大内義長）を当主に迎えた。
　安芸国人層の中核的存在であった毛利元就は、1554年石見の吉見氏攻撃中の陶氏と断交し、1555年の厳島の戦いによって陶氏を倒した。これを契機に周防・長門両国への侵攻を開始し、1557年には大内義長を自刃させて両国を制圧した。以後、山口に地域支配機構として山口奉行をおき、大内氏の領国支配を一定程度継承しながら両国への支配を深化させていった。
　1591年毛利輝元は、豊臣秀吉に安芸などとともに防長両国も安堵された。しかし関ヶ原の戦いで敗北し、旧領のうち防長の2国だけに減じられた。

:【生活・産業】|
　赤間関（下関市）は、瀬戸内海と日本海を結ぶ要衝である。山口県は長い海岸線をもち、西国の幹線ルート瀬戸内海を介した交通・流通、赤間関や日本海の見島などを拠点にした大陸との交易が、さまざまなレベルで盛んであったと思われる。
　また、とくに長門には、長登銅山（美東町）をはじめとする多くの銅山が存在した。さらに長門国衙鍛冶櫟木（いちき）氏・安尾氏や、防府鋳物師の活動も注目される。また、鎌倉時代初期、重源が東大寺再建で周防国佐波郡と長門国阿武郡から木材を伐りだしたように、両国の山間部には良材が多かった。

:【文化・宗教】|
　戦国時代の周防・長門両国には、大内氏の本拠である山口を中心に「大内文化とよばれる質の高い文化が展開していた。山口には、南北朝時代以来、多数の五山僧や公家など文化人が下向し、西の都と称せられた。たとえば15世紀後半には雪舟等楊が長期にわたって滞在し、多くの山水画と庭園を残したし、飯尾宗祇も2度山口を訪れて和歌・連歌を盛んにした。また、勘合貿易で明の文化も流入し、国際色豊かな文化をかたちづくった。
　応仁の乱以後には、荒廃した京都からさらに多数の公家が下向し、戦国時代も、遣明使節の天竜寺の策彦周良が明からの帰途に寄寓したほか、南村梅軒、南禅寺の梅屋宗香、大徳寺の玉堂宗条らが山口に住し、五山文学を広めた。天文年間（1532～55）には、明国人の張忠が儒学・医学を伝え、大内氏やのちには毛利氏に仕えた。大内氏は、これらの文化人を優遇するとともに、みずから仏典刊行と典籍収集につとめた。
　一方、1550年に、フランシスコ・ザビエルが京への途次、山口を訪れた際にも、大内氏は保護し、翌年には５ヶ月滞在して布教を認められている。


**広島県（安芸・備後）

:【政治・軍事】|
　安芸・備後両国の戦国時代は、毛利氏の成長の歴史といえる。
　安芸は、室町時代以来、国人一揆による秩序形成がとくに重要な意味をもった地域である。戦国時代の代表的な国人領主として、毛利氏・高橋氏・両小早川氏・吉川氏・宍戸氏・熊谷氏・両天野氏・阿曾沼氏・平賀氏・野間氏をあげることができ、彼らによって構成される領主連合の自立性は非常に強かった。
　毛利元就は、高田郡の一国人領主だったが、周防大内氏と出雲尼子氏との対立のはざまにあって、1529年には、尼子方となった安芸北部・石見東部の有力領主高橋氏を滅亡させ、1541年には、山県・佐東・阿南３郡の分郡主だった武田氏を破り、支配領域を飛躍的に拡大させた。さらに、1544年と1551年には、元就の三男隆景が両小早川氏のあとをつぎ、1547年には、元就の次男春元が吉川氏をついだ。また毛利氏は、大内氏の安芸における軍事指揮官として機能し、その影響力はほかの国人領主にぬきんでたものとなった。もともと毛利氏は、国人領主連合の盟主的存在であったが、以上のような政治的・軍事的方策によって、その主導的立場をさらに強めた。また1550年には、元就が、みずからの権力を制約する有力譜代家臣井上氏一族を粛清し、家中の統制も強化した。
　1551年に周防大内氏が滅亡すると、その実権は大内氏の重臣陶晴賢に移り、1554年ついに毛利氏は陶氏と断交した。そして1555年の厳島の戦いで陶氏を破ると、その勢力を周防・長門両国へと急速に展開した。その後、毛利氏は中国地方の大半を抑え、1591年元就の嫡子輝元（私注：資料原文どおり。正確には嫡孫に当たります）は築城なった広島城をその本拠にした。毛利氏の大名化の契機をどこに求めるかについて諸説あるが、戦国期を通じて国人領主連合の盟主という側面は消えなかった。関ヶ原の戦いののち、毛利氏は周防・長門に減封、福島正則が安芸と備後を領して広島に入封した。
 
: 【生活・産業】|
　瀬戸内海に面する安芸・備後両国は、製塩と造船が盛んで、製塩は沿岸部・島嶼部で広く行われた。山間地域に産する鉄を加工する鍛冶・鋳物師（いもじ）の活動も多く、安芸の三入鍛冶・廿日市鋳物師、備後の宇津戸鋳物師・三原鍛冶・三原鋳物師などが有名である。いずれも戦国時代に需要が増し、生産量も増大した可能性が高い。備後国沼隈郡城などに産する藺草（いぐさ）を原料とする「備後表」は、1460年にはじめて史料にあらわれた。

: 【文化・宗教】|
　戦国時代の広島県を代表するものとして、厳島神社信仰と「安芸門徒」とをあげることができる。安芸国一宮厳島社は、大内氏・毛利氏の篤い保護をうけ、また多数の中央文化人が来訪するとともに、対明貿易の中継点の一つにもなって、さまざまな要素を含む厳島文化を形成した。その一方で、厳島信仰は庶民にも浸透した。
　広く庶民の心をとらえたのが浄土真宗である。中国地方に真宗を広めた明光派は、当初備後国山南村（沼隈町）に拠点をすえたが、戦国時代には安芸国高田郡へ本拠を移し、安芸での布教につとめた。やがて天文年間（1532～55）以降、本願寺勢力が伸長し、他宗から転宗する寺院が急増した。こうして、「安芸門徒」が形成されたのである。


**島根県（出雲・隠岐・石見）

:【政治・軍事】|
　出雲国の戦国時代は、尼子氏の盛衰の歴史である。出雲守護京極氏の守護代尼子氏は、応仁の乱で海上勢力の松田氏をはじめとする西軍方国人領主の攻撃を退け、日本海水運の要衝美保関と出雲東部を支配下におさめた。1509年の京極政経の死去によって守護権限を事実上継承した尼子経久は、さらに天文年間（1532～55）の初頭頃までに、出雲最大の経済的要地である出雲平野に基盤をもち、幕府奉公衆をつとめた塩冶（えんや）氏を掌握・討滅し、出雲西部と河川の水運を掌握した。また、1543年には、三沢氏領の鉄の産地横田荘を直轄化し、最大の国人領主三沢氏の勢力を削減した。こうした着実な権力拡大によって、尼子氏は出雲を基本領国として確保し、これを基盤として活発な他国への侵攻を繰りかえした。
　戦国時代の石見は、大内氏・尼子氏両勢力のはざまにあって、国人領主連合が大きな意味をもつ地域だった。たとえば、益田氏領に隣接する吉見氏や、益田氏と同族の三隅氏は、室町・戦国期を通じ益田氏と対立関係にあったが、そのつど起請文を取りかわして紛争を解決しようとした。尼子氏の勢力は最盛時にも西部にはおよばず、大部分は大内氏勢力下にあったといえるが、1551年の大内氏滅亡で、石見の政治情勢は非常に不安定となった。
　毛利氏による石見侵攻は、陶氏滅亡後の1556年より、毛利元就の次男吉川元春によって開始された。毛利氏は早い段階で益田氏など多くの国人領主を味方に引き入れたが、小笠原氏や、尼子氏へ転じた福屋氏など、石見東部の尼子方との間で激しい戦闘をまじえた。そして、1562年6月に石見銀山を奪取して、ようやく石見を制圧した。
　ついで、7月には出雲への進撃を開始し、1566年11月に尼子氏を滅亡させ、出雲・隠岐・石見3国をその支配下に組みこんだ。毛利氏による山陰支配の担い手は吉川春元であり、「毛利両川体制」の一環として、とくに国人領主層の掌握に重要な役割を果たした。
　毛利氏による支配は、豊臣政権下においても継続された。しかし関ヶ原の戦い後に毛利氏の勢力は一掃され、堀尾氏が入部し、松江城を築城した。

:【生活・産業】|
　戦国時代の島根県を代表する物産は、鉄と銀である。鉄が宇竜浦（大社町）などから積みだされている事実は、この地域の鉄が日本海ルートを介して広く流通していたことを示している。出雲三沢氏や石見高橋氏・佐波氏が山間地域に本拠をもちながら、それぞれ国内最大級の勢力を有していた理由は、鉄を掌握していたからであると思われる。また、石見銀山は、1526年に博多商人の神谷寿貞が新たな坑道を開いて以降、急速に産出量がふえたと伝えられる。

:【文化・宗教】|
　出雲国一宮の杵築大社（出雲大社、大社町）は、国を越えて広く信仰された。戦国時代には、国造家被官である御師の活動が活発化し、大社信仰の拡大・浸透と商品流通の発展に寄与した。なお、天正年間（1573～92）に上方では、「阿国かぶき」がおこったが、その創始者出雲阿国は杵築大社の巫女であったともいわれる。
　鰐淵寺（平田市）は、伯耆大山寺とともに山陰地方を代表する、天台宗の大寺院であり、杵築大社の祭礼三月会に深くかかわるなど、同社とのつながりが強かった。一方、浄土真宗の寺院も多いが、これは備後・安芸への布教を進めた明光派の教線がおよんでいたためである。禅宗では、長く伯耆に滞在し、尼子経久と親交のあった相国寺の惟高妙安の存在が知られている。また雪舟等楊は、文明年間（1469～87）の数年間、石見益田氏のもとにあり、医光寺・万福寺（益田市）庭園をつくった。


**岡山県（備前・備中・美作）

:【政治・軍事】|
　備前・美作は中世後期を通じ赤松・山名両氏による争奪が繰りかえされたが、山名政豊の勢力が交代した1487年以降は、赤松氏が守護職を相承していった。しかし、しだいに国内領主層の自立性が強まり、とくに1518年守護赤松義村が、守護代浦上氏攻撃に失敗し、1521年自刃に追いこまれて以来、備前の事実上の主導権は、東部一帯に勢力をもつ浦上氏が握った。
　浦上氏はその後本拠を吉井川の要衝天神山城（佐伯町）に移し、さらに勢力を拡大した。このほか、備前には西部の松田氏・伊賀氏、美作では西部の三浦氏、中部の原田氏、東部の後藤氏・江見氏などをはじめとする多数の有力な領主が蟠踞していた。
　天文年間（1532～55）になると美作が出雲尼子氏の勢力下に入り、永禄年間（1558～70）には安芸毛利氏の侵攻が強まった。やがて宇喜多氏が急成長し、両国の大部分を制圧した。宇喜多氏は、もともと吉井川河口に本拠をもつ小規模な水上勢力のようだったが、天文年間から浦上氏の配下を脱して勢力を拡大した。1566年に備中三村氏、1568年に備前松田氏、そして1577年には浦上氏をそれぞれ滅ぼした。この国の、守護赤松氏→守護代浦上氏→守護代家臣宇喜多氏、という主導権の移行は、下克上の典型を示すものだった。
　備中の守護職は細川氏が有していたが、国内領主層の自立性が強く、1491年に南部で守護代だった荘氏が反乱を起こしたほか、中部の三村氏、北部の新見氏などが勢力を強めていった。しかし、美作と同様に尼子氏・毛利氏の侵攻をうけ、政治情勢は複雑化した。
　天正年間（1573～92）には備前・備後・美作が毛利・織田戦争の主要な戦場になり、高松城（岡山市）攻防戦の最中、本能寺の変が起き、城主清水宗治の切腹を条件に和睦して戦争は終わる。この間有力な領主や土豪層の多くが滅亡した。
　豊臣政権下には、備中高梁川以西が毛利領、それ以東の備中と備前・美作は、対毛利戦で先鋒をつとめた宇喜多氏に領された。宇喜多秀家はこの時期岡山城の築造と城下町づくりに力をそそいだ。徳川政権になると、豊臣方に属した大名は一掃され、小早川秀秋、森忠政、小堀正次らが入封した。

:【生活・産業】|
　岡山県の中世以来の著名な物産として備前焼と長船鍛冶があげられる。戦国時代の備前焼は、茶器や花器よりも日用雑器類が主流であった。また名刀として知られた長船刀も、この時代は大量生産によって品質をおとしていたといわれる。

:【文化・宗教】|
　中世の岡山県は法然・栄西など著名な仏教思想家を生んだ。また備中には禅宗寺院が多く、山間部には密教寺院、備前南部を中心にした地域には、日蓮宗の寺院が多い。とくに「備前法華」といわれる日蓮宗は、松田氏・宇喜多氏の庇護によってさらに広まったと考えられ、牛窓の本蓮寺が知られる。なお、備中の大井荘（総社市）は、画家雪舟等楊の生誕地である。



講談社　クロニック　戦国全史　1995.12　より引用    </description>
    <dc:date>2007-08-23T22:15:09+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/10.html">
    <title>管理人履歴</title>
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      ■2006.2.19　不具合発生の為、全てのコメント機能を一時撤去。
　過去に投稿して頂いたコメントは手入力で表示してあります。
■2005.11.5　ALL開通　byまさと
　→weblog・掲示板・お絵かき掲示板機能テスト装備
■2005.11.3　ALL整備中　byまさと    </description>
    <dc:date>2006-02-20T00:08:51+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/54.html">
    <title>萩市の歴史</title>
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    <description>
      *萩市の歴史

　県の北部、日本海岸に面する西日本随一の史跡都市。三方を山に囲まれ、市内を清流阿武川が流れる萩は、典型的な江戸時代の城下町である。
　明治二二年（一八八九）に市町村制実施の際、旧城下町が萩町となった。大正一二年、椿東・椿・山田の三村を合体し、昭和七年七月にいたってようやく市制を施行。戦後の昭和三〇年三月、三見・大井の両村、孤島の見島村、六島諸島よりなる四村を編入して現在の市域となった。（私注：平成の大合併のため二〇〇五年三月にも川上村・田万川町・須佐町・旭村・福栄村・むつみ村が市域に加わり、現在の市域は更に拡大しています）
　市域の周辺部から弥生土器が出土し、大井地区にはすぐれた副葬品をもつ古墳がある。また大井・椿東地区には奈良時代の寺院跡もあり、古くから市域がひらけていたことを物語っている。
　戦国期、石見国三本松城（津和野城）主吉見正頼が、指月山下に居を構えたこともあるが、萩の名が歴史上に登場するのは、慶長九年（一六〇四）に毛利氏が阿武川の河口、指月山麓の橋本川・松本川に抱かれたデルタ上に萩城（指月城）を築き、萩藩（長州藩）三六万石の城下町となってからである。以来文久三年（一八六三）、山口に藩庁を映すまでの二六〇年間、萩は防長二国の中心地、三六万石の城下町として栄えた。
　幕末には維新の先覚者吉田松陰を中心に、高杉晋作・久坂玄瑞・木戸孝允・伊藤博文・山県有朋など数多くの逸材を世に送りだし、明治維新の発祥地として歴史に刻まれた。
　しかし、明治維新以後、萩は近代的発展をとげることができなかった。ことに工業化的発展から取りのこされた市の産業は、夏ミカン栽培を主とする農業と漁業の第一次産業が中心であった。その夏ミカンも、明治に入ってから、武家屋敷跡に植えられたのに始まるものであった。
　第二次産業では、萩の代表的な地場産業である萩焼や夏ミカン、水産物の加工業がさかんである。
　近代的発展からは取り残された市ではあるが、反面、史跡建造物や城下町の遺構を数多く保存することになり、日本有数の史跡都市として歴史ファンの観光客を集めている。
　城下町の面影を残す市内には、数多くの史跡・文化財に富むばかりでなく、作家の獅子文六が、『白い壁のある町・萩』のなかで「・・・天守跡らしい小高い丘に登って、町を眺めると、実に風光明媚な土地である。私は萩の古さを求めて、訪ねてきたのだが、海と川と山の姿が、こんなにも美しいとは意外だった。・・・」と記しているように、風光にも恵まれ、海岸一帯は北長門海岸国定公園に指定されている。
　見どころは毛利氏ゆかりの寺をはじめ、明治維新の先覚者たちの旧居旧跡など数多い。武家屋敷の残る堀内と平安古は、重要伝統的建造物保存地区に選定されている。萩焼の窯元を訪れるコースも人気が高い。


*年中行事
見島の大凧あげ（一月一日）
萩・椿まつり（二月下旬～三月下旬）
萩焼まつり（五月一日～五日）
松陰神社春祭（五月二五日）
おしくらごう（六月第一日曜）
住吉神社例祭（七月三〇～八月三日）
七夕祭（八月七日）
松陰神社秋祭（一〇月二七日）
萩時代まつり（一一月第二土・日曜）


*特産品
萩焼
竹すだれ
夏ミカン
かまぼこ（やきぬき）
エソ巻
夏ミカン菓子
ママレード
夏ミカン砂糖煮
ウニ
干しわかめ
するめ
魚の干し物
萩ガラス


（人文社　郷土資料事典35　山口県　1998年7月　引用）

----

コメント
（コメント機能は不具合発生の為一時撤去させて頂きました。手入力をお願いします）

・萩城→萩市までは容易に想像がつくんですが、それ以前の資料がなくて。阿武郡に萩という場所があったことはわかっていますが、それも手持ちの資料で遡れるのは1500年代まででそれ以前については不明です。ただし、平安時代には既に阿武郡の記述は見られるので、その中に萩なる地名があったのかどうか・・・ -- (ありさ) 2005-12-31 19:33:31     </description>
    <dc:date>2006-02-20T00:06:42+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/32.html">
    <title>その他</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/32.html</link>
    <description>
      *その他
：書き込みルール|
特にありません。個人・団体の権利を害しない範囲で、自由にお使い下さい。

[[彼の故郷へ戻る&gt;彼の故郷]]
&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）／today（&amp;counter(today)）】}
----    </description>
    <dc:date>2006-02-20T00:04:46+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/13.html">
    <title>身体</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/13.html</link>
    <description>
      *彼の身体的特徴
:書き込みルール|
できるだけ資料、更新日時を明記して下さい。
記名は不要ですが、何かマークを付けておいて貰えると助かります。
wikiがよく分からない方は下の例に沿って入力し、[プレビュー]で確認してみて下さい。
-《例》 : 見出し | 内容（資料 日付）
その他wiki構文については、右上の ヘルプ＠wiki に記載があります。
また、このページを編集する　画面の下の方にも説明があります。
よくわからない人は、このページを編集する　編集枠画面一番下のコメント欄に記入して下さい。管理人が編集します（コメント機能を使用していましたが不具合が多い為撤去致しました）。

----

***基本データ
昭和48年3月14日生
血液型：Ａ型
髪の色：茶色
瞳の色：みどり（碧・緑・翠）
一人称：僕
趣味：茶道（幼少より）、料理、華道
特技：
得意なスポーツ：バスケットボール
尊敬する人：高杉晋作、千利休
苦手なもの：お頭つきの魚
その他：


:TV放映時（第一期）|
■年齢：14歳～15歳
■身長：164㎝
■体重：54㎏
■３サイズ：Ｂ　㎝／Ｗ　㎝／Ｈ　㎝
■その他：


:TV放映時（第二期）|
■年齢：15歳
■身長：172㎝
■体重：65㎏
■３サイズ：Ｂ　㎝／Ｗ　㎝／Ｈ　㎝
■その他


:外伝・ニューヨーク編時|
■年齢：16歳
■身長：　㎝
■体重：　㎏
■３サイズ：Ｂ　㎝／Ｗ　㎝／Ｈ　㎝
■その他


:輝煌帝伝説時|
■年齢：　歳
■身長：　㎝
■体重：　㎏
■３サイズ：Ｂ　㎝／Ｗ　㎝／Ｈ　㎝
■その他


:メッセージ時|
■年齢：　歳
■身長：　㎝
■体重：　㎏
■３サイズ：Ｂ　㎝／Ｗ　㎝／Ｈ　㎝
■その他



◇記入および追加をお願いします！
◇カセットブック等々のデータをお持ちの方、特にお願いします！

&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）：today（&amp;counter(today)）】}
----
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コメント最新10件

・趣味はお茶にお花ですって何で仰ってたんでしたっけ毛利様っ？！ -- (まさと) 2005-11-03 15:57:52 
・「趣味はぁー、おちゃにおはなー」って仰ってたのは、ヴォーカル集「鎧伝サムライトルーパーデビューアルバム『君を眠らせない』6曲目「ミッドナイト・パーティー」でしたっけ…?1990サンライズ発行「サムライトルーパー・メモリアルズ上巻」には「趣味・茶道」としか…。 -- (Ｓ来亜) 2005-11-05 02:12:27 
・君を眠らせない…持ってたのに売っちゃった×年前の私…ばかーっ（涙）古本屋で探してみます…。来亜さんありがとー… -- (まさと) 2005-11-13 21:48:33 
・こんばんは。すばらしいページができそうですね。TV放映当時、身長164cm、体重54kg、好きなスポーツはバスケで尊敬する人高杉晋作だったかな？　烈火の懐どこにいっただろう…。探せたら書き込みます。 -- (ひよ) 2005-12-12 21:04:35 
・ひよさん、よろしくおねがいします（まさと）    </description>
    <dc:date>2006-02-20T00:02:47+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/11.html">
    <title>鎧属性</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/11.html</link>
    <description>
      *鎧属性
:書き込みルール|
必ず資料に基づくデータである事。資料明記。更新日時明記。
記名は不要ですが、何かマークを付けておいて貰えると助かります。
各カテゴリの、■追加をどうぞ。の前の行にデータを追加して下さい。
wikiがよく分からない方は下の例に沿って入力し、[プレビュー]で確認してみて下さい。
-《例１》■データ内容（資料 日付)
-《例２》 **■データ内容（資料 日付）
-《例３》 -データ内容（資料 日付）
-《例４》 : 見出し | 内容（資料 日付）
その他wiki構文については、右上の ヘルプ＠wiki に記載があります。
また、このページを編集する　画面の下の方にも説明があります。
よくわからないひとは、　このページを編集する　編集枠の一番下のコメント欄に入力して下さい。管理人が編集します（コメント機能を使っていましたが不具合が多い為撤去しました）

----

**&amp;aname(基礎)鎧基礎データ
■アンダーギア　：人間の10倍の力
■ヨロイギア　：アンダーギアの20倍の力
&amp;font(10px){　　（CBスペ34大図鑑　2005.11.3まさと）}

◇追加をどうぞ



**水滸の伸データ
■走る速さ：100ｍ　3.7秒
■ジャンプ力：40ｍ
■パンチ力：厚さ40ｍの板を簡単にぶち抜く
■キック力：厚さ75センチの鋼鉄の板を蹴破る

:キーワード：信|
もともと阿羅醐の身体の一部だったヨロイギアの持つ妖邪パワーを抑える為に加雄須が吹き込んだ正しい人の心。水滸のキーワードは「信」。人を信じる心を表す。

:必殺技：超流破|
水滸の力の源、波動エネルギーを二条槍に集中させて、凄まじい勢いで敵にぶつける技。
パワーは大津波級。どんな敵も粉々にしてしまう、らしい。

:ヨロイギア|
■二条槍：刃先が鋭く分かれていて、海中で錆びる事のない不思議な槍。水滸のヨロイギアに反応して、水流を自由に操る。妖邪兵なら一度に10人を貫けるらしい。
■兜：水圧に耐え、水中でも呼吸が可能
■肩：水中戦闘用の小刀を装着
■手甲：岩を砕くカギ爪が付いている
■膝：&amp;font(#ff0000){南極の氷河も簡単に砕いてしまう膝蹴り}を放つ（原文そのまま）
　　（CBスペ34大図鑑　2005.11.3まさと）


◇追加をどうぞ

&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）：today（&amp;counter(today)）】}
----
----
コメント最新10件

・コメントはこの下に入力して下さい（まさと）2006-2-19    </description>
    <dc:date>2006-02-20T00:00:27+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/15.html">
    <title>家族構成</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/15.html</link>
    <description>
      *彼の家族
:書き込みルール|
できるだけ資料、更新日時明記して下さい。記名は不要ですが、何かマークを付けておいて貰えると助かります。
&amp;font(#0000ff){ねつ造設定はコメントに限りＯＫ。}
wikiがよく分からない方は下の例に沿って入力し、[プレビュー]で確認してみて下さい。
-《例１》■データ内容（資料 日付)
-《例２》 : 見出し | 内容（資料 日付）←人物項目を追加する場合
その他wiki構文については、右上の ヘルプ＠wiki に記載があります。
また、このページを編集する　画面の下の方にも説明があります。
よくわからない人は、このページを編集する　の編集枠の一番下のコメント欄に記入して下さい。管理人が編集致します（コメント機能を使っていましたが、不具合が発生したので撤去致しました）。

&amp;font(#0000ff){　　管理人が基本資料をほとんど持っていません。ご協力お願いします！}
----


***基本データ
構成：父（死別）・母・姉の4人家族


:父|
■鬼籍。窯元の窯元。毛利元就の血を引くらしい。
　毛利家は家伝により、十五歳になった時に水滸の鎧に辿り着くという儀式を行うしきたりがあり、父もまたその儀式を乗り越えた。ただし、実際に纏ったかどうかは定かではない。

:母|
■心臓が悪い。

:姉|
■名前：小夜子
■9歳年上。第二期直前に婚約
　女性にしては背が高く、黒髪を長く伸ばしている。

:義兄|
■名前：志塚竜介
■関係：小夜子の夫。海洋研究所勤務。
　萩の海を中心に、山陰地方の日本海沿岸の海洋調査と研究が主な仕事。
　特に、産業排水や放射能汚染など、海の環境に重点を置いた研究に従事。
　小夜子との婚約時代、帰省してきた伸と勝負する事になり、その際タンカーの事故に巻き込まれて水滸の鎧の事を知る。
　その後、伸に協力する為、志塚姓を名乗りつつ実質的には婿養子となって毛利家を継ぐ。



◇記入および追加をお願いします！
◇関連本等々のデータをお持ちの方、特にお願いします！

&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）：today（&amp;counter(today)）】}
----
----
コメント最新10件

・関連本、ほとんど古本屋に売っちゃったんだよね…私の馬鹿… -- (まさと) 2005-11-03 16:20:11 
・毛利家の人々のデータ、小説版「澪の彼方に」にて語りがありますよ。探し出してコメントさせて頂きますね。 -- (みーえ) 2005-11-06 13:56:30 
・みーえさん…！お願いしますー！！！ -- (まさと) 2005-11-13 21:49:34 
・鎧外伝　澪の彼方にですね。小夜子さんは女性にしてはスラリと背が高く、長い黒髪…というようなことを書き込めばいいのでしょうか。 -- (ひよ) 2005-12-12 21:59:29 
・はい、そんな感じで。宜しくお願いします！＞ひよさん -- (まさと) 2005-12-15 21:07:57 
・「澪の彼方より」より、データ入力（まさと）2006-2-19    </description>
    <dc:date>2006-02-19T23:56:44+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/17.html">
    <title>交友関係</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/17.html</link>
    <description>
      *彼の交友関係

:書き込みルール|
できるだけ更新日時を明記して下さい。記名は不要ですが、何かマークを付けておいて貰えると助かります。
&amp;font(#0000ff){妄想・捏造設定はコメントだけにしておいて下さい。}
wikiがよく分からない方は下の例に沿って入力し、[プレビュー]で確認してみて下さい。
-《例》 : 見出し | 内容（資料 日付）
その他wiki構文については、右上の ヘルプ＠wiki に記載があります。
また、このページを編集する　画面の下の方にも説明があります。
よくわからない人は、このページを編集する　の編集欄の一番下にコメントを入力して下さい。管理人が編集します（コメント機能を使用していましたが不具合が多いので撤去させて頂きました）。

個人データが増えたら新ページを作成します。
語りたい方はがんがん増設してリンク貼って下さい（wikiのリンクは簡単ですので！）
----

***基本データ
■家族[[詳細&gt;家族構成]]
#treemenu(title=鎧戦士な仲間達,
[[真田遼&gt;交友関係#遼]],
[[秀麗黄&gt;交友関係#秀]],
[[伊達征士&gt;交友関係#征士]],
[[羽柴当麻&gt;交友関係#当麻]],
block,
treeline=1)

#treemenu(title=鎧戦士なお知り合い,
[[朱天童子&gt;交友関係#朱天]],
[[螺呪羅&gt;交友関係#螺呪羅]],
[[那唖挫&gt;交友関係#那唖挫]],
[[悪奴弥守&gt;交友関係#悪奴弥守]],
[[伽遊羅&gt;交友関係#伽遊羅]],
block,
treeline=1)

#treemenu(title=鎧戦士なお師匠さま,
[[加雄須&gt;交友関係#加雄須]],
block,
treeline=1)

#treemenu(title=鎧戦闘な仲間,
[[ナスティ柳生&gt;交友関係#ナスティ]],
[[山野純&gt;交友関係#純]],
block,
treeline=1)

:&amp;aname(遼)真田遼|
■仁将烈火
■鎧の性格：すべての悪を焼き尽くす炎
■昭和48年8月15日生
■サイズ：身長175cm　体重65kg
■血液型：Ｏ型
■出身地：山梨県
■家族構成：父（動物生態写真家）
■趣味：トレッキング、モグラたたき
■得意なスポーツ：サッカー
■尊敬する人：坂本竜馬、宮本武蔵
■苦手なもの：かき氷、インタビュー

:&amp;aname(秀)秀麗黄|
■義将金剛
■鎧の性格：大地の恵みを育む力
■昭和48年9月1日生
■サイズ：身長170cm　体重65kg
■血液型：Ｏ型
■出身地：神奈川県
■家族構成：父（横浜中華街で中華料理店経営）、母、弟（永、明隆）、妹（鈴恵、春花）
■趣味：食べること、ファミコン、ゲームセンターの腕相撲
■得意なスポーツ：柔道、カンフー
■尊敬する人：ジンギスカン、ジャッキー・チェン、ブルース・リー、コックさん
■苦手なもの：コンニャク、ツバメの巣

:&amp;aname(征士)伊達征士|
■礼将光輪
■鎧の性格：隠された真実を照らす正義の眼
■昭和48年6月9日生
■サイズ：身長172cm　体重60kg
■血液型：Ｂ型
■出身地：宮城県
■家族構成：父（警察官）、母（伊達道場の師範代）、祖父（道場主）、祖母、姉（弥生・医大生）、妹（五月）
■趣味：尺八、前衛盆栽、刀の手入れ
■得意なスポーツ：剣道
■尊敬する人：伊達政宗、柳生十兵衛
■苦手なもの：女性と話すこと

:&amp;aname(当麻)羽柴当麻|
■智将天空
■鎧の性格：空高くから世界を見下ろして人間の未来を考察する知性
■昭和48年10月10日生
■サイズ：身長177cm　体重66kg
■血液型：ＡＢ型
■出身地：大阪府
■家族構成：父８ゲンイチロー・大学教授）、母（みゆき・国際ジャーナリスト）
■趣味：囲碁、将棋、パズル
■得意なスポーツ：野球
■尊敬する人：聖徳太子、諸葛亮孔明
■苦手なもの：巨人ファン、早起き、唱歌


:&amp;aname(朱天)朱天童子|
■鬼魔将
■鎧の心：忠/敬愛するものを守護する
■1551年5月5日生
■血液型：Ａ型
■出身地：山城の国（現在の京都）
■身長：173cm（５尺７寸２分）
■体重：67kg（17貫866匁）
■趣味：己を磨くこと、読書
■苦手なもの：豆

:&amp;aname(螺呪羅)螺呪羅|
■幻魔将
■鎧の心：忍/忍耐、心の安らかさ
■1549年生
■血液型：Ｂ型
■出身地：武蔵の国（現在の関東）
■身長：176cm（５尺８寸１分）
■体重：70kg（18貫667匁）
■趣味：他人を惑わすこと
■苦手なもの：早起き

:&amp;aname(那唖挫)那唖挫|
■毒魔将
■鎧の心：悌/年長者に従順に仕える
■1551年生
■血液型：ＡＢ型
■出身地：薩摩の国（現在の南九州）
■身長：172cm（５尺６寸８分）
■体重：62kg（16貫533匁）
■趣味：他人をはめること
■苦手なもの：寒さ

:&amp;aname(悪奴弥守)悪奴弥守|
■闇魔将
■鎧の心：孝/よく父母に仕え、大切にする
■1550年生
■血液型：Ｏ型
■出身地：陸奥の国（現在の青森）
■身長：170cm（５尺６寸１分）
■体重：63kg（16貫800匁）
■趣味：他人を驚かすこと
■苦手なもの：明るい所


:&amp;aname(伽遊羅)伽遊羅|
■愛将
■1559年12月12日
■血液型：Ａ型
■出身地：大和の国（現在の奈良）
■身長：158cm（５尺２寸２分）
■体重：44kg（11貫433匁）
■趣味：舞い
■苦手なもの：ナメクジ


:&amp;aname(加雄須)加雄須|
■迦雄須一族の長
■出身地：武蔵の国（現在の関東）
■身長：177cm（５尺８寸４分）
■体重：計測不能
■趣味：歌を詠むこと

:&amp;aname(ナスティ)ナスティ柳生|
■昭和45年5月28日生
■血液型：ＡＢ型
■出身地：小田原市
■身長：168cm
■体重：49kg
■家族構成：父、母（フランス人）、祖父（他界）
■趣味：伝奇学、ドライブ（免許はフランスで取得）
■得意なスポーツ：長刀


:&amp;aname(純)山野純|
■昭和54年6月30日生
■血液型：Ｏ型
■出身地：東京都
■身長：125cm
■体重：31kg
■家族構成：父（サラリーマン）、母
■趣味：スケートボード


◇記入および追加をお願いします！
◇カセットブック等々のデータをお持ちの方、特にお願いします！

&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）：today（&amp;counter(today)）】}
----
----
コメント最新10件

・各人の基本データ入れてる暇ないので、とりあえず項目だけ。 -- (まさと) 2005-11-03 17:04:28 
・1990サンライズ発行「サムライトルーパー・メモリアルズ上巻」に、秀の生年月日が「昭和49年9月1日」とありますが、これ、ミスプリ、ですよね…？他のは「昭和48年」だったと思いますし…。 -- (Ｓ来亜) 2005-11-05 02:17:13 
・ミスプリじゃないかなぁ…。秀だけ一年（伸とは二学年）年下だったらそれはそれで楽しいですが（笑） -- (まさと) 2005-11-13 21:50:39 
・おお～。すごーい。好きなもの嫌いなもののデータ、めちゃめちゃ面白いですねー！！！ -- (まさと) 2005-12-15 21:10:56     </description>
    <dc:date>2006-02-19T23:36:20+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/19.html">
    <title>プライベート</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/19.html</link>
    <description>
      *彼のプライベートデータ
彼の私生活に関するデータならなんでも。
:書き込みルール|
資料、更新日時を明記して下さい。記名は不要ですが、何かマークを付けておいて貰えると助かります。
wikiがよく分からない方は下の例に沿って入力し、[プレビュー]で確認してみて下さい。
-《例》 : 見出し | 内容（資料 日付）
その他wiki構文については、右上の ヘルプ＠wiki に記載があります。
また、このページを編集する　画面の下の方にも説明があります。
よくわからない人は、このページを編集する　から入って、編集欄の一番下に書き込みしてください。管理人が編集させて頂きます（コメント機能を使っていましたが、不具合が多い為一時撤去させて頂きました）。

----

:高校時代、代官山で１人暮らし|
鎧な戦い終了後、代官山に出て１人暮らしをしながら予備校通い（カセットブック「それからの戦士達」収録）。
週末になると、柳生邸で書物漁りをして終電を逃した当麻が転がり込んでくる模様。
……上京して予備校通いって事は、大検取ったのでしょうか？


:大学時代|
■「メッセージ」にて、原付に乗る毛利様のお姿アリ。
　相変わらず代官山で１人暮らしをされていらっしゃるようです。
　(2005.11.3まさと）




◇記入および追加をお願いします！
◇カセットブック・関連本等々のデータをお持ちの方、特にお願いします！

&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）：today（&amp;counter(today)）】}
----
----
コメント

そう言えばカセットブック「それからの戦士たち」で秀が遼に宛てた手紙の中で伸は代官山のお姉さんの家に出て来て毎日塾通いしている。と言っていましたね。 -- (水無月) 2005-12-05 23:01:06 
水無月さん、アリガトウ！！！代官山…。やっぱり高校時代は東京に来てたんですね。う～カセブはどうやって入手しようかなぁ…。 -- (まさと) 2005-12-11 21:30:45     </description>
    <dc:date>2006-02-19T23:32:43+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www6.atwiki.jp/water/pages/4.html">
    <title>彼</title>
    <link>http://www6.atwiki.jp/water/pages/4.html</link>
    <description>
      *彼【毛利伸】
**基本データ
生年： 1973年3月14日
鎧属性：信将　水滸　[[【詳細】&gt;鎧属性]]
身体特徴：　[[【詳細】&gt;身体]]
-髪の色　茶
-瞳の色　みどり（翠・緑・碧）
-一人称　僕
出身地：山口県萩市　[[【詳細】&gt;彼の故郷]]
家族構成：父（死別）・母・姉の4人家族　[[【詳細】&gt;家族構成]]
交友関係：　[[【詳細】&gt;交友関係]]
プライベート：　[[【詳細】&gt;プライベート]]




&amp;font(10px){アクセス数（&amp;counter()）【yesterday（&amp;counter(yesterdeay)）／today（&amp;counter(today)）】}    </description>
    <dc:date>2006-02-19T23:14:59+09:00</dc:date>
  </item>
  </rdf:RDF>

