「夏の日」(2012/10/15 (月) 20:52:04) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
***朝が来るまで
「なぁ、そろそろ起きねぇか?」
傍らで寝ている男にそう声をかける。
飛行隊での飲み会の帰り、酔い潰れて前後不覚なのを見かねて仕方なく半ば担ぎこむようにして自分の部屋へと引っ張りこんだ。
それももう2時間近く前の話だ。
ちょっと寝させてくれ、とヒトの布団に倒れ込んで、そしてこの男は、神田鉄雄は目を覚ます気配もない。
そのまま朝まで、どうせ帰る手段もない田舎のことだ、別にいて貰うのは構わないが、朝までそのままってわけにはいかないだろう。
制服だって脱がせてしまわないとシワになってしまうし、それに布団だって一組しかないのだ。
そんなに中央に大の字になって寝られてしまっては、俺の眠る余地がないじゃないか。
「おい、起きろ。」
耳元で、声を荒げてみる。
「ん・・・。」
すると、眉間がピクリとほんのわずかだけ動いたものの、相変わらず起きる気配はなかった。
無防備な寝顔だ。
そうやって神田の傍らに膝をついて顔を寄せていると、鼻がその体臭をかぎつける。酒臭い中に嗅ぎ慣れた煙草の匂い。それが多少の汗臭さと入り混じって、それは確かに俺が知っている「神田」の匂いだ。訓練が終わった後、狭い喫煙所で体をくっつけ合うようにして談笑してたりとか、そんな時と同じ。
それは俺を魅了してやまない神田そのものでもあった。
「まいったな…。」
思わずそうつぶやいた。
忘れようとしていた「思い」が頭をよぎる。
人恋しさも募っていた。
神田は…、この男は気づくことがあるのだろうか。俺の「思い」に。
触れたいと、感じたいと、ずっと思っていた…そんな願い。
このままそれを遂げることができるのなら。
「ったく、ヒトの気も知らねぇで…。」
俺は何をしようとしてるんだ?
どう考えたって、冷静な判断じゃない。
この男に出会ってから、ずっと調子を狂わされっぱなしだ。
今もそう、鼻腔をくすぐる男の体臭に、こみ上げる衝動を抑えることができないでいる。
眠っている神田の体に、這い上がるようにして自分の体を上に重ねる。その口元に顔を寄せると、さっきよりもハッキリとその息遣いを感じる。重なった体からは、鼓動が明確に伝わってきていた。
それは体臭と同じで、俺が普段からよく知っているものだ。
狭いコックピットの中で、無線を通していつも感じている物。
ターゲットを見つけたときの興奮、回避を終えたときの安堵、板ごしの前席にいる神田の精神状態を知るために、俺が最も注意をはらっているモノ。
けれどその鼓動を、繋がり合ってもっと深いトコロで感じたいと思う。もっと激しい息遣いで、俺だけに語りかけて欲しい、と。
だからきっと、そんな俺はどこかオカシイんだろう。
自分の性癖に気づいたのは、ずいぶん昔のことだけれど。
つれない相手を目の前にして、こんな風に受動的に相手を欲しいと思ったときはどうすればいいんだ?
そのケがある奴が相手なら何の問題もなかったってのに、畜生。
そんな事を考えていたら、神田の腕が動いて、不意に抱きしめられた。
「神田?」
問いかけるけれど、応えはない。なら、じゃあ無意識の行為なんだろう。
そうであって欲しい。「思い」なんてそうそう簡単に伝わるもんじゃないから。
伝えなければ、伝わらない。何よりも大事なモノであって欲しい。
…俺にそんな勇気が生まれるのは、いつの日になるんだろう。
傍に居られるんだから、それでいいじゃないかと妥協してしまっている現状。
俺はこんな臆病な人間だっただろうか?
拒絶されることが怖くて、何も言えずに、できずにいる。
さっきだって、神田が目を覚まさざるを得ない状況にまで、追い込むことは簡単だったのに。
そのまましばらくしても神田の腕が緩むことはなくて、おかげで起き上がることができなくなってしまった。
神田の腕の中は温かくて、この思いのすべてを受け取って貰える気がした。
もしも、明日の朝になって、俺を抱きしめるこの腕の強さがこのままだったら。
そうしたらこの思いを伝えてしまおう。
けれど、ここは居心地が良すぎるから…。
…このまま夜明けが来なくてもいいかもしれない…。
***夏の日
それは、心地よい初夏の日差しの中でのこと。
「てめぇ、何サボってやがる。」
場所は飛行隊横のグラウンド。やたらに広いこの基地には芝生の敷き詰められた原っぱがたくさんある。
けれど、そこは草が伸び放題に野放しにされていて良いわけでは当然なくて、当然ながら隊員たちの手によって定期的にキレイに刈り込まれているのが通常であった。
飛行隊総出での草刈の日。当然ながら普段は華麗に戦闘機を駆るパイロット達も例外ではなくて、キレイに雑草を刈る日なのである。
そんな中に、神田と栗原の姿もあった。
しゃがみこんで何やらゴソゴソとしていた神田が視線を上に向けると、そこには草刈鎌を片手に、何やら物騒な雰囲気の栗原が居た。
「げっ、なっ、なんだよぅ。何もサボってねぇぞ。」
「嘘ついてんじゃねぇよ、手が止まってるぞ、手が。」
右手に鎌を持つ栗原の背中には大きな麻の袋がかつがれていて、軽く紐で結わえられた口と、粗い縫い目のところどころからは、半ばぐったりとした緑色をした雑草がはみ出てユラユラとしている。
どうやら袋一杯に刈り取った雑草を指定の集積場所まで運んでいく途中のようだ。
かたや神田のほうはと言えば、手近に置かれた麻袋をようやく半分くらい満たしているに過ぎなかった。
「だってよぅ。何も手刈りなんてしなくてもよぅ、草刈機でちゃっちゃとやれば…。」
神田にしてみれば発動機付の草刈機が使えないことが不満なようで、手刈りに身が入らないようだ。草刈機の数は限られていて、毎回全員に当たるわけではない。特に最も雑草がすくすくと育つ初夏の時期はそうだ。
けれど、草刈がなかなか進まないのはそれだけが理由だけではないようで、
「神田、なんでお前の周囲だけそんな色とりどりなんだよ?」
栗原がそう尋ねたように、神田の周囲には黄色や紫や白や、それほど鮮やかではないものの、キレイは花で埋め尽くされているのだった。
「…あー、いやその。」
花とは言ってもそれは雑草の咲かせた花で、さらによく見れば、神田の傍の麻袋にはそういった雑草の花は入っておらず、緑色の草ばかりが詰め込まれている。
「何やってんだ、お前っ。草刈くらいまじめにやれっ、まじめにっ!!」
栗原が怒るのも無理はなく、誰かが遅れれば、その分ほかの誰かがその場所をカバーすることになるのだ。時間は限られている。しかし草を刈らねばならない場所はこの百里基地ではほとんど無限に近い。
「いやー、だって、ホラ。せっかくキレイに花咲いてるからさ、刈っちゃうとかわいそうかなーとか。」
しかし、その返事に栗原が切れた。
「神田…、ここはどこだ?俺たちは何をやってるんだ?」
鎌を手に、栗原の目は据わりはじめていた。
「えーっと、グラウンドで草刈の最中だったかなー。」
「そうだ、グラウンドだ。んで、ここに生えているものはなんだ?」
とそう言って栗原は足元を指差す。
「し、芝生です。」
「わかってんじゃねぇか。そうだ、芝生だ。ここはお花畑じゃねぇんだ。芝生以外は全部雑草だ。だから、刈れ。全部刈れ。すべからく刈れ。芝生以外は全部刈っちまえ。」
その物凄い剣幕に圧倒されて、神田は不承不承返事をした。
「は…はい。」
「時間内に終わらなくても、ぜってぇ手伝わねぇからな。ちゃんとノルマ分はひとりでやんなさいよ?」
…そして数時間後。
「お…終わったぞ…。」
作業の終了予定時間ギリギリに神田は集合場所に姿を現した。
「ほほう。」
栗原が、神田の作業していた場所に目を向けると、そこは発動機式の草刈機で刈り込んだかのように草足も均一に見事に刈り込まれている。
「なんだ、やれば出来るんじゃん。さすが神さん。今日はきっとビールが美味いよ。」
「まーな。これが俺様の実力ってもんよ。」
「もうちょっと早く終わってくれれば言うことはないんだけどねぇ。」
そんな会話をしながら、他の隊員も共にガヤガヤとロッカー室に戻って制服に着替えようとしていた時…。
「こらーーーーっ!!ワシの大事な畑を荒らした奴は誰じゃーーーっ!?」
窓越しにひときわ大きい司令の声が響いた。
「…畑?」
「そういやグラウンドの隅にあったっけ?」
「司令が趣味で作ってる奴だろ?」
その声に、着替え途中の隊員達がそう言いながら顔を見合わせる。
確かに飛行隊で草刈を行っていたグラウンドの片隅には家庭菜園モドキの1平方メートルばかりの畑があったのだが…。
「そういや、神田さんでしたよね。司令の畑の近くで作業してたのって。」
「そうだそうだ。畑の近くで機械が入れないから手刈りでって決めて、確か神田2尉の担当で…って。」
と、何か知らないか?といった視線が次々に神田の方へと向けられる。
そして、その当の神田はと言えば…。
「畑?」
そんな視線にキョトンとした様子でそう聞き返した。
それから色々と思考をめぐらせて、そして…。
「え、あ、あーーーっ!!アレ畑だったのかーっ?!」
頭を抱えてその場にへたり込む神田にの様子に、そこに居た全員が、神田のやらかした何かに気づいてしまうのだった。
「…まさか、全部刈っ……、いやまさかいくら神田さんだからって…。」
そして、何よりもきつい視線が神田へと向けられる。
「神さん…?」
「うっわ、だってだって。」
「だってじゃねぇだろ、アホか、お前はっ。」
「だって、芝以外全部刈れっつったの栗じゃんかぁーーっ。」
「何ーっ、俺のせいにしやがるか、てめぇっ。」
「どっ、どうしよ。ぜってー怒られる。栗ぃ、一緒に謝ってよぅ。」
「うっせぇ、一人でいきやがれ。」
そして数ヶ月後。
「…お、そろそろ、キュウリがいい感じだねぇ。」
夏もまっさかりのグラウンドの隅。そこはキレイに囲いがされて、そして数本ずつ様々な作物が育てられていた。
「栗、見てねぇで手伝え。」
「やだよー、だって特命受けたの神さんじゃんー。」
そう、あれから司令にしこたま説教を食らった神田は、さらに罰として畑仕事を命じられていたのだった。
「あ、これそろそろ食べごろかも。」
「勝手に採るんじゃねぇ、こら。」
「まぁ、いいじゃん。黙ってりゃわかんねぇだろ?」
と、時たま畑を覗きに来る栗原は、いつも決まって手に小さい袋を用意している。
「ナスはシギ焼きと麻婆茄子どっちがいいかねぇ。」
そして、そんなことを言いながら、目立たない場所から勝手に「収穫」していくのだ。
いつも要領だけはとても良い、それでいて暴虐武人な栗原に、
「うっ、どっちも美味そー。」
そうやって好物をチラつかされて文句も言えなくなる神田だった。
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: