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***DISTANCE~千歳2~
「くそっ、お前に言われなくたって、んな事たぁわかってんだよっ。」
ガチャンっ、と公衆電話の受話器をたたきつけて神田はそう言った。
そこは千歳基地の幹部外来のある隊舎の一階に設置された公衆電話だった。
もう日もも変わろうかという深夜、常夜灯の光の下、その受話器の音と神田の声だけが廊下に響いていた。
結局、その日の神田は昼の栗原からの電話の後、すっかりまた眠り込んでしまって、目覚めたのは日もとっくに暮れかけた頃だった。
基地の食堂の喫食時間はとうに過ぎていたので、けれど外に飲みに行こうとして、神田はそれを諦めた。
寒いのだ。
北海道の冬は寒い。夜はましてだ。
飛行服はさすがに目立つだろう、と神田は制服に着替えていた。その制服も、替えの下着や洗面具なんかの日用品もとりあえず栗原が用意してくれていて、何の不自由もなかった。けれど、さすがにそこまでは栗原も考えが回らなかったのだろう。そこには防寒着は含まれていなかった。
それでも頑張ってゲートまで行こうとしたが、その後の行程を考えると、さすがに神田も基地の外に出ることを諦めざるを得なかった。
それでも、基地というのは良くできているもので、中には必ず隊員クラブが存在する。酒の種類や肴の種類は外とは比べるべくもないが、それでも安価で点呼の時間までの間、居心地のいい場所を提供してくれる。
結局神田は食事がてら、そこに顔を出してみることにした。
行ってみると、なかなか小奇麗な作りをしている。
若い女の子もそれほどいないが、一応入り口近くのレジにバイトらしい女の子がいて、神田が一人だと告げると、
「ごめんなさい、今日は宴会が色々入ってて。カウンターでいいですか?」
と言われ、
それでいい、と神田が答えるとカウンターの一番奥へと通された。
確かに言われた通り、奥の座敷は締め切られていて、靴が散乱していたし、椅子席も半分以上がアコーディオンカーテンで仕切られていて、中からは陽気な笑い声がしている。
なかなかいい店だ、と神田は思った。
少なくとも百里のクラブよりは数段上だ。
そういや、「各務原クラブ」はメシが美味かったっけ、とそんな事を考えて店の中を見渡すと、その壁には、これはまた昔ながらの基地クラブらしく色々な隊や転地訓練に来た部隊の寄せ書きだとか、集合写真だとかが所狭しと飾られている。
その中に神田は、千歳飛行隊の集合写真を見つけた。
おそらく、そこそこの地位に居た人間の転属だか退官だかのラストフライトのものだろう、と思いながら何気にそれを見ていて、ふと神田はある一点に釘付けになった。
全体写真で小さいが、それは間違いなく栗原宏美その人だった。
「栗・・・。」
そう呟いて、思わず神田から笑みがこぼれた。
何年にとられた写真かは刻印されていなくて、何年前のものかはわからなかったが、栗原の階級章が「3等空尉」なのを見れば、おそらく24~5歳くらいの写真なのだろう。
それは神田の知らない栗原の顔だった。
それを見つけた直後、最初に頼んだ生ビールが運ばれてきて、神田は席に戻ったのだが、北海盛と、ジンギスカン焼肉をオーダーすると、またジョッキを片手に神田はその写真のある壁際に戻ってきた。
写真の中の栗原に惹きつけられて。
今現在の、幾分砕けた人間味のある表情とはもちろん違う。コンピューターと呼ばれるように緻密な演算をやってのけるときの冷静でかつ怜悧な表情とも違う。
そして、神田にだけ見せる甘く溶けて乱れた表情でもない。
その顔は、百里に来たばかりの頃の人を見下したような寄せ付けないような、その上に孤高とも言うべき悟り済ましたような、そんな表情でもなかった。
もちろん穏やかとか優しいとかでもなくて。
危うい。それが神田にできる表現のすべてだった。
そう、今にも心ごと誰かに壊されてしまいそうなそんな表情。
その面差しが美しい分だけ、余計にそう感じさせてしまう、そんな貌。
笑ってもいなくて、けれど無表情だと言うほどの固さもない、ただ「整っている」だけの顔。
しばらくそれを見つめてから、神田は自分の席に戻った。
あの写真の中の栗原なら、今の栗原のほうがよっぽどいいと、そう思いながら。
重ねた年が栗原のその美しさを損なわせたどうかは神田には測ることはできなったが、少なくとも「人間らしい」それでいて時に「機械的に冷静な」今の栗原が、神田は大好きだった。
たまに、苛められたり、冷たくされたり、そんな憂き目に遭っていたとしても。
それでも、その過去の写真が気になることは確かで、
その危うさと、怪しげな雰囲気。庇護したい衝動と、引きずり落として引き裂きたい慾情とを同時に感じさせる表情。
そんなイキモノと四六時中一緒にされたら、同じ隊の人間はたまったものじゃないだろうと。誘惑に駆られて怪しげな欲望を持つに至ったとしても、それはその人間のせいではないのかもしれなかった。
だから、その時神田は確信したのだった。
栗原を抱いたのは、おそらく自分が初めてではないのだろう、と。
頼んでいた料理が席に並べられて、神田は席に戻ったが、その後一人それに箸をつけながら、2杯目の生ビールを頼み、そして店の女の子に声を掛けることもなく、神田は栗原を思い出していた。
抱きしめた時の感触、その仕草。
腕の中で、つと身をよじって居心地のいい場所をさがす、そんな仕草や、しがみついてくるタイミング、大抵の女の子がそうだったように、それは、そんな些細の事でなんとなくわかるものなのだ。
それ以上艶かしいことを思い起こすと、自然に体が反応してしましそうで、神田はその考えを打ち切った。手にしていた半分ほど中身の残っていたジョッキを、また飲み干してしまうと、3杯目を注文する。
その時に、店の中のテレビに気がつく。
丁度洋画劇場がはじまる時間だったらしく、洋画が始まる前のテロップが流れているところだった。
混むかと思っていた店内は意外と客足も良くなく、特にそのテレビの前の特等席はまだ空いたままだった。
そっちに移ってもいいか?と許可をとりつけて神田はそのテーブル席へと場所を移した。
始まった映画は、切ないラブストーリーでも手に汗握るアクションでもなんでもなくて、日常生活を風刺したコメディで、神田は栗原の事を思い出すこともなく、素直に楽しむことができた。
映画が終わる頃には点呼を告げるラッパも聞こえてきて、本当ならば閉店の時間なのだろうが、宴会が長引いているのか、店の閉まる気配はない。
そして店員のほうも、神田の肩の階級章を見て、営内者ではないのだろうと判断して、そっとしておいてくれる。
けれど、宴会をやっている一角からぞろぞろ帰り始める雰囲気がしたと思ったら、ようやく神田のほうも、そっとオーダーシートが差し出されて、店を出ることを促された。
そうして、ようやく基地クラブを後にして神田は外来隊舎に帰りついた。
余りいい酒は置いていなくて、神田は生ビールしか口にしていない。ほとんど酔ってもいないまま隊舎に帰りついて、神田はある事に気がついた。
部屋の中が暑いのだ。
そこは北海道で、冬の夜の気温は並大抵のものではない。
それを考慮して、その地域の隊舎は24時間暖房になっている。もちろん窓も二十窓になっているという手の込みようだ。
しかもその暖房は全館スチームで際限なく炊かれていて、普通に服を着ていると暑いくらいだ。
「あっちー。」
言いながら神田は上着を脱いだ。
そしてその時になって、ようやく神田は栗原が用意してくれた荷物に、何故「Tシャツ」と「短パン」が用意されていたのかを悟った。
昼間は日差しがあったり、人が少ないせいで暖房は余り効いていないが、夜は暑いくらいなのだ。そんな中で快適に眠るために必要な服装だった。
さすが、良くできた女房だと、そんな事を思いながら神田はその服装に着替えて、そしてふと思いついて、その配慮に礼を言おうと栗原のもとに電話したのだった。
深夜遅い時間だっただけに、もう寝ているかも、とそんな事を思いながら。
だが、その電話口に出たのは、伊達だった。
何故そこに?という疑問と、栗原とはどういう関係だったんだ?という疑惑とが同時に神田に沸き起こる。
それもまた、基地クラブで目にした写真のせいだろう。
普段ならギャグだろうと、流せる伊達のセリフを思いっきり真に受けて、神田は電話口で激しく同様させられていた。
思わず、たたきつけるように受話器を置いてしまう。
後には激しい嫉妬と、いいようのない憤りや侘しさや、そんなものが同時に神田の心を支配し始めて、神田はフラフラとそのまま部屋へと戻った。
叫びたい気持ちを堪えながら・・・。
そのまま、ベッドに潜り込んだが、眠れないのは同じだった。 それでも、いつの間にか眠ってしまっていたのか、次に神田の目を覚ましたのは、一本の電話だった。
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