POWER BALANCE
近頃じゃ、毎日のフライトが憂鬱だ。
訓練が嫌いなわけじゃない。操縦にもちったぁ自信はある。けど、ここの所は不調でもないのに後席からのダメ出しをくらうのだ。
けど、それは俺にはどうしようもない機体の性能上の問題だったり、どう考えても人間の身体にとっては無茶なオーダーの連続で、飛行後のブリーフィングのまたその後で、いつだって言い争いになるし、そして今みたいな取っ組み合いの喧嘩だって、もう何度目の事になるだろう。
ブリーフィングルームもその前の廊下も、喧嘩をするには目立ちすぎる。俺がそう思って先に立って格納庫の隅へと歩いていくと、相手も後ろから無言で付いてくる。
俺が振り返った途端に、向こうは何も言わずに掴みかかろうとしてきたので、俺は思わずその頬を拳で殴り返して牽制する。
もちろん小僧相手に本気で殴る蹴るなんてしやしねぇが、相手は結構本気らしい。
こっちも力の加減はしても、受身の方は本気でやらねぇと、ヒットした時はかなり応える。おまけに要領がいいのか、反射神経が俺に勝ってるのか、なかなかこっちの攻撃も当たらないときている。
2、3発適当にかましてそれで終りにしようと思っていたのが、なかなか長引いて、こっちも息が上がってくる。
これ以上は不利だ、と判断して俺は隙を見て相手の手首を掴んで、それから一気に引き寄せてそのまま組み伏せた。
丁度、格納庫の隅の休憩コーナーのソファーの上に、そのまま乗り上げる姿勢になって相手の動きを封じる。
「ばかやろうっ、離せよっ。」
俺の方を睨んで、悔しそうに栗原はそう声を荒げた。
見てくれ通りに力はそう強くないらしい。瞬発力や判断力でなんとかなる喧嘩と違って、押さえつけて動きを封じてしまえば、こっちのモンだ。
「るせぇな。弱っちいクセして毎度毎度俺に喧嘩売ってくんじゃねぇよ。」
俺は、その瞳を覗き込みながらそう凄んだ。
栗原は、俺から見ればパイロットとしては幾分後輩になる。見てくれの線の細さの割りに、獰猛というか手に負えない山猫みたいな奴で、たまにはこうやって力関係を示してやらねぇと、こっちの立場が危うい。
「伊達こそ、へったクソな操縦しといてよく言うよ。今日だって、ちゃんと俺が言ったタイミングで旋回してればターゲット落とせてたのに。」
「アホ言うな。あんな角度から突っ込むバカがどこに居るってんだ。」
「伊達なら出来る筈だ。・・・・・・1位を逃した。」
栗原が要求してくるのは、いつでも身体能力ギリギリ限界の操縦だ。俺だからなんとかもってるのかもしれないが、下手な奴がやったとしたら、機体はいつバランスを崩して取り返しのつかない事態になるかわからない。
栗原の普段言っていることも正論だ。ファントムという機体に素晴らしい性能があるのなら、その機体性能を限界にまで使いこなせるように、操縦者たる人間は努力をしなければならないのだろう。けど、栗原が戦闘機乗りとしての理想を追い求めるのは勝手だが、それに他人を巻き込むのはどうなんだ?
一度、徹底的に説教してやらねぇといけねぇな、と思いながらここまで来てしまっていた。いい機会だ、たっぷりと教育してやる。
と、意気込んだまでは良かったが。
「ねぇ、伊達。どうでもいいけど、変な誤解されたくなかったら、そろそろ俺の上からどいてくれない?」
と、栗原に思い切り話しの腰を折られた。
確かに男が男をソファの上に全身かけて押さえ込もうとしてる姿は、ハタから見てりゃさぞかし異様な光景だろう。あまり意識はしなかったけれど、ここが丸見えになっている格納庫の扉の前を、人が何人も通り過ぎていた筈だ。変な噂にならなきゃいいが・・・。
仕方がないので、俺はそこで栗原の体を解放した。けれど、逃がさないように、その腕は掴んだままでソファに座らせて、俺もその隣に腰を下ろした。
丁度その視線の先には、整備途中のファントムが鎮座していて、機体は天井のライトを受けて、落ち着いた光を放っている。
「なぁ、お前コイツが好きか?」
俺はそのファントムを顎で指して、栗原にそう訊いてみた。
「・・・そうだな・・・。嫌いじゃないと思うけど。」
意外な答だった。ファントムの、特に後席に好んで乗りたがる奴は大抵この機体に惚れ込んでいる奴が多い。栗原もてっきりそうだと思っていた。だから機体性能にそこまでこだわるんだろうと。
好きで入れ上げて、ファントム乗りになったんじゃなけりゃ、どうしてコイツはここに居るんだろう。
「お前、単座のが向いてるんじゃないか?腕だって悪かねぇし、一人のが思い通りに飛べて満足じゃね?」
その言葉に、栗原は寂しそうに、そして少し自嘲気味に笑って言う。
「・・・教官に言われた。お前は一人で飛んでたら、すぐにでも機体と共にバラバラになるだろう、ってさ。」
なる程ね、それで複座にまわされたってわけか。
「そりゃ、良く出来た教官だったな。」
「別に俺だって、死にたいわけじゃない。もちろん誰かを殺したいわけじゃないし、機体だって壊したいわけじゃない。ただ、自分で自分に妥協が出来ないんだ。」
その言葉を聞いて、俺は栗原という人間が少しわかったような気がした。
ガキだ、ガキだと思っていたが、ここまで生き方ってのを知らない奴は初めて出逢った。
人ってのは、妥協とか挫折とか諦めとか、そんなのを知って成長していくもんだろうに。20代も後半になって、それが出来ねぇってのは余程、ガキなのかバカなのかおめでてぇのか。
ちったぁ、俺のちゃらんぽらんさを見習え、と言いたくなる。
と、同時にコイツの相棒が俺で良かったと思うのだ。大人だと思えば腹の立つ事でも、相手がガキだと思えば寛容になれる。優しいお兄さんだからな、俺は。
「馬鹿野郎、俺だってお前と心中なんかしたくねぇよ。理想だけで飛行機飛ばせりゃ苦労はしねぇわな。」
「伊達と心中なんて、俺だってゴメンだ。」
だったら、ちったぁ妥協しろよ、と言いたくなる。言う事全部がクソ生意気でやってられないが、それもまた躾のし甲斐があるってもんだ。
と、同時に俺は激しく栗原を気に入ってもいた。
自暴自棄で、捨て身でしか人と接しようとしない、そんな所が。
そして多分、まだまだ俺だって信用されてもいねぇ。
人に懐かねぇ、野良猫みたいな目で俺を見てやがる。
信頼関係の醸成、なんてお決まりのフレーズだが、まずはそれからだと俺は思った。戦闘機なんて危なっかしいシロモノを飛ばすっていう共同作業に必要なのは、操縦適正でも飛行理論でもなんでもなくて、ただ相手の事をどこまで許容できるかと、相手をどこまでコントロールできるか、につきるのだろう。
だとしたら、俺に出来るのは、栗原の心に踏み込んで、上がりこんで、踏み荒らして、その心の端っこを鷲掴みに捕らえることだけだ。
「俺は死なねぇし、お前も死なせねぇよ。」
それまで目を合わせずに喋っていたが、不意に視線を合わせてそう言ってやると、栗原は不思議そうな顔をした。
「俺はお前が思ってる程、ヘボいパイロットじゃねぇ。無茶もしねぇけど、ヘマだってしねぇ。だからたまには俺を信じて手綱を緩めてみろよ。」
そう言って口端のを歪めてみる。女を口説く時のニヒルな笑いって奴だ。
もちろんコイツには通用なんてしないんだろうが、少しは効果があったようで。
「・・・そう言うんなら、証明してみせてよ。」
とめずらしく素直な、そんなオーダーが来る。
いいだろう、そうやってたまにはちゃんと力関係を示す必要がありそうだ。
そうやって俺の凄さを証明できれば、ちょっとは俺を信用して肩の力を抜いてくれるだろうか。
「あぁ、次のフライトでな。」
俺は表情だけは自信たっぷりに、そう栗原に答えてやった。
どれくらい強さを示せば、そしてどこまでその頑なな心をかき乱してやれば、栗原はこちらに折れてくれるだろう、と。それはまるで恋愛のような密かな楽しみで、
俺はいつしか、毎日のフライトが楽しみで仕方なくなっていたのだった。
訓練が嫌いなわけじゃない。操縦にもちったぁ自信はある。けど、ここの所は不調でもないのに後席からのダメ出しをくらうのだ。
けど、それは俺にはどうしようもない機体の性能上の問題だったり、どう考えても人間の身体にとっては無茶なオーダーの連続で、飛行後のブリーフィングのまたその後で、いつだって言い争いになるし、そして今みたいな取っ組み合いの喧嘩だって、もう何度目の事になるだろう。
ブリーフィングルームもその前の廊下も、喧嘩をするには目立ちすぎる。俺がそう思って先に立って格納庫の隅へと歩いていくと、相手も後ろから無言で付いてくる。
俺が振り返った途端に、向こうは何も言わずに掴みかかろうとしてきたので、俺は思わずその頬を拳で殴り返して牽制する。
もちろん小僧相手に本気で殴る蹴るなんてしやしねぇが、相手は結構本気らしい。
こっちも力の加減はしても、受身の方は本気でやらねぇと、ヒットした時はかなり応える。おまけに要領がいいのか、反射神経が俺に勝ってるのか、なかなかこっちの攻撃も当たらないときている。
2、3発適当にかましてそれで終りにしようと思っていたのが、なかなか長引いて、こっちも息が上がってくる。
これ以上は不利だ、と判断して俺は隙を見て相手の手首を掴んで、それから一気に引き寄せてそのまま組み伏せた。
丁度、格納庫の隅の休憩コーナーのソファーの上に、そのまま乗り上げる姿勢になって相手の動きを封じる。
「ばかやろうっ、離せよっ。」
俺の方を睨んで、悔しそうに栗原はそう声を荒げた。
見てくれ通りに力はそう強くないらしい。瞬発力や判断力でなんとかなる喧嘩と違って、押さえつけて動きを封じてしまえば、こっちのモンだ。
「るせぇな。弱っちいクセして毎度毎度俺に喧嘩売ってくんじゃねぇよ。」
俺は、その瞳を覗き込みながらそう凄んだ。
栗原は、俺から見ればパイロットとしては幾分後輩になる。見てくれの線の細さの割りに、獰猛というか手に負えない山猫みたいな奴で、たまにはこうやって力関係を示してやらねぇと、こっちの立場が危うい。
「伊達こそ、へったクソな操縦しといてよく言うよ。今日だって、ちゃんと俺が言ったタイミングで旋回してればターゲット落とせてたのに。」
「アホ言うな。あんな角度から突っ込むバカがどこに居るってんだ。」
「伊達なら出来る筈だ。・・・・・・1位を逃した。」
栗原が要求してくるのは、いつでも身体能力ギリギリ限界の操縦だ。俺だからなんとかもってるのかもしれないが、下手な奴がやったとしたら、機体はいつバランスを崩して取り返しのつかない事態になるかわからない。
栗原の普段言っていることも正論だ。ファントムという機体に素晴らしい性能があるのなら、その機体性能を限界にまで使いこなせるように、操縦者たる人間は努力をしなければならないのだろう。けど、栗原が戦闘機乗りとしての理想を追い求めるのは勝手だが、それに他人を巻き込むのはどうなんだ?
一度、徹底的に説教してやらねぇといけねぇな、と思いながらここまで来てしまっていた。いい機会だ、たっぷりと教育してやる。
と、意気込んだまでは良かったが。
「ねぇ、伊達。どうでもいいけど、変な誤解されたくなかったら、そろそろ俺の上からどいてくれない?」
と、栗原に思い切り話しの腰を折られた。
確かに男が男をソファの上に全身かけて押さえ込もうとしてる姿は、ハタから見てりゃさぞかし異様な光景だろう。あまり意識はしなかったけれど、ここが丸見えになっている格納庫の扉の前を、人が何人も通り過ぎていた筈だ。変な噂にならなきゃいいが・・・。
仕方がないので、俺はそこで栗原の体を解放した。けれど、逃がさないように、その腕は掴んだままでソファに座らせて、俺もその隣に腰を下ろした。
丁度その視線の先には、整備途中のファントムが鎮座していて、機体は天井のライトを受けて、落ち着いた光を放っている。
「なぁ、お前コイツが好きか?」
俺はそのファントムを顎で指して、栗原にそう訊いてみた。
「・・・そうだな・・・。嫌いじゃないと思うけど。」
意外な答だった。ファントムの、特に後席に好んで乗りたがる奴は大抵この機体に惚れ込んでいる奴が多い。栗原もてっきりそうだと思っていた。だから機体性能にそこまでこだわるんだろうと。
好きで入れ上げて、ファントム乗りになったんじゃなけりゃ、どうしてコイツはここに居るんだろう。
「お前、単座のが向いてるんじゃないか?腕だって悪かねぇし、一人のが思い通りに飛べて満足じゃね?」
その言葉に、栗原は寂しそうに、そして少し自嘲気味に笑って言う。
「・・・教官に言われた。お前は一人で飛んでたら、すぐにでも機体と共にバラバラになるだろう、ってさ。」
なる程ね、それで複座にまわされたってわけか。
「そりゃ、良く出来た教官だったな。」
「別に俺だって、死にたいわけじゃない。もちろん誰かを殺したいわけじゃないし、機体だって壊したいわけじゃない。ただ、自分で自分に妥協が出来ないんだ。」
その言葉を聞いて、俺は栗原という人間が少しわかったような気がした。
ガキだ、ガキだと思っていたが、ここまで生き方ってのを知らない奴は初めて出逢った。
人ってのは、妥協とか挫折とか諦めとか、そんなのを知って成長していくもんだろうに。20代も後半になって、それが出来ねぇってのは余程、ガキなのかバカなのかおめでてぇのか。
ちったぁ、俺のちゃらんぽらんさを見習え、と言いたくなる。
と、同時にコイツの相棒が俺で良かったと思うのだ。大人だと思えば腹の立つ事でも、相手がガキだと思えば寛容になれる。優しいお兄さんだからな、俺は。
「馬鹿野郎、俺だってお前と心中なんかしたくねぇよ。理想だけで飛行機飛ばせりゃ苦労はしねぇわな。」
「伊達と心中なんて、俺だってゴメンだ。」
だったら、ちったぁ妥協しろよ、と言いたくなる。言う事全部がクソ生意気でやってられないが、それもまた躾のし甲斐があるってもんだ。
と、同時に俺は激しく栗原を気に入ってもいた。
自暴自棄で、捨て身でしか人と接しようとしない、そんな所が。
そして多分、まだまだ俺だって信用されてもいねぇ。
人に懐かねぇ、野良猫みたいな目で俺を見てやがる。
信頼関係の醸成、なんてお決まりのフレーズだが、まずはそれからだと俺は思った。戦闘機なんて危なっかしいシロモノを飛ばすっていう共同作業に必要なのは、操縦適正でも飛行理論でもなんでもなくて、ただ相手の事をどこまで許容できるかと、相手をどこまでコントロールできるか、につきるのだろう。
だとしたら、俺に出来るのは、栗原の心に踏み込んで、上がりこんで、踏み荒らして、その心の端っこを鷲掴みに捕らえることだけだ。
「俺は死なねぇし、お前も死なせねぇよ。」
それまで目を合わせずに喋っていたが、不意に視線を合わせてそう言ってやると、栗原は不思議そうな顔をした。
「俺はお前が思ってる程、ヘボいパイロットじゃねぇ。無茶もしねぇけど、ヘマだってしねぇ。だからたまには俺を信じて手綱を緩めてみろよ。」
そう言って口端のを歪めてみる。女を口説く時のニヒルな笑いって奴だ。
もちろんコイツには通用なんてしないんだろうが、少しは効果があったようで。
「・・・そう言うんなら、証明してみせてよ。」
とめずらしく素直な、そんなオーダーが来る。
いいだろう、そうやってたまにはちゃんと力関係を示す必要がありそうだ。
そうやって俺の凄さを証明できれば、ちょっとは俺を信用して肩の力を抜いてくれるだろうか。
「あぁ、次のフライトでな。」
俺は表情だけは自信たっぷりに、そう栗原に答えてやった。
どれくらい強さを示せば、そしてどこまでその頑なな心をかき乱してやれば、栗原はこちらに折れてくれるだろう、と。それはまるで恋愛のような密かな楽しみで、
俺はいつしか、毎日のフライトが楽しみで仕方なくなっていたのだった。