DISTANCE~百里~
「あー、やっと終わった~。」
あちこちでそんな声が聞こえる課業後の1700、ラッパの吹奏音が終わるや否や、バタバタと帰り支度を始める隊員達の姿が見える。
「栗原2尉、まだ帰んないですか?」
そんな中、数冊の書類の束を抱えてブリーフィング用のテーブルの席に着いた栗原に、隊員から声がかかった。
「あぁ、神田が居ない間にデスクワークを片付けちまおうと思ってさ。」
言いながら、ページを開き、せっせとそこに文字を埋めて報告書を作りあげていく。まるで頭の中にその完成形が出来上がっているかのように、それはスラスラと進んでいく。
「まーた、神田さんの分まで書いてるんですか。甘やかすの良くないですよ。」
とそう言うのは水沢だった。
「神田が居ないんだからしょうがないだろ。」
甘やかして、の部分に反応して、栗原はちょっとムっとしたように水沢の方に顔を向けた。
「まぁ、いいですけどね。」
と、それ以上突っ込むと、返り討ちに合うことを察知してか、水沢はそう言ってロッカー室へと消えていった。
栗原とて神田を甘やかしているわけではなく、ただ訓練計画を作ったのが自分である以上、その成果報告も自分の手で書き上げたいだけなのだ。
そして、この日は神田が千歳への出張中で居なかった。
そして次の日もその次の日も神田は居ない。
だから、この機会を利用して仕上げてしまおうと、栗原は報告書を今日まで先送りにしていたのだった。
「お先、失礼しまーす。」
と、次々とかかる声に、栗原は目だけで返答して、分厚い書類の山を次々と完成させていく。
そして2時間後、ようやく書き続けた手を止めて、栗原は顔を上げた。
ショップにはもう誰も残っていなかった。
「思ったより早く終わったな。」
と栗原はそう独り言のように言って、書類の束を持って立ち上がった。
もともと3日間の課業後をフルに使って仕上げようとしていた仕事だった。
早く帰ったところでする事もないからだ。
神田が居れば居たで、家事だの何だのする事が山のように出てくるが、居なければ家にいてもする事がない。
一人なら食事を作る必要もないし、散らかす人間も居ないから片付けもしなくていい、風呂だってわかさなくても飛行隊でシャワーでも使って帰ればいい、布団だって一組敷けばそれでいいのだ。
報告書だって、横で邪魔する神田が居ない分、早く書きあがってしまうのも仕方のないことだった。
まだ何か残したままの仕事はないか、と栗原は書類の束をデスクの引き出しに入れながら、その中のファイルを取り出す。けれども、取り立ててしなければならないような事もなくて、栗原は家路に着いた。
一人、家に帰り着いた栗原は、そこでようやく自分がまだ夕食をとっていなかったことを思い出した。
冷蔵庫をあけてみて、けれど何も作る気も起こらなくてそのまま寝てしまおうかと思い始めて、そして栗原は常陸小川の駅前の居酒屋を思い出した。
新しくできた店で、今度行こうかと神田と話していた店だった。
普段は余り飲むこともない栗原だったが、それは神田のお守りに手一杯で、ゆっくりと酒を楽しむなんて事もできないからだ。好き好んで2杯目からソフトドリンクに変えているわけでもない。
先に下見しておくのも悪くない、と栗原は考えてその店に向かった。
あちこちでそんな声が聞こえる課業後の1700、ラッパの吹奏音が終わるや否や、バタバタと帰り支度を始める隊員達の姿が見える。
「栗原2尉、まだ帰んないですか?」
そんな中、数冊の書類の束を抱えてブリーフィング用のテーブルの席に着いた栗原に、隊員から声がかかった。
「あぁ、神田が居ない間にデスクワークを片付けちまおうと思ってさ。」
言いながら、ページを開き、せっせとそこに文字を埋めて報告書を作りあげていく。まるで頭の中にその完成形が出来上がっているかのように、それはスラスラと進んでいく。
「まーた、神田さんの分まで書いてるんですか。甘やかすの良くないですよ。」
とそう言うのは水沢だった。
「神田が居ないんだからしょうがないだろ。」
甘やかして、の部分に反応して、栗原はちょっとムっとしたように水沢の方に顔を向けた。
「まぁ、いいですけどね。」
と、それ以上突っ込むと、返り討ちに合うことを察知してか、水沢はそう言ってロッカー室へと消えていった。
栗原とて神田を甘やかしているわけではなく、ただ訓練計画を作ったのが自分である以上、その成果報告も自分の手で書き上げたいだけなのだ。
そして、この日は神田が千歳への出張中で居なかった。
そして次の日もその次の日も神田は居ない。
だから、この機会を利用して仕上げてしまおうと、栗原は報告書を今日まで先送りにしていたのだった。
「お先、失礼しまーす。」
と、次々とかかる声に、栗原は目だけで返答して、分厚い書類の山を次々と完成させていく。
そして2時間後、ようやく書き続けた手を止めて、栗原は顔を上げた。
ショップにはもう誰も残っていなかった。
「思ったより早く終わったな。」
と栗原はそう独り言のように言って、書類の束を持って立ち上がった。
もともと3日間の課業後をフルに使って仕上げようとしていた仕事だった。
早く帰ったところでする事もないからだ。
神田が居れば居たで、家事だの何だのする事が山のように出てくるが、居なければ家にいてもする事がない。
一人なら食事を作る必要もないし、散らかす人間も居ないから片付けもしなくていい、風呂だってわかさなくても飛行隊でシャワーでも使って帰ればいい、布団だって一組敷けばそれでいいのだ。
報告書だって、横で邪魔する神田が居ない分、早く書きあがってしまうのも仕方のないことだった。
まだ何か残したままの仕事はないか、と栗原は書類の束をデスクの引き出しに入れながら、その中のファイルを取り出す。けれども、取り立ててしなければならないような事もなくて、栗原は家路に着いた。
一人、家に帰り着いた栗原は、そこでようやく自分がまだ夕食をとっていなかったことを思い出した。
冷蔵庫をあけてみて、けれど何も作る気も起こらなくてそのまま寝てしまおうかと思い始めて、そして栗原は常陸小川の駅前の居酒屋を思い出した。
新しくできた店で、今度行こうかと神田と話していた店だった。
普段は余り飲むこともない栗原だったが、それは神田のお守りに手一杯で、ゆっくりと酒を楽しむなんて事もできないからだ。好き好んで2杯目からソフトドリンクに変えているわけでもない。
先に下見しておくのも悪くない、と栗原は考えてその店に向かった。
その新しい店はオープンしてからもうひと月近く経っているにもかかわらず、なかなか盛況で、店に入った栗原は一番奥のカウンターに腰を下ろした。そこからは店内が一望できる。とりあえずシングルの水割りをオーダーしておいて、ゆっくりと店内を物色する。そして、神田と来るならどの席が一番居心地がいいだろうか、とそんな事を真っ先に考えてしまう自分自身に苦笑するのだった。
そして、出された水割りを手にして、一口含んで、何か腹に入れなければ、と考えていた時、
「よう!」
と、不意に背後から肩を叩かれて、栗原は驚いてその方向を振り返った。
そこには・・・、
「伊達・・・、なんでこんな所に?」
そこに居たのは派手なスーツ姿の紅空のパイロットだ。何でこんな所に?と問うよりも早く、伊達は当然のように栗原の隣のカウンター席に腰を下ろした。
そして、
「ヨメが実家帰るっていうからさ、常磐線の駅まで送った帰りでよ。」
と自分からそのいきさつを語り始める。
「ふぅん、とうとう逃げられたのか?」
と、栗原が皮肉を言うのを軽く流して、
「で、一人で家に居るのもなんだし、お前らんトコでも転がりこもうと思ったら電気消えてっからさ。」
「あぁ、それでこんな鄙びた駅前に伊達五郎サマがご登場なさったわけだ。」
と、それに納得したようなしないような口調で栗原はそう答える。
「栗原・・・、お前相変わらず冷てぇモノの言い方しかしねぇのな。」
伊達はそう言ってから店員に、
「これと同じの、ダブルで。」
と水割りを注文して、すっかり居座る態勢だ。
「そうか?昔よりは優しくなったと思うぜ?」
仕方なく伊達の方に向けてすこし体の角度を変えながら栗原は答えた。
「どこがだよ。」
「神田も居ないし、一人飲みを楽しもうかって思ってた時に現れるからさ。昔の俺だったら徹底的に無視してたか、店から叩きだしてただろうよ。」
口端をゆがめて挑戦的にそう言う栗原に、伊達も負けじと言い返す。
「ほうほう、宏美ちゃんも随分とオトナになったわけだ。」
「その呼び方はやめろ、気色の悪い。」
「へぇへぇ。それはそうと、旦那のほうはどうしたんだ?」
当然聞いてくるであろうその伊達の問いに、栗原は一言、
「出張。」
とだけ答えて、目線をそらす。神田の話題には余り触れられたくないからだ。神田がこの男の前で酔い潰れて色々と口走ってしまって以来、なるべく避けるようにしてる話題だ。
「ふーん、どこへ?今日だけか?」
伊達の方は、栗原が避けようとしているのを気づいているのかいないのか更にそう聞いてくる。端から聞いていればただの世間話なのだが。
「千歳だよ。司令のエスコートでさ。」
それを聞いて伊達は、
「千歳ねぇ・・・。」
とそう言って、水割りのグラスを傾けた。
千歳は伊達にとっても懐かしい土地だった。丁度、民航への転換が決まる前、彼もまたその地にいたことがある。
奇しくも今目の前に居る栗原と一緒にだ。
「今頃はすすき野にでも行ってるんじゃないかな。」
と、その栗原はまるで他人事のようにそうつぶやく。
それを聞きつけて、
「ほぅ、じゃあ、旦那は今頃ネオン街で浮気中だな。」
と伊達は茶化すが、栗原にはそれがどうやらカチンときたらしく、
「さっきから旦那、旦那ってなんだよ。それに、神田がどこで何してようと俺には関係ないんだから。」
と多少語気が強まるのに対して、
「ふーん、そんなもんかねぇ・・・。」
と、そこで伊達は話を区切った。別の話題に変えてしまう。一応は栗原の扱い方を心得ている伊達だ。それ以上突っ込むことはしなかった。
話題を変えたのが功を奏したのか、そのまま二人で話は弾んで時間が過ぎた。
そして、出された水割りを手にして、一口含んで、何か腹に入れなければ、と考えていた時、
「よう!」
と、不意に背後から肩を叩かれて、栗原は驚いてその方向を振り返った。
そこには・・・、
「伊達・・・、なんでこんな所に?」
そこに居たのは派手なスーツ姿の紅空のパイロットだ。何でこんな所に?と問うよりも早く、伊達は当然のように栗原の隣のカウンター席に腰を下ろした。
そして、
「ヨメが実家帰るっていうからさ、常磐線の駅まで送った帰りでよ。」
と自分からそのいきさつを語り始める。
「ふぅん、とうとう逃げられたのか?」
と、栗原が皮肉を言うのを軽く流して、
「で、一人で家に居るのもなんだし、お前らんトコでも転がりこもうと思ったら電気消えてっからさ。」
「あぁ、それでこんな鄙びた駅前に伊達五郎サマがご登場なさったわけだ。」
と、それに納得したようなしないような口調で栗原はそう答える。
「栗原・・・、お前相変わらず冷てぇモノの言い方しかしねぇのな。」
伊達はそう言ってから店員に、
「これと同じの、ダブルで。」
と水割りを注文して、すっかり居座る態勢だ。
「そうか?昔よりは優しくなったと思うぜ?」
仕方なく伊達の方に向けてすこし体の角度を変えながら栗原は答えた。
「どこがだよ。」
「神田も居ないし、一人飲みを楽しもうかって思ってた時に現れるからさ。昔の俺だったら徹底的に無視してたか、店から叩きだしてただろうよ。」
口端をゆがめて挑戦的にそう言う栗原に、伊達も負けじと言い返す。
「ほうほう、宏美ちゃんも随分とオトナになったわけだ。」
「その呼び方はやめろ、気色の悪い。」
「へぇへぇ。それはそうと、旦那のほうはどうしたんだ?」
当然聞いてくるであろうその伊達の問いに、栗原は一言、
「出張。」
とだけ答えて、目線をそらす。神田の話題には余り触れられたくないからだ。神田がこの男の前で酔い潰れて色々と口走ってしまって以来、なるべく避けるようにしてる話題だ。
「ふーん、どこへ?今日だけか?」
伊達の方は、栗原が避けようとしているのを気づいているのかいないのか更にそう聞いてくる。端から聞いていればただの世間話なのだが。
「千歳だよ。司令のエスコートでさ。」
それを聞いて伊達は、
「千歳ねぇ・・・。」
とそう言って、水割りのグラスを傾けた。
千歳は伊達にとっても懐かしい土地だった。丁度、民航への転換が決まる前、彼もまたその地にいたことがある。
奇しくも今目の前に居る栗原と一緒にだ。
「今頃はすすき野にでも行ってるんじゃないかな。」
と、その栗原はまるで他人事のようにそうつぶやく。
それを聞きつけて、
「ほぅ、じゃあ、旦那は今頃ネオン街で浮気中だな。」
と伊達は茶化すが、栗原にはそれがどうやらカチンときたらしく、
「さっきから旦那、旦那ってなんだよ。それに、神田がどこで何してようと俺には関係ないんだから。」
と多少語気が強まるのに対して、
「ふーん、そんなもんかねぇ・・・。」
と、そこで伊達は話を区切った。別の話題に変えてしまう。一応は栗原の扱い方を心得ている伊達だ。それ以上突っ込むことはしなかった。
話題を変えたのが功を奏したのか、そのまま二人で話は弾んで時間が過ぎた。
「そろそろ終電の時間じゃないか?」
気がつくと、もうそんな時間になっていて、それを心配する栗原に、
「泊めてよ、栗ちゃん。」
と伊達は冗談なのか本気なのかわからない口調で答える。
「泊めて、って明日仕事どうすんだよ、お前。」
常陸小川からの始発では伊達の職場にギリギリ間に合わない。
「うーん、俺明日仕事ないの。」
「あほぅ、こっちは仕事だぞ。」
「まぁ、いいじゃんよ。どうせ神田が居ないんじゃ大したフライトしねぇだろ?閉店くらいまで居たって大丈夫だろ。」
と、そう言いながら伊達は空になったグラスをカウンター越しの店員の前に置いて、更にもう一杯を追加する。すっかり泊まる気満々の状態だ。
「やっぱ、最初から無視してやればよかったよ。」
言いながら栗原は、伊達の前に出された水割りのグラスを奪ってそれに口をつけた。
ラストまで付き合うつもりはあるようだ。
「お前、それダブルだぞ?返せ。」
そう言って、伊達はそのグラスを奪い返す。
「ケチ。いいじゃないか、ちょっとくらい。」
多少酒がまわり始めた時のそんな栗原の行動が相変わらず子供のようで、伊達は昔栗原と過ごしていた千歳時代をふと思い返す。
そして、
「なぁ、栗原。お前千歳のBOQの外線直通番号まだ覚えてっか?」
と栗原にそう訊ねた。
気がつくと、もうそんな時間になっていて、それを心配する栗原に、
「泊めてよ、栗ちゃん。」
と伊達は冗談なのか本気なのかわからない口調で答える。
「泊めて、って明日仕事どうすんだよ、お前。」
常陸小川からの始発では伊達の職場にギリギリ間に合わない。
「うーん、俺明日仕事ないの。」
「あほぅ、こっちは仕事だぞ。」
「まぁ、いいじゃんよ。どうせ神田が居ないんじゃ大したフライトしねぇだろ?閉店くらいまで居たって大丈夫だろ。」
と、そう言いながら伊達は空になったグラスをカウンター越しの店員の前に置いて、更にもう一杯を追加する。すっかり泊まる気満々の状態だ。
「やっぱ、最初から無視してやればよかったよ。」
言いながら栗原は、伊達の前に出された水割りのグラスを奪ってそれに口をつけた。
ラストまで付き合うつもりはあるようだ。
「お前、それダブルだぞ?返せ。」
そう言って、伊達はそのグラスを奪い返す。
「ケチ。いいじゃないか、ちょっとくらい。」
多少酒がまわり始めた時のそんな栗原の行動が相変わらず子供のようで、伊達は昔栗原と過ごしていた千歳時代をふと思い返す。
そして、
「なぁ、栗原。お前千歳のBOQの外線直通番号まだ覚えてっか?」
と栗原にそう訊ねた。