オリッ鉄殿堂館
[中]KICK(KREVA) (94~100中日、101~10?日本ハム、10?~108ヤクルト、109~114オリックス) 緩急自在スタミナ不安型 |
108期に17勝に防御率2.67という好成績をひっさげ109期に移籍入団。これまでチームを転々としている投手。オリックス投手陣ではかなり久々の移籍選手でこの完成度の高いスターターの加入で強固な先発陣がまさに鉄壁となった。基本は完全に変化球投手で緩急を駆使したピッチングが身の上。それも高いレベルの投球術とあってコンスタントに防御率2点台をキープするあたり実に頼もしい。移籍1年目は12勝を挙げリーグ最高勝率の成績で期待通りの働きをみせた。それ以降も112期に防御率1点台をマークするなど非常に安定感が高かったがこの頃からスタミナが大分落ちてしまい長いイニングをこなせなくなり、翌シーズンその不安的中。113期は途中降板が目立つようになり勝ちも全く伸びず。投球にも精細を欠き防御率は4点台と大悪化でさらに深刻だったのが勝ち数でわずか3つしか勝てなかった。さすがに先発としてはキツくなってきた印象で翌114期はセットアッパーとして防御率2点台前半を維持する活躍で復活。オリックスの在籍期間は6シーズンのみだったが黄金期の後半を支えた貴重な先発の一角だった。 |
アホウドリ(T.B.Bird) (92~112) 元トリプル3候補高アベレージ型 |
三拍子揃ったオリックスの中心打者。90~100期代中頃までは不動の三番打者だった。長打力も然ることながら通算盗塁数が400近くが示すとおり打って走れるオールラウンドプレイヤー。1年目から184安打15本塁打の好成績を残し鮮烈デビューで問答無用の新人王に。しかしさすがに出来すぎだったのか2年目は完全に2年目のジンクスにはまった。打率はわずか.228で打順も2番から9番へ急降下。翌3年目も若干打率を上げ.244としたものの、かつての打棒は鳴りを潜めてしまった。しかし96期にようやく復活。シーズン中盤から打率が少しずつ上昇し、打率.282で打順は三番にまで上がった。当初は下位で打っていたため164安打に終わってしまったが、17本塁打と長打もそこそこ出るようになった。さらに97期は打率.335で202安打という数字を残し彪流の三冠王に大きく貢献。本塁打も25本打ちらしい三番打者になってきた。かつては少なかった盗塁も、積極的に走るようになったことにより20個以上を記録するようになった。99期には念願の首位打者を獲得。この打者が三番に定着したことにより、打線のつながりがほんとにスムーズになった。その後もほぼ高水準の数字をマーク。106期は減少傾向だった本塁打数を39としシーズン終盤には四番に定着。打点も100を突破し今まででも十分に怖かった打棒がまたさらに一皮向けた感じ。翌107期ではまた元の三番に戻ったものの首位打者を獲得。翌シーズンも首位打者を獲得し109期・101期には本塁打王とタイトルラッシュが続いており打棒は非常に好調。しかしラストイヤーとなった112期は久々に3割を切ってしまいさすがに衰えを隠しきれなくなった。かつてはトリプル3候補筆頭だったが結局達成とは至らなかった。 |
うみうみ(sea) (90~110) 走れる長距離砲好守型 |
かつては守備がウリの選手だったが晩年になり打撃覚醒した巧打に好守と三拍子バランスのとれた選手。104期に大ブレイクし、以後チームの中軸を担った。当初はほんとに守備だけの選手といった感じで、打撃はあまり期待されていなかったが、94期にその打撃で猛アピール。野手が数人一斉に覚醒した98期にはこのうみうみも打率.319を打ち一気に台頭。翌99期もジャスト.300で2シーズン続けての3割を達成。このあたりから伸び悩みが続いている下松に代わり五番に定着。100期もフルで五番に固定されかつての貧打はもう完全に影を潜めた。ただ翌101期からちょっと不振続き。このシーズンは打率が2割6分台と低迷し、打順も六番に。そのオフに闘志習得で復活が期待されたが打撃不振に。後半で巻き返したものの打率.277といまひとつ。翌103期も能力を存分に発揮できたとは言い難い数字でちょっと歯がゆいシーズンが続いていた。しかし闘気習得3期目の104期になりようやく目覚めた。打率.329に本塁打28はいずれも自己最高。同期にアルザードも台頭したため打順は二番だったが、打点もかなり多く相手にとっては相当厄介だったはず。翌105期はアルザードが不調で一番に繰り上げ。成績を全く落とすことなく33本塁打81打点をマーク。脅威の核弾頭としていよいよ主力選手として定着。盗塁も多くはっきりいってスキの見当たらない選手に。だが106期では衰えが顕著になり全体的に数字を落としてしまった。しかし翌107期ではまた挽回。四番で準三冠王という珍しい記録を達成する勢いでまた息を吹き返した。初のMVPにも選出。108期は開幕から信じられないほどの超低打率が続いていたが結局3割を軽く超えたのは見事。しかしここらへんからトリプル3を狙えると言われたほどの俊足は完全に影を潜め盗塁数は激減。しかし走れなくなっても健在の打撃力はまだまだ強力。前期に続き109期も3割100打点達成。最後のシーズンとなった110期も3割に25本塁打とまだまだ衰えてないところをみせた。チーム低迷期から支え続けた選手がまた一人去った。 |
雅狼(聡) (88~109) 職人堅守専門型 |
実働年数21年 打率.254 2968安打 203本塁打 1021打点 255盗塁 生涯失策数38 |
堅実な守備を持ち味とする選手。入団当初は同時期に入団したうみうみとタイプの似ている選手だった。しかし中堅の年齢に差し掛かり、守備へ活路を見出した。その守備は年々安定感を増し、90期代後半からショートに定着。ほんとに確実な守備でまずエラーはしなかった。さらにその時期に守備に関しては職人レベルにまで到達し、ますます穴のない遊撃手に成長した。打撃に関してはまったく期待されなかったが、補って余りある守備でチームを支えた。しかし103期に2000本安打、翌104期には200盗塁を達成、晩成期に入り打撃にも確実性が出てきた。107期には二番、108期には六番といぶし銀的な存在となり、引退間際になって打撃の才能もプチ開花。長きに渡ってコンビを組んだ子安武人との二遊間は球界でもかなりのレベルであった。タイトルとは無縁だったが、チームへの貢献という点ではかなりのものだったのではないだろうか。110期より守備コーチとして就任。 |
下松久則(ナンバ5) (87~108) 晩成開花打点マシン型 |
90~100期代中頃まで彪流姜維と不動の四・五番コンビを組んだスラッガー。かなり粗削りなタイプだが高い出塁率を誇る上位打線の掃除屋として高い打点数を誇った。ただ打率がいまひとつとあって五番に完全定着。1年目から四番を打ったりと早くから頭角を現してきていたが、5年目と7年目に打率2割7分、本塁打20本以上を記録する以外のシーズンはさっぱり。しかし9年目に26本塁打83打点でチームの二冠。翌10年目もほぼ同等の成績を残し、ようやくクリーンナップとしての働きができるようになってきた。その後またちょっと足踏みが続いたが101期の15年目では初の30本塁打突破に加え打点98でようやく芽が出た気配。翌16年目は打率3割2分台に100打点突破。17年目103期も打率こそ上がらず前半はなかなか打棒が発揮できず一時は六番降格も味わったが終盤一気に巻き返し。36本塁打107打点で2期連続「30本・100打点」をマーク。もうほぼ不動の五番打者となり、安定した戦力になりつつある。スラッガーとして芽が出たのが15年目とかなりの時間を要したが今やチームに欠かせない打者。かつてはチャンスに頼りないと言った弱さも完全に消え、今や出塁率の高い上位打線を一層させる掃除屋的存在。107期には本塁打・打点の二冠を獲得し21年目にしてようやくの初タイトル。だがラストイヤーとなった108期はもう衰えが顕著に。前期で燃え尽きた感で打率は2割5分を切ってしまい、本塁打も20本超えがやっと。最後はボロボロだったがこういう穴の多さが四番に定着できなかった原因なのかもしれない。 |
[先]野球浪人@(野球浪人) (91~107) ナックルボーラー安定型 |
下からナックルを投げる凄まじい左腕。そこらのナックルボーラーと違いこれがまた的を絞りづらく、なかなか崩れてくれない。しかし入団当初はまだそのナックルを扱いきれてる感じはなく、与四死球は93期71、94期76と制球に非常に苦しんでいた。96期はさらに被弾も増え、14敗を喫する。優勝した99期では10-10の勝敗こそイーブンハイだったものの防御率2.80と成長ぶりを猛アピール。この年を境に成績は鰻上り。翌100期は防御率2.65とさらに良くなり10勝7敗で3つの勝ち越しを決めた。さらに101期では防御率2.10とまた一皮むける活躍で自己最多の18勝をマークし、引退した細田の穴を埋めた。課題だった与四球も減りしぶといピッチャーになってきた。彼の存在はあまりに大きかった。 |
彪流姜維(JASON) (85~89横浜、90~105オリックス) 現役最強スラッガータイトルハンター型 |
首位打者4回、本塁打王5回、打点王5回と計14回ものタイトルを獲得していた強打者。三冠王も2度記録。横浜時代は平凡な選手だったが移籍した90期に一気にブレイク。開幕からコンスタントに打ち続け、完全に不動の四番の座に。打率.301、本塁打31本チーム屈指の強打者へと成長した。翌91期はホームランこそ減らしたが打率は3割2分と安定感を見せつけ、92期には34本塁打104打点でともに自己新記録でついに100打点突破。93期は35本塁打105打点と前期とほぼ同等の成績を残し、94期は打点が86に留まったが、打率3割4分を記録。なんといっても圧巻は97期。打率.374、48本塁打137打点でパでは久しぶりの三冠王となった。翌98期はかなり数字を落としてしまったが、99期の優勝ではもちろん大貢献。文句なしの野手MVPに。102期の優勝でも140打点と凄まじいほどの働きっぷり。103期ではシーズン記録に迫る52本塁打をマーク。シーズン折り返し地点まで2試合で1本塁打に近いペースで本塁打を量産。しかし終盤の失速に泣いてしまった。それでも二冠獲得はさすが。そしてラストイヤーとなる105期はまさに集大成とも言えるシーズンに。打率4割にはギリギリ届かなかったものの61本塁打で40期ぶりにシーズン記録を更新。もう完全に手が付けられないほどの打ちっぷり。16シーズン四番の座を守り続け数々の記録を打ち立てた最高のスラッガーもいよいよ現役生活にピリオド。移籍当初はあまりにチームの野手が頼りなく一人浮いていた印象だったが、今や随分とたくましくなったもの。この選手が抜けるとやはりチームにとってはあまりに痛いが全員でカバーしていきたい。 |
リリィ(名無し) (85~105オリックス) 大ベテランスイッチヒッター巧打型 |
20年選手となった俊足巧打のスイッチヒッター。若い頃は足も速かったがここ最近では打順が一定しないこともあり年々盗塁数も減少の一途。ただ一番を任せられていると言っても打撃面で目立った成績は特に残していない。打率3割を超えたのは89期と94期だけ。この94期では打率.323の好成績を残し、195本のヒットを放ちいずれも自己ベストをマーク。ただこの94期を最後に以後3割のシーズンはなし。打率は落ちる一方で100・101期では二期連続2割6分台にまで落ちこんだ。翌102期はついに9番で開幕スタート。しかしここでベテランの維持をみせる。最高.330を超えるハイアベレージを残しトップバッター奪回。たがその途端に大人しくなり結局は2割台に。どう見ても一番打者型なのだがなぜか合っていないような感じがする。104期も開幕一番でスタートしたが世代交代の波に押され途中から下位に定着。打率も3期ぶりに落ち込みさすがに特殊能力で衰えをカバーできなくなった様子。かつてはセンターを務めていた守備も完全に影を潜めてしまった。そして今期限りで2年の契約を残しやめることに。チームの低迷期から全盛期まで見守ってきた息の長い選手だった。 |
[先発]セイバー(偽琥珀) (88~106) 完投変則ドクターK型 通算199勝164敗1S 防御率3.64 2178奪三振 |
生え抜きの左腕。高いレベルのナックルとスライダーを操り199勝を成し遂げた。低迷期から名門になるまでチームを支えてきた。一時はシーズン19敗を喫したこともあったが、先発に定着した5年目以降は引退までコンスタントに15シーズン連続の2桁勝利を挙げ続けた。また奪三振率も高く、鉄腕を取得後2回の奪三振王。その後もタイトル争いには絡み続けた。引退が決まっていた106期も14勝8敗と健闘。まだまだプレーできることを印象付けた。チームにとってこの選手が抜けるのはなかなか痛い穴。新選手の両儀式には荷が重いが、頑張ってもらいたいものである。 |
[抑え]野茂(カメレオン弐) (90~106) 磐石クローザー型 |
最多セーブ6度獲得している、オリックス不動のクローザー。3方向の変化球と150キロの直球を投げ分ける本格派。菊地原2世として1年目から抑えの座に。しかし翌2年目は目立つほど防御率は悪くなかったが6敗と明らかにセーブ失敗が多すぎた。しかしここらへんがさすがというか3年目には輝きを取り戻した。93期に32S、95期に33Sでセーブ王に。93期に通算100Sも突破。防御率は良くなくともコンスタントにセーブ数を稼いでいたが、96期に突如変貌。シーズン前半は防御率10点台を超える有様で、結局防御率6点台で敗戦数7と、一気に信頼を失う。翌97期に入団以来守ってきた抑えの座からついに降ろされ、本人もかなり不満を持った。だが中継ぎとして優秀な成績をおさめると、98期には再びクローザーに。ガタついていた投球術が甦り、防御率は初の1点台を記録し、シーズン無敗とこれもまた初めて。翌シーズンも1点台に37Sと堂々たるセーブ王に。一度中継ぎを経験したことで、なにかを掴んだのか。抜群の安定感を誇った98・99期で連続MVP。以後かつての不安感は完全に仏足され、不動のクローザーとして盤石の地位を築いている。だったが105期をもって突然の引退。選手生活最高の時期を迎えていただけになんとも惜しまれる最後。通算414セーブ、最多セーブは6度獲得した |
[先]細田羅夢(100期引退) |
(Bill) 39歳18年目 遅咲き右腕90期代のエース型。グッと曲がるカーブが持ち味のピッチャー。92期に16勝、93期に18勝を挙げ一気にチームのエースへと伸し上がった。前田公輝2世。当初はこれといった武器が無く、負け先行型のピッチャーだったが徐々に力を付け、逆にスキの少ない投手となった。88期に先発転向して5シーズン目となる92期、防御率2.42で16勝を挙げる突如の大活躍。投球回数も飛躍的にアップしチーム勝ち越しの原動力となった。前述の通り翌93期は18勝で最多勝。防御率2.50もいずれもチームトップ。しかし翌94期は前半不調でゲームを作れず降板という形が連発。なんとか防御率は持ち直したが6勝止まりに終わった。95期は再び持ち直しリーグ2位の16勝。翌96期は投手陣崩壊の中、一人気を吐いての防御率2.77。98期は唯一の防御率2点台だったがなぜか負け越してしまった。99期では21勝を挙げ優勝に大きく貢献した。チームの状態に左右されることなく結果を出す、ほんとに頼れるのがこういうエースのことをいうのかもしれない。引退の年となった100期は防御率1.50、15勝5敗の二冠王で堂々たる成績。見事なまでに有終の美を飾れた。ただあまりに存在が大きすぎたか来期以降、彼女が不在となってしまう事態はチームにとっては大ダメージだ。ちなみに名前読み方は「ほそだ・らむ」。 |
[先]アルクェイド (87期引退) |
(偽琥珀) 実働多分18年くらい 178勝177敗2006奪三振 奪三振王2回 生涯本格派型 |
オリックス80期代を支えたエース。前田が引退してからはまさに支柱的存在。ベテラン期に入ってもストレートの速さは衰えず、生涯本格派で通した。ちょっと早かった引退が惜しまれる。 |
村澤 85~88期在籍、89~(ヤクルト) |
(靖) 88期リーグ打率2位等 アベレージヒッター安打マシン型。貧打線に泣くオリックス打線で中軸を担った巧打者。打撃センスが抜群で当てることに関してはもはや名人芸の域に達してた。三振も極端に少なく毎シーズン高いアベレージを維持していた。87・88期は四番を務めた。 |
[先]浪速四天王辻内 3?~5?在籍、5?~(巨人) |
(新庄) 防御率2.97 257勝176敗2873奪三振 黄金時代エース超剛球級奪三振型 |
|40期台オリックス黄金時代の絶対的エース,全盛期にはMAX157㌔の真っ直ぐを主体としたピッチングでシーズン最高189奪三振。通算では当時最高(現在3位)の2837奪三振を奪っている。当時最高記録(現在3位)の通算7度最多奪三振を受賞、勝利数の257と言う数字は高卒選手としては異例の数字で当時歴代2位(現在13位)。オリックス黄金時代を支えた奪三振奪取型の投球術は数字とは裏腹に変化球総数は僅か12、コントロールも最高B(209)、超得能無しと珍しい投手であった。
大卒であれば280勝、3000奪三振はできたであることが悔やまれることである|
大卒であれば280勝、3000奪三振はできたであることが悔やまれることである|
[抑え]菊地原毅 78~89在籍、90~(日本ハム) |
(ボビー) 防御率2.27 6勝20敗287S(成績はBs在籍時まで) 80期代の守護神安定型 |
オリックス80期代の守護神。150㌔をゆうに超すストレート、スライダー・シュートの横の揺さぶりはまさに圧巻。一発を滅多に浴びることがないので、防御率は毎シーズン低く安定していた。現役ではパ・リーグ1のストッパーと言っても過言じゃないが、不運というか暗黒時代真っ只中のオリックスでは通算セーブ数もそれほど伸びなかった。新天地日本ハムは上昇株。ここで大きな花を開くことができるか。 |
[先]野茂 (89期引退) |
(カメレオン壱) 実働11年くらい 102勝127敗1765奪三振 新人王 完投完投雨完投型 |
完投数が非常に多いタフネス左腕。31歳とまだこれからという時期の引退が悔やまれた。 |
[先]:JC(92期引退) |
(JC) 36歳 呪縛の負け運遅球の魔術師型 中堅の年齢になるまでは勝ち頭だったが、晩年期に差し掛かってからなぜか負け運に見舞われた悲運のピッチャー。丁寧に打ち取っていく技巧派投手。ラスト6シーズンは全て負け越した。当然大きく勝ち越していた勝率も91期についに5割を切った。 |
アルク(93期引退) |
ある 実働18年 打率.298 3075安打 198本塁打 926打点 498盗塁 首位打者2回くらい 走れるベテランアベレージヒッター型 |
タイプとしては1番打者型だが、3番4番をおもに務めた。チームで数少ない3割を打てる巧打者で首位打者を2度獲得。打撃も然ることながら守備も超一流で晩年期に入ってもショート・センターを守った。暗黒時代では野手の中で一目置く存在が際立っていた。 |