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佐藤春夫訳「徒然草」二百三十八」(2015/02/20 (金) 01:46:18) の最新版変更点

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 御随身《みずいじん》の近友の自讃といって、七ヵ条書きつけていることがある。馬術に関したつまらぬことどもである。その先例に見ならって自分にも自讃のことが七つある。  一、人を多く同伴して花見をして歩いたが、最勝光院の附近で、ある男の馬を走らせているのを見て「もう一度あの馬を走らせたら、馬がたおれて落馬するでしょう。ちょっと見ていてごらん」と言って立ちどまっているとまた馬を走らせた。それをとめようとするとろで馬をひき倒し、男は泥のなかへ転び落ちた。自分の言葉の的中したのに、人々はみな感心した。  一、今上の帝が、まだ東宮であらせられた頃、万里小路《までのこうじ》殿藤原宜房邸が東宮御所であった。堀川大納言殿東宮大夫藤原師信が伺候しておられたお部屋へ、用事で参上したところが、論語の四五六の巻を繰りひろげていられて「ただ今東宮御所で、紫の朱《あけ》をうばうをにくむ」という文を御覧遊ばされたいことがあって、御本を御覧…遊ばされたが、お見出し遊ばさぬのです。なおよく捜してみよと御言葉があったのでそれを捜しているところであると申されたので、「九の巻のこれこれのところにございます」と言ったところ、堀川殿はやれうれしやといって、御所へ持って参られた。これくらいのことは、子供にだってよくあることだけれど、昔の人は、ちょっとしたことも大そう自慢にしたものでした。後鳥羽院がお歌のことで、 「袖とたもととを一首のなかに入れては悪かろうか」と定家卿におたずねになった際、定家が「秋の野の草のたもとか花すすき穂に出てまねく袖と見ゆらむ」という古歌もございますから、差支えはございますまいと申されたことをも「時に応じて、根拠とすべき歌をはっきり思い出したのは、この道の冥加で運がよかったのである」と大げさに書きつけておかれた。九条|相国伊通《しょうこくこれみち》公の款状(官位を請い望む上文)にもつまらぬ項目まで列挙して自讃しておられる。  一、常在光院の撞鐘の銘は菅原在兼卿が原稿を作られた。それを藤原行房朝臣が清書して、鋳型にうつさせようとせられた時、そのことを奉行していた入道が、自分にその原稿を取出して見せたのを見ると、その中に「花の外に夕を送れば声百里も聞ゆ」という句があった。 「陽唐の韻と見えるのに百里とあるのは韻を誤ったのでし.小うか」と自分が言ったら、奉行の入道は大喜びで「あなたに畢お目にかけてよいことをしました。自分の手柄になります」と言って入道が在兼卿のところへ言ってやったので、彼は「なるほど、聞違いでした。どうか数行と直して下さい」と韻を合せた返事があった。数行にして韻だけは合せてもまだ変ではなかろうか、あるいは数歩という意味かしら。よくわからない。  一、入を多数同伴して叡山の三塔順礼をした時、横川《よがわ》の常行堂の申に龍華院と書いた古い額があった。「筆者、あるいは藤原の佐理か、藤原行成か、とこの二人のいずれかに疑問があってまだ決定できないということになっています」と堂にいる僧が仰々しく述べていたので、自分は「行成の筆ならば裏書があるはずだし、佐理なら裏書はないはずですね」と言ったので、額の裏の塵が積って、虫の巣がくっついてむさくるしくなっているのをよく掃き拭って、みなで検。へてみたら、行成の名、官位、名字、年号などが確実に見えたので一同おもしろがった。  一、那蘭陀寺で道眼上人が説教中に八災の一々の名を忘れて誰か記憶した人はありませんかと仰せられたるに弟子僧は一人も覚えていなかったのを、自分が聴聞席からこれとこれでしょうと数え出したので、たいへん感心しておった。  賢助僧正に連れられて加持香水のお儀式を拝観した時、まだすまないうちに僧正は帰途につき、衛士の詰所の外まで出られたが、同行の僧都の姿が見えない。法師どもを使いにやってさがさせたが「同じような様子の群集のなかで見わけがつきません」と大分ぐずぐずしてから出て来たので「ああ困ったなあ、さがして来て下さらぬか」と言われたので、自分は奥へ入って行って、すぐに連れて出て来た。  一、二月十五日の月の明るい晩、大分ふけてから千本の釈迦堂へ参詣、後方から、ひとり、顔をすっぽりかくしてお説教を聴聞していたところ、姿もたきしめた香料なども抜群な美しい女が人をおしわけて来て自分の膝によりかかって、香などまで移って来るほどなので具合が悪いと思って後へ退くと、女はそれでもまだ近寄って同じ様子をするので自分はその場を立ち去った。その後、ある御所に仕えていた老女房が、雑談の末に、あなたはまるで色気のない方で、つまらぬ人と考えていたこともございました。無情なお方と恨んでいる向きがありますよと話し出したが、いっこうに思い当ることもありませんと答えてすましたが、このことをさらに後に聞いたところでは、例の聴聞の、別室から、ある貴婦人が自分をお見つけになって、おそばの侍女を作り立ててお出しになって、「うまく行くと言葉をかけますよ。何をいうか向うの態度を注意しておいて帰って来て話して聞かせてください。おもしろいでしょうから」というのでお試しになったのであったということである。

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