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江戸川乱歩「人間椅子」」(2016/01/31 (日) 17:09:57) の最新版変更点

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 佳子《よしこ》は、毎朝、夫の登庁を見送ってしまうと、それはいつも十時を過ぎるのだが、やっと自分のからだになって、洋館のほうの、夫と共用の書斎へ、とじこもるのが例になっていた。そこで、彼女は今、K雑誌のこの夏の増大号にのせるための、長い創作にとりかかっているのだった。  美しい閨秀作家《けいしゆうさつか》としての彼女は、このごろでは、外務省書記官である夫君《ふくん》の影を薄く思わせるほども、有名になっていた。彼女のところへは、毎日のように未知の崇拝者たちからの手紙が、幾通となくやって来た。  けさとても、彼女は書斎の机の前にすわると、仕事にとりかかる前に、まず、それらの未知の人々からの手紙に、目を通さねばならなかった。  それはいずれも、きまりきったように、つまらぬ文句のものばかりであったが、彼女は、女のやさしい心づかいから、どのような手紙であろうとも、自分にあてられたものは、ともかくも、ひととおりは読んでみることにしていた。  簡単なものから先にして、二通の封書と、一葉のはがきを見てしまうと、あとにはかさ高い原稿らしい一通が残った。別段通知の手紙はもらっていないけれど、そうして突然原稿を送って来る例は、これまでにもよくあることだった。それは、多くの場合長々しく退屈きわまるしろものであったけれど、彼女はともかくも、表題だけでも見ておこうと、封を切って、中の紙束を取り出して見た。  それは、思ったとおり、原稿用紙をとじたものであったが、どうしたことか、表題も署名もなく、突然「奥様」という、呼びかけのことばで始まっているのだった。はてな、では、やっぱり手紙なのかしら、そう思って、なにげなく二行三行と目を走らせて行くうちに、彼女は、そこから、なんとなく異常な、妙に気味わるいものを予感した。そして、持ちまえの好奇心が、彼女をして、ぐんぐん先を読ませて行くのであった。  奥様、  奥様のほうでは、少しもご存じのない男から、突然、このようなぶしつけなお手紙を、差し上げます罪を、幾重にもお許しくださいませ。  こんなことを申し上げますと、奥様は、さぞかしぴっくりなさることでございましょうが、わたしは今、あなたの前に、わたしの犯して来ました、世にも不思議な罪悪を、告白しようとしているのでございます。  わたしは数カ月の間、全く人間界から姿を隠して、ほんとうに、悪魔のような生活を続けてまいりました。もちろん、広い世界にだれひとり、わたしの所業を知るものはありません。もし、なにごともなければ、わたしは、このまま永久に、人間界に立ち帰ることはなかったかもしれないのでございます。  ところが、近ごろになりまして、わたしの心に、ある不思議な変化が起こりました。そして、どうしても、このわたしの因果な身の上を、ざんげしないではいられなくなりました。ただ、かように申しましたばかりでは、いろいろ御不審におぼしめす点も。ございましょうが、どうか、ともかくも、この手紙を終わりまでお読みくださいませ。そうすれば、なぜわたしがそんな気持ちになったのか、また、なぜ、この告白を、ことさらに奥様に聞いていただかねばならぬのか、それらのことが、ことごとく明白になるでございましょう。  さて、何から書きはじめたらよいのか、あまりに人間離れのした、奇怪千万な事実なので、こうした、人間世界で使われる、手紙というような方法では、妙におもはゆくて、筆のにぶるのを覚えます。でも、迷っていてもしかたがございません。ともかくも、事の起こりから、順を追って、書いて行くことにいたしましょう。  わたしは生まれつき、世にも醜い容貌《ようぼう》の持ち主でございます。これをどうか、はっきりと、お覚えなすっていてくださいませ。そうでないと、もし、あなたが、このぶしつけな願いをいれて、わたしにお会いくださいました場合、たださえみにくいわたしの顔が、長い月日の不健康な生活のために、二目と見られぬ、ひどい姿になっているのを、何の予備知識もなしに、あなたに見られるのは、わたしとしては、耐えがたいことでございます。  わたしという男は、なんと因果な生まれつきなのでありましょう。そんなみにくい容貌を持ちながら、胸の中では、人知れず、世にも激しい情熱を、燃やしていたのでございます。わたしは、お化けのような顔をした、その上ごく貧乏な、一職人にすぎないわたしの現実を忘れて、身のほど知らぬ、甘美な、ぜいたくな、種々さまざまの『夢』にあこがれていたのでございます。  わたしがもし、もっと豊かな家に生まれていましたら、金銭の力によって、いろいろの遊戯にふけり、醜貌《しゆうぼう》のやるせなさを、まぎらすことができたでもありましょう。それともまた、わたしに、もっと芸術的な天分が、与えられていましたなら、たとえば美しい詩歌によって、この世のあじけなさを忘れることができたでもありましょう。しかし、不幸なわたしは、いずれの恵みにも浴することができず、哀れな、 一家具職人の子として、親譲りの仕事によって、その日その日の暮らしを立てていくほかはないのでございました。  わたしの専門は、さまざまの椅子《いす》を作ることでありました。わたしの作つた椅子は、どんなむずかしい注文主にも、きっと気に入るというので、商会でも、わたしには特別に目をかけて、仕事も、上物《じようもの》ばかりを、回してくれておりました。そんな上物になりますと、もたれやひじ掛けの彫りものに、いろいろむずかしい注文があつたり、クッションのぐあい、各部の寸法などに、微妙な好みがあったりして、それを作る者には、ちょっとしろうとの想像できないような苦心がいるのでございますが、でも、苦心をすればしただけ、でき上がった時の愉快というものはありません。生意気を申すようですけれど、その心持ちは、芸術家がりっぱな作品を完成した時の喜びにも、くらぶべきものではないかと存じます。  一つの椅子ができ上がると、わたしはまず、自分で、それに腰かけて、すわりぐあいをためしてみます。そして、あじけない職人生活のうちにも、その時ばかりは、何ともいえぬ得意を感じるのでございます。そこへは、どのような高貴のかたが、あるいはどのような美しいかたがおかけなさる」とか、こんなりっぱな椅子を注文なさるほどのお屋敷だから、そこには、きっと、この椅子にふさわしい、ぜいたくな部屋があるだろう。壁には定めし、有名な画家の油絵がかかり、天井からは、偉大な宝石のようなシャンデリヤが、さがっているに相違ない。床には、高価な絨毯《じゆうたん》が、畆凱きつめてあるだろう。そして、その椅子の前のテーブルには、目のさめるような、西洋草花が、甘美なかおりを放って、咲き乱れていることであろう。そんな妄想《もうそう》にふけっていますと、なんだかこう、自分が、そのりっぱな部屋の主にでもなったような気がして、ほんの一舞間ではありますけれど、何とも形容のできない、愉快な気持ちになるのでございます。  わたしのはかない妄想は、なおとめどもなく増長してまいります。このわたしが、貧乏な、みにくい、一職人にすぎないわたしが、妄想の世界では、けだかい貴公子になって、わたしの作ったりっぱな椅子に、腰かけているのでございます。そして、そのかたわらには、いつもわたしの夢に出て来る、美しいわたしの恋人が、におやかにほほえみながら、わたしの話に聞き入っております。そればかりではありません。わたしは妄想の中で、その人と手をとり合って、甘い恋のむつごとを、ささやきかわしさえするのでございます。  ところが、いつの場合にも、わたしのこのフーワリとした紫の夢は、たちまちにして、近所のおかみさんのかしましい話し声や、ヒステリーのように泣き叫ぶ、そのあたりの病児の声に妨げられて、わたしの前には、またしても、みにくい現実が、あの灰色のむくろをさらけ出すのでございます。現実に立ち帰ったわたしは、そこに、夢の貴公子とは似てもつかない、哀れにもみにくい、自分自身の姿を見いだします。そして、今の先、わたしにほほえみかけてくれた、あの美しい人は………そんなものが、全体どこにいるのでしょう。その辺に、ほこりまみれになって遊んでいる、きたならしい子もり女でさえ、わたしなぞには、見向いてもくれはしないのでございます。ただ一つ、わたしの作った椅子だけが、今の夢のなごりのように、そこに、ポツネンと残っております。でも、その椅子は、やがて、いずことも知れぬ、わたしたちのとは全く別な世界へ、.運び去られてしまうのではありませんか。  わたしは、そうして、一つ一つ椅子を仕上げるたびごとに、言い知れぬあじけなさに襲われるのでございます。その、何とも形容のできない、いやあな、いやあな心持ちは、月日がたつにしたがって、だんだん、わたしには耐えきれないものになってまいりました。 「こんな、うじ虫のような生活を、つづけて行くくらいなら、いっそのこと、死んでしまったほうがましだ」わたしは、まじめに、そんなことを思います。仕事場で、コッコツとノミを使いながら、クギを打ちながら、あるいは、刺激の強い塗料をこね回しながら、その同じことを、しつように考えつづけるのでございます。「だが、待てよ。死んでしまうくらいなら、それほどの決心ができるなら、もっとほかに、方法がないものであろうか。たとえば……」そうして、わたしの考えは、だんだん恐ろしいほうへ、向いて行くのでありました。  ちょうどそのころ、わたしは、かつて手がけたことのない、大きな皮張りのひじ掛け椅子の、製作を頼まれておりました。この椅子は、同じY市で外人の経営している、あるホテルへ納める品で、いったいなら、その本国から取り寄せるはずのを、わたしの雇われていた商館が運動して、日本にも舶来品に劣らぬ椅子職人がいるからというので、やっと注文をとったものでした。それだけに、わたしとしても、寝食を忘れて、その製作に従事しました。ほんとうに魂をこめて、夢中になつてやったものでございます。  さて、でき上がった椅子を見ますと、わたしはかつて覚えない満足を感じました。それは、われながら見とれるほどの、みごとなできばえであったのです。わたしは例によって、四脚一組になっているその椅子の一つを、日当たりのよい板の間へ持ち出して、ゆったりと腰をおろしました。なんというすわり心地のよさでしょう。フックラと、こわすぎず、やわらかすぎぬクッションのねばりぐあい。わざと染色をきらって、灰色の生地のまま張りつけた、なめし皮の膚ざわり、適度の傾翁を保って、そっと背中をささえてくれる、豊満なもたれ、デリケートな曲線を描いて、オンモリとふくれ上がった、両側のひじ掛け、それらのすべてが、不思議な調和を保って、渾然とした『守楽《コンフオード》』ということばを、そのまま形に現わしているように見えます。  わたしはそこへ深々と身を沈め、両手で、丸々としたひじ掛けを愛撫《あいぶ》しながら、うっとりとしていました。すると、わたしのくせとして、止めどもない妄想が、五色の虹のように、まばゆいばかクの色彩をもって、次ぎから次ぎへとわき上がって来るのです。あれを幻というのでしょうか。心に思うままが、あんまりはっきりと目の前に浮かんで来ますので、わたしは、もしや気でも違うのではないかと、そら恐ろしくなったほどでございます。  そうしていますうちに、わたしの頭に、ふとすばらしい考えが浮かんでまいりました。悪魔のささやきというのは、たぶんああしたことを差すのではありますまいか。それは、夢のように荒唐無稽《こうとうむけい》で、非常に無気味な事柄でした。でも、その無気味さが、言いしれぬ魅力となって、わたしをそそのかすのでございます。  最初は、ただただ、わたしの丹精こめた美しい椅子を、手離したくない、できることなら、その椅子といっしょに、どこまでもついて行きたい、そんな単純な願いでした。それが、うつらうつらと妄想の翼をひろげておりますうちに、いつの間にやら、その日ごろ、わたしの頭に発酵しておりました、ある恐ろしい考えと、結びついてしまったのでございます。そして、わたしはまあ、なんという気違いでございましょう。その奇怪きわまる妄想《もうそう》を、実際に行なってみようと思い立ったのでありました。  わたしは大急ぎで、四つのうちでいちばんよくできたと思うひじ掛け椅子を、バラバラにこわしてしまいました.そして、改めて、それを、わたしの妙な計画を実行するに、つこうのよいように、造り直しました。  それは、ごく大型のアームチェアーですから、掛ける部分は、床《ゆか》にすれすれまで皮で張りつめてありますし、そのほか、もたれもひじ掛けも、非常に部厚にできていて、その内部には、人間ひとりが隠れていても、決して外からわからないほどの、共通した、大きなうつろがあるのです。むろん、そこには岩丈な木の枠《わく》と、たくさんなスプリングが取りつけてありますけれど、わたしはそれれらに、適当な細工をほどこして、人間が掛ける部分にひざを入れ、もたれの中へ首と胴とを入れ、ちょうど椅子の形にすわれば、その中にしのんでいられるほどの、余裕を作ったのでございます。  そうした細工は、お手のものですから、じゅうぶん手ぎわよく、便利に仕上げました。たとえば、呼吸をしたり外部の物音を聞くために、革《かわ》の一部に、外から少しもわからぬようなすきまをこしらえたり、もたれの内部の、ちょうど頭のわぎのところへ、小さなタナをつけて、何かを貯蔵できるようにしたり、(ここへ水筒と軍隊用の堅パンとを詰め込みました)ある用途のために大きなゴムの袋を備えつけたり、そのほかさまざまの考案をめぐらして、食料さえあれば、その中に、二日三日はいりつづけていても、決して不便を感じないようにしつらえました。いわば、その椅子が、人間ひとりの部屋になったわけでございます。  わたくしはシャツ一枚になると、底に仕掛けた出入口のフタをあけて、椅子の中へ、すっぽりと、もぐりこみました。それは実にヘンテコな気持ちでございました。まっ暗な、息苦しい、まるで墓場の中へはいったような、不思議な感じがいたします。考えてみれば、墓場に相違ありません。わたしは、椅子の中へはいると同時に、ちょうど隠《かく》れ簔《みの》でも着たように、この人間世界から、消滅してしまうわけですから。  まもなく、商会から使いのものが、四脚のひじ掛け椅子を受け取るために、大きな荷車を持ってやつてまいりました。わたしの内弟子《うちでし》が(わたしはその男と、たった二人暮らしだったのです)何も知らないで、使いのものと応待しております。車に積み込む時、ひとりの人夫が「こいつはばかに重いそ」とどなりましたので、椅子の中のわたしは、思わずハッとしましたが、いったいひじ掛け椅子そのものが、非常に重いのですから、別段あやしまれることもなく、やがて、ガタガタという、荷車の振動が、わたしのからだにまで、一種異様の感触を伝えてまいりました。非常に心配しましたけれど、結局、何事もなく、その日の午後には、もうわたしのはいったひじ掛け椅子は、ホテルの一室に、どっかりと、すえられておりました。あとでわかったのですが、それは、私室ではなくて、人を待ち合わせたり、新聞を読んだり、タバコをふかしたり、いろいろの人がひんぱんに出入りする、ラウンジとでもいうような部屋でございました。  もうとっくに、お気づきでございましょうが、わたしの、この奇妙な行ないの第一の目的は、人のいない時を見すまして、椅子の中から抜け出し、ホテルの中をうろつき回って、盗みを働くことでありました。椅子の中に人間が隠れていようなどと、そんなばかばかしいことを、だれが想像いたしましょう。わたしは、影のように、自由自在に、部屋から部屋を、荒らしまわることができます。そして、人々が騒ぎ始める時分には、椅子の中の隠れがへ帰って、息をひそめて、彼らのまぬけな捜索を、見物していればよいのです。あなたは、海岸の波打ちぎわなどに、『やどかり』という一種のカニのいるのをご存じでございましょう。大きなクモのような格好をしていて、人がいないと、その辺をわがもの顔に、のさばり歩いていますが、ちょっとでも人の足音がしますと、恐ろしい速さで、貝がらの中へ逃げ込みます。そして、気味のわるい、毛むくじゃらの前足を、少しばかりのぞかせて、敵の動静を伺っております。わたしはちょうどあの『やどかり』でございました。貝がらの代りに椅子という隠れ家を持ち、海岸ではなくて、ホテルの中を、わがもの顔に、のざばり歩くのでございます。  さて、このわたしのとっぴな計画は、それがとっぴであっただけ、人々の意表外にいでて、みごとに成功いたしました。ホテルに着いて三日目には、もう、たんまりと、ひと仕事済ませていたほどでございます。いざ盗みをするという時の恐ろしくも楽しい心持ち、うまく成功した時の何とも形容しがたいうれしさ、それから、人々がわたしのすぐ鼻の先で、あっちへ逃げた、こっちへ逃げたと騒ぎをやっているのを、じっと見ているおかしさ。それがまあ、どのような不思議な魅力をもって、わたしを楽しませたことでございましょう。  でも、わたしは今、残念ながら、それをくわしくお話ししている暇はありません。わたしはそこで、そんな盗みなどよりは、十倍も二十倍もわたしを喜ばせたところの、奇怪きわまる快楽を発見したのでございます。そして、それについて、告白することが、実は、この手紙のほんとうの目的なのでございます。  お話を、前にもどして、わたしの椅子が、ホテルのラウンジに置かれた時のことから、始めなければなりません。  椅子が着くと、ひとしきり、ホテルの主人たちが、そのすわりぐあいを見まわって行きましたが、あとは、ひっそりとして、物音一ついたしません。たぶん部屋には、だれもいないのでしょう、でも、到着そうそう、椅子から出ることなど、とても恐ろしくてできるものではありません。わたしは、非常に長い間(ただそんなに感じたのかもしれません)少しの物音も聞きもらすまいと、全神経を耳に集めて、じっとあたりの様子を伺っておりました。  そうして、しばらくしますとhたぶん廊下のほうからでしょう、コツコツと重くるしい足音が響いて来ました。それが二、三間向こうまで近づくと、部屋に敷かれたジュウタンのために、ほとんど聞ぎとれぬほどの低い音に変わりましたが、まもなく、あらあらしい男の鼻息が聞こえ、ハッと思う間に、西洋人らしい大きなからだが、わたしのひざの上に、ドサリと落ちてフカフカと二、三度はずみました。わたしの太ももと、その男のガッシリした偉大な臀部《でんぶ》とは、薄いなめし革一枚を隔てて、暖かみを感じるほども密接しています。幅の広い彼の肩は、ちょうどわたしの胸のところへもたれかかり、重い両手は、革を隔ててわたしの手と重なり合っています。そして、男がシガーをくゆらしているのでしょう、男性的な、豊かなかおりが、革のすぎまを通してただよってまいります。  奥様、かりにあなたが、わたしの位置にあるものとして、その場の様子を想像してごらんなさいませ。それは、まあ、なんという、不思議千万な情景でございましょう。わたしはもう、あまりの恐ろしさに、椅子の中の暗やみで、堅く堅く身を縮めて、わきの下からは、冷たい汗をタラタラ流しながら、思考力もなにも失ってしまって、ただもうボンヤリしていたことでございます。  その男を手始めに、その日一日、わたしのひざの上には、いろいろな人が入れかわり立ちかわり、腰をおろしました。そして、だれも、わたしがそこにいることを──彼らがやわらかいクッションだと信じきっているものが、実はわたしという人間の、血の通った太ももであるということを──少しも悟らなかったのでございます。  まっ暗で、身動きもできない革張りの中の天地。それがまあどれほど、あやしく魅力ある世界でございましょう。そこでは、人間というものが、日ごろ目で見ている、あの人間とは、全然別な不思り議な生ぎものとして感ぜられます。彼らは声と、鼻息と、足音と、衣《きぬ》ずれの音と、そして、いくつかの丸々とした弾力に富む肉塊にすぎないのでございます。わたしは、彼らのひとりひとりを、その容貌《ようぼう》の代りに、膚ざわりによって識別することができます。あるものは、デブデブと肥え太って、腐ったサカナのような感触を与えます。それとは正反対に、あるものは、コチコチにやせひからびて、骸骨のような感じがいたします。そのほか、背骨の曲がり方、肩胛骨《けんこうこつ》の開きぐあい、腕の長さ、太ももの太さ、あるいは尾觝骨《びていこつ》の長短など、それらのすぺての点を総合してみますと、どんな似寄った背格好の人でも、どこか違ったところがあります。人間というものは、容貌や指紋のほかに、こうしたからだ全体の感触によっても、完全に識別することができるに相違ありません。  異性についても、同じことが申されます。普通の場合は、主として容貌の美醜によって、それを批判するのでありましょうが、この椅子の中の世界では、そんなものは、まるで問題外なのでこざいます。そこには、まるはだかの肉体と、声音《こわね》と、においとがあるばかりでございます。  奥様、あまりにあからさまなわたしの記述に、どうか気をわるくしないでくださいまし。わたしはそこで、ひとりの女性の肉体に、(それはわたしの椅子に腰かけた最初の女性でありました)激しい愛着を覚えたのでございます。  声によって想像すれば、それは、まだうら若い異国のおとめでございました。ちょうどその時、部屋の中にはだれもいなかったのですが、彼女は、何かうれしいことでもあった様子で、小声で、不思議な歌を歌いながら、踊るような足どりで、そこへはいってまいりました。そして、わたしのひそんでいるひじ掛け椅子の前まで来たかと思うと、いきなり、豊満な、それでいて、非常にしなやかな肉体を、わたしの上へ投げかけました。しかも、彼女は何がおかしいのか、突然アハアハ笑いだし、手足をバタバタさせて、網の中のサカナのように、ピチピチとはね回るのでございます。  それから、ほとんど半時間ばかりも、彼女はわたしのひざの上で、時々歌を歌いながら、その一歌に調子を合わせでもするように、クネクネと重いからだを動かしておりました。  これは実に、わたしにとっては、まるで予期しなかった驚天動地の大事件でございました。女は神聖なもの、いや、むしろこわいものとして、顔を見ることさえ遠慮していたわたしでございます。そのわたしが今、見も知らぬ異国のおとめと、同じ部屋に、同じ椅子に、それどころではありません、薄いなめし革ひとえを隔てて、膚のぬくみを感じるほども密着しているのでございます。それにもかかわらず、彼女は何の不安もなく、全身の重みをわたしの上にゆだねて、見る人のない気安さに、かって気ままな姿体をいたしております。わたしは椅子の中で、彼女を抱きしめるまねをすることもできます。革のうしろから、その豊かな首筋に接吻することもできます。そのほか、どんなことをしようと、自由自在なのでございます。  この驚劇くべき発見をしてからというものは、わたしは、最初の目的であった盗みなどは第二として、ただもう、その不思議な感触の世界に、惑溺《わくでき》してしまったのでございます。わたしは考えました。これこそ、この椅子の中の世界こそ、わたしに与えられた、ほんとうのすみかではないかと。わたしのような醜い、そして気の弱い男は、明かるい光明の世界では、いつもひけ目を感じながら、恥ずかしい、みじめな生活を続けて行くほかに、能のない身でございます。それが、ひとたび、住む世界を換えて、こうして椅子の中で、窮屈なしんぼうをしていさえすれば、明かるい世界では、口をきくことはもちろん、そばへよることさえ許されなかった美しい人に接近して、その声を聞ぎ、膚に触れることもできるのでございます。  椅子の中の恋(!)それがまあ、どんなに不可思議な、陶酔的な魅力を持つか、実際に椅子の中へはいってみた人でなくては、わかるものではありません。それは、ただ、触覚と、聴角と、そしてわずかの嗅覚《きゆうかく》のみの恋でございます。暗やみの世界の恋でございます。決してこの世のものではありません。これこそ、悪魔の国の愛欲なのではございますまいか。考えてみれば、この世界の、人目につかぬすみずみでは、どのような異形《いぎよう》な、恐ろしい事柄が行なわれているか、ほんとうに想像のほかでございます。  むろん、はじめの予定では、盗みの目的を果たしさえすれば、すぐにホテルを逃げ出すつもりでいたのですが、世にも奇怪な喜びに、夢中になったわたしは、逃げ出すどころか、いつまでも、いつまでも、椅子の中を永住のすみかにして、その生活を続けていたのでございまず。  夜々の外出には、注意に注意を加えて、少しも物音を立てず、また人目に触れないようにしていましたので、当然、危険はありませんでしたが、それにしても、数カ月という長い月日を、そうして少しも見つからず、椅子の中に暮らしていたというのは、われながら実に驚くべきことでございました。  ほとんど二六時中、ひどく窮屈な場所で、腕を曲げ、ひざを折っているために、からだじゅうがしびれたようになって、完全に直立することができず、しまいには、料理場や化粧室《けしようしつ》への往復を、いざりのように、はって行ったほどでございます。わたしという男は、なんという気違いでありましょう。それほどの苦しみを忍んでも、不思議な感触の世界を見捨てる気になれなかったのでございます。  中には、一カ月も二カ月も、そこを住まいのようにして、泊まりつづけている人もありましたけれど、元来ホテルのことですから、絶えず客の出入りがあります。したがって、わたしの奇妙な恋も、時と共に相手が変わって行くのを、どうすることもできませんでした。そして、その数数の不思議な恋人の記憶は、普通の場合のように、その容貌《ようぼう》によってではなく、主としてからだの格好によって、わたしの心に刻みつけられているのでございます。あるものは、子馬のように精悍《せいかん》で、すらりと引ぎ締まった肉体を持ち、あるものは、ヘビのように妖艶《ようえん》で、クネクネと自在に動く肉体を持ち、あるものは、ゴムまりのように肥え太って、脂肪と弾力に富む肉体を持ち、またあるものは、ギリシャの彫刻のように、ガッシリと力強く、円満に発達した肉体を持っておりました。そのほか、どの女の肉体にも、ひとりひとり、それぞれの特徴があり、魅力があったのでございます。  そうして、女から女へと移って行くあいだに、わたしはまたそれとは別な、不思議な経験をも味わいました。  その一つは、ある時、欧洲のある強国の大使が(日本人のボーイのうわさ話によって知ったのですが)その偉大な体軅《たいく》を、わたしのひざの上にのせたことでございます。それは、政治家としてよりも、世界的な詩人として、いっそうよく知られていた人ですが、それだけに、わたしは、その偉人の膚を知ったことが、わくわくするほども、誇らしく思われたのでございます。彼はわたしの上で、二、三人の同国人を相手に、十分ばかり話をすると、そのまま立ち去ってしまいました。むろん、何を言っていたのか、わたしにはさっぱりわかりませんけれど、ジェスチュアをするたびに、ムクムクと動く、常人よりも暖かいかと思われる肉体の、くすぐるような感触が、わたしに一種名状すべからざる刺激を与えたのでございます。  その時、わたしはふと、こんなことを想像しました。もし、この革のうしろから、鋭いナイフで、彼の心臓を目がけて、グサリと一突きしたなら、どんな結果をひき起こすであろう。むろん、それは彼にふたたび立つことのできぬ致命傷を与えるに相違ない。彼の本国はもとより、日本の政治界は、そのために、どんな大騒ぎを演じることであろう。新聞は、どんな激情的な記事を掲げることであろう。それは、日本と彼の本国との外交関係にも、大きな影響を与えようし、また芸術の立ち場から見ても、彼の死は世界の一大損失に相違ない。そんな大事件が、自分の一挙手によって、やすやすと実現できるのだ。それを思うと、わたしは、不思議な得意を感じないではいられませんでした。  もう一つは有名なある国のダンサーが来朝した時、偶然彼女がそのホテルに宿泊して、たった一度ではありましたが、わたしの椅子に腰かけたことでございます。その時も、わたしは、大使の場合と似た感銘を受けましたが、その上、彼女はわたしに、かつて経験したことのない理想的な肉体美の感触を与えてくれました。わたしはそのあまりの美しさに、いやしい考えなどは起こすいとまもなく、ただもう、芸術品に対する時のような、敬虔《けいけん》な気持ちで、彼女を賛美したことでございます。  そのほか、わたしはまだいろいろと、珍しい、不思議な、あるいは気味わるい、数々の経験をいたしましたが、それらをここに細叙することは、この手紙の目的でありませんし、それにだいぶ長くなりましたから、急いで、肝心の点にお話を進めることにいたしましょう。  さて、わたしがホテルへまいりましてから、何カ月かの後、わたしの身の上に一つの変化が起こったのでございます。といいますのは、ホテルの経営者が、何かのつこうで帰国することになり、あとを居抜きのまま、ある日本人の会社に譲り渡したのであります。すると、日本人の会社は、従来のぜいたくな営業方針を改め、もっと一般向きの旅館として、有利な経営をもくろむことになりました。そのために不用になった調度などは、ある大きな家具商に委託して、競売せしあたのでありますが、その競売目録のうちに、わたしの椅子も加わっていたのでございます。  わたしはそれを知ると、一時はガッカリいたしました。そして、それを機として、もう一度娑婆《しやば》へ立ち帰り、新しい生活を始めようかと思ったほどでございます。その時分には、盗みためた金が相当の額に上っていましたから、たとい、世の中へ出ても、以前のように、みじめな暮らしをすることはないのでした。が、また思い返してみますと、外人のホテルを出たということは、一方においては、大きな失望でありましたけれど、他方においては、一つの新しい希望を意味するものでございました。といいますのは、わたしは数カ月の間も、それほどいろいろの異性を愛したにもかかわらず、相手がすべて異国人であったために、それがどんなりっぱな、好もしい肉体の持ち主であっても、精神的に妙な物足りなさを感じないわけにはいきませんでした。やっぱり、日本人は、同じ日本人に対してでなければ、ほんとうの恋を感じることができないのではあるまいか。わたしはだんだん、そんなふうに考えていたのでございます。そこへ、ちょうどわたしの椅子が競売に出たのであります。今度は、ひょっとすると、日本人に買いとられるかもしれない。それが、わたしの新しい希望でございました。わたしは、ともかくも、もう少し椅子の中の生活を続けてみることにいたしました。  道具屋の店先で、二、三日の間、非常に苦しい思いをしましたが、でも、競売が始まると、し.あわせなことには、わたしの椅子は早速買い手がつきました。古くなっても、じゅうぶんに人目を引くほど、りっぱな椅子だったからでございましょう。  買い手はY市からほど遠からぬ、大都会に住んでいた、ある官吏でありました。道具屋の店先から、その人の屋敷まで、何里かの道を、非常に震動のはげしいトラックで運ばれた時には、わたしは椅子の中で死ぬほどの苦しみをなめましたが、でも、そんなことは、買い手が、わたしの望みどおり日本人であったという士暑ぴに比べては、物の数でもございません。  買い手のお役人は、かなりりっぱな屋敷の持ち主で、わたしの椅子は、そこの洋館の、広い書斎に置かれましたが、わたしにとって非常に溝足であったことには、その書斎は、主人よりは、むしろ、その家の若くて美しい夫人が使用されるものだったのでございます。それ以来、約一カ月の間、わたしはたえず、夫人とともにおりました。夫人の食事と、就寝の時間を除いては、夫人のしなやかなからだは、いつもわたしの上にありました。それというのが、夫人は、その間、書斎につめきって、ある著作に没頭していられたからでございます。  わたしがどんなに彼女を愛したか、それは、ここにくだくだしく申しあげるまでもありますまい。彼女は、わたしのはじめて接した日本人で、しかも、じゅうぶん美しい肉体の持ち主でありました。わたしは、そこに、はじめてほんとうの恋を感じました。それに比べては、ホテルでの数多い経験などは、決して恋と名つくべぎものではございません。その証拠には、これまで一度も、そんなことを感じなかったのに、その夫人に対してだけ、わたしは、ただ秘密の愛撫《あいぶ》を楽しむのみではあきたらず、どうかして、わたしの存在を知らせようと、いろいろ苦心したのでも明きらかでございましょう。  わたしは、できるならば、夫人のほうでも、椅子の中のわたしを意識してほしかったのでございます。そして、虫のいい話ですが、わたしを愛してもらいたく思ったのでございます。でも、それをどうして合図いたしましょう。もし、そこに人間が隠れているということを、あからさまに知らせたなら、彼女はきっと、驚きのあまり、主人や召使いたちに、そのことをつげるに相違ありません。それではすべてがだめになってしまうばかりか、わたしは、恐ろしい罪名を着て、法律上の刑罰をさえ受けなければなりません。  そこで、わたしは、せめて夫人に、わたしの椅子を、この上にも居心地《いごこち》よく感じさせ、それに愛着を起こさせようと努めました。芸術家である彼女は、きっと常人以上の、微妙な感覚を備えているに相違ありません。もしも、彼女が、わたしの椅子に生命を感じてくれたなら、ただの物質としてではなく、一つの生きものとして愛着を覚えてくれたなら、それだけでも、わたしはじゅうぶん溝足なのでございます。  わたしは、彼女がわたしの上に身を投げた時には、できるだけフーワリとやさしく受けるように心がけました。彼女がわたしの上で疲れた時分には、わからぬほどにソロソロとひざを動かして、彼女のからだの位置を換えるようにいたしました。そして、彼女が、うとうとと居眠りを始めるような場合には、わたしは、ごくごくかすかに、ひざをゆすって、揺籃《ようらん》の役目を勤めたこと.でございます。  その心やりがむくいられたのか、それとも、単にわたしの気迷いか、近ごろでは、夫人は、なんとなく、わたしの椅子を愛しているように思われます。彼女は、ちょうど赤ん坊が母親のふところに抱かれる時のような、または、おとめが恋人の抱擁に応じる時のような、甘いやさしさをもって、わたしの椅子に身を沈めます。そして、わたしのひざの上で、からだを動かす様子までが、さもなつかしげに見えるのでございます。  かようにして、わたしの情熱は、日々に激しく燃えて行くのでした。そして、ついには、ああ奥様、ついには、わたしは、身のほどもわぎまえぬ、大それた願いを抱くようになったのでございます。たったひと目、わたしの恋人の顔を見て、そして、ことばをかわすことができたなら、そのまま死んでもいいとまで、わたしは、思いつめたのでございます。  奥様、あなたは、むろん、とっくにお悟りでございましょう。そのわたしの恋人と申しますのは、あまりの失礼をお許しくださいませ。実は、あなたなのでございます。あなたの御主人が、あのY市の道具店で、わたしの椅子をお買い取りになって以来、わたしはあなたに及ばぬ恋をささげていた、哀れな男でございます。  奥様、一生のお願いでございます。たった一度、わたしにお会いくださるわけにはいかぬでございましょうか。そして、ひと言でも、この哀れな醜い男に、慰めのおことばをおかけくださるわけにはいかぬでございましょうか。わたしは決してそれ以上を望むものではありません。そんなことを望むにはあまりに醜く、けがれ果てたわたしでございます。どうぞどうぞ、世にも不幸な男の、せつなる願いをお聞ぎ届けくださいませ。  わたしは昨夜、この手紙を書くために、お屋敷を抜け出しました。面と向かって、奥様にこんなことをお願いするのは、非常に危険でもあり、かつ、わたしにはとてもできないことでございます。  そして、今、あなたがこの手紙をお読みなさる時分には、わたしは心配のために青い顔をして、お屋敷のまわりを、うろつき回っております。  もし、この、世にもぶしつけなお願いをお聞き届けくださいますなら、どうか書斎の窓のナデシコの鉢植《はちう》えに、あなたのハンケチをおかけくださいまし。それを合図に、わたしは、なにげなぎひとりの訪問者として、お屋敷の玄関を訪れるでございましょう。  そして、この不思議な手紙は、ある熱烈な祈りのことばをもって結ばれていた。  佳子《よしこ》は、手紙の半ばほどまで読んだ時、すでに恐ろしい予感のために、まっさおになってしまった。そして、無意識に立ち上がると、気味のわるいひじ掛け椅子の麗かれた書斎から逃げ出して、日本建ての居間のほうへ来ていた。手紙のあとのほうは、いっそ読まないで破り捨ててしまおうかと思ったけれど、どうやら気がかりなままに、居間の小机の上で、ともかくも、読みつづけた。  彼女の予感は、やっぱり当たっていた。  これはまあ、なんという恐ろしい事実であろう。彼女が毎日腰かけていたあのひじ掛け椅子の中には、見も知らぬひとりの男がはいっていたのであるか。 「おお、気味のわるい」  彼女は、背中から冷水をあびせられたような、悪寒《おかん》を覚えた。そして、いつまでたっても、不思議な身ぶるいがやまなかった。  彼女は、あまりのことに、ボンヤリしてしまって、これをどう処置すべきか、まるで見当がつかぬのであった。椅子を調べてみる(?) どうしてどうして、そんな気味のわるいことができるものか。そこにはたとい、もう人間がいなくても、食べ物その他の、彼に付属したきたないものが、まだ残されているに相違ないのだ。 「奥様、お手紙でございます」  ハッとして、振り向くと、それは、ひとりの女中が、今届いたらしい封書を持って来たのだった。  佳子は、無意識にそれを受け取って、開封しようとしたが、ふと、そのうわ書きを見ると、彼女は、思わずその手紙を取りおとしたほども、ひどい驚きに打たれた。そこには、さっきの無気味な手紙と寸分違わぬ筆癖をもって、彼女の名あてが書かれてあったのだ。  彼女は、長い間、それを開封しようか、しまいかと迷っていた。が、とうとう最後にそれを破って、ビクビクしながら、中みを読んで行った。手紙はごく短いものであったけれど、そこには彼女を、もう一度ハッとさせるような、奇妙な文句がしるされていた。  突然お手紙を差し上げますぶしつけを、幾重にもお許しくださいまし。わたしは日ごろ、先生のお作を愛読しているものでございます。別封お送りいたしましたのは、わたしのつたない創作でございます。御一覧の上、御批評がいただければ、この上の幸いはございません。ある理由のために、原稿のほうは、この手紙を書きます前に投函《とうかん》いたしましたから、すでに御覧ずみかと拝察いたします。いかがでございましょうか。もし拙作がいくらかでも、先生に感銘を与え得たとしますれば、こんなうれしいことはないのでございますが。  原稿には、わざとはぶいておきましたが、表題は『人間椅子』とつけたい考えでございます。  では、失礼を顧みず、お願いまで。勿々《そうそう》。            (『苦楽』大正十四年九月号)

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