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<p>  友あり、秋艸道人といふ。われ彼と交ること多年、淡きもの愈淡きを加へて、しかも憎悪の念しきりにいたる。何によりてしかく彼を憎む。暝目多時、事由三を得たり。</p> <p>  彼質不羇にして、気随気儘を以て性を養ふ。故に意一度動けば、百の用務も擲って、飄然去つて遠きに遊ぶ。興尽き財尽く、すなはち帰って肱を曲げて睡る。境涯真に羨むべし。かゝる身のほどは、駑馬われの如きも、つねに念じて、なほたえて果さゞるもの、彼遥にわれに先んじて、大に駿足を誇る。これ憎まざる可がらざる理の一つ。</p> <p>  彼客を好みて議論風発四筵を驚かす。されど多くは衷心の声にあらずして消閑一時の戯なるに似たり。彼が相対して真情を吐露せんと欲するは、ただ奈良の古き仏だちか。彼慈顔を仰ぎて大に語るあらんとす。諸仏何の意か、顧るところなし。彼悄然としてうたふらく『ちかづきてあふぎみれども、みほとけの、みそなぱすともあらぬさびしさ」と。われ聞いて、ひそかに掌を拍ってよろこぶ。されど、一度われと語る時、彼何の心を以てわれに対するかをおもへば、意平ならざるものあって存す。これ憎まざる可らざる理の二つ。</p> <p>  彼自ら散木を以て任じ、暇日の多きを楽んで悠々筆硯の間に遊ぶ。俗才、世路に彷徨するわれの如き、羨望ために死せんとす。しかも、その書を展し、その詠を誦するや、吾たゞ妙と称して羨むことなし。蓋天資おのづから異るあるを知ればなり。</p> <p>  彼がみづからを信ずるやあつし。いはく、われ古人を見ざるをかなしまずして、古人のわれを見ざるを古人のためにかなしむと。われもと、訓詁註疏に専なるもの、つねに古人をこれ貴しとなす。彼平然としてあが仏をなみす。われ古人のために彼を憎む。</p> <p> われまた芸術の士のこの気魄なかるべからざるを知る。故に必しも憎むこと深からず。され<br /> ども、彼が世の歌の奇なるもの、巧なるものを排しながら、世の奇工のすべてを詠中に蔵するを憎む。俳家繊細の工夫を藉り来りて、しかも蔽ふに万葉素樸の風格を以てするを憎む。作者知つて然るか、知らずして然るか。未だ知らず。われはたゞ、その歌とその言の相背くあるを知る。</p> <p>  大極殿址は南京旧蹟の雄。行人誰か感慨無量ならざるを得ん。われ往日ゆきとぶらうて、空しく涙して帰れり。道人の如き、まさに吟詠百首、わが無能を償はざるべからず。何ぞ知らん、彼よみすてゝいふ。『はたなかの、かれたるしばにたつひとの、うごくともなし、ものもふらしも』と。つひにみづからに触るゝなくしてやむ。何等の老獪ぞ。これを憎まずして、世にまた憎むべき何ありや。<br /><br />  道人今斯の如古歌九十三首をあつめて一集をなし、われに序を徴す。道人すでにわが不文を知って揶揄一番するか。以て大に憎むべし。</p> <p>  われ彼の憎むべき事由を数へ来るやつひに三ならず。五六また七、いよゝ出でゝて徒に彼を大にし、われを小にす。われいかでか堪へん。如かず、筆を擱かんには。</p> <p>大正十三年八月念三日<br />  不言斎主人 山口剛</p> <p><span style="color:rgb(0,0,0);font-family:Tahoma, Arial, Helvetica, 'ヒラギノ角ゴ Pro W3', 'MS Pゴシック', sans-serif;font-size:12px;"> http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913593/12</span></p> <p> </p>
<p> </p> <p>  友あり、秋艸道人といふ。われ彼と交ること多年、淡きもの愈淡きを加へて、しかも憎悪の念しきりにいたる。何によりてしかく彼を憎む。暝目多時、事由三を得たり。</p> <p>  彼質不羇にして、気随気儘を以て性を養ふ。故に意一度動けば、百の用務も擲って、飄然去つて遠きに遊ぶ。興尽き財尽く、すなはち帰って肱を曲げて睡る。境涯真に羨むべし。かゝる身のほどは、駑馬われの如きも、つねに念じて、なほたえて果さゞるもの、彼遥にわれに先んじて、大に駿足を誇る。これ憎まざる可がらざる理の一つ。</p> <p>  彼客を好みて議論風発四筵を驚かす。されど多くは衷心の声にあらずして消閑一時の戯なるに似たり。彼が相対して真情を吐露せんと欲するは、ただ奈良の古き仏だちか。彼慈顔を仰ぎて大に語るあらんとす。諸仏何の意か、顧るところなし。彼悄然としてうたふらく『ちかづきてあふぎみれども、みほとけの、みそなはすともあらぬさびしさ」と。われ聞いて、ひそかに掌を拍ってよろこぶ。されど、一度われと語る時、彼何の心を以てわれに対するかをおもへば、意平ならざるものあって存す。これ憎まざる可らざる理の二つ。</p> <p>  彼自ら散木を以て任じ、暇日の多きを楽んで悠々筆硯の間に遊ぶ。俗才、世路に彷徨するわれの如き、羨望ために死せんとす。しかも、その書を展し、その詠を誦するや、吾たゞ妙と称して羨むことなし。蓋天資おのづから異るあるを知ればなり。</p> <p>  彼がみづからを信ずるやあつし。いはく、われ古人を見ざるをかなしまずして、古人のわれを見ざるを古人のためにかなしむと。われもと、訓詁註疏に専なるもの、つねに古人をこれ貴しとなす。彼平然としてあが仏をなみす。われ古人のために彼を憎む。</p> <p>  われまた芸術の士のこの気魄なかるべからざるを知る。故に必しも憎むこと深からず。されども、彼が世の歌の奇なるもの、巧なるものを排しながら、世の奇工のすべてを詠中に蔵するを憎む。俳家繊細の工夫を藉り来りて、しかも蔽ふに万葉素樸の風格を以てするを憎む。作者知つて然るか、知らずして然るか。未だ知らず。われはたゞ、その歌とその言の相背くあるを知る。</p> <p>  大極殿址は南京旧蹟の雄。行人誰か感慨無量ならざるを得ん。われ往日ゆきとぶらうて、空しく涙して帰れり。道人の如き、まさに吟詠百首、わが無能を償はざるべからず。何ぞ知らん、彼よみすてゝいふ。『はたなかの、かれたるしばにたつひとの、うごくともなし、ものもふらしも』と。つひにみづからに触るゝなくしてやむ。何等の老獪ぞ。これを憎まずして、世にまた憎むべき何ありや。<br /><br />  道人今斯の如古歌九十三首をあつめて一集をなし、われに序を徴す。道人すでにわが不文を知って揶揄一番するか。以て大に憎むべし。</p> <p>  われ彼の憎むべき事由を数へ来るやつひに三ならず。五六また七、いよゝ出でゝて徒に彼を大にし、われを小にす。われいかでか堪へん。如かず、筆を擱かんには。</p> <p>大正十三年八月念三日<br />  不言斎主人 山口剛</p> <p> </p> <p><a href="http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913593/12">http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913593/12</a></p> <p> </p>

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