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森鴎外「洋学の盛衰を論ず」


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洋学の盛衰を論ず
   (明治三十五年三月二十四日於小倉偕行社)
 師団長閣下。旅団長閣下。並に満堂の諸君。予が今回期せずして東京に転職せらるゝこと丶なりし故を以て、上長官諸君は特に予を以て今宵の例会の賓客となし給へり。是れ予の深く感激する所なり。然るに昨夕に及びて、旅団長閣下人を予の許に馳せて曰く。開会に先だちて講話せよと。倉卒の間、些の準備にだに遑あらず。惟々高嘱を拒むに忍びざるが為めに、強ひて此席に就きたり。諸君幸に予の述ぶる所の孟浪杜撰を咎め給ふな。
 世界の歴史は、三千年の久しきに亘り、東西洋の間に一線を劃して、殆ど彼此相聞かず相知らざる状をなさしめ居たり。希臘羅馬の開化を継承せる西洋は幾多の興亡を閲し来りて、其晩進国たる普魯西、魯西亜の全盛時代に至りぬ。支那印度の文明を相伝せる東洋は、一面に於ける我国と、他の一面に於ける支那朝鮮との間に、奇異なる懸隔を生じ、我国は却りて西洋諸国と共に能動の地位に立ち、支那朝鮮は、独り所動の地位に甘んぜざるべからざるに至りぬ。
 何を以てか然る。是れ我国の西洋の学術を輸入したるが為めなり。
 我国に於ける洋学の伝来は、既往百年間、早く多少の変遷を経たり。其初は彼の兵事、航海術、医方に驚歎して以為へらく。彼は道徳宗教の観る可き者なしと雖、其機巧の智は、取りて以て玉を攻むる他山の石と為す可しと。中ごろは、漸く彼の哲学を知り、彼の宗教を知り、同時に在来の儒学仏教を疎んじて、以為へらく。彼の長は啻に機巧の末のみならず、彼の長は精神上にも技術上にも並び存ぜり。我国人は唯々彼を摸倣し彼を崇拝して可なりと。是れ洋学全盛の時代なりき。既にして此摸倣崇拝は漸く陳套に帰し、予の見る所を以てすれば、今や許多の朕兆の、洋学の衰替を証するに似たるものあるなり。此事は必然達識者の一顧に値す。
 洋学を伝ふるには、或は洋語を修めて其書を読み、乃至間接に翻訳書に就いてこれを読み、或は外国教師を聘して其講説を聴き、或は洋行留学す。先づ読書を以てせんに、直ちに横文の書を読むは、翻訳書に勝ること勿論なり。此長短は、好訳書の原義を謬らざるものを得て読むと雖、猶明かに存ず。況や誤訳の人を誤まること十中の九なるをや。然るに近年大学を出つる学士の語学の力量を察するに、これを十数年前に比して、劣るとも優らざるに似たり。次に聘する所の外国教師の数は、帝国大学を始とし、全国の学校、皆著く減小せり。最後に洋行者は、或は其数に於いて減小せざるが如しと雖、洋行といふものゝ性質は、今将に一変せんとす。一二の例を挙げて証せんに、昨年早稲田専門学校卒業生島村滝太郎氏の洋行するや、文学博士坪内雄蔵氏送別に臨みて演説して謂へらく。従前の洋行者は定見なくして往き、彼の学に心酔せり。今後の洋行者は定見を持して往き、彼に参考の資を求むと。
所謂定見にして彼に優るか、又は少くも彼と同等ならば、此現象は旧に比して著き進歩ならん。然れども若し定見の彼に劣る者あらん乎。所謂定見を持しての洋行は、三四十年前の他山石主義と何ぞ択まむ。又最近の太陽に、在伯林文学士姉崎正治氏の開書を載せたるを見るに、姉崎氏は自家の洋行の殆ど全く無功なりしを歎じ、独逸の学問宗教の根抵の取るに足らざるを看破したるを以て自家の洋行の唯一の利益となしたり。而して今の文壇の名士は多く此説に賛同せり。是れ洋行無用論たるに近く、又一歩を進めて言へば、洋学無用論たるに近し。
 是に由りて観るに、洋学衰退の朕兆あることは事実なるが如し。而して此事実の由りて来る所は、明治文教の隆盛漸く其度を進めて、学者の自信力の長じたるに在り。今の問題は、此自信力果して実価ありや、堅固なる根抵ありや、又は僑慢自負うぬぼれの致す所なりやを講究するを以て、最も緊要なりとす。
 先づ洋書を読むことは奈何。洋書を読むことは、洋語を操ることゝ連れり。縦令我国にして学問技術彼に優り、復た一事の彼に則るに足るものなからんも、未だ昔日豊太閤の支那に対して曰ひしが如く、彼をして我語を用ゐしむるに至らざる限は、我国未だ世界を制伏せざる限は、全くこれを廃するに由なし。洋語を操る舌と洋文を読む眼とは、交際上にも其必要あり。故に世の自信力ある先生と雖、まさか此に対して無用を説くものはあらず。又主に此点に着眼して外国語学を奨励するもの多し。例之ば北清事件は、外国語に通ぜざることの不便を証したりと曰ふが如し。然りと雖、外国語学、就中西洋語学の必要は、恐らくは独り交際上象胥通訳を待つことの不便を除くに在るのみならず。苟も我の学問技術にして、明かに彼を凌駕するに非ざる限は、洋語の読書会話は猶学術伝承上の必要あらん。
 外国教師を聘することは、之に反して公然言論上に排斥せられ、又実際上に其範囲を限劃せられたり。今の諸学校の猶新にこれを聘することあるは、殆ど其言語を以てするに止まり、語学教師を聘するに止まり、時に或は其機巧を以てし、技師としてこれを聘することありと雖、復た学問の師として聘することを屑とせず。以為へらく。諸学科の師たるに墻へたる者は、我邦人中既に其人に乏しからずと。此意見にして若し信ならば、実に国家の幸なり。然るに昨年東京帝国大学のBAELZ師の雇を解くや、師は演説して曰く。学問は器械道具の如く一地より他の地に運送す可き者に非ずして、有機体なり、生物なり。此生物の種子をして萌芽し生長せしむるには、一種特異の雰囲気なかる可からず。日本は従来洋学の果実を輸入したり。共の器械道具の如く輸入せらる丶ことを得て、又実用に堪へたるは、果実なるを以てなり。此輸入は教師をして、講堂に於いて講説せしめて足る。然れども学問当体に至りては、西洋人の西洋の雰囲気中に於て養ひ得たる所にして、西洋の此雰囲気あるは一朝一夕の事に非ず。遠くは希臘のARISTOTELESに淵源し、近くは英のDARWINに発揮せられ、世々相承けて、纔に今日あることを得たり。故に洋人を聘する者は、其勢力をして講堂内に局せしめずして、居常之と交り、又其雇入期限を短縮せずして、之をして生涯安んじて此地に留まらしめざるべからず。日本人は勇退を以て美徳と為し、五十歳にして業を廃すと雖も、BISMARCK,GLADSTONE,GORTSHAKOFFは皆
八十歳にして其業に堪へたりと。当時此演説は一人の論評に上らずして已みぬ。共の雇教師の為めに講堂外の勢力を要求し、雇教師の五十歳にして解雇せらるゝことの非を鳴せるは、固より必らずしも評せずして可ならん。然れども我の学問の果実を輸入して自ら得たりと為すを箴め、学問の生物たり、特異の雰囲気を得て始て生長するを説けるは、最も翫昧に堪へたる者の如し。彼の学風は、希臘ARITTOTELES以来、自然を重んじ、偏に精神のみを説くに安んぜず。近世に及びて、所謂自然科学の勃興は、全欧洲学問界の気風を一変し、技術は資を此に仰ぎて、蒸気電気の利用となり、電気の利用は更に進みて、ROENTGENをして越幾斯光線を発明せしめ、MARCONIをして無線電信を改良せしめたり。此学風は支那の無き所にして、支那朝鮮は其の心を偏重し博物を卑む学を墨守せるを以ての故に、今の憐む可き所動の地位に立ち、我国は此西洋学を輸入したるを以ての故に、今の賀す可き能動の地位に立てるなり。而して我国の初め輸入したる所の者は、実に果実に外ならざることは、BAELZ師の言の如し。然りと雖、我国人中豈絶て果実輸入に慊ざる者なからんや。具眼者は、多くは早く既に彼の学問の種子を長ずる雰囲気を我国内に生ぜしめんと試みたり。独立の研究を以てして、前人未知の事を発明すること是なり。独逸人の所謂ARBEITを貴むこと是なり。近年帝国大学に大学院の設あり、大学紀要の機関を具ふる等、一として此目的を以てせざるなし。予の如きは、菲才微力なりと雖、亦最も早くこれを唱道したる随一人にして、ARBEITを翻して業と曰ふは殆ど主として予の創意に出で、我軍医学校は始て其室に名づけて業室と曰ひ、又当時の校長田代義徳氏は研究の成績を刊行して、始て題して業府と曰ふ。其志の存ずる所、豈見る可からずや。今や業室業績等の語人々の口にする所となり、大学紀要の類は年々刊行せらる。然らば則ち学問の種子を長ずる雰囲気は、果して既に我国内に生じたる乎。答へて曰く恐らくは未だし。独逸の如きは、学者を軽重するに業績を以てし、大学教授の位地の高低は一に其業績の優劣に従ふ。我国は恐らくは未だ然らず。独逸の如きは、世間の仰望する所の学者は、業績優勝の人たり。我国は恐らくは猶業績ある教授を腐儒視して、間々世才ある者と通俗の文を善くして虚名を馳する者とを崇敬することを免れざるべし。且我国知名の学者にして、欧洲に在る日には大業績を挙げしことあるに、帰郷後は身業室に在りながら、一の成す所なきもの少からず。恐らくは我国既に彼雰囲気ありと謂ふ可きに非ざるならん。然らば則ち彼雰囲気は、果して遂に我国内に生ずるに由なき乎。BAELZ師の演説は巧みにこれに答ふることを避けたり。これを避けて、雇教師制度の継続と改良とを勧誘せり。予は此の如き雰囲気の能く我国に生ずるものなるを信ぜんと欲す。然れども現に既にこれ有りと曰ふこと能はず。即ち此方面よりすれば、洋学をして衰替せしむべき、今の我国人の自信力は、其根抵未だ必ずしも堅固ならざるに似たり。
 請ふ、此より進みて洋行の事を検せんことを。坪内氏は今後の洋行者は定見を持して往くと曰へり。此定見をして有用ならしめんと欲せば、これをして少くも欧洲学者の見地と同等ならしめ、若くはこれに超越せしめざる可からず。予の単に自家の実験を語ることを許されん乎。予の留学生仲間は、洋行中始より自家の見を立てゝ動かざりし者は、帰郷後の学問上成績小に、洋行中先づ己を虚しくして教を聞き、久しきを経て纔に定見を得し者は、帰郷後の成績大なりき。予の如きは、固より言ふに足らずと雖、始て欧洲に入りし時は、宛も所謂椋鳥の都に入りし如くなりき。而して今に至るまで毫もこれを悔ゆることなし。是故に予は毎に謂へらく。若し洋行の効果の充分ならんことを欲せば、洋行前の心理上能覚受性(APPERCEPTION)を抛ち、彼地に至りて新に此性を養成せざる可からず。箪笥を負ひて往き、学問を其抽箱に蔵せんと欲するは不可なり。彼地に至りて箪笥を造らざる可からずと。然れども坪内氏は文学博士にして、其の送る所の島村氏は文学者なり。文学若くは哲学と宗教とは、曾て自然学の影響を受くと雖、猶大に自然学当体即ち理学医学等と其趣を殊にす。所謂純文学の源氏物語を云々しFAUSTを云々する者は姑く置く。今の欧洲哲学のをWUNDTをして代表せしむ可き流派は、帰納法を用ゐ、自然学に倣ひ、単一問題を追究して、形而上学、少くも古来の義に於ける形而上学を疎外す。此流派の人心を満足せしむるに足る世界観を構成せんことは、恐らくは難かるべし。故に古来の義に於ける形而上学を以て哲学の精髄と為し、此間に求むることあらん者は、洋行して後始て見を立つることを須ゐざるならん。宗教の如きも、東洋存ずる所の仏教若くはこれと相前後せる印度哲学の深奥なること、恐らくは基督教に譲らず。故に宗教上諸学を究むる者も、亦洋行して後始て見を立つることを須ゐざるべし。唯々上述のWUNDTをして代表せしむべき哲学の流派に入る者若くはMAX MUELLERが自然学に算せる博言学を修むる者には、或は自然学者と相似たる感をなして、洋行後始て根抵を得ることなきにしも非ざるべき歟。坪内氏の言の如きは、或は一種の洋行哲学者に切なれども、洋行して諸学科を修むる者を通じて此説をなすべからざらんも、亦知る可からず。且希有の天才は常人を以て律すべからず、今後の洋行者中に個人として定見を持して往く者多かるべきや否は、予の知らざる所なり。姉崎氏は、今の独逸の学問宗教の根抵は取るに足らずと為して、僅に一縷の望をNIETZSCHE主義の流行とSPIRITISMUSの未来とに繋げり。予は其学問の方嚮を見て、其の洋行を悔ゆることの理なきに非ざるを覚ゆ。姉崎氏の哲学を論ずるや、曰く。今の客観主義は感覚的事物の分析に走りて、精神中心の綜合を忘れたりと。是れ上述のWUNDTをして代表せしむべき流派を排するなり。人ありて此流派を排し、精神の綜合を形而上学に求めば、今の独逸の学問界は固よりこれを満足せしむるに由なく、此人はNIETZSCHE崇拝家に同情を寄せ、又SPIRITISMUSに属望するにも至るなるべし。姉崎氏は自然学の破産に近づきつゝあるを思量せり。予は其の果して然るや否を知らず。而れどもNIETZSCHEのHERRENMORALの能く未来学風の基址を立てんや否や、SPIRITISMUSの能く心と物質との橋梁を造らんや否やも、亦予の知らざる所なり。其の宗教を論ずるや、又曰く。LUTHERは曾て羅馬教皇の覊絆を断ちたりと雖、これに代はる者は専制君主(MONARCH)の桎梏のみと。或は然らん。PROTENTISMUSは、其名の表するが如く、素と消極の事蹟にして、縦令其中に基督の精神を復し得たる処なきに非ざりしならんも、後に至りて幾多の弊害を醸し成しゝことも、復た争ふ可からず。姉崎氏の失望は、其属望の過大なりしに因るには非ざる歟。黄禍(YELLOW EVIL)を懼るゝ独逸帝の言動の、姉崎氏を激するに足りしことは、想像し難からず。姉崎氏は独逸学風の忌む可きを説きて、大学の講説の価値なきこと、書籍製造の弊あること、KOCH師がTUBERCULIN報告の太早計なりしこと、博言学者の研究の煩瑣にして、其夥伴の細事の為めに反目すること等に及べり。大学の講説の傾聴するに足らざるは、略ど大綱を挙げて、主に既成の果実を伝ふるに止まればなり。恐らくは怪むに足らざるべし。所謂書籍製造の弊は、或は独逸の他国より甚しきことあらん。而れども良書の出つることも、亦比較上独逸を多しとするを忘る可からず。KOCH師の報告の早きに過ぎたると否とは敢て問はず。研究の業を重んずる風習は、其暗黒面に於いて、価値少き業の濫出を致し、彼にSTREBERと称する一種の野心家の、無用の報告を競ふことは屡々これ有り。而れども恐らくは以て研究精神当体を累するに足らざるならん。彼の諸科の専門家中、事業の煩瑣に渉り、党を立てゝ相反目するものあるが如きも、亦同じく以て学界の分業主義当体を累するに足らざるならん。予は姉崎氏の取る所の学問上方嚮を非難するに意あるに非ず。
予は唯々以為へらく。姉崎氏の洋行を悔ゆるに至りたるは、其の取る所の方嚮に本づき、其の取る所の方嚮は、必ずしも今の欧洲学界の唯一の方嚮に非ず。他の自然学若くはこれと研究法を同じうする哲学に従事する者は、或は姉崎氏と洋行に関する意見を同じうすること能はざるべしと。若し予の見る所にして大過なくば、近時流布する所の洋行論は、或は個人に切なることあるべしと雖、通論に非ず、或は一派哲学者宗教学者に切なることあるべしと雖、通論に非ず。
 予は以為へらく。今の学者の自信即ち近時見る所の洋学衰替の諸兆の原因は、恐らくは一般に通じて堅固なる根抵を有する者に非ずと。独り奈何せん、大家の言論は衆聴を聲動し易く、洋学東漸の潮流の或はこれが為めに防遏せられんことを。若し我国に学問の種子を下すに宜しき田地ありながら、これを開拓することを怠り、甚だしきに至りては、曾て輸入せし所の学問の旧果実は既に用ゐ尽して、復た其新果実を輸入することをだに為さゞらん乎。国家の不利恐らくは太甚しかるべし。聞説らく。元の本師団の参謀長陸軍少将山根武亮閣下は、北清より帰りて、熊本に於いて演説して曰く。我国は西洋諸国を摸倣することに由りて、今の好結果を見たり。今より後も只管これを摸倣して可なりと。言稍々奇なりと雖、恐らくは予の意と契合するならん。
 予は此講話を終るに臨みて、本師団に於ける外国語学習の、今より後益々隆盛に赴かんことを希望す。是れ単に以て交際の且ハたらしめんと欲するに非ず。予は外国語を以て、併せて外国学を研究する用に供せしめんと欲するなり。或は曰く。既往の外国語を修めし者は、能く書を読みて、其語を口にすること能はず。今後は唯々会話せよ。書を読むこと勿れと。予は真に外国語に通ずるもの丶、会話と読書と、之くとして不可なることなきを信ず。若し会話のみにして足ると曰はゞ、是れ庖丁の外国語のみ。

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