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久米正雄「熊」

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久米正雄

 北海道で生れた私の友達が、或日私の近所の子供たちの前でこういう熊の話をして行きました。

      一

 熊といいますと、いうまでもなく恐しい猛獣ですが、熊だって何も好き好んで人を殺すのではありません。人が熊を恐しがるように、矢張熊の方でも人が恐いのです。そして人が来るのを知れば、熊の方で先《まず》逃げてくれるのです。けれども両方がふいに出合うか、どうしても顔を合せる外《ほか》仕方のないような路《みち》ででも出合うと、熊も絶体絶命になって、激しく襲い掛るのです。ですから北海道の山道などでは、わざと人様のお通りを知らせるために、豆腐屋かガタ馬車の御者が持つ、あの喇叭を吹いて歩くのです。夕方の青い靄がかかった谷間《たにあい》なぞを、郵便の逓送夫が腰にはピストルをさげ、てとてとてとと喇叭を吹き鳴らしながら、走って行くのはなかなかいいものでございます。
 私はある時、一人の行商人《たびあきんど》から、こういう話を聞きました。その行商人は、十勝《とかち》の高原のあるところで、夕方、道に行《い》き暮れてしまいました。足は疲れるし、お腹《なか》は減るし、どこか人家がないものかと思って、なおも重たい足を引き擦ずって行きますと、その中に一面の唐黍畑《もろこしばたけ》の中へ出ました。見るとその畑の中に、何やら黒く動くものが見えました。もとより人の背《せ》よりも高い唐黍《もろこし》が茂っているのですから、何ものだかはっきり分りません。けれども唐黍畑の中に今時分いるものは、まさか人間の外にあろう筈はないと思いました。それでやっと生き返ったような思いをしながら、人家のあるなしでも尋ねようと思って、何気なしにその方へ近よりました。
 するとその間が僅か五間ほどになって、よくその黒いものを見定めますと、それは思いがけない、「親爺《おやじ》」ではありませんか。北海道では熊のことを、俗に親爺というのです。
 行商人はびっくりして立ち竦みました。それと同時に、熊の方でも、初めてこっちの姿を見て、今まで舐めずっていたほの赤い舌の動きを止《とど》めて、きっとこっちを見返しました。さあ、こう顔を見合せてしまっては、もう逃げようも避けようもありません。行商人は一時まつ蒼《さお》になってしまいました。
 とたんに、彼はふと神様のお啓示《さとし》のように、大へんうまいことを思いつきました。どうすることも出来なくなったような場合、人にはふいに意外な思い付が浮ぶものです。彼は手に持っていた洋傘《こうもり》を、自分の体の前へばっとさしかけました。そして又それをすっと窄《すぼ》め、又ばっと開きすっと窄《すぼ》めして、洋傘の陰に身をかくしながら、思い切って熊の方へ進んで行きました。
 彼はこうして洋傘を開《あ》け閉《た》てしながらも、今熊が飛びかかるか、今飛びかかるかと冷々して、静かに近づいて行ったのです。やがて五間も進み寄りました。そしてもう熊のいたあたりへ来たと思ってもまだ熊は襲い掛りません。で、恐る恐る洋傘を畳んで、前の方を見ましたら、熊はもう逃て影も見えませんでした。
 彼は思わず今までの危《あやう》かったことを忘れて、微笑みを洩らしました。それは洋傘を開《あ》け閉《た》てした形が、熊には何と見えたろうと考えたからです。ほんとに熊にはどんな怪物に見えましたろう。

       二

 もう一つ、これはある牧場《まきば》の男から聞いた、熊と牡牛との喧嘩のお話をいたしましょう。
 北海道では御承知のとおり、広い野原がありますので、牧畜が大へん盛かんです。そして大抵の牧場《まきば》には、逞しい牡牛が飼ってあります。この牡牛の強いのになると、熊と喧嘩をしても負けないのです。その牧夫《ぼくふ》(牧場《まきば》に働いている男のこと)が見たというのも、その勇ましい喧嘩の一つでした。
 これもある夕方です。いつも放し飼いにしてある牡牛が、日暮になれば小屋へ帰って来るのに、どうしたものかその時戻りませんでした。
 で、不思議に思った牧夫は、まさかそんな大事が起っているとは知らず、牧場《まきば》の隅々を探しに出掛けました。
 すると、そこの牧場《まきば》の片隅の、大きな立木《たちぎ》の二三本ある陰で、牡牛が一匹の熊を相手に、じっと睨み合いをしているじゃありませんか。
 彼は驚いて逃げようといたしました。が、足が竦んで走れません。それにまたこの二匹の睨み合が、果してどうなるかと思うと、こわいもの見たさに魂を奪われ、幸《さいわい》に傍《かたわら》の立木の陰に身を寄せて、顫えながら見ていました。熊と牛とはお互の争いに気を取られて、彼の見ているのなぞには気がつきません。
 熊と牛とは猶も永い間睨み合っていました。けれどもその間に、牡牛は後足《あとあし》で土をしきりに掘って、自分の足場がうまく据《すわ》るように、土地に凹《くぼ》みを拵《こしら》えました。そしてそれが出来上ると、どっかとそこへ足を折って坐《すわ》り、身を沈めるようにして、熊の方の近よるのを待ちました。
 熊の方でも気味が悪いから、おいそれとすぐ手出しはいたしません。牛の様子をじっと見ていながらただ頃合《ころあい》を計るように睨んでいるだけでした。
 牡牛の方では戦闘準備が出来たから、もうちょっとも動きません。ただ赤く血走った目を明けて、じっと低い所から熊を窺っているばかりです。熊は永い間睨んでいましたが、もう自分の方から進まなければ、いつまで立っても埒が明かないと思ったものか、今、じりじりと牡牛の方へ、黒く重たそうな体を押し進めて行《ゆ》きました。
 彼等はもう三尺ほどを隔てて、向い合いました。が、まだ熊は襲いかかりません。牛も黙っています。こうして、また五分間ほど睨み合いました。まるで二匹の様子は、はち切れるほど力が這入《はい》って、しかも林のように静かなのです。やがて熊は思い切ったように、奮然と後足《あとあし》で立ち上ると、その右手を牛の左の角へぐいとばかりに掛けました。が、牛はまだ動きません。暫くすると、今度は熊がその左の手を牛の右の角へぐいと掛けました。
 するとそのとたんに、牛は待っていたと言わんばかりに、全身の力を角に集めてぐいと熊の腹を突き上げました。ふいを食《くら》った熊は、その角を避ける余裕もありません。
 一突きつき上げてしまってからは、もう何と言っても勝負は牛のものです。一たん突ぎ上げられた熊が必死になって、掻き裂こうとするけれど、突き上げ突き上げ体《からだ》を進めて、殆んど熊の体が地につかぬ程手玉に取りながら、その喧嘩を始めた場所から四五間向うの、大きな立木《たちぎ》の根元まで押して行きました。そしてその幹へ熊の体をぎゅッと角で押しつけてしまいました。
 こうしていつまでも動かないので、やがて恐る恐る牧夫が行って見ますと、お腹を滅茶々々に突き裂かれた熊を、しかと幹へ抑えつけた儘、いつの間にか牡牛の方も死んでおりました。さすがに強い牡牛さえも、その争いに力を出し尽して、相手が死んだのを見て取ると、ほっと安心して息が絶えてしまったものと見えます。牧夫はそんな凄《すさま》じい争いを、生涯中に見たことがなかったそうです。

次の本で校正しました:「北海道文学全集 第5巻」立風書房
   1980(昭和55)年5月10日第1刷発行

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