|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

豊島与志雄「天下一の馬」


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

豊島与志雄「天下一の馬」

              
 或《ある》田舎《いなか》の山里に、甚兵衛《じんべえ》という馬方《うまかた》がいました。至ってのん気者で、お金がある問はぶらぶら遊んでいまして、お金が無くなると働ぎます。その仕事というのは、山から出る材木を、五里ばかり先の町へ運ぶのであります。ぷ一んと新らしい木の香《かお》りがする、丸や四角の材木を、丈夫な荷馬車に積み上げ、頸《くび》のまわりに鈴をつけた黒馬《くろうま》に引かして、しゃんしゃんばっかばっか……と、朝早くから五里の街道《かいどう》を出かけて、夕方までには家《うち》へ帰って来ます。その馬がまた甚兵衛の自慢でした。何しろ馬方にとっては、馬が一番大切なものです。甚兵衛は親譲りの田畑《たはた》を売り払って、その馬を買い取ったのでした。世に珍らしい艶々《つやつや》とした黒毛の若駒《わかこま》で、脊《せ》も高く骨組も逞《たくま》しく、ひひんと嘶《いなな》いて太い尾を打振りながら、ばっかばっかと街道を進む姿は、見るも勇ましいものでした。多くの馬方の馬のうちでも、一番立派なこの自分の黒馬を、甚兵衛は大層《たいそう》可愛《かわい》がって大事にしていました。
 夂の或晴れた日に、甚兵衛ぱいつもの通り、材木を荷馬車に積み黒馬に引かして、町へ出かけて行きました。お昼頃《ひるごろ》町へ着いて、材木を問屋《といや》の庭に下《おろ》し、弁当を食べ馬にも飼葉《かいば》をやり、それから家へ帰りがけました。ところが、空がいつしか曇ってきて、寒い北風まで加わって、雪がちらちら降り始めました。甚兵衛は馬を雪にあてないようにと、途中の立場茶屋《たてばちゃや》に二三時間休みますと、幸《さいわい 》にも雪が止《や》みましたので、これならば泊ってゆくにも及ばないと思って、急いで家へ帰りがけました。けれど二三時間休んだために、短い冬の日はもう暮れかけて、おまけに曇り日なものですから、途中で薄暗くなってしまいました。
「これは困った。」と甚兵衛は独語《ひとりごと 》を言いながら、振向いて馬の頸筋《くびすじ》を平手《ひらて》で撫《な》でてやりました。
「こう薄暗くなつちゃあ、お前《めえ》も歩きにくかろうし、寒くもあろうが、まあ辛抱しなよ。その代り、家へ戻ったら、うんと御馳走《ごちそう》してやるからな。」
 馬はその言葉が分ったように、ひひんと一声高く嘶《いなな》いて、しゃんしゃんばかばかと、鈴の音《ね》も蹄《ひづめ》の音《おと》も勇ましく、足を早めに歩き出しました。
 そうして、人通りの絶えた薄暮《うすぐれ》の街道を、とある崖《がけ》の下までやって来た時のことです。崖の褫《すそ》の叢《くさむら》の中から、うっすらと積ってる雪の上に、猫《ねこ》くらいの大ぎさの真黒《まっくろ》なものが、いきなり飛び出して来て、甚兵衛の前に両手をついて、ぴょこびょこお辞儀をするじゃありませんか。
「馬方の甚兵衛さん、お願いですから、助けて下さい。」
 初めびっくりした甚兵衛は、話しかけられたのでなおびっくりして、立止ってよく見ますと、人間とも猿《さる》ともつかない顔付をし、体《からだ》のわりには妙にひよろ長い手足の先に、山羊《やぎ》のような蹄《ひづめ》が生《は》えていて、真黒な一重《ひとえ》の短い胴着《どうぎ》の裾から、小さな尻尾《しつぼ》がのぞいていました。
「おやあ。変な奴《やつ》だな。」と甚兵衛は言いました。「お前は一体何だい…」
「山の子僧ですよ。」
「山の子僧だって?」
 その時甚兵衛は、或書物の中に書いてあった絵を思い出しました。顔が人間と猿との間で、手足の先が山羊の足のようで、小さな尻尾があって、真黒な胴着をつけてるのが、悪魔の姿として絵に書いてあったのです。
「嘘《うそ》を言うない。」と甚兵衛は言いました。「お前は悪魔の子供だろう。」
「ええ、悪魔の子供です。山の子僧とも言うんです。」
「あはは、悪魔の子供か。」と言って甚兵衛ぱ笑い出しました。「悪魔の子供が、何だってこんな処《ところ》にまごまごしてるんだい?」
 そこで悪魔の子は、訳を話してきかせました。それによると、この悪魔は、一週間ばかり前の暖《あったか》い日に、五六人の仲間と一緒に山から出て来て、田畑の中を駆け廻《まわ》ったり土の下にもぐったりして、面白く遊んでいました所《ところ 》が、遊びにまぎれてうっかりしてるうちに、一匹《びき》の猟犬からふいに尻尾へ噛《か》みつかれました。そしてようようのことで猟犬から遮《のが》れはしましたが、悪魔に一番大切な尻尾の先を、半分ぽかり噛みきられて、宙を飛んだり物に化けたりする術を失ってしまい、その上仲間の者とぱばぐれてしまって、仕方なしにその崖下の叢《くさむら》に隠れているのでした。何しろ尻尾の先にひどい傷を受けたものですから、魔法の力を失ってしまって、遠い山奥に帰ることも出来ないし、夜になって食物《たべもの》を探《さが》しに出かけると、多くの犬に吠《ほ》え立てられるし、寒い晩には尻尾の傷跡が痛んでくるし、どうにも仕方がなくなったのです。そして一週間の間、飢《う》えと寒さと痛みとに苦しめられて、崖下で震えている所へ、甚兵衛が通りかかったのを見て、たまらなくなって飛び出したのです。
「お願いですから救って下さい。」と悪魔の子は地面へ頭をすりつけて頼みました。
 なるほどよく見ると体《からだ》は痩《や》せ細り、尻尾の先には生々《なまなま》しい傷があって、寒さにぶるぶる震えています。
「俺《おれ》ぱまだ悪魔を助けたことがないが、どうずればいいのか。」と甚兵衛は尋ねました。
「なに雑作《ぞうさ》もないことです。」と悪魔の子は言いました。「あなたの馬は実に立派で、真黒な毛並がつやつやしてるから、私は一目《ひとめ》で好きになってしまいました。それで、その馬の腹を暫《しばら》く惜して下さい。長い間ではありません。二月一杯まででいいんです。三月になればもうだいぶ暖《あったか》になりますし、それまでには尻尾の傷もなおりますから、私は自由に飛び廻れるようになります。それまでの間、私をその馬の腹の中に住まわせて下さい。悪魔の王に誓っても、決して害は致《いた》しません。害をしないどころか、私が腹の中に住んでる間は、あなたの馬を十倍の力にしてあげます。どうぞお願いします。」
 それを聞いて、甚兵衛はひどく当惑しました。大事に可愛がってる黒馬の腹を、悪魔の宿に借そうなどとは、夢にも思わないことでした。けれどもそれを断れば、悪魔の子はきっと飢え死にか凍え死にかするに違いありません。いくら悪魔だからといって、そんなに頼むのを見殺しにも出来ません。その上宿を倍したとて、別に害はしないで、馬の力を十倍にしてくれるというのです。はてどうしたものかと甚兵衛は思案にあぐんで、この上は馬と相談の上だと考えて、馬の頸《くび》をなでながら、どうしたものだろうと尋ねてみました。黒馬はその言葉が分ったかどうか、うなずくように頭を振っています。
「馬が承知のようだから、宿を倍してあげよう。その代りに約束を守って、二月の末までだぞ。」
と甚兵衛は言いました。
 悪魔の子は大層《たいそう》喜びました。甚兵衛が馬のロを開いてやると、いきなりぴょんと飛び込んで、腹の中にはいってしまいました。それを見て甚兵衛は、あはははと声高《こわだか》に笑い出しました。
 ところが驚いたことには、甚兵衛が馬に一鞭《ひとむち》あてて帰りがけると、その馬の足の早いこと、ま
るで宙を飛ぶように進んで行きます。甚兵衛はとても追っつかないので、馬車の上に飛び乗りま
すと、黒馬はひひんと高く嘶《いなな》いて、瞬《またた》くまに家まで駈《か》け戻りました。
 その翌日から大変です。悪魔の子が言った通りに、甚兵衛の黒馬は十倍の力になって、材木を山のように積んだ荷車を、坂道も何も構いなく、がらがらと駆け通しに引いて行きます。町まで五里の道を往復するのに、今|迄《まで》一日かかっていましたのに、その日からはいくら沢山材木を積んでも、三度ぐらいは平気で往復するようになりました。甚兵衛は歩いてはとても追っつけませんので、往《ゆ》きも帰りも車の上に坐《すわ 》り通しでした。これは素敵《すてき》なことになったと、甚兵衛はひどく喜んで、上等の飼葉《かいば》や麦や米や豆などを、毎日馬に御馳走《ごちそう》してやりました。馬の黒い毛並はなおつやつやとしてきて、以前にも増して立派になりました。
 さあそうなると、村でも町でも大評判《おおひょうばん》です。甚兵衛の馬が山のように材木を積んだ荷車を引いて、山坂を自由自在に駆け通して、五里の道を日に三度も往復するのを、皆《みな 》眼を丸くして眺《なが》めました。中には甚兵衛に向って、どうして馬がそう強くなったかとか、いくらでも金を出すから馬を売ってくれないかとか、いろんなことを言い出す者もありましたが、甚兵衛はただ笑って取合いませんでした。
「天下一の黒馬だ。はいどうどう……。」と甚兵衛は得意げに馬の手綱《たづな》をさばきました。
 そして元来《がんらい》懶《なま》け者《もの》ののん気な甚兵衛も、馬を走らせるのが面白くなって、毎日材木を運びましたので、大変お金をもうけました。雪がひどく降る日なんかは、さすがに休もうと思いましたが、馬の方で休むことを承知しません。朝早くから馬小屋の中で跳《は》ね上ったり嘶《いなな》いたりして、どんな天気の悪い日にも勇ましく出かけて行きました。
 所《ところ》が二月の末に近づくにつれて、馬の腹がだんだん大きくなってきました。甚兵衛はびっくり
して、その大きな腹を撫《な》でてやったり、馬の病気に利《ぎ》くという山奥の隈笹《くまざさ》を食べさせたりしましたが、何の効《きぎめ》もありませんでした。仲間の馬方達に見せても、どうしたのか誰にも分りませんでした。甚兵衛は大層心配しましたが、どうにも仕方がありません。これはきっと腹の中の悪魔の仕業《しわざ》だろうとは思いましたが、二月の末までと約束したのですから、今更取返しはっきませんでした。それに、馬はただ腹が大きくなったばかりで、休《からだ》にも元気にも少しも衰えは見えませんでした。
「まあいいや、二月の末まで待ってみよう。害はしないとあいつは約束したんだから、大抵《たいてい》大丈夫だろう。」
 そして甚兵衛は、二月の末になるのを待ち焦れました。馬は相変らず元気で、毎日材木の荷車を引きました。
 愈々《いよいよ》二月の末になりますと、甚兵衛はほっと安心して、その日一日馬を休ませ、折角のことだ
から今晩まで悪魔に宿を借そうと思って、そのまま馬を小屋に繋《つな》いでおき、うまい御馳走《ごちそう》を食べさせて、自分は早くから寝てしまいました。
 するとその翌日、三月一|日《じつ》の夜明け頃《ごろ》、馬小屋で馬がひどく暴《あば》れてる音がしたので、甚兵衛はびっくりして起き上りました。行ってみますと、馬は歯をくいしばって、時々苦しそうに跳《は》ね廻《まわ》っています。いくらそれを静めようとしても、どうしても静まりません。甚兵衛は訳が分らなくて、まごまごするばかりでした。
「甚兵衛さん、甚兵衛さん。」
 どこからか自分を呼ぶかすかな声がしましたので甚兵衛はびっくりしてあたりを見廻しましたが、誰《だれ》もいませんでした。するとまたどこからか、かすかな声がしました。
「甚兵衛さん、甚兵衛さん。」
 その声がどうやら、馬の口から出てくるようでしたから、甚兵衛は馬のロに耳をあててみました。
「甚兵衛さん、私ですよ。」
 その声に甚兵衛は急に思い出しました。
「やあお前は悪魔の子だな。何だってまだ馬の腹の中にまごまごしてるんだい。もう三月一|日《じつ》だぜ。約束の期限はきれたから、早く出て来いよ。」
 すると馬の口の奥から、悪魔の子が言いました。
「実は困ったことが出来たんです。いい気持で馬の腹の中に住んでいまして、毎日御馳走を沢山下さるので、のん気に構え込んでいますうちに、期限が来たのでいざ出ようとすると、私はまるまると肥《ふと》って大きくなったと見えて、馬の喉《のど》に一杯になってしまうんです。無理に出ようとすれば出られないことはありませんが、馬が苦しいと見えて、この通り歯をくいしばって暴れて困ります。ですから、馬に一つ大きな欠呻《あくび》をさして下さいませんか。欠呻をして口と喉とを大きく開《あ》いた拍子に、私はひょいと飛び出しますから。さもなければ、いつまでも腹の中に住んでるか、または腹を食い破って出るかだけです。その代り欠呻をさして下さると、この馬を百倍の力にしてあげましょう。」
「なるほど、それじゃあ馬に欠呻をさせるから、静《しずか》にして待っていてくれ。」と甚兵衛は答えました。
 所《ところ》が、馬に欠呻をさせるのが大変です。第一馬の欠伸などというものを、甚兵衛はまだ見たこ
とがありませんでした。脇腹《わきばら》をつっついたり、鼻の穴に棒切をさしこんだりしてみましたが、馬
は擽《くすぐ》ったがつたり嚏《くしゃみ》をしたりするきりで、欠伸をする気配さえもありませんでした。それかってこのままにしておけば、悪魔の子が馬の腹の中で益々《ますます》大きくなって、自然に腹が裂けるか腹を食い破られるか、どちらかになるより外《ほか》はありまぜん。親譲りの田畑を売った金で買った黒馬が、
天下一と自慢していた美事《みごと》な黒馬が、そんなことになったらどうでしょう。甚兵衛もこれには途方にくれてしまいました。
「馬に欠呻をさせる仕方を知ってるものはいませんか。」
 そう言って甚兵衛は、仲間の馬方や村の人達の間を尋ね廻りましたが、誰一人としてそんなことを知ってる者はいませんでした。甚兵衛はがっかりして家に戻ってきて、とんだことになったと溜息《ためいぎ》をつきながら、しみじみと馬の顔を眺《なが》めました。この馬はやがて悪魔のために腹を破かれるのかと思うと、悪魔に宿を借したのが後悔されたり、馬と別れるのが悲しくなったりして、いつまでも一心に馬の顔を眺めていました。馬は重そうな大きな腹をして、やはり甚兵衛の方を悲しそうに見ていました。
 するうちに、馬の顔を一心に見入《みい》っていた甚兵衛は、眼がくたぶれてきてぼんやりして、思わず大きな欠呻を一つしました。それにつれて馬も一緒にはーッと大きな欠呻をし始めました。はつと気付いた甚兵衛が、しめた! と叫ぶと同時に、馬の大きな口から、まるまると肥《こ》え太った悪魔の子が、ひょいと飛び出してきました。
「甚兵衛さん、長々馬の腹を宿に借りて、ほんとに有難うございました。お礼のしるしに、これからあなたの黒馬は、百倍の力になりますよ。」
 ぴょこんと不恰好《ぶかっこう》なお辞儀をして、傷のなおった尻尾《しつぼ》を打振りながら、宙に飛びあがったかと思うまに、悪魔の子はどこへともなく飛び去ってしまいました。
 そのうしろ姿を見送って、甚兵衛は呆気《あっけ》にとられてぼんやりしていましたが、ひひんと一声高く馬が嘶《いなな》いたので、初めて我に返って、馬の頭を撫《な》でてやりながら、あはははと大声に笑い出しました。
 それからというものは、甚兵衛の黒馬は、百人力……百|馬力《ばりき》になって、大層な働きをしました。世間の人達は呆《あき》れ返って驚きました。甚兵衛一入は澄ましたもので、いつも謎《なぞ》のような鼻唄《はなうた》を歌って、街道《かいどう》を往《ゆ》ぎ来《き》しました。
「悪魔だからといったって、
困ってるなら泊めてやれ。
悪魔の子供を呑《の》み込んで、
欠呻《あくび》と一緒に吐き出した、
天下第一の黒馬だ。
はいどうどう、はいどうどう。」

メニュー

更新履歴
取得中です。