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怪談牡丹燈籠 第二十回


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怪談牡丹燈籠第十一編
第二十回
|讖言警《しんげんいましめて》ン|険幸捕二兇賊一
易占弁《けんをさいわいにとらうぎようそくをえきせんべんじて》レ|惑再二会慈母《まどいをさいくわいすじぼに》一

 孝助は新幡随院にて主人の法事をしまい、その帰り道に逃れがたき剣難あり、|浅傷《あさで》か|深傷《ふかで》か、運わるければ斬り殺されるはどの剣難ありと新幡随院の良石和尚という名僧知識の教えに相川新五兵衛も大いに驚き、孝助はまだようやく二十二歳、ことにかわいい娘の養子といい、お|主《しゆう》の仇を討つまでは大事な身の上と、いろいろ心配をしながらうち連れ立ちて帰る。孝助はたとえいかなる災いがあっても、それを恐れて一歩でも退くようでは大事をしとげることはできぬと思い、刀に|反《そり》を打ち、目釘を湿し、鯉口を切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて参り、相川は重箱を|提《さ》げて、孝助気をつけて行けと云いながら参りますると、向うより|薄《すすき》だたみを押し分けて、血刀を提げ飛び出して、物をも云わずに孝助に切りかかりました。この者は栗橋無宿の伴蔵にて、栗橋の世帯を|代物《しろもの》付ぎにて売り払い、多分の金をもって山本志丈と二人にて江戸へ立ち退き、神田佐久間町の医師|何某《なにがし》は志丈の懇意ですから、二人はここに身を寄せて二、三日逗留し、八月三日の夜、二人は更けるを待ちまして忍び来り、根津の清水に埋めておいた金無垢の海音如来の尊像を掘り出し、伴蔵は手早く懐中へ入れましたが、伴蔵の思うには、わが悪事を知ったは志丈ばかり、このままに生けおかばのちの恐れと、伴蔵は差したる刀抜くより早く飛びかかって、だしぬけに力に任して志丈に切りつけますれば、アッと倒れるところをのしかかり、一刀|逆手《さかて》に持ち直し、|肋《あばら》へ突き込みこじり廻せば、山本志丈はそのままにウンと云って身をふるわせて、たちまち息は絶えましたが、この志丈も伴蔵に組し、悪事をした天罰のがれがたくかかる非業をとげました。死骸を見て伴蔵は後へさがり、逃げ出さんとするところ、御用と声かけ、八方より取り巻かれたに、伴蔵も|慌《あわ》てふためき必死となり、捕方へ手向いなし、死物狂いに切廻り、ようやく一方を切抜けて|薄《すすき》だたみへ飛び込んで、往来の広いところへ飛び出す出合い頭、伴蔵は眼も眩み、これも同じ捕方と思いましたゆえ、ふいに孝助に斬りかけましたが、たいがいの者なれば真二つにもなるべきところなれども、さすがは飯島平左衛門の仕込みで真影流に達した腕前、ことに用意をしたことゆえ、それと見るより孝助は一歩退きしが、抜き合す間もなきことゆえ、刀の鍔元にてパチリと受け流し、身を引くとたんに伴蔵がズルリと前へのめるところを、腕を取って逆に捻じ倒し、
「ヤイヤイ曲者なんといたす。」
「ヘイまっぴら御免下さえまし。」
「ソラ出たかえ。孝助怪我は無いか。」
「ヘイ怪我はございません。コリャ狼藉者め、何らの意恨でわれに切りつけたか。次第を申せ。」
「ヘイヘイまったく人違いでござえやす。」
 と小声にて、
「今この先で友達と間違いをしたところが、皆なが徒党をして、大勢でわっちを討ち殺すと云って追っかけたものだから、一所懸命にここまでは逃げては来たが、眼が眩んでいますから、殿様とも心づきませんで、とんだ粗相をいたしました。どうかお見逃しを願います。そいつらに見つけられると殺されますから、早くお逃しなすってくだされませ。」
「まったくそれに違いないか。」
「ヘイ、まったく違えごぜえやせん。し
「ア丶驚いた。コレ人違いにもことによるぞ。切ってしまってから人違いですむか。べらぼうめ。じつに驚いた。良石和尚のお告げは不思議だなア。オヤ今の騒ぎで重箱をどっかへ落してしまった。」
 とあたりを見廻しているところへ、依田豊前守の組下にて|石子伴作《いしこばんさく》、金谷藤太郎という二人の御用聞が駆けて来て、孝助に向い|慇懃《いんぎん》に、
「ヘイ申し殿様、まことにありがとう存じます。この者はお尋者にて、旧悪のある重罪なやつでござります。私共はあすこに待ち受けていまして、つい取り逃がそうとしたところを、旦那様のお蔭でようやくお取り押えなされ、ありがとうございます。どうかお引渡しを願いとう存じます。」
「そうかえ、彼は賊かい。」
「大泥坊でござります。」
「おとっさま、呆れたやつでございます。この小埓者め。」
「なんだ。人違いだなぞと嘘をついて、嘘をつく者は泥坊の始まり、ナニとうに泥坊にモウなっているのだからしかたがない。すぐに繩をかけてお引きなさい。」
「殿様のお蔭でようやく取り押え、まことにありがとう存じます。どうかお名前をうけたまわりとう存じます。」
「不浄人を取り押えたとて姓名なぞを申すにはおよばん。コレコレコレ重箱を落したから捜してくれ。アヽこれだこれだ。危なかったノウ。」
「しかしおとっさま、なにぶん悪人とは申したがら、主人の法事の帰るさに繩を掛けて引き渡すはどうも忍びないことでございます。」
「なれどもそう申してはいられない。渡してしまいなさい。早く引きなされ。」
 捕方は伴蔵を受け取り、繩打って引き立て行き、その筋にて吟味のすえ、相当の刑に行なわれましたことはあとにて分ります。
 さて相川は孝助を連れて我が屋敷に帰り、互いに無事を喜び、その夜は過ぎて翌日の朝、孝助は旅支度の用恵のため、小網町辺へ行っていろいろ買物をしようと家を出て、神田旅籠町へ差しかかる。向うに白き|幟《のぼり》に人相|墨色《すみいろ》出翁堂勇斎とあるを見て、孝助は
「ハハー、これが昨日良石和尚の教えたには今日の八ツ頃には必ず逢いたいものに逢うことができると仰せあった占い者だな。仇の手がかりが分り、源次郎お国に廻り逢うこともやあろうか。なにしろ判断して貰おう」
 と思い、勇斎の門辺に立ってみると、名人のようではこざりません。竹の|打《う》っつけ窓に|煤《すす》だらけの障子を建て、脇に|槻《けやき》の板に人相墨色白翁堂勇斎と記してありますが、家の前などは掃除などしたことはないとみえ、ごみだらけゆえ、孝助は足を|爪立《つまだ》てながらうちに入り、
「おたのみ申します、おたのみ申します。」
「なんだナ、誰だ。あけてお入り。はき物をそこへ置くと盗まれるといけないから持ってお上がり。」
「ハイ、御免下さいまし。し
 と云いながら障子をあけてうちへ通ると、六畳ばかりの狭いところに、真黒になった今戸焼の火鉢の上に口のかけた土瓶をかけ、茶碗がころがっている。脇の方に小さい机を前におき、その上に易書を五六冊積み上げ、|傍《かた》への筆立には短き|筮竹《ぜえたけ》を立て、その前に丸い小さな硯を置き、勇斎はぼんやりと机の前に坐しましたさまは、名人かは知らないが、少しも山も飾りもない。じじむさくしているゆえ、名人らしいことは更にないけれども、孝助はかねて良石和尚の教えもあればと思って両手をつき、
「白翁堂勇斎先生はあなた様でございますか。」
「ハイ、始めましてお目にかかります。勇斎は私だよ。今年はもう七十だ。」
「それはまことに御壮健なごとで。」
「マァマァたっしゃでございます。お前は見て貰いにでも来たのか。」
「ヘイ手前は谷中の新幡随院の良石和尚よりのお差図で参りましたものでございますが、先生の身の上の判断をしていただきとうございます。」
「ハハア、お前は良石和尚と心安いか。アレは名僧だよ。知識だよ。じつに生き仏だ。茶はそこにあるから一人で勝手に|酌《く》んでおあがり、ハハアお前は侍さんだね。いくつだエ。」
「ヘイ、二十二歳でございます。」
「ハア顔をお出し。」
 と天眼鏡を取り出し、しばらくの間、相を見ておりましたが、大道の易者のように高慢は云わず、
「ハハアお前さんはマアマア家柄の人だ。シテこれまで目上に縁なくしてまことにどうも一々苦労ばかり重なって来るようなわけになったの。」
「ハイ、仰せの通り、どうも目上に縁がございません。」
「そこでどうもこれまでの身の上では、薄氷をふむがごとく、剣の上を渡るような境界で、大いに千辛万苦をしたことが顕われているが、そうだろうの。」
「まことに不思議、じつによく当りました。私の身の上には危ういことばかりでございました。」
「それでお前には望みがあるであろう。」
「ヘイ、ございますが、その望みは本意がとげられましょうか、いかがでございましょう。」
「望みごとは近く遂げられるが、そこのところがチト危ないことで、これという場合に向いたなら、水の中でも火の中でも向うへ突っ切る勢いがなければ、かならず大望は遂げられぬが、まず退くに利あらず進むに利あり。こういうところで、悪くすると斬り殺されるヨ。どうも剣難が見えるが、うまく火の中水の中を突っ切ってしまえば、広々としたところへ出て、何事もお前の思うようになるが、それはむつかしいから気をつけなけりゃいけない。もうこれきり見ることはないからお帰り、お帰り。」
「ヘイ。それにつきまして、私とうより尋ねる者がございますが、これはどうしても逢えないこととは存じておりますが、その者の生死はいかがでございましょう。御覧下さいませ。」
「ハハア見せなさい。」
 とまた|相《そう》して、
「ムヽ、これは目上だね。」
「ハイ、さようでございます。」
「これは逢っているぜ。」
「いいえ、逢いません。」
「イヤ、逢っています。」
「もっとも|今年《こんねん》より十九年以前に別れましたるゆえ、途中
で逢っても顔も分らぬくらいでありまするから、一緒におりましても互いに知らずにおりましたかナ。」
「イヤイヤ何でも逢っています。」
「小さい時分に別れましたから、ことによったら往来ですれ違ったこともございましょうが、逢ったことはございません。」
「イヤイヤそうじゃない。たしかに逢っている。」
「それは小さい時分のことゆえ。」
「ア丶ウルサイ、イヤ逢っているというのに、ほかにはなにも云うことはない。人相に出ているからしかたがない。きっと逢っている。」
「それは間違いでございましょう。」
「間違いではない。きめたところを云ったのだ。それよりほかに見るところはない。昼寝をするんだから帰っておくれ。」
 とそっけなく云われ、孝助は後が細かく聞きたいからもじもじしていると、また門口より入り来るは女連れの二人にて、
「ハイ御免下さいませ。」
「アヽまた来たか。昼寝がでぎねえ。オヽ二人か、何一人は供だと、そんならそこに待たしてこっちへお上がり。」
「ハイ御免下されませ。先生のお名をうけたまわりまして参りました。どうか当用の身の上を御覧を願います。」
「ハイこっちへお出で。」
 とまたこの女の相をよくよく見て、
「これは悪い相だなア、お前はいくつだえ。」
「ハイ四十四歳でございます。」
「これはいかん。もう見るがものはない。ひどい相だ。いったいお前は目の下にごく縁のない相だ。それに近々のうちきっと死ぬよ。死ぬのだからほかになんにも見ることはない。」
 と云われて驚きしばらく思案をいたしまして、
「命数は限りのあるもので、長い短いは致し方がございませんが、わたくしは一人尋ねる者がございますが、その者に逢われないで死にますことでございましょうか。」
「フウンこれは逢っているわけだ。」
「イエ逢いません、もっとも幼年の折に別れましたから、先でもわたくしの顔を知らず、わたくしも忘れたくらいなことで、すれ違ったくらいでは知れません。」
「なんでも逢っています。もうそれでほかに見るところも何もない。」
「その者は男の子で、四つの時に別れた者でございますが。」
 という側から、孝助はもしやそれかとあの女の側に膝をすりよせ、
「モシおかみさんへ少々伺いますが、いずれの方かは存じませんが、ただいま四つの時に別れたとおっしゃいますその人は、本郷丸山あたりで別れたのではございませんか。そしてあなたは越後村上の内藤紀伊守様の御家来沢田|右門《えもん》様のお妹御ではございませんか。」
「オヤマアよく知っておいでです。まことに、ハイハイ。」
「そしてあなたのお名前はおりえ様とおっしゃって、小出信濃守様の御家来黒川孝蔵様へおかたづきになり、その後御離縁になったお方ではございませんか。」
「オヤマァあなたはわたくしの名前までお当てなすって、たいそうお上手様、これは先生のお弟子でございますか。」
 と云うに孝助は思わず側により、
「オヽお|母様《かかさま》、お見忘れでございましょうが、十九年以前、手前四歳の折お別れ申した悴の孝助めでございます。」
「オヤマアどうもマア、お前がアノ悴の孝助かえ。」
「それだからさっきから逢っている、逢っているというのだ。」
 おりえは嬉し涙を拭い、
「どうもマア思いがけない。まことに夢のようなことでございます。そうしてたいそう立派におなりだ。こういう姿になっでいるのだものを、表で逢ったって知れることじゃアありません。」
「まことに神の引き合せでございます。お|母様《かかさま》お懐しゅうございました。私は昨年越後の村上へ参り、だんだん御様子を伺いますれば、沢田右門様の代も替り、お母様のいらっしゃいますところも知れませんから、どうがなしてお目にかかりたいと存じておりましたに、はからずここでお目にかかり、まずお|壮健《すごやか》でいらっしゃいまして、こんな嬉しいことはございません。」
「よくマア、さぞお前はわたしを怨んでおいでだろう。」
「そんな話をここでしては困るわナ。しかし十九年ぶりで親子の対面、さぞ話があろうが、いらざることだが、供に知れてもよくないこともあろうから、どこか待合か何かへ行ってするがいい。」
 「ハイハイ、先生お蔭さまでまことにありがとうございました。良石様のお言葉といい、あなた様の人相のお名人と申し、じつに驚きいりました。」
「人相が名人というわけでもあるめえが、皆こうなっている因縁だから見料はいらねえから帰りな。ナニちっとばかりおいて行くか。それもよかろう。」
「いろいろお世話さま、ありがとう存じました、孝助やいろいろ話もしたいことがあるからこうしよう。わたしは今馬喰《ばくろ》町三丁目下野屋《しもつけや》という宿屋に泊っているから、お前より一と足先へ帰り、供を買物に出すから、その後へ供に知れないように上っておいで。」
「さぞ嬉しかろうのう。」
「さようならば、これからすぐ見え隠れにお|母様《かかさま》のお後について参りましょう。それはそうと。」
 と云いつつも懐中より何ほどか紙に包んで見料をおき、厚く礼を述べ白翁堂の家を立ち出で、見え隠れに後をつけ、馬喰町へ参り、下野屋の門辺にたたずみ待っておるうちに、供の者が買いものに出て行きましたから、孝助は宿屋に入り、|下女《おんな》に案内を頼んで奥へ通る。
 「サアサアサアここへ来ナ、ほんとうにマアどうもねえ。」
 と云いながら孝助をつくづく見て、
 「見忘れはしませぬ幼な顔、お前の親御孝蔵殿によく似ておいでだよ。そうして、たいそう立派におなりだねえ。お前がおとっさまの後を継いで、今でもおとっさまはお存生でいらっしゃるかえ。」
「ハイ、お|母様《かかさま》、この両隣りの座敷には誰もおりはいたし
ませんか。」
「イイエ、わたしもきて間もないことだが、昼のうちは皆な買物や見物に出かけてしもうから誰もいないよ。日暮方は大勢帰って来るが、今は留守居が昼寝でもしているくらいだろうヨ。」
「フウ、さようなら申し上げますが、お|母様《かかさま》は私の四つの時の二月にお離縁になりましたのも、おとっさまがあの通りの酒乱からで、それからおとっさまはその年の四月十一日、本郷三丁目藤村屋新兵衛と申す刀屋の前で切り殺され、無残な死をおとげなされました。」
「オヤマアやはり御酒ゆえで、それだからわたしアもうお前のおとっさんではほんとうに若労をしぬいたよ。あの時もお前という|可愛子《かわいこ》があることだから、別れたいのではないが、兄が物堅い気性だから、あんな者へついてはおかれん、酒ゆえに主家をお暇になるような者には添わせておかんと、無理無体に離縁を取ったが、お行方のことはこの年月忘れたことはありませぬ。そうしておとっさまが亡くなっては、後で誰もお前の世話をする者がなかったろう。」
「サアおとっさまの|店《たな》受け弥兵衛と申しまする者が育ててくれ、私が十一の時に、お前のおとっさんはこれこれで死んだと話してくれましたゆえ、私もたとえ今は町人になってはおりますものの、元は武家の子ですから、成人の|後《のち》は必ずおとっさまの|仇《あだ》を報いたいと思いつめ、屋敷奉公をして剣術を覚えたいと思っていましたに、縁あって昨年の三月五日、牛込軽子坂に住む飯島平左衛門とおっしゃる、お|広敷番《ひろしぎばん》の|頭《かしら》をお勤めになる旗本屋敷に奉公住みをいたしたところ、その主人が私をばわが子のように可愛がってくれましたゆえ、私も身の上を明かし、親の仇が討ちたいから、どうか剣術を教えて下さいと頼みましたれば、殿様は御番労れのお|厭《いと》いもなく、夜までかけて御剣術を仕込んで下されましたゆえ、思いがけなく免許を取るまでになりました。」
「オヤそう、フウンー。」
「するとその家にお国と申す召使がありました。これは水道端の三宅のお嬢様が殿様へ御縁組になる時に、奥様に付いて来た女でございますが、その後奥様がお隠れになりましたものですから、このお国にお手がつき、お妾となりましたところ、隣りの旗本の次男宮野辺源次郎と不義を働き、内々主人を殺そうとたくみましたが、主人はもとより|手者《てしや》のことゆえ、容易に殺すことはできないから、中川へ釣船に誘い出し、船の上から突き落して殺そうということを私が立ち聞きしましたゆえ、源次郎お国をひそかに殺し、自分は割腹してもどうか恩ある御主人を助けたいと思い、昨年の八月三日の晩に、私が槍を持って庭先へ忍び込み、源次郎と心得突かけたは間違いで、主人平左衛門の|肋《あばら》を深く突きました。」
「オヤマアとんだことをおしだねえ。」
「サア私も驚いて気がちごうばかりになりますと、主人は庭へ下りて来て、ひそひそと私への懺悔話に、今より十八年前のこと、きさまの親父を手にかけたはこの平左衛門がまだ部屋住みにて、平太郎と申した昔のこと、どうか其方の親の|仇《あだ》と名乗り、きさまの手にかかりて討たれたいとは思えども、主殺しの罪に落すをふびんに思い、今日までは打ち過ぎたが、今日こそよい折からなれば、かくわざと源次郎のなりをしてきさまの手にかかり、なお委細のことはこの書置に認めおいたれば、後の始末は養父相川新五兵衛と共に椙談せよ。きさまはこれにて怨みを晴してくれ。しかる上は仇は仇、恩は恩、三世も替らぬ主従と心得、飯島の家を再興してくれろ、急いで行けとせき立てられ、養家先なる水道端の相川新五兵衛の宅へ参り、舅と共に書置を開いてみれば、主人は私を出した後にてすぐに客間へ忍び入り、源次郎と槍仕合をして、源次郎の手にかかり、最後をすると認めてありました。書置の通りに、ついに王入はその晩はかなくおなりなされました。また源次郎お国は必ず越後の村上へ立ち越すべしとの遺書にありますから、主の仇を報わんため、養父相川とも申し合せ、後を追いかけて出立いたし、越後へ参り、諸方を尋ねましたがいっこうに見当らず、またあなたのこともお尋ね申ましたが、これも分りませんゆえ、余儀なくこのたび主人の年回をせんため
に当地へ帰りましたところ、ふと今日御面会をいたしますとは不思議なことでございます。」
 と聞いて驚き小声になり、
「オヤア不思議なことじゃアないか。アノ源次郎とお国はわたしのうちにかくまってありますヨ。どうもマアなんたる悪縁だろう。不思議だねえ。わたしが二十六の時黒川のうちを離縁になって国へ帰り、村上にいると、兄がしぎりに再縁しろとすすめ、不思議な縁でお出入りの町人で荒物御用をたす|樋《ひ》の|口屋《くちや》五兵衛というもののところへ縁付くと、そこに十三になる|五郎三郎《ごろさぶろう》という男の子と、八つになるお国という女の子がありまして、そのお国は年はゆかぬが意地のわるいとも性の悪いやつで、夫婦の|相中《あいなか》を突ついてしようがないから、十一の歳、江戸の屋敷奉公にやった先は、水道端の三宅という旗本でな、その後奥様付きで牛込の方へ行ったとばかりで、後は手紙一本もよこさぬくらい、じつにひどいやつで、夫五兵衛殿が亡くなった時も知らせを出したに帰りもせず、返事もよこさぬ不孝者、兄の五郎三郎もたいそうに腹を立っていましたが、その後わたし共は子細あって越後を引き払い、宇都宮の杉原町に来て、五郎三郎の名前で荒物屋の見世を開いて、もはや七年いますが、ツイせんだってお国が源次郎という人を連れて来ていうのには、わたしが牛込のあるお屋敷へ奥様付きで行ったところが、若気の至りに源次郎様と不義いたずらゆえにこのお方はお勘当となり、わたしゆえに今は路頭に迷う身の上だから、まことにすまないことだが|隠《かく》まってくれろと云って、そんな人を殺したことなんぞはなんとも云わないから、源次郎への義理に今は宇都宮のわたしの家にいるよ。わたしはこの間五郎三郎から小遣を貰い、江戸見物に出かけて来て、まだこちらへ着いて間もなくお前にめぐり逢って、このことが知れるとは何たらことだねえ。」
「ではお国源次郎は宇都宮におりますか。ツイ鼻の先にいることも知らないで、越後の方から能登へかけ尋ねあぐんで帰ったとは、まことに残念なことでございますから、どうそお|母様《かかさま》がお手引きをして下すって、|仇《あだ》を討ち、主人の家の立ち行くようにいたしたいものでございます。」
「それは手引きをしてあげようともサ、そんならわたしはすぐにこれから字都宮へ帰るから、お前は一緒においで、だがここに一つ困ったことがあるというものは、あの供がいるからこれを聞きつけしゃべられると、お国源次郎を取り逃すようなことになろうもしれぬからこう。」
 と思案して、
「わたしは明日の朝供を連れて出立するから、今日のようにお前が見え隠れに後を追って来て、休むところも泊るところも一つところにして、互いに口をきかず、知らない者のようにしておいて、宇都宮の杉原町へいったら供を先へやっておいて、そうして二人で合図を示し合わしたらよかろうね。」
「お|母様《かかさま》ありがとう存じます。それではどうかそういう手筈に願いとう存じます。私はこれよりすぐに宅へ帰って、舅へこのことを聞かせたならどのように喜びましょう。さようなら明朝早く参って、この家の門口に立っておりましょう。それからお|母様《かかさま》先刻ツイ申し上げ残しましたが、私は相川新五兵衛と申す者の|方《かた》へ主人の|媒妁《なかだち》で養子に参り、男の子ができました。あなた様には初孫のことゆえお見せ申したいが、このたびはお取急ぎでございますから、いずれ本懐を遂げた後のことにいたしましょう。」
「オヤそうかえ、それはなにしてもめでたいことです。わたしも早く初孫の顔が見たいよ。それについても、どうか首尾よくお国と源次郎をお前に討たせたいものだのう。これから宇都宮へゆけばわたしがよき手引きをして、きっと二人を討たせるから。」
 と互いに言葉を誓え、孝助は暇を告げて急いで水道端へ立ち帰りました。
「オヤ孝助殿、たいそう早くお帰りだ。いろいろお買物があったろうネ。」
「イエ何も買いません。」
「なんのことだ。なにも買わずに来た。そんなら何か用でもできたかえ。」
「おとっさま、どうも不思議なことがありました。」
「ハ丶随分世間には不思議なこともあるものでねえ。何か両国の川の上に|黒気《こつき》でも立ったのか。」
「さようではございませんが、昨日良石和尚が教えて下さいました人相見のところへ参りました。」
「なるほど行ったかえ。そうかえ。名人だとなア。お前の身の上判断はうまくあたったかえ、あたったかえ。」
「ヘイ、良石和尚が申した通り、私の身の上は剣の上をわたるようなもので、進むに利あり、退くに利あらずと申しまして、良石和尚のお言葉といささか違いはござりません。」
「違いませんか。なるほど知識と同じことだ。それからヘイ、それから何のことを見て貰ったか。」
「それから私が本意を遂げられましょうかと聞くと、本意を遂げるは遠からぬうちだが、逃れがたい剣難があると申しました。」
「ヘへー剣難があると云いましたか。それはごく心配になる。また|昨日《さくじつ》のようなことがあるとたいへんだからねえ。その剣難はどうかしてのがれるような御祈濤でもしてやる
と云ったか。」
「イエさようなことは申しませんが、あなたも御存じの通り、私が|四歳《しさい》の時別れました母に逢えましょうか、逢えますまいかと聞くと、白翁堂は逢っていると申しますから、幼年の時に別れたるゆえ、途中で逢っても知れないくらいだと申しても、何でも逢っていると申し、ついに争いにな
りました。」
「ハアそこのところは少し下手糞だ。しかし当るも|八卦《はつけい》あたらぬも|八卦《はつけい》。そう身の上も何もかも当りはしまいが、強情を張ってごまかそうと思ったのだろうが、そこのところは下手糞だ。なんとか云ってやりましたか。下手糞とか何とか。」
「すると後から一人四十三、四の女が参りまして、これも尋ねる者に逢えるか逢えないかと尋ねると、白翁堂は同じく逢えているというものだから、その女はなに逢いませんといえば、きっと逢っていろと、また争いになりました。」
「アア、コリャからっぺた、まことに下手だが、そう当るわけのものではない。それには白翁堂も恥をかいたろう。お前とその女と二人で取って押えてやったか。それからどうした。」
「サァあまり不思議なことで、私も心にそれと思い当ることもありますから、その女には、おりえ様とおっしゃいませんかと尋ねましたところが、それがまったく私の母でございまして、先きでもおどろきました。」
「ハハァその占えは名人だネ。驚いたねえ。なるほど、フン。」
 これより孝助はお国源次郎両人の手懸りが知れたことから、母と示し合わせた一部始終を物語りますると、相川もおどろきもいたし、また喜び、まことに天から授かったことなれば、速やかに明日の朝遅れぬように出立して、めでたく本懐を遂げて参れということになりました。翌朝早天に仇討に出立をいたし、これより仇討は次に申し上げます。

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