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三遊亭円朝 怪談乳房榎 十一

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amizako

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十一

「いらっしゃいまし、お二階」
 というので両人は二階へ上がりました。
「浪江様、ここは煮売酒屋だアね。」
「煮売酒屋というがあるものか、ここはこの辺では名代の、これでも料理屋で。」
「料理屋だって、魚なんかア煮て客へ出して、そうして酒売るから煮売酒屋だんべい。」
「そういえばそんなものだが、そう理屈詰めにしてはいかん。」
「だがええ二階だ。」
「正介どん、お前をここへ連れて来たのはほかでもないが田舎同様なところにしばらく泊っておいであそばすから、さだめしお魚などに御不自由で、ことにお寺ではあり、先生へどうかお魚を上げたいから何か焼魚か照焼きにして腐らないようにいたし、折りへ詰めて持っていって貰おうと思って、それでお前をお借り申して来たが、それにお前も飲める口だから、今日はゆっくり一杯やっておいでよ。」
「え先生へお魚ア上げたいって、それえ御|奇特《きどぐ》なことだ、またわしにいっぱい飲ますって、そいつはありがたえ。」
「それだから遠慮せずに何てもよいものをそう云って……。」
「えゝありがたえ、長え間、わたしも先生も魚ア喰いませぬ、わしなんぞはそりゃア喰っても構わねえが、たまさか|鰯《いわし》っ子の五匹も買って喰うべいと思うと、坊様たちが羨しいもんだから魚ア焼くなら村の講中の家へいって焼いて来てくれうなぞというので、久しく魚ア喰いましねえのさ。」
「それはそうであろう、お寺方では内証はともあれ、表向きは精進じゃから、それは当然のことで、さだめしお魚を上がるまいと思うから、先生へ上げたいと申すので、姉さんや、あゝ、何か吸い物に刺身、後は塩焼きか照焼きなぞがよかろう、それは折りへ詰めてちょっと付合せ物もなりたけ腐らぬものを、よいか、それはお土産だよ。」
「へい、かしこまりました。」
「おいおいそれからここへも後で飯の菜になりそうな物を見たてて、よいか、おゝそれにちょっと話があるから、用があれば呼ぶから座敷へ来ずにおいでよ。」
 と内々の話がありますから.来ないようと女に云いつけます。正介はこんなことにいっこう気がつきませんで、
「だが浪江様、おめえ様はまた|年《とし》若いが親切なお人だって、浪江様みたような親切な人はねえって、毎度先生がいうだ、わし、馳走になるからって褒めるじゃアねえよ。」
「いえそれはな、お前が世辞を申すとは聞かない、だが師匠となり弟子となれば、それが通例で何も感心をするところはない当り前なことじゃ。」
「まだまだ先生が、それに柳島の家へも時々見廻ってくれるということだから安心だって、わしい柳島のお宅へもよくよく行って安否聞きてえのだが、先生一人置いてゆくわけにもなんねえから、つい無沙汰になったが、御新造、坊ちゃまにはお変りはねえか。」
「ないよ、お変りはないお達者じゃ。」
「ハア達者だって、それはええ、だが浪江様、おらが先生のような妙な人はねえ、画師というものはなんでも描く物に精神こめねえじゃアなんねえから、こっちへ来ているうちは何事も忘れていねえければなんねえって、それだから留守にどんな災難があってもそれまでよ、うちのことには念慮とかがあってはいかねえといってこっちへ来てからまだ手紙一本出さねえのさ。」
「ハアさよか、さアこんなまずいものだがお上がりよ、さア一つ頂くから。」
 と|猪口《ちよく》をさします。
「イヤ、まずおめえ様から。」
「まア、今日はお前が上客だから、まず……それでは|各盃《かくはい》にいたそう。」
「エ、各盃とはなんだ。」
「なるほど、各盃なんどはお知りでなかろう、まアそんなことはよいから一つ重ねて。」
「やア、これは刺身だ。」
「ここらのものは|河岸《かし》が遠いから、どういたしても魚が古いからおいしくない。」
「イヤおいしくないどころか……めっぽううまい、アヽ久し振りのせいかうまい。」
「これさ、よく久し振り久し振りというが、何か魚を喰わんようで、人に聞かれるとみっともない。」
「ハア、久しぶりといっては悪いか、ハイ.喰います。」
 とほどよく酔わせておいて云い出そうと思いますから、浪江が酌をいたしましては正介に飲ませる。
「イヤ正介どんや、いろいろお世話になるから、とうよりお前に何かお礼をしたいと思っておったが、これはな、あまり少しだが|単物《ひとえもの》でも買っておくれな。」
 と紙入れのうちから金入れを出しまして、|額《がく》を紙へ包みまして出しますから、
「エ丶とんだこった。エヽどうして、今日は御馳走になったばかりでたくさんなのに、この上そんな物を貰っては罰い当たるだ。」
「まア、そんなことを云わないでもよい、ほんの少しだよ、たった五両だよ。」
「エ、なに五両、なんてえ、まアたまげたア、てえげえ一分も貰やアたくさんでがんすに五両ってえ、それにおらが先生様物堅い変屈だアから、人様からゆえなく物を貰うてはすまねえぞなんかと叱言をいわれるから、これはよしにさっせいまし。」
「イエ、これはよい、わしが上げるのだから、そんなことを云わないで納めておおき。」
「イエいけねえ、お前様に貰ったというとじぎに先生に叱られるだ。」
「イエ、そんならわたしに貰ったと云わなければよい。」
「いいや、それはじきに感づくから。」
「これは困ったね。」
 と少し考えておりましたが、
「あゝ、それじゃアね、こういたそう。」
「どうしべい……。」
「このお金をお前に上げたいというわけを話そうからよかろう。」
「そんならくれるわけを。」
「話したらよかろう。」
 と辺りを見ましたが、ちょっと一|間《ま》を隔てました座敷だから安心しまして。

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