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三遊亭円朝 怪談乳房榎 十五


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十五

 人間はあまり不正直過ぎましてもいけませんが、輪をがけた正直でも困りますもので、悪者の浪江に腹の中まで見透かされました下男の正介は、請け合いは請け合ったが、心に進みがありません、が厭と云ったら切られようかと命の惜しいのが先に立ちますから、すまないこととは思いますが、落合へ主人重信を連れだす一件をこうこうせよと悪知恵を教えられて、土産の折詰を提げまして南蔵院へ帰って来ました。
「先生様、今帰りました。」
 重信はあまり暑さが厳しいから、|奈良団扇《ならうちわ》をもって|縁端《えんばな》に涼んでおりましたが、こちらへ参りまして、
「おゝ正介か、浪江はいかがいたしたな。」
「へいあの浪江様は、あの急に御用ができて帰りますから、この肴を先生へ土産だといって上げてくれって、急いで帰られました、嘘じゃアねえよ、帰った振りして道に待ち伏せ。」
「なんじゃと。」
「いえよろしくと云って、帰らっしゃいました。」
「おゝさようであったか、なにかこれは御馳走じゃな、これは気の毒千万な、はあゝ馬場下町の花屋か、きさまも馳走になったと見える。」
「はアわしイもたいそう馳走になりましただ。」
「それにいたしてはさっぱり酔わんな。」
「酔いましねえ、どうして酔われるものか。」
「いつも手前は一合も飲むとだいぶ元気が出るのに、なぜ今日は酔わん。」
「酔ったけれど醒めて、いえおれ今日は心持が変ちきで、いつものように酔いましねえ。」
「それはいかんな、あの浪江ぐらいな気のつく男はないの、わしが菓子が好きゆえ、何か口に合うようなものと云って|先刻《せんこく》金玉糖をたくさんくれたが、また魚が不自由であろうと思って何か焼魚に付け合せ、どうも親切な男だのう、正介。」
「へえまことに親切でごぜえます、……あの先生、浪江様がそう申したっけが、あんまり先生がこって夜なべまでなすってはけえってお体の毒になりますだからたまには保養をなせえって、おれに何でも先生様ア連れ出せって申しました。」
「なにそれではあまり凝って画を描いては毒だから、ちとぶらぶら歩行でもいたせと申したのか。」
「そうさ、それだからおれに連れ出せ、なにさ、先生様今夜あたりはめっぽう暑くって蒸しますから、どうだろう、落合へ螢を見物においでなすってはどうでございます、おれお供しべい。」
 と浪江に教わった通りに云いますから、
「いかさま、とんと失念いたしておった、かねがね落合の螢狩りがよいと申すことは、朋友からも聞き及んでおるが、それはよほど見事だそうじゃ、他の螢と違って大粒にして、その飛び交うさまは明星の空を乱れ飛ぶかと思うばかり、また地に伏すところはきらきらとして草葉の露と怪しまれ、おそらく江戸近在にはかような螢狩りはないとか申すことじゃ、三つ子に浅瀬を聞いたと同じことじゃ、きさまに云われたので思い出したよ、もう日暮に間もないから、幸い浪江から貰った折りを先へ参って開くとして、宅から持って来ておる|瓢《ひさご》へ少々酒を入れて出かけよう、正介支度をしてくりゃ。」
 と重信は着物など着替えまして身支度をいたします。正介は腹の中で情けないことだと思いますが、弁当なんぞを拵えまして、|内玄関《ないげんかん》へ|雪駄《せつた》を廻し、自分は折詰と弁当箱を振分け荷物のようにいたしまして肩へかけ、半畳敷ばかりの|鍋島段通《なべしまだんつう》を用意して、瓢をもち木刀を差しまして、
「さア先生様参りましょう。」
 重信は|黒紗《くろしや》の紋付の羽織に玉子色の|越後縮《えちこちぢみ》の|帷子《かたびら》、|浅黄献上《あさぎげんじよう》の帯を締めまして、少し長い脇差一本で、|鼠小倉《ねずみこくら》の鼻緒の雪駄を履いて、正介を供に連れて日暮より出かけました。
 御案内の通り、落合と申しますのは、井の頭の弁財天の池から流れます神田上水と玉川上水の分水とが、ここにて互いに落合い一つになりますからの名でございまして、ずいぶん広い村でござります。ちょうど、宝暦二年六月六日のことでございますから、宵闇だ、空は雨気をもっており、昼のうちから蒸暑いから、今に雨でもかかりそうな空合いで、雲行きが少し|暴《あろ》うござります。重信は話には聞いておりますが参ったのは初めてで、なるほど螢の大粒なのがあちらこちらへ飛び交うさまはじつに見事で、
「正介、よい景色じゃな、あの大粒な螢が、あれあれ飛び交う有様は画には書けぬの。」
「本当にそうでごぜえます、あゝ南無阿弥陀。」
「これなぜ念仏を唱えるのだよ。」
「へえわしい螢が人魂のように見えてなんねえ。」
「ばかを申すな、とかくそちは浮かんな、よほどあんばいが悪いと見えるな。」
「はアあんばいが悪いって、おれよりお前様が。」
「なに、手前よりお前様とは、この重信はどこも悪うはない。」
「今悪くなくっても、今に悪くなるべい。」
「えゝなにを申すか、おかしなやつじゃ、ここいらへ|段通《だんつう》を敷け、ちょうどよい所じゃ。」
 と下戸ではございますが、重信はしきりと|瓢《ひさご》の酒を飲んでおります。

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