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三遊亭円朝 怪談乳房榎 二十四

二十四

 正介は今大滝の下へ参りまして、谷から下を覗ぎましたが、ゴウゴウと水音がしていかにも物凄く、この滝壷へこの坊さまをぶちこむのかと思いますと、身の毛もよだちまして恐ろしく、
「坊ちゃま、おめえ様はまだ二つだから、何を云ったって頑是ねえから分りますめえが、まア聞きなさい、この正介爺はおめえ様のお|父様《とつさま》には九年も奉公ぶって大恩受けただが、あの悪人の浪江さんがお弟子になって、おめえ様のお|母様《つかさま》と懇ろして、忘れもしねえ去年の夏、あの浪江に欺されて、もってえねえが旦那さまをおれが手伝って殺しただ、その時おれも荷担しめえと思ったが、あんなやつだから、厭だといったらおればかりなら構わねえが、旦那や御新造をどんな目にか逢わせやアしねえかと、それが怖えからつい頼まれてやっつけただが、それがおれの一生の過りで、まだ何にも知らねえお前様までこの滝壷へほうり込んでおっ殺せって、おれ情けなくってなんねえから、こればっかりゃアよせよ、おれ堪忍して貰うといったら、一大事のことを口外して厭だと申すのは、大方真与太郎が成人を待って助太刀イしててめえおれを親の敵だといって討たせるのだろう、えゝもう頼まねえ、われえ殺しておれ割腹して相果てるだって刀を捻くるだア、おゝ泣いちゃアいかねえよ、乳ねえもんだからもっともだアが、かか様だって乳が出ねえから、それ落雁を、え、そら……噛み砕いて上げる、オットオット、ついでに|襁褓《しめし》を取り替えて上げべえ……や、おめ身様、もうぐっつり抜いたね、湿っぽいよ、そらそら、これでさっぱりしたかえ、おゝいいよいいよ、坊ちゃま、おれはまことにすまねえと思うだが、あの邪慳な浪江が殺せというから諦めて死んで下せえよ、じつに御新造へすまねえ、堪忍してくだせえ。」
 と真与太郎を抱き上げまして谷を覗きますと、滝の音はすさまじく、岩に水が当たって飛び散るさまは恐ろしい。
「あゝ素晴しい水音だ、下は地獄だよ、坊さま堪忍して下せえ、お前さまを殺すのは皆あの浪江だよ……あゝどうも頑是ねえお子だと思うとぶちこめねえ、あれ今殺そうってぶちこもうというのに、なんにも知らねえもんだから、にこにこ笑ってござらア、可愛いものだな、あゝこれを見てはもうもうよしだ、やめだ、坊ちゃま、落雁で欺されて泣き止んだか、おゝ笑うかえ……」
 と我を忘れてあやしておりましたが、
「いやいやどうも可愛くって殺すなんてえことはできねえが、もし殺さずに帰ったら、浪江めが|眼《まなご》をむき出して怒るべえ、その上にまた生かしてはおかねえなんて刃物三昧しかねねえ、あゝ可哀そうだがやっぱりここから打ち込もうか、坊ちゃま、すまねえ、お前様のお|父様《とつさま》を殺したのはあの浪江、この正介爺はほんの少しぼかり手伝ったのだよ、またお前さまア殺すのも浪江が|仕業《しわざ》、堪忍してくだせえ。」
 と殺さずにうちへ帰ったらどんな目に逢うか知れないと、臆病で馬鹿正直な正介、眼を|眠《ねぶ》りまして、堪忍して下せえ坊様、と岩の角へ片足踏みかけ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏をとなえながら、むざんや真与太郎を滝壷へ打ち込みました。岩の間から雑草が生い茂っておりますから、その中を真与太郎はガサガサと音がいたし、オギャアオギャアオギャアと泣く声がいたすが、うちこみました時水音がしませんで、どうやら中途へでもと覗きます正介、
「坊ちゃま。」
「オギャアオギャアオギャア」
「おゝお泣きなさるね、ア丶|蔦葛《つたかづら》へでも引り懸かって、それでお泣きかえ、坊ちゃま、あゝ情けねえ、一思いと思ったに、あゝ途中へ引っ懸かったか、坊さま。」
「オギャアオギャアオギャア……。」
「困ったなア。」
 と月明りに|透《すか》して谷を覗き、坊さま坊さまとあちらへ行ったり、こちらへ行ったり、正介はうろうろいたし、あゝどうしたのだえ、といま谷を覗きますと、今まで泣いておった真与太郎の声はぱたりと|止《や》みましたが、|樹《こ》の間を洩れた月のいつか曇りまして、一天は青空であったやつがにわかにまっ暗になりまして、四方から霧が立ち昇ったと見えてあたりは|朦朧《もうろう》といたし、正介は
「坊ちゃまどうなせえました、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、真与太郎さま。」
 と滝壷を覗きますと、あら怪しや、どうどうとみなぎり落ちます滝の中に、真与太郎を抱き上げましてわが主人の菱川重信が朦朧と形を顕わし、だんだん上へあがって参る様子、正介は、坊ちゃまと覗きこみましたその眼先へ、ヌックと重信が真与太郎を抱きまして姿を顕わしましたから、あっといって正介は後じさりをいたし、
「や先生さまか、アヽ旦那さまか、堪忍なせえ。」
 と身を震わして驚きましたが、これより真与太郎の命が助かりますかどうなりますか、ちょっと一息つきましてまた申し上げましょう。


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