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高浜虚子「寿福寺」


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  寿福寺
「小説は尚お続きおり」を書き終ったところへ、
「柏翠さんがお見えになりました」
と言ってきた。
柏翠の出てくる文章を書き終ったところにその当人が、しかも三国から突然現れたのは不思議な心持がせぬでもなかった。
「どうして来たのです」
と私は聞いた。
「来たかったからです」
と柏翠は笑っていた。
しばらく老妻の居間で三人で話してから、私は、
「小説は尚お続きおり」が今脱稿したところだということを話して、
「これも縁があるのであろうから、君清書をしてくれたまえ」
と言った。
「ええいたしましょう」
と言って、さっそく別室で清書に取りかかった。
その翌日また来て大きな新聞紙包をほどいて、
「これは墓標ですが書いてくださいませんか」
と言った。そうして、
「来る時分静岡の片山きよ子の家に一泊したのでありましたが、きよ子の家は材木商であったので、この墓標を拵《こしら》えてもらってそれを持ってきたのであります」
とつけ加えた。私はさっそく「愛子の墓」と書いた。墓標を書くというような気持はおこらないで、ただ何となく書いてしまった。
その日は広瀬という家で「物芽会」という俳句会があるので、午後はその会に出かけることになった。柏翠は、
「私はその前に寿福寺に行ってこの墓標を立ててきます。後刻また会場でお目にかかりましょう」
と言って出かけようとした。その時家内は柏翠を呼びとめて、
「きょうは六(四女)の|祥月命日《しようつきめいにち》に当るから、寿福寺へいらっしゃるのなら、著莪《しやが》でもいいから庭の花を|剪《き》って、それを六の墓に|挿《さ》してきてください」
と言った。そうだ今日は四月の二十二日で六の祥月命日であったのだ。今朝明け方に夢現《ゆめうつ》つのうちに六の臨終のことを考えていた。それは大正三年のことで、当時三つであった六が|危篤《きとく》になったとき、手を出して家内に抱かれようとした。家内も抱いてやろうとした。私は|咄嗟《とつさ》にそれをとめた。抱いたらそれを境に息が絶える恐れがあると思ったのであった。六はそのままだらりと手を|垂《た》らして、間もなく息を引取った。私はその時やはり抱いてやればよかったのであった、抱いてもらおうと思って手を差しのばしたのに、なぜそれを抱かなかったのかと後悔した。六のことを思うといつもそのことを思うのであるが、今朝もまたそのことを思っていたのである。がその時は、きょうが祥月命日であるということには気がつかなかったのである。家内が柏翠に言ったので始めて思いだしたのである。これを不思議といえばいえないこと
もない。
広瀬の俳句会は四時に終った。柏翠はやや遅れてやってきたのであるが、
「坊さんが外出中であるとのことで墓標は寺へ|預《あず》けてきました。これからまた行ってきます」
と言った。傍にいたたけしが、
「柏翠君、僕も行ってはいけないですか。君一人で静かにいたいと思うのなら僕はやめるが、かまわないのなら僕もいっしょに行こう」
と言った。
「どうぞいっしょに行ってください」
と柏翠は言った。
「僕も行こう」
と私は言った。私は六の墓に参りたく思ったのである。
「私もいっしょに行ってよございますか」
と実花は言った。
あとの人々を残して四人は表に出た。私は少し|脚気《かつけ》の気味があるので早く歩けなかった。あとの三人も私につき合ってそろそろと歩いた。
途中で柏翠は瀬戸物屋に寄って骨壷と茶碗と花いけとを買った。
寿福寺に|著《つ》いてから、柏翠は|庫裏《くり》の方に行ったが、私はすぐ墓所の方へ行った。たけしも実花も私に続いてきた。
「白童女」という六の墓と「紅童女」という晴子の娘で私の孫になる防子の墓とが左右にあってその中央はあけてある。そこに私の墓が立つことになっているのである。
そこへ柏翠は、左の手に縄でからげた墓標を|携《たずさ》え、右の手に|薬罐《やかん》を持ち、さらに左右の肩に|竹帚《たけぼうき》とシャベルをかたげ、脇で|挾《はさ》んでそれを落さぬようにそろそろと歩いてきた。
「|和尚《おしよう》さんがまだ帰ってきませんが、かまわないとのことでありますから、自分で土を掘って墓標を立てることにします」
と言った。
私はその帚を借り、白童女や紅童女の周《まわ》りの落葉を掃いたが、実花がかわって丁寧《ていねい》にその辺一面を掃いてくれた。柏翠は薬罐の水を花いけに注いでくれた。
花いけには先刻柏翠が|剪《き》ってきた|著莪《しやが》の花がたくさん挿されてあった。
三尺四方の愛子の墓の敷地はすぐ近くにあった。これはなるべく私の墓の近くにしたいという註文なので、小諸にいた時分に私が頼まれたのを、私がさらに正一郎に頼んで、正一郎は二度ばかり千葉から足を運んでくれたのであった。
土を掘ることになって、柏翠が掘るというのを、
「君は止めたまえ。君のような身体でシャベルを使うのはむりだ。僕が掘ってやろう」
そう言ってたけしは掘り始めた。私は七十五翁、実花は女、ことに病後、柏翠は|罅《ひび》の入った体、|勢《いきお》いたけしがシャベルを持つようになったが、来年は還暦になるたけしが、シャベルを使うのも痛々しかった。
「木の根が出てきたのに弱ったね」
としばらく息を入れていたが、ようようのことでシャベルでその根を切り取ってまた掘り始めた。
ほどなく掘り上ったので、そこに骨壷を置きその上に墓標を置くことになった。私は一握りの土を骨壷の上に投げた。墓標をどちらに向けるかということになって、柏翠は私の墓の方に向けると言って筋かいにした。
すべて墓は皆、碁盤目《ごばんめ》のように正しく縦横に向いているのに、愛子の墓標のみが筋かいに立っているのはおかしいように思った。が、やがてその前に花いけを置いたり茶碗に水を入れたりして墓らしくなってくるのを見ているうちに、そうおかしくも思われなくなった。かわるがわる礼拝をして立ち去ろうとしていると、坊さんが今帰ったところだと言って鉦《かね》を持ってやってきた。立ちながら観音経《かんのんきよう》の一節を読誦した。

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