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四つの袖 (part5)


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下之巻

由緒(ゆいしよ)正しい江戸つ児はいはぬ事としても、東京の本場で仕上げた一人前の立派な芸妓(げいしや)、それが 縁なればこそ、なま若い書生さんに打込んで、末はどうなる身の上か、生れ故郷をみれんげも無いやうに振捨てゝ、木から落ちた何とやら、からだひとつの旅かせぎ、女心といふものは、なまじひの男よりもかうなると強(きつ)いが常と知りながらも、気に掛かるはお貞さんのおきふし、われ人ともに、女のさかりは短いもの。

地方とはいへ、都近くでは指折の繁華の地、宇都宮から杉本のお秀といつて店借(みせがり)同様で出たお貞さん、さすがにギラリと目に立ちて、弘(ひろ)めの日からの大(おほ)繁昌、芸は確か、お酒は飲む、いやみ 一さいお断りの野暮をいつてもお座敷の数を減(へ)らさぬうでまへを、見込んでか、意地からの無い 物ねだりか、土地で有名の資産家麻問屋の鏑矢さん、あそびの方も家標で通つた立鼓さんといふ が、手を廻しての金(かね)びら、到頭たゞでなくなツたは、お秀さんが出た其の年の夏頃らしい。

どうせわれ/\風情(ふぜい)の稼業、堅いといつても男嫌ひといはれても、いつがいつまで聖人君子で 居られやう筈は無し、臨機応変、詠(よみ)と歌、我が身可愛いのかけひきは、堅気さんも商売人も同じ事、五歳(いつつ)になる娘はあり、自分は二十五、幾ら意地つ張(ぱり)でも強情でも、それだけに又気の廻るお 秀さん、きつと考へたに違ひ無く、秋頃にはもう立鼓(りふご)さんを旦那にして安気に稼いで、押しも押 されもせぬ一流のおほ姐(あねえ)。

それでも世帯は面倒とて、自前にはして貰はず、おもしろをかしく客と芸妓(げいしや)で過ごすうち、知 れるともなく明かすともなく、お秀さんと立鼓(りふご)さんとの仲にはお花さんの事もあけすけになツて、 いよ/\へだてがとれ、二十六の春頃からは慰み半分の勝手勤め、それでもお客は天(あま)の邪鬼(じやく)、やつぱりお茶の晩とては無し。

これまでの間の月日、さう短い事でなけれど、どうしたのやら、磯上さんからたゞの一度もた より無きにぞ、お秀さんつひには我慢しかねたらしく、暑中見舞にとて久々でわたしへ寄越した手紙のうちに書いた事には、世帯の持ちたてにまはりを恐れて、住所(ところ)も知らして寄越さぬは未だ 勘弁のしやうもある、こつちのゐどこは変つてゐても、お前さんのうちへちよいと電話を掛けれ ば直ぐ知れる事を聞きもせず、お花の里親へも端書一本寄越さぬは、去る者日々に疎(うと)しとやらか、 それも急に今悟つた訳で無けれど、さりとては不実者、おつかさんのこはかツたは分つて居れど、 女房がこはいやうな男はもうこつちも御免、とはいふものの子供の親、成人してからも、男親の 顔を知らずじまひに死なせるかと思へば、因果なおふくろをもつたお花がふびん、お信さん此の 愚痴だけは聞いて下さい、としみ/゛\とした文句、わたしは返事の書きやうに困つたり。

然(しか)し、それもこれも商売繁昌無事のうちはまだよけれ、秋口になツて、立鼓(りふご)のうちのおかみさ ん、誰か胡麻摺かいろがたきかにしやくられたものとみえてお秀さんにたゝり、ご亭主の出(で)はひ りにうるさく其の事を言立て、何んでも子供まである仲、行く行くはわたしを追出し、其の女を あとへ直す気に違ひ無い、それであなた済みますか、と畳をたゝいての苦情、奉公人の手前はか まはず、実家(さと)へは泣込む、それがいつかパツとして新聞へ長々と出る、又それを文句の種にして おかみさん泣きわめく、此のおかみさんといふ人、お作さんといつて年は四十、旦那より四歳(よツつ)下、 大きな男の子がふたりもあるのだとの事、そんな身の上でさへ女はやきもち取越し苦労、それな らわたしたちはどうして居ればいいのだらう、とも思ひはすれど、だいじな男の貸をしみ、めつたにひとの事ばかりはいはれず、又お秀さんもさぞ。

さて立鼓さんまアさ/\も古くなツて、奥方の逆鱗日に増し烈しく、さしもの遊び人も余り世 間のうるさいに根負して、これから暫くの間、月に二三度の遠出(とほで)ぐらゐにして置かう、狭い土地 での此の評判は、幾ら暢気(のんき)なおれにもこたへる、商売上の信用にかゝはつて来てはお互に詰まら ぬ、との割つてのはなし。

「女房つていふ者は、そんなに怖い者ですかねえ。」

トお秀さんのはらのうちには何やかや。

「少し気を抜くだけの事だ、そんな憎まれ口をきくものぢやない、男が女房のギヤア/\いふに 弱るのは、女房を怖れるのではなく、世間を怖れるのだ、つまり自分が可愛いからだ、をかしか らうが黙つて居てくれ、悪いやうにはしないから。」

ト遊びの却(かふ)をへて居る旦那の説得、もつともと思へばまさかに取つて附けた駄々もいはれず、

「それでは当分神妙にして居ませう。」「立て過ごしにしてある情人(いろ)の顔でも見て、鼻の下を長くして居るがいい。」

トからかふはお花さんの事、何んといつても心だのみになるのは他人ではない、とお秀さん、 帰つてから妹分の丸子といふのにつく/゛\といつたさう。

それからその後、お秀さんは約束通り遠ざかるやうにして居たれど、十日(か)逢はずに居る事に何 んの効も無く、一晩逢ふのは直ぐ響いて罪になる鏑矢(かぶらや)さんのうちのもんちやく、立派な伜のふた りもある癖に、何を不安心に思つて四十づらのやきもち、今更女房を追出すやうな良人(ていしゆ)か、しん しやうを曲げるやうなべらぼうか、二十年来つれそつて居て、其のくらゐの弁別が附かぬとは、 呆れ返つた馬鹿女、こつちなんぞは一年ばかりのうちにはらの底まで知つて居る、とお秀さんの 例のかんしやく、或夜の座敷の酒(さか)機嫌に、立鼓さんに面と向つて毒づくと、

「そこが女房と商売人さ。」「其の女房が気にくはない。」

明いて居た障子の外、麦酒のコツプは庭石にこなみぢん。

立鼓さん笑つて大抵にあしらひ、あと/\もたまに逢つてこつそりと遊ぶうち、こゝに又一つのはなし。

十月の末の事、阪地(かみがた)から名古屋、横浜、東京と打つて、宇都宮へ廻つて来し義太夫の一座、切語(きりかたり)は豊竹宮子太夫三味線竹沢竜市、前景気からたいしたものにて、いよくとなツては芝居の小 屋にギツシリの客、初日も二日目も。

其の三日目に行つたかの丸子さんといふ二十(はたち)になるのが、絃(いと)の竜市といふ三十幾歳(いくつ)のやせぎす を見染めて、姐さん一度遊(あす)ばして、と一緒にいつたお秀さんへぶちまけてのたのみ。

「旦那に知れたらどうおしだ、」

トよさせやうとすれば、急凝(ご)りの意地きたな、是非といつて承知せぬに、たか/゛\五日(か)ぐらゐ の興行、あとくされもあるまじと、その夜打出してから、気の置けぬうちへ竜市さんを座敷にし て呼び、ちかづきの一杯、そして別れて次の夜の首尾と、そこまでは運びしが、いよ/\のきは になりて、丸子さん旦那の座敷がぬけられず、あせるを胡散(うさん)と感付かれてか、いつに無く旦那お 泊りとなツて、双方の間の使三度四度、男の来たのは打出し後とて、其(そ)のうちに直ぐ十二時、お 秀さん飲んでしやべつて、うでかぎり繋いではみたものゝ、到頭丸子さん先方にいけどりときま つては、もう意地にも根(こん)にもまとまりが附(つ)かず。

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