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四つの袖 (part6)

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「姐さん、あんたわたしをあそびなさツたなア。」

ト竜市師匠真剣にさう思つたか、飲ける口にやけ気味の酒、芸人の身の尚更切上げの附かぬ一段。

「相手が旦那なので、出ない訳にもいかず、行つたが間違ひの基でこんな事に。」

愚痴は種切れ、いひわけも一つ事、

「わたしがみんな鈍痴(どぢ)なのですから、師匠、かうして下さいな。」

グイとあふつて、じつと見たお秀さん、

「飲み明かしもご迷惑でせう、といつて、此のまゝにらみあつても居られますまい、お互に引込 が附くやうに、今夜はわたしがみがはりに立ちませう、こつちも不しやう、ぜいたくはいひツこなし。」

自暴(やけ)でなし、身を粗末にするでなし、かうなツた此の場合此の肚の据ゑ方、世間は理窟ばかりで通れず。

結び違ひの縁の糸、お秀さんは思ひも寄らぬ人に馴染み、丸子さんは旦那の機嫌を取直して、 いたづらぎは其のまゝのお流れ、師匠の方は二日(か)の日延べとなツて、お秀さんと其の二晩(ふたばん)の又の首尾、次の朝は新聞にはや浮名。

まゝよ、女房のこうるさい男の世話になツて、日蔭の者のいくぢなさをくやまうよりは、気ず ゐ気まゝの旅あるき、芸人に芸人、飲助に飲助、勝手放題に暮らすが徳用、人間いつまで生きる ものか、此の足腰の達者なうちに稼いで遊んで、どうにか月日のたつた頃には、だいじな娘が一 人前の新造(しんぞ)にならう、田舎などへ置けばこそ、黒こげ女房からかくし子呼ばはりの疽も立つ、世 界の果まで母子(おやこ)一緒に行くが本望、と竜市に得心させて、お秀さん俄女房、太夫の一座が一旦逗 留の間に、あしもとから鳥の立つやうに、杉本にも話し、立鼓さんにも話し、衣類手道具を一行李(ひとこり)にしてきちがひじみた旅仕度、杉本のうちのあるじさんは、

「どこに居るも同じな体(からだ)ではさうも思はう、気の毒な事だ。」

ト男ながらも苦労人のおもひやり。

「わたしのやうな男運の無い女も少いでせう。」

トお秀さんひとしづく。

「変な事になツて了つたのねえ。」

ト丸子はしよげた顔。

「かうと知つたら、年期でもきめて置くのだツたに、おれも立鼓さんも惜しい事をした。」

トあるじの冗談、何にしろ肝腎な娘をと、関口のうちへ引取りに行けば、里親ふたりは泣きの 涙のそれはまだしも、どうにも引離すに離されぬは当人のお花さんの不承知、

「此のおつかさんといくのはいやだ、うちのおつかと一緒に居るんだ。」

ことし六歳(むツつ)の物心あるがなまじひ毒になりて、生みの母よりそだての母を親とするいぢらしさ、 だましても叱つても、久蔵夫婦の人にしがみ付いて離れぬにぞ、おかみさんは涙の止め度なく、

「お願ひですからもう一二年預けて置いて下さい、里扶持も要りません、たよりも無ければ無い でようございます、姐さんの体がチヤンとおきまりになるまで、しつかりお預かり申します、こ つちからお知らせする用が出来たら、松廼家の姐さんのうちか、若松のお信姐さんのとこまでい つて上げます、短気な事をしないで、一日も早く東京へ帰つて落着いて下さい、あんまりだしぬけで夢のやうだ。」

ト飾り気も無き真味の異見。

「どうかして、男親に一度逢はせたいと思つては居ても。」

かひなき事とあきらめてか、さらば当分のいりようにと、お秀さんかなりのお金を里親に預け、 泣出しさうに顔をそむける我が子憎くもうしろがみ、帰つて此の晩杉本の二階で、丸子さんへか たみにといつた三味線取つて爪弾の『四(よ)つの袖(そで)』、泣き明かしたやら次の朝お秀さんの眼は真赤。

旅興行の常として、さきからさきを急ぐ宮子太夫の一座、これより福島仙台と乗出す中に、笑顔(ゑがほ)さびしいお秀さん、汽車の窓からステーシヨンの見えずなるまでそこに未練の眼の色は、里親 が連れて来るかの心待ちの、あきらめ切れぬせゐでがな。

きちがひじみた旅立ちをしたお秀さんはきちがひか、洒落か冗談か、思案の末か、去年の暮、 お秀さんの縁で丸子さんがわたしのうちの抱妓(かかへ)になツた処から、宇都宮でのあらましは分つたれ ど、寒さに向つて寒い方へいつたその後の事は分らず、お花さんは、磯上さんは、と思ふうちに 又一年、ことしの二月になツて、紀州からお秀さんの年始状、おほよそをいへばかう。

 その後は永らくご無沙汰、延引(えんにん)ながらご年始状を差上げます、風のたよりに聞けば、丸子さ んが住替へて行つて居るとの事ですから、さうならば大抵はごぞんじでせうが、去年の夏、桐 生前橋高崎と歩いた時、お花は無理から引取つて、今も手もとでそだてゝをります、玉蜀黍(たうもろこし)の やうな頭髪(かみのけ)も少しは黒くなり、手足の色もだん/\はげ、田舎詞(ことば)もだいぶ直つて参りました、 ことしは大阪に落着いて、小学校へ入れるつもり、唄もポツ/\教へて居ますが、義太夫なぞ は決して習はせません、竜市のわがまゝなのには困つてをりますが、娘がもう少し大きくなる までは、辛抱をしてをります、此頃お花が『四(よ)つの袖(そで)』を覚えたので、愚痴を聞かして、親子 で泣きます、しかし石にかぶりついても、娘は一人前にして、血すぢの正しい、両親にまさつ た身分の男にきつと添はせます、実意のある男をきつと持たせます、ことし娘は八歳(やツつ)、わたし は明後年(さらいねん)もう三十です、去年素通りをしましたから、丸子さんからおついでに杉本のうちへよ ろしく、廃業の事や何やかや、あとで定めしご面倒でしたらうとお察し申します、叔母さんの ゐどこをごぞんじでしたら、何ぞの時にお言伝(ことづけ)を願ひます、唯今では広い世界に親子たつたふ たりです、嬉しかツたも男、苦労も男、姐さんも丸子さんもお達者で、当分又おたよりを怠け ます、東京といふ処を思出したくありません。

竜市さんのうちはどこか未だ尋ねず、『四(よ)つの袖(そで)』を幾何十度(いくなんじつたび)か弾いた涙のいきがたみ、其の 三味線は、丸子さんがもつてゐて、今わたしのうちに在る。

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