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外村繁「赤と黒」

  朝から虫が鳴いてゐる。|蟋蟀《こほろぎ》であるが、その鳴き声にはさまざまある。舌打ちをしつづけてゐるやうなもの、アクセントのない音を短く切つて、そればかり繰り返してゐるもの、そんな|下手糞《へたくそ》なものもあれば、尻上りに高く、銀鈴を振るやうに、一気に鳴き上げるのもある。中には、リユー、リユーと、意外にも強い音で鳴き立ててゐるのもある。その「リユ」のところに力が籠り、いかにも小さな体中の力を振り絞つて、羽を振つてゐるさまが目に見えるやうでもある。

 蟋蟀は比較的早く、八月のなかば、立秋の頃から鳴き初め、この頃になると、その数も減じ、鳴く音も急に弱つて来る。虫の音が絶えるのも、あまり遠い日のことではないだらう。
 蟋蟀類の属する|直翅目《ちよくしもく》の昆虫の中には、交尾を終ると、雌が雄を食ひ、それから雌は産卵して、死ぬ、ものがあるといふ。蟋蟀の場合はどうであらうか。少年の頃、私は一度経験したことがある。
 ある初秋の夜、電燈の灯を慕つて、或はその頃はまだランプであつたかも知れない、一匹の馬追が飛んで来た。が、その馬追はしつぽに「つの」を持つてゐる奴だつたので、一向に私の興味を引かなかつた。多分、縫ひ物をでもしてゐた母の側で、私は本を読んでゐたのであらう。が、またあの直線的な物の当る音がして、見ると、障子の上に馬追が止つてゐた。しかも今度のは雄であつた。私は早速その雌雄の馬追を捕らへて、虫籠に入れた。私達の子供仲間にも、きりぎりすなどは「共喰ひ」をするとも言はれてゐたが、雌雄のことであるから、全然その心配はないものと、私は思ひ込んでゐたのであつた。
 ところが、ある朝、虫籠に馬追の姿が一匹しか見えないのである。不思議に思つて、籠の中を覗いてみると、緑色の二枚の羽と、同じ色の二本の後肢が、籠底に散り落ちてゐるばかりだつた。
 確かに、この一匹が他の一匹を食つてしまつたのに相違なかつた。が、どうしてこのやうな残忍なことが行はれたか、少年の私には知る由もなかつた。また、この恐しい犯人が、しつぼに「つの」のある奴であったか、なかつたか、私にはその肝心な記憶もない。ただ、馬追のあの華奢な姿にも似ず、小さい歯車を咬み合はせたやうな、黒味を帯びたその口が、微かに動いてゐたのを、私ははつきりと隴えてゐる。
 雄が食つたか、雌が食つたか――後年、私は直翅目の昆虫の雌にこの習性のある由を聞いた。が、聞くまでもなく、種属保存の本能からも、雄が雌を食ふわけはないことを知つた――とにかく、このやうな習性は、直翅目の中でも、特に優しい姿をした馬追に限るものであらうか。また、それを習性と言つていいか。或は虫籠の中といふ特殊の環境の中に起つた偶然事であらうか。
 が、自分と殆ど同じ大きさの、交尾した相手を食つてしまふといふやうな異常事が、偶然の出来事であるとは、私にはどうしても考へられない。虫籠の中に入れておいても、|蜻蛉《とんぼ》の雌は雄を食ふやうなことはない。つまり、例へば、雌雄異株の植物にあつても、他種の花粉が絶対に結び合はないやうに、また、どんなそそつかしい|蟻《あり》でも、塩を|嘗《な》めて、辛いつ、とは言はないやうに、(さういふあやまちを犯すものは、智慧といふものを持つた人間に限るやうである)自然の法則は至つて厳粛に守られてゐるからである。
 また、私には、同じやうに羽を擦つて求愛し、同じやうに歯車のやうな口を持つた直翅目の、馬追以外の虫どもにはこの習性はない、とは断言出来ないやうにも思はれる。さう言へば、少年の頃の記憶によれば、蟋蟀なども、どの種類に限らず、雌の方が雄より大きかつたものだつた。殊に芋畑などにゐる蟋蟀の、尾つぽの三つに割れた奴などは、形も至つて大きく、羽の色も艶つぼく、どこか信用できないふうに、丸丸と太つてゐたのを思ひ出す。すると、いつかその声も減じた蟋蟀の雌雄の間にも、あのやうな残忍なことが行はれてゐたのでもあらうか。
 私は庭に下り、床下の朽ち木や、破れ|甕《がめ》などを取りのけてみた。が、蟋蟀の姿も見られず、羽も|肢《あし》も落ちてはゐなかつた。私はぼんやり立つて、美しく紅葉した、一枚の柿の落ち葉を眺めてゐた。
 しかし、それにしても、人の微かな足音にも直ぐ鳴き止むほど、危険に対して敏感な雄どもが、何故逃げようともせず、むざむざ雌の|餌食《ゑじき》になつてしまふのであらうか。私はここでも自然の法則といふものを思ふのである。腹中の卵が受精すると、丁度同じ状態にある蚊の雌が温い血を必要とするやうに、雌どもは生理的に――或は運命的にと言つてもいい――雄の生命を|食《むさぼ》り食らはねばならないのではなからうか。雄は性愛のはて、虚脱状態に陥つてゐる、とも一応は考へられないこともない。が、私の想像は飛躍する。
〈神はこの哀れな運命を負はされた雄どもに、次第にその生命が|滅《ほろ》んで行く一瞬、一瞬、性感にも等しい恍惚感を与へたのではないだらうか。〉と。
 若しも、私のこの馬鹿げた想像が許されるならば、私は今まで度度残忍といふ言葉を用ひたけれど、どうして、この雄どもにとつては、文字通り「生死一如」であり、「一粒の麦」であり、何といふ満ち足りた生涯であらうか。殊に、その後味の何とさばさばとしたことか。
 それに比べると、いつか虫の音も絶え、|一入《ひとしほ》寒冷を覚える夜、台所の隅などで、蟋蟀が一匹、鳴いてゐるのは哀れである。同属はすべて死に絶え、いつまで鳴いてゐても、あの恐しい雌が慕ひ寄つて来るはずはない。この一匹の虫にとつては、同属以外はすべて無に等しい。絶対の孤独などといふことは、こんな虫どもの関知することではないだらうが、その代り、虫どもにとつては、生とは、即生殖以外の何でもない。すると、この一匹の蟋蟀は何のために生れて来たのであらうか。
 少し変な|譬《たと》へを言ふやうであるが、|人魂《ひとだま》とか、幽霊などといふものは、生命のないものが、この人間の世界に迷ひ出たものであるならば、この一匹の蟋蟀の場合は、一個の生命が無の世界に迷ひ出たやうなものである。前者が死んで死にきれないといふならば、後者は生きて生ききれないともいはれよう。等しく、|空《むな》しさには相違ない。一体、この虫はいつ死ぬことが出来るのであらう。
 |琵琶湖《びはこ》に棲む|小鮎《こあゆ》どもは、春、川を上つて成長し、交尾して、秋、川を流れ落ちて死ぬのであるが、若し川を|遡《さかのぼ》ることの出来なかつた奴は、そのまま成長することのない代り、死ぬこともないのである。果してそれを繰り返して、幾年生存出来るものか、私は知らないが、彼等にとつては、生殖といふことと、死といふことが、何と密接な関係を持つてゐることであらう。
 が、この孤独な蟋蟀も、琵琶湖の小鮎のやうに、冬を越して生き伸びることが出来るであらうか。多分、寒気がそれを阻むであらう。すると、奇妙なことに、この虫の雄にとつては、雌に食はれて死ぬことが自然死であり、寒気で|斃《たふ》れることの方が不自然死であるとは言はれないであらうか。これは、一体、どういふことであらう。
       二
 ……生がある、と、言ひ切つてしまへば、少し無理が感じられるやうでもあるが、私が初めてそれを実感し得たのは、私の握つてゐた妻の手が見る見る冷くなつて行つた瞬間からであつた。この時ほど、私ははつきり時計の音を聞いたことはなかつた。
「あの音と、何か関係があるのだらうか。」
 呆然と、私はそんなことを考へてゐた――その瞬間からであつた。
 以来、私の体の中にといふか、心の中にといふか、いや、そのどちらでもない――私は「私の生命の中に」といひたかつたのであらうが、さう言つてしまへば嘘になる――私のどこかにぽかりと穴があいてゐる感じだつた。歯の抜けた直後の、あの舌ざはりにも似てゐたと言はれようか。が、それは穴の周囲の感じで、穴自体はもつと大きく、うつろな口を開いてゐた。さうして、まるでその穴を埋めようとでもするかのやうに、哀しさともなく、淋しさともなく、ひどく透明な感情が、涙となつて溢れ出た。
 妻を失つた感情は、確かに他の肉親の者が亡くなつた時の感情とは異つてゐるやうである。死人の顔といふものは、硬直する故か、妻の顔も、父の顔も、姉の顔も、ひどく一生懸命な感じだつた。が、妻の場合、一つの親愛な生命・が亡くなつたといふ哀しさより、生き残つて、そんな妻の死に顔を眺めてゐる自分への哀しみの方が強かつた、と言ひ得たかも知れない。つまり妻の死によつて、私は初めて妻と生きた、生の深さを知つたのである。が、知つた時に、知つたものは既に完了形で結ばれてゐた。さうしてそんな妻の死に顔を眺めてゐる自分は、別の自分か、或は|殻《から》の自分であるかとも思はれた。
 涙の中に、いつも妻の姿は現れた。酔へば、もつとはつきり妻の姿は現れた。夢の中にも、|鮮《あざや》かに妻の姿は現れた。
 妻を初めて見知つたのは、山の手の街のあるカッフェであつた。妻は白いヱプロンを掛けた、当時の流行の女給姿で、椅子に浅く腰かけてゐた。丁度、昔のアルバムを見てゐるやうなそんな妻の姿は、いかにも過ぎ去つた年月を示すやうで、|却《かへ》つて私には強い実感を伴つた。
「|故郷《くに》はどちら。」と、生れて初めて、私は妻に言つた。
「多摩川の向かうです。」と妻は私に言つた。
 それから約二年後、谷間のやうな街の、二階六畳の妻の下宿で、私と妻は事実上の結婚をした。
 羞恥、無慙、歓喜、悔恨、さまざまな感情が渦巻く中に、私は無数の生命が行進して行く、|潮騒《しほざゐ》のやうな音を聞いてゐた。人間、馬、象、狐、なまけもの、やまあらし、ビーバー、|鯨《くぢら》、難、鶴、カナリヤ、青大将、錦蛇、|蟇蛙《ひきがへる》、|山椒魚《さんせううを》、鯛、ぼら、鮎、|鯰《なまつ》、|鮟鱇《あんかう》、たらばがに、水母《くらげ》、磯ぎんちやく、うに、蜆《しじみ》、|鮑《あはび》、かたつむり、|蚯蚓《みみず》、|蛞蝓《なめくぢ》、|蛭《ひる》、|蜘蛛《くも》、紋白蝶、玉虫、蟋蟀、蝉、油虫、わらち虫、糸みみず、|海百合《うみゆり》、牡丹、菊、梅、松、桜、|銀杏《いて「ふ》、栗、マロニエ、鈴懸、たこの木、しだ
……ありとあらゆる生命が、それぞれの行列をつくつて、無限に続いて行く。が、この行進は生に向かつて進んでゐるのではない。死に向かつて進んでゐるのだ。現に、先頭といはず、後尾といはず、一刻の休みもなく、無数の生命が死に斃れて行く。行列の中では、その度に、後を詰めよ、と|犇《ひしめ》き合ふのだ。虫類に限らず、生殖の行為の中に、死の匂ひの感じられるのは、或はその故ではなからうか。
 人間であつても、相手は無際限、何千年、何万年、こんなことを繰り返さなければならないのだ。それにしても、この自分が、この妻が、何故こんなことをしなければならないのであらう。最初の夜、私は自分の体を、妻の体の上に乗せた。が、あまりにも惨酷なことのやうに思はれ、私は妻の胸に顔を埋めて、下りた。
 が、私と妻は、人並の顔を並べて、やはりその隊列の中にゐた。私はあの潮騒の音を聞くと、人間といふものがひどく卑小なものに思はれた。が、こんなに卑小なものであつたかと、却つて私には謙虚な気持を起こさせた。愛するといふ|歓《よろこ》びが、若い私に何も彼も忘れさせたのでもあらう。私と妻は、その行先も判らない行列に加はつて、喜び勇んで歩いて行つた。
 が、数ケ月後、産科医の診察を受けて帰つて来た妻は、二階六畳の間の赤畳の上に坐つて、言つた。
「やつぱりさうなんですつて。」
「さうか。」
 私は文字通り、顔に火がついたやうに恥しかつた。が、直ぐ、その顔の色が、妻の顔にも移つて行くのが見られた。
 その夜、私は夢を見た。
 セルの着物に細紐を締めた妻が、後を向いて立つてゐた。その前には、黒い皮張りの傾斜した婦人科の診察台がある。両脇に取りつけられた脚を乗せる台の位置によつて、妻のとらねばならない姿態も想像出来る。イルリガートルには透明な液体が光つてゐた。が、妻は後姿を見せたまま、動かうとしない。何故か、医者の姿もない。妻は何を考へてゐるだらうか。
 性の羞恥とは何だらう。或は人間の習慣などから起つたもので、本能的なものとは言へないかも知れない。が、男にしても、女にしても、人間の性器といふものは決して見よいものではない。醜いと言つても、それほど過言でもないだらう。
 私はこんな話を聞いた。ある若い未亡人が一人の女の子を連れて、実家に帰つてゐた。ある日、実家の伯父と初めて風呂に入つたその少女は、暫く伯父の体を見詰めてゐたが、不意に、「おばけ」と言つて、泣き出したといふ。
 いかにもお化である。男のお化と、女のお化と。人間は誰でも一つづつお化を持つてゐる。それには、某のお化はどんな、某女のお化はどんな、と、それぞれの個性もあつて、人問の生はそのお化とお化との間に結ばれるのだ。そんな人間それぞれの極秘のことを、人の目に曝《さら》すのは、いかにも恥しいことであらう。が、羞恥といふものは、奇怪な裏切者である。女にとつて、羞恥の感情が強ければ強いほど、性
器を現してしまへば、却つてマゾヒズム的な快感に陥る、とも言ふではないか。一体、妻はどうすればいいのであらうか。
 が、その時、妻は踏み台の上に片足を乗せた。瞬間、|縞柄《しまがら》のセルの
着物の裾の、妻の|腓《こむら》に白い|力瘤《ちからこぶ》の入るのが見えた。最早、前後の分別もなく、私は妻の方へ駆け寄つた。が、私は二人の男(夢の中で、|牛
頭馬頭《こづめづ》に相違ないと思つてゐた)の持つてゐる、先の分れた鉄杖のやうなもので|遮《さへぎ》られてゐた。
「ははん、これは地獄の|鑵《かま》の火掻きだな。二叉《ふたまた》は牛頭、三叉は馬頭のだな。」
 私がそんなことを考へてゐると、その傍で、一人の老婆が泣いてゐた。妻の母親であつた。
「あれは、死んで、しまつたのでございます。」
 見ると、妻は大勢の人に抱へられて、暗黒の闇の中へ連れられて行く所だつた。
 頬を伝はり落ちる涙の冷さで、私は目を覚ました。とつさに、夢でよかつた、と思つた。さうして、その喜びの方が強く、「夢ではないぞ」とは、夢にも(いや、夢では感づいてゐたのだが)気づかなかつた。(が、私の握つてゐた妻の手が見る見る冷くなつて行つた瞬間、私はこの夢を思ひ出した。)
「これで、もう産まない。」
 そんな愚かなことを言ひ言ひ、妻は五人の子供を産んだ。が、六度目に妊娠した時には、医者は母体の危険を伴はないで、分娩することの不可能な旨を告げた。
 手術台の足を乗せる台は手術用のに換へられ、宙吊りにされたやうな恰好で、胯《また》を開いた妻の両脚は、皮のバンドで縛られてゐた。
 手術後、医者は膿盤の中を差し示して、言つた。
「これが赤ちやんになるのです。こんなに小さいのに、胎盤は早こんなに大きくなつてゐます。これだけでも、母体がどんなに大きな犠牲を払はねばならないか、お判りになるでせう。」
 私は凝然と、丁度植物の種子を割つた、あの胚乳《はいにゆう》の中にある小さい
芽のやうな、白いものを見詰めてゐた。
 心臓の弁膜に故障のある妻の体は、度々の妊娠、出産、授乳も手伝ひ、早くから脱落症状を現し始め、いつか乳房も|萎《な》え、腰のあたりの肉も痩せ落ちてしまつてゐた。が、私も世俗の塵にまみれ、生活に追はれ、いつか驕慢の誇りも失せ、快楽の夢も消えてしまつてゐた。
 生きてゐることも考へなくなつてしまつた者に、どうして死ぬことを考へる必要があるだらうか。私のそばに、妻はいつもゐたし、妻のそばに、私はいつもゐた。丁度、永年使ひ馴れた品物のやうに、最早、私達は互に互の存在さへも意識しなくなつてゐた。さうしてそんな平凡な日々が、何年か過ぎ去つて行つた。
 不意に、私は何者かに強打されたやうに思つた。その瞬間、妻は私の前に斃れてゐた。心臓弁膜症から起る脳軟化症であつた。しかし私は妻が死ぬことなど考へもしなかつた。妻を看病する一心が、死を予測することを|赦《ゆる》さなかつたのであらうが、実は、死そのものに対して、あの夢の中で感じたほどの真実感をさへ持つことは出来なかつたのである。が、約一年後、妻は死んだ。
 妻が死んで、私は初めて自分が生きてゐることを知つた、と言つても、自分だけでは、過言でないと思つてゐる。妻の死が、私の生を空白の中に浮き出させたと言つてもいい。私は置いてきぼりを喰はされた子供のやうに、或は生き残つた一匹の蟋蟀のやうに、亡い妻の姿を求めて、ある時はしどろもどろ、ある時は|蹌踉《さうらう》と、自分の|寂寥《せきれう》の中を歩き廻つてゐたやうであつた。
 妻の生存中、私は痩せ衰へた妻の体を|慨《なげ》いた覚えはない。まして妻の病中、手足の萎えた妻の体を恨んだことも一度もない。それにも関らず、私の夢や、妄想の中に現れる妻は、何故、きまつて若い日の姿をしてゐたのであらうか。或は、死といふものは、色欲といふものと、ひどく|親《ちか》しい関係にあるものかも知れない。さう言へば、白骨となつて、今は壷の中に入つてゐる者のあられもない姿を想ひ描いて、涙を流してゐるなどといふことは、浅ましい限りであるが、言はばインポテントのやうな余命を抱へて、迷ひ歩いてゐるやうな人間には、或は分相応のことであつたかも知れない。
 妻が亡くなつたのは、冬十二月、私は春を待ちかねるかのやうに、梅や、|辛夷《こぶし》や、桜の花を、貰ひ受けて来たり、買ひ求めて来たりして、机の上に|活《い》けた。初めのうちは、白梅の微かな香りに、幼い時の唄を思ひ出してみたり、辛夷の白い花影に、白張りの|提燈《ちやうちん》を聯想したりしてゐたが、ふと鼻先に|漂《ただよ》つた花の匂ひに、意外にも|勁《つよ》い花弁の姿に、いつか私は、おや、と小首を|傾《かし》げるやうな思ひの起こることもあつた。何だらう。今のは何だらう、この何かのときめきのやうな、歓びにも似た感情は何だらう、しかもその歓びには、夜の夢に現れて来る、亡い妻の姿の、鏡面に映つてゐるやうな清涼さはない。――などと、持つて廻つた言ひ方をしてゐる必要はなかつた――春の暖気に、今まで凍結してゐた私の生命の中の何ものかが、だらしなく溶け始めたやうな、それはひどく現世的な、つまり助平な感情であることを、私はやがて知らされた。
       三
 翌翌年、私は今の妻と結婚した。私は五人の子供のことも考へた。自分の仕事のことも考へた。年甲斐もなく、亡い者の姿に、奇怪な幻想を描いてゐる浅ましさも考へた。生きてゐる以上、いつそ|性懲《しやうこ》りもなく、ふてぶてしく生き切つてみたいとも考へた。が、そのやうなどんなもつともらしい弁解よりも、「人肌が恋しかつた。」といふ、ひどく俗つぽい表現が、この時の私の気持に、一番ぴつたりと当てはまつてゐたやうに思はれる。
「これだつた。これだつた。」
 私の失くしたものは、確かにこれだつた。まるで何かそんなものが、私の掌の中にころがり入りでもしたかのやうに、私の体の中のひどくおつちよこちよいな奴はーそいつこそ、先妻の死を最も悲しんだ奴であつたやうに思はれるのだが  小躍りして歓んだものだつた。
 が、人の命などといふものはどんなものか、とにかく人の両手に|掬《すく》ひ取られるやうなものではない。私は、多分その中にあるだらうと思はれる妻の体を、しつかり|捉《つかま》へてゐるより他はなかつた。この子供のやうな思ひつきは、かなり私の気に入つたものだつたが、五十男と四十女がいつまでもそんなことをしてゐられるものではない。
 五十男は、毎朝、勤務を持つてゐる妻を駅まで見送りに行つた。夕方になると、五十男は亀の首のやうに|皺《しわ》の寄つた首を伸ばして、妻の靴音を待ちわびた。
 奇妙なことに、既に半ば白かつた私の局所の毛も、急に黒さを|蘇《よみがへ》らせた。妻の|乳嘴《にゆうし》も確かにその色を濃くしたともいふ。他人に|嘲笑《あざわら》はれるまでもなく、私はその額に、自分から「老醜」といふ二字を烙印してゐるやうだつた。
 が、私はこの時ほど死といふものを身近く感じたことはなかつた。同時に、この時ほど死を恐しく思つたことはなかつたのである。
 この妻を死なせてはならない。若しも、再びそのやうなことがあれば、今度こそこの自分をどうすればよいのだらうか。
 経験を持つてゐるといふことには、二つの揚合があるやうだ。例へば痛さといふ苦痛に対しても、一度経験があるために、あまり恐しく思はない揚合もあるだらう。その逆に、なまじつか経験があるために、俗にいふ思つただけでも涙の出るやうな、強い恐怖を抱く場合もあるだらう。つまり痛さの程度に|因《よ》るのであらうが、私の場合は後者に属する。
 私はレールが恐しかつた。朝、私は踏切りの遮断機の前に立つてゐる。その前を、電車が徐徐に速力を増して走つて行く。時には、ドアーの窓に押し当てた妻の顔が、私の目を|掠《かす》め去つて行くやうなこともあつた。妻の乗つた電車が、視界の中に刻刻小さくなつて行くにつれ、二条のレールは見る見るその長さを伸ばし、私の目の中で、冷たく光つてゐるのだつた。
 また、私はよく妻のゐる席を想像した。殊に、帰りの遅くなつた夜、勤務先の妻の席にはもう妻の姿はないであらう。私は空の椅子を一つ思ひ浮かべる。妻は街を歩いてゐるのだらうか。が、俳優のゐない舞台を照らしてゐるスポットライトのやうに、円形の光だけが、落葉の散つてゐる街上を動いて行つた。すると妻はもうバスに乗つたのであらうか。が、バスは妻の席だけを空にして、走り続けてゐるやうであつた。
 狂つたやうに、踏切りの警笛が鳴り響いてゐる。救急車の白い屋根が走つて来る。スヰッチを入れれば、惨事を報じるラヂオの声が今にも鳴り響いて来るかのやうに思はれたりもした。
 また、寝室の、深夜の闇の中に、いつも花模様の鏡掛けのかかつてゐるはずの妻の鏡台が、冷く鏡面を光らせてゐたこともあつた。まるで――先妻の死後、今は押入れの中にしまつてある先妻の鏡に、やはり深夜、或は夢であつたかも知れないが、亡妻の姿をさつと消して、鏡は冷く光つてゐた――新しく映る姿を待つてゐるかのやうに。
 私は妻が妊娠することも、恐しかつた。
 無力な癖に、生きるといふことに変に執拗な私は、結婚した以上、もちろん二人の間に子供がほしかつた。さうでなければ、私達の日日の営みが、ひどく無意味なものになつてしまふではないか。
「子供はどうしても産まない。」と、妻は言ふ。
「私の子供なんか、後に遺したくない。」とも言ふ。
 が、それは妻の嘘である。そんな女の本心などあらうはずはない。妻は私達と、生まれるものとの年齢のことも考へて言ふのであらうが、一つの生命が生まれるといふことは、そんな人間の計算ではない。
「子供のない人間なんて、人生の傍観者だよ。無責任だよ。」と私は言ふ。
 確かに、大きな腹を突き出した、|孕《はら》んだ女の姿といふものは見よいものではない。が、その醜を曝さなければ、真実、人間の生きる資格はあるまい。
 時時、末子などに口小言を言つてゐるやうな時、私はふと妻の姿がひどく哀れに思はれてならないことがある。
 私と先妻との間に長男が生れたのであるから、長男から私を引けば、一つの亡い妻の姿があらう。同様、二男から私を引き、三男から私を引き、長女から私を引き、四男から私を引けば、それぞれ一つの亡妻の姿が残らう。従つて、長男と二男と三男と長女と四男を加へて五で割つたものから、私を引けば、亡い妻の姿はほぼ彷彿とするであらう。するとこんな下手糞な公式のやうなものを用ひずとも、亡い妻の姿は今もこのあたりに|揺曳《えうえい》してゐるとも言はれるやうでもあるが、今の妻にはそんなものはない。
 が、私が妻の妊娠に恐怖を感じてゐることには変りはなかつた。勿論、私は妊娠そのものに対してではなく、産科医院の手術室に銀色に光つてゐる器械類が恐しいのである。腹壁を裂く剪刀もあるだらう。胎児の頭を砕く器械もあるだらう。私には、それらの銀色の器械に、丁度煙がまつはつてゐるやうに、薄く染まるであらう血の色が思はれてならないのだ。殊に、奇妙なことに、格別気丈な妻が、例へば注射器のやうな物にさへも、異常な恐怖心を持つてゐることを知つて以来、私の銀色の器械類に対する恐怖は決定的なものとなつたやうでもあつた。
 が、人間といふ者はよくしたもので、何事に対しても、それほど騒ぎ立てるほどのものでもないのかも知れない。私も妻と生活を共にして五年、その日々にも馴れて行くにつれ、いつか生死のこともそれほど考へなくなつた。と言ふより、考へなくてもよいやうになつたやうである。レールや、空席や、鏡や、銀色の器械や、そんなものに対する恐怖も、いつともなく薄れて行つてしまつた。
 銀色の器械といへば、年齢の故か、妻は最早妊娠出来さうにもない。何にともなく、ひどく|悔《くや》しいやうでもあり、「産みたくない。」などと、強がりを言つてゐた妻のことを思ふと、少し哀れなやうでもあるが、こればかりはどう出来る筋合のものでもなく、また妻もまんざら強がりばかりでもなかつたであらうから、心も幾分楽である。
 言はば、私達はあの生命の隊列から離れることを、|漸《やうや》く|赦《ゆる》されたやうな感じである。しかし私達は生きてゐるのであるから、やがて死はやつて来るだらう。が、このやうに気楽に生きてゐられる者には、死もそれほど重苦しくはないだらう。などと、立派なことを言つてゐて、いつまたしどろもどろに騒ぎ立てるかも知れない。が、その時はその時のことである。
 しかしそれにしても、先妻の死に会つて、あんなに先妻との生を想ひ、今の妻と結婚して、あんなに妻の死を恐れたのは、何故だらうか。性慾を赤色に、死を黒色に例へるならば、まるで黒煙の渦巻いてゐる中に、焔が燃え盛《さか》つてゐる悪夢のやうだつた。唯一つ私に解つたことは、生きるといふことと――生殖をも含めて――、死ぬといふこととは、実に切つても切れぬ関係にある、といふことだけだつた。
 私達には、平安な日日が続いて行つた。私は大へん幸福であるやうだつた。人間が幸福であるといふことは、幸福であらうとすることではなく、幸福とは何であるかを、知り得たことのやうである。
 南面の、暖い陽の当つてゐる縁先に、私と妻は坐つてゐる。妻も少し老いたやうで、|鬢《びん》に白毛が一本光つてゐる。幾分、陽が西に廻つたらしく、小魚などを入れておく用水桶の水面の反射光が、緑の葉裏に映り始めた。微かな風の吹く度に、そのどこか|儚《はかな》い光線は、葉裏に波紋を描いて揺れ動く。虫が一匹鳴いてゐる。ひどく弱弱しい声である。ふと、妻が言つた。
「あら、時計が止まつてゐるやうですわ。」
 私の耳にも、はたして時計の音は聞えなかつた。
 その時であつた。私は再びあの潮騒のやうな音を聞いたのである。
 人間、馬、象……
                    (昭和二十八年一月)
 

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