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外村繁「夕映え」


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        一

 
 一羽の鳩がひとりでひどく怒つてゐるやうでもあつた。|喉《のど》を|脹《ふく》らませ、太い声で鳴きながら、逆毛立つた首を振り動かしてゐるかと思ふと、急に昂然とその首を押し立て、もう一羽の鳩のまはりを廻つてゐる。もう一羽の鳩は茶目にまつ黒い瞳を澄まし、羽を|窄《すほ》めるやうにして、逃げて行く。が、一羽の鳩は同じ動作を繰り返しながら、いよいよ激しく追ひ迫る。すると、もう一羽の鳩が、逃げ揚を失つたやうに、不意に、その揚に腰を屈めると、その上に一羽の鳩が乗つた。
 さう言へば、難にも同じやうなことがあつた。牡難が、横ざまに、片羽を拡げ、蹴爪の脚を蹴立てて、牝難に迫つて行つた。牝難は|尻尾《しつぼ》を立てて、しやがむと、牡難は、その背の上に、両羽を半ば怒らせるやうにして、乗つた。(その時、牡難は牝難の首のあたりを|銜《くは》へるらしく、一羽の年寄つた牝難は首の羽を|搖《むし》られ、難肉の中にあるやうな皮がみえてゐたものである)
 春の日のある夕方、私は奇怪な鳴き声を聞いたことがあつた。私の傍にゐた女中の八重に聞いてみた。
「何やろ」
「何どすやろ」
 陽は沈み、|木犀《もくせい》や、|高野《かうやまき》槇や、|椎《しひ》や、|柘榴《ざくろ》等が枝を伸ばしてゐる裏庭は、もう薄暗くなつてゐたことだらう、その奇怪な声は、花の香を含んだ夕闇の中から聞こえて来る。私は薄気味悪かつたけれど、好奇心はそれ以上に強かつた。私は八重の手を引張つて、声の聞こえて来る方へ歩いて行つた。私達が近づくと、その声は止んだが、どうやら溝の中から聞こえて来るやうだつた。首を伸ばし、溝の中を覗いてみると、何か動く物があつた。|蝦蟇《がま》だつた。しかしよく見ると、蝦蟇は一匹ではなく、一匹が、もう一匹の背中の上に、おぶさつてゐるのである。が、その表情は至つてとぼけてゐて、この蝦蟇達があのやうないやらしい声を出さうとは、どうしても信じられなかつた。私は夕闇の中に浮かんでゐる八重の顔を見上げて、言つた。
「何してよるのやろ」
「いやらし。さあ、あつちへ行きましよ」
 八重は自分の言葉に、少しあわてたやうに、言ひ直した。
「ひきがへるなんて、いやらし。早う行きましよ」
 |葱《ねぎ》の花に、|黄金虫《こがねむし》に似た、小さい昆虫が集まるのを知つたのは、小学校もかなり上級になつてからかも知れない。
 晩春の、物憂いやうな陽射しを浴びて、畑一面に葱坊主が|長《た》けてゐた。その葱の花の上に、この小さな昆虫達が集まつてゐたのである。中には、細い吸管を出して、蜜を吸つてゐるのもゐたし、麦藁細工のやうな、固い感じの花の上を、微かな音を立てて、歩き廻つてゐるのもゐたが、不思議なことに、その半ば以上は、二匹の虫が重なり合つて、じつと動かないでゐるのである。
 それにしても、葱の花は花弁もなく、|雌蘂《めしべ》が何本も突き出してゐて、まるで青白い針さし坊主のやうな、何といふ味気ない花であらう。が、こんな虫にも、何者にも妨げられることのない、こんな場所が与へられてゐたのか。あたりはひどく静かだつたし、太陽は格別に暖かだつた。私はいつか奇妙な虫の世界の中に引き入れられてしまつてゐたやうでもある。
 一つの花の上には、虫が一匹だけとまつてゐた。その虫は雌蘂の間をいかにも歩きにくさうに歩きながら、時時吸管を出して、蜜を吸つてゐたが、そのうちに羽を拡げて、別の花に飛び移つた。
 別の花には、二組の虫が重なり合つてゐた。その虫はまた蜜を吸つたり、歩き廻つたりしてゐたが、|軈《やが》て、一組の重なり合つてゐる虫の上に乗りかかつて行つた。三匹の虫は無器用な恰好で、暫く花の上で絡《から》み合つてゐたが、たうとう三匹とも仰向けざまに転び落ちてしまつた。
 また別の花には、一組の重なり合つてゐる虫と、重なり合つてゐない二匹の虫がとまつてゐた。が、その二匹の虫は蜜を吸つてゐるばかりで、さつきの虫のやうに動き廻つてはゐなかつた。そこへ一匹の虫が飛んで来た。その虫は直ぐ尻をもたげて、花の上を歩き出したが、前からとまつてゐる一匹の虫に行き合ふと、いきなりその上に乗つかつてしまつた。
 もうその頃には、私にも動物や、植物の生殖の行為は判つてゐたのであらう。植物の花に、雄蘂と雌蘂の別のあることは、学校でも学んだし、蝶蝶や、|蜻蛉《とんぼ》が二匹つながつて、飛んでゐるのも、|屡屡《しばしば》目撃された。初夏、螢を籠に飼つておくと、二匹の螢がしつぼをつないで、反対に向き合つてゐることもあつた。やがて、螢は籠の金網などに沢山の卵を産みつけて、死んだ。
 あの葱の花の上を|逼《は》ひ廻つたり、別の花に飛び移つたりしてゐたのが雄で、花の上でじつと蜜を吸つてゐたのが雌であつたであらうことも、大方想像出来た、鳩にしても、難にしても、あのやうな虫でさへ、雄の雄らしく、雌の雌らしい、といふことが、却つて妙に私の心にかかつたけれど、少年の心には、動物の生殖行為が、人間の性を聯想させるやうなことはなかつたのである。
 さう言へば、その頃、明治の末期から大正の初期にかけては、未だに「万物の霊長」といふ言葉が、少しの滑稽感もなく用ひられてゐた。田舎《ゐなか》の家の壁などには、変な楽書がしてあつたし、何も知りもしない子供達は却つて|淫《みだ》らなことを平気で口にしたものでもあつたが、私はこの古風な言葉に(否、少年の心にはひどく新鮮であつた)先入主的な信頼を懐いてゐたやうである。
 或は、こんな幼稚な言葉がもつともらしく語られてゐるやうな時代には、未だそれに|応《こた》へられる素朴さが残つてゐたのかも知れない。殊に「レイチャウ」といふ語韻は、子供の心に何か神秘なものを感じさせ、私はそつと口にするのも恥つかしいほど、その言葉が好きだつた。人間には、その肉体に超越した、荘厳なもの、崇高なもの、美しいもの、正しいもの、そんな何かがきつとある……「レイチャウ」である人間が、あの謹厳な校長先生が、あの端麗な志村先生が、犬や、猫や、鳩や、難や、あの|鈍臭《のろくさ》い虫どもと同じやうに、あんなことをするはずがないではないか。
 
       二
 
 その頃は、田舎のことでもあつたから、人人は殆ど和服だつた。学校へ行く子供達も、着物に|兵児帯《へこおび》をしめてゐるだけで、下ばきは、男の子は何も着けず、寒くなると、綿ネルの股引をはき、女の子は赤や鴾色《ときいろ》の腰巻を締めてゐた。運動揚のまん中で、男生徒が丸い尻をほり出して、擬馬戦に夢中になつてゐることもあれば、女生徒が股のあたりまで現して、走り廻つてゐることもある。女生徒達が、いかにも女らしく、着物の乱れを気にするやうになつたのは、さうして私がそんな女生徒の羞恥に気づくやうになつたのは、何年頃からのことであつただらうか。
 が、先生達は、男の先生は多く詰襟の洋服だつたし、女の先生は和服に紫の|袴《はかま》をはいてゐた。
 一年生に入学した当時、女の先生達の紫の袴の姿が、私にはどんなに美しく、気高いものに思はれたことか。運動場で、先生に手を取られた私には、その紫の色は匂ふやうに優しかつたが、教室で、見上げる先生の姿は威厳に充ちてゐたものだつた。さうして、私の幼いこの印象はいつまでも汚れることはなかつたのである。
 志村先生は音楽の上手な、紫の袴の格別美しい先生であつた。髪はその頃流行してゐた、高い|廂髪《ひさしがみ》に結つてゐたが、少し冷いとも思はれるほど、その端正な顔には、深い陰影があつた。担任の先生でもなかつたのに、今もこんなにはつきりした記憶が残つてゐるのは、或は志村先生に対して、田舎の子供らしい憧れにも似た感情を懐いてゐたのかも知れない。
 中学の入学準備教育を受けてゐた頃のことであるから、私はもう六年生になつてゐたのであらうか。ある日の放課後、私は教員室に入つて行つた。が、どうしたのか、どの席にも先生達の姿はなく、隣室の音楽室で先生の声がしてゐるやうだつた。寸時、私.がためらつてゐる時だつた。宿直室の戸が開き、志村先生が出て来た。が、私が志村先生であることを知るには、一瞬の時間を要した。と同時に、私は危く声を発するほどの驚きに打たれた。志村先生は袴をはいてゐなかつたのだ。が、私は先生が袴をはいてゐないことに驚いたのではなく、袴のない先生の姿が、一瞬、ひどく異様に私の目に映つたからである。
 何といふ不思議な手品であらう。人の衣服の僅かな変化が、その人自身まで変へてしまふのであらうか。そこに立つてゐるのは、最早志村先生ではなく、一人の「女の人」に過ぎないではないか。
 日頃、隠してゐたものが、急に|剥《は》ぎとられると、隠されてゐたものの姿が一層はつきりと示されるやうに、袴を取つた志村先生の姿は、いかにも若若しい女の体であることを感じさせた。しかも先生の体は何よりもよくそれを知つてゐて、羞恥の色さへ漂はせてゐるではないか。私はすつかり|狼狽《らうばい》して、先生の言葉も聞き終らないうちに、教員室の外へ出て行つた。
 私はいつものやうに、叔父の家の庭先伝ひに、叔母の部屋の方へ歩いて行つた。庭には木犀の高い香りがあつたやうに記憶する。
 違ひ棚に西洋人形の置いてある叔母の部屋で、叔母は裁縫をしてゐた。その膝元には小さな白ネルの|襦袢《じゆばん》が縫ひ上がつてゐた。
「叔母さん、赤ちやんのですか。なんて、小さいんやろ」
「かはいでつしやろ」
 その叔母の腹部はもう目立つほど大きくなつてゐた。
 淑子叔母は昨年、十八で私の叔父の所へ嫁して来た人である。都会の女学校を出た若い叔母の、どこか華やかな存在が、やはり私に田舎の子供らしい憧れを懐かせたのであらう。私はよく叔母を訪ねて行つては、「野ばら」や、「|菩提樹《ぼだいじゆ》」や、「サンタルチヤ」の歌を歌つてもらつた。その叔母が妊娠したことを、私はいつともなく知つた。しかし、さういふ知り方のためか、私には特別の感情は起らなかつたやうである。
「運動会はいつでしたいな」
「十一月三日です」
「ああ、さうやつたな。去年は、晋さん、ほんまに、勇ましかつたわ」
 去年の運動会の擬馬戦で、この叔母や、志村先生の見てゐる前で、私は敵の大将の帽子を取つたのである。が、私の目はともすると叔母の腹部の方へ行きがちだつた。小柄な叔母の腹部は無気味に|脹《ふく》れ上つている。一体、赤ん坊はどこから生れるのだらう。子を産んだ女の腹部には黒い痕があるといふ。本当に腹を破つて生れるのであらうか。私はこの叔母の腹部の破れる瞬間を想像し、思はず叔母の顔を見た。叔母はそれを知りながら、こんなに平気な顔をしてゐるのであらうか。が、さう言へば、日頃綺麗な叔母の顔も、どこか荒荒しくなり、目ばかり険を含んで光つてゐた。
 私は棚の上にあつたトランプを取つて来て、占ひ遊びを始めた。トランプを半分つつ両手に持つて、それを反らせて繰る、その繰り方もこの叔母から教はつたのである。
「まあ、|上手《じやうず》にならはつたわ」
 私は幾分得意でないこともなかつた。が、私が七枚の札を並べ終つた時、女中が環さんを案内して、入つて来た。私は環ざんが産婆であることを知つてゐた。不意に、激しい動悸とともに、羞恥が私の全身を染めて行くのが判つた。
「お変りありまへんか」
「はあ、おかげさんで」
 私はここにゐてはならない。こんな恥づかしい感情を懐いた以上、私はこの座を立たなければならないのだ。が、まるで私が未だ羞恥を知らぬ子供であるかのやうに、叔母は私に「向かふへ行け」と言はないのである。
「赤ちやん、よう動きますわ」
「ほらまた、お元気なこと」
 私は、しかし、立ち去るにしても、何げない風を装つて、立ち去らなければならない。が、|生憎《あいにく》、私はトランプの占ひ遊びの途中である。若しも、このまま立ち去れば、私は私の羞恥を叔母に知らせることになる。私が恥づかしいのは、叔母の羞恥を、つまり女の羞恥を、感じたからである。私が立ち去ることは、却つて叔母を|辱《はつか》しめるやうにも思はれた。が、私はここにゐてはいけないのだ。
 やがて、叔母の帯を解く音が聞こえて来る。また激しい動悸が打つた。私はいよいよ立ち上る機会を失つてしまつたのだ。私は殆ど夢中でトランプの札を並べた。叔母の横になる気配を、私は聞いた。
 私は叔母が恥づかしかつた。といふより、叔母がどんな残酷な目に会つてゐるかと、恐しかつた。私はむしろ不安だつた。私はいつそ思ひ切つて、叔母の様子が見届けたかつた。しかし、絶対に見てはならない。が、不安は募るばかりだつた。
 私は素早く盗み見た。叔母は仰向けに寝てゐるらしく、産婆の後姿が目を|掠《かす》めた。私はそつと顔を上げた。
 白く、盛り上つた腹部は、醜く、いやらしく、私にはどうしても人間のものとは思はれなかつた。産婆は|鞄《かばん》の中から平たいラッパのやうなものを取り出して、その上に当てるやうだつた。
 
       三
 
 私が目をつむると、まつ暗い中に、さまざまな光輪が現れる。光輪は大きくなり、小さくなり、いろいろの形に変り、最後にはきまつてあの姿態を描くのである。
 その頃は、私も既に人間の性の行為を疑ふことの出来るやうな年齢ではなかつた。が、叔父にあの|和綴《わとち》の画帖を見せられるまでは、私の目には、このやうにはつきりと男女の姿態を描くことは出来なかつたのである。
「口ではどんなに綺麗なことを言つてゐても、人間なんて、誰でも、こつそり、こんなことをしてゐるんだからね」と、その時、叔父はさう言つた。
「もちろん」と、私はその画帖を開いたまま膝の上に置いて言つた。
「私だつて、入間の性は否定しませんよ。いや、しませんぢやなくつて、出来ません。しかし、かういふ風に、性を遊戯化するのは、危険だと思ふのです」
「しかし、性欲には遊戯的な面も、大いにあるんだよ」
「それが、いけないと思ふんです」
「何故?」
「男は性の結果に対しては、全然責任が持てないんです。しかし、女性には大きな負担がかかるんです」
「君にも似ず、いやに巧利的なんだね」
「いえ、性の行為は、必然的に新しい生命を産むのです。新しく生れて来る者に対しても、責任を持たなければならんと思ふんです」
「そんな馬鹿な。どんな子が生れて来るか、責任なんか持てないね」
「愛情の問題ですよ。愛し合ふ者だけに|赦《ゆる》されることです」
「たうとう愛情とおいでなすつたね。しかし、まあ、色事に理窟は野暮つていふもんだよ。人間つて、そんなもんぢやないんだ。さあ、遠慮はいらんよ」
 私はこの叔父に対して、言ひやうのない反撥を感じた。こんなもんがなんだ――そんな気持以外に、この叔父に抗することが出来ないやうに思はれた。私は|殊更《ことさら》ゆつくりと画帖を繰つた。が、叔父のいふやうに、人間といふものはそんなものではなかつたのだ。夜、床に入つて、目をつむると、あの画帖の中の人間の姿が浮かび出るのである。私はどんなに強く目をつぶつても、まるで私が待ち望んでゐるかのやうに、浮かび上がる。
「口で、いやらしいとか、恥つかしいとか言つてゐても、どんな女でも、かういふことをするんだからね」と、叔父は言つた。
 瞼《まぶた》の中の女達も、初めのうちは誰も彼もいやいやをしてゐる。人間である以上、性の行為に羞恥の感情を伴はないものがあるであらうか。まして女性には妊娠、哺育といふ重荷がかけられてゐる。しかも性の行為は、生れて来る新しい生命とは全然関係のないところで行はれる。若しも不具の子を考へてみればよい。人間の性の行為に、罪悪にも似た感情の伴ふのは、その故でもあらうか。すると、性の羞恥はこの罪の感情から発するものなのかも知れない。
 が、どんなに聖なる人も、どんなに美しい人も、痩せた人も、太つた人も、人間である以上、いかに恥つかしくとも、性の威令から逃れることは出来ない。羞恥を|敢《あへ》て犯すところに愛する人を愛さうとするのに、一種の|嗜虐《しぎやく》にも似た歓びを禁じることの出来ない|所以《ゆゑん》かも知れない。羞恥を敢て犯されるところに、愛される人に愛されようとするのに、一種の被虐にも似た歓びを禁じることの出来ない所以かも知れない。が、すると、羞恥とは、却つて虫を呼ぶ、花の香りのやうなのでもあらうか。
 高いのも、低いのも、太つたのも、痩せたのも、白いのも、赤いのも、性は情容赦ない。
 その着物は薄紫地に飛梅模様、下着は赤地に|匹田鹿《ひつたか》の|子《こ》、帯は黄地に唐草、長襦袢は水色で半襟は白、腰巻は赤、その立てた膝法師に、いかにも|初初《うひうひ》しい羞恥のこもつてゐる、若い娘の揚合もある。
 その着物は薄緑地、裾に菊の模様で、帯は朱金に亀甲菊、裾廻しは赤、下着は白、襦袢は赤で、襟は金茶、腰巻は浅黄、目は放心したやうに薄目を開き、その口もとに、僅かに羞恥の消え残つてゐる、若い女房の場合もある。
 その着物は黒地に金糸の縫のある襟のかかつた茶と黒の|竪縞《たてじま》、裏は紫で、腰巻は赤、解けかかつた帯は群青地に桜、口は半ば開かれ、男の首に巻いた手に、いかにも強い力のこもつてゐる、年増女の揚合もある。
「君の好きな叔母さんだつて、あんな何喰はぬ顔をしてるけど、ここに画いてある、どんな形でもしたんだぜ」
「馬鹿なことを言はないで下さい」
「これが馬鹿なことだらうかね。君はまだ知らないだらうが、女といふものはね、残酷に扱へば扱ふだけ、歓ぶものなんだよ。君のところの路子だつて、うちの美代だつて、色気ではつてゐるやうなもんだ。君もいい加減に決めてやらないといけないよ。生殺しは、却つて卑怯といふもんだぜ」
「路子や、美代が、私と何の関係があるのでせう」
「いや、それならいいがね」
 路子は私の|再従兄弟《またいとこ》で、その父を失ひ、私の家に養はれてゐる。無口で、いつも濃い|睫《まつげ》の目を伏せてゐるやうな娘であつた。美代は叔父の家の女中で、快活な、白桃を思はすやうな頬は、いつも美しく血の色に染まつてゐるやうな娘であつた。が、それにしても、この叔父は何故このやうな無法なことを口にしなければならないのであらうか。
 あれほど|傲岸《がうがん》、人に屈することを嫌ったこの叔父もやはり人の子、性の威令に|慴伏《せふふく》するより他はなかつたのだ。が、さうだとすれば、叔父も一人の恥づかしい人間に過ぎなかつたのであらう。叔父はそれが悔《くや》しいのだ。なまじ、この羞恥が腹立たしいのだ。叔父は叔母の羞恥を剥ぎ取ることによつて、嗜虐の悦楽を満たしてゐたやうに、私を、
路子を、美代を、いや|総《すべ》ての男を、女を、性の汚辱に|塗《まみ》れさすことで、竊《ひそ》がな自慰を感じてゐるのかも知れない。その意味においては、叔父
の目的は殆ど完全に達することが出来たと、言ひ得よう。
 夜、私の瞼の中に浮かび出る、あの女達の姿は、私の必死の拒否にもかかはらず、あつといふ間に、路子の顔にも、美代の顔にも、変るのである。初めのうちは、あの女達がさうであつたやうに、路子は、美代は、|頻《しぎ》りに頭を振ってゐる。その顔は、次第に今にも泣き出すばかりの顔になつて行く。が、性の魔王は、あの女達を|赦《ゆる》さなかつたやうに、路子を、美代を赦さないのである。私の目は、いつ、路子の、強い張りのあるアキレス腱が膝裏の窪みを作り、|脛《はき》に白い|力瘤《ちからこぶ》の入る、あの形のよい脚を見たのであらうか。私の目は、いつ、美代の、腰のあたりから豊かに張つた、あの|火照《ほて》つてゐるやうな|脹《ふく》らみを見たのであらうか。路子の腰巻は|鴾色《ときいろ》、美代の腰巻は赤、雲母で描かれてゐるのは、女の液体であるといふ。
 これを見よ、これが路子だ。これが美代だ。これが女であつたのか。これが人間であつたのか。私は最早、人間であるといふ謙虚な絶望の中に、|喘《あへ》ぎ入るより他はなかつた。
 
       四
 
 それから何年、私もいつか五十を過ぎてしまつた。私も亡妻との間に五人の子供が生れ、その子供達もそれぞれ大きくなつてしまつた。性に関する限り、私のこの世に生れた役目はもう終つてしまつた。が、あのやうな激しい羞恥や、悔恨はなくなつたが、未だあの恥つかしい感情は消え残つてゐる。役目を果した気安さからか、むしろほのぼのとした感情となつて、生きてゐる歓びを感じさせてくれる。夕映えのやうなものであらうか。
 木木が蕪雑に枝を伸ばした小庭ではあるが、今は緑が美しい、|楓《かへで》の浅い緑、|椿《つぽき》の濃い緑、|山茶花《さざんくわ》の|代赭《たいしや》がかつた緑、黄色い斑の入つてゐる青木の緑、そんな緑が重なり合つて、濃い蔭を作つてゐる。その緑蔭の中の、葉の上や、地上には、葉もれの光線がさまざまの日影を投げてゐて、風が吹く度に、日影は、葉の上に、地面の上に、|小波《さざなみ》立つやうに揺れ動く。
 あの時、志村先生は何故袴をはいてゐなかつたのであらうか。
 私が担任の滝川先生の居所を尋ねると、志村先生は確か(私はよほど狼狽してゐたらしく、はつきりした記憶はない)男の先生は体格検査であるから、後に来るやうに、と言つたのではなかつたか。
 さう言へば、音楽室には、体重|秤《ばかり》や、あの横木の上下する身長計が置いてあつて、生徒達の体格検査もそこで行はれた。不断下ばきを着けてゐない男生徒達は素裸になり、女生徒達は腰巻だけの半裸になつて、計量器の上に立つた。直立の姿勢で立つて、あの横木がこつんと頭に当るのを待つてゐるのは、何か物哀しいものだつた。
 体格検査が男女別に行はれるやうになつたのは、何年生からであつたか。女生徒達の番になると、男生徒達は面白半分に、|覗《のぞ》きに行つたものだ。が、腰を屈め、指先で男生徒の目を突くやうな恰好をしてゐた三上安子の胸が、既に|脹《ふく》らみを持つてゐるのを見て、私はあわてて、その揚を立ち去つた。が、少女の乳房が次第に脹らんで行くのは、どんな気持のものだらう。或は、幾分の喜びと、幾分の恐しさと、幾分の腹立たしさを感じるかも知れない。
 あの時、男の先生の後が、女の先生の番ではなかつたらうか。が、あの高い|廂髪《ひさしがみ》の志村先生の頭に、どんな風にして、あの横木が当てられるのであらうか。また、その頃の女の人はパンツなどといふものははいてゐない。袴を脱いだ志村先生の姿に、羞恥の色を感じたのは、あの端屬な志村先生が体重秤の上に立つた姿を想像したからであらうか。恐らく、私の幼い羞恥は、そんな無礼な聯想には耐へられなかつたらう。或は五十男の好色が描いた妄想であるかも知れない。
 不意に、何か物の落ちた、鈍い、かなり大きな音がした。顔を上げると、黄色くなつた八つ手の葉が|笹叢《ささむら》の中に落ちてゐた。風は幾分強くなつてゐて、緑蔭の中では、光の波紋が散り乱れてゐる。葉の緑が激しく揺れるから、光も一層盛んに乱れるのであるが、光が乱れるから、緑の色も変化して、緑と光の交錯がひどく清清しい。
 八つ手の木には、浅緑色の若葉が長い葉柄を伸ばし、光の中に揺れてゐたが、その下には、半ば黄色になつた古葉が一枚、危く散り残つてゐた。
 あの時、叔母は帯を解き、紐を取り、着物の前を押へ、立ち上らうとして、ちらつと私の方へ目を遣つた。同時に、そつと顔を上げた、私の視線と会ひ、私はあわてて目を伏せた。その時、確かに、叔母の口のあたりに、微笑のやうな羞恥が漂つたやうに思ふのである。
 すると、叔母は私が未だ羞恥を知らぬ子供として、その場にゐることを許したのではない。既に私が羞恥を感じる子供であることを知ってゐたから、叔母も羞恥の色を浮かべたのではなからうか。さうだとすれば、あの時の私は、よく女の画の中に立つてゐる子供のやうな役目だつたのかも知れない。残酷な目に会つたのは叔母ではなく、私だつたのだ。激しい羞恥に汚されたのは、むしろ私の目だつたのである。
 が、私はそんな叔母を決して|淫《みだ》らな女であるとは思つてゐない。淫らな女が子供の視線など意識するものではない。性を知ったばかりの叔母の、初初しい羞恥がさせたのかも知れない。女の羞恥といふものは、そのやうなものであるやうだ。
 が、勿論、あの時の私がそのやうなことに気がつかうはずはない。やはり、五十男が描き出した妄想かも知れない。が、あの時、叔母の、あの腹の中に宿つてゐたのが、美登利である。美登利は、つい先刻まで、この部屋の紫檀の机の向かふに坐つてゐた。美登利と言つても、もう三十九で、五人の子供の母である。まるで嘘のやうな話である。
 叔父は女は残酷に扱はれれば扱はれるほど歓ぶものだ、と言つた。
 路子は村のあまり評判の良くない青年と駆落ちした。が、ある河畔の貧しい旅宿で二人は捕まつた。追つ手の人を隣室に置いて、二人は最後の交りをした。その時、路子の口から洩れる声は、隣室まで聞こえて来たといふ。が、それは淫らな声といふよりは、恰《あたか》も悪魔に|挑《いど》まうとするやうな、むしろ哀切な声だつたかも知れない。
「女は魔物とは、よういうたもんぢや。選りに選つて、あんな男と逃げんでもよささうなもんやが」
「外面如菩薩内心如夜叉とはこのことよいな」
 村人達のとりどりの噂の中を、お針の師匠に附き添はれ、路子はあの黒い|睫《まつげ》の目を伏せて帰つて来た。
 美代は、あのやうなことを言つてゐたその叔父と、いつか関係が出来てしまつてゐた。叔母にその揚を見つけられ、美代は暇を出され、風呂敷包みを提げて、故郷の生家へ帰つて行つた。
 美代もあの画帖を見せられたといふ。或は、美代は|眩暈《めまひ》のやうな羞恥のあまり、自分から自分の体を、羞恥の中に投げ捨てたのかも知れない。叔母についても言つてゐたやうに、美代の豊満な体を前にして、あの叔父は画帖の中の女達の姿態を思ひ浮かべては、|舌嘗《したな》めずりをしてゐたことであらう。が、最早、そのやうなことはどうでもよかつた。あの叔父も既に亡くなつてしまつた。
 路子も、美代も、その後結婚し、子供も出来、今は平静な生活を送つてゐる。二人とももう五十にも近いことであるから、孫も出来てゐるかも知れない。
 私も、若い日、瞼の中に、路子や、美代の、けしからぬ姿を描いた時のやうな、あの激しい羞恥も、悔恨も、今はない。人間が生きて行くといふことは、浅ましいことであらうけれど、人間が人間として生きたことに、それほどの悔いもない。苦しみも、楽しみも、|自《おのつか》らその中にあつたやうだ。これからの一日一日、大したことはなからうが、力だけに生きて行けば、存外、胸のときめくやうな愉しいことも残されてゐるかも知れない。
 夕方近くなつて、風もよほど静まつた、陽が西に傾いて、緑蔭の中に、きららかな斜光が射し入つてゐたが、いつかそれも消えた。が、夏の日は長く、隣家の屋根が、窓が、|廂《ひさし》が、木木の稍が、まつ赤に染まつてゐるのは、西の空が夕映えてゐるのであらう。
                     (昭和二十九年七月)
 
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