|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

外村繁「澪標」2


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

( http://www6.atwiki.jp/amizako/pages/221.html
から)

 

  九月、関東大震災が起り、ふたたび上京した。父の日本橋の店と、深川の工場は全焼したが、一人の負傷者もなく、高田町の工場は残った。

 叔父一家を滝野川の避難先に見舞い、叔父の家の女中、八重と再会する。再会というのは、私が中学生のころ、叔母や、従兄弟たちの伴をしてきた八重と、郷里の家で一夏を過したことがあったからである。八重の故郷は愛知川の上流の君ケ畑で、紺絣姿は私の頭に|初々《ういうい》しい印象を刻んでいる。が、ふたたび見る八重は見違えるばかりの美貌で、その肢体はむしろ豊満であった。
 そのころ、私は梶井や中谷とつねに行動をともにするようになっていた。梶井は大酒家であり、愛酒家でもある。小料理屋で飲む酒の味も、私は梶井から教えられる。中谷はまったく酒を|嗜《たしな》まない。が、私たちの酒がどんなに長引いても、中谷がいなくなるようなことはない。電車のなくなった、京都の深夜の街を、私は中谷と歩いて帰ったことも幾度かある。
 中谷も、梶井も私より二年前に三高に入学している。しかし二人とも二度原級に停められている。いずれも出席日数の不足による。ことに中谷にはすでに愛人(現夫人)もあり、同棲していたこともある。が、今は彼女とも別れている。そんな人の心と心との|葛藤《かつとう》もあろう。自分自身の心の悔恨もあろう。中谷はいつも不機嫌であったし、その表情には暗鬱な|翳《かげ》が消えることがなかった。
 しかし中谷の不機嫌と、憂鬱とは、もはや、彼の皮膚に染みついたものかもしれない。中谷にとっては、むしろこの時代は小康を保っていた時期と言える。彼は親戚の家に下宿し、学校へも比較的よく出席している。性欲に対しても、いちおう、苦悩期を脱皮しえたのであろう。時には遊廓へ行くこともあるらしいが、もはや、感情を乱すようなことはない。童貞の私たちとは段が違う。性の醜悪さを知りつくしている。私たちが、盲が蛇に怖じない風の、露骨な1本当はいたって無邪気なものであるが――猥談に打ち興じていると、中谷は言う。
「童貞みたいな|穢《きたな》いもん、早う捨ててしまえよ」
 梶井は、中谷に反し、友人たちにも愛想がよく、快活な面もあって、よくユーモラスな冗談も口にする。また酔えば威勢のよい狂態を演じた。
 しかし梶井の笑顔と、快活とは、友人に対するサービス精神からのものでもあろうが、自分の精神は少しでも明るく保とうとする、自己偽装ではなかったか。梶井にとっては、この時代はけっして平安な時期とは言えない。欠席日数も少くない。乱費による借金もあろう。彼の苦悩はそんな日常生活の乱れにもよるだろう。しかしその根源は彼の精神のもっと深奥部から発しているに相違ない。が、彼は「神」を呼ぼうとして、いつも「悪魔」を呼んでしまう。ある夜泥酔した彼は、「おれに童貞を捨てさせろ」と、中谷にだだをこねて、聞かない。ついに中谷はむかっ腹を立て、彼を遊廓に伴ったという。
「梶井の奴、おれを恨んでやがるんや。ほんなこと知らんが」と中谷は言う。中谷のいうとおりである。が、梶井の|暗澹《あんたん》たる気持は理解できなくない。相変らず、露骨な猥談に|耽《ふけ》っている私たちに、あの彫りの深い顔をしかめて、梶井は言う。
「知らん奴にはかなわん。実感がないもんやで、平気で言いよる」
 梶井と中谷との友情を、私は少しも疑うものではない。二人の友情はむしろ濃度のかなり濃いものであったろう。それだけに、私にはかえって複雑怪奇にも見えた。が、そのようなことは、第三者が語るべきことではないようである。
 高等学校へ入り、私はいちおう性の緊縛から解放されたわけである。もちろん、売淫制度のあることは知っている。しかし私はそんなものを利用しょう、あるいは利用したい、と思ったことは一度もない。性病を恐れたからでもない。童貞を惜しんだからでもない。梶井のような惨澹たる気持になるであろうことを恐れたからでもない。私はそんな制度が存在していることを意識したことがなかったからである。
 しかし私は自濱行為をまったく行わなくなったわけでもない。夢精もする。その夢の中には、今ははっきりした記憶はないが、たぶん女の姿もあっただろう。
 すると、潜在的には、私はつねに女の体を求めていることになる。さらに要約すれば、私の性欲は女の性器をより強く求めていることにもなる、女の性器ならば、娼婦たちも|逞《たくま》しいものを持っているだろう。私がその存在を意識さえしなかったのはなぜか。
 この|矛盾《むじゆん》は、私という全体と、私の性欲という一部とを、別々に切りはなして考えたところから生じたものであろう。彼女らのそれは、その制度の中にある時は、女の性器というよりは、商売道具であるのかもしれない。そんなものに睨まれたら、私のような者の性欲は縮み上ってしまうよりほかはなかろう。つまり男の性欲を持っている私は、性器を持っている女というものの神秘を、ひたすらに求めていたというのが、比較的正確な事実ではないか。
 未経験者である私が、梶井の気持が理解できると、生意気なことを言ったが、以上のことを考えた上のことであることを、附記しておきたい。逆に言えば、梶井の苦悩の暗さ、深さが、以上のことを私に考えさせたのではあるが。
 祗園石段下の「レーヴン」というカッフェに、梶井や、中谷や、私たちが毎晩のように集ったのは、もう三高の生活も終りに近いころである。中谷のその一学年の出席数は悪くなく、卒業は確実である。梶井の卒業はかなり危ぶまれたが、理科である梶井が大学は英文科に転じる決心もつき、教授たちの間を運動中である。卒業後、私たちは東京の大学へ行き、時期を見て、同人雑誌を出す計画である。そのころの私たちの雰囲気はかなり明るかったと言わなければならない。
 梶井も、中谷も、私も卒業した。その夜、私たちは例によって「レーヴン」に集り、京都に残る人たちと酒を汲み交わす。私は前後不覚に酔ってしまったらしい。
 翌朝、私が目を覚ますと、汽車は浜松駅に停車するところである。私と、梶井と、中谷とはプラットホームに降りて、水を飲んだ。
 梶井は文学部英文学科、中谷は独文学科、私は経済学部経済学科に入学することができる。私たち三人は銀座や、神楽坂を飲み歩く。酒を飲まぬ中谷は相変らず不興げであるが、梶井は関西弁丸出しで、ユーモラスな|諧謔《かいぎやく》を飛ばしたりして、かなり機嫌がよい。私は中谷とともに東京を発ち、それぞれの故郷へ帰った。
 私はまた京都へやってきた。円山公園を通り抜け、高台寺の方へ一人で歩いて行く。私は先刻から薄い霧のように私の頭に|纒《まつわ》り、離れて行く奇妙な感情について考えながら歩いている。少くとも今までにこの路を歩いていた時の感情とは異る。私は目的を持って歩いているのではない。しかし今までのように散歩しているのでもない。もう私は京都には住んでいないのであるから。しいて言えば、明日までの時間つぶしに、過ぎた日を散歩している、とでも言えるか。
 この奇妙な感情は、京極を歩いていても、すでに灯火の入った四条通りを歩いていても、少しも変ることはなかった。しかしいずれもつい先日まで歩いていた道である。感傷とも言いがたいのも当然であろう。むしろ小休止の中にある、いたって気楽な感情のようでもある。あるいは若い私は東京の新しい生活に、新しい意欲を燃していたのかもしれない。
 遅く「レーヴン」に入る。良子もいる。妙子もいる。玲子もいる。菊枝らもいる。常連客の顔も見える。しかしこうして一人でコップを口に運んでいると、やはり先日からの奇妙な感情が湧いてくる。まるで先日までの私や、梶井や、友人たちの姿を見返しているような、傍観者の感情である。 つまり舞台は廻ってしまったのである。ひどく懐しいが、もはや、私の出るところではない。私は「レーヴン」を出る。
 深夜の京の街には、春の細雨が降っている。私は電車の絶えた四条通りを歩いて行く。背後から駆けよってくる下駄の音が聞える。玲子である。
「どうしたんだ」
「マスターと喧嘩して、飛びだしてきちゃったの」
 玲子は東京で育ったと言っている。私が歩きだすと、玲子も黙って|従《つ》いてくる。
「そんなことして、どこか、行くところあるの」
「そんなとこないわ」
 十七の娘を細雨の降っている深夜の街に捨て去るわけにはいかない。私は玲子を私の下宿に伴うよりほかはなかった。
 床を二つ並べて敷き、私はその一つに寝る。やがて床の中から玲子が言う。
「新村さん、私、処女よ」
「それは偉い。大切にするんだよ」
 しばらくして、また玲子が言う。
「ね、ここへ手あててみてよ。ほら、こんなに動悸がしてるのよ」
 少し好奇心は動く。中学生の時の友人の話を思いだす。滝湯の娘たちの乳房の形も目に浮かぶ。しかしそれだけのことも私にはできない。まして十七の娘の|据膳《すえぜん》を喰らうような欲望は、私にはまったくない。男の恥かもしれないが、そんな性の|機微《きび》には、私は無知に等しい。が、その時、私に一番強く作用したのは、京都の生活はもう終ったのだ、という、先刻からの奇妙な感情のようである。
 私は黙っている。また、玲子が言う。
「新村さん、もう眠ったの。私、なんだか、頼りないわ」
「じゃ、こうして眠ろう」
 私は手を伸ばし、玲子の手を取って、目を閉じる。さすがになかなか眠れるものではない。しかし私は性欲的刺戟は少しも感じることはなかった。
 翌朝、玲子に見送られて、私は東京へ発った。
 その五月、六本木のカッフェで、先妻、とく子に出会う。一見して、ここに私の妻がいる、と直感する。誠に笑止な話であるが、私は真剣である――
 しかしとく子とのことは、今までにもたびたび書いた。といって、とく子との性生活を除けば、そうでなくとも貧弱な、私の性欲史はほとんど成立しないだろう。できる限り簡潔に書いてみることにする。
 とく子はそのカッフェに勤めている。つまり女給であるから、私たちの恋愛は、私の家から許されない。しかし私は私たちの恋愛を運命的なものと、青年らしく誇張して考えている。父母の歎きも私の耳に入らない。
 しかしこの期間は、いたって未熟なものであったろうが、私の精神が最も緊張した状態を持続した一時期であったと言える。もはや、私は色情を懐いて、女を見るようなことはなかった。ひたすらに恋愛の純化を願って、色情そのものを忘れていた、とも言えなくない。私はとく子に対してもきわめて正確にいって、性的欲望を感じたことはなかった。
 私の感傷にすぎない、と友人は言う。不自然である、とも言う。また女性に対して、むしろ惨酷である、とも言う。しかしそのような女性の機微を私は知る|由《よし》もない。私は経済的に独立できない者に結婚する資格はない、と簡単に割切っている。そのままの状態で一年経った。
 私は自分の優柔不断な態度が嫌になってきた。文学青年的な志が私に冒険を|促《うなが》す。とく子に対する信頼は変らないが、彼女の身辺にも暴力的な危険が感じられる。私は思いきって、とく子と旅行に出た。
 私ととく子は磯部温泉へ行った。もちろん、新婚旅行の覚悟である。私は私の性欲を抑圧するつもりは少しもない。が、あるいは未知のものに対する恐怖感はあったかもしれない。二つの床を並べていても、私はいっこうに性的欲望を感じない。事実、碓氷川の川瀬の音や、|河鹿《かじか》の声や、妙義山の新緑や、その山霧等、私は今もはっきり覚えているが、とく子の肉体のどの部分についても、何の記憶も残していない。
 妙義山の山中で、突然、深い霧に包まれ、私は衝動的にとく子と初めて接吻した。自然と性欲とは、何か神秘な関係があるのかもしれない。しかしとく子のその唇も肉体の一部分としての記憶はない。
 私ととく子は上野に着いた。しかし私は別れることはできない。私はとく子をその下宿まで送り、そのまま泊ることになってしまう。しかしとく子は薄い一組の蒲団より持っていない。一つ床に二人は寝る。
 私の膝がとく子の膝に触れる。さすがに強い性欲的刺戟を受ける。もはや、私の思考力は失われてしまう。夢中で、私はとく子の体にしがみつく。
 生れて最初の行為ぼ意外にたわいなく終った。もちろん、ひどく恥しい。が、それよりも、とく子に対してひどい無礼を働いた、と思い、そんな自分に呆れる。同時に、そんな|侮辱《ぶじよく》に堪えなければならない女というものを、不思議にさえ思う。
 私は眠れない。とく子も眠っていない。私はとく子の手を握っている。さまざまな感情が起伏する。そんな感情の波を押し倒すように、今まで経験したことのない、強烈な信愛感が湧いた。
 明け方、私はふたたびとく子の体を求める。とく子は|拒《こば》まない。人間が人間に対して言語道断の行為を働いていることを、私は意識する。しかしすぐ激しい感覚が私にすべてを失わせてしまう。
 翌朝、血がシーツを汚している。とく子は顔を染めて、シーツをまるめた。
 私ととく子との関係は、もちろん、結婚とは言えない。私は父の家にいるのであるから、同棲とも言えない。しかし一度女の体を知った男というものは、こうまでずうずうしくなるものか。私は家人の思惑など考える余地がない。私は鎖を引きちぎった雄犬のように、とく子の下宿へ通った。
 珍しく家にいた私は、風呂に入った。何気なく胯間を見ると、いつの間にか包皮は剥け、亀頭は露出している。まるでぎょろ目をむいているようできわめて醜い。しかし自業自得である。私は京都の町医者の言葉を思いだし、苦笑するよりほかはなかった。
 とく子の下宿の二階六畳問に私は坐っている。とく子がカッフェから帰ってくるのを待っているのである。夜はかなり更けている。電車の車輪の|軋《きし》む音も今は絶えた。
 私がとく子の体を求めると、とく子はけっして拒みはしない。しかしひどく羞恥の表情をする。表情だけではない。体全体が恥しがっているようである。するとそれがさらに強く私を刺戟する。私は惨酷に、まるでとく子の羞恥をあばこうとするかのように、とく子の着物を開く。するとかえって強い羞恥が私の方へ|跳《は》ねかえってくる。もはや、私は激情の跳梁に任せるよりほかはない。
 しかしとく子は行為中も私のような激情を現さない。女のつつしみからであろうか。それとも女性の性欲は男性のそれのように激しくは発しないのか。
 ある時、私はそれについて友人に尋ねた。
「それはいかんよ」と言い、図解して、教えてくれた。
 その後のある夜、とく子がきゅうに乱れ初める。日ごろの羞恥も、つつしみも、みずからかなぐり捨てたような激情を発した。そうして友人に教えられた、オルガスムに達したらしい。私も今までに経験したことのない快感を伴って、頂点に達した。
 とく子に対する私の感情は一変した。もはや、そんなとく子に献身者の姿はない。むしろ共犯者の、等しくあさましい姿である。が、奇妙なことに、とく子に対する親愛感はきゅうにいちだんと増した。二人は互に肉体の深奥の秘密を知りつくしたわけである。直接、肉体に|繋《つな》がる、夫婦だけが抱きうる感情であろう。
 とく子は終ってからも、その顔を私の頬に押し当て、私の体を離そうとしない。ふたたび私の性欲は昂奮する。とく子も同様らしい。遠慮がちに腰を動かしている。哀れも極れり、と私はひそかに思う。猛烈な愛情を感じる。
 秋の空の青い朝、私はとく子から体の異状を告げられる。先月から月経を見ないという。もちろん、私はそれが何を意味するかは知っている。しかしまだ全然実感は湧かない。
 午後、私たちの雑誌の同人会がある。本郷三丁目の青木堂という喫茶店へ行く。とく子から、先に打ち合せておいたように電話がかかってくる。受話器をあてた耳に、とく子の声が聞えてきた。
「やはりそうなんですって」
「そうか。それじゃ、とにかく体に気をつけるんだよ」
 私は少しも困ったとは思わない。依然として実感が湧かないからでもある。むしろ柄にもないことを言ってしまったと、私は恥しく思う。
 その夜、私はとく子の下宿へ引き返した。姙娠したとく子の体が案じられたからではない。私は診察の模様が気にかかってならないのである。床に入ってから、私はとく子に聞いた。
「ええ。そりゃ、もう恥しいって、むちゃくちゃでしたわ」
 しかしとく子はあまり語りたがらない。私は|執拗《しつよう》に聞きだそうとする。とく子はどうしても自分から足を開くことはできなかったと言う。
 しかし私はとく子を辱めて、|嗜虐的《しぎやくてき》な快感を味おうとするのではない。医者といっても男である。とく子は男の前に女の肉体を|曝《さら》したばかりではない。その肉体の、極秘の行為まで|窺《うかが》われたわけである。とく子の羞恥を思うと、私は異常なほどの恥しさを感じる。そうして私は姙娠という女の運命を思い、とく子に|贖罪的《しよくざいてき》な、激しい愛を覚えた。
 翌年になると、とく子は初めて胎動を感じたと言う。とく子は|晒《さらし》を買ってきて、腹帯を締めた。
「ほれ、ほれ、こないに動いているわ」
 とく子はそう言って、自分の腹に私の手を当てさせたこともある。しかし幾重にも巻いた腹帯の上からは、私の|掌《てのひら》に何の感覚も伝えなかったのも当然であろう。が、とく子はいかにも満足そうである。胎動がすでに母であることを知覚させたのか。そうしてその肉体の自覚が、自然に母としての感情も育てつつあるのか、と私は思う。しかし私の父としての感情は空白に等しい。男というものがひどく無責任なようでもある。しかしまたおいてけぼりを喰わされたようでもある。
 ある夜、遅く帰ってきたとく子が、部屋へ入るなり言った。
「今日はひどい目に会いましたわ」
 同僚の財布がなくなり、警察署に連行され、取調を受けたという。
「体も調べられたの」
「ううん、帯を取っただけ」
 しかしとく子の様子は少し普通でない。とく子は帯を解くと、いつになく荒々しく押入の|襖《ふすま》を開き、蒲団を敷き始める。私はそんなとく子を見上げて言う。
「どうしたんだ」
「寒いわ。寝ましょうよ」
 いきなりとく子が電灯を消した。
 床に入ると、とく子は体を私にすりよせてくる。
「どうしたんだい。裸にでもされたんじゃないの」
「そんなこと。どうでもよい。早う」
 とく子は自分から腹帯を取り、ひどく|昂奮《こうふん》している。こんなことは初めての経験である。とく子はしどろもどろに乱れながら自分から言いだした。
「腹帯がいけなかったの」
 とく子は腹部の|脹《ふく》らみを怪しまれ、別室に連れて行かれて、腹帯を解かされ、さらに|匍匐《ほふく》して調べられたという。そうしてこの自虐的な告白が、さらにとく子の性欲を刺戟したらしい。とく子は明らかに再三、オルガスムに達した。
 しかし昂奮が|鎮《しず》まると、私はきゅうに腹が立ってきた。そうして惨酷な感情が湧いた。私は電灯を点じ、とく子に同じ姿勢を取ることを強いる。とく子は|肯《がえん》じない。しかし私は承知しない。しかたなく、とく子は四つ這いになる。徴兵検査の時の屈辱感を思いだすまでもなく、ふたたび私の性欲ほ猛烈に昂進する。私はとく子の着物を剥ぎ取り、仰向けにして、その体にしがみつき、自分の着物も捨てた。一瞬不思議なことに、ひどく神妙な気持が起った。静かな喜びを伴った幸福感とさえ言えなくもない。が、次ぎの瞬間、私は完全に自分を失ってしまう。したがって、二人がどんな狂態を演じたか、私にはそれをか鶴みる余裕はまったくない。
 私はとく子を愛しただけである。それ以外には何の覚えもない。とく子も私の愛を許し、私は愛した以外には何の覚えもなかろう。しかし私たちの結婚は許されない。私たちは情夫であり、情婦であるよりほかはない。私は女給を情婦にしている学生である。とく子は学生を情夫に持っている女給である。その上、とく子は私生児を|孕《はら》んでいる。まったく条件は|揃《そろ》っている。警官から疑いを受けるのも当然のことかもしれない。
 警官はとく子の腹部をさして言ったという。
「変なことをしてみろ。承知しないから」
 情夫、情婦、私生児、窃盗嫌疑、堕胎|疑懼《ぎく》等、およそ善良な人間に関係のある言葉ではない。私がとく子を愛したばかりに、このように彼女を傷つけたことになる。とく子が私を愛したばかりに、このように彼女を辱めたことになる。しかも|性懲《しようこ》りもなく、痴態の限りをつくしている。人間の愛とは、しょせん、こんなものか。人に嘲《あざけ》られ、人に罵《ののし》られるのも当然である。人が人を愛するということは、少くとも「出家とその弟子」のような甘美な世界のことではないことを知った。
 後日、私は「歎異鈔」を再読した。が、もはや、最初の時のような抵抗を感じない。むしろしみじみとした感情が湧いた。現実を直視する、厳しい言葉の背後に、たとえば慈悲光とでもいったものが満ち溢れているのを感じた。そうして私はあの夜の、あの一瞬の不思議な感情を思いだした。
 あの時、私は自分の|醜行《しゆうこう》に呆れはてた。私はそんな自分の正体を自分の手であばこうと、自分の着物を脱ぎ捨てたのではないか。そうして人間の愛の愚かさを直視し、さらにそれに徹することによって、あの不思議な幸福感が湧いたのではなかったか。もちろん、あの時、そんなことを意識したわけではない。
「歎異鈔」を読み返して、初めてこんな風に解釈できなくもないかと思ったまでである。逆にいえば、自分の愚かさを思い知ったことによって、今まで「歎異鈔」に抵抗を感じさせていたものが、無力化したことはたしかである。
 五月、とく子の腹部は着物の上からもすでにそれと判る。これ以上、カッフェに勤めさせておくわけには行かない。といって、そんな腹をして、とく子の郷里へ帰せる義理のものではない。とく子は養女である。が、とく子は養家を嫌い、家出同様にして、東京へ出てきたのであるからである。
 しかしとく子は郷里へ帰るという。それよりほかに方法がないからである。私は自分をいかにも卑怯だと思う。しかしやはり同意するよりほかはなかった。
 五月の、風の強い日、とく子は帰郷することになった。私は途中まで送って行く。遠足に行く小学生のように、かなり愉しい。まったくよい気なものである。
 二子玉川で電車を降り、多摩川の長いコンクリートの橋を渡る。数年前までは舟で渡った、ととく子がいう。風が強いので、とく子はたびたび背を向けて、着物の乱れを蘆さねばならない。そのたびに、私の好色的な視線は、そんなとく子の姿を|捉《とら》えることを忘れない。
 多摩川の橋を渡ると、神奈川県の溝ノ口である。きゅうに|鄙《ひな》びた風景が|展《ひら》けている。堤を下りると、一軒の茶店があり、その前の桑畑の横に、一台の馬車が|轅《ながえ》を下して置いてある。とく子は一人で茶店の中へ入って行く。
「馬車は何時に出るの」
 帰ってきたとく子に、そう言った。とく子は微笑を浮かべて言う。
「それが、時間表もありませんのよ。田舎の人って|暢気《のんき》ですから、そんなもの、要らないのかもしれませんわ」
「すると、馬車はいつ出るか判らないんだね。呆れたね」
「まあ、そういうことになりますが、あそこで待っている人も、『そのうちに出るべ』って、平気なものですわ」
そういえば、とく子も何を急ぐ身でもない。私はいかにも穏かな人の心に接したようで、私の心もおのずから安らいで行く。が、とく子の故郷に近く、しきりに感慨の動くのを覚えた。
 風を避け、堤下の|草叢《くさなら》に足を投げだしていた私の耳に、ラッパの音が聞えてきたのは、それほど長い時間は経たなかったようである。
「あら、馬車のラッパですわ」
 とく子はそう言って、立ち上った。私もその後に従った。すでに馬車の|轅《ながえ》には馬が入り、数人の乗客がそれぞれの荷物を提げて、立ち並んでいる。しかしその中には、とく子の顔見知りの人もいるかもしれない。私は足を停めて言った。
「それじゃ、体に気をつけて」
「あなたこそ、お大事にね」
 とく子は一人で歩いて行き、乗客たちの後に列んだ。やがて乗客たちは順々に馬車に乗る。馬車の中は薄暗く、人の顔はよく見えない。最後に、とく子は私の方へ顔を向け、|一揖《いちゆう》してから馬車の中に消えた。
 馭者が高くラッパを鳴らし、馬の背に|一鞭《ひとむち》当てた。馬車はきわめて緩い速度で走りだした。一条の街道が通っている視野の中で、馬車がしだいに小さくなって行くのを、私はぼんやりと見ていた。
 七月末、男了出生の通知を受ける。それでもまだ父となった実感は湧かない。
 八月、葉山海岸に叔母を訪ね、叔父が美貌の女中、八重と不義を犯したことを知らされる。まったく意外に思う。八重の気持を解することができない。私は女というものの不思議さについて考える。
 九月、とく子の郷里へ、とく子と嬰児を迎えに行った。とく子の腕に抱かれていた、色の白い赤ん坊を私の手に渡された瞬間、私は全身が真赤になるほどの羞恥を覚えた。赤ん坊の柔かい肉の感触が、夫と妻との、親と子との、肉と肉との|繋《つなが》りを実感させたからかもしれない。
 しかし不思議である。こんなものがどうして生れてきたか。もちろん、私たちの性の行為の結果であることは知っている。しかし一回に射精する精子の数は約三億に達するという。その中の一つの私の精子が子宮に入り、一方卵巣より出てきたとく子の卵子と、卵巣膨大部で結合したのである。しかしそんなことを私もとく子もどうして知りえよう。私たちはただ性の快楽に酔い|痴《し》れていただけである。じつに無責任極まる話である。幸にも赤ん坊は不具者ではなかった。が、その将来にどんな運命が待つているか。
 翌日、とく子はわが子を負い、私は|襁褓《おむつ》の入った風呂敷包を|提《さ》げ、とく子の郷里を去った。中谷孝雄のいる府下長崎に一戸を借り、私は妻と子を|匿《かくま》った。家賃は十二円五十銭である。出発の時、とく子の母がそっと私の手に握らせた封物の中の金で、私はそれを支払った。
 十月、美保子が、あまり評判のよくない青年と、家出した報を受ける。母が名古屋の姉の許へ行っていた、留守中の出来事であったという。
 八重に対しても、美保子に対しても、私は倫理的には少しも|疚《やま》しさを感じない。私はいつも清潔な態度を持していたつもりである。しかし仏とか、神とかいう絶対者の前に立っても、はたして同じことが言いきれるか。私は彼女らに好意を持っていたばかりではない。私は色情を懐かないで彼女らを見ることはできなかったのである。
 しかし八重や、美保子に自暴的とも思われる行動を取らせたのは、かならずしも私のゆえだとは思っていない。とく子との経験からも察しられるように、女性の性欲は多くは受動的である。その代りというより、当然の結果として、男性に能動的に働きかけられた場合、その意志には関係なく、女性の性欲は受動的に昂進するのではないか。さらに女性は屈辱的な立場におかれてさえ、かえってマゾヒズム的な快感に|陥《おちい》るもののようである。したがって、女性の性欲には多少とも自暴的な要素を伴わないわけにはいかないのではないか。
 男性の性欲は多くは能動的である。いかにも積極で、荒々しいが、等しく自分の意志で左右できるものではない。つまり男にとっても、女にとっても、性欲は人倫の世界を超越して存在する。人間の分別の及ぶところではない。
 ここまで考えてくると、先に八重の気持が解せない、と私は思ったが、誰も判るものでないことが、やっと判った。もちろん、八重や、美保子を責めうる者は一人もいない。無分別といえば、とく子もその例外とは言いえない。私ととく子とは今も内縁関係を続けているのだから。
 翌年、三月、私は卒業した。が、生活できる当はまったくない。家業に従う決心をする。しかし私に文学を断念させた直接の原因はほかにある。そのころはプロレタリヤ文学がようやく盛んになり、左傾する友人も少くなかった。その一月、「不同調」という雑誌に私は作品を発表したが、その流行に|阿《おもね》るような作品で、醜を|曝《さら》したからである。
 父の手前、私は店員たちの寄宿舎の二階に起居していた。そうして時々、とく子の許へ帰った。したがって、とく子に対しても、とく子の体に対しても、つねに新鮮な感情と、感覚とを持ち続けることができた。
 十一月、父が郷里の家で死去した。腎臓結石である。享年、数え年六十であった。私の二十六の時のことである。
 翌年、一月、私は上京して、父業を継ぐ。日本橋の店の父の部屋に起居する。十月、二男が生れる。十二月、大川端に寓居を移し、初めて妻子と生活をともにする。平安な日々が続いた。
 得意先が代理店をしている生命保険にとく子を入れることになり、医者と勧誘員を伴って、寓居へ帰った。とく子にその旨を告げると、ちょっと困った表情を浮かべたが、しかたなく医者の前に坐る。問診を終り、とく子は帯を解く。医者がその胸を開き、聴診器を当てる。とく子は背が低く、小柄であるが、その乳房は白く、豊かである。しかしすでに二児を哺育した|乳嘴《にゆうし》は黒い。
 とく子は着物を合わせ、医者の方に背を向ける。医者がその背中を裸にする。とく子は胸を着物で押え、目を伏せた。とく子はさして羞恥の表情を浮かべていない。むしろそんな表情を浮かべまいと、しいて堪えている感じである。私はかえってかなり好色的な興味を覚える。しかし私はとく子の肌を男たちの視線に|曝《さら》さして、|嗜虐的《しぎやくてき》な快感を感じたのではない。とく子のそんな姿に私自身が強い羞恥を覚えたのである。そうして私の性欲が女性的であることを、その時はっきり意識した。つまり私自身を女性の位置に転置することによって、私の性欲はより強い刺戟を受けるようである。
「はい、こちらをお向きになって」
 とく子は着物を直し、医者の方を向く。医者は巻尺を持った手をとく子の背中に廻して、胸囲を計る。
「こう、|踵《かかと》を立ててください」
 医者はそのとく子の腹部を開き、巻尺を当てた。さらにとく子を仰臥させ、医者はその胸部を繰り返し打診した。
 しかしこの診察の結果、とく子は心臓弁膜症であることが判り、保険に加入することはできなかった。
 そのころ、私は毎夜酒を飲み歩いた。カッフェも行ったし、芸者遊びもした。時には私娼を買ったこともある。しかし強く感情を動かされるような女性にも出会わなかったし、肉体的関係を持つこともなかった。しかし妻に対して貞潔であろうと、しいて努めたわけではない。前述したように、私は女性に対して嗜虐的な興味を持つことは少いし、愛情を感じない女性の位置に自分を転置することは、あるいは困難なことかもしれない。
 私が三十一、とく子が三十の時、とく子は三度目の姙娠をした模様である、心臓弁膜症のこともあり、私は店の嘱託医である杉本病院にとく子を伴った。杉本医師は五十ばかりの温厚な人である。私の話を聞き終ると、杉本医師はとく子の方を向いて言った。
「では、内診してみましょうか」
 町の医院らしく、カーテンに囲われた産婦人科の診察台もある。一瞬、とく子は羞恥の表情を浮かべたが、意外にはっきりした声で言った。
「はい、診ていただきます」
「では、帯だけおとりなさい」
 とく子は帯を取る。杉本医師がカーテンを開く。踏み台のある診察台が見える。|鴇色《ときいろ》の細紐を締めたとく子がその中へ入る。カーテンが閉じた。
 とく子は踏み台を上り、診察台に仰臥する。しかし今度は両脚をぶら下げているわけにもいくまい。両脚を拡げて台の上に乗せる。着物が開く。その着物を捲り上げる。膝頭が自然に寄ってくる。杉本医師がその膝頭を押し拡げる――私は完全に倒錯した羞恥に、動悸は激しくなり、皮膚は熱を帯び、私の性欲は昂進した。
 とく子は蒼白な顔をして、カーテンの中から出てきた。杉本医師はそのとく子を内科の診察台に仰臥させ、丁寧に胸部を診察した。
「やはり弁膜症ですね。しかし弁膜症には治療の方法もありませんが、別にどうということもないでしょう。まあ、むりをしないことですね」
 その夜、床に入ってから、私はとく子に聞いた。
「今度は脚をぶら下げていなかった」
「ええ、だって二人も産んでいるんですもの。かえっておかしいわ」
「すると、診察台に乗ってから、捲るの。それとも着物を捲って……」
「知らん」
 とく子はそう言って、いきなり体をすり寄せてきた。近来、とく子は姙娠を恐れることもあって、床の中で積極的な態度を示さなくなっていた。が、その夜のとく子はすっかり違った。強い羞恥を感じると、少くともとく子の性欲は昂進することを、私は実証する。同時に、私は自分の性欲が女性的であることを確認する。
 十月、三男が生れる。
 十二月二十三日、私は満三十歳になる。私はこの日を待っていたのである。さっそく、とく子と三児の籍を入れ、郷里の人々に嘲笑される。
 翌年ご月、文学再出発を志し、杉並区阿佐ケ谷に移る。窮乏の生活が始まる。
「もう子供は産まない」と、とく子は繰り返して言う。私も同意しないわけではない。とく子は遜姙器を買ってくる。しかし避姙に関するとく子の知識はあまり信用できない。翌年、とく子は姙娠し、十月、長女を出産した。かなりの難産で、医者を迎えたりした。しかし私は初めて女の子を得て、たわいもなく満悦する。
 すでにとく子の体は欠落状態を呈し始めている。私も妻の姙娠を恐れる。しかし私はやはり妻の体を求めないわけにはいかない。妻も拒むことはできない。しかし以前のように素朴な感慨は起きない。肉体だけの快楽である。が、事後はとく子も目立って機嫌がよい。肉体だけの快楽も軽蔑できないものか、と私は恐しく思う。
 長女が生れた翌々年、とく子は五度目の姙娠をする。とく子はペッサリーも使っていたが、使用法を誤ったものであろう。翌年、二月、四男が出生した。私が三十六、とく子が三十五であった。
 そのころ、性生活に限らず、私の精神状態は平穏ではあるが、少からず緊張を欠いていたようである。たとえば子女の出生に対しても、凡々と喜んでいるばかりで、長子の時のような切実な感情が湧かない。すべてが惰性的になり、さして多くもない経験に甘えて、私は高をくくっているのである。まるで凡愚の上にあぐらをかいているようで、これでは精神が|昂揚《こうよう》するはずがない。しかし実際上からいえば、平穩どころではない。私は日々の生活に追われ、妻は五人の子の養育にかまけ、他を|省《かえりみ》る|暇《いとま》がなかったのである。
 しかしそんな私をちょっと緊張させたことが起った。妻の体にまたまた異常を来したのである。今度は|悪阻《つわり》もことのほかに強い。私は医者に行くことを進める。とく子は頑として聞き入れない。
「しかしもう恥しがる年でもないだろう」
「女というものは、年によって恥しさが違うだけです。こんな皺だらけの肌を見られるの、いやです」
「しかしそんなことを言ってる場合じゃないよ」
「産むのだったら、診てもらっても、診てもらわなくっても、同じです」
「産むのだったら……」
 そう言って、私は言葉を切った。とく子が半面にはこんな恐しいことを考えていたのか。そういえば、この悪阻とは何だろう。まるでとく子の母体が、姙娠させられたことに、激しい抵抗を続けているようである。あるいは女の体の深奥には、自分の胎内に宿った新しい生命を嫌悪する生理が潜んでいるのか。そうしてそれが自分の体の危険を感じると、母に母であることをさえ忘れさせるのか。私はこの生命の発生の不条理に呆然となる。しかし私が母体の危険を|冒《おか》しても、 「産めよ」ととく子に命じるのは、等しく恐しいことに相違ない。
「どちらにしても、お医者さんに診てもらうよりほかはないじゃないか」
 翌日、とく子は配給のキャラコを取りだし、尺を計って、裁断している。医者に行くつもりらしい。そんな私に、とく子は顔を上げて、
「おしいけれど、こんな汚いのして行けやしません。女というものは、苦労するんですよ」と言った。
 医者の言葉はほとんど絶対的である。考慮の余地がないという。とく子は近くの産科の医院に入院する。翌日、私は麻酔を打たれたとく子を抱えて、手術台に運んだ。看護婦がたちまちとく子の着物の裾を開き、両脚を台に載せ、革のバンドで縛った。手術用の足を載せる台は特に高い。とく子は無惨な姿になる。しかしとく子には意識はない。私も羞恥を感じるにはその姿態はあまりにも非情に過ぎた。
 戦争がようやく激しくなり、性生活どころではない。以来、数年間、生活全体が空白に等しい。
 昭和二十三年、私が四十七の時のことである。突然、とく子が倒れた。心臓弁膜症による脳軟化症である。私の精神状態はきゅうに緊張する。とく子に対して、青春時代のような|瑞々《みずみず》しい愛情が湧く。静かではあるが、ずっと深いところから|滾々《こんこん》と湧いてくる感じである。あるいはとく子一人に対するものではないかもしれない。
 しかし十二月、とく子は病気が再発し、死去した。|享年《きようねん》、四十六である。
「今生に、いかにいとをし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければこの慈悲始終なし」という「歎異鈔」の文意を、私は初めて感得した。
 翌年、私は今の妻、貞子を知り、結婚した。私は四十八、貞子は三十九である。
 私は先妻を亡くして|慟哭《どうこく》した。その反動のように、私は今の妻を熱愛する。世間の人はそんな私を嘲笑する。というより、むしろ|滑稽視《こつけいし》する。まったく当然である。あほうなのである。あほうと言われるのは当然のことである。
 私はこの慈悲の始終ないことは、徹底的に知らされている。泣くことの空しいと同様、愛することもいたって空しい。しかし私は、私の妻への愛は、人間の愛そのものの否定の上に立っている、などと、ゆゆしげな|理窟《りくつ》は言わない。愛などというものは|悟《さと》りの中から生れるものではなく、むしろ迷いの中から自然に湧きでるようなものなのだから。
 言うならば、私の愛は、私という人間の無力さを痛感した、その底圧力の中へ、自然に、物理的に|滲透《しんとう》したのである。等しく私の力ではどうなるものでもない。ただ異るところは、青年期のように無我夢中ではなく、年齢がそんな自分を客観視できることである。そうして結果的にほ、私の今の妻に対する愛は、つねに無常の中にあるということである。
 私は貞子と結婚して、亡くなった妻以外の、女の体を知ったわけである。私はつくづく不思議に思う。すべての人間と同じく、貞子の体にも、同じものが、同じところに、同じ数だけある。しかしその形態も、機能もけっして同じものではない。不具でない限り、決りきった話である。不思議に思う方が笑止であるかもしれぬ。しかし私はそれを私の体で初めて実証しえたのである。「私」の顔、「私」の体。「私」というものが、哀れ極まる。同時に、私は自然の中に存在するものの不思議を痛感する。
 亡妻とは反対に、貞子は背も高い。体格も立派である。二十代には八十キロを越えたという。そんな昔の写真もある。また亡妻のように欠落状態などを呈していないから、皮膚も白く、|肌理《きめ》も細かい。貞子は今まで独身を通してきたように、性格もどちらかと言えば勝気で、教育もある。しかし床の中では、その姿勢も、動作も少しも変りはしない。かえって瑞々しい羞恥が湧く。
 貞子の体を知って、私の性欲はきゅうに|蘇生《そせい》した。むしろ私の性生活は非常に充実したと言える。もちろん、青年期のような盲目的な激しさはない。しかし中年期のような惰性的なものでもない。そのたびたびが新鮮で、私が最も好色的であった時期と言えるかもしれない。つまり私に性欲を楽しむだけの余裕ぶ生じたわけである。私の技巧も幾分は年の功が積んだ。互の状態を判断し、それに順応する冷静さもできた。妻がオルガスムに達するようになるまでには、それほどの日数を要さなかったし、妻が二回、稀には三回と、オルガスムに達するようにもなった。私はそんな大柄な妻の体を抱えて、たわいもなく歓んでいる恰好である。
 人間というものは、私も妻も、なぜこのようなことをするのか、あるいはしなければならないのか。私は今までにも何回となく繰り返したことを考える。性欲があるからである。なぜ性欲があるのか。種を保つためである。が、人間自身にとってそれは結果であって、その原因を意識した者は誰一人もなかろう。私も、妻も知らぬうちにそんなものを持たされていたのである。種を保つために、人間に性欲を持たせた者は誰か。
 近来、私はこの不思議なものをしきりに想うようになる。「|賜《たまわ》りたる性」かとも、思ってみる。そうして妻とのあまり恰好のよくない姿を、その不思議なものの中におくことによって、私はあさましい姿のまま、つつましい歓びを感じるようになった。親鸞のいう「自然法爾」の歓びといってもさしつかえないのではなかろうか。
 人間の愛がいかに愚かで、利己的で、無力であるかということも、私はすでに知った。しかしその不思議なものの申に人間をおくことによって、人間の存在の|無常性《むじようせい》はいっそうはっきりする。さらにその無常の中に人間の愛をおくことによって、私の妻への愛を、愚かなまま新鮮にすることができた。
 しかし貞子がなぜ私と結婚する気持になったか、不思議でならない。私には四男一女がある。故郷の家には老齢の母もいる。私は才能もあまり豊かでない小説家である。収入も少ない。その上大酒家である。長い飲酒のため、酒気が切れると、手が|慄《ふる》える。貞子に初めて会った夜も、私はわかめのような帯を締め、泥酔の状態で、いきなり貞子にプロポーズしたという。
 貞子は確実な職場に勤めている。生活も安定している。自分の仕事に対する興味もしだいに増してくる年齢でもある。性欲のためとも思われない。職場では、彼女は木石女史とも呼ばれていた由である。またいくつかの縁談も断っている。理性の強い性格でもあるから、私の境遇に同情したわけではなかろう。何が彼女をそんな気持にさせたか。不思議というよりほかはない。
 その二月、私は貞子と山形の妻の故郷を訪れた。戦後のまだ交通の不便な時である。妻の妹の夫が荷馬車で送ってくれることになる。私と妻は荷馬車に乗り、毛布を敷いた上に向き合って坐る。妻は頭にマフラーをかぶっている。
「山形ジープで行ってけらっしゃい」
 孫を負った義弟の父がそう言って笑う。義弟の母も、妻の妹も見送っている。義弟に綱を引かれ、やがて荷馬車は動きだした。
 妻の故郷は蔵王山の噸峰、竜山の山腹にある。道はいつか緩い勾配の坂道になり、荷馬車はゆっくり登って行く。その年も暖冬で、地上に雪はなかったが、時々、大きな牡丹雪が、ひとしきり降り続く。やがて前方に、意外にも広大なスロープを持った、蔵王山麓の風景が|展《ひら》けてくる。貞子はその一点を指さして言う。
「ほら、あの木立の中に屋根が見えるでしょう。あれが私たちの小学校、その左の上の方に森があるでしょう。あの中に私たちの部落がありますのよ」
「そうか」
 坂道はゆるい傾斜で、道幅もかなり広い。義弟は黙々と馬を引いて行く。単調な車輪の音が私の耳に響き続ける。しかし徐々に、小学校の屋根の見える風景はその距離を縮めて行く。また牡丹雪が降ってくる。私は振り返り、思わず「わあっ」と、声を発した。
 一望の下、いかにも雄大な風景が展開している。稲の切株だけが残っている、小区劃にくぎられた段々田が、幾層にも重なり、ところどころ、森や疎林に|遮《さえぎ》られてはいるが、おのずから立体感のある、|広闊《こうかつ》な傾斜となって、村山平野に連っている。さらに大地は、あるいは急に、あるいは緩く、ふたたび起伏し、丘陵となり、端山となり、高原となり、はるかに遠く、雪に覆われた出羽山脈の山々が|聳《そび》えている。そうしてその空間を埋めて、無数の雪片が落ち続けている。
 私たちはいつか二人とも後を向いてしまっている。
「いやいや、これはすばらしい」
 |茫漠《ぼうばく》とした感情の中から、歎声だけがしきりに洩れる。妻も満足な様子である。
 雪が止んだ。
「あれが月山、真中が小朝日、こちらが大朝日です」
 私はあらためて出羽山脈の山々の方へ目を|遣《や》る。わずかに青空を残している、その寒冷な色の空に、白銀色の山々が鋭い稜線を描いていた。
 ようやく、小学校の前まで来ると、荷馬車は停った。義弟が言う。
「こっから先あ、歩いてもらわんなねっす。登りが急で、道も悪くてっすは」
 私たちは荷馬車から下り、義弟に礼を述べる。義弟はそれに口少く答え、馬を曳いて、帰って行く。
 私は妻と並んで、爪先あがりの坂道を歩きだした。あたりにはほとんど人家は見られない。激しい風雪を避けるため、人家は多く崖添いの場所を選び、木立に囲われて、建てられているという。
 坂道の両側は段々田である。きわめて小さくくぎられているのもある。人間が二人、下り立てば、尻をぶっつけ合うに相違ない。桑畑もある。頬白が低く飛び抜けて行く。小川も勢よく流れている。その水音が妙に快く、甘美にさえ聞える。
 こんな|雄渾《ゆうこん》な風景の中にこんなつつましい生活があったのか。商家に育った私は、少年のころから、こんな風景と生活とに|憧憬《どうけい》に近いものを抱いている。今、私はその風景の中を歩いている。不思議である。が、こんなところで生れ育った貞子を、あの夏の夜、私の家の近くの屋台店まで運ばせたものは何か。私はやはり不思議なものの力を想うよりほかはなかった。
 かなり急な小径を登ると、杉の大樹を主にして、|桂《かつら》、|柏《かしわ》、槇、|欅《まきけやき》、|椋《むく》、|檜《ひのき》、|楓《かえで》、|伽羅《きやら》、|山梨《やまなし》、|漆《うるし》、|樫《かし》等の木立に囲われて、妻の生家はあった。
 貞子は自分の子を世に残したいとは思わぬと言う。女性としては比較的合理的な妻は、私たちの年齢を考えた上のことでもあろう。しかし私は賛成できない。不満でもある。私は妻を人生の傍観者で終らせたくないからである。さらに何より不自然である。結婚した以上、姙娠するか、しないかは人為のことではないが、自然に任せるべきではないか。しかしそんな理窟からではない。私には先妻との間に五人の子がある。が、私は|性懲《しようこ》りもなく、貞子との間に子が欲しいのである。幸、不幸は私の知ったことではない。それが人間の愚かな愛の本能ではないか。
 少女のころ(こう書いただけで、私は蔵王山麓のあの雄大な風景を思い浮かべないわけにはいかないのであるが)、貞子は父を尊敬していた。が、母に対する父の横暴には強い不満を持っていた。ところが、その母が末子を妊娠したのである。貞子は母にすっかり裏切られたように思ったという。
 懐姙した女の姿はいかにも醜い。ことに敬愛している母の場合、その感じはいちだんと深かろう。貞子が女学校に入学したばかりのことである。感じやすい年齢でもある。母といっても姙娠するのである。その母と性を同じくしているのである。少女にとって、問題は深刻であったとしても当然であろう。
 しかし今の妻が自分の醜を|曝《さら》すのを避けようとするのは|卑怯《ひきよう》である。少くとも妻だけの子ではない。しかし妻だけの|計《はから》いが許されないと同様に私だけの計いも許されまい。
 妻はペッサリーと、ジェリー剤とを併用している。しかし妻の知人の著した避姙の書物には、ペッサリーを使用する場合には、サイズの適否、挿入の|巧拙《こうせつ》によって効果が異るから、専門医の指導を受けなければならないと記してある。私は少し意地悪く、そのことを妻に言う。
「だって、そんなこと厭だわ」
「しかし厭だ、好きだという問題じゃないと思うがね」
「だいじょうぶよ、私、うまくやってる」
「しかし、自分で自分のサイズは計れまい」
「だって、そんなこと厭だわ。私、金属で触られるの大嫌い」
「やはり女史でも恥しいか。いや、これで安心したよ」
「このおばかさん」
 妻は私の思う壷にはめられたことを覚ったらしく、そんなことを言って、ごまかしてしまった。
 滋賀の家へ帰った時、山形の家へ行った時、またともに旅行に出た時には、妻はさすがに避姙具は携帯しなかったようである。しかし幸か、不幸か妻には姙娠の様子は現れない。そのうちに、妻も安心したのであろう。妻はいつともなく避姙具を使用しなくなった。私は自然な気持になって、妻を愛することができた。しかし妻は依然として姙娠する様子はなかった。
 すでに妻の年齢は、もはや、姙娠に堪ええないのかもしれない。そうして妻の体は自然にその危険から護られているのであろう。姙娠できないものが、避姙具を使っていたのは、いささか滑稽であろう。しかし姙、不姙がいかに人為のことでないかを示すようで、ひとしお、哀れ深い、とも言えなくない。
 姙娠できない妻との行為は無意味であろう。しかし無意味だといって、すぐ中止できる質のものではない。そんな生優しいものではないのである。しかしもはや、妻が姙娠できないとなると、少し淋しい。何かの隊列から離れたようである。が、私は内心、きゅうに気楽にもなる。妻の献身を求める必要もない。共犯者などという感じもなくなる。私は妻と肉体的快楽をともにすればよい。適度の羞恥もあって、ひどく愉しい。しかし私の妻との愛はつねに無常の中にある。精神的にも、互に傷つけることはない。むしろ親愛感を新しくする。
 私は私の妻との愛はつねに無常の中にあると言った。あるいはおおげさで、きざっぽく聞えるかもしれない。しかし私にとっては、少しの誇張もない。観念論でもない。先妻の死がよほど応えているのである。骨の髄まで思い知らされたのである。
 毎朝、勤務に出る妻の乗った電車が、私の視野の中で刻々小さくなって行くのを見送っていると、妻はこのまま帰ってこないのではないかと、ひどく不安になる。それだけに、夕方、薄闇の中から妻の靴音が聞えてくると、私は私の体の中に新しい|歓《よろこ》びが|蘇《よみがえ》ってくるのを覚える。
 妻が出張などに出る乏、私は酒気が切れたアルコール患者のようにだらしなくなる。しかしこれが最も適切な身の処し方であることを、私はすでに知っている。私の精神が緊張すると、私の不安も緊張するからである。もちろん、この愛が始終ないことは知っている。しかしこの事実を冷静に凝視し続けるには私は愚かにすぎる。
 が、妻が帰りの汽車に乗る時刻になると、私はそっと汽車の時間表を取りだす。時間表の無味乾燥な数字の|羅列《られつ》を目で追っていると、それだけで私はしだいに愉しくなってくる。一駅、一駅、私の方へ近づいてくる汽車の響きも聞えてくるようである。
 そんな時、私は茶の間へ行き酒を飲み始める。妻が汽車に乗る時刻が、ちょうどその時刻に当っている場合が多いからでもある。酔いが発するにつれ、汽車の車輪の響きはますます高くなってくる。私はその車輪の響きに合わせ、いつか鉄道唱歌などを|口遊《くちずさ》んでいる。しかし子供らの手前もある。声を発してはならない。私は口を|噤《つぐ》み、鼻で呼吸しているのであるから、口と鼻との間で、声にならない声で唱っているのである。
 不意に、私の頭の中に、一つの空席が浮かび上る。現に、この茶の間の妻の座は空いている。もちろん、勤務先の妻の椅子も空である。妻が乗っているはずの汽車の、妻の席はどうなっているか。私の酔いに乱れたスポットライトに照しだされた妻の席には、妻の姿はない。そうしてその車窓の下の空席は、空席のまま私の方に向かって走り続けている。
 翌朝、しかし妻は土産物の包みを両手に|提《さ》げて、勢よく帰ってきた。
 そのころの私たちの生活は尋常のものではなかった。長男は北海道の大学へ行っている。毎月の送金を欠かすことはできない。二男は都大生である。三男と長女は高校生である。四男は中学生である。さらに郷里の母の許へも送金しなければならない。広い郷里の家の維持費だけでも容易でない。私は母にたびたび上京を進めるが、母は頑として聞き入れない。
 春になると、東の裏にはうどが柔かい芽を出す。三つ葉も庭一面にはびこる。夏になると、|枇杷《びわ》も熟する。梅が漬けごろになる。鮒酢も漬けなければならない。秋になると、|茗荷《みようが》の芽も出る。栗も|弾《はじ》ける。柿も色づく。やがて|公孫樹《いちよう》がおびただしい|銀杏《ぎんなん》を落し初める。そのころになると、屋敷の中は落葉で埋められてしまう。母は言う。
「わしがいなんだら、誰が、いったい、これを始末してくれるのやいな」
 私は初め実子を持たぬ妻のために、妻の職業を認めているような|口吻《くちぶり》を|洩《もら》したこともある。しかし妻の収入がなかったら、私たちの生活はたちまち破壊されてしまう。が、こういう場合、妻のてきぱきした性格が、おおいに役立つ。妻はみずから一手に引き受け、かろうじて遣り繰っているらしい。
 しかし、私たちの家はまったく言語道断である。門は破れ、屋根は傾き、雨は|容赦《ようしや》なく漏れ、文字どおりの荒屋である。しかし私はそういうことには割合平気な性格である。人倫の嘲笑には馴れすぎているからかもしれない。しかし妻は私のような横着者ではない。口には言わないが、かなり辛いことであるだろう。
 長男が卒業する。助手として、研究室に残ることになる。三男はあまり学業を好まない。放送関係の仕事をすることになる。私は妻を誘って、蔵王山麓の妻の生家をたびたび訪れる。
 |五月雨《さみだれ》の水を湛えた段々田は、それぞれの水面に|早苗《さなえ》の緑を映している。しかし段々田が遠く傾いて行くにつれ、早苗の緑はしだいにその間隔を失い、山裾の方は緑一色で、つまり緑裾濃の大景観が|展《ひら》けている時もある。そんな季節の時には、空にはかっこうが鳴いている。ででっぽっぽうも鳴いている。畠の隅には、こぼれ生えの大根の花が咲き、紋白蝶が|群《むらが》り飛んでいる。庭隅には、紫のかっこう花も咲いている。
 晩夏の季節の時もある。蔵王山峰から吹きわたってくる風は、すでにきわめて冷ややかである。風の中に、素肌に浴衣を着た邦子が笑っている。邦子は六つ、パンツもはいていない。大きなふぐりを垂れた、種山羊を引いた男が通りかかる。綱を引く山羊の力が強いためか、反り返っている。少し誇張しているようなところもある。男は足を停めて、妻に話しかける。種山羊の自慢話のようであるが、言葉はほとんど解らない。山風に山羊の毛が|翻《ひるがえ》っている。天神山の|芒原《すすきはら》で、私は初めて野生の鈴虫の鳴くのを聞いた。
 晩秋の季節の時もある。妻は村の青年会に招かれている。私は|囲炉裏端《いろりばた》で、郁子と絵本を見ている。郁子は三つ、綿入れの|絆纒《ほんてん》を着て、色は白く、こけし人形のようである。すっかり私に馴染んでいる。庭には閑々と秋の日が当っている。|軒端《のきば》一面に干柿が干してある。
「東京おんちゃん、しょんべん」
 私はちょっと、あわてる。しかし妻の母は背戸の方で、先刻から休みなく立働いているらしい。私は庭に出て、郁子の脚を抱えて、腰をおとす。小便が勢よく走りでる。出羽山脈の峰々の頂はすでに白く、濃藍色の山肌には、新雪が稲妻型の鋭い線を描いていた。
 私たちは妻の生家を訪れる、その行き、帰りに、方々の温泉に立寄った。鷹の湯、瀬見、小野川、川の湯、峨峨、青根、嶽、那須等へ行った。作並へはその時の都合で二度行った。後の宿は浴槽のすぐ側を、川瀬が流れていて、かなり気に入った方である。
 温泉の家族風呂では、妻は前に手拭を当てない。羞恥を感じないからではない。夫の前では、羞恥を感じる方がより愉しいからかもしれない。私も幾分恥しいが、手拭を当てるわけにはいかない。が、大柄で、豊満な妻の裸体を見ていると、私の意志にはまったく関係なく、胯間が怪しくなってくることもある。そんな時には、私はやはりそっと手拭を当てるよりほかはない。
 しかし私は一般の大浴場も、晴々としていて、好きである。妻も同感であるらしい。大浴場からは外の風景の見える場合が多い。もちろん、男も、女も裸体である。互にいかにも自然であるようで、いわば「お互さま」といった感じである。妻の裸を見ていても、変な気持になるようなことはない。かえって女の脱衣する姿の方が、好色的と言えば、言えなくもない。
 夕の食卓には、私は特に土地で採れるものを所望する。たとえば山菜とか、|茸《きのこ》とか、川魚とかである。私は初めはビールで、それから日本酒を飲む。私は妻と酒を注ぎ交しながら、いろいろの話をする。しかし結局は私たちの子供の話になる。子供たちの性格について論じ合ったり、その将来を語り合ったりする。子供のために、私が弁護する場合もある。まったく同感の場合もある。こういう時の妻はひどく素直である。私は幸福感が込み上げてくる。
 私の家はまったくのあばら屋で、戸障子の開けしめも自由でない。したがって、妻は閨中頂点に達することがあっても、けっしてはなはだしく取り乱したことはない。が、このように隔絶された、旅館の床の中では、強烈な感覚のあまり、思わず声を発するようなこともある。私は深々とした幸福感の中で、いたって神妙な気持になった。
 山つつじの花が満開だった時もある。雨雲の下で、桜桃が真赤に熟していた時もある。澄んだ月が山野を照していた時もある。夕風に川原楊がその枝を吹き乱されていた時もある。二佼の間に降り積った雪に驚きながら、|吹雪《ふぶき》の止まない坂道を下って行った時もある。斑雪の残っている山肌を背景にして、赤松の幹に斜陽が当っている時もあった。
 長男がアメリカへ留学することになる。こうなると、妻の独壇場である。長男を伴った妻の目まぐるしい動きを、私は手を|拱《こまぬ》いて見ているよりほかはない。秋のよく'晴れた日、私は妻や子供たちと、横浜の桟橋まで長男を見送った。長男の乗った船が岸壁を離れ、'徐知に速度を増して、沖の方へ進んで行くのを、私は妻と並んで眺めていた。
 二男も学校を卒業し、高校の教師になる。長女も司書の資格を得て、ある会社の研究室に勤務する。幾分、生計にも余裕が生じたらしい。そこへ印税の臨時収入がある。私は思いきって、やっとのことで家屋を改築する。しかし私はこういうことにあまり興味がない。妻の都合のよいように一任する。妻はかなり満足そうである。私はその妻の様子を見て、いたって満足である。しかしたまたま上京した、私の老母は言う。
「かわいそうにな。こんな節だらけの柱でも、こない喜んでくれるのやでな」 、
 私と妻は近くの羽田医院へ行く。二人とも血圧がやや高いからである。血圧の測定を終った時、突然、私は言う。
「この間、家内が左の乳が少し変だというんですが、|癌《がん》じゃないかって……」
 まさか、と言わんばかりに、羽田医師はちょっと首を傾けていたが、
「じゃ、脱いでごらんなさい」と言う。
 瞬時、妻は当惑そうな表情を浮べる。が、妻は立つて、スーツの上衣を取り、ブラウスを脱ぎ、シュミーズを頭にかぶって脱ぐ。半裸になった妻は羽田医師の前に腰かけ、ことさらに胸を張った姿勢をとる。
 妻はけっして美貌とはいえないが、その肌は白く、|肌理《きめ》も細かい。ことに乳房は授乳したことがないので、ほとんど衰萎の状はなく、きわめて豊かで、|膩《なめら》かである。乳嘴も色を変じていない。二つの乳房はシンメトリーに、それ自身の重みで下部を垂れ、それぞれ薄い|陰翳《いんえい》を作っている。羽田医師がその乳房を指のはらで強く押す。その触感が私の肌にも伝わるかのようである。「羽田医師は乳房の上下左右を押えてから言う。
「別に、何ともありませんね。奥さん、ノイローゼですよ」
 妻はほっとした表情になる。私は本気で心配していたわけではない。当然のことのように聞き流す。
「やはりノイローゼでしたのね。何だか、ぎゅうにすっとしたようだわ」
 羽田医院を出ると、妻は私にそう言った。
 五十六になった。その十一月、私は「上顎|腫瘍《しゆよう》」という病気で、東京医科歯科大学の病院に入院、放射線の深部治療を受ける。癌の疑いがあるらしい。しかし私には自覚症状はまったくない。 「まさか」という気持の方が大きい。それより病院に入院するのは初めての経験である。ベッドも困る。酒が飲めないのも困る。さらに酒気なくて、一人で夜を過すのが、何よりも苦痛である。
 しかし妻は務めて|愁歎《しゆうたん》の表情は見せようとしない。朝夕、妻は勤務の前後に決って私の前に姿を見せる。その態度はむしろ颯爽《さつそう》としている。私は妻の健気《けなげ》さに、かえって病気の重大さが感知されたが、同時に不思議な決心が湧く。献身的ともいえる、妻の愛情に応えるために、私はいっさいの自己を、あるいは自己のいっさいの計量を|放擲《ほうてき》しようと試る。病気は医者任せ、後は運命に任せるよりほかはないではないか。
 放射線の照射の回数が重なるにつれ、私の顔面は徐々に変色して行く。さらに回数を重ねると、私の鼻下と顎の半白の髭がすっかり脱毛する。ある朝、目を覚ますと、上下の唇が|癒着《ゆちやく》している。むりに引離すと、鮮血が流れ落ちて、着衣を汚す。すでに私の顔の皮膚は黒褐色に焼け爛《ただ》れ、やがて鼻腔《びこう》や、眼窩《がんか》からも出血するようになる。しかし私のそんな幽鬼のような顔を見る妻の顔には、いつも微笑が消えなかった。
 三階の十二号病室には、私を入れて、四人の患者が入院している。谷本さんはこの病室では一番古い。私が入院した時には、谷本さんは手術を受け終ってすでに何日かを経過していて、右上顎と、同じく右頸部から|腋窩《えきか》へかけて|繃帯《ほうたい》を巻いていたが、かなり元気を回復していた。A市で電気器具商を営んでいるという谷本さんは、入院したばかりの私に話しかけてきた。
「私はね、前々からひどく歯が悪かったんでね、まあ、どうにか少し余裕もできたもんでね、この際、すっかり歯を入れ替えてやろうと思いましてね」
 私は内心苦笑を禁じえない。私の場合もまったく同様であったからである。
「ところが、歯医者はひどく待たせるんでね。私はA市でも一番はやらんとこで、入歯をやったんですがね。やっぱりはやらん医者なんていけませんや。しばらくすると、変に痛んできましてね」
 谷本さんははやらぬ歯医者に|懲《こ》り、県立病院で診察を受けた。すぐ入院しなければならないというので、入院して、コバルトの治療を受けた。二十日ばかりで全快し、退院した。しかし三カ月あまりして再発したので、思いきってこの病院に入院したという。しかしこの間の事情は、私の場合は少し異る。私も入歯をする目的で、町の歯科医へ行った。が、その歯科医は非常に良心的な人で、大きな病院へ行き、検査を受けることを切に進めたのである。
「しかし私のは癌ではないらしい。腫瘍という奴なんだが、すっかり取ってしまったから、もう心配はないですよ。傷口が直りしだい、退院できるようです。もっとも来年の春あたり、念のため、放射線をかける方がよいというのですがね」
 谷本さんは初めの方は声をひそめて言った。私は内心かなり動揺したが、平静を装っているよりほかはなかった。
 寺川さんは最近入院してきた入である。やはり「上顎腫蕩」であろうか。寺川さんはいつも手拭で隠しているが、左上顎部にすでに潰蕩《かいよう》を生じている。かなりの疼痛《とうつう》があるらしく、よくベッドで声を殺して|呻《うめ》いている。寺川さんも放射線の治療を受けている。が、体質の関係からか、私のように毎日は受けていない。それでも食欲が減退するらしく、食事のたびにむりを言っている。
 寺川さんはかなりの年配らしいが、夫人は若い。三十代にさえ見える。時々、夫人が三つばかりの男の子を連れてくる。寺川さんの実子らしく、病苦のためひどく気難しくなっている寺川さんが、その子の顔を見ると、きゅうに機嫌よくなるのには、私は心を打たれる。私の妻がかつて姙娠を避けようとした気持も思い合わされた。
 私は二十八日間入院し、年末、退院する。しかし全癒したから退院するのでないこと、人体に放射線を照射しうる限界に達したからであること、したがって体力が回復次第、再入院しなければならない旨を、医者から繰り返し告げられる。しかし嬉しい。先のことを案じめぐらす余地もないほど|嬉《うれ》しい。さっそく、私は妻と乾杯する。ともすると、嬉しさが込み上げてくる。
 長男が帰国する。妻と長女とが横浜まで出迎える。長男は生物学を専攻している。染色体の関係から、アメリカではおもに癌細胞について勉強してきた模様である。私の病気をひどく心配しているらしい。時々、彼の姿が見えなくなる。かなり長い時間の後、帰ってきた彼に、私は言った。
「どこへ行ってたんだい」
「久しぶりで、パチンコをしてきましたよ」
 しかし景品を持ち帰った様子もない。
「相変らずの腕前らしいね」
「だって、ボストンには、 パチンコはありませんからね」と、彼は笑っている。しばらく滞在して、長男は札幌に帰った。
 春になった。もう唇を破って出血するようなことはなくなったが、黒く焼けた、私の皮膚はなかなか回復しそうにもない。
 長男からある女性と結婚したい旨の来信がある。私は二人の結婚をおおいに祝福すると言ってやる。折り返し、七月に挙式したいと言ってくる。七月は少しく性急ではないかと言ってやる。すると、安藤助教授を通じて、相手の女性がすでに懐姙しているらしいため、結婚を急ぎたい旨の手紙が来る。
「少しく不調法でしたわい」
 私は妻をか顧みて、噴きだすよりほかはない。
 私は週に一度病院へ行く。そうして口腔外科と、放射線科との診察を受けている。主任教授が経過が意外に良好であることを告げる。しかし次ぎのように言い足すことを忘れない。
「しかし念のため、もう一度、苛めてやることになるかもしれません。その時は、再入院してもらいます」
 ある日、私は下唇の下に髭が生え初めたのに気づく。鏡で見ると、奇妙なことに、再生したのは真黒い髭である。私がその旨を告げると、放射線科の教授はきわめて珍しいケースとして、カラーフィルムに|撮《と》らせる。この病院のどこかで、黒い髭の生えている私の顔が、参考資料として、いつまでも残されるのかと思うと、私は少し変な気持になる。
 私が手の爪の異状に気づいたのもそのころである。どの指の爪も|歪《いびつ》に縮れ、ひどくぶざまである。
 夏になった。私の顔面はよほどきれいになったが、それでも私の顔を見るなり、
「どうしましたしと|訝《いぶか》る人もいる。私は|依然《いぜん》として口腔外科へは週に一度、放射線科へは月に一度の割合で、通っている。医者自身が意外とするほどの好経過をたどっているらしく、再入院はいつともなく沙汰止みになっている。
 ようやく義歯を入れることになる。|補綴科《ほてつか》へ廻る。義歯は数日でできあがった。
 七月、私と貞子とは札幌へ行き、長男の結婚式に列席する。しかし新婦にそのような様子は全然ない。長男に詰問する。長男は私の現状に気を許したのか、一部始終を白状する。長男が東京に滞在中、時々姿を消したのは、口腔外科の主任教授に面会していたのであるという。また安藤助教授は偶然にも放射線科の主任教授と旧知の間であるという。さらに新婦の父は国立病院の病院長である。私はきわめて複雑な気持になる。
 しかしこれらのゆゆしき科学者たちも、人倫的にはおそらく世俗的な道徳観から脱していまい。その彼らが、新婦となる若い女性にあえて道徳的侮辱を与えてまで、長男の結婚を急がなければならなかったのである。少くとも私の健康状態――あるいは生命というべきかもしれない――に関する、学者たちの意見は完全に一致していた、と解さなければならない。もっとも私も自分の病気の重大さをうすうすは感じていた。しかし根本に「うすうす」という形容詞がつく以上、それからの随伴感情もすべて「うすうす」であることを|免《まぬか》れない。かろうじて危機を脱しえたような緊迫感は少しもない。愚かな私は、私や、亡妻の遺伝子を幾パーセントか享けている新しい生命の発生が嘘言であったことに、むしろ失望する。
「やれやれ、するとこの秋には、危くお骨にされるところだったんだね」
 私はもちろん、冗談のつもりで言う。しかしなぜか、明るく笑い捨てることはできなかった。
 秋になった。私の顔面はすっかり回復したようである。上下の顎にも髭が再生する。下顎の髭は元のとおり白いが、上顎のそれは唇の下のと同じように黒い。私は義歯にも徐々に馴れる。指にも新しい爪が伸びてき、二三指にわずかにその|痕《あと》を残しているにすぎない。
 私はやはり一週に一度、通院して、診察を受けている。今日までのところでは異状はない。私も、妻も当時のような、一日一日が不安だった感情はいつか薄れ、いたって平安な日々が続いているように思っている。
 私が入院してから、満一年経った。私はいつともなく私の性欲的機能が消滅していることに気づく。つまり私は性欲的不能者になったのである。放射線のためか、どうかは知らない。しかし入院以前にはたしかに性欲的機能はあった。入院以後は、性欲どころではなかったのである。
 私はすでに五十七である。五人の子供も成長した。不能者になったことに気づいた当初は、むしろさっぱりした気持になった。やれやれといった感じでもある。しかし妻には何となくすまないと思う。妻は三十九まで独身であった。私との彼女の性生活はわずか十年にも足りない。哀れである。しかし貞子は職場の仕事にもきわめて熱心である。愛着を持っていると言える。そこへ私の病気である。引き続いて、二男が腎臓結核で入院、手術する。彼女の日々は過労の連続である。幸にも、とはいえないが、女性の性欲の発し方は受動的でもある。あるいは妻は私以上に、やれやれと思っているのではなかろうか。
 しかし性欲的不能者といっても、色情はある。つまりまったく欲望がないわけではない。あるいは徴弱ながら、性欲も潜在するのかもしれない。しかし彼らの色欲はいつまでたっても満たされることがないから、かえってひどく好色的になる。性欲的犯罪者や、変態性欲者に不能者が多いというのも、この充足されぬ|焦燥感《しようそうかん》からではないか。満たされぬ性欲が、|妄想《もうそう》となって、夢遊病者のように、この地上を|徘徊《はいかい》するのである。もはや、肉体は|抜殻《ぬけがら》に等しい。
 もちろん、私もその例外ではありえない。自分ながら呆れるほど、私は好色的になっている。道を歩いていても、着物の裾《すそ》から覗《のぞ》く女の脛を、私の目は見逃しはしない。スカートに包まれた女の尻が、歩くにつれて、左右交互に動くのを、私の目はすぐに|捉《とら》えて離さない。女の裸足も好色的なものである。小指の|跳《は》ね返ったの、親指のまん丸いの、土ふまずの深いのは|清楚《せいそ》な感じであるが、かえって|擽《くすぐ》ってみたくなる。土ふまずの浅いのはいかにも鈍臭いが、げてもの的好色をそそる。|猥褻《わいせつ》物陳列罪というものがあるそうだが、私のような不能者には、女の体のどの部分も、つまり女の体そのものがすでに猥褻物である、と言ってよい。
 女の体だけでない。近所の家の庭に真白いシーツが干してある。そのシーツの一ところに、強く|撮《つま》み|絞《しぼ》った痕が残っているのを見て、私はひどく好色的な気持になる。変態性欲者の中には女の下着類を盗む者があるというが、やはり不能者に多いのではないか。
 しかし私は性的犯罪を犯す恐れはない。もちろん、私には一人前の理性もある。が、そんなものよりも、私の性欲には、健康であった時から、嗜虐的な傾向はきわめて少なかったからである。
 また今までから私の性欲の発し方は比較的に受動的であった。しかし私の男性は私の女性的な性欲に抵抗もし、嫌悪も感じた。が、私が不能者になってから、私の女性的傾向はさらにはなはだしく助成された。つまり私の性欲は、もはや、無に等しい。したがって私の色情も|虚《むな》しく、男女の別などあろうはずもない。今こそ私は私を完全に女の位置に|倒錯《とうさく》することができる。そうして私はそうすることによって、女の感情を自由自在に|愛《いとお》しんでおればよい。
 たとえば一枚の腰巻が干してある。やはり私の好色心は動く。しかし少年のころ、私が感じたような、はるかに遠い感情を抱いて、見ることはもうできない。また、青年のころに抱いたような、無気味さももう感じない。この腰巻は、その所有者が若干の金銭を出して|購《あがな》った、一枚の赤い布にすぎない。しかしこの布はこの竿に干されるためにあるのではない。その持主の体を包むためにあるのである。所有者の肉体を包んでいる関係と切り離して、私がこの布を見ることができないのも、また止むを得ないことであろう。
 私は、この布が、所有者の肉体の|哀歓《あいかん》、いずれを包んでいるかは、知る由もない。しかし包んでいるものも、包まれているものも、所有者にとっては等しく「私」のものである。私は「私」のものの哀しみ、歓びも知りつくした。その布が包んでいるものの羞恥も、その布の色を通じて実感できる。しかし私は赤い布の前にいつまでも立停っているわけにはいかない。実際は、ちょっとその赤い布を目に入れたまま、私は街を歩いているのである。しかしそれでよいのである。何もかもそれでよいのである。私はむしろ楽しげな微笑を浮かべ、歩いて行くよりほかはない。
 毎朝、私は目を覚ますと、妻の手を取り、妻の体を抱き寄せる。それから私の顔を妻の顔に摩りよせ、互の無事を確め合う。まるでそれが朝の挨拶のようにもなっている。
 時には、私は妻の胸を開くこともある。妻の胸には二つの白い乳房がある。が、もはや、二つの乳房は、妻の「私」のものではない。私の「私」のものである。しかも私にとっては、唯一無二のものである。私は私の胸をそっとその上に当てる。柔かく、豊かな触感が、私を無上に喜ばせる。乳首と乳首とを触れ合わせることもある。 一瞬、きわめてはかない性欲的快感が|蘇《よみがえ》ったかと思うと、たちまち消える。
 しかし私のそんな行為が、妻の性欲を強く刺戟しすぎ、妻を病的にしないか、と私は不安になってくる。妻はきわめて淡白な態度を持している。毎朝の頬ずりにも、妻は静かな微笑を浮かべることを忘れはしない。しかしそれは妻の克己心の強い性格から来ているのではないか。一度、性の歓喜を知った女の体というものは、そんなものであろうはずがない。
 私は本気で妻に自慰行為を進めようと思わぬでもない。しかし妻に致命的な|凌辱《りようじよく》を与えるようで、さすがに口には出しがたい。そのような器具は市販されていないものか。私はけっしてふざけているのではない。性欲的不能者の夫だけが感じることのできる、妻に対する、切実な|贖罪感《しよくざい》情である。
 さらに、妻の肉体の歓喜という貴重な代償が得られるならば、私は妻の不倫行為も少しも厭うものではない。けっして私の虚勢ではない。妻に対する、むしろ私の愛である。私は以前から妻(亡妻をも含めて)の対男性関係に、嫉妬を感じたことはほとんどない。妻への信頼度の強さにもよろうが、私の性欲が受動的、女性的であることにも、大きな原因があるのではないか。その傾向は現在の私にはさらに拍車がかけられている。嫉妬という私の感情は不感症に近い。
 むしろ妻のそんな行為を想像するだけで、私は強烈な好色的興味を抱くのである。性欲的不能者の懐く色情がいかに不潔であるか、言葉の限りでない。
 しかし不潔といい、いやらしいといっても、その内容は空白である。性欲的不能者の色情は怪しからぬ、さまざまの妄想を描く。が、妄想は空しく荒野を駆けめぐるばかりで、いずれも|荒涼《こうりよう》、|無稽《むけい》の世界にすぎない。
 ある朝、私は夢を見た。
 ひどく殺風景な部屋である。私は二人の男の前に立っている。上半身は裸である。着物はどこで脱いだのか覚えていない。ズボン下だけの見苦しい恰好である。二人の男は医者のようでもある。何かの検査員のようでもある。が、奇妙なことに、褐色のタイツを|穿《は》いただけであることに気がつく。二人ともひどく冷やかな表情をしている。等身大の十字架のような台がある。私は台に背を向けて立ち、両手を上げて横木に当てる。二人の男が左右から私の手を横木に縛る。それまでの行動は自分から行ったはずである。が、私は何をされるのか知らない。少し不安になる。二人の男は|鵞《が》ペンのようなものを持って、私の両脇に立っている。一人の男が|頷《うなず》くと、一入の男が鵝ペンのようなもので、私の右の腋窩を|擽《くすぐ》り初め、脇腹の方まで擽る。しかし私はどうしたのか、少しも擽ったくない。二人の男が何か言う。ドイツ語らしい。するとやはり医者かもしれない。しかしタイツというのはおかしい。次ぎに左の男が私の左の腋の下を擽る。やはり何の感じも起らない。今度は二人の男が同時に左右の腋の下を擽る。全然、無感覚である。二人の男は私の手を解き、言う。
「お帰りください」
 私は帰ろうとする。ご人の男は私を押し止めて言う。
「あなたはこちらからじゃない。あちらから出てください」
 私は指された出口から出ようとする。一人の女が入ってくる。貞子である。私は思わず足を停めゐ。貞子も上半身は裸である。二人の男はすでに左右に|控《ひか》えている。それにしても、あの男たちは何者であろうか。家へ帰ったら、貞子に尋ねてみなければならないと、私は思う。
 私と同じように、貞子は台の前に立ち、両手を上げる。二人の男が布でその手を縛る。貞子の腋の下には黒い腋毛が見えている。が、貞子はいたって冷静な表情をしている。右の男が例の鵝ペンのようなものを持って、貞子の腋の下を擽り初める。貞子はきゅうに顔を歪め、ひどく擽ったそうな、むしろ苦しげな表情をしている。右の男はようやく手を離し、何か貞子に話しかけているらしい。貞子は羞恥をさえ含んだ表情で、繰り返し頷いている。
 突然、左の男が貞子の腋の下を擽るような恰好をした。瞬間、貞子の体がぎくりと動いたようである。よほど激しく動いたらしく、こつの乳房まで揺れるのが見える。二人の男は顔を見合わせて、冷やかな笑いを浮かべる。一瞬、貞子は泣き笑いのような表情になったぶ、すぐ思い返したか、平静な表情に戻る。あらためて左の男が鵝ペンのようなものを持って、貞子の腋の下をゆっくり擽り初める。しばらく貞子は必死に堪えている風であったが、きゅうに体をくねらせ、きわめて|煽情的《せんじようてき》な姿態を作る。
 左の男が何かを話しかけているらしく、貞子はまた幾度か頷いている。今度はこ人の男が左右から貞子を擽る。貞子はいきなり体を仰反らせる。が、その体の部分部分は勝手勝手に|悶《もだ》え苦しんでいるかのようである。そのアンバランスがひどく好色的に見える。顔は醜く|歪《ゆが》み、目には涙を溜めている。
 ようやく二人の男は左右に離れ、妻の手を縛っている布を解く。二人の顔にはいつの間にか、今までの冷やかな表情は消え、むしろいたずらっぽい道化じみた表情になっている。さらに妙なことに、貞子も二人の男と親しげに話し合ったり、しきりに頷いては、含羞の微笑を浮かべたりしている。が、やがて二人の男がカーテンを掲げると、貞子は|一揖《いちゆう》してその中へ入って行く。私は急いで妻の後を追おうとする。が、私の足は動かない。その夢と現実との違和感が私の目を覚まさせた。
 性欲的不能者であることに気づいて以来、妻の体についての私の|煩悩《ぼんのう》が、無意識のうちに、こんな夢を構成させたのではないか。二人の男がタイツを履いていたのは、性欲という魔王お抱えの道化師とでもいった意か。
 私はそっと妻の手を取る。妻も目覚めていて、軽く私の手を握り返す。しかし私は私の頬を妻の頬に摩りよせただけで、勢よく跳ね起きた。
 去年のことである。私はこの一夏は暑さを避けるより、むしろ仕事に打ちこむことによって、暑さを|凌《しの》いでやろうと決心する。一週一度の病院通いは、まだ止めることを許されないが、体にも異常はなく、気持も比較的昂揚している。かなり清適な日々が続いた。
 が、思いがけず、妻に休暇が取れることになった。私たちはきゅうに思いたって、小旅行に出ることにする。休暇は短いので、上越高原の湯檜曾温泉と決める。一昨年末、病院を退院して以来、初めての旅行である。ひどく楽しい。
 私は汽車の窓に顔を寄せ、夏の田園風景を眺めて飽かない。高崎、新前橋、渋川を過ぎると、すでに高原に近い風景で、汽車は利根川の|渓流《けいりゆう》に沿って走る。どの駅にも標高が示されていて、沼田を過ぎると、きゅうに高度が増して行くのが判る。水上の次ぎぶ湯檜曾で、汽車はループトンネルに入る。トンネルを出ると、車窓の直下に、ふたたびトンネルの入口が見える。つまり汽車は山を上って、ちょうど一廻りしたわけである。
 湯檜曾温泉は海抜八百メートルの高地にあるが、四方を山に囲まれていて、|眺望《ちようぼう》はあまりきかない。しかし私たちの通された部屋は、三方に窓が開いてい、絶えず山風溺吹き通って、ひどく涼しい。
 浴後、私と妻は夕食の卓につく。鯉の洗い、|姫鱒《ひめます》の塩焼、ぜんまい、きくらげなど、土地の珍しいものが出る。私と妻とは互のコップにビールを注ぎ合い、乾杯する。
「涼しいね」
「ほんとに、あら、だめですわ」
 灰皿の煙草の灰がすっかり飛んでしまっている。妻は灰皿にビールを流す。掛物の軸が絶えず壁を叩いている。
「ね、そういえば、花時に、山形へ行ったことはないんだね」
「どうしたんです。突然に」
「別に、どうしたってことはないが……」
 なぜ、突然こんなことを言いだしたか、自分ながら判らない。しかし言葉のついでのように、私は言う。
「来年の春は、山形へ行こうじゃないか」
「はい、行きましょう」
「梅も、桜も、桃も一時に咲くんだってね。あんな大きな景色の中だと、白梅や、桜だけでは、少し淋しいかもしれないね」
「四月の末でしょうね。みんな一ぺんに咲いて、嬉しかったものですわ」
「|上野《うわの》からだと、まったく春が、山に来た、里に来た、野にも来たって、感じだろうからね」
「女学生の時でしたわ、花が満開だというのに、雪が降ってね、その上、夜になると大きな月ぶ出て、すばらしかったですわ」
「それは|凄《すご》かったろうな。しかし今の僕には少し壮絶にすぎる。僕はやっぱり花の村だ。|軒端《のきば》には梅が咲いている。山吹も咲いている。花公方も咲いている。遠く、在所、在所には、桜が白く霞んでいる。あんな大風景の中では、桃の花の色がかえってひどく艶に見えるだろう。ね、きっと、来年の春は山形へ行こうよ」
「はいはい、まいりましょう」
 絶えず、涼しい夜風が吹入っている。微かに湯檜曾川の川瀬の音も聞えてくる。先刻から、私は|快《こころよ》い酔いを発しながら、静かな喜びに浸っている。
 じつを言うと、私の心の中に、たとえば寂寥感とでもいった、私に対していたって冷酷な奴が潜んでいるのを、私は前から知っている。私は何とかして、私の心からその忌わしい奴を振落してやろうと、ずいぶん、むだな努力をしたものである。しかし今の私はもうそいつから顔を背けようとは思わない。むしろ私の喜びは、それをはっきり卸りえた、私の心の中から生れてくるようである。
 妻の心の中にもそいつは姿のない姿を潜めているに相違ない。 いわば、私と妻はそんな冷酷な奴を中に置いて、互にそっと手を添え合っているようなものである。第三者から見れば、そんな二人の姿はひどく哀れであろう。しかし私の心は晴々しい。この上もなく幸福である。
「少し涼しすぎやしません?」
「そうだね。一つだけしめてもらおうか」
「はい」
 妻は立って、東向きのガラス戸をしめた。
 今年のことである。私は数え年五十九、妻は五十である。
 私は机の前に坐っている。旬日前には、ちょっと寒い日が続いたが、数日来、温度はよほど回復した。今日も、八つ手の葉裏で、羽虫の群れが飛んでいる。この虫は、初冬のころや、この季節に温度が少し上昇すると、きまって現れる。生殖行為であろうか。跳ねるように飛びながら、同じ動作を繰り返している。しかしひどく頼りない奴で、少しの風にもすぐ吹き流される。先刻から、私は何か忘れごとをしているようで、妙に気にかかってならない。
 昨夜も貞子が帰ってきたのは、私の記憶に残っていない。つまりすでに私の酔いがかなり発していたことになる。私は例によってひつこく小言を繰り返したに相違ない。
 昨年末以来、予算がどうとか言って、毎夜、妻の帰宅は遅れた。年末の休みもとらなかった。幾分疲れているようにも見えた。
 しかしすでに予算は復活したはずである。毎夜、私はおいてけぼりを喰わされているようでもある。が、そんな私だけのことでもない。妻は勝気な性格から、とかくむりを押しがちになる。私は妻の過労を恐れる。しかしそれに妻がどう言ったか。私の記憶はない。言争いになったような覚えもない。
 早春の斜陽がガラス戸越しに差し入り、白い原稿用紙の上に、|摩《すり》ガラスの模様を映している。ガラス障子は真中を開いておくので、まだ羽虫の群れが跳ねているのが見えている。日も幾分長くなったようである。
「病院へ行ってきます」
 妻がそう言ったように思われてくる。しかし以前、夢の中で、私は妻を医者の前で裸にならせたことは幾度かある。今はもうそのようなことはないつもりでいるが、私のことであるから当てにならない。が、もしも実際に妻がそう言ったとすれば、いったい、妻はどこが悪いのであろうか。
「明日、とにかく、癌研へ行ってきます」
 白紙に|明礬水《みようばんすい》で書いた文字が|炙《あぶ》りだされてくるように、昨夜、妻の言った言葉が、私の頭にしだいにはっきり|蘇《よみがえ》ってくる。酔い痴れた私の頭にも、よほど強烈な印象を刻んだのであろう。酔っぱらって記憶を残さなかった出来事は、後になってどんなに努力しても、思いだしえた例は今までに一度もない。妻はたしかに言った。
「左の乳にぐりぐりができてるのです。それがかなり大きくなっています」
 夢の中で、あるいは酔いの中で、私の|妄想《もうそう》が四年前の妻の姿を描きだしたのではない。妻の上半身は裸ではない。勤め帰りのままの姿である。しかも|朦隴《もうろう》とした姿ではない。私は妻のスーツの色も柄もはっきりと思いだすことができる。
 女中の敏子が雨戸をしめに来る。そういえば、原稿用紙の上の摩ガラスの模様もいつか消えてしまっている。それどころではない。庭には暮色が漂い、部屋の中も薄暗い。私は急いで電灯のスウィッチを|拈《ひね》る。
 それにしても妻は何をしているのだろう。あるいはそれほど案じることもなかったのかもしれない。もしも悪性のものであったら、いかに気丈の妻でも走り帰ってくるに相違ない。私はしいてそう思いこむことによって、気持を|鎮《しず》めようとする。が、その後から新しい不安が湧き起る。
 玄関の扉が開く。貞子が帰ってきたのである。
「どうだった」
 妻が書斎に入ってきて、私の前に坐ったのと、私が思わず立ち上り、そう言ったのとは、ほとんど同時である。したがって、妻は私を少し見上げる風にして言う。
「覚えていてくださったの。昨夜はかなり廻ってたようだから、忘れていらっしゃるかと思ってた」
 ひどく落着きはらった妻の態度に、私は思い返し、ともかく妻の前に坐る。
「そんなことはいいよ。それより、どうだったの」
「やはり、乳癌ですって」
「そうか」
 一瞬、強い衝撃を受ける。しかしいつかこのことのあることは、かねて覚悟していたはずではないか。そう思うことによって、私はかろうじて自分を受け止める。が、このことの恐しさに比べれば、人間の覚悟とか、理性などというものは、物の数でもなかろう。私には事の重大さが、まだ呑みこめないのかもしれない。あるいは妻も私と同じ心の状態にあるのではないか。しかし妻はいたって平静な態度で言い続ける。
「最初に、予診で若いお医者さんに|診《み》てもらいましたの。それから外科部長の森岡先生の診察を受けました。森岡先生はいかにもがっちりした感じの方でした」
「それで、森岡先生はどう言われたんだい」
「シュミーズも脱いで、 スカートだけになって、前から、横から、また前屈みになったりして、診ていただきました。レントゲン写真も|撮《と》りましたが、その結果を待つまでもなく、手術はしなければならないそうです」
「そうか。切り取っちゃうんだね。しかし乳癌はだいじょうぶだよ」
「先生も、乳癌のことだから、とはおっしゃったけど、後は何ともおっしゃいませんでした」
「そりゃそうだよ。僕なんかも、いまだにだいじょうぶとは言われないんだからね」
「でも、私のはかなり進行しているらしいのです」
「えっ、すると、どこかへ転移しているとでも言うのかい」
「ええ」
「えっ、君、それ本当かい」
「本当です。|腋《わき》の下の方へ転移しているらしい、と言われました」
「それは、君、大へんなことなんだよ。どうして、また、そんなになるまで、隠していたんだ」
「隠してなんかいませんよ。お乳の下にできていたので、気づかなかったんです。上の方は始終注意していたのですけれど」
 私はひどく腹が立つ。|悔《くや》しさが後から、後から込み上げてくる。妻がそんなになるまで気づかぬはずはなかろう。少くとも昨年末には気がついていたに相違ない。しかし今さら妻を責めたところで何になろう。さらにごんな私と妻とが言争っているのは、憐れ極まる。私は|余憤《よふん》を吐き捨てるように言う。
「今日だって、こんなに遅くまで、何をしていたんだ」
「だって、入院するとなれば、受継いでもらわなければならないことも、いろいろあるんですもの」
「そうか」
「明日も出勤します。明後日はレントゲンの結果を聞きに行きます。それで、もう私、きっとおとなしくしますから。心配かけて、ごめんなさいね」
 翌朝、私は妻に言う。
「ね、見せてごらんよ」
「怒るから、いや」
「怒らない。昨日は僕が浅慮だった。絶対に怒らない」
 妻は蒲団の上に起き上り、胸を開く。すでに妻の左右の乳房はその形を異にし、左の乳房の下部は変色している。しかし妻を責める気持は今はもうとうもない。
「三十年、いや四十年近くも、大事につけていたものが、失くなるのかと思うと、変な気持。女というものは、お乳には特別の関心を持っていますからね」
「そら、そうだろうとも」
 私が通っている病院の放射線科の診察室前の廊下で、私と知り合った、五十ばかりの上品な婦人がある。五年前に、乳癌の手術をしたという。つまりこの病院へ五年間通い続けているわけで、私の唯一の先輩である。私たちは看護婦とも|懇意《こんい》になっていて、極寒の日などには診察室のストーブに当りながら、自分の番を待つ。ある日、その婦人が主任教授の前の椅子に腰かけて、胸を開いた。それは悲惨とか、無惨とかいう種類のものではない。いわばただののっぺらぼうである。が、その婦人の、女の肉体のほんの一部分の白々しさが、突然、途方もなく巨大なものに拡大されて行くのを私は覚えた。
 翌日、妻はレントゲン写真の結果を聞きに行く。妻は途中、勤務先にちょっと立ち寄ったらしいが、帰りはさすがに真直ぐに帰ってきたようである。
「森岡先生が写真を見ながら、『しかし切りますよ。切るには切りますがね』とおっしゃったけど、思ったより、質が悪くなかったんですって。私、それを聞いて、ほんとに生き返ったように思いました」
「そうか、それはよかった」
 私はそう言ったが、その声には、妻の声のような生気はなかった。いったい、質の悪くない癌などというものがあるだろうか。一昨日、医者がずいぶん思いきったことを言うと思ったが、やはり今日の伏線が考えられていたのか。しかし妻は今まで感情を抑圧していた反動のように、ひどく晴々しい表情をしている。私は石より固く口を|噤《つぐ》んでいなければならない。が。私は今まで自分の心を妻に隠した経験がない。ひどく心苦しい。
「ベッドが空きしだい、入院します。そうして、手術をしてから、大塚へ移って、念のためコバルトをかけるんだそうです。いろいろ心配をかけてすみません」
「そんなことお互に当然のことだよ。しかしこの病気では先輩だからね。先輩の言うことは聞かなくちゃいかんよ」
「しかも優等生の先輩ですものね」
「そうだとも」
「それから、病院との連絡場所は郁ちゃんの勤め先にしておきました」
「そう。じゃ、郁子のところへ電話しておかなくちゃいけないね」
 二人は電話のあるところへ行く。妻が電話を掛ける。郁子は昨夜遅く、スキーから帰ってきた。
「もしもし、郁ちゃん、母さんね、やはり乳癌だったの。それで入院することになったのでね、郁ちゃん、郁ちゃん、どうしたの、郁ちゃん……」
「どうしたんだ」と言う私に、妻は黙って受話器を渡す。私が受話器を耳に当てると、思いがけず娘の|嗚咽《おえつ》する声が伝わってきた。
 以来、妻は家にいて、入院の準備をしている。同僚の岡さんから注意を受けたようで、今、妻は敏子を相手に寝巻や、白ネルの|襦袢《じゆばん》などを縫っている。岡さんは胸部疾患のため、先年、肋骨を八本も切除したという経験者である。入院には、下着も和服型の方が便利であるという。
 私は机に向かっている。今日も非常に暖い。私は白い十姉妹を飼っている。その餌が地面にこぼれるので、雀が多く集ってくる。今日は外のガラス戸も開いているので、雀が縁の上までやってきて、鳥籠のまわりに落ちている餌を|啄《ついば》んでいる。縁側には春の陽が差し入り、雀の影を映している。きわめて静かに時が経って行く。しかし一刻、一刻何の変りもありはしない。突然、どこかで電話のベルが鳴り響いているように、私は錯覚する。昨
日、娘の|嗚咽《おえつ》の声を聞いて以来、その声は私の胸の中にも潜んでいるようである。そうしてともすると私の声となって、込み上げてきそうになるのを、私はじっと堪えている。
 その翌日、妻は私、三男、長女と、同僚の岡さんに伴われ、築地の癌研附属病院に入院する。
 しかし妻はいたって元気である。入院手続を初め、すべて自分の手ですませ、先頭に立って、昼食をとりに行くという。もちろん、虚勢もある。自分自身に対する虚勢である。しかし肉体の苦痛をまったく感じないからでもあろう。
 銀座の有名な鮓屋へ入る。妻は|健啖《けんたん》ぶりを示す。私はあまり食欲がない。それをごまかすように、ビールばかり飲む。岡さんと別れ、病室へ帰ってきても、妻はなかなか寝台へ上ろうとしない。が、看護婦が来て、脈を計り、熱を計る。さらに体重を計量するため、看護婦室へ来るように言われ、妻はやっと寝巻に替えた。
 私は森岡外科部長のところへ挨拶に行く。部長は大きな目で私を直視して言う。
「奥さんのはかなり進行していますから、手術後、大塚へ移って、コバルトをかけてもらいます」
 さらに私は原田主任医のところへ行く。若い主任医はいきなり叱りつけるように言う。
「知っているのですか。奥さんが乳癌だということ、知っているのですか」
「乳癌だということは家内から聞きましたが」
「ところが、奥さんのは発見されるのが遅かった。その上、気づかれてからも、ここへ来られるまでに、かなり日が経っているように思われます。その間、癌はすっかり進行してしまっています」
 私の腰かけている椅子が激しく鳴った。私の体はアルコール中毒のため、つねに微かに|慄《ふる》えている。ところが感情が|昂《たか》ぶってくると、慄えはきゅうにはなはだしくなる。
「乳癌は初期だったら、ほとんど心配はいらないんです。どうして、こんなことにしちゃったんです」
 若い医師の気持は判る。が、私の答える言葉はない。
 翌日、私が病院へかけつけ、二階の妻の病室へ入ったのは八時二十分である。
「では、下へ参りましょう」
 そう言って、看護婦が妻を呼びに来たのは、私が手術承諾書に署名、|捺印《なついん》した、その直後のことである。妻は看護婦に連れられ、歩いて階下へ下りて行く。私もその後から|従《つ》いて行く。
 カーテンで仕切られた、手術室の前の廊下には、一台の患者運送車が置いてある。
「これへおやすみになって」
 妻は|絆纒《はんてん》を脱ぎ、その上に仰臥する。看護婦が赤い布で妻の目を|覆《おお》い、その腕に注射を打つ。私は妻の絆纒を抱え、その側に立っている。
「スポーツ新聞でも読んで、待っていてください」
「そうするよ」
 手術着の下着をつけた医師や、看護婦がしきりに手術室を出入りしている。
「意識が少しだらっとしてきた。注射のせいでしょうか」
「そうだろう。昨夜ね、夕御飯の時に、和夫がね、私があんたに癌をうつしたと言うんだよ」
「そんなばかなことありませんわ」
「ところが、新学説でね、癌は一種のビールスだと言うんだが、その|媒体《ばいたい》は、ばかにしているじゃないか、愛情なんだってさ」
 妻はその口許に薄笑いを浮べる。
「さっそく、兄ちゃんのところへは知らせてやったがね。参考までにね」
 妻が患っているのは左である。したがって右の手首に、妻の血液型を記した厚紙が|括《くく》りつけてある。妻はその右手から腕時計をはずし、私に渡す。
「かぜを引かぬようにして、待っててくださいね」
「はいはい」
 それからもかなり時間が経ったようでもある。そうでないようでもある。看護婦が来て、私に言う。
「では、あちらでお待ちください」
 妻は運送車に乗せられ、手術室へ運ばれて行く。九時三十分であった。
 カーテンの外の廊下には、いつの間にか、大勢の外来患者が詰めかけている。私はその椅子の一つに腰をおろす。
 あの時、私は印形の皮袋をどこへしまったか、まったく意識しなかったことに気がつく。私は|袂《たもと》の中や、帯の間を探ってみる。が、それらしいものは指に触れない。やはりあわてていたのであろう。しかしこんな|些細《ささい》なことがしきりに気にかかるのも、普通の精神状態ではあるまい。私は煙草を取りだして、火をつけた。
 不意に、私の姓が呼ばれる。顔を上げると、先刻の看護婦である。|一掴《ひとつか》みの白布が私の手に渡される。妻の|襦袢《じゆばん》と腰巻である。私は妻の絆纒《はんてん》の下にして、傍の附添婦に渡した。それがいけなかった。附添婦は大勢の人の前で、一つ、一つ、丁寧に拡げて、たたみ始めた。
 十一時過ぎ、手術は終った模様である。カーテンを掲げて、森岡部長が出てくる。私は立って一礼する。外科部長は会釈を返して、通り過ぎた。しかしそれからも私にとってはかなり長い時間が経った。ようやく妻が運送車で運びだされてきたのは、十一時二十五分である。妻は|担架《たんか》で階段を上り、病室に帰り、蒲団が取りのけられる。その妻の両手は|紅絹《もみ》のきれ地で縛られている。まったくの偶然のことかもしれない。が、誰かの心遣いでもあるかと、私は赤い絹の色を見つめている。
 妻の体は運送夫に抱えられ、ベッドの上におろされる。さっそく、紅絹は解かれ、左の背中にフォームラバーが当てられる。看護婦がベッドの|裾《すそ》に廻り、掛蒲団を捲り、妻の左右の内股に太い注射針を刺す。吊り下げられた、ガラス器の中の注射液が徐々に低下して行く。しかし妻は麻酔がかかっているので、意識はない。
「新村さんの奥さん、判りますか」
 看護婦が少し声を大きくして言う。妻は目を開き、|頷《うなず》く。しかし妻はすぐ目を閉じ、眠ってしまう。
 看護婦が私を呼びに来る。看護婦室へ行く。原田主任医がいる。
「これが、奥さんの取ったものです」
 原田医師がビニールの覆いを取ると、瀬戸引の盤の中に大きな肉塊が現れる。一枚の赤黒い筋肉の下に、丸い塊が葡萄状についている。その黄色なのは、鶏肉などから類推して、脂肪であろうか。
「これが癌です」
 原田医師がその一つを撮んで、メスを入れる。私のやうな素人には、どれがそれとはっきりとは判らない。が、そのいずれにも、銀色の|棘《とげ》のような筋が入っている。私はあるいはそれが癌か、と見る。
「ずいぶん、たくさん作ってくれたものです。これが大胸肉ですが、これはこんなにきれいです。しかし普通は二枚ともすっかり取ってしまうのですが、奥さんの場合は、コバルトをかける関係で、一枚だけ残しておきました」
 原田医師がそう言いながら、肉塊を取って、引っくり返す。まるで|覆面《ふくめん》を取ったように、完全な乳房の形が現れる。|乳嘴《にゆうし》から上部三分の二ばかりのところまでは、皮膚も残されている。しかしその皮膚はすでに死色を呈している。どうしたわけか、皮膚の上にも数条のメスの|痕《あと》が走っている。乳房の左の下部から、肉の粒を連ねた房のようなものが、垂れでている。原田医師はそれにもメスを入れながら言う。
「腋の下のも、いちおう、取るには取りました。しかし全部取ったわけではありません。非常に危険なところにできてるのもあるようです。しかしコバルトをかける関係で、後はあちらに任せることにしました。ですから、手術の傷がある程度直れば、すぐ大塚の方へ廻ってもらいます」
 瀬戸引の盤の横に、「新村貞子(48)」とマジックインキで記された、札がおいてあるのが、初めて私の目に入る。あるいはアルコール漬けにでもして、この病院のどこかで、保存されるのであろうか。私は厚く礼を述べて、看護婦室を出る。
 妻の意識はまだ回復していない。軽い|鼾《いびき》を立てて眠っている。私は椅子に腰をかけて、しばらくその寝顔を見入っている。すると、何となく気力が|蘇《よみがえ》ってくるのを覚える。もちろん、この慈悲の始終ないことは十分に知っている。しかしこの空しいもののために、私は私の最後の力を振り|絞《しぼ》りたいのだ。などと言えば、誇張にすぎる。感傷に溺れている時ではない。私はこの妻とともに喜び勇んで生き抜かなければならない。きゅうに気持が|昂揚《こうよう》する。が、私はかなり疲れた。それに|喉《のど》がひどく乾く。少し湿りをくれてやろうと、私は立ち上って、部屋を出る。
 看護婦室の前を通る時、思わず私の目がその方へ走る。今はひっそりとなった看護婦室の棚の上に、妻の切り取られた乳房が先刻のままに置かれている。その横に、妻のそれより一廻り小さい、新しい乳房が、やはり上向きに並んでいた。
 
 
 毎日、私は妻の病院へ通っている。国電で四谷まで行き、地下鉄に乗換え、西銀座で降りる。西銀座から病院まで、私は往復とも自動車に乗らないことにする。少しでも足を強くしたいためである。また、私はけっして道を急がない。散歩のつもりで歩いて行く。舗道を横断する時も、青の途中では横切らない。赤になり、さらに青になるまで待っている。少しでも神経を疲れさせないためである。
 しだいに歩くのが|億劫《おつくう》でなくなってくる。気持のせいかもしれないが、階段を上る足取りもしっかりしてくる。たしかに食欲も出てくる。ある日、妻は見舞に|貰《もら》った|鮓《すし》を食したので、私は妻の昼食を喰べる。丼の飯をすっかり平げて、妻を驚かせる。昼間に酒類を口にすることもまったくなくなる。病院から帰ってくると、すぐ机に向かう。私は仕事がしたくてならないのである。
 手術の翌朝、妻は大きな岩の間に挾まれているようだと、|疼痛《とうつう》を訴えていたが、意外に早く痛みもとれ、手術の傷の回復はいたって順調である。大塚へ移るのもそう遠くはなかろう。
 ある朝、私が目を覚ますと、私の性欲的機能が回復しているのに気づく。瞬間、ひどく|嬉《うれ》しい。まるで生き返ったようである。あるいは偶然、放射線による障害が消滅する時期に当っていたのかもしれない、が、私は妙な気持になる。先日、看護婦室の棚の上に置かれた、妻の乳房を見て、私は私の性欲史に恰好の終止符が打たれたと、ひそかに思った。そうしてかなり深刻に、しかし冷然と、その結論を受け止めえたつもりであった。しかしそんな生優しいものではさらにない。私の性欲史はまだ終ってなどいない。しかも私はそれほど悪い気持ではない。呆れはてる。いっそ|滑稽《こつけい》でさえある。私は妻のいない床の中で、文字どおり苦笑するよりほかはなかった。
 その翌々朝、私は鳴き|頻《しき》る|鶯《うぐいす》の声を聞きながら、目を覚ました。私の性器は、やはり隆々と勃起していた。その日、妻はコバルトをかけるため、大塚の癌研附属病院へ移ることになっている。
 
メニュー

更新履歴
取得中です。