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宇野浩二「長い恋仲」


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 長い戀仲

 ところで、大阪に歸つてから四五日目のことやつた、(と土屋精一郎はこの物語にうつつたのであつた。)友だちの中でも、土屋ちふと、年が年中|女子《をなご》のことばかりで苦勞してる者《もん》みたいに、噂されてんのを僕は知つてる。僕自身もしみじみさうかなあと思ふことがある、けれど、さて、ようよう考へて見ると、僕が生れてからこの年になる迄に、交渉した女子の數ちふもんはそない幾人《いくたり》もあれへん。僕自身もなんや斯う仰山あつたやうな氣がすることもあるけど、さて勘定して見ると、ほんまに幾人もあれへんで。が、その苦勞の仕方が、あんまり所謂身も魂も打込むもんやさかい、餘所目にはつきりつくんやな。……
 ほいほい、又話が横道に逸れたが、それで這這《はふはふ》の體《てい》で大阪に歸つてから、四五日目のことやつた。女子はいかん、女子はいかん、讖かてさうかも知れへんけど、殊に僕見たいな少賢《すこがしこ》い、いつもあんまり大けな損をせんと、世の中を狡う渡つて行くもんには、神さんが特別に女子好きにしといて、その女子といふ罠にときどき落すやうにして、世ん中の人間の損得を、公平に分つたやうにしよんのかも知れへんとも考へられる。それはさうとしてもヤ、もし僕があの初戀の女子とあんばい行てさへしたら、なんぼ僕かて、その後にこない女子のために色々な難儀や損な目工をしてへなんだかも知れへん。ほんまのとこ、この四五年來の女子の苦勞だけは別としといて、それを除《の》けると、後《あと》の僕の女子の苦勞いふのは、みんなあの初戀の女子との顛末からやと思ふネ。あの女子の外《ほか》に、この四五年來のンを入れると、一人《ひとり》、二人、三人、かうつと、あれを入れて四人、も一つあれも加へて五人、と成程《なるほど》勘定して見ると五六人もあるけど、早い話が僕は甲の女子に乙の女子の、また乙の女子に甲の女子の、丙の女子に甲の女子の、それぞれ惚氣《のろけ》や思出《おもひで》など聞かしたこと一|遍《べん》もあれへんけど、甲にも乙にも丙にも丁にも、あの初戀の女子の話だけはせえへなんだことがない。つまり、小説家みたいな物の云ひやうをすると、初戀の女子だけが、僕の一世一代の、たつた一人あ《そへもんま》はの戀人で、後のンは皆お添物の間に合せやと云へるかも知れん。……と、まあ、そんなやうなことを、取止めなしに色色考へながら、僕が或る町の、大阪のやで、電車通を歩いてたと思ひんか。(これだけ聞いても分る通り、土屋精一郎の話は脱線ばかりして、言ひ換へると、冗漫で、取止めがなくて、脱線といふと、全部が脱線のやうなものであるから、讀者諸君もそのつもりで聞いていただきたい。)
 ……そんなことを云ひながら、僕は、町を歩きながらも、着物を着更へた、年頃の、僕の所謂年頃といふのンはなかなか範圍が廣いデ、つまり十五六から四十餘りまでの女子を見ると、振り向かんとこ思《おも》ても、振り向かん譯《わけ》にいかんね。「道行く女子を見て、」か、「心を動かす者は、」か、神さん、そんなこと云はんと、そんなことになる心を助けとくなはれヤ、まあ他の人は兎も角、僕見たいなもんにはやナ。……そして、電車通を歩いてると、行手の方から、素晴らしい、綺麗な女子を乘せた一臺の車が走つて來たんや。
 何處の女子か知らんけど、それが、顏色は、古い言葉やが、拔けるやうに白うて、髮は束髮やが、その髮の毛工が當前《あたりまへ》の人の倍ほどあつて、それが又わざツと油氣をつけてよれへんので、青い空を背景にして、日本畫《につぼんぐわ》の畫風にある片ぼかし云ふ風に見えるンや。それに着てゐるもんはちふと、上から下まで黒地勝《くろぢがち》のお召づくめヤ、iこいつは二十歳《はたち》過ぎた女子の風としては一番やな、君も細君や戀人が出來《でけ》た時の心得事《こころえごつ》ちやデ、半襟と帶とを少しばつと派手にして、それで物足らん思《おも》たら、羽織の裏か襦袢の裏かをちゆつと派手にして、派手いうても大柄な模樣や、赤とか紅の色の混つたンは禁物やデ、兎に角、男でも、女子でも、僕の考《かんがへ》では、餘所行《よそいき》の風は黒色づくめに限ンなア。……
 そこで、はツとして、――僕は本眞《ほんま》に綺麗な女子を見るとはツとすんね、――その車の上の女子に、半町も先きから見惚れてるうちに、此方《こつち》は向《むご》に歩いて行く、向《むご》は此方に走つて來よる、つまり、忽ちのうちに近寄《ちかよ》る。近寄つて見て、僕は二度びつくりや! 車の上の女子も、向の方から僕に目を止めてゐた樣子やつたが、いよいよ近寄ると、彼女の方から先きに『まア?』といふ表情をして、ひよいと片手を上げたかと思ふと、車が止まつた。そして僕も立ち止まつた。
「まあ! いつから此地《こつち》イ歸つてなはつてん?」彼女は云ひながら車から下りて、その揚ですぐ車夫を歸してしもて、
「私《あて》んとこ直《ぢ》きそこだツさかい、……兎に角、久し振りや、まア來とくなあれ、」云ふか思ふと、もうさつさと歩き出しよつた。僕が何とも返事せんうちに、彼女は獨り呑込んでるやうに、さつさと僕の前に立つて歩き出しよつたもんやさかい、僕はあやつり人形みたいにふらふらとその後から附いて行つた。
 斜め後から附いて行つた。咄嗟の間、物を考へる力も何《なに》も失うてしもて、唯ふらふらと、彼女の姿、1黒色づくめの西洋婦人のやうな姿、さうや、  つまり、西洋婦人の服裝を日本の着物に飜譯したやうな風や、――よう見ると、四寸五分か、せいぜい五寸丈の、詰まつた振から見ると、着物も羽織も裏はみな純白にして、色彩いふと、羽二重の、ところどころ絞になつてるらしい長襦袢の、青磁色の勝つた友禪模樣が、ちらちら見られるだけで、足には紺紫の天鵞絨の足袋、(その時分女子の天鵞絨の足袋ちふのは滅多にあれへなんだ、)おんなし色の鼻緒の附いた、草履見たいな薄い船底の、黒塗の下駄を穿いてよる姿――に、見とれながら、ぼんやり無心の體で歩いて行つた。
「神戸でお目にかかりました切りだしたな、」彼女は、道道、――僕の方を振り返らんと、話しよつた。「私《あて》はあれから間《まあ》なしに、あんたも御存知の藤山な、あの人と別れて、こつちイ歸つてから……もう三年になりまんね。一昨年の秋、或る人に引かされて、三|月《つき》ほど家を持つたことおましたけど、……その人とも直《ぢ》き別れて、去年のお正月から又出てましたね。ところが、先月の末、また外《ほか》の人に引かされて、今のとこにゐるやうになりましたんは、……」ここで彼女はちょつと言葉を切つた、といふのは丁度二人が或る四つ辻に來てたんで、
「ここ曲りまんね、」と初めて僕の方を振り向いて、微笑みながら、案内顏に、心持うす手の唇から、それを隱すために少うし分厚にさしてゐる口紅の間から、細こい白い齒アがこぼれるやうに、笑ふ度びにのぞいたのを見た時、僕はやつと昔馴染の氣安さを感じ始めた、それと一緒に、次第に勇氣と大膽な氣が起つて來たんを覺えた。僕は追々婆と並行に歩い捌て行くやうになつた。彼女は話しつづけた、「あの、今の旦那はんは土曜日の晩やないと滅多に來えしめへんネ。……それに、會うたかて何にもかめしまへんネ。……しかし、やつばり、畫のうちやと、株屋だすよつてに、決して來えしめへんさかい。……大抵は下女《をなごし》と二人きりだす。」
 僕は殆ど無言で、歩きながら、彼女の話を聞いてゐたが、聞きながら、急にこの世の中が明るなつたり、暗《くろ》なつたりするやうな氣がした。iあの人と別れて、或る入に引かされて、また外の人に引かされて、といふやうなことを、何とこの女子は尋常茶飯のことのやうに言ひよることやらう?……
 それはさておき、所謂奇遇といふやつかナ。……奇遇やないか? この女子やネ、僕が今も話し、その時も、心に思淨べながら歩いてゐた、その僕の初戀の女子ちふのんは。(と土屋精一郎は話をすすめた。)
 澤井干江子ちふのが彼女の名前で、彼女は僕の小學校以前からの幼な友逹で、尤も、學校は彼女の方が二年|下《した》やつた。彼女の家は僕の家から、すぐ近くの、三軒目で、鍛冶屋で、彼女はその鍛冶屋の養女や、尤も、養女といふことはずつと後で知つたんや。僕等の仲のそもそもは小學校の塀に、松茸見たいな傘の盡の下に、土屋精一郎、澤井千江子と歪んだチヨオクの字で竝べて書かれたんが始まりやつたが、勿論、その時分は當人同士は何の成心もなかつたさかい、何年何月から僕等が…戀し合うたのか、それは僕にも、彼女にも、分れへん。……
 一《ひと》つ、可愛らしい話をしようか? 笑ひなや。僕の家はクリスチヤンやつたから、僕は或る晩死んだ祖母と一緒に寢てゐた時、どうして千江子に自分の思ひを打明けたらええやろ思《おも》て、いろいろ思案した末、これは勿論成心が出來てから後の話やけど、「千江子と三軒目のお屋敷の精一郎とを夫婦にすべし。神より」と、こんな風に神さんらしい字で書いて、彼女の家にそつと放り込んだら、それを彼女が見てくれ売ら重疊やし、又よし彼女の父母に見られても、神さんの思召しなら彼等も不服は云はんやろ、どんなもんやろ、と考へたことがある。勿論、そんな事は實行でける筈はなかつたが、當分の間、晝になるとさすがに恥つかしいて出來《でけ》ない事はわかり過ぎたが、夜になると矢張《やつば》りおんなし事ばつかり考へたもんや。その後、大きなつてから、僕たちが完全な戀人同士になつてから、僕がそのことを笑ひながら彼女に話《はなし》すると、おんなし時分から彼女も亦人知れず僕を戀し始めてゐたとかで、彼女は、
「私《あて》の方は女子だけにもつと大人らしかつたわ。私《もて》はあんたと一緒になるのンにはどうしても女學校イ行かんならん。又、小學校でも優等とり續けるやうやないと、とてもあんたとこで貰うてくれはれへんやらう思て、……」と云うたことがある。l-
 僕が中學生で、彼女が高等の四年を卒業した時のことや、或る夕方、町で二人がひよつこり出會うたことがあつた。すると彼女はつかつかと僕の傍にやつて來て、……その頃、僕等はもう何がなしに恥つかしさが先きに立つて、たまに道で會うても、お互ひに顏を逸らしてゐたもんやが、彼女はその時女性獨得の大膽さで、「私《あて》來月から電話交換局へ行かんなりまへんね。行ても、私《あて》から時々手紙上げたら、ぽんち、(彼女の家より僕の家の方が上流やつたさかい、かういふ敬稱を彼女は使うたんや、)屹度お返事おくなはれや。家のお父つあんやお母《か》んは字イよう讀めんさかい何やけど、ぼんちンとこへは私《あて》男の名前で出しますさかいな、」と云うた。これが恐らく二人が戀人らしい話を交換した最初やつたと思ふ。
 それから、……ここはなるべく簡單に話すけど、(これは話手の土屋精一郎がさうしたのでなく、筆者が手加減をしたのである、)彼女は交換局を一年ばかしで止めて、今度は料理屋に半年ほど奉公してた。そして、彼女が初めて、いよいよ神戸から藝者に出るといふ前の日、ちやうど暑中休暇やつたので、僕たちはそつと示し合しといて、箕面イ行て、そこで一晩中泣き明して別れを惜んだもんや。(この邊、土屋精一郎の話は實に情緒纏綿として精細を極めてゐたが、そこで、筆者も主人公と一緒になつていい氣になつて書いてゐると、役人が怒る、役人が怒れば編輯者が困る、編輯者が困れば筆者にも影響する。依つて、役人にも安心させ、編輯者の顏も立て、やがて筆者にも迷惑のかからぬやう、殘念ながら彼の話の一部分を抹創する。)……誠に果敢ない契を結んだもんやつた。
 彼女が藝者になつてからも、そして何べんも引かされたり、又出たりしてるうちにも、僕は或ひは中學生として、或ひは美術學校の生徒として、遙々東京から時々示し合しては相引《あひびき》したことがある。かと思ふと、幾月も、別れたやうに、消息を絶つたこともある。その時分、僕はもう父を失うてゐた。僕はその時分何遍となしに彼女に手紙を出して、どない苦勞をしてもええさかい、僕のとこへ逃げてお出でんか、僕はお前と離れてかうしてるくらゐなら、いつそ死んでしまふ云ふやうなことを、何遍書いてやつたか知れへん。けど、そこがなア、……
 考へて見ると、美術學校の生徒時代に、僕は漸うの思ひで錢をこしらへて、東京から神戸まで遙々會ひに行ては、その度毎に失望して歸つて來たことが何遍あるか知れへん。神戸といへば、さつきの彼女の言葉の中にあつた藤山ちふ男の話やが、彼は僕と殆ど年の違はんぐらゐの青年やつたが、當時|何《なに》をして來よつたのか、阿米利加から十萬圓ほどの錢を儲けて歸つて麥つたんや。國は廣島とかやさうなが、神戸に上陸して、國へ歸る汽車の時間の都合で、錢のあるにまかして、或る料理屋で藝者を上げて散財しよつたんや。そこで彼女を見初《みそ》めたのが運の盡きといふやつで、彼はそれからといふもの、國に去ぬことも何も忘れて、見る見るうちに五萬圓から使うてしまひよつてん。そして結局、彼女を引かして、諏訪山公園の下に家を持つた迄はよかつたんやが、彼女の言種《いひぐさ》に依ると、元もと好きで一緒になつたんやなうて、ちよつと藝者稼業に疲れが來てたんで、一服するつもりで引かされて行つたんやさうや。そんな譯やさかい彼女は直ぐ又退屈し出したと云ふんや。……それは、手紙で讀んだんか、言葉で聞いたんやつたか忘れたが……。さう、さう、その時、僕はやつと工面して、此方《こつち》から出かけて行つたんや。僕は思ひ切つて、そんなら、たとひ衣食の苦勞はしても、好いた同士で一緒になつた方が、……と云ふと、彼女は生返事ばかりしよつた。今から思ふと、結局、その時、彼女は藤山に退屈したのでもなうて、また元の藝者になりとなつたんでもなうて、自分と自分に飽きが來てたんや。……
 後で聞くと、彼女はその時分、毎日、夫の藤山などかまはんと、犬を連れて、(彼女はいつでも口癖のやうに、犬ならどんな腐つた犬でも好きや云うてたが、人間の子オはどないに綺麗な子オでも嫌ひやと云うてよつたくらゐやからなア。まア一種のデカタンや。)そして諏訪山公園に散歩したもんやさうや。藤山は阿米利加仕込でヴアイオリンが大分得意で、また巧《うま》かつたさうやが、生憎彼女が又それが嫌ひで、初めのうちこそ辛抱してゐたが、仕舞《しまひ》には彼がそれを彈き出すと、きつと默つてふいと外に出るもんやさかい、彼は彼女のゐる時は決してそれを彈かんやうになつたさうや。
 ところで、彼等の家の隣りに、寡婦と、女學校を卒業したばかりの娘との一家族があつた。彼等は亡父の遺産で、平穩無事に暮してる人たちやつたから、退屈なあまり話の種がなうなると、その隣人を噂の種にして日を送つてゐよつた。
「藝者なんちふ者《もん》はほんまに仕樣《しよ》のないもんやな、」と黒い南瓜《かばちや》を頭に載せてるのかと思はれるやうな恰好の束髮に結うた、しかし何處やら愛くるしい、色の白い、まん丸い顏した金齒のその娘が云ふんやさうや。「それに又、御主人があんまり大人し過ぎるよつてにあかんねわ。女子の方がいつも犬を連れて出て行くと、極つて御主人のヴアイオリンが始まるのんを、お母《かあ》はん、氣が附きまへんか? きつと藝者なんちふもんは趣味が卑しいもんやさかい、自分が家《うち》にゐる時は旦那はんにヴアイオリンを彈かせへんのだつせ。だけど、あの旦那はんは本眞《ほんま》にヴアイオリン上手やな。」
「あれは大方|豪家《ええし》の、」と娘の顏をそのままそつくり年を取
らしたんかと思はれる程、よう似た母親が答へて言ひよるね。
――その母親の顏をもう少し委しう説明すると、彼女も亦色の白い、まん丸い顏をしてゐるねけど、彼女は娘見たいにいつも下向き加減にして、その團子鼻を隱さうとせんと、それどこか、心持出張つたその下唇(この點は娘と正反對や、――娘はおちよぼ口やが、その下唇が顏の季面よりずつと下つてゐるとこに、その特長があるんやけど、)それを突き出すやうにして、顏を上向《うへむ》けて物を云ふのンが癖やつた。それで、もう形振《なりふり》もかまはんやうになつてるのかと思ふと、さうでもないと見えて、茶筅に切つた髮を黒黒と染めてよんね。そこで、彼女はその獅子鼻で、ちやうど天井の匂でも嗅《かざか》すやうな恰好をして、顏を上向けながら、さて、娘に答へて云ふのに、「大方|豪家《ええし》の息子はんで、きつと極道《ごくだう》しやはつたんやろ。おとなしさうな人やがな。しかし、よつぼど豪家の息子はんと見えて、ずゐぶん贅澤な暮しをしてはるやうやな。」
「私等《わてら》あんなん一寸《ちよつと》も氣羨《けなる》いことないわ、」とは云ふもんの、娘は目を輝かして、去年金齒を入れてから癖になつてゐる、無闇に口を明けて物を云ふ云ひ方で(それが又『妙齡』いふもんは大したもんやないか! 何とも云へん可愛らしさを添へるもんや、)「この頃は犬の紐を持つので、あの女子が手袋はめてますやろ。あの薄い絹のやうな手袋ナ、あれ何とかいふ、そらア高い革だんねテ。私《わて》もあんなん一つ欲しいわ。……昨日もな、私《わて》があの公園の道を通つてたら、あの女子がベンチに腰かけて、葉卷を吸うてんねやわ。そしてな、道で買うたんだすやろ、進物にするやうな贅澤なお菓子箱ン中から、これ見よがしにお菓子をつまみ出しては、それを遠うへ放つてんねわ。すると、自分の連れてる犬ばかりやなうて、方方から集まつて來た犬等が我先に走り出して、それを取りに行きまんねがナ。それを見ながら、あの女子は子供見たいにきやつきやつ云うて面白さうに聲を出して笑うてまんね。あれは屹度、自分がちよつと別嬪やもんやさかい、犬より何《なに》より、そんなことして人の注意を引きたいんやわ、さうやし、屹度さうやし、さうに定つてるわ……」
 そんな風に母と娘との問答はそれからそれと盡けへん。
 けれども、彼女を面白さうに又氣羨さうに噂するその隣人が思ふ十分の一も、百分の一も、彼女自身は、面白うも、樂しうも暮してゐえへなんだんや。その證據に、彼女は到頭或る日藤山に向つて、藝者の置屋を始めたい、もうこの上決して無理な願ひはしまへんさかい、ぜひ聞いとくなはれと言うたもんや。直ぐ、その願ひが叶うて藝者の置屋を始めたもんや。けれども、この新しい仕事も、犬を飼うて、それを連れて諏訪山公園へ行くより以上の、樂しみ面白さも彼女には與へへん。彼女はだんだん憂鬱になつて、夜遲《よるおそ》うなつてから藤山といがみ合うては、彼を諏訪山の下の家に追ひ歸したり、かと思ふと彼を藝者屋の番人にしといて、自分が諏訪山の家に歸つたりしてゐよつた。――
 その時分のことや、僕が彼女と最後に會うたんは、さつき彼女も「神戸でお目にかかりました切り」や云うたんは。何《なん》も彼《か》もあんまりすつかり云うてしまふと、味がなくなるけど、僕は思ひ出すと云はんとゐられん性分やから、辛抱して聞いテ。いふのは、その時、僕は東京の場末の穢い下宿屋にゐて、寂しなつたり、戀しなつたりしては、三日に上げず彼女に手紙を書いてやつたもんや。それでも夜、町に出てお多福面の女子が白粉を眞白に塗りくさつて、自分こそは世界一の別嬪やぞといはんばかりの顏して歩いてゐよつたり、氣障な男が淫賣見たいな女子を連れよつて、日本一《につぼんいち》の果報者は俺だぞちふやうな顏して歩いてゐよつたりするのンを見ると、俺の女子を見せたうか、俺の女子を知らんか、俺の女子は……いふやうな氣になる、堪《たま》らんやうになる。そしてたうとう思ひあまつて或る日神戸まで出かけて行つたと思ひんか。
 僕はとある料理屋の一間に通つて、急に用事があつて此地《こつち》へ來たんや、それで、このまま默つて去ぬのも何やと思ひ、というて突然訪ねて行くのもどうかと思ひ、そこで失禮やがこんな所から使で手紙を上げる次第や、で、爾、失禮かも知れんけど、如何やろ、お二人で遊びに來とくなはれんか、といふやうな手紙を書いて、そして待つてゐたんや。實は、僕は汽車が神戸に着くまでは、否《いや》、神戸に着いてからも彼女の近くの町をうろうろ歩くまでは、否、この料理屋に上るまでは、どうぞして彼女と會うて、かうもしよう、ああも云はうと、いろいろ自分だけの理窟や、工夫や、空想をしてゐたもんやが、さうして料理屋の一間に坐つて、手紙を書き出して見ると、恥つかしさや極り悪さが、一時に頭に込み上げて來て、やつと「如何《ど》や、お二人で遊びに來とくなはれんか、」といふだけのおちになつてしまうたんや。
 そして一時間二時間、さあ三時間以上も待つた後、やつと彼女に會ふことが出來《でけ》た。久しぶりで、さうやな、二年ぶりぐらゐで見た彼女の變り方に、僕は先づ吃驚した。昨日まではまだ自分の幼な馴染の戀娘や思うてゐたのんが、何ちふ驚きやつたらう! 二年前の、まだ少女といふ記憶しか持つてへん僕が、それどころか、小學校の塀にチョオクで名前を竝べて書かれた時分の、彼女の記憶などをしつかり抱《だ》いてた僕が、突然今の彼女と一寸《ちよつと》しか變らんほどまでに發逹した彼女を、言ひ換へると、今のやうな大人になつた、女子になり切つた彼女を、その時突然目の前に見たわけや。尤も、既に年こそ行かなんだが、小さうても一軒の藝者の置屋の主婦になり、幾人かの藝者の抱主となつてた譯やさかいかも知れんけど、……その時の着物が、今大阪に歸つた時會うた時の着附と殆どおんなしこつちやつた。1黒地に黒縞のお召に、黒地に黒の縫紋をしたお召の羽織を着て、髮だけは今度のと違うて、油をつけてきゆつと引詰め加減にした束髮に結うて、髷をなるべくあつさりと小さうに卷いて、それを大けな翡翠の簪で止めてゐた。それに、金と、さあ何《なん》ちふ色かな、サブアイア色とを主色《しゆいろ》にして、梅に鶯を織出しのやうに縫取つた、七寸幅の鐵無地の小柳襦子の帶をして、それに今こそ珍しなうなつたが、裏十八金の表鐵、その鐵の中に大けなダイヤを一つ光らした金具の、古渡更紗の帶締をしてんのや。その樣子がもうとても僕なぞとおんなし水卒線上の人間やないいふやうに見えたんで、僕はもう口に云へんほど狼狽したが、相手は勿論、別に今迄と差して變つた風もなうて、
「ずゐぶん待つとくなはつたやろ、」云うて、例の少し口紅を分厚に塗つた薄い唇から、白い細こい齒をこぼれるやうに見せながら、「今、家で喧嘩をしてましてん。いいええ、あんたのためやおまへん。どうせ、もう別れるんだすもん、かめしまへん!」
「一人で來たん?」
「そらア面白いねし、」と彼女は釜々盛んにその白い、細こい齒をちらちらさせながら、「下に來て待つてんねわ、いやらしい男だんな、」と何のこともないやうに云うた。
 が、僕はほんまに吃驚したな。主《ぬし》のある女子と會ひに來てんのさへ、少なからず氣が引けてんのに、その主ちふ男が、僕たちが相引をしてゐる間、外で待つてる云ふんやさかいな。僕は今にも彼が飛び込んで來て、殺しに來えへんかとびくびくすると共に、何とも云へん濟まん氣イや、それと共に實はなかなか嬉しい氣イや、いろいろな氣イがして胸がどきどきして、一寸《ちょつと》も落着いてゐられへんね。僕は是非とも彼にも上つて貰うてくれと、彼女に二三遍も頼んだんやが、彼女は陸《ろく》に返事もせえへん。お蔭で、その相引も、何のために遙々東京くんだりから來たんか、何の要領も得んもんになつてしまうた。
 その時、どういふ意味やよう分らなんだが、彼女は「もう少うし辛抱して待つてとくなはれなア、」云ふ意味のことを何遍も僕に云うた。そして歸つて行つた。僕は歸つて行く彼女の後姿を、その彼女を戸外で待つてゐた男と一緒に連れ立つて行く姿を、見えるか見えんか分らんけど、よつぼど窓からのぞいて見たかつたんやが、それも出來《でけ》なんだ。そしてその晩の最後の東京行の汽車で、又すごすご戻つたことやつた。
 彼女はそれから一月ほど後に藤山と別れたんやさうやが、その日からずつと彼女と僕との間に消息が絶えてゐたんで、今度初めてそのことを聞いたんやが、ここに面白いのンは、先きに話したあの藤山の隣人は、その後次第に彼女を憎む心が増すと共に、藤山に同情し、そのうちに例の女學生上りの金齒の娘が、彼にヴアイオリンを習ふやうになつたんが元で、たうと藤山は婆に貧て二三ケ月後、その女學生上りと結婚したちふ話や。吃度あの二人なら、あんばい行てるに違ひないわ、と彼女は餘所の人の話のやうに、云うてた。どういふつもりやろ、女子の心なんちふものは、分らんもんやなア。……
 そして、それから、僕の方は、君も知つてる通り、つまり遠い親類より近い他人いふやつやナ。僕はモデルの娘と關係して、子供が出來たとか、否《いや》それは僕の子オやない、ちふやうな騒ぎをし出かしたり、終に卒業前後の三年ほどの間を、どうや、あのヒステリイの女優と同棲して、學校の卒業を一年|後《おく》らした上に卒業と共に身一つで逃げ出さんならんやうな目に邁うた。僕かて、將來美術家として立つのには、どうしても東京の土地を離れるのん不利盆や思うたもんやさかい、ああして卒業後の一年間を、ヒステリイから隱れるために、名前を變へたりなどして、郊外の素人下宿で暮してゐたけど、そのうちに、どうぞして、自分たちの方に呼び戻したがつてゐた母と妹ばかしの國の家から、迭金することが出來《でけ》んなどと嚇かされたもんやから、仕樣事なしに歸つて行つたんや。それは、兎も角、今やよつてン恥を忘れて云ふけど、あのヒステリイの女優も實は、どこやらこの千江子に面影が似てたネ。
 君も知つてる通りナ、(と土屋精一郎の話は取止めもなく續いて行くのである、)僕は友だち仲間の噂どほり所謂|狡《ずる》い男で、君がいつやら冗談にやろけど云うたやうに、僕の目付は別に鏡いこともないし、また陰險といふほどでもないけど、確《たしか》に狡《こす》さうな色をしてゐるのを僕も十分承知してる。その通り、僕は肝腎のことになると友だちにも誰にも一切祕密主義で、お喋りはお喋りやけれど、いつもちやらんぼらんばつかり云うてる。それに根が大阪者だけあつて、錢金《ぜにかね》の始末のええことになると、我《われ》ながらもう一寸《ちよつと》どうぞして大樣になりたいとさへ思てるくらゐや。ところが、中學卒業後の僕のことは、君も大抵知つてるやろけれど、丁度|何《なん》ちふのやろな、何とか律とかいふやつやな、波のやうな形になつて、略《ほぼ》々二年に一度おきぐらゐに、その持前の狡さも、錢金の始末も、何《なに》も彼《か》もまるで忘れてしもて、夢中になる女子を發見するんや。よう人の擔ぐことを擔ぐやうやが、結局、それ等の女子は僕にはみんな千江子の思出見たいなもんかも知れへん。
 尤も、その時はそんなことを別に意識してかかつてる譯やないけどなア、兎に角、千江子のことが思ふやうにならんもんやさかいに、そこで縁がないと思ひ詰めてあきらめかかつた時分に、屹度不思議にそんな女子がどこからやら出て來よつて、それが僕を有頂天にさしてしまひよんね。君もよう云うたことやが、僕は今の世の青年たちの多くと違うて、自分が一旦惚れたとなると、決して相手の思惑なんちふもんを構《かま》はん方で、たとひ初めは嫌はれても、飽くまで相手を征服、なんちふと、岩野泡鳴いふ小説家見たいやけど、その征服するまで惚れ拔くいふやり方や。といふと、何や無闇に自分の惚れ方を自慢するやうに聞えるかも知れんけど、尤も、これは自慢してもかめへんかも知れんなア、兎に角、……僕のんは一|途《づ》に上《のほ》せあがる結果、積極的になるちふ譯やな。…
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 僕は昔大阪の松島いふとこのをやま(女郎)に惚れて、ある晩、印絆纏を着込んで、裏からそのをやまの部屋に繩梯子をかけて連れ出したことがある。さうさう、あの話は君も知つてたな、ぢき二三町先きで捕まへられたがなア。それから、これも大阪の話やが、學生時代の或る夏のこと、歸省する道で、ふツと買ひ馴染《なじ》んだ京都の三流藝者に惚れて、大阪に歸つてからも、苺日程ひど工面して會ひに行たことがある。どうしても錢がなうて出かけられん時は、手紙を書いて、それに添へて食物《たべもの》とか品物とかをその女子に迭つてやつて、轟…を鎭め鎭めしたもんや。つまり、手紙を書いてる間だけでも、女子と會うてるやうな氣もすれば、又その間だけでも、會ひたさに苛々する氣が休まるさかいや。
 それでゐて、大體、僕はこんな風な男やさかい、親兄弟には至つてすげない方で、歸省中やいうても陸《ろく》に家にゐたこともない位で、逋《たま》に家にゐる時は自分の部屋に引籠つたきりで、家の者たちと滅多に言葉を交すことなどあれへん。その僕が、僕にとつて惚れた女子の力ほどえらいもんはない、その時分の或る日妹たちを呼んで、何時《いつ》になうにこにこして見せて、一つお前等の持物《もちもん》、たとへば袋物やとか、櫛やとか、香水やとか、そんな物を見せてんかと云ひ出したことがあつた。彼等は、ないこと機嫌のええ優しい兄の調子に喜ばされて、銘々自分の持物を僕の前に竝べて見せよつた。これは親類のをばはんに貰うたまま、まだ惜しいさかい使はんと仕舞つてあつた云ふ懷中鏡やとか、これは去年のお歳暮に、どこやらから膾物に貰うたちふ、箱に這入つたままの花簪やとか、又もつとハイカラな物の方では、これは近頃はやる佛蘭西のロオジヤア會社の赤箱香水でつい此間買うたのやが口を明けるのが惜しいのやとか、或ひは又一昨年貰うたままで使はない云ふ、調べて見ると表《おもて》に黴のやうな粉が吹いてる、亞米利加のコルゲイト商會冖の鼇甲石鹸入の半打の箱やとか、いろいろな物を彼等は我先《われさき》にと僕の前に並べて見せよつた。勿論それは魂膽があつたんで、僕はその晩、晝問彼等の出して見せた持物の中から、これと目星を附けといた物を盜み出して、それを京都のその三流藝者に送つてやつたもんや、もう彼女に送つてやる或る食物《たべもの》も或る品物も買ふ錢さへなかつたさかいや。
 或る時は又ふと表に出て、前の通《とほり》を走つてゐる電車が、『梅田行』いふ看板を出してるのを見ると、おお、これにさ説へ乘つたら梅田に行く、そして梅田から東に行く汽車にさへ乘つたら彼女の町に行けるんや、と當前《あたりまへ》のことを痛感すると、僕は友逹から嘘をついて錢《ぜに》借つて、  不斷は君も知つてるやらう、僕は友だちに貸すことも嫌ひな代り、一文の錢かて借りに行たことあれへん、――そして僕は彼女に會ひに行たやうなこともあつた。
 友だちいふと、やつばりその時分のことやつたが、女子には會ひたし錢はなしで、くよくよしながら町を歩いてた時、ひよいと氣がつくと、中學時代の、而も餘り親しなかつた友達の家の前を通りかかつたことがあつた。それは葬儀屋で、ふと見ると、その友逹が一人で、十年前の中學時代とおんなし顏して坐つてよつた、それが又感じの惡い顏でな、「やア!」云うて此方を向いた拍子に、中學時代の頃の綽名の『よこ禿』(頭の横鬢に火傷の跡らしい大けな禿があるんや)が、電燈の光にちらと光つたのを覺えてる、嘘やない、本眞《ほんま》や、僕はその男がしよんぼり坐つてゐるのを見ると、感じのええも惡いもない、前後の考へもなしにつかつかとそこへ這入つて行て、呆れたもんやないか、十圓の無心をしたもんや。
「折角やけど、今、僕の手元にないんで……」と彼は云ふなり、笑顏をゆがめて、かう云ひよつた。赤ら顏の變な風に鼻の尖《とが》つた奴《やつ》でナ、おまけに、さうや、中學時代と變つたんは髮の毛を延しよつたことやが、それで横鬢の禿があんばい隱し切れてない樣子などが、一時に僕に中學時代の感じの惡さを思ひ出さした。しかし、僕はそれでも彼に背中を向けずに、僕は彼の坐つてる直《ぢ》き後《うしろ》に小形の手提金庫が置いてあるのンを見付けて、どうや、
「君、そこにあるやないか? 二三日中に屹度返すよつてに、その中のを貸しておくれえな、」と云うたもんや。今考へても、我ながら冷汗が出るのを覺える。厚かましいなど云ふとこを通り越してゐるさかいな。すると、相手は、妙にぎようりとした、大けな、そのくせ白目の多い目玉を光らして、
「けど、僕が鍵を持つてんねやないもん、」と答へた。
「そんなら、君、」とそれでも僕は手を引かなんだ。そして、
「直《ぢ》きそこの戸外《そと》の暗がりのとこまで持つて來てえナ、ほしたら、僕が何とかして、あんばい明けるさかい……」
 そして結局、金庫に手はつけへなんだけど、五圓だけその『よこ禿』の友逹から借つたもんや。それがどうするんや云ふと、誰のためや云ふと、その京都の三流藝妓に會ひたいためやね。……君ならやりさうなことやが、(それは冗談やが、)このあんまり世間的や云うてときどき友だちに非難される僕がやデ、そんな非常識な厚かましいことしたことがあつたんやデ。i
 それよりも又前の話やが、(と土屋精一郎の話は釜々その脱線振りを發揮して行つた、が、もう少しだから、筆者からも併せて、讀者諸君の寛恕を乞うておく、)親父の死んだ時のこつちや。丁度一週間ほど寢てた親父の容體が急に更まつて、愈々その日の夕方が危險やと醫者が宣告しよつた日のこつちやが、折悪しくその時分はもう干江子は神戸にゐよつたねんが、その日僕は突然彼女から會ひたい云ふ申込みを受けたんや。
 親父は唯醫者に質問された時だけ、痛いとか苦しいとか一言《ひとこと》答へるだけで、外の者に病苦を訴へたことは決してなかつた。そんな譯やから、外の者がやくたいもない騒動するのを嫌ひがつたもんや。で、枕元にも決して一人以上の看病人を置かなんだ。家の者も、見舞に來た人人も、手傳に來てる人人も、みな茶の間に集まつてた。親父は不斷から見舞の言葉などを受けるのが嫌ひやつたよつてン、見舞人や見舞状などは、一切みな母に處分さしてた。そんな譯やさかい、臨終に近い病入があるちふのに、家の中は割合に取込んでゐなんだので、その代り、長男の僕が着物を着更へたり、拔け出したりするのンに實に都合が悪かつた。それで、どさくさ紛《まぎ》れちふ譯にもいかんやろ。その上僕は、父の病氣で、東京からわざわざ學校を休んで歸つてる時やろ。尤も、父は母の計らひで歸つて來た僕を見て、「歸つて來んでもよかつたのに。が、今度は俺も死ぬらしいから、戻つてくれたんはよかつたが、かうして一遍會うといたらええよつてん、學校が大事や、直ぐ東京へ去に!」云うたけど、……が、それだけ、その日、心配さうな顏をして集まつて來てる親類の者たちの思惑も無視して、僕はそつと家を拔け出して、たうとう神戸まで彼女に會ひに行つたもんやつた。そして、その晩の十時頃に戻つて來たら、もう親父は息を引取つた後やつた。親父の臨終の時、僕の姿が見えん云うて、傍の者が騒動したさうや。併し、親父は死ぬまで氣が確かやつたさうで、「俺も親父の死ぬ時、友逹のとこへ遊びに行つてて、死に目に會はなんだ。親子よう似てるわ。……遺言はない、」云うて、そのまま目を瞑《つぶ》つたさうや。これは又話が横に反れたが、親父の話をするつもりやなかつたんや。これはどのぐらゐ僕が女子に夢中になつたかちふ話や。
 女子に夢中になる云ふと、或る時は又こんなこともあつた。父の死後も引きつづいて、暫く僕の家が町内の世話役見たいなことをさせられてたんやが、暑中休暇で東京から歸つた時のこつちや。氏抻さんの社《やしろ》の修繕費の町内の寄附金の集まつたんを、僕が羽織袴で持つて行かされたことがあつた。ところが、それを僕は持つて行かなんだんや。「これだけの錢があれば、」と僕は考へたんや。「何もこそこそ示し合したり隱れたりして呼び出さいでも、又きまり悪い思ひして千江子に錢を出して貰はいでも、僕の方から公然と千江子をお茶屋に呼んで會へる。何の、錢…は後で家で何とかしてくれるやろ。」そこで僕はいきなり最寄《もより》の友だちの家に駈け込んで、堅苦しい羽織と袴とを脱ぎ捨てて、預けといて、その町内の氏神行.の寄附金を着服して、彼女に會ひに行たことさへある。
 却説《さて》、女子にかかると、そないに不斷の智慧と狡《こす》さを失うてしまふ僕が、まして長年切れかかつては切れず、ちやうど昔の小説家や詩人の題材に持つて來いの珍しい初戀の女子、而も僕の口から云ふのは何《なん》やけど、この千江子は誰に見せたかて恥つかしない美人や、今、その寫眞見せるワ、その女子とこんな不思議な廻《めぐ》り逢ひをしながら、君、をかしいやないか、一寸《ちよつと》も胸が躍らんのや、胸が躍らんちふと逋當やないが、何《なん》や斯《か》う胸にぴつたり迫つて來るもんがないんや。
 怪體《けつたい》やなあ、と僕は何年ぶりかで彼女と並んで歩きながら、夢やないかと何遍思うたかしれへん。東京で、僕の方から置いてきぼりにして逃げ出した、あのヒステリイの女子との戀愛の、あんまり辛かつた記憶がまだ殘つてるんやろか? いや、そんな筈はない、その證據に、現にもうその女子と別れて一年以上になるさかい、女子との辛い記憶の方が消えてしもて、僕は女子の甘さの方ばつかり思ひ出すくらゐやから。そやのに、そやのに、これはどうしたと云ふんやらう? やつばり女子に懲りたんやろか? それとも、三十といふ年のせゐやろか? 誰に聞いたんか忘れたが、人問いふ者は三十になると心持が變る、三十にならんと一人前にならん、本眞《ほんま》の心が極《ぎま》らんと云ふやうなことを聞いたことがあるが、なる程、その三十かな、三十いふ年のせゐかな?
 ……そのうちに僕たちは彼女の家に着いた。彼女の家いふのンはつまり妾宅やな。中に這入ると、ようあるやツちや、連子窓《れんじまど》があつて、大けな姿見鏡が目につくとこに置いたあつて、黄色い布切に包んだ三味線が壁に掛けたあつて、二棹ほど並べた箪笥の上には、人形箱やら、瀬戸燒の左招きの猫やら、いろいろな玩具のやうなもんが飾り立ててあるか思ふと、その上には天井板の隙間に突きさした十日戎の吉凶笹――東京の、つまり、酉の市の笠ハのやうなもんやな、――さういふのンがぶら下つてるとまア、ざつとさういふやうな光景や。それから、長火鉢の兩側には、寄席の娘淨瑠璃語《むすめじやうるりかたり》の敷くやうな大けな、座蒲團がきちんと向ひ合せに置いてある。兩方とも縮緬の友禪やが、一方は他方より更に大形で、その代り模樣が地味やが、片方《かたつぼ》は大柄の派手な模樣の稍《やや》々小形で、言ひ換へると、一方は旦那の位置で、彼の座蒲團で、他方はその家の主人の妾、つまり彼女の座蒲團や。
 僕はこの光景を一目見てこれはいかんと思《おも》た。これは、何も僕が千江子の旦那に鞨して燒餅を燒いた譯やない。つまり、僕は、甲であらうが、乙であらうが、この『旦那』ちふもんが嫌ひやね。勿論、僕がこの旦那になることかて嫌ひやね。何ちふのかな? 何とも云へん……まア『不淨』といふ感じやな、不淨の感じも時に依つては面白いもんやけど、その中に、自分の戀人を見出すちふことが餘り面白《おもしろ》ないんやナ。が、兎に角、僕はその旦那の座蒲團の上に坐つて、何年振りかで、彼女とさし向ひになつた譯や。
 さて、さうして彼女と僕とが何年ぶりかの積る話を始めるいふ段になるんやが、もう一つ忘れんうちに話しときたいのは、さうして僕たちが話してゐる最中《さいちゆう》に時々茶や菓子を運んで來る色の黒い、目かんちの、おまけに、鰐見たいな口をした、彼女の家の下女《をなごし》の印象や。ちふのは、僕は並々ならずこのお金いふ下女と、その主人の千江子との樹照に吃驚《びつくり》さされたんや。あり來りな考やけど、僕はこの綺麗な着物を着た、贅澤三昧に日を送つてる、美しい器量の主人に朝晩接して、お金はどない自分の身の惠まれなんだことを、嘆《かこ》つとをるやらと同情したんや。(さうや、お金のことは、後で話す方がよかつた。これはやつぱり、段段に話して行くことにしよ。その方が都合がええ。)
 さて、千江子は一向僕が考へてることなどには頓着せん樣子で、さし向ひになると、僕のその後のことや、僕が今でも獨身でゐるかいふやうなことを、簡單に聞き質してから、
「もう少し待つてとくなはれや、」と云うた。この言葉は、先きにも云うたと思ふが、(神戸でも聞いたもんやが、)初めのうちは僕に何の意味や分らなんだが、それは、彼女が、彼女さへ話を持ち出したら、僕がいつでも彼女と一緒になると思てたらしいんや。尤も、さういふ彼女に無理もないとこもあつた。といふのは僕たちはずゐぶん前に別れた切りやが、前にもちよつと話した通り、別れる時は二人とも涙を流し合うて別れたもんや。而も、僕は彼女に宥められたが、心の中で、「せめて僕が彼女を思ふ十分の一の熱い心を彼女が持つてくれたらなア、」と悲しみながら、僕は彼女を恨めしい目付《めつき》で見返して別れを告げたもんや。そして別れてからも、當分の問は彼女の一通に對して、僕は三通も四通もの手紙を出したくらゐや。してみると、三十歳の僕が、假りに十五歳から始まつた彼女との戀とすると、十五年のあひだ繩え絶えながらも、普通以上の熱情を以て封した彼女と、こんな偶然の機會で、今こんな奇遇を惠まれた譯や。それが、どうしてこない胸が躍らんのやろ? と僕自身が不思議でたまらんくらゐやから、まして彼女が今僕に會うて、僕を昔の僕として扱ふのに、決して不思議はない譯や。その時、
「それや今が今直ぐにでもなあ、」と彼女は云うた、「あんたと一緒になれんことはおまへん。それや、一年や二年、二人で遊んで食べていかれるぐらゐの用意はおます、そやけどなあ……」
 その時、彼女が云うた事を掻撮《かいつま》んで云ふと、!無論、今の旦那かて・婆が好きで藷になつたんやない・それどこ獅か、今直ぐでも別れるのは彼女の望むとこやさうな。が、唯、彼女が今直ぐそんな事をするのをようないちふのは、彼女等の仲間の不文律や、といふのは、何ぼ人を訛すのが稼業やいうても、あんな物の分つた人に、あんだけ仰山な錢を使はして、あない立派に引かして貰ひながら、まだ引かされて三ケ月もせんうちに逃げてしもたちふことになると、あれは屹度新しい男はんが出來《でけ》て魔がさしたんやなうて、初めから企《たく》らんでやつたんやろ、そんな義理知らずやとは思はなんだ11といふやうな惡名《あくみやう》を彼女等の仲間に殘すことが、彼女には殺されるより辛い、それでは大阪中に顏向けがならんさかい、せめて一年待つとくなはれ、その一年の内にはもつと十分な用意も出來ますやろし、それに又、一年も務を果して逃げた云うたら、今度は逆《さかさま》に、そんな男はんがあつたのに、よう今まで辛抱したと褒められこそすれ、人が決して悪う云はんさかい云ふのんや。(『男はん』1色男と云ふ言葉が出るたびに僕は背中がむずむずしたデ。)それに、僕はさういふ話を當然聞いてゐる隣室の、目かんちの下女《をなごし》の、お金の思惑を考へんわけには行けへん。いつれにしても、彼女の云ふところはざつとさう云ふんや。僕にはよう呑み込めたやうな呑み込めんやうな話やが。
「それはさうとしてな、」と彼女がその時いふのに、「今かうしてあんたとひよつくり出會うたいふのも、これも神さんの引合せに違ひおまへんさかい、どうぞ、これから毎日來とくなはれナァ。」
「そんなことして、若し、」と僕は、僕には、何ぼ何でも『旦那』ちふ言葉が嫌で嫌で、使へなんださかい、その言葉だけみんな拔かして、「見つかつたらえらいこつちやないか?」
「見つかつたら見つかつた時の事や、」と彼女は季氣な顏で、(君、女子といふ奴は、疚《やま》しい云ふことを知らんな。)「その時はそれが百年目や思て、綺麗に斯う斯ういふ譯だすと白賦して、その時かぎり、旦那ときつぱり別れて、あんたと一緒になろやおまへんか?」
 僕はどきんとしたな、ちやうど三寸ぐらゐの小さい眞鍮の槌があるな、(と、そんなことを突然云うたかて、君には分らんやろがな、それは何《なん》に使ふもんや知らんが、僕が子供の時分に、家《うち》の小道具箱から見つけ出して來て、玩具にしてゐたもんやが、今ふつとそれを思出したんや、)まあ、そんなやうなもんで、いきなり、腦天をこつんと叩かれたやうな氣がしたなア。が、僕はやつばり無言で、目工ばつかりぱちくりさしてたもんやから、
「あんたは相變らず大人しい、氣の弱い、ぼんちやな、」と彼女は云うて、彼女の立てた膝を、きちんと畏まつて坐つてる僕の膝の上に輕う乘せるやうにして、僕の顏を覗きこみよつた。(勿論、この時は僕等は例の座蒲團の上に差向ひで坐つてゐたのんを、いつの間にか直角の位置になつて坐つてゐたんや。)彼女は僕の顏をのぞき込んで、
「な、よろしおますやろ?」と云うた。
 僕は相變らず默つてゐたが、結局、それが、彼女の云ふことを承諾したことになつたんや。
 彼女は、その後ときどき、どういふつもりか(それは後には想像がついたが、)現在の且那の外《ほか》に、彼女の周圍に寄つて來る、所謂取卷の男たちの銘々傳を僕にして聞かした。
「それは怪體な人がおまんデ、」こんな風にいつも彼女は始めるんや。「山村はんちふ人でな、今は蓄音器屋の外交だすがな、一遍も何にも買うたことおまへんのに、一週間に一遍か、五日に一遍ぐらゐは屹度來やはります。……」
 その山村ちふのは元は鐵屋やつたんやさうや。彼は日清戰爭の時に分捕した鎭遠といふ軍艦が廢艦になつた時、それを四五人の仲間で錢を出し合うて買うたのが運の向き始まりで、それが今度の歐洲戰爭のお蔭でうんと儲けよつて、忽ち二十萬圓の成金になりよつたんやさうや。-
 君、その男を何やと思ふ! 彼は以前は彼女のお客やつたんや。彼はえらい綺麗な遊びをするちふんで、一時は非常に色町の好評を博した男やさうな。「綺屬な遊びちふのはどんなんや!」と僕が交《ま》ぜ返しに聞くと、色氣のない遊びやと彼女は答へた。もう一つその註釋を要求すると、藝者遊びする者は大抵自分の自由にする女子を一人きめてあるもんやのに、彼にはそんなもんが一人もなうて、彼はいつ來ても唯女子等をおほ勢呼んでわつと騒いで、寢んと去ぬいふんや。
「どつちみち色氣がないことはないやないか?」と交ぜ返すと、彼女はそれには答へず話しつづけた。
 山村の遊びがそんな風やつたので、いつとなしに彼女等の社會に彼は女子嫌ひや、云ふ評到が立つた。すると、彼女等はその女子嫌ひを是非|落《おと》したいと思ひ立つた。中に物好きな藝者が三人あつて、彼女はその中の一人やつたが、彼女が安安《やすやす》それに成功したんやさうや。
 ところが、それは、眞面目にやつたんやない、ネ、轉合《てんご》(大阪ではいたづらの意)のつもりでやりよつてん。ところが、その結果、山村が今迄とは正反對の態度で、もう彼女でないと夜も日も明けんいふやうなことになつたんや。彼はこれ迄からも、今いうたやうに、しみたれ遊びをせえへなんだ方やから、一旦彼女との關係が出來てからちふもんは、馬鹿見たいに錢を撒き始めたんやさうや。そやさかい、彼女が第一囘に或る人に引かされた時などは、氣違ひ見たいになつて、無茶な散財をしよつたんやさうな。仕舞《しまひ》には、彼の遊蕩のためばかりでなく、惡い番頭たちがそれに附け込んで、胡魔化し出しやつたもんで、さしもの成金の財産もどしどし減り出したんや。……彼は一度ならず彼女に身受けを迫つたけど、(男の方から女子《をなご》にやデ、)彼女はてん(頭)から受附けなかつたさうや。彼は、そこで、自分の決心の程を見せるために、妻子を離別してまで、彼女に身受けを申込んだも.んやが、それでも彼女は受附けなんださうや。そして山村が本眞《ほんま》の一文なしの、家も妻子もない身になつた時、彼女は丁度今の旦那に引かされてたんやさうや。それから、山村は或る蓄音器商會の外交員になつて、今では別に恨めしさうな顏もせずに、彼女のとこヘレコオド賣れても賣れなんでも、何するともなしに出入りしてゐると云ふ。
 この話は聞いてるうちに、初めの間は嫌嫌聞いてたんやが、だんだん僕は興味を覺え出した。一旦女子に惚れたとなると、腰が曲るまで、相手が生きてる限り、死んだらその墓揚をうろうろし兼ねないまでに、妙に執着の深い大阪者の一種の型を見るやうな氣がしたからや。僕の友逹に二三十萬圓の資産家の絲屋の息子で松島のをやまに惚れたり惚れられたりして、(ちやうど僕が松島に通うて、繩梯子かけた時分のこつちや、)外泊することの出來ん嚴しい家やつたよつてん、彼はいつも晩の十二時を刻限として、女子と逢うてたんやが、仕舞にそれが家《うち》に知れて、或る晩番頭に迎ひに來られた時など、君、一人前の大の若いもんが女子のやうに泣きながら、連れて歸られるとこを僕は見たことがあつた。僕もときどきその男と一緒に遊んで知つてるが、彼はいつも遊興せんと、會うてから別れるまで初めから仕舞まで、をやまの手を取つて泣き通《とほ》しや。
 怪體《けつたい》な男もあればあるもんやないか? けれど、大阪の色男は萬事がその調子で、關東の男はそこへ來ると本眞にきびきびしとをるな。彼等はよし惚れた女子のために落ちぶれて、擧句の果てに捨てられても、一遍心機一轉したら、明日からは大店の若旦那でもぼんちでも天秤棒を擔《にな》うて、新規播直し、魚屋になるとか、それとも盜人になるとか、兎に角前の女子のことは一切あきらめて、又別の女子をこしらへるちふ風で、實に要領を得てるけど、それが上方の男になるちふと、落ちぶれたら落ちぶれたままで、乞食になつてもまだ前の女子の家の前をうろうろしてるいふ風や。つまりその前鐵屋li今蓄音器屋外交員の山村などがその口やなア。
 彼女の取卷銘々傳はその外に、彼女に捨てられて肺病になつて、今須磨の病院で死にかかつてゐるいふ男や、彼女のために親の遺産を使ひ果して、その結果滿洲に働きに行つて今は大ぶん成功してるちふ、それで時時「唯、お前があるばつかりに働いてここまで仕上げたんや。一日も早よお前の來るのを待つてる。」(阿呆《あほ》らしい、誰がそんな滿洲三界まで行けまつかいな! と彼女は言うてたd)といふやうな手紙を寄《よ》越《こ》す男やら、それから又、僕にちよつと似てる云ふんで彼女に惚れられたのが元で、親の錢を盜み出して、今では家を勘當になつて、友逹の家をごろごろして廻つてる云ふ若いぼんちや、その他いろいろな話が出て、一々多少の興味がないこともないが、ここでは餘談になるよつてン省くとする。――
 兎に角、久し振りでさうして會うて、飮めん酒など飮まされて、僕が大《だい》分ええ氣持になつてるとこへ、突然、がらツと表の格子戸が遠慮のない音を立てて明いた。僕たちは思はずして目を見合して、はツとした。それは、君、彼女の且那が不意に歸つて來よつたんや。と、彼女はうろたへる僕を手附きで抑へておいて、旦那を玄關まで迎ひに行た。
 旦那ちふのは、色の白い、でつぷり太《ふと》つた、目工に險があるが、なかなか愛嬌のある顏をした無髯の四十男や。彼はいつもの自分の家のつもりで勢よく上つて來て、思ひがけない男の客があるのを發見すると、
「あ、お客さんか!」と口の中でやが、ちよつと意外らしい口振りで云ひながら、それでも僕の方を見て輕う會釋しよつた。そこで、中腰になつてびくびくしてた僕も、あわてて馬鹿丁寧に頭を下げた。その間に旦那は、
「私は二階へ行こ、」と別に何のこともなささうな、屈託のない調子で云うて、とんとんと段梯子を上つて行きよつた。その後から、彼女もついて行きよつた。暫くすると、彼女が笑顏をしながら下りて來て、
「かましめへん、」と僕の耳の傍でささやくやうに云うた。
「子供の時分のお友逹で、今日ひよつこり十年ぶりで道で會うたんや云ふと、さうか、云うてたわ。それで、繪かきはんや云うたら、日本畫の方や思て、誰のお弟子さんやろ云うてたわ。」
 今にも取り拉がれるやうな氣がして、びくびくしてた僕は、さう聞いてやつとほつと安心の息をついたものの、又それと一緒に、旦那ちふ男の大樣《おほやう》な、人もなげな態度には少からず威壓されたナ。戰はずして僕は見事に負けた形や。僕は又の日を約束して、その日はそこそこに彼女の家を辭して歸つて來た。
 その翌日早速來た彼女の男見たいな逹者な筆蹟の手紙に、昨日《きのふ》は運悪うあんな窮屈な思ひをさして濟みまへなんだ、あんなことは滅多にないことだすよつてに、どうぞあれに懲りんと、この手紙を見次第直ぐ遊びに來とくなはれ、旦那はあんな風な男だツさかい、別に何とも氣にかけてゐえしまへん、と書いてあつた。
 それからいふもんは、毎日ほど彼女から男名前で手紙や葉書が來た。仕舞には、電報や速達で招待して來よつたんで困つた。三度に一度は僕も出かけて行た。が、そない鼻を突合《つきあ》はしてゐられへんよつて、二人で退屈しては郊外に散歩に行たり、一寸した日歸り族行をしたり、一口に云ふと、如何にも興のさめ惷人らしいやり方をして・その日その日蓬つ鋤たもんや。本眞、戀人としては興のさめた、といふよりも妙にお互に腹に一物のあるちふやうな状態がつづいた。無理もないが、お互に三十やよつてんな。尤も、僕といふ人間は元來この『腹に一物』いふやつが好きでな。妙に感想見たいなことを云ふやうやが、よう世間では腹に一物のある相手のことを、氣が置けるいふけど、僕には反對や。その代り僕には阿呆な、正直者《しやうぢきもん》ほど氣が置けるもんはない。くどい感想は止めるけどな、例へば今も云うた通り、僕は始終彼女と散歩に出たり、小族行をしたりしながらも、それは戀仲としては本眞に感興の薄いもんやつたが、唯一つ僕が感謝したいのンは、彼女と行動を共にしてゐる最中に、決して、男が、女子と、――つまり母親とにしても姉妹とにしても、乃至は情人とにしても、女子と行動を共にする時に感じるやうな、負擔らしい感じを少しも抱かされたことがないことや。僕はいつも、男の、而も頭の惡うない友達と散歩する時とおんなしやうに、一寸《ちつと》も氣の引けるやうな思ひをせずに、對等の感じを持つことが出來たこツちや。
 君はさういふ思ひを經驗したことないか? 何ぼ好きな女子でも、その女子を人中に連れて出た時、彼女が妙に此方が庇護《かば》うてやらんならんやうなことをしたり云うたり、或ひは、早い話が、四疊半で二人だけの時にしたり云うたりするやうなことを人前でしたり云うたり、――何ちふねやろ? すべて女子の無智と淺墓から來るもんやナ  十人の女子に先づ十人まで免れん、あの嫌さを經驗したことがないか? ところが、彼女にはそれがないんや。そやさかい、夫婦になるとかならんとかいふ問題の脅迫さへなかつたら、――否《いな》、さうも云へんかな?――兎に角、彼女でなうて、彼女に等しい外の女子が若しあるとしたら、僕はその女子には確《たし》かにそつこん惚れるなア。
 君、學問のあるないに拘らず、世の中に三時間以上膝をつき合して話をして、相手の男に欠伸をさせん女子が外《ほか》に何人あるやろ? 僕は思ふな、世の中に女性であつて、彼女ほど、つまり、散歩と戀愛にええ女子は一寸《ちよつと》ないネ。ああ、それが彼女でなうて、すべての點で彼女に等しい外の女子やつたらなア?……
 しかし、そんなら彼女かて同《おんな》しことやないか? さうや、おんなし筈や。それでゐて、一日一日と僕を彼女と隔てて行くのンは、妙に彼女に對して、今いうたやうなのとは違うた、一種の嫌アな、重苦しい負擔が感じられるのんは、それは彼女と夫婦になるいふ問題が僕を脅すためやからやろか? 戀と散歩とにええだけ、それだけ夫婦の生活には不適當や、と僕が無意識のうちに考へたからやろか?……分らん、分らん、……こんな風に理窟めかしいこと云うてると、だんだん云ふことが本眞の事と遠なつて行くやうや。……止めよ。
 そして、僕が彼女の家を訪ねる毎に、僕の印象に深う殘るのは、彼女よりも却つて下女のお金のことやつた、勿論、違うた意味でやデ。初め僕は、彼女を見た時は、二目と見られん醜い、寧ろ實に嫌な感じで、傍に來られるのさへ嫌やつた。ところが、一度會ひ二度見してるうちに、だんだん馴れて來るにつれて、だんだん感じがようなつて來たんや。といふのは、彼女は、その放縱な女主人が外出先から歸つて來て、撒き散らしたやうに脱ぎ捨てた贅澤な着物をたたむ時も、自分のごつごつした手織縞の不斷着をたたむ時も、おんなし品物を扱ふやうに、おんなし態度で、おんなし顏をして始末してよるネ。又、僕が夜《よる》遲う人の寢靜まつてる時分に、例の速達や電報で呼ばれて、彼女の家の戸を叩いたことも一遍や二遍やないが、その度《たんび》に寢間着姿で戸を明け締めしてくれるお金の樣子は、晝間の客に茶や菓子を持つて出て來る彼女の樣子と、恐らくは旦那を送り迎へする時の彼女の樣子と、一寸《ちよつと》も變りがないやうに思ふネ。それでゐて、決して阿呆《あほ》やない。その一つの證據…は彼女の口から僕のことが旦那に漏れたことが決してなかつたことや。それでゐて、彼女はこの社會獨得の、氣をきかすとか、何とか云ふやうなことの出來る女子でもない。聞けば、彼女はその女主人と同い年や云ふことやつた。僕は、いつからとなく、女主入よりもこの女子の方が、この世に於いて遙かに仕合せ者や思ふやうになつた。
 さうや、その反封に不幸な者いふと、最も不幸な者は、お金は勿論のこと、山村よりも、肺病で死にかかつてゐる失戀男よりも、滿洲で働いて、…錢を儲けて、いつまで待つても來ん女子を待つてる男よりも、勘當された、僕に顏が似てる云ふぼんちょりも、誰よりも彼よりも、千江子が最も不幸なんや、と僕は思ふんや。早い話が、彼女は長い間の贅澤な食物《たべもの》ばつかり食うた罰が當つて、今では食物に興味どころか、何を食うても旨味ないといふやうな状態になつて、朝、晝、晩の食事の事は、一切相談されることを、斷つて、下女まかせにしてよるさうや。
 例へば今日はお晝に何にしまひよ、おさしみは如何《どう》だす、蒲燒は如何《どう》と相談されると、その瞬間に、忽ちおさしみの味も、蒲燒の香も、直ぐにあるだけ思ひ出されてしまうて、興味がなうなつてしまふんやさうや。それで、彼女は默つて下女のこしらへてくれたお膳に向うて、そのお數がお膳に坐る一瞬間前まで何にも知らなんだ物なら、どうぞかうそ辛抱して食べられる云ふんやから、これは君の云ふデカタンの本物《ほんもの》やナ。着物に就いてもさうや。あんな着物、こんな着物と考へ出すと、どんな着物も彼女の目には買はん前に、仕立てん前に、それがみんな一寸も珍しなうて、陳腐に、平凡に思はれるんや。あれならいつか買うたあれに似よりの物やろとか、これなら今持つてる・あ・それに似た物やろとか・何を見て魏も好奇心が動けへんのや。そやさかい、何ぞ羽織一枚こしらへよう云ふ時でも、いつでも今は一切を人任せにしとをるさうや。
「かういふ風で、これから未だ五年なり十年なり生きてるとしたら、末は一體どうなるんだすやろ? どうしたら宜しおますやろ?」
 こんな風なことを、彼女は思ひ餘つたやうに、ときどき僕に溜息をしながら云うた。僕にも、勿論、何の答が出來る筈がない。
「あんた、」と或る時は又、「これから、私と一緒に好きなことして、勝手な所へ行て、散々……」
 こんな風なことまで彼女は僕に云うた。そして彼女は時々、僕が、昔から思ふと、人が變つたやうに薄情になつたと、それとなう嘆いた。勿論決してそれと言葉に出して託《かこ》つことはなかつたけど。その代り、溜息をつきよんネ。そして僕も溜息をついたもんや。
 或る時、彼女の旦那が別府の温泉に出かけたことがあつた。勿論、彼女も一緒に行く筈のとこを、彼女はロ實を設けて、二日ほど後れて行くことにしよつた。これは彼女が僕に實意のある所を示すためやつたのは云ふ迄もない。そして、いよいよ彼女が別府に立つ云ふ日イ、僕はその前の日から彼女の所に泊つてたんやが、梅田の驛まで彼女を送つて行た。彼女は僕に錢を渡して、それで切符と寢臺劵とを買うてくれ云うた。そんな事も、彼女が僕を最も愛してゐるちふ事を示すつもりやつたには違ひない。僕も時には甘い所があつて、彼女の言葉の通りにして、さて彼女をプラツトフオームに見送る時、僕はふと、かうして切符の世話から寢臺の世話までして、愛する女子を送る、その女子の行先には誰が彼女を待つてんねやろ、云ふことを考へん譯には行かなんだ。(君、この考は決して燒餅やないねデ。)併し、僕は屈辱を感じたな、」l僕はこの女子と、この女子の旦那との、自分が、何ちいふかな、まあその家來見たいな氣がしたんや。人生に於いて、噛自分の戀人を、彼女を明らかに寢床で待つてる男の所へ族するのを、季氣な顏して見送るいふことがあり得るやろか?これは君見たいに純潔な、かういふ種類の女子を戀人に持つた經驗のない人には、想像のつかん感情やと思ふなあ。
 或る日、僕は彼女の家で例の蓄音器屋の山村に會うたことがあつた。そこで、彼女が僕たち二人を殘して風呂に出かけた留守の間に、僕たちは可なり親密になつたんや。
「かねがねお名前は伺うてましたが、」と初め山村はこんな風な丁寧な言葉で口をきつたもんや。
「いや、」と僕は恐縮したやうに云うた。
 云ひ忘れたが、山村はこの家に來るのに、決して玄關から訪ねたことがない。彼は魚屋や八百屋等の御用聞たちとおんなしに、いつも勝手口から訪問して來るのが常やつた。初めのうち僕は出來るだけ彼に樹して警戒して口をきいてたけど、彼が僕にまるで身分の違ふ人たちにでも接するやうに、ちゆうて別に一寸《ちよつと》も皮肉な所《とこ》もなうて、彼女のこと、彼女の男たちのこと、そして彼が聞いてる彼女と僕との關係などに就いて、いろいろな話や感想を漏らすのを、僕は仕舞《しまひ》には人のことのやうに興味深う聞いたもんや。
「結局、今の状態ではあきまへん、」と彼は云うた、「甲と一緒になつたら乙が不季を起しま。さうか云うて、乙の方に彼女が心を寄せると、丙に封して片手落になりまんが。私も……」と云うて、山村は恥つかしさうに首を縮めて、聲を低うして、「これでやつばり不服だつせ、」と附け足して、彼は自分の言葉を自分で卑下するやうに、額を叩いて低う笑ひながら、「今では、その甲も乙も丙も丁も、一人の彼女を取卷いて脾み合うてる形だんナ。ところがだす、そこへあんた見たいなお方《かた》が現れて、つまり、この方と彼女とは抑も小學校の子供の時分からの、かうかういふ間柄で、本眞の筒井筒、振分髮の昔から、互に思ひ思はれてゐる仲やさかい、」(筒井筒、振分髮と云うた時、僕は苦笑せん譯に行かなんだなア。とこうが、僕が苦笑したのを何と見たのか、彼はあわてて手で抑へるやうな恰好をして、)「いえ、いえ、もうそれは本眞だす、筒井筒、振分髮の昔からだんねさかい、(と云ひ直した。君、彼はこの筒井筒を云ひ度かつたので、こんなことを云うたんかも知れへんがネ、)結局、彼女の連合《つれあひ》はこのお方の外にない、みんな手を引け、手を引けちふことになつたら、屹度、甲も乙も丙も丁も、誰も彼も、みんな納得するやろ思ひます。さうか、そんな人があつたんか、そんな人があんのなら、我々は皆お互ひに恨みを忘れて、手を拍つて、今迄のことは水に流そやないか? そして改めてその二人の一對のために盃を上げよやないか、ちふことになるに違ひおまへん。なア、さうやおまへんか?」
 なる程、さう聞くと、さうかも知れんと僕は思うた。そして一寸《ちよつと》嬉しい氣がした。けれども、すぐ又暗い影に心が蔽はれるのを感じん譯には行かなんだ。何でと云うて、君、お互ひに恨みを忘れてカ、手を拍つてカ、それや君、恨みを忘れて、手を拍つて水に流す方の連中は結構や、長年の胸の中のむしやくしやを、下し藥で一遍に下してしまふやうなもんやさかいナ。ところが、どうや、水に流される方の僕たちは?酷評すると、破鍋《われなべ》に綴蓋《とちぶた》や、その殘された破鍋に綴蓋の僕たちはたまらんやないか! ワハハハハ(と、そして土屋精一郎は面白いとも情けないともつかない笑ひ方をした。)
 彼女が初めて神戸で藝者になる云ふ前の日、僕たちがそつと箕面に一夜を明して、別れを惜んだことは前に話した通りや。そして僕には彼女が初めての女子や云ふことも前に話した通りや。そしてたつた一つ前に話した通りやないのンは、彼女にもさうやと僕が長い間信じてたことや。それがずつと後になつて、實はその時よりも前に、彼女が交換局時分に一人の女子の友逹があつて、その友逹の色男がその後料理屋を始めたんで、彼女も友逹にすすめられて、その料理屋に行くことになつたんやが、或る日友達の留守の間に彼女はその友達の色男のために、殆ど張制的に情を通じられた云ふことを、僕はその後何やらの話の時に、彼女の口から聞かされたんや。僕はその時見たいな深い絶望と悲嘆とを、一生に二遍と經驗することはないやろ思ふ。けれども、それでも、その頃は、爾彼女を思ふと僕は夢中になることが出來たもんや。が、今になつて見ると、一切の外の躊躇と一緒に、そんな記憶も僕の彼女に封する觀念の中に、意地惡う蘇《よみがへ》つて來たことも否むことが出來ん。僕は彼女に封して次第に恐怖に似た感情を、iをかしいな、そんなもんやないな、  可愛さ餘つて面憎さか、そんなものでもないな、iうまいこと云へんけど、兎に角非常に面白ない感情を抱くやうになつたんや。
 さて、話が變るがな、一方僕の家の方で持上つた僕の結婚問題やが、それは實は大阪に僕が歸つて間《ま》アなしに起つたんやが、初めのうちは僕は殆ど氣にもかけてなんだ。何ちふても千江子との交渉が、その時分の僕の全部やつたこともその一つの理由やが、今一つは、何《なん》や僕は、僕自身が今まで餘り惡性の女子にばつかり關係してゐて、僕の體が自分ながら妙に毒だらけ見たいな氣がして、(これは勿論惡い病氣などのことを云ふんやないデ。謂はば自分が純潔に餘り遠い氣がしてヤ、)縁談の相手の十八歳といふ少女には、あんまり自分が不逋當な氣がしたよつてんでもあつたんや。何《なん》や話にならんほど、二人が純潔と不純潔との差に距たりがあり過ぎるやうな氣がしたんやなア。そんな譯で、僕は母からその話を二三遍も持ち出されながら、いつも生返事ばかりしてゐたんや。それは母が臆測するやうに、何も相手が氣に入らんよつてにちゆふんやなうて、今いつたやうな考へから耳に入れなかつたんや。母はさういふ僕の心も知らんと、相手が讚岐の國の素封家の娘や云ふこと、けれども女學校は大阪で親類の家から通うてたよつてん、決して田舍娘らしうないこと、この寫眞でも分る通り、(とその娘の寫眞まで見せて、)十人並以上の器量や云ふことなどを、暇さへあると僕に口諡くんや。可笑しい、阿呆《あほ》な口をきくやうやが、その寫眞の娘は、妙なもんやな、どこやら僕が最後の東京生活のとき同棲してた、あの女優に似てるんヤ、ところが、あの又女優が千江子に似てたさかい、この娘もどこか千江子に似てへんかと思て、僕は幾度も見直したが、これはどう見ても千江子には似てへなんだ。
 僕は固《もと》よりその縁談のことは千江子には内所にしてゐた。ところが、千江子が三日に上げず、僕に來い來い云ふ手紙を寄越すことは、三ヶ月たつても四ヶ月たつても、一寸も止まらなんだ。しかし、或る日また僕が彼女と差向ひでゐるとこイ、つまり二度目で、彼女の旦那が突然來よつた時は、僕はこの前の時の倍ぐらゐ、否《いや》、大袈裟に云ふと、腰を拔かさんばかりに狼狽した。
 が、彼女の旦那はこの前の時とおんなし調子で、僕の姿を見ると、
「お客さんか?」と輕う口の中で云ひながら、やつばり僕の方を見て一寸《ちよつと》會釋しよつた。その態度が前の時と寸分も違へへん。そして僕が中腰になつて、あわてて、くそ丁寧に頭を下げてる間に、彼はやつぱり前の時とおんなしやうに、
「俺は二階に行こ、」と別に何事もなささうな調子で云ひ捨てて、とんとんと段梯子を上つて行きよつた。例の通りその後からついて行つた彼女が、やがて下りて來て、僕が未だ震への止らん樣子を見て、
「旦那はもうあんたのこと忘れてましたわ、」と云うた。「あれ誰や? 云うて聞くもんやさかい、まあ、いやアや、先に一ぺん會うた繪かきはんおまへんかと云ふと、さうか、今日はえらう綺麗に見えたさかい見違うた、言うてたわ。今日はえらう綺麗に見えたさうだつせ、……ほほほほ」
 僕もそれを聞いて、釣られるやうに一寸微笑みながら、稍々安心して落着いたもんの、一瞬のうちに微笑が苦笑に變つて、それと共に前の時よりもつともつと彼の太つツ腹な調子に、打ちのめされたやうな氣がした。
「とても角力にはならんな、」と、それでも僕は無理に快活に、しかし小聲で、半分溜息まじりで云うた。「正に大關と褌かつぎ程の樹照にもなれへんがナ。」
 彼女はそれには答へなんだ。
 その日もそこそこに彼女のとこから歸る道々僕は考へた。甲と一緒になつたら乙が不季を起すカ、乙の方に彼女が心を寄せると丙に對して片手落になるカ、元鐵屋今蓄音器外交員君も、それでやつばり不服だすと來たな、御もつとも、御もつとも。……けど、待てよ。そんなら、今が現にその状態やないか。そこで、もう一つその上を考へて見ると、要するに、彼が不季を云うたり、憤慨してるのは外のことで、家の中はあれでちやんと治まつてると見んならん。ここの所やテ、もつとよう考へて見なけれやならんのは。彼の云ふやうに、外の不平連に機嫌よう引退つて貰ふために、僕と彼女とが一緒になるとすると、そこで家の中も今のやうに按排いくかどうか? 今度は屹度…僕がをさまつても彼女がヒステリイになつたり、彼女が落着いても僕が苛苛《いらいら》し出したりするに違ひない。僕はそれが癰いネ。
 考へてみると、肺病にしても、滿洲にしても、ぼんちにしても、みな、彼女にとつては不足やと思ふんや。というて、君、それは、顏がどうやとか、錢がどうやとか云ふことが問題やないネ。現に、「男前のええのや、錢のある人は掃く程ありまツけれど、そんなんやおまへん、」と彼女は口癖のやうに云うとをる。さ、そこや、彼女見たいに頭のはつきりした女子には、これは何《なに》も僕が惚れた慾目でいふんやないが、頭の惡い人間はたまらんらしいなア。さ、そこや。
 そこで又、僕のことやが、僕はさう頭は惡うないつもりやが、さて、頭がええといふだけでは、まだ不足なものがあると思ふんや。つまり、それは、彼女の現在の旦那といふ株屋に、僕が戰はずして負ける所や。考へても見いな、彼の留守中に、彼の坐り込んでる所に坐り込んでる色役の僕を見て、
「お客さんか、俺は二階へ行こ、」云うて、一寸《ちよつと》も騒がんと段梯子を上るとこや。二遍も僕の坐り込んでる所《とこ》を見ておきながら、本眞に僕のことなぞ忘れてたんか、それとも忘れた振をしてたんか知らんが、「今日はえらう綺麗に見えたな、」と澄ましてるとこや。そこで、僕はかう考へるんや。彼女を今の程度までに支配し得るのは、見渡したとこ、あの旦那の外にない。あの男こそ選ばれたもんで、そして又、賢くも彼を選んだのは、無意識やろが、彼女の大出來《お でけ》や。又、それが自然なんや。君、さうやないか?
 ……それから、孚月ほど彼女の家へ行かなんだ。先きに話した僕の縁談はどうなつたんか、立滄えになつたやうにも思へんが、また別に火の手を上げる風もなかつたが、一寸《ちよつと》づつ、一寸づつ、進行して行く樣子はあつたが、つまり、話が立ち消えになつたんやないことは僕も知つてた。ところで、恥《はぢ》を曝すやうやが、實はその半月ほど彼女の家へ行かなんだのは、僕が下の病氣に罹つたことがその第一の理由やつたんや。それは、彼女からか、それともこれ迄にもたびたび罹つたことがあるさかい、それが時候の變り目で再發したんか? 僕はさすがに前の説を理由として考へるのは嫌やつた。つまり、さう考へたうないんや。しかし、内心どうしても彼女に封してええ氣持がせんのも事實や。兎に角、僕はその半月の間毎日鋏かさず、熱心に醫者に通うたもんや。以前、この病氣にかかつた時は、君たちに呆れられる程僕がそれに樹してずぼらやつたことを思ひ出して、今その正反封に毎日毎日根氣よう醫者に通ふ心持を考へて見ると、どうやら縁談の方に、僕の心が知らず知らずのうちに傾いて行つてるのやないかと、ふと自分で考へるやうなこともあつた。さういふと、僕は、白状するが、その頃、寫眞で見た縁談の相手の、純潔そのもの見たいに見える娘を、そんなこと思うたこともないのに、三遍も夢に見たことがある、その中の一遍はもうちやんと彼女と世帶を持つてる圖ウやつた。君、笑ひなや。
 そして或る日僕は半月ぶりで千江子を訪ねたんや。僕が彼女の玄關に立つと、迎へに出たんはお金でなうて、別の新しい下女《をなごし》やつたんで、妙に勝手が違ふやうな氣がした。ところが、そこへ手織縞の、それも餘所行らしい着物を着更へたお金が出て來た。僕は奥に通つて、お金がその日暇をとつて去ぬんやいふことを知つた。僕はあり得べからざることに出會うたやうな氣がした。何で云うて、下女にとつてこんな居心地のええ家が外にないことは確かで、例へばこの家では食物《たべもの》などでも、主人とおんなし物を下女に當てがうてあつた。それは、卑しい話をするやうやが、締《しま》り屋の僕の家などで、僕が食はされてる物よりずつと贅澤なもんやつた。又、着物にしても、お金は「私がこんなものをいただいて、いつ着る時がおまンやろ?」云ふやうな、上等な主人のお下りを始終もろてた。僕はさういふ事を見るにつけても、お金は千江子が家を持つてる間は、きつと自分から暇をとつて出ることはないやろ、といつからとなく獨り極めに極めてたんや。
 が、お金は僕のやうな考へやなかつたんや。さうとは知らずに、彼女が田舍に歸る理由は縁談でもあつてかと聞くと、さうやないと云ふ。聞くと、彼女には老母と兄と兄嫁との家が、河内の在所に一つある切りやと云ふ。して見ると、彼女はそこから千江子の家に來て、今去ぬとするとそこイ戻つて行く譯や。勿論、彼女はこれまでの生活には、主人に樹しては感謝してゐるので、何の不季も持つてなかつた。しかし、お金は今から半月ほど前に、急に暇をもらひたいと申し出たと云ふんや。そして何ぼ止《と》めても思ひ返す風がないので、
「何ぞ氣に入らんことがあンの?」と聞いても、
「決してそんなことおまへん、そんな事ありますもんかいな、」と吃驚したやうな顏をして答へた。
「そんならどうして?」
「別に譯も何《なに》もおまへんけど、……」
「家《うち》から戻つといでとでも云うて來たんか?」
「いいえ、私から去にたい云うてやりましたんで、……」
「家が戀しなつたんか?」
「そんな譯でもおまへんけど、……」
 その言葉の通り、彼女には何の譯も確かになささうやつた。しかし又、確かにさう思ひ立つたんには違ひなかつた。そして、昨日代りの者が來るまでは、その事を忘れてしもたやうに、これまでの通りに働いてたんやさうな。君、お金の云ふこと分るな。彼女の歸るといふことは、彼女には唯さうする方がええと思うたといふ以上に、何の理由もないんやと僕は思ふ。だけど、君、彼女の意志のあるとこは分るな、分るな……考へて見ると、お金は嫌になつたら逃げて去ねるけれど、僕や彼女は、もうとうから嫌には十分なつてんねやけど、自分等の腹の中にゐる畢もん・自分簔死なんかぎり・逃げ跚て去ぬいふ譯には行かんさかいナ。ああ、ああ。
 さて、お金は僕にも丁寧に別れの挨拶をした。彼女は、主人から貰うた、「いつ着る時がありますやろ?」と云ふやうな着物はすつかり風呂敷の中に入れて、田舍から持つて來た手織縞を着て歸つて行きよつた。主人が停車揚までぜひ車に乘つて行け云ふのを、まるで殺されでもするやうに斷つて、大けな風呂敷包を抱へながら、歸つて行きよつたんや。
 お金が歸つた後、僕たちは長い間、恐らく二三十分も、默つて火鉢を挾んで坐つてゐた。到頭、千江子が
「私、お金に生れ代りたいわ、」と云うた。
「僕もお金になりたいな、」と僕も云うた。
 その日は、僕たちは半月ぶりで會うたにも拘らず、餘り口數をきかずに別れた。
 君、こんなつもりやなかつたんやが、何《なん》や話があんまり呆氣なさ過ぎたなあ、(と土屋精一郎は濟まなさうに、頭を掻きながら云うた。)實は、話はこれでお仕舞やネ。まあ、お仕舞みたいなもんやネ。僕はそれきり彼女の所へ顏を出せへんネ。そして、それから一ケ月半後に、例の縁談を承諾したんや。僕が今度捲土重來して、東京へ連れて來た妻はその縁談の方のんや。
 彼女から、その後、殊に僕が大阪にゐた間、ずゐぶん手紙は來たけど、それきり僕の方からは一遍も返事をせえへんネ。去年の秋、大阪の方から此地の展覽會に出した僕の繪が入賞したことがあつたが、それを彼女は新聞ででも知つたと見えて、差出人無名の祝物《いはひもの》が小包で、僕の家にとどいたことがあつた。家の者たちと一緒に、僕も「誰やろ?」と不審な顏をしておいたが、それは確かに千江子からやつた。僕がその後東京へ來たことは、それとなう、知つてるらしいけど、結婚したことは知つてるか、どうか?
 僕は今普通の女子を妻にして、謂はば三十年間の泥を洗うて、先づ表向き穩かな家庭にをさまつてるけれど、さて、やつばり折にふれて忘れられずに思ひ出すのは千江子のことや。未《いま》だに月に一遍ぐらゐ僕は無意識に風月堂の方に歩いて行くことがある。彼女が別に菓子が好きやいふ譯でもないが、つい僕が好きなもんやさかい、そんなもんでも匿名で彼女に途つてやろか思ひ立つんやナ。しかし、又、屹度途中で思ひ止まつて、一度も實行したことはあれへん。……
 さあ、(と土屋精一郎は最後に云うた、)僕たちの仲はこれ切りでお仕舞やらうか、それは分らんな、兎に角、二人ともまだ生きてるんやさかい、又|何時《いつ》ひよつこりどんなことが持ち上るか?1 何にしてずゐぶん長い戀仲やらう?……
 
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