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中谷宇吉郎「雪の話」

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amizako

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  この頃新聞を見ていて気の付いたことは、スキーと雪の記事がこの数年来急に増して来たことである。主なものはスキー地の広告のようであるが、その他に純粋に雪と冬の山とを讃えるような記事もかなり沢山あるように思われる。何でも東京では山の雑誌が十種ばかりも出されていてとにかくそのどれもが刊行を継続されているし、雪の朝は郊外電車がスキー車を出すという噂さえきくほどである。誰かがいわれたように氷雪を思慕するというような心情がわれわれの何処かに秘められていて、その一つの現れとみられる現象であるかもしれない。もっとも日本人が脂肪質を沢山喰べ、毛織物を一般に用いるようになったためかとも考えられる。

 札幌へ来てから今年で五度冂の冬を迎えるのであるが、最初の冬は話に聞いていた北海道の寒さに気兼ねをして神妙に控えていたが、案外凌ぎ良いので内心安神した。広い埃っぽい道路が白いコンクリートで固められてかえっていいくらいに考えていたし、硼酸の結晶のようにきらきら輝いた雪の上に、雪下駄の鋭くきしむ首も案外快く耳に響いた。ところが二度目の冬になって、これはやはり相当な寒さであると感じるようになった。最初の冬は寒さの感じ方に馴れなかったためらしい。この二度目の冬を越すともう大丈夫で、そろそろ雪の研究でも始めようかという気になった。
 丁度その夏有名なアメリカのベントレイというアマチュア老人の雪の結晶アルバムが出版された。この人は五十年かかって四千種以上の雪の結晶の顕微鏡写真を撮ったという人で、その蒐集は気象学者などの間には前から有名であったが、それを見るには特別な専門雑誌に依るより仕方がなく、それでもその蒐集の極く一部分の写真しか見ることができなかった。もっともこの写真はいろいろ細工がしてあって、不完全な結晶は継ぎ足したり、また乾板上で目的とする結晶の縁に沿って膜面を切り取って、印画紙に焼くと黒地に白く結晶が焼き出されるようにしたりしてある。口やかましい独逸の学者がこれに対して抗議を申し込んだのに対して、ベントレイが結晶の原形の写真から次々に修正をして美麗な写真にする階段を示し、これは美的価値を高めるだけで、そのために科学的価値を損じてはいないという反駁文をアメリカの気象の専門雑誌に載せているのは一寸面白い。これはもう二十数年前のことである。
 日本では有名な土井利位の『雪華図説』が天保年間に刊行され、その中に虫目金で観察した九十八個の雪の結晶の摸写がある。それらが実に見事な記録であって同年代の欧州の学者達の摸写よりも優れていることはよく知られていることである。例えば北海道でも極く稀にしか観測されない十二花の結晶の摸写の立派なものがちゃんとあるのには一寸驚かされた。その中に風車のように廻転性を示す結晶の摸写があるが、これは今までの世界各国の学者達の顕微鏡写真の蒐集にも見当たらない珍しいものである。もしこれが実在するものであれば、雪華の生成の機構については勿論のこと、一般に結晶の習性《ハビツト》の問題に関して非常に重大な手掛かりを与えるものである。それで毎年心待ちにしてこの種の結晶を探しているが、残念ながらまだ見当たらない。
 この『雪華図説』がなかなか手に入らないので、この結晶の摸写の中の大部分が転載されている『北越雪譜』でも欲しいと思っていた。ところがこの秋偶然それが見付かったので、早速教室の図書室で買ってもらうことにした。これは全七巻あって、初めの方は雪の結晶の説明やら色々の雪の現象の観測談やらがあって大変都合が良いのであるが、後の方になると雪女の話とか雪国の民俗的行事の話とかになってどうも「科学」とはだいぶん縁が遠いものになってしまう。しまいには天ぷらの語源まで出てくる始末で、これには少々閉口した。さすがに著者の鈴木牧之も天ぷらが雪と関係の薄いことは認めて、初めてこれを売り出した天竺浪人が越後の藩の者なので「雪にゆかりあるものなれば之を記す」と断り書きがしてある。昔の人は随分呑気だったものと感心した。もっとも雪の結品と天ぷらの語源とを学問の別の区分と考えるのは、現代の西洋風の学問ではと断る必要があるのかもしれない。
 この例は少しひど過ぎるが、これくらいの覚悟がなくてはわれわれの祖先の持っていた意識を理解することができないくらい現在のわれわれの物の考え方が変わっているのではないかとも考えられる。
 
 
 雪の結晶の良い顕微鏡写真を撮るには、気温が零度以下になっている必要があることは勿論である。あらかじめ顕微鏡をよく冷やして置いて、別に濡れないように冷やして置いた硝子板に結晶を受けて、普通の顕微鏡写真を撮るようにして写せはよいのである。気温が零下五度以下であると大分楽であるが、零度に近いような時はまごまごしていると肝腎の結晶がとけたり、冷やして置いた硝子板に一面に霜がついたりしてなかなか厄介になる。何よりも大切なことは、硝子板に載った沢山の結晶のうちどれを撮るかを決める敏速な決断である。まず眼で見て、次に顕微鏡下で写真を撮る価値があるか否かを調べて、決断をして、暗函をかぶせて、さてシヤッターを切るまでの時問が、馴れてくれば二十秒くらいでできるようになる。この間が五分くらいに感じられるようになれば大丈夫である。覗きながら、写真を撮るような便利な器械は、特に寒い所では故障が多くて駄目なように思われる。一冬にただ一度見るか見ないくらいの珍しい結晶の時に、得てそのような故障が起こり易いようである。
 初めの年は廊下の吹きさらしの寒い所を選んで有り合わせの顕微鏡で写真を撮ってみたのであるが、結果はなかなか面白かった。北海道は雪の結晶の種類には極めて恵まれているようで、僅か一冬の観測で、極く特別のものを除いては今まで世界中で知られている殆どすべての結晶の型が見られた。これにカを得て、次の冬は十勝岳の中腹にある白銀荘という山小屋まで出かけることにした。
 この小屋は十勝の吹上温泉の近くで、約千メートルくらいの高度の所にある。周囲は亭々たる蝦夷松と椴《とど》松の林で、これらの樹がクリスマスの木のように雪に枝を垂れている問に混じって、嶽樺《たけかんぱ》と呼ばれている白樺の化けたような巨樹が、細い錯綜した枝を網を拡げたように空に向かって伸ばしている。これらの小枝も山小屋の下見もおよそ露出している固体の表面は尽《ことごと》く樹氷に包まれて、僅かに露出している黒い樹幹を除いては周囲は全くの白銀の世界で、ただ晴れた日の青空のみが鮮やかな濃い色彩を与えているような所である。晴れる日は極めて稀で、冬半年の間降雪の無い日とては殆ど無いようである。雪が降り出すと四辺は色彩を失ってしまって、全く写真を見るような世界になってしまう。もっともこれは一般のわれわれのような色彩に対する訓練の無い者についていうことで、洋画家ならばきっとこの世界のみに見られる特異な色彩の諧調が感ぜられることであろうと思われる。もっとも柔らかく積み重なった新しい雪の中ヘストックを差し込んで穴を作ると、その内部がアクァマリンのような色を呈することくらいは誰にも見られる現象である。この淡いながらに鮮やかな色彩は札幌付近の雪にも見られないものである。これは多分積雪の中にも結晶がかなり完全な形に残っていて、非常に小さい結晶の面が沢山あるためによるものではないかと考えられる。
 雪の結晶は驚くべく繊細な形をしていて、今までに見た写真のどれとも比較にならぬくらいの美しさを見せていた。結晶の枝の先々までが、丁度開きかけた薔薇の花弁の縁のような鮮明な輪廓を持っていた。これはこの小屋のある場所の周囲が、相当広い範囲にわたって、巧く風当たりが強くないような地形になっているためらしい。
 気温は案外高く、冬の真中でも普通最高零下十度、最低零下二十度付近を往来している程度である。東京と比較してみても平均二十度以内の差であるが、それでも随分変わったことが多い。一番直接な例は、此処では水はもはや液体ではなく、普通の条件では固体であると考えて生活しなければならぬことである。幸い小屋近くに良い涌水があって、それが例外として液体の水を供給してくれるのである。雪の中でどのように転んでも土は常に六尺以上の地下にあって、衣服は汚れることもなければまた濡れるという心配もない。これは丁度普通の場所で土の上に転んでも地下の岩で傷つかぬと同じことである。
 顕微鏡写真を撮るための固定した実験台を作るにも極めて簡単で、有り合わせの木箱を適当な所に据えて、周囲に雪を積んで水を一杯掛けて置くと、十分も待てばコンクリートの台くらいの固定した台が出来る。その上に顕微鏡写真装置の臼を載せて、また少量の雪と水とでこれに固着させる。このようにして百葉箱を立てるにも、雪取りの煙突を建てるにも仕事は極めて楽である。この雪と水とのコンクリートは多分、土木学者が現在考え得る一番理想的なものであろうと思われる。もし武蔵野の火山灰を原料として、これに一杯の液体を注ぎかけると立派なコンクリートになるならば、東京市の道路の舗装などは極めて楽であろう。
 生《なま》なか夏になって雪が溶けてしまうので問題は面倒になるのであるが、この冬の状態のままが続くものならば、土木や建築に関する概念などは全く変わってしまうことであろう。エスキモーの生活などというものも、全くわれわれの経験から飛び離れた生活ではないものということがわかったような気がする。
 このような場所での生活を永く続けたならば、自然に対する概念は勿論のことであるが、いわゆる人間の内的生活というものもすっかり変わってしまうことであろうと思われる。現在のわれわれの文化が、気温が二十度下がると全く別のものになるであろうということは、当然のことではあるが、目《ま》の当たり見るとまた別の感興が涌いて来るのである。
                                      (昭和十年二月)
 

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