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中谷宇吉郎「霜柱と凍上の話」


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  私は二、三年前に「霜柱と白粉の話」というのを書いたことがある。

 一寸妙な題目であるが、その話というのは、私の同窓の友人の物理学者が、大学卒業後、寺田寅彦先生の下で霜柱の実験をしていたが、その時の研究の体験が、後になって、その友人が白粉の製造をするようになった時に大変役に立ったという話なのである。
 私は勿論大真面目にかいたつもりなのであるが、何ぶん取り合わせが少々突飛なもので、中には信用しない人もかなりあったようである。それで今度は霜柱と凍上の話というのを書いてみることにする。
 ところで凍上という現象であるが、この問題で一番手をやいているのは、寒地の鉄道局の人たちである。
 冬になって気温が零下十度以下くらいになる土地では、大抵は地面はかなりの深さまで凍ってしまう。もっとも零下十度程度ならば、大したこともないが、北海道でも零下三十度くらいまで気温が低下するところは珍しくないし、北満へ行けば零下四十度は普通である。こういう土地へ行くと、地面は深さ四、五尺までもすっかり凍ってしまう。
 この地面が凍る時に厄介なことがあるので、大抵の場合には凍上の現象、即ち地表面がもちあげられるという現象が起こるのである。それも一様にもちあげられるのではなくて、ところどころ高低が出来るのが普通である。そうなると一番困るのは鉄道であって、線路がそうもちあげられては、危なくて汽車を走らすことが出来なくなる。
 実際、北海道などでも冬になって、凍上が起きてくると、線路の下に楔を入れたり、局所的に運転凍度を落としたり、いろいろ苦心してやっとまあ運行をつづけるという始末だそうである。
 その上やっと春が来て、凍った土がとけてくると、今度は線路の下に大きい穴があいたり、それほどでなくても、線路がぐらぐらになってしまったりして、すっかり手入れをしなくてはどうにもならなくなるのである。
 北国の晩春に、北海道の少し奥地の方へ旅行すると、よく車窓から、人夫たちがつるはしを揃えて砂利を枕木の下にうちこんでいる姿が見られる。冬中寒風にさらされた落葉樹の木立は、まだ裸のままで白けた姿を見せている。そしてそういう人家を遠く離れた所で、まだまだきびしい朔風の下で、黙ってつるはしを振っている人夫たちの姿が、旅人の印象に強く残るのである。こういう人のあまり知らない土地における鉄道工夫たちの春の労働は、大抵は凍上の穴埋めをやっているのである。
 凍上の被害は何も鉄道ばかりに限ったことはない。寒い国々の建物は殆ど例外なくその害を被るのであって、よほど基礎のしっかりした家でないと、よく冬になると敷居がもちあげられて戸が動かなくなる。それくらいはまだよい方で、粗末な住宅だとすっかり傾いてしまうようなことさえ起こる。
 ところでこの凍上の現象は、地面が凍ることに起因するので、気温が低いというよりも、地表温度が低くてそれが永く断続する時に、一番よく起こるのは当然である。寒国では雪が積もるためにいろいろの被害があるので、雪害防除ということがやかましく論ぜられているが、雪にも効用はあるので、その一つは凍上を防止することである。
 十勝岳などでは一丈くらいの積雪は珍しくない。そういうところで雪を掘って各深さでの温度を測ってみると、例外なく下に行く程暖かい。普通三、四尺雪が積もると、気温が零下二十度くらいの時でも、一番下は殆ど零度に近い。そういう所では従って凍上の心配はまずないといってよい。
 北海道などでも、凍上の一番ひどいところは、雪のあまり降らない釧路方面などだそうで、雪がうんと積もる所では、その被害は比較的少ない。もっとも鉄道では、線路上はいつも除雪をしているので、雪の沢山降る地方でも、全く凍上が起こらないというわけにはいかない。とにかく鉄道にしてみたら、雪が沢山降ればロータリーだの、ラッセルだのと騒ぎ立てなければならないし、雪が問題にならぬ地方では凍上に悩まされるというのだから、寒さの問題は随分厄介な問題なのである。
 除雪または防雪の問題は、随分前から鉄道の方では、研究されているらしいので、ときどき雪崩でひどい目に会う以外は、どうにか人夫と除雪車とで切り抜けてきているらしい。もっともその方面の研究にもまだ不充分なところもあるように思われるが、防雪という方からいえば、防雪林の育成が大変成功しているようにみえる。ところが凍上の方は、今までちっとも手がついていなかったのである。毎年毎年冬が来るごとに、殆ど全線路にわたって手入れをしつづけていて、その上春になって氷がとけると、またすっかり全線に大補強をするのだから、その労力も費用も大したことなのであろう。何十年という年月の間、そういうことを繰り返してきて、何らあまり積極的な対策を講じようとしなかったというのは妙な話でもあるが、実はこれは不可抗力と諦めていたためであるらしい。もっともそれは何も鉄道の人たちが暢気だったのてはなくて、実際凍上を防止するという問題は大変困難な話で、学者仲間の方でもまだ誰も手を着けた人はないようである。
 ところが昨年の冬のことである。××鉄道局の人がみえて、いよいよ凍上を何とかしなくてはという議が部内に出て来たので、一つ凍上の研究をしたいという話があった。大変結構な話であるが、こういう自然現象は、まずその現象をよく見てからでないと、何とも意見は言えない、というより何とも考えを立てることすら出来ないと答えておいた。
 そしたら大分たってから、本当に凍上の起きた現場について、いろいろの写真だの測定値だのを沢山持って来られた。そういう材料があれば大変結構なので、早速拝見して行くうちに、凍上現揚をすっかり掘って、凍った地層の断面を出した写真があった。
 それを見ると、大変面白いことがわかった。凍上の著しい場合には、線路が一尺近くも持ちあげられることがあるが、そういう場合には、よく地下に厚い氷の層が出来ていることがあった。その厚さは、時によると五寸くらいも或いはそれ以上もあった。そしてその氷の層はよく聞いてみると、殆ど綺麗な氷で、土はまじっていないということであった。そしてそういう所が、春になってとけると、線路の下にがらん洞の穴が出来るのである。
 この氷の層が単に地下水の層が凍ったものならば、夏の間は地面の下に川があったことになる。そんなことはあるはずがない。それで、この氷は凍結のために、水が土から分離して氷層になったものと考えるより仕方がない。
 ところで水を含んだ土が凍る時には、一般には泥がそのまま凍って、コンクリートみたいになるだろうということが考えられる。しかし此処に土と水との混合物から、凍結によって氷が分離して出て来るという珍しい現象がある。それは霜柱である。霜柱というと如何にもありふれた簡単な現象のように思われるかもしれないが、実は天然の無生命現象の中で、人工を加えないで自然に混合物がはっきり分離して来る場合というのはそう沢山例がないので、そういう意味で、霜柱というものはかなり珍しいそして学問的にいっても重要な意味をもつ現象なのである。
 霜柱は氷の細長い結晶であって、その出来る理由は本当のところはまだあまりはっきりしたことはわからないが、大体次のような経過によるのである。地表近くで、後述のような或る作用によって、氷の結晶が分離して外へのび出る。そうするとその部分は含水量が減るので、下から水が毛細管現象で補給される。その水がまた凍って析出するという現象が連続的に起こって、土の中の水がどんどん吸い上げられて、氷の結晶となって押し出されて来て、長い霜柱となるのである。それでこういう条件が続くと、霜柱はいつまでもどんどん伸びるはずであるが、気温が或る程度以下に下がると、今度は土がすっかり凍ってしまって、土中の水分がもはやその中を浸みとおることが出来なくなる。それで霜柱は或る程度以上には生長しない。関東平野の赤土に立つ美事な霜柱は、丁度気温の低下工合が適当なために、地表近くでこの霜柱が生長するので、われわれに親しい自然現象としてよく知られているのである。
 ところが、気温がずっと低くて、零下何十度となるような土地では、地表下数尺までも凍ってしまう。それでそういう所では、地表に霜柱は立たない。しかし地下のことを考えてみると、丁度凍結線の境のところでは、下からの水分の補給もあるし、上からの冷却もきくので、そういう層で「地下の霜柱」が出来てもよいはずである。
 凍上場所の断面写真を見ると、前にいったような厚い氷の層は、どうも地下の霜柱の集積が圧縮によって互いにくっつき合って固まったもののような気がした。氷層の厚さは即ち霜柱の背丈《たけ》なのである。それでその層状になっている氷板の構造を詳しく聞いてみると、果たして縦に細い筋が沢山あったという話である。そして氷板は一枚でなく、二枚または三枚重なったように見えることが多いという。それも霜柱の特徴であって、霜柱は生長の途中で状況の変化によって途中に段がつくことがある。それで沢山並んだところを横から見ると、途中に水平な線が一本または二本見えることが多いのである。これで地下の氷層は結局地下の霜柱であるということには、まず間違いがなさそうである。
 凍上はしかしそういう厚い氷層だけが原因で起こるのではない。断面の構造をよくきいてみると、一般には薄い小さい氷の板が、沢山ほぼ水平になって、凍土と入りまじって、一尺も二尺もの厚さになっていることが多いそうである。そういう層は、薄い氷板と土とが、丁度霜降りの牛肉のようになっているわけである。
 この霜降り肉の構造をしている地層の成因は、次のように考えられる。その土質では、霜柱の発達が遅いか、または毛細管現象による水の補給が少ないか、或いは寒さが急激に来て、日中も気温の上がり方が少ないために土がどんどん凍って行くか、そのいずれかによって、霜柱が出来かけて薄い氷板になった頃は、既に凍結線がその下まで進行して行ったのであろう。そういう場合には、背丈の極く低い霜柱の層が沢山出来るはずである。従って土と氷板との霜降りが出来ることとなろう。
 凍上の被害の多いような極寒地では、秋の末からそろそろ地表が凍り始める。その後は凍結線はどんどん下がって行って、真冬には三尺とか五尺とかいう深さにまで達する。そしてその途中で沢山の霜柱の薄い層を作りながら、或る地層のところに達する。其処では丁度霜柱の生長に都合のよい土質があり、条件が良かったために、長い霜柱が出来て、それは厚い氷層になる。こういうふうに考えてみると、地下に沢山の氷の層が土から分離して析出するのであるから、線路でも建物でも持ち上げられるのは何も不思議なことではない。
 もっともこの場合、霜柱の伸び上がる時の機械的のカが問題になるが、それがかなり強いものであることは、地表でわれわれが普通に見る霜柱が随分大きい石を持ち上げているところから考えてもわかることである。それでその問題は後のこととして、とにかく地下の霜柱という考えをもとにして、凍上の研究もどうやら手をつける糸口がついたようである。こういう考えは、実は大分昔から二、三の人によっていわれていたそうである。しかし問題は霜柱にあるのであって、地下の霜柱は勿論のこと、われわれが平生見馴れている地表の霜柱の成因すら、実はまだあまりよくはわかっていないのである。
 
 寒い冬の朝、息を凍らせながら、長い霜柱をざくざくと踏んで学校へ通った思い出は、われわれの大多数のものにとっては極めて親しい事柄である。わが国では、冬になって霜柱の立つことに不思議を感ずる人は極めて稀であろう。そしてこの現象は、実は世界的にかなり珍しい現象なのであると言えば、驚く人がかなり多いことと思われる。もっとも世界中を探せば、日本と同じような土質で、丁度日本と同じような気候《クライメート》のところはあるはずで、そういう所では勿論霜柱が立つことであろう。しかし普通に世界各国といっても、われわれがその国の文献に平生親しんでいるのは、英米独仏くらいのものであるから、そういう国で霜柱の現象があまり見られないと、つい外国では霜柱が立たないといってしまうのである。とにかく私の友人が霜柱の論文を英語で書こうと思ったら、霜柱という言葉が英語の中に見当たらなくて困ったことがある。日本で霜柱のような不思議な現象について、本格的な研究が今まで殆ど無かった理由の一つは、それが「外国」に無くて、従って外国人が研究の対象として採り上げなかったせいもあるらしい。
 霜柱の研究は、ずっと昔に稲垣博士のなされたものがあるが、その後はほんの短い論文が二、三気象方面の雑誌に出たくらいである。こういう日本独特の珍しい現象を日本人の手で完全に解決しなければならないと、いつも強調しておられたのは寺田先生であった。そして私の友人の白粉の先生が、大学院に残って研究をしたいといった時に授けられたのが、この霜柱の研究という題目であった。
 その友人は大学では冷蔵庫の中で水晶の粉で作った「土」から霜柱を作るべく大いに努力していた。そして家では、庭に工事場の荒土を運んで来て、霜柱の苗圃を作って、その中で霜柱を育てていた。まあ暢気といえば暢気な研究であるが、このあとの実験の方は寒いのが一寸欠点である。この研究は二年くらい続いて中絶したが、とにかく霜柱の成因として、土のコロイド的性質が重要な因子であることがわかった。それだけでもかなり大切な結果が得られたわけであるが、その友人は白粉を作るべく自分の家の研究所へ帰って行ってしまったので、この霜柱のことは後をつづける人がなく、遂に中止になってしまった。
 ところがその後思いがけぬところから、画期的といって良いくらいの霜柱の大研究があらわれて来た。それは自由学園の自然科学グループの霜柱の研究である。その研究はいろいろな意味で大変面白いものであって、そしてまたなかなか立派な研究であった。第一に研究者が皆若いお嬢さん方であって、五、六人の学生や卒業生がグループになって、霜柱の共同研究をしたのである。従って研究者は物理学の専門教育を受けた人たちではなく、いわば素人が霜柱という一つの自然現象に対する純粋な興味から始めた研究なのである。
 ところがその結果は大変美事であって、実は私たち物理の専門家も一寸舌を捲いたくらいであった。その研究の内容は一度紹介したことがあるので略するとして、最後の成果だけをいえば、霜柱は或る特殊の土質について生長するもので、この氷が土から分離して凍る作用が生ずるためには、非常に細かい土の粒子があることが必要であって、しかもその微粒子が粗い土の粒と適当に混じていることが大切だという結論を得たのである。
 僅かそれくらいのことと思う人があるかもしれないが、霜柱の現象は案外複雑なのであって、その中からこれだけのちゃんとした結論を引き出した人は今までには無かった。私はこの報告を読んだ時には非常に驚いたのであって、物理学の基礎の知識がそれ程沢山あるとは思われないお嬢さんたちに、どうしてこういう研究が出来たかと不思議に思ったくらいである。
 もっとも仔細にその論文を読んでみると、ちっとも不思議ではないのであって、この研究の推進力となったものは、自然現象に対する純粋な興味と、直観的な推理とであったことがよくわかるのである。そしてそういうものこそ、本当に研究には大切なのである。二年間に学位をとって、それを何に役立てようなどと計算しながら実験を始める研究者たちは――もしそんな人があるとしたら――たとえその専門の学問にはかなり造詣が深いとしても、到底このお嬢さんたちのような研究は出来ないであろう。
 しかし霜柱の現象がこの研究で全部わかってしまったわけではない。霜柱の生長に土の極微粒子の存在が必要だとしても、そういう微粒子があるとどうして水が土から分離して凍るかという大切な問題は依然として残る。それよりも前に微粒子といっても、どれくらいの大きさの粒ならば良いかとか、粗い土の粒子とどういうふうに混合しておけばよいかとか、なお大切なことは、微粒子の存在以外に、霜柱の生成に必要な他の条件がないかとか、沢山の問題がある。もっともそんなことが皆一度にわかるはずはないので、要するにこの自由学園での研究は、霜柱の研究を本筋の軌道にのせたという意味で、かなり重要な意義を認むべきなのである。
 今までにわかった霜柱の性質は、まだほんの一部分ではあろうが、それでもその知識と凍上の現象とを並べてみると、いろいろ符合する点が沢山ある。完全な砂では霜柱は立たないが、凍上の方でも、砂地では著しい被害はないようである。逆に微粒子ばかりの土、即ち粘土でも霜柱は立ちにくいが、凍上も緻密な粘土層だけならば少ないという話である。結局関東平野の赤土のような土質が一番霜柱の生長に適しているのであるが、凍上の方でもどうやらそういうことがありそうである。もっとも凍上の問題は、まだ何処でも本式に研究はしてないので、詳しいことはわからない。この冬から鉄道の方でも本格的な凍上の研究が始まるので、やがては霜柱と凍上の話ももっと実のある話になるだろうと一寸楽しみである。
 こういうふうに書いて行くと、凍上の現象もすっかり霜柱で説明がつくようにみえるかもしれないが、そういうふうに決めてしまうのはかなり危険な話なのである。自然現象の中には、案外なところに陥穽があるもので、あさはかな人間の智慧だけであまり深入りすると、とんでもない目にあうことがある。しかし忠実に現象を見ながら、自然がひとりでにその秘寝を明かしてくれるのを待てば、そんな心配はない。今の場合ならば、たとえ霜柱が凍上の原因だとしても、それは地下の霜柱である。そして地下の霜柱が、地表の霜柱とどの程度まで同じ性質をもっているかは、結局調べてみなければわからない。一寸考えてみたところでは、その研究への着手は案外易しいので、低温室が一つありさえすれば、其処へいろいろな土を持ち込んで、いろいろな条件の下で凍らせてみればよいわけである。もっとも着手することは易しいが、やってみたらとんでもなく難しいことになるかもしれない。しかし多くの研究の場合には、着手することが出来れば、まずその研究も半分は出来上がったものと考えて良いようである。いずれにしても、結局のところはやってみなければわからないが、ただ一つ全然研究を始めない前からでもいえることがある。それは、もし凍上の原因と機構とがすっかりわかれば、その被害の防除は必ず出来るということである。世の中には原因究明のための物理的研究と、被害の防除とは別問題であると考える人があるかもしれないが、そんなことはない。ただ残る問題は、それが経済的にひきあうか否かということだけである。
 最後に一つ面白い話がある。
 最近のことであるが、満鉄にいる私の友人のTが、御夫婦で突然札幌へやって来た。
「東京へ用があって出て来たので、ついでに一寸君にも会って行こうと思って来てみた」というのだから、さすがに大陸の男は鷹揚なところがあると感心した。もっともこのTという男は、少し特別なのであって、私の高等学校時代からの友人であるが、私の友人には不似合いな度胸の良い男で、馬賊の頭目くらいは悠々と手玉にとって、済ましておられるような男なのである。その癖妙に頭が科学的に出来ていて、現在では満鉄一万キロの保線を一人で引き受けて、立派にやり終《おお》せているのだそうである。
 まあしばらく話をしているうちにふと気がついて、満州の凍上の様子を聞いてみた。ところが、
「実はそのこともあるので一寸君に相談に来たわけなんだ」という返事なので、少々驚いた次第なのである。
 Tの話によると、満鉄は殆ど全線にわたって、凍上では随分悩まされているのだそうである。もっともそれは当然のことで、北満へ行くと、地下六、七尺までも凍ってしまうということは、誰でも知っているとおりである。それで余程土質に恵まれていない限りは、激しい凍上が起こるのが当たり前と思ってよい。それに満鉄のように重い車を高速度で走らせているところでは、その影響が切実に感ぜられるのももっともである。
 Tの説では、現在以上運輸力を増すには、どうしても線路をちゃんとするより仕方がないが、それには何よりも先ず凍上を防がないことには、手のつけようがないというのである。現在以上に運輸力を増すということは、この時勢では絶対に必要なことであるから、満州の凍上の研究は、如何にも苟且に付すべき問題ではない。それに近年急速に敷設した新線は、国防上重要な意味をもっているのであるが、それがまた凍上では随分苦しめられているらしい。所によると、三十センチも凍上するので、どうにも始末におえないそうである。霜柱の生長の方からみても、新しく掘り起こした土では、その発達が非常に促進される。それで新線の方が余計に凍上に悩まされるのは、予期されることである。
 ところが、満鉄のようにちゃんとした科学研究機関を持っているところでも、この凍上の現象ばかりは、今まで研究すべき題目として採り上げられていなかったようである。それでも従来はとにかく応急処置によって、曲がりなりにも冬期の運輸力を維持して来られたらしいが、いよいよそういう姑息な手段では、事変以来の爆発的な交通量の激増に対処して行けなくなったらしい。それでTは、これは凍上の問題を根本的に解決しなければならないと腹をきめて、昨年からその研究の組織を作りかかったのだそうである。そして昨冬から少し手をつけてみたが、いよいよこの冬から本格的な研究を始めることになったという話である。
 どうもまことに不思議な話で、日本の鉄道局の方でも全く同じ計画があることを、Tは札幌へ来るまでは全然知らなかったらしい。これは全くの暗合であって、全然同じ計画が完全に時を同じくして、両方で始められたというのも、やはり時勢があらゆる問題について、科学的な解決を要求するようになって来たということの一つのあらわれであろう。
 Tの話をきいてみると、凍上の研究も冗談事ではなく、国防上からいっても最重要な懸案の一つになりそうである。霜柱の構造を論じて国策の樹立に及ぶこともないとも限らない。出来ることならばそういう実績をあげて、閑人の閑研究と思われていることも、いつかは役に立つ日が来るという例の一つとしたいものである。
                                   (昭和十四年十二月)
 
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