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中谷宇吉郎「硯と墨」


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  東洋の書画における墨は、文房四宝の中でも特別な地位を占めていて、古来文人墨客という言葉があるくらいである。従って墨に関する文献は、支那には随分沢山あるらしく、また日本にも相当あるようである。しかしそのうちには、科学的な研究というものは殆ど無い。或いは絶無と言っていいかもしれない。それは東洋には、昔は科学がなかったのであるから致し方のないことである。

 墨と硯の科学的研究は、私の知っている限りでは、寺田寅彦先生の研究があるだけのようである。飯島茂氏の『硯墨新語』なども墨の科学的研究と言われているが、この方は方向は一部科学的研究に向いており、面白いところもあるが、まず文献的の研究というべきであろう。
 寺田先生は晩年に理化学研究所で、墨と硯の物理的研究に着手され、墨を炭素の膠質《コロイド》と見る立場から実験を進め、最後の病床に就かれるまで続けておられた。研究の内容は三部から成っている。第一は墨流しの研究であって、これは我が国に古来からある墨流しを、物理的に研究されたものである。第二は墨と硯の物理的研究であって、硯の性質と、特に墨を磨るという現象が物理的に言って何を意味するか、その機構を研究されたものである。第三は墨汁の電気泳動《エレクトロカタホレシス》の実験であって、墨の粒子の電気的性質を調べられたものである。この最後の研究は未完成であって、その予報が帝国学士院記事に出ただけで、本論文は未発表のままに終わっている。初めの二つは完成された論文として、理化学研究所の欧文報告に出ている。三論文とも英文で発表されている。
 この初めの二つの論文は、前にその紹介をしたことがあって『画説』という雑誌に発表した。もう十年近くも昔の話である。その初めの方「墨流しの物理的研究」は、北京図書館の雑誌『舘刊』第三号に、漢訳されて載ったことがある。丁度その号には、銭稻孫氏による志賀さんの『転生』の和漢対訳も載っていた。『転生』は私の好きな作品だったので、その奇遇を一寸嬉しく思った。何だか偶然に志賀さんと支那で思いがけなく逢ったような気がした。
 ところでこの墨流しの研究は、結局水面に出来る墨の薄い膜の性質を調べたものである。限外顕微鏡という特殊の顕微鏡で見ると、墨汁の微水滴の中にある墨の粒子の数を算えることが出来る。墨汁の濃度を量的に測り、その微水滴中の墨の量を計算すれば、比重とその顕微鏡で読んだ粒子の数とから、墨の粒子の平均体積が出せる。そして粒子を球形と仮定すると、その直径が計算出来る。奈良古梅園の紅花墨を市販の硯で磨った一例では、粒子の平均直径が約一万分の一ミリであった。もっとも粒子には大小いろいろあるので、まず千分の一ミリくらいの大きい粒子から、十万分の一ミリくらいの極微のものまで、さまざまの大きさのものがあり、その平均が約一万分の一ミリなのである。
 次に水面に拡がった墨膜の構造であるが、この方は濃度のわかっている墨汁の微水滴を作って、その中の墨の量を計算で出し、それを水面上に落として、拡がった面積を測れば、それから平均の厚さや一平方センチ中の粒子の数などが計算出来る。墨汁は炭素の粒子の表面が膠で包まれたいわゆる「保護膠質液」である。墨の中に含まれている膠の量を墨の目方の約六分の一とすると、膠の分子の目方は大体わかっているので、水面に出来る墨膜の構造を模型的に次のように説明することが出来る。
 大型の林檎くらいの煤の粒子が、窓硝子程度の厚さの膠膜に包まれていて、それが二尺くらいの間隔をおいて一面に並び、その間に小さい炭素分子と膠分子とが薄い膜をなして詰まっているようなものと見て差し支えない。ただしその林檎の直径は約一万分の一ミリであって、他も皆その比例になっている。筆洗の中に新しい水をいっぱい入れ、その表面に一寸筆をつけると、墨がぱっと水面にちる現象は、誰でも日常見ているとおりである。あの薄い墨の膜は、実はこういう構造になっているのである。
 紙の上に絵を描くとき、淡墨で描いた上に、しばらく経ってからまた濃い墨を塗ると、二度目の墨はぼける。そのぼけ方は前の墨の乾き工合、紙の性質、墨の濃度などによっていろいろに変化する。そのこつの呑み込み加減によって、ぼかし方の上手下手も出て来るのであろう。紙に描く場合は、紙の繊維の毛細管現象とか、墨の粒子と紙の纎維との付着力とか、いろいろむつかしい問題が起きて来る。それに前に描いた墨汁の乾き加減によって、それ等がまたいろいろに変化するので、実際には一寸簡単には手のつかない問題である。それで時間をおいて二度重ねた墨汁同士問の融合の問題を、それらの複雑な現象から切り離して調べるには、この水面に出来た墨膜を使うのが一番便利である。
 まず水面に一様な墨膜を作っておいて、適当な時間を待って、第二の墨滴を、その中心に落としてみる。待つ時間が短ければ、第二の墨滴は前の墨膜上に一様に拡がって行って、二枚の墨膜は完全に融合して区別がつかなくなる。ところが数分経ってから第二の墨滴を落とすと、拡がる速さが前の場合よりもずっと遅くなり、初めの墨膜の途中まで行ったところで、止まってしまう。そしてこの時は両者の境界が判然とつくのである。この実験は水面上で墨膜を重ねているのであるから、乾燥の問題は全然はいって来ない。それでも待つ時間によってこういうちがいが出て来るのである。即ち墨を重ねる場合には、前の墨は乾くということ以外に、時間と共に墨の実質も変化して、その変化の度合いによって、後の墨との間の融合の程度も変わって来ることがこれでわかったわけである。
 次にこの墨膜が固化するという面白い現象がある。それは水の中に、銅とか鉄とかアルミニウムとかいう金属のイオンがある場合である。簡単に言えば、金気《かなけ》のある水の上に墨膜を作ると、その金気が非常に微量であっても、十秒か二十秒すると、この薄い墨の膜が固化してしまうのである。これは寺田先生が偶然に発見された現象である。固化したということは、その膜の一部を一寸つつくと、星状の割れ目がはいることによってわかるのである。さらにこの固化現象は、墨膜を金気の少しでもある水の面上で横から圧した場合に著しく起きることが知られた。その場合は百万分の一程度の不純物が溶けていても、充分にその影響が見られるのである。昔から硯の水のことはやかましく言っているが、その物理的の理由は後に述べるとしぐ、この実験からみると、筆洗の水も充分吟味する必要があることになる。もっとも墨膜が固化して破片になった時の効果を狙うというようないんちきがしたかったら、筆洗の水の中に少量の塩化銅でも溶かしてみることである。
 第二の論文、即ち墨並びに硯の物理的研究は一層面白い研究である。前の墨流しの研究では、墨は市販の紅花墨であり、硯も普通市販の品の一種を用いただけであった。今度の研究では墨は鳩居堂と古梅園と王泉堂との紅花墨各一種、他に明治四十四年製の油煙墨と合計四種を用い、それ等をいろいろな種類の硯で磨ってみて、硯によって粒子の大きさなどが如何に変わるかを調べたのである。
 墨汁のいろいろな性質、特に墨色などが、墨の良否によることはもちろんであるが、硯によっても著しく左右されるということは、画家及び書家の間では常識になっている。昔から名硯と称せられるものには、いろいろ伝説的な説明が沢山あるが、それらは大概支那の古い文献から伝わったものである。そういういわば伝説を、この研究では、客観的に確かめたのである。墨と硯との問の摩擦係数、墨のおり方、粒子の大きさなどを調べてみると、それ等が硯によって著しく異なることがわかったのである。
 磨墨の研究をするとなると、まず一定の圧力及び速度で墨を磨る装置を作る必要があるが、それはそのつもりで考案すれば比較的簡単に出来る。それでまずそういう装置を作って実験をした。墨が硯上を往復運動をして、三十分間に延べ三百メートル動いたところで、一回磨り終わったことにして、その墨汁の性質を調べた。硯は雨端石と紫雲石とのものを験し、他に真鍮の硯と鉄の硯とを特に作らせて、合計四種類について調べてみた。金属製の硯は唐の銅硯などという特殊のものの他、昔からあまり使われていないが、この研究でも、いろいろな点で石の硯より劣っていることが確かめられた。
 この実験ではいろいろな量を測る必要があるが、そのうちで墨の粒子の大きさは、前の墨流しの時と同様にして測ればよい。三十分間に墨のおりた量も知る必要があるが、これは磨る前と後とで墨の目方を測って、その差から出せばよいはずである。事実そういうふうにしておりた量を測定したのであるが、そんな簡単な測定でも、ちゃんとするとなると、なかなか面倒である。というのは、墨の目方は相当あり、おりた量は極く僅かであるから、よほど精密に測定をしないと、差し引きで出した量は何を測ったかわからなくなってしまう。丁度一升罎の目方を測り、次に水を一滴入れてまた目方を測って、その差し引きから水滴の目方を出すようなことをするわけである。途中で罎の外側が一寸濡れたりしたら、重量の増加は何を意味するかわからなくなってしまう。今度の場合は三十分間も塁を磨っているので、その間に水が墨の中に浸み込むので厄介である。それで磨墨の前後ともに、いつでも目方を測る前には、墨を真空中で二、三時間乾燥させて、それから測定することにした。よく注意さえすればこういう方法で、墨のおりた量をかなり精密に測定することが出来た。
 次に硯の面の性質を知るために墨と硯との間の摩擦係数を測る必要がある。摩擦係数の測定は、物理学の極めて初歩な実験であるが、それは普通の堅い物体間の摩擦の場合であって、墨と硯との場合のように一方が磨り減る場合は、今まで殆ど手がつけられていない。それで硝子の小片を補助に使って、硯と硝子との問の摩擦係数をまず測り、それで硯の面の性質を決める。そしてその状態の硯の面に対する墨の摩擦係数を測ることにした。
 ところが、この場合墨が減るばかりでなく、磨墨の作用によって硯の面の性質もだんだん変わって来るので話が一層厄介になる。即ち一定の装置を用い、一定条件で磨っていても、だんだん墨のおりる量が減って来ることがわかった。その減り方は、硯と墨と両方によって変わるので、まず一定の硯を用いて、各種の墨を磨ってみて、その差を調べる。次に一定の墨を各種の硯で磨って変化を見るというふうにして、仔細に調べて行った。
 墨のおりる量は、紫雲石の硯が一番多く、また長時間使っていても、減るには減るが、その減り方が比較的少なくて、或る一定値に近づくのである。即ちこの石は、磨墨によってなかなか平滑にならないことがわかる。ところが雨端石の場合は、初め硯の面が粗いうちは、相当よく果がおりる。しかしその面はじきに平滑になってしまって、しばらく使っていると、紫雲、石の場合の十分の一くらいしか墨がおりなくなってしまう。真鍮や鉄の硯は、初めからあまり墨のおり方がよくなく、使っているうちにすぐ面が平滑になって、墨は殆どおりなくなってしまう。それで墨のおり方から言うと、紫雲石が一番よく、雨端石や金属は著しく悪い。もっともこの場合粒子の大きさを測ってみると、雨端石の場合は粒子が細《こま》かいのである。即ち粒子の数は多いがそれが細かいので、墨のおりた量としては少なくなるのである。その点では墨色などを問題とする場合は、雨端石の硯にも意味があるかもしれない。金属硯はそれとはちがって、粒子が大きくて数が少ないために、おりる量が少ないのである。
 紫雲石の硯が、磨墨によって平滑になってしまわないというのは、鋒鋩《ほうぼう》の問題に関係があると思われる。普通の物質は、磨くと表面がだんだん平滑になり、摩擦係数が減って来るはずである。ところが鋒鋩のある石は、比較的軟らかい水成山石の中に堅い極微の石粉が雑っていて、表面が超顕微鏡的の山葵おろしのようになっている。そういう石の表面は、どんなに磨いても平滑にはならないのである。従ってそういう硯では、いくら使っていても、いつまでも墨のおり方が良いことになる。端溪の鋒鋩の美事な硯で、こういう実験をやってみたら、もつと詳しいことがわかるであろう。
 いま言ったように、磨墨によって硯の面が平滑になると、墨のおりる量が減って来る。この場合粒子の大きさはどうなるかを調べてみると、石の硯も金属の硯も同様に、墨が早くおりる場合には粒子が大きいということがわかった。即ち一定の硯についてみても、粒子の大きさはおりる量に比例するのである。ただし比例係数は金属の場合が三倍近く大きく、従って粒子も石の場合に比較して、いつでも三倍くらい大きくなる。その理由は、金属から極く微量のイオンが水の中に溶け出て、そのイオンが墨の粒子の凝集を起こすためだろうと思われる。その意味でも、金属の硯は思わしくないことになる。このことと、石の硯に比して金属の硯は墨のおり方が少ないということとは、矛盾したことではない。
 次に硯の水の問題がある。金気のある水がよくないことは、前の説明で既にわかっているが、水が酸性を帯びた時と、アルカリ性を帯びた時とでは、何かちがいが無いかという点も調べておく必要がある。そのために同じ条件で、蒸溜水と苛性加里液と塩酸水溶液とで墨を磨り、その時の墨のおりる量と粒子の大きさとを測ってみた。その結果、酸性の場合は、蒸溜水の場合より粒子が大きくなって、従って墨のおり方がよくなる。アルカリ性の場合は、その反対であって、蒸溜水の場合よりも粒子が小さくなり、おりる量も少なくなることがわかった。この現象は墨の粒子が負の電気を持っていることから説明が出来る。
 こういう沢山の実験をした結果、墨を磨るという現象の機構がほぼわかって来た。硯の面上を墨が動いた延べの距離と、墨のおりた量と、墨の磨り口の面積とがわかっているので、墨が硯の上を一センチ動いた時に、一平方センチから溶け出る墨の量を計算することが出来る。それがわかると、墨の比重は知れているので、墨が一センチ動いた時に磨り減る層の厚さが計算出来る。それを出してみると、一万分の一・ニミリという数字が出る。ところがこの値は、その時の粒子の平均直径一万分の一ミリと非常に近い値である。即ち墨が硯の上を一センチ動くと、約一万分の一ミリだけ削りとられ、その時墨はその削りとられた厚さと同程度の直径の粒子となって溶け出るということがわかる。
 もしそういうことならば、これは墨の磨り口に出来る罅《ひび》の問題と考えられる。硯の面には細《こま》かい不規則な小突起が沢山あって、いわゆる鋒鋩をなしている。その小突起の上を墨が動く時、磨り口の表面に顕微鏡でも見えぬくらいの細かい罅が沢山はいる。これ等の罅は墨の動くにつれてだんだん沢山出来て、一センチほど動くうちに、罅の深さと同程度の間隔になるくらい、磨り口の表面いっぱいに出来る。そういう状態で、墨の表層は、罅の深さ即ち一万分の一ミリ程度の直径の粒子に崩壊して水中に溶け出る。寺田先生は前に粉体の物理的性質を研究されたことがあって、粉体の層に罅がはいる時には、罅の深さと同じくらいの間隔で、沢山の割れ目がはいることを見出された。墨の場合にもそれと同様な現象が、超顕微鏡的規模で起こるものと解釈すると、磨墨の機構がよく了解出来るのである。
 以上で寺田先生の硯と墨の研究は終わっている。第三の論文、即ち墨の粒子の電気的性質の研究は、未完成でもあり、今の場合直接の興味も少ないので略することとする。
 ところでこの一系の研究は、墨や硯を純粋に物理学の対象として為されたものである。しかしこれだけのことがわかって来ると、名墨や名硯の研究を、こういう調子にやってみたいという慾が起きて来る。昨年まではそういうことを言うと、時局を弁えないというきついお叱りを受けたことであろうし、また事実そんなことをやるべきでもなかった。しかしこれからの日本には、名墨の墨色の研究などというのは、恰好の題目であるかもしれない。
 墨の濃い場合は、墨色の差はわれわれ普通の素人には、よく注意して見なければわからない。しかし墨画のぼかしのような淡墨になると、色の差が非常にはっきりして来て、どんな素人にも一目でわかる。支那の旧い時代の墨にはいわゆる青墨が多くて、淡くすると、鼠色の蔭にアクアマリンのように透明な青味が見え、非常に美しい色をしている。この頃は油煙墨が多くて、この方は淡くすると茶色を帯びて来て、しかもその色が濁っているものが多い。透明な感じが全然なくて、私には何だか非常に汚らしく見える。好き嫌いももちろんあるし、極上等の油煙墨の色を未だ知らないせいもあるが、私は油煙墨では絵を描く気がしない。一廉《ひとかど》の画家のような口をきいて、自分でも可笑しくなるが、素人は墨と硯と紙とを吟味するより他に楽しみが無いのだから仕方がない。
 青墨の色は冷たいという人もあるが、それは悪い青墨の場合であると私は贔屓目に考えている。良い青墨で描いた米点の遠山など、墨でなくては、他の絵の具などでは一寸出せない美しさがある。こういう青墨は、松煙墨であって、松崎鶴雄氏の『支那の文房四宝に就いて』をみると、漢の時代には陝西省の終南山辺の松を焚いてその松煙を採ったそうである。晉になると九江の廬山の松が珍重され、後には安徽の松が有名になったということである。
 単に煤煙だけの問題として、さらに煤煙は炭素であると言ってしまえば、何処の松でもよいはずである。松でなくても、梅でも桜でも燃やしてしまえば同じ炭素になるわけであるが、その方は一寸困る。炭素といっても、その粉が細かいことが必要なので、それには煤が一番手頃である。それで脂《やに》の多い松を選んで、それを焚いて煤を採ったのである。それではわざわざ陝西省などという交通不便な奥地まで出かける理由は、脂の多い松の木を選ぶためかというに、どうもそれではあまりに話が簡単である。何か他に理由があるのであろう。
 第一、炭素の細かい粉と言ったが、単に細かい炭素の粉が欲しいのならば、桐油を燃やして作った煤でもよいはずである。即ち油煙墨と松煙墨との区別など無いことになってしまう。それに一番細かい炭素粉といえば、工業方面で吸着剤に使っている活性炭などが最適であろう。これは動物の血液を燃やして作った炭素粉で、非常に細かいものである。しかし今までのところでは、まだ血で作った墨という話はきいたことがない。もっともこれは一度は研究的に作ってみた方がいいかもしれない。
 支那の製墨法では、煤の細かい粒子を選んで作った墨が上品とされているそうである。それで粒子の大きさはもちろん大切な要素であろう。しかしよく考えてみるに、上品というのが客観的に何を意味するかを決める方が先決問題である。それで墨色とか、溌墨とかいうものが、墨汁の粒子の大きさや、その墨で作った薄膜の性質などと、何か関係がないかを調べてみる必要がある。もし関係があることがわかったら、初めて墨の上等下等ということは墨のどういう性質を指しているかが、科学的に決まることになる。それは非常に面白い問題であって、しかも前述の寺田先生の研究方法をそのまま用いて、或る程度まで出来る研究である。
 これは想像であるが、墨汁中の粒子は細かい方が良さそうである。一体墨がにじむとかぼけるとかいうことは、考えてみれば随分複雑な現象である。染料の絵の具ならば、これは水に完全に溶解しているので、水がにじむのと一緒に絵の具がにじむ。水がにじむということは、紙の繊維中及び繊維間の間隙を、水が毛細管現象で吸引される現象である。また繊維の細胞膜を通しても水は移動する。ところが岩絵の具の場合だと、これは石の粉であるから、水は毛細管現象で移動しても、岩絵の具は紙の実質の中を通っては殆ど動けない。少なくもその移動範囲は極めて狭い。それで岩絵の具は染料の絵の具のような意味でぼけることはない。もちろん水を沢山使えば流れることはある。
 墨の場合は、丁度その中間にあたるわのである。粉と分子との中間、即ち膠質《コロイド》であって、平均が直径一万分の一ミリ、小さいものになると直径十万分の一ミリ程度と考えられる極微粒子である。そういう極微粒子は、水が毛細管現象で乾いた部分へ浸み出る時に、一緒にかなりの程度まで紙の実質の中を通して動いて行くものと考えられる。それが墨のぼかしである。こういうふうに考えてみると、粒子が細かい方が良さそうである。もつともこの場合、墨の粒子と紙の繊維との附着力も問題になる。それが強ければ墨の粒子は紙に附着して止まり、水だけ外側へ浸み出る。それが乾くと、絵の輪郭をとりまいてしみが残ることになる。
 粒子の細かい方が絵を描く場合によいということになると、それは墨の性質とともに、硯の問題にもなって来る。硯の良否は、墨のおりる量、持久性、粒子の大小などいろいろあるが、此処で注意すべきことは、書硯と画硯とのちがいである。書家にとっては、濃い墨汁が多量に要るが、画家の場合には、そう沢山の量は要らないことが多く、それよりも淡墨にした場合に墨色が美しいことが望ましい。墨にももちろん書家用と画家用との区別があって、同じ理由に基づくものである。それで厳密に言えば、墨も硯も共に使用目的によって、良否の標準が異なって来ることになる。
 話を簡単にするために、墨色についてだけ考えてみる。青墨のあの透きとおるような美しい青みは何から来るものであろう。何かの青い色素が混ぜてあるものならば、その色素だけ絵の外側へにじみ出るはずであるから、やはりあの青みは炭素粒から来る色であろう。そうすると松煙の煤の性質と一応考えてみるのが自然である。油煙墨の材料たる桐油の煤も、松煙で作った煤も、炭素であるという点では同じことである。しかし炭素という元素は、非常な曲者であって、金剛石《ダイヤモンド》にもなれば、石墨《グラフアイト》にもなり、普通の無定形な木炭のような炭にもなる。どれも炭素と他の元素との化合物ではなく、純粋な炭素だけで、このように変化するのである。砂糖を焼いて純粋な炭素の粉を作り、それを高温高圧にするとダイヤモンドに変わるというのが、有名なモアッサンの実験である。もっともこの場合大部分の炭素は石墨に変わるので、ダイヤモンドの方は、極く小さいのが少し出来るだけである。
 ダイヤモンドも石墨も、性質がはっきりしているので、いろいろな物性がよく測定されている。厄介なのは木炭類の無定形炭素である。木炭のような一番ありふれた物が一番厄介で、例えばその比重のようなものを測ることさえ、大仕事なのである。桜炭だの楢炭だのというものの一片を持って来て、その比重を測っても、内部に隙間が沢出あるので、意味は殆ど無い。それで細かい粉にしてその粉の比重を測れば、大分意味が出て来る。京都帝大の吉田卯三郎教授が、炭の粉の比重を測定された結果では、焼き方によって、同じ無定形炭素でもいろいろ性質のちがったものが出来ることがわかった。そうすると煤の粉などは、焼き方により材料によって、物性のいろいろ異なった炭素粒になってもちつとも不思議ではない。むしろそう考える方が自然である。それで青墨と油煙墨との墨色の差は、粒子の大きさにもよるであろうが、炭素の性質自身が異なっていることも考えられる。その性質の差は、もしこういう細かい粉の比重が精密に測定出来れば、比重の差として現れるかもしれない。それならば話が簡単であるが、その他にも煤のX線分析を行ってみることも必要である。もし一部分でも石墨類似の半結晶性のものに変化していれば、X線分析でわかるはずである。
 今までは故意に紙のことに触れなかったが、墨色は紙によっても著しく異なる。墨の粒子と紙の繊維との附着力が、この場合に一役買いそうである。そうすると紙は純粋な植物繊維だけから出来ている紙を選ぶ必要がある。石粉のはいっている紙では、その石粉と墨の粒子との交渉がさらに加わって、問題をますます複雑にしてしまうであろう。もつともこれは想像であって、もしその点を確かめるとなったなら、同一性質の紙で石粉の全然はいらぬもの、いろいろな程度にはいったものを作って、その墨色の比較をまずやる必要がある。
 しかしそういうことは、結局ちゃんと実験をしてみなければ、どっちとも言えない。全然わかっていないことなのであるから、当然の話である。ただ今のところでは、こういうふうにでもやれば、名墨の墨色というような、従来神秘的に考えられていたことも、科学的に研究し得る見込みがあるということが言えるだけである。墨の科学的研究などというと、墨の目方を測ったり、墨汁を一滴紙の上に落としてその拡がる範囲を測ったりして、数字を沢山並べるだけのことと思う人もあるかもしれない。そういう程度に科学を考えている人は、墨色とか漢墨とかいう芸術世界の神秘的な現象は、なかなか科学などの粛の立つ問題ではないと考えられるであろう。しかし科学もそう馬鹿にしたものではない。
 ただ従来とかくそういうふうに思われ勝ちであったことは事実である。そして実際に科学はこういう問題には全く無力であった。それは非常にむつかしい研究であって、出来合いの器械を買って、決まり切った方法で落穂拾いをやれば、論文がすぐ出来るというのとちがって、なまくらでは、一寸手に負えない問題なのである。それでいてそういう研究をやっても、研究費も出ないし、誰も喜びもしないということになれば、結局誰も手をつけないことになってしまうのも無理のない話である。
 もっともこれを本当にやるとなったら、お膳立てが大変である。名のある名墨を何本と集めて、端溪だの歙硯だのと贅沢をいって、紙を特に漉かせてという話になる虞《おそ》れがある。事実虞れではなく、そうして、それ等をどんどん使い潰す気でなくては、この研究は出来ない。旧い時代の名墨には、何か微量の稀有元素でも混じっているかもしれないから、スペクトル分析もしてみたいし、無機質の量を調べるためには、唐墨の一本くらいは燃やして灰分が残るかどうかを調べてみる必要も出てくるであろう。ダイヤモンドが木炭と同じものてあるという説を確かめるために、立派なダイヤモンドを坩堝の中に入れて、酸素を通しながら熱してみたことがあった。ダイヤモンドは消え失せたが、それが純粋な炭素であることは、立派に証明された。東洋三千年の文化の粋を科学的に究明しようというのであるから、ダイヤモンドを燃やすくらいのことは仕方がないであろう。
 私が今一番願っていることは、日本にダヴィンチかミケランジェロ級の大南画家が生まれることである。そうすると外国でも絵は墨絵に限るということになる。日本の政府は慌てて名墨研究所を作って、そこで宣徳や万暦の墨に負けない名墨を作る研究を始める。そしてそれを大量生産して見返り物資としようということになる。そうしたら私はその研究所へはいって、ゆうゆうと墨色の研究をするつもりである。
                                  (昭和二十一年十月)
 
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