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中谷宇吉郎「極北の氷の下の町」

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 流れない氷河

 
 昨年のグリーンランドの観測結果が、案外におもしろくなってきたので、今年の夏もまたグリーンランドへ出かけた。もっとも国際地球観測年の仕事は、今年が本格であって、昨年は、いわば予備だったわけである。
 行った場所は、昨年と同じところで、チューレの東北方二百四十マイルの氷冠上、高度七千フィートの地点である。緯度は七十入度、北極の極点からは、七百五十マイルしか離れていない。
 チューレは、アメリカの空軍基地になっている。立派な飛行場があり、建物もたくさん建っているので、ここまでは、文明圏内といってよい。
 グリーンランドは、非常に大きい島であって、面積は、現在の日本の全面積の六倍半もある。この広大な地域は、大部分千古の氷雪におおわれていて、土地の露出しているところは、海岸にそったごく狭い範囲だけである。それも古生層の古い岩石の岩山であって、木も草も生えていない裸の岩山が、大部分を占めている。とくに、この島の北半分は、太古の昔から氷雪にけずられてきた濃緑色の岩壁が、断崖をなして、紺青の北極の海に落ち込んでいる。とうてい、人間の近よれない土地である。
 ところが、チューレだけは、例外的に、天然の良港たるべき地形に恵まれ、その上海岸から十四マイルくらい奥まで、砂利の原がつづいている。これは氷河の運んできた堆石《モレイン》の原であって、地表面には、夏の間は雪がなく、普通の砂利原になっている。もっとも三フィートも掘れば、その下は永久凍土層である。
 この永久凍土層の上に、りっぱな滑走路が出来ていて、大型飛行機が、毎日フィラデルフィア郊外の飛行場から飛んで来ている。飛行時間は、十二時間程度である。アメリカ東海岸の文明の中心地を朝立てば、夕方には、もうチューレへ着く。それでチューレは、南極に翻訳してみたら、昭和基地と南極の極点との中間くらいのところに当たるが、ここまでは、文明圏内とみて差しつかえない。冬でも、アメリカ本土との間に毎日一回の定期航空便が、往復している。
 しかし、ここから一歩内陸へはいると、話は全く別になる。内陸には、大昔から降りつもった雪が、全然とけないで、そのままたまっている.そして長い年月の間に、自重で圧縮されて、氷になっている。これはいわば、「流れない氷河《グレーシオロジイ》」であって、雪氷学では、氷冠《アイス・キヤツプ》と呼ばれている。
 氷冠は、南極大陸にもあるが、グリーンランドの氷冠は、その代表的なものであって、氷の厚さが、平均して七千フィート。面積は日本の六倍近くある。この途方もなく大きい氷の鏡餅の上では、木も、草も、虫も、およそ生命のあるものは、なに一つ生きることができない。見渡すかぎり、純白の氷の平原で、黒いものは、全然見られない。完全に生命のない世界である。氷冠の氷の標本を、アメリカ本土へ送って、生物学者に調べてもらったが、黴菌もいなかったそうである。
 六年前から、アメリカでは、この氷冠上に観測所をつくって、そこで氷冠の研究をつづけている。チューレから十四マイルはいったところに、すなわち氷冠の縁のすぐ近くにベース・キャンプがあり、そこから氷冠上を二百三十マイル近く行ったところに、観測所がある。ベース・キャンプから、この観測所までの問、日本でいったら、東京から米原付近までの距離のあいだには、中継点は全然なく、まったく無人の氷の平原である。
 この観測地点には、昨年までは雪原上に、かまぼこテントが十数棟建っていた。橇のついた小型飛行機でチューレから飛んで行くと、二時間半ばかりの飛行の後、初めて雪原上に、黒いものが見えてくる。そしてやれやれと思ったものであるが、今年行ってみると、全然この部落が見当たらない。今年からは、テントも、施設も、ぜんぶ雪の下に造ることになったのである。北極の氷の下に、雪下街をつくって、全部の生活を、氷の下ですることになっていた。
 
快適な雪下街
 
 氷冠上の飛行は、相当な危険をともなうので、よほど天気がよくないと、飛んでくれない。日本の六倍に近い広大な地域が、まったいらな雪原になっていて、黒いものは、なに一つ見えない。目印になるものは、一つもないので、地平線だけが頼りである。ところが、氷冠の上では、ホワイト・アウトといわれている現象がときどき起こって、視界が全然なくなることがよくある。こうなると、まるで牛乳のなかに沈んだように、白一色の世界になってしまう。雪面の上では、高度計も役に立たないので、こうなると、事故が起こりやすい。今年の夏も、資材と燃料との空輸機が雪面につっ込んで、それがきっかけになって、ヘリコプターの大事故を誘発し、五人の犠牲者を出した。
 しかし、私の場合は、非常な好天気にめぐまれ、何の不安感もなく、観測地点まで飛んだ。ところが目的地の近くへ来て、雪面すれすれの飛行をだいぶつづけたが、昨年なじみの部落が、全然見当たらない。いよいよ着陸してみると、除雪機だの、ウィーゼル(いたち)というあだ名の雪上ジープだのは、昨年どおりにちらばっているが、見わたしたところは、真っ白な雪の平原があるだけである。そしてこの雪原の中に、大きいほら穴が二つ、黒い口を開けている。全部落を、雪の下に移したのである。
 この黒い口を開けたほら穴のなかに入って行くと、なかには立派な雪下街が出来ていて、昨年どおりのかまぼこテントが、ずらりとならんでいる。ふつうの住居のテントのほかに、事務所、資材置き場、食堂、料理場、発電室、売店、娯楽室、便所などのテントが、整然と並び、通路が縦横に走っている。東京などにある地下街と同じものを、雪の下につくったわけである。
 真ん中に、幅五メートルくらいの広い通路が縦に通っていて、それと直角に何列もテントの列が建っている。雪の洞はテントの幅よりも、ずっと大きく掘ってあるので、テントと雪の壁との間には、一メートル半くらいの間隔がある。それが横の通路になっているわけである。通路には全部板が敷きつめてあるので、雪を踏まなくても、雪下街のどこへでも行ける。
 テントは二重テントで、なかにガラス繊維の断熱材がはいっている。床はベニヤの二重床で、三十センチくらい高くしてある。テントの内部は重油ストーブで暖めてあるので、上着なしで暮らせる。しかし断熱がよいので、通路は零度以下になっている。したがって、雪の壁がとける心配はない。重油ストーブの煙突だけは、外へ出す必要があるので、これは潜水艦のペリスコープのような形で、雪面上に出ている。
 そのほかに、ところどころに、非常脱出孔があって、はしご段の出口が、雪面上につくってある。それだけが、外から見た場合に、この雪の下に人間が住んでいることを示すものである。雪下の生活で一ばん恐ろしいのは、火災である。一カ所で火を出したら、この雪下街の全体が、煙突を横たおしにしたような恰好になっているので、火のまわりは、非常に速いにちがいない。それで、非常脱出孔は、相当の数つくっておく必要があり、またときどき避難練習もすることになっている。
 実験室は、この雪下街から少し離れたところにあって、これも氷冠内に掘った雪の洞のなかに、いろいろな実験設備がしてある。テントは張らず、素掘りの洞のままで使っているので、室温は零下十度前後。雪や氷の研究には、ちょうど適温である。
 朝起きて、食事をすませ、実験室へ行く。昼めしにはもちろん雪下街の食堂へ帰るが、午後もたいてい実験室のなかで暮らす。雪の上へ出るのは、往復の道すがらだけで、一日中雪の下で暮らすわけであるが、この生活は、案外に快適なものであった。
 
唯一の楽しみは食事
 
 北極では、やはり氷の下で暮らすのが、一ばん自然条件にかなった生活であることを、今年はじめて体験した。氷の下は、案外に住み心地のよいところで、昨年とくらべてみたら、まさに天国であった。もっとも設備も、おもい切って贅沢にしてあったからである。
 極地で一ばん恐ろしいのは雪嵐《ブリザード》である。風速七十ないし八十ノットの雪嵐は、しじゅうあって、昨年の夏は、百ノット(秒速約五+メートル)の風が吹いたこともあった。雪面上に建てたテントでは、
いくら丈夫につくってあっても、これくらいの風になると、今にも吹きとばされそうに揺れる。ぐらぐらと揺れるテントのなかで、夜中じゅう悪魔の怒号のような風の音に悩まされては、いくら気楽な人間でも、おちおち眠れない。
 それよりも一番困るのは、便所である。昨年何が一番つらかったかといえば、雪嵐の夜に小便にいくことであった。便所は別のテントにある。これくらいの雪嵐になると、幅十メートルくらいの道路を横切ることが、すでに相当な難行である、横ざまに吹きつける吹雪をまともに受けては、目もあけられない。防寒具にすっかり身をかためて、地面をはうようにして、やっと隣のテントへたどりつくような始末である。
 昼の仕事に疲れているので、夜中の便所行きは非常につらい。しかしどうしても我慢できなくなると、しかたなく起き出て、防寒服に着がえ、重い防寒靴をはいて、雪嵐のなかへ出かけて行く。半分眠りながら防寒靴の紐をしばる辛さは、体験のない人には、ちょっと説明のしようがない。ビールだけが公認のアルコール飲料であるが、雪嵐の夜は、ビールもがまんしなければならない。
 それにくらべて、今年はまったくの天国である。どんなに雪嵐がやってきても、雪下街のテントのなかでは、物音ひとつきこえない。まったく嵐を知らないで暮らせる。小便所はドラム罐でつくってあって、テントのすぐわきにしつらえてある。夜中にパジャマのままで、スリッパをひっかけて行けるので、昨年のことは、まるで悪夢のように思い返される。
 本式の便所は別棟になっていて、そこにはシャワーもあって、栓をひねると、いつでも熱い湯がほとばしり出る。片すみには、電気洗濯機とドライヤーとが、しつらえてある、という調子であって、東京の家よりも便利になっている。
 一番驚いたのは、便所が水洗便所になっていたことである。氷の下であるから、水は使えないので、かなり熱い湯を使っている。北極の氷の下で、水洗便所を使っているところが、いかにもアメリカ式である。
 排水が問題であるが、これは氷冠のなかに深い孔を掘って、その中に棄てている。氷冠の氷の温度は、三十メートルも下にいくと、零下二十九度くらいで、以下ほとんど一定である。使い水はぜんぶ湯であって、これを流し込むと、深所で氷をとかして、空洞が出来、そのなかに棄てることになる。百メートル以上の深いところであるから、陥没する心配はない。
 浴室や便所以外にも、料理場でたくさん水を使う。それらの水は、雪をとかしてつくるのであるが、一日に三千四百ガロンの水をつくっているそうで、水には全く不自由しない。住民は五十人前後であるから、一人一日七十ガロン見当である。数年前の話では、東京の水道は一人あたり一日七十ガロンの割合だったそうであるから、東京の日常生活を、北極でやっていることになる。
「水道部」には、大きいボイラーがあって、大型除雪機で、雪を集めて、どんどんボイラーのなかに送り込んでいる。発電所も、その近くの氷の下につくってある。いずれも燃料は重油であって、ドラム罐が、何百と、雪面上に並べてある。アメリカでは、数年前からヘリコプターではこべる原子炉をつくっているが、もうだいぶ完成に近づいている。うまくいけば、来年はここでも原子力発電ができるかもしれない。そうなれば、極地の文化生活も、一段と進むことであろう。北極の原子炉などというと、いかにも大ボラのようにきこえるが、その運搬用原子炉は、私の近縁の者がやっているので、、でたらめの話ではない。
 食事は、アメリカ本土と、全く同じである。どうせ本国でも、食料は罐詰めか、冷凍品であるから、グリーンランドでも同じことである。
 科学者は、アメリカから七人くらいと、それに外国から三人ばかり参加しているので、十人前後である。設営や、住居、炊事などは、工兵隊の兵隊がやってくれる。研究者の方は、仕事がおもしろいので、夢中であるが、兵隊たちは気の毒である。女気はないし、外へ出ても、真っ白な雪だけしかない。唯一の楽しみは食事であるから、思い切って贅沢なものを食わせてくれる。ただ閉口するのは、量が多いことである。
 昼は鶏のフライ、夜はビフテキという流儀であるが、ステンレス・スチールの盆を差し出していると、鶏のフライなど「もういい」というまで、いくつでも載せてくれる。フライド・チキンを七つくらい山盛りにして、すまして持っていく若い兵隊をよくみかけた。ビフテキは厚さ三センチ、大きさはトンカツ皿をはみだすという調子である。
 もっとも働くこともよく働くので、一日十二時間、一週七日間の労働である。七月四日の独立祭の日も、休日にはしない。それに寒いところであるから、どうしても栄養をうんと摂る必要がある。
 今ひとつの娯楽は、映画である。毎日夕食後には、映画をやる。「サヨナラ」という映画を、私は北極で初めてみた。もっとも本数は限られているので、同じ映画を五へんくらいみるそうである。娯楽室には、ピンポン台もあるが、これはあまり流行っていなかった。みんな昼の仕事で疲れるからであろう。
 
文化都市の構築
 
 氷冠上の生活は、氷の中にもぐってしまうのが、一番安全である。それくらいのことは、わかり切っているが、北極で、大きい雪下街をつくるとなると、これはたいへんな工事である。もちろん大型の「土木機械」を使う必要はあるが、そればかりではだめで、やはり頭が必要である。そしてグリーンランドの場合は非常にうまく、そしてかなり手軽に、この大工事をやり遂げていた。まず雪面上に、深さ十メートル、幅十メートルくらいの深い壕《トレンチ》を掘る必要があるが、それには適当したロータリー式除雪機がある。スイスでは、アルプス山間の道路除雪に必要なので、除雪機がよく発達している。そのなかに、ピーター会社でつくっているもので、雪を十メートル以上も高く吹きとばせるものがある。
 この除雪機を使って、深さ十メートルの広い壕をまず掘る。そしてその中に、かまぼこテントを建て、その下に屋根の木組みをしてビニール布の屋根をふく。テントの天井と屋根との間は、数メートル離れている。そしてこのビニールの上に、前と同じ除雪機で、雪をかぶせてしまう。こうすると、雪の下に大きいトンネルを掘って、そのなかにテントを建てたことになる。
 面白いのは、この除雪機で吹きとばしてつもらせた雪の性質である。この雪は、二、三日たつと、非常に堅くしまってきて、立派な屋根になってしまう。グリーンランドのように気温が零下十度以下というところでは、雪はサラサラしていて、圧縮しただけでは、固まらない。砂を圧しても固まらないのと、同じことである。この点は、南極の奥地でも同じことであって、雪氷工学の大きい課題の一つになっている。もし簡単に雪を固めることが出来れば、現地に無限にある材料、すなわち雪でコンクリートが出来ることになる。極地では、雪がとける心配がないので、かえって便利である。
 ピーター除雪機でつもらせた雪は、この目的にかなり添っている。たぶん、雪の粒子が破壊されて、新しい氷の面が出来、それがたがいに接触すると、氷の橋《ポンド》がかかって、固化するのであろう。この固化の機構は、たしかに研究に値する重要問題である。
 機構は次の問題として、とにかく雪が固まるのであるから、木の屋根を葺《ふ》かないで、雪だけの屋根も出来そうである。事実、そういう雪のトンネルもつくることができるので、非常に簡単に、雪下街が構築されるのである。
 もっとも、テントを建てるような広い壕では、少し無理であって、そういうところだけは、木組みの屋根が葺いてある。しかしテントの列間の連絡路とか、実験室とか、倉庫とかいうところは、幅が五メートルもあればよいので、そういうトンネルは、雪だけの屋根にしてある。
 その幅のせまいトンネルの方は、きわめて簡単に出来る。まず除雪機で、深さ十メートルのせまい壕を掘り、半円筒形のトタン板をならべて、仮の屋根をつくる。そしてこの壕のすぐわきを、壕と並行に除雪機を動かして、このトタン板の上に、吹きとばした雪をつもらせる。そのまま二日ばかり放置しておくと、トタン屋根の上に積もった雪が固化する。そしたらトタン板を取りはずす。こうすると、雪のなかに、円天井のトンネルが簡単にできるわけである。半円筒形のトタン板、すなわち天井の型は、トンネル一本分だけあればよい。
 ピーター除雪機は、大型のものであって、これを氷冠上を二百三十マイルももってくることは大仕事である。しかしこの除雪機は、雪の上を自分で動くようにつくってあるので、燃料さえあれば、ひとりでやって来る。あとはトタン板の屋根型だけあればよいので、案外簡単に、雪のなかのトンネルが出来るのである。もっともこの雪の円天井は、一年もたつと、真ん中が垂れ下がってくる。この下がり方から、雪の粘性が計算されるので、それも一つの研究課題になる。
 
粉雪を固める研究
 
 極地方で、粉雪を簡単に固めることができれば、飛行機の滑走路や、自動車道路をつくるのに、非常に便利である。コンクリートの材料が、現場に無限にあって、ぜんぶ無料であるから、これほど有り難いことはない。それで低温度にある粉雪を固めるという問題は、雪氷工学では、一番重要な研究課題である。
 従来からも、この問題は、いろいろな方面から研究されてきたのであるが、ピーター除雪機で吹きとばした雪が、速く固化することがわかったので、その固化の機構を、今年度の研究題目に選ぶことにした。昨年は、氷冠の各深部から採った氷の資料について、その弾性と粘性とを調べたのであるが、その装置と、昨年得た結果とが、今年の研究にうまく役立ってくれた。
 雪の性質をきめる要素はたくさんあるが、そのうちではっきり測定のできるものは、比重だけである。これは氷の量と空気の量との比をしめすもので、話は簡単である。一番問題になるのは、雪の構成要素である氷の粒子間のくっつき方である。この粒子間にかかっている「橋」の数と太さと強さとによって、雪の物理的性質がきまる。粉雪が固化するというのは、橋の数と太さとが増すことであって、それが堅くなるというのは、橋が丈夫になることと一応解釈してよい。
 まず橋の数と太さとであるが、それらが増すと、雪の弾性率がふえるはずである。それで弾性の測定が、雪の物理的性質をきめる一つの目安となる。もちろん比重が増すと、氷の粒子がつまるので、粒子間の接触面が多くなり、弾性も増す。昨年の研究では、比重と弾性との関係をしらべたので、いろいろな比重の資料は、氷冠の各深部から採った。すなわち長年月かかって、天然に圧縮された各種の資料について調べたわけである。
 いろいろな程度に天然に圧縮された雪では、比重と弾性とのあいだに、はっきりした関係があって、比重の○・五以上の雪では、比重と弾性率とのあいだに、直線関係が成立する。比重○・五以下では、それが指数曲線の形になる。説明を短くするために、この関係を、かりに天然曲線と呼ぶことにする。またピーター除雪機で一度吹きとばして積もらせた雪の方は、ピーター雪《スノー》と名づけておく。
 今年は、各種のピーター雪について、その弾性率をはかり、比重との関係を調べた。ピーター雪の弾性率は、時間とともに増すので、操作してから二、三日で、かなり固化してしまい、あとは徐々に固化の度がすすんでいく。
 氷冠の表面の雪は、ふつう比重が○・二ないし○・三程度であるが、ピーター除雪機にかけると、比重が増して、○・四ないし○・六くらいになる。新しいピーター雪について、弾性率をはかって、比重との関係を調べてみると、その曲線は、天然曲線よりも、ずっと下になる。
 すなわち同じ比重の雪をくらべてみると、天然に長年月かかって圧縮された方が、固化の度が、ずっと進んでいる。ところがピーター雪は、日数がたつにつれて、弾性率が増して行き、だんだんに天然曲線に近づいていく。
 昨年つくったピーター雪が残っていたが、これだと全く天然曲線と一致する。ふつう、二、三週間もたつと、ほとんど天然曲線に近い値にまでふえる。天然の圧縮では、比重○・五に達するには、約二十年かかる。ピーター雪では、この間の変化が二、三週間で起こるのである。ピーター操作は、固化の時間を著しく短縮する操作とみることができるので、これは非常に面白い結果である。
 弾性率の測定には、昨年と同じく、振動法を採用した。ピーター雪を、四角の棒に切り出して、それを振動の節のところで支え、共鳴振動を起こさせる。その振動数から弾性率を計算する方法である。この方法では、粒子間の橋を壊さないで、弾性を測ることになるので、橋の数と太さが効いてくる。
 粘性の方は、まだ少し確かではないが、粒子間の橋の強さをしめすものと思われる。粘性は、振動の減衰度から計算するので、完全な弾性体に近ければ減衰度が小さく、流体的な性質が増せば、はやく減衰する。
 橋の性質によって、減衰の度が違うことは、充分考えられるので、粘性の研究によって、橋の強さを測ることができそうである。しかしこの方は、まだ資料の分析ができていないので、はっきりしたことはいえない。
 研究はまだほんの序の口で、これを完成させるには、ピーター雪の薄片をつくって、粒子間の橋のようすを実際に顕微鏡でしらべ、それと弾性率あるいは粘性との関係を調べる必要がある。そのために、各種のピーター雪の資料を、大型魔法瓶にいれて、ドライ・アイスを補給しながら、日本までもって来た。
 今度は、鎌倉時代の氷というほど話はおもしろくないが、私にとっては、大切な資料である。飛行機の故障で、ウエーキ島で一泊したが、氷は大丈夫融けなかった。北極の雪や氷をもって、熱帯の孤島で一夜を明かすといえば、ちょっとロマンティックにきこえるが、本当は気が気ではなかった。
 
現れた狐
 
 氷冠の上には、われわれ約五十人の人間以外は、生物は一匹もいないといったが、ことし観測所に狐が現れたので、一同ひどく驚いてしまった。
 グリーンランドの海岸近いところには、白熊や北極狐や兎がいることは、周知のとおりである。チユーレの付近では、ときどき道路のすぐ横で、狐をみかけることがあった。しかしそこから、この観測所の地点までは、東京から米原くらいの距離である。その間は、全くの雪の平原で、食料になるものは、なに一つない。
 それでこの地点まで狐がやって来ようとは、だれも夢にも考えていなかった。ところが、七月の末頃に、ある朝、雪の上に狐の足あとが見つかって、大騒ぎになった。こういうことの好きな男は、どこにも必ず一人や二人はいるもので、とうとうその本拠をつきとめた。
 現在の観測所から半マイルばかり離れたところに、空軍が以前に使っていた雪の洞があって、現在は放棄されている。そこにこの新しい珍客が、住居を見つけたのである。
 五年前に、空軍の方でも、氷冠上の研究をはじめたが、二年ばかりで一応の結果をえて、引きあげてしまった。その時ドームをつくって居住も実験もやっていたが、食糧や資材は、ドームから掘り進んだ洞の中にたくわえておいた。このドームも、雪の洞もそのままに残されている。引きあげる時に、余った食糧や不用の資材は、そのまま残していった。輸送に莫大な費用と労力とが要るからである。
 狐はまことに、うまいところを、見つけたものである。罐詰めの方はちょっと困るだろうが、冷凍の肉は、おそらく彼が五十年くらい食う分があるであろう。それに外敵はいないし、まさに天国である。たぶん橇列車が道々すてる残肴をさがしながら、はるばる一人旅をしているうちに、この天国へ到達したのであろう。
 灰色がかった青狐であるが、もともと人間をあまり知らないらしく、ちっとも人を恐がらない。ドームのふちに悠然と立って、人間どもの仕事をみている。あまり近づくと、ドームの中へはいってしまうが、写真をとっても知らん顔をしている。
 面白いのは、その習性であって、夜中じゅう歩きまわっているらしい。もっとも夜中といっても、太陽は照っているので、暗くはならない。朝そとへ出てみると、足あとが方々についている。なにか占拠区域というようなものがあるらしく、その区域内は、一応ぜんぶ歩いた形跡があって、足あとが一面についている。そしてその区域が、一日ごとに拡がっていく。
 機械がもの珍しいとみえて、除雪機だの、プロペラ橇だのが、少し離れたところにおいてあるが、その周囲は丹念に見て歩くらしい。雪の中に爆薬をうずめて、その爆発による衝撃波の研究をしているところでは、爆発後、雪を掘って、内部の雪の破壊状態を調べている。そのために、深さ七メートルくらいの穴を掘ってあるが、その辺などは、まず穴の周囲を見てまわり、それから穴の中へおりて、内部をくまなく見て歩いた足跡が残っている。何もかも珍しいに違いない。
 一週間もすると、もうすっかり馴れてしまって、昼のあいだも、しじゅう近くまでやって来るようになった。そしてウィーゼルが走っていると、その横を並んで走って、競走をするようになった。ウィーゼルと北極狐との競走は、ちょっとほほえましい状景である。
 もうすっかり皆と馴染みになったので、誰かが「一匹では可哀そうだね」などと言っているうちに、驚いたことには、ある朝、もう一匹の狐が現れた。どうも夫婦らしく、仲よく二匹でドームのなかに暮らしている。
 それにしても、どうして連絡をつけたものか不思議である。この付近は、磁気嵐の影響が強く、チューレと観測所との間の無電連絡には、しじゅう悩まされている。
 それで通信係の男に、「今度からは、狐に頼んだ方がいいだろう」と言っていた悪童もあった。
 
放射性廃棄物の安全な棄て場
 
 氷冠の氷の中につくった街の寿命が、問題であるが、これは、そう長年月は期待できない。氷の粘性のために、トンネルが縮まり、また屋根もたれ下がってくる。二、三年したら、また掘りなおす必要があるであろう。しかし資材さえ揃っていれば、除雪機で壕を掘る仕事は、一週間もあればよいであろう。それで雪下街の改修は、簡単にできる。やがて、北極では氷の下に住むことが、常識になるであろう。
 ところで、こういう氷冠の研究から、最近一つ珍しい話が出てきた。それは将来の原子力時代には、氷冠が大切な役割を演ずることになるであろうという話である。
 原子力が、世界的にみて、動力源として使われる時代がきたら、その廃棄物の棄て場が、必要になってくる。大洋の深部もよいかもしれたいが、てっとり速いのは、氷冠の上に棄てることである。グリーンランドのようなところだったら、日本の六倍もある広い地域内に、生物は一匹もいない。この氷冠のまんなか付近に、放射性の廃棄物をヘリコプターではこんで棄てれば、まもなく氷の中に沈んでしまう。一ばん安全な棄て場である。この話は、冗談でなく、この九月中旬に、フランスのシャモニイで、国際雪氷委員会の氷河シンポジウムが開催されたときに、出た話である。
 氷冠は、動かない氷河といわれているが、本当はきわめて徐々ながら動いている。グリーンランドの氷冠の場合は、中央部では下向きに沈み、底で西海岸に向かって流れている。それで放射性の廃棄物を、氷冠の中央付近に棄てると、これは氷冠の中に沈んでいく。それが底に達して、海岸まで流れ出るのに、どれくらいの年月がかかるかというに、現在までの知識では、約十万年かかるだろうということになっている。十万年が五万年でも、そのあいだには、放射能はほとんど無くなっている。一番安全な棄て場といっていいであろう。
 この会で、放射性廃棄物の話が出て、結局氷冠が一番安全な棄て場であるという結論になった。それで学会として、決議《レゾリユーシヨン》を出して、氷冠を放射性廃棄物の棄て場とすることに対して、国際原子力機関の注意を喚起することになった。北極の氷の下の町に住んで、十万年先のことを議論していれば、天下は泰平である。
     (昭和三十三年十二月)
 

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