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久保田万太郎「「北風」のくれたテーブルかけ」

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    その一
 宿屋。
 夜。
 宿屋のかみさんは洗濯ものにアイロンをかけている。
 亭主は火のぞぱで煙草を喫《の》んでいる。
宿屋の亭主 月日のたつのは早いものだ。——お前と、おれと、この商売をはじめてからもう十年になる。
宿屋のかみさん 十年に?
宿屋の亭主 勘定して御覧、そうなるから。
宿屋のかみさん (勘定してみて自分に)ほんとうだ。——(亭主に)ほんとうにそうなりますね。
宿屋の亭主 あの時分は、おれたちは、随分貧乏だった。——それを思うと、このごろは、うそのように金持になった。(ト、一人言のようにいう)
宿屋のかみさん ほんとうにねえ。
宿屋の亭主 だが、まだいけない。——こんなことじゃあまだいけない。——もっともっとおれたちは儲《もう》けなくっちゃあいけない。(ト、矢っ張、一人言のように)
宿屋のかみさん そうですわねえ。
宿屋の亭主 だが、宿屋って商売はいい商売だ。——お前、そう思わないか。
宿屋のかみさん そう思いますわ。——ほんとうにいい商売ですわ。——けど、この四五日はちっともお客さまが来ませんね。
宿屋の亭主 たまには来ないこともあるさ。——来なくったって大丈夫だ。
宿屋のかみさん どうして来なくって大丈夫です?
宿屋の亭主 今度お客が来たら、そのお客から、二人分でも、三人分でも、よけい金をとってやればいいじゃあないか。(わらう)1全く宿屋って商売はこたえられない商売だよ。
宿屋のかみさん そう出来ればいいけれど。……
 戸を叩く音きこえる。
宿屋の亭主 お待ち。——誰か来たようだ。
宿屋のかみさん そうですか。
宿屋の亭主 あけて御覧。
 宿屋のかみさん、入口の戸をあける。ーブウツ、外に立っている。
ブウツ 今晩は。——泊めてくれますか?
宿屋の亭主 いらっしゃいまし。——さあ、どうぞ……(立上る)
ブウツ 泊めてくれますか?
宿屋の亭主 ええええ、どうぞ。……
ブウツ そうですか、有難う。
 ブウツ、入って来る。
宿屋の亭主 外はお寒かったでしょう、さぞ。——さあ、火のそばへおより下さい。
ブウツ ええ、有難う。
宿屋の亭主 ときにお腹はいかがです? ——まだお夕飯まえじゃありませんか?
ブウツ ええ、まだです。これからです。
宿屋の亭主 じゃあ、すぐにお支度を。——(かみさんに)おい、お前……
ブウツ (とめて)いいえ、いいんです。——喰べるものはここに持っていますから。(かくしから小さくたたんだテーブルかけを出す)
宿屋の亭主 それは?
ブウツ テーブルかけです。(ト、いいながらテーブルの上にそれを拡げる)
宿屋の亭主 なるほど。——で、召上るものは?
ブウツ まだ、ぼくがほしいとはいわないから出て来ません。
宿屋の亭主 出て来ない?
ブウツ ええ。——ぼくが、いま、何か喰べたいなと思うと、その喰べたいものがひとりでにこのテーブルかけの上に出て来るんです。
宿屋の亭主 お客さま、あなたはお気はたしかですか?
ブウツ (わらって)大丈夫ですよ。——ほんとか、うそか、みていれば分ります。
宿屋の亭主 (かみさんのそばへよって)お前、そんなことが出来ると思うかい?
宿屋のかみさん (首をふって)思いませんわ。
ブウツ ラビット・パイと、揚げた馬鈴薯《じやがいも》と、塩胡桃《しおくるみ》と、ジャムの入ったプディングとレモン水を一本と。 それだけ……
 ブウツ、テーブルかけにむかってそういう。ーみるまに、テーブルの上はそれらのもので一ぱいになる。(実際にこれをやる場合には、とくにそういう仕掛をしてもいいし、でなくっても、黒か灰いろの衣裳を着た後見が、テーブルの上にそれらのものを持って出てもいい。——もちろんその出かたには多少の工夫が必要である)
宿屋の亭主 (仰天する)出た。——出た。……
ブウツ じゃあ、ぼく、お腹が空いてますから喰べます。(椅子に腰をかけて喰べかける)
宿屋の亭主 不思議だ。——実に不思議だ。……
宿屋のかみさん ねえ、ほんとうのものかしら?
宿屋の亭主 ほんとうのものだ。——ほんとうの御馳走だ。……
宿屋のかみさん お前さん、聞いて御覧なさいよ。——どういうわけか聞いて御覧なさいよ。
宿屋の亭主うん、聞いてみる、聞いてみる。——(ブウツのそばにまたよって)お客さま、一たい、ど、どういうわけでございます。
ブウツ (喰べながら)どういうわけもありません。——このテーブルかけ、魔法のテーブルかけです。
宿屋の亭主 魔法の?……
ブウツ 「北風」のおじいさんからもらって来たんです。「北風」のおじいさん、ぼくのお米を、ぼくの手からみんなふきとばしてしまった代りに、気の毒だといってこれをぼくにくれたんです。
宿屋の亭主 お米をふきとばしたというのは?……
ブウツ 十日ぐらいまえです。——夕方、おかあさんにいわれて、その晩たべるお米をうらへ出しに行ったんです。——みると、もう、その晩たべるだけ、|一掴《つか》みしきゃあ入れものの中になかったんです。……
宿屋の亭主 …………(うなずく)
ブウツ だから、大切《だいじ》にそれを持って、台所の方へ来ようとすると、急にピューツと「北風」がふいて来たんです。1ぼく、飛ばされちゃあ大へんだと思って、両手でしっかり握っていたんです。……
宿屋の亭主 …………(うなずく)
ブウツ と、また、ピューッと、前よりも強くふいて来ました。——あっと思って、ぼく、よけようとするはずみに、うっかり手をゆるめてしまったんです。……
宿屋の亭主 …………
ブウツ (がっかりしたように)ふきとばされてしまったんです。——一粒も残らず……
宿屋の亭主 …………
ブウツ ぼく、すごすご、おかあさんのところへかえりました。ーおかあさんにあやまりました。ーおかあさんは、けど、叱りませんでした。iぼくのおかあさんはほんとうにいいおかあさんなんです。……
宿屋の亭主 でも、それっきりしかお米がなかったんではお困りでしたろう?
ブウツ おかあさんはお腹が一ぱいだから晩の御飯はいらないといいました。——そういって、ぼくには、明日《あした》の朝にとってあった牛乳をくれました。——(元気よく)それを飲んだら、ぼく、急に威勢がつきました。
宿屋の亭主 (つりこまれて)威勢が?……
ブウツ ええ、そうして、ぼくいいことを考えました。
宿屋の亭主 いいことを?……
ブウツ 「北風」は、つまり、ぼくたちの御飯を横取したんです。——だから、ぼく、「北風」のところへ行ってかけ合ったほうがいい。——かけ合ってかえしてもらったほうがいい——そう思いました。
宿屋の亭主 なるほど。
ブウツ すぐに、ぼく、出かけようと思ったんですけど、おかあさんが、今夜はいけない、明日《あした》の朝におしといったんです。 それからその晩は寝て、あくる日の朝、おてんとさまが出ると一しょにうちを出ました。1そうして「北風」のふいて来るほうへ/\と顔を向けてあるきました。
宿屋の亭主 そうして、到頭「北風」におあいに……
ブウツ 逢いました。——逢ってかけ合いました。……
宿屋の亭主 ……
ブウツ このテーブルかけさえあれば、もうおかあさんも、ぼくも、一生こまりません。——「北風」のおじいさんは、親切です。——ほんとうに親切です。
宿屋の亭主 家《うち》の楡《にれ》の木を吹き倒したのはあれは誰だ。1「北風」の奴じゃあなかったか?
宿屋のかみさん そうです、「北風」です。……
宿屋の亭主 よおし。-じゃあ、おれも、明日《あした》「北風」のところへ行ってやるぞ。
——そうして、おれも楡の木の代りに何かもらって来てやるぞ。(ト、一人言をいう)
ブウツ (喰べおわる)ああ甘《うま》かった。——お腹が一ぱいになった。…:
宿屋の亭主 もうおしまいでございますか?
ブウツ とてもそうは喰べきれません。——まだ沢山残っています。——あと、そっちへ持って行って喰べてくれませんか?
宿屋の亭主 御馳走していただけますか?
ブウツ どうぞ。——とても、それは、すてきですよ。
宿屋の亭主 じゃあ、遠慮なく御馳走になります。
 宿屋の亭主、かみさん、二人で、も一つのテーブルに皿をみんな運ぶ。
宿屋の亭主 このテーブルかけは?……
ブウツ ああ、それは、ぼくがしまいます。(亭主からうけとって大切《だいじ》にまたかくしのなかに入れる)——お腹が一ぱいになったら眠くなった。ー部屋へ連れて行ってくれませんか。——ぼくは随分くたびれているんです。
宿屋の亭主 (叱るように)何をぐずぐずしているんだ。——早くお部屋へおつれ申さないか。
宿屋のかみさん (急にそういわれてあわてて)は、はい。——いま、——ただいま。
宿屋の亭主 世界にまたとない宝を持っておいでになるんだ。——上等の——一番上等のお部屋へおつれ申せ。
宿屋のかみさん ええ。——ええ。……
 宿屋のかみさんをさきに、ブウツ退場。
 間。
 宿屋の亭主、テーブルのまえに腰を下ろ七、ブウツに貰った御馳走をおもむろに喰べはじめる。
宿屋の亭主 ……うまい。——なるほどすてきだ。——(夢中になって喰べる。——ふと手を休める)だが、不思議だ。——不思議なテーブルかけだ。——あれが、もし、おれのものだったらどうだろう?ーわれが、もし、あれを持っていたらどうだろう?……(考えこむ)
 間。——宿屋の亭主、急に立上る。——ひきだしのそばへ行っていろいろテーブルかけを出してみる。
 宿屋のかみさん、かえって来る。
宿屋の亭主 寝たか、お客は?
宿屋のかみさん ええ。
宿屋の亭主 ……よし。(うなずく)
(幕)

 

 その二
 ブウツの貧乏な住居。
 夕方。
 ブウツのおかあさん、一人でさびしく糸をつむいでいる。
 間。
ブウツ、入って来る。
ブウツ おかあさん……
ブウツのおかあさん まあ、ブウツ……
 二人、抱合ってよろこぶ。
ブウツのおかあさん (間)わたしは、まあ、どんなにお前のかえりを待ったか知れないよ。——今日はかえるか、明日《あした》はかえるかと、毎日わたしは、窓のそばにすわって、外ばかりみていたんだよ。——そうでもない、もしか、氷のなかに閉じこめられて、途中でかえれなくなったんじゃあないか?——雪の上に倒れてそのまんま埋《うずま》ってしまったんじゃああるまいか?ーわたしはどんなに心配したか知れないよ。——でも、そう思っても、いくらそう思って心配しても、わたしには探しに行くことが出来ないんだろう。(眼を拭く)——わたしはもう、どうしていいか分らなくなってしまったんだよ。——昨夜《ゆうべ》も、おとといの晩も、そのまえの晩も、わたしは、お前の夢ばかりみたんだよ。……
ブウツ おかあさん、御免なさい、御免なさい。——ぼく、もっと早くかえって来ようと思ったんですけれど、どうしても、ぼく、これよりも早くかえって来られなかったんです。ーこれでも、ぼく、一生けんめいに早くかえって来たんです。——ぼく、でも、随分心配しましたよ。——一人で、おかあさん、きっとさびしがっているだろう。——喰べるものがなくって、おかあさん、お腹が空きやあしないか?……
ブウツのおかあさん お前がいないもんだから、御近所の方たちが、代《かわ》り番《ぱん》こにいろんなものをもって来て下すった。——だから、わたしは、ちっともこまらなかった。——それよりも、お前は、知らないところへ一人で行ってお困りだったろう?——辛《つら》いことや悲しいことがいろいろおありだったろう?
ブウツ ええ、いろんなことがありました。——でも、ぼく、夢中でしたから……
ブウツのおかあさん そうして、うまく、「北風」に逢えたかい?
ブウツ (いさんで)逢えました。——おかあさん、逢えましたよ。……
ブウツのおかあさん (思わず喜んで)逢えたかい、まあ……
ブウツ ええ、逢えました。——逢えましたよ。……
ブウツのおかあさん そうして「北風」は何といいました?
ブウツ 気の毒だといいました。——うっかり気がつかずにやったんだといいまし
た。——そうして飛ばしたお米の代りにこれを——このテーブルかけをくれました。(かくしからテーブルかけを出す)
ブウツのおかあさん (不思議そうに)テーブルかけを?……
ブウツ ええ、テーブルかけ。i魔法のテーブルかけです、これ。……(ト、拡げてみせる)
ブウツのおかあさん 模様のあるテーブルかけだの、模様のないテーブルかけだのということはあるけれど、魔法のテーブルかけということは、おかあさん、まだ聞いたことがない。……
ブウツ でも、そうなんです。——それに違いないんです。——何か喰べたいとき、こうやって、これをテーブルの上にかけて、そうして、何でも喰べたいものの名まえさえいえば、ひとりでにすぐそれが出て来るんです。
ブウツのおかあさん そんなことが、お前に……
ブウツ 出来るんです。——ほんとうに出来るんです。——うそだと思ったら、おかあさん、いまやってみせて上げます。
ブウツのおかあさん ……
ブウツ そうだ。——すぐに、じゃあ、お夕飯にしましょう。——ぼく.、ほんとうをいうと、今朝っからまだ何にも喰べていないんです。——あんまり急いでなんにも喰べなかったんです。(ト、いいながらテーブルかけをテーブルの上にかける)——おかあさんは何がいいんです?
ブウツのおかあさん わたしは何でもいいよ。
ブウツ 何でもいいじゃあいけません。ー何でも好きなものをいったらいいんです。
ブウツのおかあさん でも、わたしには分らない。
ブウツ 腸詰はどうです。——おかあさん、ふだん、腸詰が好きじゃあありませんか?
ブウツのおかあさん ああ、わたし…… .
ブウツ 腸詰は、けど、煮たのがいいんですか? 焼いたのがいいんですか? 揚げたのがいいんですか?——それから馬鈴薯はいりますか?——いりませんか?……
ブウツのおかあさん 同じことなら、わたしは、揚げたのがいい。——馬鈴薯もあったほうがいい。
ブウツ じゃあそうします。iすぐに出します。揚げた腸詰を二人前。——馬鈴薯をつけて——(前の幕でやったようにやる。——が、どうしたのか前の幕のようにすぐ巧く出て来ない。——間をおいてもう一度やる)あったかい揚げたての腸詰を二人前。——馬鈴薯をつけて……
ブウツのおかあさん だめじゃあないか、お前……(わらう)
ブウツ いいえ、だめな事はないんです。——ちゃんと出て来るんです。(改めて、また)あったかい揚げたての腸詰を二人前。——馬鈴薯をつけて……(前よりも大きな声を出す)
 間。——やっぱり何にも出て来ない。
ブウツ (急に心配し出す)どうしたんだろう? どうしたというんだろう?(テーブルかけを取って、裏返してみたり、ふるってみたり、いろいろする)
ブウツのおかあさん お前、何か、間違えているんじゃあないのかい?
ブウツ いいえ、間違えているんじゃあありません。——間違えていやあしません。——昨夜《ゆうべ》は、宿屋で、ラビット・パイと、揚げた馬鈴薯と、塩胡桃と、ジャムの入ったプディングと、それからレモン水と、ちゃんとみんな出たんです。——昨夜出たものが今夜出ないことはありません。——どうしたんだろう?——どうしたっていうんだろう?
 ブウツ、うろうろする。——そのうち、ふと、何か思いついたことのあるように立ちどまる。——じっと考える。——テーブルかけを、また検《あらた》める。
ブウツ (急にさけぶ)違っている、違っている……
ブウツのおかあさん 違っている?……
ブウツ ええ、違っています。——いつのまにかテーブルかけが違ったものになっています。——にせものになっています。……
ブウツのおかあさん にせものに?……
ブウツ ゆ、ゆうべ、宿屋でとりかえられたんです。宿屋の奴がとったんです。——そうに違いありません。……
ブウツのおかあさん ……
ブウツぼく、行って、とり返して来ます。(出て行こうとする)
ブウツのおかあさん ブウツ、お待ち……
ブウツ すぐに、ーすぐにかえって来ます。
ブウツのおかあさん お前、証拠がありますか?
ブウツ 証拠?
ブウツのおかあさん 宿屋でとりかえられたというたしかなその証拠がありますか?
ブウツ でも、それに、たしかに違いないんですもの……
ブウツのおかあさん 違いないといってもそれだけではだめですよ。——もし、宿屋で知らないといったらどうします?
ブウツ 知らないわけはありません。
ブウツのおかあさん わけはなくっても先でそういったらどうします?
ブウツ そういったら……(こまる)
ブウツのおかあさん 何ともいえないでしょう?
ブウツ ……
プウツのおかあさん だから、お止しなさい。——ね、だめだからお止し……
ブウツー(間。——急に)おかあさんはうそだと思っているんでしょう?
ブウツのおかあさん うそだと?
ブウツ ええ《魔法のテーブルかけのことをうそだと思っているんでしょう?'
ブウツのおかあさん いいえ、そんなことはありませんよ。
プゥッ いいえ、そうです。——そうなんです。——それだからそんなことをいうんです。——惜しいとは思わないんです。……
ブウツのおかあさん ……
ブウツ ほんとうと思えばどうしたってとり返さなくちゃいけないと思います。——誰だってそう思わないものはないとおもいます。
ブウツのおかあさん じゃあ、こうおし。——(窓の外を見て)今日はもう日が暮れるから、明日《あした》におし。
ブウツ ……
ブウツのおかあさん 今夜ゆっくり寝て、明日におし。——ね、そうおし……
ブウツ …………(しぶしぶうなずく)
ブウツのおかあさん 御近所の方の持って来て下すったパンがまだ残っている。——それを、いま、持って来て上げるからお食べ。——ね、それを喰べて今夜は早くお休み……
ブウツ …………(うなずく)
 ブウツのおかあさん、パンをとりに退場。
 間。
 ブウツ、テーブルの上の紙片《かみきれ》に何か書残し、そつと、戸口から出て行く。
 間。
 ブウツのおかあさん、いろいろ持ってかえって来る。
ブウツのおかあさん ブウツや、お待遠。ーお腹がお空《す》きだろう。——これはおいしいパンですよ。——(ブウツのいないのを知らず、そうしたことをいいながら、いろいろのものを、そこに置き、それからあかりをつける。ーテーブルの上の紙片《かみきれ》をみつける。——おどろく)あ、ブウツは。——ブウツや、ブウツや、……(急に名まえを呼びながら戸口から出て行く)
 舞台にあかりの色だけ淋しく残る。——ブウツを呼ぶ声だんだん遠くなる。
(幕)

 

 

 その三
 雪と氷とに閉じられた寂しい野原。時間はいつか分らない。——が、夜でも夕方でもないだけはたしかである。ー風、たえずふく。
 ブウツ登場。
ブウツ・(風にさからいながら一生けんめいにあるく。——しきり強い風にふきつけられて思わずよろける。——帽子をふきとばされる。——やっとのこと拾ってほっと溜息をつく)ああひどい。——「北風」のおじいさんのそばへ来ると眼もあけられない。……(匍《は》うように今度は体をこごめてあるく).
 間。
 また一しきり強く風ふく。——ブウツ、たまらずそこへ四つんばいになる。——ぐたりと倒れる。
 「北風」登場。
「北風」 何だ?——何をしているんだ、そんなところに?
ブウツ 何にもしていやしません。——あ、あるけないんです。(苦しそうに息を切りながらいう)
「北風」 どうしてあるけない?——どこか体でもわるいのか?
ブウツ そ、そ、そうじゃありません。——そうじゃないんです。——おじいさんが、——おじいさんがあんまり……
「北風」 あんまりどうした?
ブウツ あんまり風をふかせるんで——あんまりふかせるんであるけないんです。
「北風」 いくじのない奴だな。じゃあ少しのあいだ止してやろう。(風、止む)さあ、いいだろう。
ブウツ おこして下さい。——手を引っ張って下さい。「北風」 厄介《やつかい》な奴だな。——そら。……(手を引っ張る)

ブウツ …………(立上る)
「北風」 (ブウツの顔をみて)お前は?
ブウツ ブウツです。
「北風」ブウツ?——お前は、ああ、この間おれがテーブルかけをやった子供じゃあないか。
ブウツ ええ、そうです。——あのブウツです。
「北風」 (…機嫌をわるくして)そのブウツが何しに来た?——まだ何か用があるのか?
ブウツ (いいわけなさそうに)ぼく。——ぼく、あれをなくしてしまったんです。
「北風」 何、なくした?
ブウツ ええ。
「北風」 どうしてなくした?——せっかくやったものを、お前は……(腹を立ててブウツの手をつかむ)
ブウツ (体をすくませる)いいえ、ぼく。——ぼく……
「北風」 返事をしろ、——どうしてなくしたか返事をしろ。——返事をしないと、貴様、そのまんま体を凍らしてしまうそ。
 「北風」のそういうかいわないに、雪、ちらちらとふって来る。
ブウツ いいえ、ぼく、自分でなくしたんじゃあないんです。——とられたんです。——宿屋でとられたんです。
「北風」 ええ、うそをつくな。
ブウツ うそじゃあありません、ほんとうです。——ほんとうにとられたんです。
「北風」 とられたという証拠があるか?……
フウツ あります。——あります。……
「北風」 あるならいってみろ。(手を離す。ー雪やむ)
ブウツ その宿屋じゃあ、このごろ、あのテーブルかけから毎日喰べるものを出しています。——ぼく、聞きました。——ちゃんと聞いて来ました。……
「北風」 それはどこの宿屋だ?——どこの何という宿屋だ?——すぐに行ってとり返して来てやる。
ブウツ いいえ、ぼくが行きます。——行くのはぼくが行きますから、とり返し方を教えて下さい。——どうやってとりかえしたらいいでしょう?
「北風」 お前はそれを聞きに来たのか?
ブウツ そうです。——そうなんです。……
「北風」 たしかにそうか?
ブウツ ぼく、うそはつきません。だましなんかしません。——(小さな声で)おかあさんはだましてしまったけれど。——おかあさん、ごめんなさい。 (宿屋の亭主の唄をうたう声がきこえる)おや?
「北風」何だ?
ブウツ 声が聞えます。——あいつです。——あいつの声です。……
「北風」 あいつとは誰だ?
ブウツ 宿屋です。——宿屋の亭主です。
「北風」 宿屋の?
ブウツ ええ、そうです。——きっとあなたに逢いに来たんです。——知らない顔であなたに逢いに来たんです。
「北風」 よし、お前はそこにかくれていろ。
 ブウツ、かくれる。
 間。
 宿屋の亭主登場。——雪、また、ちらちらふって来る。
宿屋の亭主 さあ吹け、いくらでも吹け。——ふれ、いくらでもふれ。——いくら吹いて来ようと、ふって来ようと、そんなことにビクともするようなおれさまじゃあないぞ。(風、一しきり強くふく。i宿屋の亭主、あぶなくよろける)おっと、と、と。——あぶない。——これはあんまり威張れないそ。——(「北風」、黙って宿屋の亭主のまえに立つ。ギョッとしたがわざと)何だ、お前は?
「北風」 おれだ。
宿屋の亭主 おれじゃあ分らない、名前をいえ。
「北風」 おれはここのぬしだ。
宿屋の亭主 ここのぬし?
「北風」 (命令するように)ここへ来るものは誰でもおれのいう通りになるんだ。——その氷の中をのぞいてみろ。
宿屋の亭主 氷の中?(のぞいてびっくりする)
「北風」 わるくおれにたてでもつけばみんなこの通りだ。——氷の木乃伊《みいら》またたくひまだ。
宿屋の亭主 (急に丁寧に)あ、あなたは?……
「北風」 おれは「北風」だ。
宿屋の亭主 北——?——わ、わたくしは、——わたくしはあなたにお目にかかりたくってここまでまいったのでございます。——(一人言のように)でも、ああ、お目にかかれてよかった。……
「北風」 ……
宿屋の亭主 わたくし、あなたに、お願いがあるのでございます。——ぜひ聞いていただきたいのでございます……
「北風」 ……
宿屋の亭主 わたくしは、町で、十年ももう宿屋をしております至っての正直ものでございますが、実は。1実はその、ーわたくしのところに、その、楡《にれ》の木があったのでございます。……
「北風」 ……
宿屋の亭主 その楡《にれ》の木を、1その楡の木をあなたがおふき倒しになったのでございます。——いえ、それを——それを何もとやかく申すではございませんが、もう一つ、その、わたくしどもの門の戸を片っ方おふき倒しになりました。——いえ、それも、わたくしどもで、両方閉めて置きましたのが悪かったのでございますが……
「北風」 ……
宿屋の亭主 それと、もう一つ、わたくしどもで大切《たいせつ》にしておりました、——わたくしどもで一番いい牝牛《めうし》を、——何がお気に障ったか知りませんが、その牝牛を、へえ、あなたはおふき飛ばしになりました。——いえ、しかし、仕合せと遠くへは行かず、隣のうちの牧場《まきば》に無事でおりました。——これはひとえに神さまのおめぐみと思っております。
「北風」 それがどうした?
宿屋の亭主 (キョトンと)へえ。
「北風」 だからどうだというんだ?
宿屋の亭主 へえ、その、——でございますから、その……
「北風」 ……
宿屋の亭主 弁償して、その——いただきたいのでございますが——(どっと急に風にふきつけられてよろける。——あわてて)あなた、——それは、あなた——こんなにしずかにお話しているものを……
「北風」 ……
宿屋の亭主 枯れてしまったんです。——楡《にれ》の木は枯れてしまったんです。……
「北風」 (風をやます)枯れたらまた植えるがいい。
宿屋の亭主 そうは行きません。
「北風」 なぜ行かない?
宿屋の亭主 なぜといって……
「北風」 これをやるから持って行け。(宿屋の主人のまえに棒っ切を投げ出す)
宿屋の亭主 これは?
「北風」 楡の木だ。——まえに楡の木のあったところへ植えるがいい、それを。
宿屋の亭主 (不足らしく)こんな棒っ切を?
「北風」 いやなら止せ。
宿屋の亭主 い、いいえ、結構でございます。
「北風」 よければ持って早くかえれ。
宿屋の亭主 かえります。——かえりますが、しかし……
「北風」 ええ、早くかえれ。
 風、強くふく。——宿屋の亭主、あっという間もなく、くるくるとまわりながら退場。——かえります、かえります、と、あわてていう声をあとに残して……
「北風」 子供、出て来い。(ブウツ、出て来る)みろ、あれを……
ブウツ (不平らしく)どうしてあんな奴に楡の木を弁償してやったんです?
「北風」 あれはただの棒っ切だ。
ブウツ ただの?……
「北風」 あいつの持っている分にはそうだ。ーーなぜなら、あいつはあの魔法の棒のつかい方を知らない。……
ブウツ 魔、魔法の棒なんですか、あれ?
「北風」 お前にそのつかい方を教えてやる。…あの棒にむかって"横になれ1"ーー
ただそう命令すればいいのだ。1そうすれば、直ぐ、その通りになる。……
ブウツ その通りに?
「北風」 その通り横になる。i横に寝るんだ、それが。……
ブウツ (腑《ふ》に落ちないように)横に?……
「北風」 早く行け。——行けば分る。……
 風、強く吹き出す。ブウツ、そこにひれ伏すっ
 雪、はげしくふって来る。
 「北風」その雪の中に消える。——しばらくして、ブウツ、立上る。——「北風」のすがたがみえないので、そのまま退場。
(幕)

 

 

 その四
 宿屋。——舞台"その一"に同じ。
 午後。
宿屋の亭主、かみさんに「北風」からもらって来た魔法の棒をみせている。
宿屋の亭主 一寸《ちよつと》みちゃあただの棒っ切としかみえないだろう?
宿屋のかみさん そうですわね。
宿屋の亭主 これを、まえの、楡《にれ》の木の植わってたところへ植えるんだ。そうするとたちまちこれが楡の木になるんだ。——もとのようなあの楡の木になるんだ。……
宿屋のかみさん ……
宿屋の亭主 うちの庭に、また、もとのような青々した楡の木が植わろうとは、とてもお前なんぞ、想像もしなかったろう?
宿屋のかみさん しませんでしたわ。
宿屋の亭主 しないのがあたりまえだ。——おれだってしなかった。
宿屋のかみさん でも、ほんとうにそれが?……
宿屋の亭主 楡の木になるかというんだろう?
宿屋のかみさん ええ。
宿屋の亭主 お前はあの(声を小さくして)テーブルかけのことをなぜ思わない?——あのテーブルかけだって、ただみた分には、あんな不思議な働きをしようとはとても思えないじゃあないか。——うちにある、外の、あたりまえのテーブルかけとちっとも違ったところがないじゃあないか?
宿屋のかみさん ……
宿屋の亭主 ともにあの「北風」のくれたものだ。どんな不思議をみせるか分ったもんじゃあない。——おれは、それよりも、急にまた楡《にれ》の木が生《は》えて、牛の奴がびっくりしなければいいとそれを心配しているんだ。
宿屋のかみさん 牛がびっくりして、そのために、お乳でも出なくなったら大へんです。——うちの暮しの半分は牛乳でもっているんですからね。
宿屋の亭主 いいよ、いいよ。——そんなことがあったら「北風」のところへ行ってまた文句をつけてやる——そうすればまた何かよこす。——あの「北風」の奴はこつちから呶鳴《どな》って行くにかぎる。おとなしくしていたらキリがない。——さあ、一つ、植えて来るかな。(立上る)いやいや、そのまえにまず腹をこしらえよう。——何をするにも腹がすいてちゃあだめだ。(魔法の棒を置いてかけ時計のそばへ行く。——そのなかにかくしてあるブウツのテーブルかけを出して、もとのところへかえる)大丈夫か? 誰も来ないか?
宿屋のかみさん (戸口のところへ行って外をみる。——戸を閉めて)誰も来ません。
宿屋の亭主 よし。——(テーブルかけをテーブルの上に拡げる。——威張って椅子にかけて)ビールとチーズ。——(テーブルの上にビールとチーズ出る。——いまさらのように感心して)不思議だよ。——そういっても不思議だよ。——(宿屋のかみさんに)そう思わないか、お前?……
宿屋のかみさん 思いますわ。
 宿屋の亭主、食事をはじめる。途端に入口の戸が叩かれる。——宿屋の亭主、びっくりして椅子からとび上る。——いそいでテーブルかけをとってどこかへかくそうとする。いい智慧《ちえ》が出ないで、結句、自分のかくしのなかへ押しこむ。——(そのまえにもとのように時計のなかへかくそうとすると、ちょうどそのとき時計が時間をうち出すのであわてるなど可笑《おか》しみあり)iその間に宿屋のかみさん、ビールの瓶《びん》とチーズの皿を両手に持ってまごまごする。
 間。
 戸、あく。——ブウツ、入って来る。
ブウツ ごめんなさい。
宿屋の亭主 だ、だまって人のうちへ入って来るという法がありますか?
ブウツ だまってじゃあありません。いくら呼んでもあなたのほうで返事をしないだけです。——(宿屋のかみさんの恰好《かつこう》をみて)ああ、御飯を喰べていたんですか。
宿屋のかみさん (あわてて)いいえ、いいえ。——もうすんだんです。……(手に持った瓶《びん》と皿のやり場にこまる)
ブウツ (宿屋の亭主に)ぼくです。——このあいだの晩とまった、ぼく——(そういいかけて)おぼえているでしょう、おじさん?
宿屋の亭主 いいや。(いそいで横を向く)
ブウツ 覚えていませんか?
宿屋の亭主 毎日大ぜいの客ですからね。
ブウツ (すりかえられた"その二"のテーブルかけを出して、宿屋のかみさんにみせる)おばさん、これ知っているでしょう?
宿屋のかみさん ああ、それは……
宿屋の亭主 (いそいでそばから)知らない。——そんなテーブルかけ、うちじゃあ知らない。(かみさんに)気をつけて口をきくもんだ。(怖い眼をして叱る)
宿屋のかみさん …………(おどろいて黙る)
ブウツ ぼくはおじさんに聞いてやあしない。
宿屋の亭主 聞いても聞かなくってもうちのじゃあない。——そんなテーブルかけ、どこにだってあるテーブルかけだ。……
ブウツ ……
宿屋の亭主 が、もしそれを知っているといったらお前どうするんだ?——うちのなら、お前、どうするというんだ?
ブウツ ぼくのと違っているからとりかえてくれというんです。
宿屋の亭主 何?
ブウツ ぼくの魔法のテーブルかけを返してくれというんです。
宿屋の亭主 魔法のテーブルかけ?(大きな声で急にわらって)何をいっているんだ、この才蔵《さいぞう》は。——ねぼけるのもいい加減にしろ。iこんなものに構っているひまに、そうだ、早くおれは楡《にれ》の木を植えてしまおう……
 宿屋の亭主、ごまかして魔法の棒を取り上げ、いそいでそのまま庭のほうへ行こうとする。
ブウツ・(大きな声で)横になれ!
 ブウツがそういうと同時に雷の落ちるような音きこえる。ー宿屋の亭主、わっといって倒れる。——そのまま魔法の棒に押えつけられて動くことが出来ない。──宿屋のかみさんおどろいてそばへ駈《か》けよる。
宿屋のかみさん ど、どうしたんです。——どうしたんです?……
宿屋の亭主 た、た、たすけてくれ。——たすけてくれ。……
宿屋のかみさん ど、ど、どうしたんです。——ど、どうしたんです?
宿屋の亭主 死、死ぬ。——死ぬ。——く、くるしい……
 宿屋のかみさん、一生けんめいに魔法の棒を持ちあげようとする。——動かばこそ。……
宿屋の亭主 死、死ぬ。——死ぬ。……
宿屋のかみさん 待って下さい。——待、待って下さい……
宿屋の亭主 だ、だめだ、——だめだ。……
宿屋のかみさん いけません。——いけません、いけません。……
 ブウツ、そのさまをおどろいたように、また、感心したように、ぼんやりキョトンとみて立つ。——宿屋のかみさん、そのまえに来てまた、一生けんめいに今度はたのむ。
宿屋のかみさん お助け下さい、どうかお助け下さい……
ブウツ おばさん、あなたはいい人です。あなたの御亭主は悪い人だけれど、あなたは正直ないい人です。——だから、ぼく、魔法のテーブルかけさえ返してくれれば助けてあげます。——あなたに免じて助けてあげます。
宿屋のかみさん ほんとうですか? ほんとうに助けて下さいますか?
ブウツ ぼく、うそはつきません。
宿屋の亭主 (苦しそうに)か、か、返す。——出してくれ。——か、かくしに入っているから出してくれ。
 宿屋のかみさん、それを聞くとすぐそばへ行って、かくしから魔法のテーブルかけを出す。——うやうやしくそれをブウツのまえに持ってくる。
ブウツ (大きな声で)止まれ! もういい、止まれ!
 魔法の棒、何のこともなく宿屋の亭主を離れてころがる。——宿屋の亭主、夢のさめたようにぼんやり起き上がる。
宿屋の亭主 どうしたというんだ、おれは?……
宿屋のかみさん さあ、お礼を。——早くお礼をおっしゃい。お礼を……
宿屋の亭主 何の?……
宿屋のかみさん 死ぬのを助けていただいた…
宿屋の亭主 死ぬのを?……(自分で体をさわってみたりそこら中みまわしたりする)
 ふと、そこにころがっている魔法の棒に眼を触れて、ぞっとしたように身をすくめる。
ブウツ おじさん、ぼくはこれさえ返してもらえば、これでもういいんですよ。(亭主に魔法のテーブルかけをみせる)
宿屋の亭主 ああ、それ……(思わず手を出す)
ブウツ (出したその手の上へ、すりかえられたほうのテーブルかけを抛《ほう》る)返します、それは。——あなたんだから……
宿屋の亭主 …………(グニャリとなる)
ブウツ (宿屋のかみさんに)おばさん、ぼくもうかえります。——きっと、おかあさん、お腹をすかして待っていると思いますから。——さようなら。……(出て行く)
(幕)

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