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三好達治「朔太郎詩の一面」

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amizako

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  山に登る
   旅よりある女に贈る
 山の頂上にきれいな草むらがある、
 その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
 眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
 いちめんにひろびうとした海の景色のやうにおもはれた。
 空には風がながれてゐる、
 おれは小石をひろつて口にあてながら、
 どこといふあてもなしに、
 ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

 おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。
          『月に吠える」


「山に登る」は右のような主題のはっきりとした作品であるが、この作品の主格は最初の第二行目に於て「わたしたちは……」と複数であったのが、いつのほどにか「おれは小石をひろつて」と変化し、最後の一行でもまた「おれはいまでも……」という具合になっている。最初の「わたしたちは」草の上に寝ころんでいたのであるが、「おれ」の方はしぜんにその位置を離れて、「小石をひろつて口にあてながら」「山の頂上をあるいてゐた」ことになっている。この作品ではもちろん正当らしい主格は「おれ」であろう  と考えられるが、それでは最初の「おれたち」でもないところの[わたしたち」は何をさし示すことになるのであろう。恐らくは作者のうかつな手落ちが前後どこかにかくれているのではあるまいか。山上に登ったのは「わたしたち」数人のピクニックか何かであって、そのうち「おれ」は草の上で雑談をするそのグループからこっそりひとり抜けだした  というのであろうか。そういう具合にこじつけることにすると、そのこと自身がたいへん理窟ぽくてこの詩のどこかノンシャランな具合の呼吸とは、事情の奥底で恐らく矛盾するであろう。そんな風には解しがたいのである。それではその辺のところはどうでもいいことにしてそっとしておくのが素直なこの詩の正しいうけとり方であろうか。結論はどうもそういうことになりそうであるが、それもやはり読者にとっては何かしら気がかりでなくはない。読詩に於てあながち正確をのみつきとめようとするのは到らぬ読み方であろうが、この際は作者の側にも何かしら手落ちに似たものがありそうである。しかしながらそういう一種の誤謬《こびゆう》をふくんでいるのは、この詩のような比較的単純な場合に限らず、少しく誇張をしていえば萩原さんの作品全体到るところにのべつにばら撒《ま》かれている、それがまた一種の魅力であるところからいえば彼特有のレトリックの一端でもあるところの、甚だ奇異な特徴であるかも知れない。この特徴に就て少しく考えてみよう。

 その前に断っておくが、『月に吠える」初版本(大正六年)に於ては冒頭引例作品の最後の一行は、「おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのである。」となっている。同じ一行は昭和三年第一書房刊『萩原朔太郎詩集』に於ては「おれはいまでも お前のことを思つてゐるのだ。」と改訂されている。句点一を省き、語尾を改めたのである。(私の引例は仮りに語尾のみを改めておいた。作意の上からこの方がよさそうだから  。)なお第一書房版に於ては、『月に吠える』旧作より句点五個を省き、他に句点一を読点一に改めている。即ち作者は前作にこれだけの手を加えることをしたにも拘《かかわ》らず、例の「わたしたち」は依然そのままにしておかれたのを知るのである。作者自身としてはこの点に凡《およ》そ問題を感じなかったのであろう。
 またたとえば「さびしい人格」と題する作の冒頭は次の如くである。
 さびしい人格が私の友を呼ぶ、
 わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
 ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
 なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
 遠い公園のしつかな噴水の音をきいて居よう、
 しつかに、しつかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
 母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
 母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、
              以下略
   ──『月に吠える』

「遠い公園のしつかな噴水の音」はどうも遠方からは聴きとれそうもない景物かと思われるのを、「ここの古い椅子に腰をかけて」「きいて居よう」と文法的にはともかく連続する形である、iこの空聞の位置どりは実は少し変てこなのである。古椅子の位置をここでは基点としているから、そこからしめやかな噴水の声を聴いていようというのなら、「遠い公園」は、実はその古椅子がその裡《うち》に据えられているところの緑地か何ぞでなければならない、とまず我々の常識はこの際考えるであろう。「遠い公園」の遠いはだからこの際錯覚ないしは幻覚に近い措辞であって、もう一度いいかえれば、「遠い公園のしつかな噴水」  到底聴きとれそうもないいわば一つの観念を、ここでは「きいて居よう」ということにもなるであろう。いずれにするも、この場合の「空間」は、この「遠い」に関する限り、「空間」としてはひとまず無視されている形である。
 それからもう一つ──
「母にも父にも知らない孤児の心を……」は、当然「母にも父にも知られない孤児の心……」でなければならないだろう。恐らくは脱字であろうかと考えられる読者も少くはあるまい。しかしながらここに仮りに脱字を補ってみると、どうにもその正確に明晰《めいせき》な具合と、追加された一音の何かしら字余り気味によけいな舌触りとが、明らかに朔太郎調の基調の自然なすべり具合を損うこともまた事実である、  と私は考える。第一書房版に於ては、旧作の句読点仮名つかいを改めることが全篇数十箇所であるにも拘らず、やはりこの箇所は旧作のままになっている。私にはそれを作者及び校訂者の見落しとは、先の理由と併せてどうも考え難いのである。動詞の能動形と受動形とは、この作者に於て他にも屡々《しばしば》混用されている場合を見るから、私の考えは私にはいっそう動かし難く感ぜられる。しかしながらそうはいっても、この際の混用は、誤用といえば誤用には相違ないのであって、それを正当づける理由はない。ここでは全く作者の文法的「論理」の無視を指摘せざるを得ない。私はそれを指摘しておきたかったのである。
 人称の単数複数、空間の位置づけ、或は文法的論理の無視等は、この種の混用誤用|曖昧《あいまい》要するに一種の誤謬は、右の引例に見るようなのはほんのその一斑《いつぱん》であって、私は特にその指摘に容易な場合をとって指摘を試みたまでである。指摘をするとなると容易にけじめのつけ難い程度の軽度の(或は複雑にこんがらがった)その種の用法ゆきかたは、この作者の全作品の全頁にさまざまの形態ニュアンスでゆき渡っているといっても殆んど過言ではあるまい。萩原さんの詩風を一般に所謂《いわゆる》象徴的に特徴づけているものは即ち、「地面の底の病気の顔」や屋根の上で「おわあ今晩は」と挨拶をする気味の悪い黒猫などのあのイメージとともに、要するに一種の誤謬を孕《はら》みつつそれを活用することに成功したその周辺のこのゆきかたであった。このゆきかたは彼の最初期の作品から最終期のものにまで一貫した有力な彼の手法であって、この手法の確立された時に彼の詩法は既に(或はようやく)確立されたといっても過言ではない位に私には思われる。「愛憐詩篇」の「再会」という作はこの間の消息を明らかに語っているかの如くに見える。
  再会
 皿にはをどる肉さかな
 春夏すぎて
 きみが手に銀のふおうくはおもからむ。
 ああ秋ふかみ
 なめいしにこほろぎ鳴き
 ええてるは玻璃をやぶれど
 再会のくちづけかたく凍りて
 ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。
 みよあめつちにみつがねながれ
 しめやかに皿はすべりて
 み手にやさしく腕輪はつされしが
 真珠ちりこぼれ
 ともしび風にぬれて
 このにほふ鋪石《しきいし》はしろがねのうれひにめざめむ。
「春夏すぎて」は一行おいて直ちに「ああ秋ふかみ」と飛躍し、「銀のふおうく」を操る室内風景がいつのほどにか「ふんすゐはみ空のすみにかすかなり」と屋外らしくなり、更に「みよあめつちに」とその空間がひろびうとする、かと思うと「皿はすべりて」「ともしび風にぬれ」る室内風景に再びそれは引もどされて収束する。僅々《きんきん》十余行ばかりの間のこの出入はまことにあわただしい。ここでは時間も空間も二つながら通常基本的な約束を振すてて、ただ連続交替するイメージばかりが自由にそれら自身の時間と空間とをくり拡げる。かくの如く最も基本的な我々の約束すべてがさっぱりと無視され置換えられたところに、(「再会」は大正初年の頃の作で、当時はシュール・レアリズムなどというものは、まだフランスに於てさえ唱え出されていなかった、)いわばこの作品ぜんたいの背景の奥に、萩原さんの持出したこのようなイロジスムこそ、彼の作品一般の象徴性の秘密をつつんだものであって、それに較べると、たとえば「なめいしにこほろぎ鳴き」も「ええてるは玻璃をやぶれど」も、ないしは「あめつちにみつがねながれ」「しろがねのうれひにめざめむ」の如きも、それらの通常いわれる象徴的語句は、すべては前景に、舞台のそこここに陳列された小道具の類にすぎない観さえある。「再会」は彼のイロジスムを発揮した点では曲ハ型的な一章で、彼がこの作風に達した初期の、いわば腕だめしの如き作でもあっただろう。
 そうしてその作風はまた『月に吠える」『青猫』と転々する間に、種々の要素を加えつつ幅広く成長したが、彼の最初のイロジスムはそれぞれの時期に持越され、後の「郷土望景詩」にも、ないしは最後の詩集『氷島」にさえも、殆んど彼の常套手段《じようとうしゆだん》として持続された。たとえば「郷土望景詩」中の「小出新道」は、固有名詞を題名にとった点からも明らかなように、作者の郷土の風物を比較的レアールに、即事実的に歌いあげた作であるが、そこにもなお彼のその手法は活用発揮されているのを見るのである。

  小出新道
 ここに道路の新開せるは
 直《ちよく》として市街に通ずるならん。
 われこの新道の交路に立てど
 さびしき四方《よも》の地平をきはめず
 暗鬱《あんうつ》なる日かな
 天日家並の軒に低くして
 林の雑木まばらに伐られたり。
 いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
 われの叛きて行かざる道に
 新しき樹木みな伐られたり。


「直として市街に通ずるならん」は、すべてこの環境が作者にとって郷里の熟地である以上、このように不案内らしく推定を試みる形式を仮るのは実はおかしいのである。要するに作者一流のイロジスムがそこにも発揮されたものといわなければなるまい。そうしてまた最後の一行、「新しき樹木みな伐られたり」も、論理の通らぬ句法である。「新しき樹木……」は、伐採された雑木の木口の、なお生々しく眼を射るように傷ましいさまをいうのであろう。たしかにそうとはうけとられるが、これを直ちに「新しき樹木」云々《うんぬん》というのは、単に語位顛倒《てんとう》という以上に、明らかに論理上の飛躍を含んでいるのを見落すわけにはゆくまい。
 以上すべて、  要するに一種の誤謬《こびゆう》、誤謬をまきこんだところのゆきかた、と私の先に要約し指摘したものすべてを、私はここではその詩的効果の上からいささかも非難の意をこめて数えあげる者ではない。それはもう断るまでもあるまい。ここでは価値に就てはしばらく措《お》き、ただその呼吸と手法とを考えてみようとしたのである。ともあれ萩原さんの詩法の、所謂《いわゆる》その象徴的手法には、以上に列挙したような幻惑、イロジスムの魔術がひそんでいた。それは時間と空間と、時には人称や主格をことさら瞹昧《あいまい》にし、倒錯し、抹消し、措辞の一種の手品から、(  それはたしかに手品であった、以下は比喩《ひゆ》ではなく、萩原さんがまた実際に奇術や手品を愛し、自らもまたその初歩的な手先の技術を練習したことなどが、ここではからずも私には思い出される、)読者をひとまず彼の詩中に於てはぐらかす、そういう仕組みにもなっているのを見るのである。その意図と仕組みとは、しかしながら概《おおむ》ね彼のポエジイの核心からいうと、その周辺に於てであり、そのとっつきに於てであり、そのあいの手に於てであった。要するにその背景的装飾要素に於て、彼の手法は最も幻惑的であり、奇術的であり、何かしらそれもまたそういっていいであろう意味に於て象徴的であった。そうしてその仕掛けの範囲の外では、それに引かえこれはまた最も単純素朴な直叙体が、彼のポエジイのしんそこの核心そのものをあっさりと打明ける構造にもなっていた。
  おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。
といい、
  いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
 というの類である。彼にはこの直叙体が、彼自身及び読者にとって常住的外界、日常性一般をいっさい擺落《はいらく》した上の一つの場所に於て、そこに於てのみはじめて発声されることが必要であった。いわば彼には、彼の外なる世界一般の否定が、彼の素朴なリリカル・クライ(叙情的叫び)の位置づけとして、まず最初に手続き上必要であった。それは彼の思惟のいっさいがっさいの総計が命ずるところの至上命令としてとりわけそうであった。
 萩原さんの、実は単純な抒情詩に、何がなし、思想的蔭翳《いんえい》の深いものが感ぜられるのは、彼に於けるその至上命令の深さと確かさの微妙な幽深な、  その霊活な作用の結果であろう。

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