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長谷川時雨「市川九女八」


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市川九女八
 若い女が、キヤッと声を立てて、バタバタと、草履《ぞうり》を蹴《け》とばして、楽屋の入口の問へ駈《か》けこんだが、身を縮めて壁にくっついていると、
 「どうしたんだ、見っともねえ。」
 部屋のあるじは苦《にがにが》々しげにいった。渋い、透《とお》った声だ。
 奈落の暗闇《くらやみ》で、男に抱きつかれたといったら、も一度|此処《ここ》でも、肝《きも》を冷されるほど叱《しか》られるにきまっているから、弟子《でし》娘は乳房《ちぶさ》を抱《かか》えて、息を殺している。
 「しようがねえ奴らだな。じてえ、お前たちが、ばかな真似《まね》をされるように、呆《ぽん》やりしてる
からだ。」
 舞台と平時《ふだん》との区別もなく白く塗りたてて、芸に色気が出ないで、ただの時は、いやに色っぽい、女役者の悪いところだけ真似るのを嫌《いや》 がっている九女八《くめはち》は、銀のべの煙管《キセル》をおいて、鏡台へむかったが、小むずかしい顔をしている渋而が鏡に写ったので、ふと、口をつぐん だ。
 七十になる彼女は、中幕《なかまく》の所作事《しよさごと》「浅妻船《あさづまぶね》」の若い女に扮《ふん》そうとしているところだった。
 「お師匠さん、ごめんなすって下さい。華紅《かこう》さんが、他《よそ》のお弟子さんと間違えられたのですよ。」
 「静《しい》ちゃん、その娘《こ》に、ばかな目に逢わないように、言いきかせておくれよ。」
 九女八は、襟白粉《えりおしろい》の刷毛《はけ》を、手伝いに来てくれた、鏡のなかにうつる静枝にいった。根岸の家にも一緒にいる内弟子の静枝は、他のものとちがって並々の器量《うつわ》でないことを知っているの
で、
 「静《しい》ちゃん、あすこの引抜きを、今日は巧《うま》くやっておくれ。引きぬきなんざ、一度覚えれば
コツはおんなじだ。自分が演《や》るときもそうだよ。」
 静枝は――後に藤蔭《とういん》流の家元《いえもと》となるだけに、身にしみて年をとった師匠の舞台の世話を見ている。
 名人と呼ばれ、女団十郎と呼ばれ、九代目市川団十郎の、たった一入の女弟子で、九女八という名をもらっている師匠が、歌舞伎座のような大舞台を踏まず に、この立派な芸を、小芝居《こしばい》や、素人《しろうと》まじりの改良文士劇や、女役者の一座の中で衰えさせてしまうのかと、その人の芸が惜《おし》 くって、静枝は思わず涙ぐんだ。
 鏡へうつる眼のなかのうるみを、見られまいとしてうつむくとたんに、九女八づきの狂言|方《かた》、藤台助《ふじだいすけ》が入口の暖簾《のれん》を頭でわけてぬっと室《ヘヘへや》へはいって来た。
 「どうしたんだ、叱られでもしたのか。」
 そういうのへ、九女入は審《いぶか》しそうに顔を向けた。静枝へいっているのではないと思ったからだった。
 「ははア、からかったのはお前さんか。」
 九女八は、若い女《もの》へ調戯《からかい》たがる台助のくせを知っているので、口へは出さないが、腹の中でそう思っている。
 「師匠、この次興行、浅草へ出てくれないかというのだが  」
 静枝は、台助の顔を、睨《にら》むつもりではなかったが、そう見えるほど厳しく下から見上げた。
今もいま、師匠のかけがえのない好《い》い芸を、心の中で惜んでいたのに、このお爺《じい》さんは見世《みせ》ものの中へ出すのか――と思ったからだ。
 「なんだ。二人とも、妙な面《つら》あするんだな。」
 座頭《ざがしら》へむかって、仮にも、狂言方が、そんな、いけぞんざいな言葉がいえるはずはないのだが、台助は九女八の夫で、しかも、九女八に惚《ほ》 れ込んで、大問屋の旦那が、家も子も女房も捨て、小芝居の楽屋へ転《ころ》がり込んだという、前身が贔屓《ひいき》筋ではあるし、今も守住《もりずみ》さ んで通ってい
る亭主だったのだ。
 「考えておきましょうよ。」
 女房の九女八は、女|団洲《だんしゆう》で通る素帳面《すちようめん》な、楽屋でも家庭《うち》でも、芸一方の、言葉つきは男のようだが、気質のさっぱりした、書や画をよくした、教養のある人柄だった。
 馴《な》れてるとはいいながら、九女八の扮装は手早かった。水刷毛《みずばけ》をすると、眉《まゆ》は墨をチョンと打って指で引っぱる。唇《くちびる》の紅は、ちょいとつけて墨をさして、すッと吸っておくばかりだ。
 それでもう、生《いきいき》々した娘の顔になっている。子供のときから、御狂言師で叩《たた》き込んでいるので踊のおさらいのような、けばけばしい鏡台 前ではなかった。筆・は一本|兎《うさぎ》の足が一ツという簡素さだ。お茶とかき餅《もち》がすきなので、それだけは、いつも傍《かたわ》らにある。
 「桂《かつら》がさきへ帰るからね、晩御飯に、さんま食べるって  浅漬《あさづけ》もとっといておくれ。」
 湯呑《ゆの》みど手鏡を持って、舞台裏まで附いてゆく静枝にいいつけた。
 根岸の家《うち》は茶座敷などもあって、庭一ぱいの鷺草《さぎそう》が、夏のはじめには水のように這《は》う、青い庭へ、白い小花を飛ばしていた。
 そんな日の午前《あさ》、紫の竜紋《りゆうもん》の袷《あわせ》の被衣《ひふ》を脱いで、茶筌《ちやせん》のさきをニツに割っただけの、鬘下地《かつら したじ》に結《ゆ》った、面長《おもなが》な、下ぶくれの、品の好い彼女は、好い恰好《かつこう》をした、高い鼻をうつむけて、そのころ趣味をもった、サ ビタや、メションや琥珀《こはく》のパイプを、並べて磨いている。
 養女の菊子に、台助が、意味をもった眼つかいをして、何か小用を、甘ッたるく言いつけているのを後にきいて、軽く眉をひそめていたが、台助が外出した気配にホッとしたようで、
 「静枝さんは、依田《よだ》先生のところへいったかい。」
 「ええ、丁度、今帰りました。坂本の栄泉堂《おかの》へお菓子を買いにいったら、帰りが一緒になりましたの。」
と、内弟子の華代子《かよこ》が、餅菓子を好い陶器《やきもの》の鉢《はち》へ入れて持って来ていった。
 二人の内弟子のうち、華代子は他のものにはきらわれたが気に入りなので、師匠の小間使いをしている。静枝には海老茶袴《えびちやばかま》をはかせて玄関番をさせ、神田小川町の依田|百川《ひやくせん》――学海《がくかい》翁のところへ漢学をならわせにやるのだった。
 「女役者だって、学問があって、絵が描けなければだめだよ。」
 彼女も、用がなければ、サビタのパイプを弄《いじ》る前には、絵筆を捻《ひね》っているのだった。
 けれど彼女に、守住|月華《げつか》という雅号のような名があるのは、絵を描くためではなくって、明治十一年ごろからはじまった、演劇改良会の流れで、 演劇改良論者の仲間であった学海が、明治廿四年浅草公園裏の吾妻《あづま》座(後の宮戸座)で、伊井蓉峰《いいようほう》をはじめ男女合同学生演劇済美館 の旗上げをした時、芳町《よしちよう》の芸妓|米八《よねはち》には千歳米波《ちとせよねは》と名乗らせた時分だったか、もすこし後《あと》で、川上貞奴 《さだやつこ》を援助《たすけ》に出た時だかに、彼女にも守住の本姓に月華という名を与えたのだった。
 岩井|粂八《くあはち》といった時分の弟子には、紀久八《きくはち》たちがあるが、月華になってからは、かつらとか、名古屋の源氏節から来た女にも、華紅《かこう》とか、華代子とかいう名をつけた。新しい弟子の静枝も、学海|居士《こじ》が名づけたのだった。
 彼女は、好物な甘いもので、苦《にが》いお茶を飲んで、閑《しず》かな日が、気持ちよげだった。
 「こんやは一ツ、静《しい》ちゃんに『舌出し三番』でも教えるか。」
といったが、古い日のことを思出したのであろう、お前の踊の師匠だった、おとねさんは、しどいよ、と言った。
 おとねさんという名をきくと、静枝は故郷の新潟《にいがた》の花柳界《さかりば》を思いだした。静枝の踊の師匠は、市川の名取りで、九代目団十郎の妹のお成《なる》さんいう浅草|聖天町《しょうてんちよう》にいた人の弟子だった。
 「そういえば、お師匠さんが新潟へお出《いで》になった時、あたしはまだ小《ち》っぼけでした。お揃《そろ》いの浴衣《ゆかた》を着て、川蒸気船の着く、万代《ばんだい》橋の川っぱたまで、お迎えに出ていましたっけ。」
 「うん、そんなこともあったっけね。」
 九女八は凝《じつ》と、庭の鷺草を見つめた。
 新潟の花街《さかりば》で名うての、庄内屋の養女だった静枝までが、船着き場へ迎いに並んだほど、九女八の乗り込みは人気があったのだが、それも、会津 屋《あいつや》おあいといった芸妓が、市川流の踊りの師匠で、市川とねと名のっていたから、同門の誼《よし》みで、華々しく迎えたのだった。
 土地の顔役で、江戸生れのお爺さん、江《え》・戸鮨《どずし》の孫娘に生れた静枝は、直江津《なおえつ》までしか汽車のなかった時分の、偉い女役者が乗 込んで来た日の幼かった自分の事も、あの、日本海の荒海から流れ込んでくる、万代橋の下の水の色とともに目にうかべ、思い出していた。
 「出しものは道成寺《どうじようじ》だ。勧進帳《かんじんちよう》を出したのは、興行師《ざかた》らから、断わりきれない頼みだったんだ。そのこたあ、おとねだって知ってたのに。」
 それがもとで、市川|升之丞《ますのじよう》の名を取り上げられ、九代目団十郎から破門され、また暑井粂八の名にかえって、暫《しばら》く蟄伏《ちつぶく》しなければならなかった、嫌な思出と、若かった日のことなども、それからそれへと、九女八も思いうかべている。
 「お師匠さんは、新潟へ入らしった時から、九女八だったとばっかり思ってました。あたし、ちいさい時でしたから。」
 「市川升之丞さ。」
 九女八は、莨《タバコ》の脂《やに》の流れた筋が、飴《あめ》色に透通《すきとお》るようになった、琥珀《こはく》のパイプを透《すか》して眺めて、
 「あたしは、一番はじめの、踊の名取りが阪東桂八《ばんどうけいはち》さ。それから、女役者になって暑井粂八、それから市川升之丞、守住月華、市川九女八さ。」
 随分とりかえたものさねと、自分のことではないような、淡々としたふうにいって、
 「だが、師匠運は、ばかに好いのさ。阪東|三津江《みつえ》というお狂言師は、永木《えいき》三津五郎という名人の弟子で、まあ、ちょっとない名人だ よ、高名なものさ。岩井半四郎は、大杜若《だいとじやく》と呼ばれた人の孫だったかで、好い容貌《きりよう》の女形《おやま》だった。けれど、なんといっ たって、市川宗家《つきじ》ほどの役者の、門弟《でし》になったなあ、あたしの名誉さ。」
 ほんとに、団十郎の芸には心酔している言いぶりだった。
 「好い先生といえば、ねえ、お師匠さん、依田先生が、和歌も学んだ方が好いから、竹柏園《ちくはくえん》
に通ったらどうだと仰しやって、入門のことを話しといてあげると仰しゃいました。」
 「そりゃあ豪儀だな。」
 ふくみ笑いを、ほんとに笑ってしまって、
 「学問は上達しても、踊が、あれじやあなってねえな。お前《めえ》たちのは、踊ってるんじゃなく
て、畳を嘗《な》めてるんだ。」
 機嫌の好い皮肉だった。
 「あっしゃ全体、神田の豊島町《としまちよう》で生れたんだけれど、牛込《うしごめ》の赤城下《あかぎした》に住んでたのさ。お父さんはお組役人ー幕末 《あのころ》の小役人《こやくにん》なんざ貧乏だよ。赤城神社《あかぎさま》の境内《なか》に阪東三江入ってお踊の師匠さんがあってね、赤城さまへ遊びに ゆくと、三江八さんのところの格子《こうし》につかまって覗《のぞ》いてばかりいたのさ。」
 呼びこまれて踊ってみると、見覚えで踊れた。それから親には内密《ないしよ》で教えてくれたのだが、お母さんが肩を入れだして、どうかお父さんに許され るようにと、何かの祝事《いわいごと》のあった時、父親やその仲間のいるところで本式に踊らして見せたので、その後、直に父親を歿《なく》なしてからも、 十三、四から踊りの手ほどきをして、母親と二人で暮していけたのだがと、めずらしく身の上ぱなしをしだした。
 「お文《ぶん》さんという、常磐津《ときわず》の地で、地弾《じび》きをしてくれる人が、あたしを可愛がってね。小石川|伝通院《でんづういん》にいた、高名な三津江師匠のところへ連れてってくれたのだが芸は怖《こわ》い。」
と彼女はふとい息を吐いた。
 「それまで、あたしが踊ってたのは、手ふりさ、踊りなんかじやないのさ。それから、本当の踊りをしこまれた。」
 「そういえばお師匠さん、高橋お伝をおやんなさったことがあるでしょ。」
 「ああ、たしか明治十七年ごろだった。」
 「いいえ、もっとあとで、見た人が、お伝になった、お師匠《しよ》さんの扮装《おつくり》を見て、お師匠《しよ》さんの若い時分ー年増《としま》ぶりを見た気がしたって、言ってました。」
 「あッしゃあ、あんなじゃなかったよ。」
 苦りきったかげが唇をかすめたが、湯呑《ゆのみ》の銀の蓋《ふた》をとって、お茶を飲んでしまった。
 「もつとも、あの着附《きつけ》は、あの時分の年増の気のきいた好みさ。だが、あッしばかりじゃない。全体、あの『綴合於伝仮名書《とじあわせおでんの かながき》』というのは、いつだったかねえ、お伝の所刑《しょけい》は九年ごろだったからi十一、二年ごろに菊五郎《こだいめ》が河竹黙阿弥《かわたけも くあみ》さんに書下《かきおろ》してもらって、そうそう裁判所のところが大詰《おおづめ》に出るので、大道具|長谷《かん》川|勘兵《べい》衛さんと、裁 判所まで行ったんだよ。なんでも、その時の話に、おでんという女《ひと》は伝法《でんぽう》な毒婦じゃなくって、野暮《やぼ》な、克明な女だから、そうい うふうに演《や》るっていったことだがーーそうかも知れないね。お伝は、上州沼田というところの御家老の落し種で、利根《とね》の方の農家《おひやくしよ う》のところで生れたのだそうだから。」
 「でも、お師匠《しよ》さん、すこし根下りの大丸髷《おおまるまげ》に、水色|鹿《が》の子《こ》の手柄で、鼈甲《べつこう》の櫛《くし》が眼に残って いますってー黒っぽい透綾《すきゃ》の着物に、腹合せの帯、襟裏《えりうら》も水浅黄《みずあさぎ》でしたってね。そうだ、帯上げもおなじ色だったので、 大粒な、珊瑚珠《さんごじゆ》の金簪《きんかんざし》が眼についたって。」
 朝、目が覚めて、蚊帳《かや》から出た時に、薄暗い庭の植込みに、大輪な紫陽花《あじさい》の花を見出すと、その時の九女八のおでんが浮ぴあがるといっ たことや、それは、浅草|蔵前《くらま・尺》の宿で、病夫浪之助を殺して表へ出た時の着附《きつけ》だったか、捕《つか》まる時のだか、そんなことはも う、、朧《おぽろ》げになってしまっているといってたのを、はなした。
 「お師匠さんは、あんな役、厭《きら》いなんでしょ。」
 「まあね、いって見れば、あたしは、女団洲と呼ばれたくらいだし、自分でも、団十郎《くだいめ》のす
ることの方が好きだからー1わかりもしないくせに、高尚ぶってるといわれたりした。けれど、もともとお狂言師は、生世話物《きぜわもの》をやらなかったからねえ。それが癖になってて、新世話物《ざんぎり》に行けなかったのかも知れない。」
 ーけど、おかしいわ、ちっとー
 そうそう、新入門の、とし子さんならば、そうハキハキと問えるかもしれない、と考えながら、静枝は、
 「でも~それでも、お師匠《しよ》さんは、もつと新らしい、警生芝居にもお出なすったのでしょう。」
 九女八は、理窟《りくつ》を言う、静枝のみずみずした丸い顔を見て、
 「あたしは、こんな、小さな柄《がら》だけれど、毛剃《けそり》だの、熊谷《くまがい》の陣屋だの、あんなものが好き。山姥《やまうば》なんぞも団十郎 のいきで、彫刻《ヘへほりもの》のように刻《ほ》りあげてゆきたい方だが、野田安《のだやす》さんて、松駒連《まつこまれん》の幹事さんで芝居に夢中な人 が、川上さんのお貞さんを助けて出うと、なんといってもきかないのでね、芸は修業だから出もしたし、それに文士方の新史劇の方は、ー史劇は団十郎《ししよ う》も気を入れていたのだもの。」
 彼女はふと気を代えていった。
 「お前さんも、あんな、抱えの芸妓衆《げいしやしゆう》や、娼妓《おいらん》が、何十人いるうちの、踊舞台だって、あんな大きなのがある、庄内屋さんの 家督《あととり》娘に貰《もら》われてて、よくよく芸が好きなればこそ、家を飛出してあたしんとこなんぞの、内弟子になってるんだから、よく覚えてくれな けりゃあ、しようがない。」
 そら、お談議になったと、静枝がかしこまって、閉口《へいこう》しかけているところへ、
 「今日《きよう》、お髪《ぐし》、お染めになりますか。」
と、風呂《ふろ》の支度をする女中がききに来たので、静枝は、やれ助かったとホッとした。

       二

 1降り出した雨。
 ト、舞台は車軸を流すような豪雨となり、折から山中の夕暗《ゆうやみ》、だんまり模様よろしくあって引っぱり、九女八役《くめはちやく》は、花道|七三 《しちさん》に菰《こも》をかぶって丸くなる。それぞれの見得《みえ》、幕引くと、九女八起上り合方《あいかた》よろしくあって、揚幕《あげまく》へ入 るー
 蚊のなくように、何時《いつ》、どこで、なんの役でかの、狂言本読みの、立《たて》作者が読んできかす、ある役の引っこみの個処《ところ》が、頭の奥の 方で、その当時聴いた声のままで繰返してきこえる。それについて、その役の、引っ込みの足どりまで、九女八は眼の前の、庭の雨を眺めながら、考えるともな く考えているのだった。
 Ilはて、この役は、女だったかな、男だったかな――
 ながい舞台生活は、華やかなようでも、演《や》る役は、普通生活とおなじで、そうそう他種類はない。自分についた持役《もちやく》は大概きまっていて、 柄にない役はもってこないのだが、どうしたことか、今考えている役がなんだか、九女八には思いだせない、それに、なんでも思い出さなければならないことで もない。と、そう思うかげに、ながい間役者をしたが、とうとう、団十郎《ししよう》と一つ舞台に並べなかったという、何時も悲しむさびしさが、心の奥を去 来していた。
 「あたしは、考えかたが、間違ってた。」
 九女八は、鷺草の、白い花がポツポツと咲き残るのへ降る雨が、庭面《にわも》を、真っ青に見せて、もやもやと、青い影が漂うようなのに、凝《きつ》と心をひかれながら、呟《っぶや》いた。
 「なにがよ。」
 芸者や、役者の配り手拭《てぬぐい》の、柄の.好いのげかりで拵《こしら》えた手拭浴衣を着て、八反《はつたん》の平《ひら》ぐけを前でしめて、寝ころんだまま、耳にかんぜよりを突ッこんでいた台助が、腑《ふ》におちない顔をした。
 「なんてってー」
 九女入は、まだ、素足《すあし》の引っこみの足どりの幻影《かげ》を、庭の、雨足のなかに追いながら、
 「成田屋《ししよう》のうちの庭は、あすこらあたりに、大きな、低い、捨石があったっけがー!」
と、自分でも思いがけない、話の本筋とは違うことを、ふいと、口に浮び出したままいった。
 「お歿《なく》なんなすってからも、居間《おへや》の前の庭は、当時そのままだから――」
 九女入は、一木一石といったふうの団十郎《ししよう》の家《うち》の庭に、鷺草が、今日も、この雨に、しつとりと濡《ぬ》れているだろう風情《ふぜい》を、思うのだった。
 台助は、なんとなく顔をあげて、庭もせから、部屋の中を見廻した。其処《そこ》には、自分の趣味なんぞ半|欠《か》けらもなかった。九女八の好みであ り、それは、彼女が私淑した成田屋《くだいめ》好みである、書画、骨董《こつとう》、それら、人格に深みを添えるたしなみが、女役者の住居《すまい》とは 思わせなかった。
 「高田先生(早苗《さなえ》)は、あたしを女のままで、女役にして、団十郎《ししよう》の相手を演《や》らせてくださろうとなさったのだったと、はじめてi-始めて、わたしは気がついた。」
 九女八の唇は細かくふるえている。ちらりと、それを、台助は見ないのではないが、
 「今更おそいーか。おくれたりだなあ。」
 同情しながら、わざというのかもしれないが、おひゃらかしたふうにもとれた。が、九女八はそれにはかまわず、
 「師匠の芸の神髄を掴《つか》んだ、と思ったのは真似《まね》だけだったのかi師匠は、女団洲なんて、嫌《いや》だったろうなあ。」
 「だってお前《めえ》、団十郎《なりたや》だって、高田さんにそういったってじゃねえか、九女八《あれ》が男だと、対手《あいて》にして好い役者だっ てーだから、お前が、女に生れたってことが、師匠《くだいめ》といっしょに演《や》れなかったということなんで、生れかわらなきゃ、頭から駄目だったの だ。」
 「そうじゃありませんよ、静枝やとし子さんの考えを見ても、川上さんや、依田先生たちの
ことを思い出しても、あたしは、毛剃《けぞり》や、弁慶が巧《うま》かったのがいけなかった。」
 「高田先生は、そのつもりだったのかも知れないが、宗家《そうけ》はそうじゃなかろうぜ。」
 「あたしを女優ー女形《おやま》として、相手にはしなかったろうとですか?」
 「そうじゃないか、彼女《あれ》は立派な役者《もの》だ。男だったら、俺《おれ》の相手だがと、だから、高田先生《せんせい》に言ったんだ。」
 「いいえ。」
 九女八はしみじみとして、
 「あたしがねえ、小芝居ばかりに出ていたので、どうかして、あれを止《や》めねえものかと仰しやってたそうだからi-ー」
 緞帳《どんちよう》芝居ー小芝居へ落ちていた役者《もの》は、大劇揚出身者で、名題役者《なだいやくしや》でも、帰り新参となって三階の相中部屋《あい ちゆうべや》に入れこみで鏡台を並べさせ、相中並の役を与え、慥《たし》か三揚処ほど謹慎しなければ、もとの位置にはもどさない仕来《しきた》りがある、 階級的な差別の厳しいのが芝居道だった。
 九女八は、下谷《したや》佐竹ッ原《ばら》の浄るり座や、麻布森元《あざぶもりもと》の関盛座《かんせいざ》を廻り、四谷《よつや》の桐座《きりざ》 や、本所《ほんじよ》の寿座が出来て、格の好い中劇場へ出るようになるかと思うと、また、神田の三崎町《みさきちよう》の三崎座に女役者の座頭《ざがし ら》になってしまったりする。その上に、勧進帳のことで破門されたりして、九代目に芸を認めてもらえながら、引上げてもらう機運をはずしたのだと、もう、 どうにもしようのない侘《わび》しさを、噛《か》んでいる。
 「二銭団洲だって、歌舞伎座を踏んだのにな。」
 台助は、はずみで、そんなことを言ってしまってから、しまったと思った。九女八が苦《にが》い顔をしたからだった。二銭団洲とは、下谷の柳盛座《りゆう せいざ》で、二銭の木戸銭で見せていた、阪東又三郎が、めっかちではあるが団十郎を真似て、一生の望みが叶《かな》って、歌舞伎座の夏休みのあきを借りて 乗り出したことがあったのを、いかもの食いの見物が、つねつね噂《うわさ》に聞いた二銭団洲を見にいった。出しものは「酒井の太鼓」だったが、あとで座付 き役者から物議が起ったことがあったりした、九女八にはいやな、ききたくないことなのだ。
 「仕方がないよ、あたしは、はじめっから小芝居へ出てたものね。女役者なんて、あたしたちから出来たのだもの。」
 九女八は、老《おい》ても色の白い、柔らかい足を出している、台助の足の小指に触《さわ》って見た。
 台助は、艶《つやつや》々とした、額から抜け上っている頭の禿《はげ》かたも、柔和な、品の悪くない、いかにも以前《もと》は大問屋の旦那であったとい うふうな、鷹揚《おうよう》さと、のんびりした耳朶《みみたぶ》とを持っている、どこか好色そうな老爺《としより》だった。
 「大阪の千日前《せんにちまえ》へ芦辺倶楽部《あしベクラブ》というのが出来るそうで、師匠が出てくれるならば、月額千円は出すというのだそうだ。」
 九女八は、考え、考え、台助の小指をいじりながら、
 「見世物小屋ではないでしょうかねえ。でも、お金が溜《たま》れば、も一度、何か、やって見る事も出来るでしょうから――」
 「一年十ニケ月、頭から約束しようというのだがーー痛《いて》えよう。」
と、台助は足をひっこめた。
 「そりゃそうと、繁《しげ》の井《い》を久しくやらないね。」
 「染分手綱《そめわけたづな》ですかil繁の井をすると、思い出すものね。」
 弟子分《でしぶん》だった沢村紀久八《さわむらきくはち》が、お乳《ぢ》の人《ひと》繁の井をしていて、じねんじょの三吉との子別れに、あんまりよく似ている身の上につまされ、役と自分とのわけめがつかなくなって、舞台で気の狂ってしまったことを思い出すからだった。
 しかも、その、女役者紀久八は小説にもなり狂言にもなっている。佐藤|紅緑《こうろく》氏の「侠艶録《きようえんろく》」の力枝《りきえ》という女役者 は、舞台で気の狂った紀久八がモデルであった。小栗風葉《おぐりふうよう》だったかのに、鬘下地《かつらしたじ》」というのがある。
 「紀久八は舞台で気狂いになったが  あたしは舞台で死ねれば本望だ。なあに、小芝居だって見世物小屋だって、お客さまはみんな眼玉をもってらつしやる。どんな人が見てくださつてるかわかりゃしない。」
 「じゃあ、まあ、とにかく、大阪の方の話は、出来そうな工合に、返事をしといてもいいね。」
 ーこれは、もちっと後《あと》のことで、九女八はこの大阪から帰ってから後、大正二年の七月に、浅草公園の活動|劇場《しばい》みくに座で、一日三回興 業に、山姥《やまうば》や保名《やすな》を踊り、楽屋で衣裳《いしよう》を脱こうとしかけて卒倒し、そのままになってしまったのだった。大阪で溜《ため》 て来た金は、九女八が、何か計画して考えていたことには用いられず、終焉《しゆうえん》の用意となってしまったのだが、台助は、そんな予感がしたのかどう か、ふいと、仕かけていたその談話を打ち切って、
 「俺は、ちょいとその事で、出かけてくる。」
と着更《きがえ》をしかけたところへ、静枝が名刺を読みながら来て、
 「お師匠さんの芸談を聴きに来た、演芸の方の記者《かた》らしいのですよ。談話《はなし》といてくだすった方が好いと思いますから、お逢いになってくださいな。」
と、婉曲《えんきよく》に、この名人の真相を残させたい、弟子の心やりですすめた。
 「じゃあ、茶室へでもお通ししといておくんなさい。」
と九女八が言っているうちに、台助は玄関で、来訪者と摺《す》れちがいに、傘をさして、門の外へ出ていった。
 「おや、お出かけですか。」
と、台助に声をかけたのは、通りかかった芝居道に通じている、芸人の間を歩き廻る顔の広い男だった。その男は、九女八の家《うち》の門口で、顔馴染《かおなじみ》の台助に逢うと、いま聞いてきたばかりの、煙《けむ》の出るような噂がしたくてたまらなくなったように、
 「そういえば、御存じだろうが、あっしあ、あ今聞いたばかりのホヤホヤなんだ。話は古いことだが、お宅の師匠は、以前《もと》、堀越《まりこし》から、なんという名をおもらいなすってた。」
 「升之丞ですよ。」
 「そうだってねえ、守住さん。それについちゃあ、面白い話があるんだ、何時《いつ》、九女八とおなんなすった。」
 「さあ、たしか、新富町《しんとみちよう》の市川左団次《たかしまや》さんが、謝《わび》に連れてってくだすって、帰参《きさん》が叶《かな》ったんですがーありゃあ、廿七、八年ごろだったかな。」
 「そこなんだよ守住さん、御勘気に触れて破門された時に、師範状を取上げに行ったのは、
談州楼燕枝《だんしゆうろうえんし》(落語家《はなしか》)だったってね。それがね、宗家《そうけ》へおさめねえうちに、その師範状をなくしちゃったんだ とさ、すっかり忘れてると、急に帰参が叶ったので、奴《やつこ》さん弱ったのなんのって、でね、九代目の女弟子で、もとが岩井粂八だから、粂の字を九 《く》の字と女《め》の字にした方がいいって、こじつけちゃったんだそうだが-i滑稽《こつけい》さね。」
 「へえ、そんなことがありましたんですかねえ。」
 台助は、傘を打つ雨を見上げた。上層《そこ》は晴れているのか、うす鼠《ねずみ》色の雲からこぼれてくる雨は白く光っている。
 「ねえ、お前さん、この雨の工合は、九《う》女|八《ち》の芸のようなー地震加藤とか光秀《みつひで》をやる時のi底光りがしてるじゃねえか。木下尚江 《きのしたしようこう》さんという先生は、日本にすぐれた女性が三人ある、畏《おそ》れ多いが神功《じんぐう》皇后様を始め奉り、紫式部、それから九女八 だと仰しやったそうだが――」
と、たいして親しくもない男へも言いかけたい気がした。
 家《うち》では九女八が、訪問者へ、こんなふうな懐古談をしているときだった。
 「母が再縁いたしますと、養父が自儘《じまま》な町|住居《ずまい》をしているような、道楽者の武家でして、私は十六の年、小石川水道町で踊の師匠をは じめました。ええ、私がごく小さい時分に、両国におででこ芝居がございましたのと、妥女《うねめ》が原《はら》に小三《こさん》という三人姉妹の芝居があ り、も一つ、鈴之助というのがあっただけで、これらは葭簀張《よしずば》りの小屋でございますから、まあ私どもが、芝居小屋でやりました女役者のはじめの ようなものでi初開場? 薩摩座《さつまざ》の出勤には、政岡と仁木。その次が由良之助でございました。」
 語りさして、彼女もふと、白い雨のこぼれてくる、空を見上げていた。

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