相模守北条時頼の母は松下禅尼といった。ある時時頼を請待《しようだい》されることがあったが、その準備に、煤けた紙障子の破れたところばかりを、禅尼は手ずから小刀で切張りをしておられた。禅尼の兄の秋田|城介《じようのすけ》義景が、その日の接待役になって来ていたが、その仕事はこちらへ任せていただいて何の某にさせましょう。そういうことの上手な者ですからと言ったところが禅尼はその男の細工だってわたしよりは上手なはずはありますまいよと答えて、やはり一問ずつ張っておられたので、義景がみな一度に張りかえたほうがずっと面倒くさくないでしょう。斑《まだら》に見えるのも不体裁でしょうしと重ねて言ったので、尼は、わたしも後にはさっぱりと張り代えようとは思っていますが、今日だけはわざとこうしておきたいのです。物は破れたところだけ修繕して使用するものであると若い人に見習わせ、心得させるためですと言われた。誠に結構なことであった。世を治める道は倹約を根本にしなければならない。禅尼は女性ながらに聖人の心を体得していた。天下を治めるほどの人を子に持つだけに凡人ではなかったと聞いている。
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