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菊池寛「弁財天の使」


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弁財天の使
 江戸初期の寛永年間、人の心が、まだおだやかで素朴であった頃の話である。
 本郷四丁目の丁度加賀様の赤門前に住んでいた住吉屋藤兵衛は、この界隈《かいわい》切っての豪商であった。
 当主の藤兵衛は、六十を越していたが品《い》のよい好《こうこう》々|爺《や》で、永年加賀様にお出入りをしていた。
 加賀からお伴をして来た町人の一人で、名字《みようじ》帯刀までお許しになっていたが、加賀様へお出入りをする時以外、刀など帯びたことがない。もうとっくに隠居すべきなのだが、男の子が二十になったばかりなので、まだ家業を見ていたが、仕事は大抵番頭まかせであった。
 藩地と江戸の間の通信金融に当る飛脚問屋であったから、店間口はそんなに大きくはなかったが、店の裏手にある住居は立派で間数も多く、庭は一丁四方もあり、深い水を湛《たた》えた池があつた。
 池の汀《みぎわ》に添うて、五ツ戸前の蔵が並んで、白い壁を池水にうつしていた。店の出入口とは別に、門もついていた。
 藤兵衛は、豪商の当主として、茶の湯謡曲などの、多少の趣味はあったが、それも凝ると云うほどではなかった。
 たゞ藤兵衛に変ったことがあるとすれば、若い時から弁財天のたいへんな信者であると云うことだ。
 だから、その庭の池には、不忍池の弁財天になぞらえた小さいお社が作ってある。そのお社に毎朝お参りするばかりでなく、十日に一度位の割で、不忍池の弁財天にもお参りした。
 年に一度は、妻女や子供達を連れて、江の島の弁財天にお参りした。当時では三日四口、少しゆっくりすると、五日位の旅行である。
 弁財天に対する信仰は、商人《あきんど》として普通であるが、藤兵衛の場合は、父祖三代に渡っている。その頃の不忍池の弁財天の社は、先代の藤兵衛が建立寄進したものである。
 その頃の不忍池は、竣工《しゆんこう》したばかりの上野寛永寺の外苑のようなもので、お成道寄りの岸には、料理屋や水茶屋が並んで、江戸町人達の遊園地 であった。現在と同じように、蓮《はす》の花が季節ごとに美しく咲いていたが、今と違って蘆荻《うてき》が生い茂っていて、もしこのまま捨てゝ置いたら、 名所の蓮までが、根絶《ねだや》しになるのではあるまいかと思われた。
 第一、風致の上から云っても、よくなかった。将軍が、寛永寺へお成りの時にも、目ざわりになるだろうと云うので、蘆荻を根絶しにするために、一度池を浚 《さら》おうと云うことに、寺社奉行が決定していた。そして、池に近い下谷本郷の町人達に対し、合力の人夫を出すよう、人夫一人に対し一日米五合|宛《ず つ》下さる上、池の魚類は手取り勝手次第と云うお触れであった。
 元来、釣魚禁止の池であるだけに、鯉、ふな、なまず、うなぎなどが一杯いた。米五合よりも、この方が人々の興味をそゝった。人夫に出ると云う希望の者が、町年寄の所へ毎日のように届け出た。
 池の水量が一番少くなる七月一日から始められることになっていた。
 六月の十口頃、藤兵衛は丁稚《でつち》一人連れて、不忍池の弁財天へお参りしたが、中途でこのお触れの立札を見て、すっかりゆううつ《、、、、》になっ てしまった。池の蘆荻が刈りとられることは、彼も賛成だったが、そのために彼にとっては、聖地である池が踏み荒され、しかも池に住んでいるうろくずまで が、根絶しにされると云うことは、神慮の程も怖しいと思った。いつも水面の此処彼処《ここかしこ》に、小波が立ったり、水音がしたりするほど、魚が多かっ た。三尺ばかりの緋鯉が水面近く浮んでいるのを見たこともいく度もあった。亀もすっぽんなども沢山いた。
(みんな弁財天の御けん族だ。それをとりつくしてしまうとは……)
 と、彼は思った。なぜ上野の御|門主《もんず》から寺社奉行に御注意がないのだろうかと思うと、彼はくやしいような気がした。
 その夜のことである。商家の常として、大抵亥の刻には、床につくのである。彼が、丁度寝衣に着換えようとしている時に、店の方を隠退して、奥の方の取締をしている吉兵衛と云う老番頭が、寝室へはいって来た。顔色が、尋常でないので、
「どうした?」
 と、藤兵衛の方から声をかけた。
「御来客でございぎす。」
 声が少しふるえている。
「こんなに遅く、何方《どなた》様じゃ。」
「見知らない御女中様でございます。」
 いよノ丶面妖である。
「どちら様の……」
「何とも仰せられません。御主人にじき/丶に会ってからと、仰せられます。加賀様のお奥の方かとも思われます。お伴の方も、お籠衆の外は、お女中衆ばかりでございます」
「うゝむ。」
 夜中の客と云えば、親戚縁者以外は、よほどの入懇《じゆつこん》の人である。それも、大抵男子である。見知らない女性が、しかも深夜にと思うと、不思議でならなかった。しかし、女中ばかりだと云えば、強盗でないと云う安心はあった。
 加賀のお奥と云う番頭の想像も、一応うなずかれる。藤兵衛は、奥方にもお姫様にもお目通りしたことがある。内密の火急の用事で、わざ/丶お使者が立ったのかも知れない。
「とにかく、対客の問へお通し申して置け。またどんな事になるかも知れぬほどに、店の若い者を起して、万一に備えるように……」
 と、云った。
 藤兵衛は、相手がどんな高貴な人か分らぬと思ったので、紋服に着かえ、羽織袴をつけて対客の間へ出て行った。
 そして、上座に着いている女性を見たときに、彼はアッと思わず声が出ようとするのを危く制したほどだった。彼は、今までにこんな美しい女性を見たことがないほどだった。
 年は十八、九だろう。美しい目鼻立で、眉は、当時のならわし通り、青陽の霞の隙に、タ張月のいる有様を似せて美しく描かれている。髪は、おすべらかし で、ふさくと垂れている。紅梅の小袖に濃いみどり色のかいどりを着ている姿は、ろうたけて、まるで描いたようである。藤兵衛は、その美しさに打たれて思わ ず、平伏してしまった。
「これは、これはよくいらせられました。私が当家の主人藤兵衛でございます。」
 と、云った。
 すると、相手はニッコリ笑って、年の割には、しとやかで落ち着き払った声で、
「深夜を、おさわがせして、すみません。」
 と、云った。
「どちら様からの御使か、またどんな御用でございますか、仰せきけられますよう。」
 と、藤兵衛は、いよ/丶堅くなっていた。
「他聞をはゞかることでござりますゆえ、もう少し近うお寄り下さいませ。」
 と、相手は声をひそめて云った。藤兵衛は、二間ばかり進んだ。
 が、まだ、一間位離れていた。相手は、またえん然と笑って、
「今少し……」
 と、云った。
 藤兵衛は、また二、三尺すり寄った。相手は急に真剣な顔になったかと思うと、
「藤兵衛どの、妾《わたし》が、これから申し上ぐることは、妻子けん族にも御他言無用でござるぞ。御誓言下さいますか。」と、云った。
 藤兵衛は、再び平伏した。
「まことは、妾《わたし》不忍池に鎮座ある弁財天からの御使者でござる。妾が、人間であるか、何者かの化身《けしん》であるかは、貴殿御所存にお委せいた します。たゞ、妾が申しあぐることは、弁財天女の思召《おばしめし》であることを、ゆめお疑い遊ばしますな。思召の旨は、外の事ではございません。今度の 池浚いのことでございます。たとい、池が干上りましても、神変不思議の天女様の御身には、つゝがは御ざいません。たゞ、あの池を命のつなとして、生きて居 ります八万四千の御けん族のことを、思召されて、いたくお心を痛めて居られます。」
「御尤もで……」
 藤兵衛は、自分が心配していた通りであったので、尚更帰依の心をふかくした。
「ついては、貴殿のことでございます。父祖三代御信仰の御一家のことを、天女様にも、仇《あだ》やおろそかに思召されては居りません。まして、こうした御 危難の時には、一入《ひとしお》心頼みに思召されます。幸いのことに、お宅の池でございます。あの池のお社にも、天女様はいく度も、おこし遊ばして、池の ことは御存じでございます。不忍池の周囲十町の問に、あの池ほどの大きい池はございません。たといありましても、天女様をお祭りしてある社などは、ござい ません。ついては、この度の御危難から、御けん族どもをお救い遊ばす思召で、近々御けん族どもを、引きつれて、お宅のお池に当分の間おひき移りになること に、決定いたしました。」
「ほゝう。」
 藤兵衛は、有頂天であった。
「ついては、それについて打ち合わせがございます。その夜は、神変を以て、雨をおふらせになります。夜中、雨がふりましたら、その夜こそ、お引き移りの日 だと、お覚悟下さいませ。人目にふれることは、禁物でござりますゆえ、その夜は、日暮と共に家人をいましめて、戸外《そと》へお出しになってはなりませ ん。何しろ、八万四千の御けん族ゆえ、時ならぬ物音が、いたすでございましょうが、かまえて戸外へは、何人もお出しにならぬよう。それが天女様より貴殿へ の、御言葉でございます。くれぐれも御違背遊ばさぬように、妾よりもお願いいたします。天女様が、この邸内に鎮座ありましたならば、御家門の繁昌はどんな でございましょうか。おめでたいことが、次ぎノ丶に起るでございましょうが、万一御違背遊ばす……」と、云いかけたが、すぐ、
「御帰依ふかい貴殿のことゆえ、左様のことは、万一ございますまい。」
 そう云って、口をつぐんだ。
 藤兵衛にとっては、夢の中で、夢を見ているような、ありがたさであった。藤兵衛が控えさしていた女中達が酒肴《しゆこう》を運んで来たが、御使者は、それをふり向きもしないで、暇をつげると、帰って行った。
 藤兵衛は、その使者については、妻女にも、息子にも語らなかった。越えて、六月二十五日、夜に入ってから大タ立となった。藤兵衛は、家中を見廻って、今夜は戸外に出ぬよう、たといいかなる物音がしても、怪しんではならぬことをこんくと云い渡した。
 戌《いぬ》の刻を廻った頃から、雨は小降りとなったが、その頃から、池の水面に、水音がしきりにし出した。藤兵衛は、さては御けん族達が、飛び込むのだ と思って、随喜《ずいき》の涙をこぼしていた。時々、物を叩くような、物がこぼれるような音がした。藤兵衛は、天女の特別の恩寵にあずかる自分が、うれし くてたまらなかった。
 翌日は、晴天であった。藤兵衛は、奉公人達よりも早く起きて、池の渚《なぎさ》に出た。さぞかし池は一杯の魚類だと思っていた。が、澄んでいる水の中に は、鮒|一疋《いつぴき》泳いでいない。どこにも、水音一つしない。不思議に思って、池の周囲を見渡していると、五つ並んでいる土蔵の壁が、みんな外から 切られているのに気がついた。驚いて、家人を呼んで、検べて見ると、金銀を初め、めぼしい重宝は、跡形もなく盗み去られていた。
 

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