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菊池寛「偸盗伝」

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偸盗伝
 後鳥羽院のおん時、京都に大殿小殿と云う二人の強盗がいた。世に聞えた者共であった。後世で云う兄弟分であった。五、六年も、京都の町々を風の如く荒し 廻っていた。検非違使《けびいし》庁でも、いろく手を砕いたが、捕まらないのである。(検非違使庁と云うのは、今の警察署と裁判所とを兼ねていて、罪人を 逮捕もすれば裁判もしたのである。その長官を、別当と云って、中納言が之に当っている。第三位の役人を黎灘藤ど云って・楼とも云われた・今の警視位であ る。源義経は、検非違使尉であったのである。)
 ところが間もなく大殿が捕まった。が、一しょにいた小殿は身を以て逃れ去った。この後、一年位経ったが、ある時、高倉判官|章久《あきひさ》の許へ、一 人の男がやって来て云うのには、(自分は、貴君がたが、日頃年頃お探しになりながらまだ捕まえかねて居られる小殿と申す強盗である。)と名乗った。
 章久は、取次ぎでその口上をきいたが、容易に信じかねた。小殿とも云われる男が、自分で名乗って出るなどとは考えられなかったからである。それでその男を、座敷の庭へ通して、自分で対面して、
「お前はニセ者であろう。」と、云った。
 すると、その男は、
「いや、御不審は、尤《もつと》もである。しかし、罪のない人間が、強盗と名乗って、生命を捨てに出るでしょうか。」と云った。
 なるほどと思ったので、仔細をきくと、
「-私は、初は西国の方で海賊を致して居りました。東国では、山賊をして居りましたが、京都では強盗をやりました。が、そんな悪事を重ねて居りますと、毎 日の生活が、だんだん不安になって来ます。第一、夜も安々とねむれません。昼も、くつろげることがありません、誰と会っても、びくくして居なければなりま せん。こうなると、生きていることが苦痛です。一生、無事で過せるわけはなく、いつかはきっと捕まって、恥をさらし、悲しい目に会うのは定まっています。 それよりも、人の手にかゝらない内に、自分から名乗って、年頃の罪の報《むく》いを受けた方がよいと思って、参ったのでございます。」と云った。
 章久は、それをきくとあわれに思ったが、小殿を自分で捕縛しようとはしなかった。
「いや、自分はまだ役目は、辞退していないが、仕事の方はやっていないのだ。自分の邸内に在った牢もこわして、仏殿に作りなおした位である。だから、お前 が名乗って出るのなら、源判官康仲の所がよいであろう。あの男は、功名を立てようとして、バリ切っているから、お前が名乗って行けば喜ぶだろう。」
 と、云った。すると、小殿は、「それでは紹介状を書いて頂きとうございます。」と、云った。
「それは、やすき事である。」と、云って書いてやった。
 昔は、物事がすべて、のんびりとしていた。名乗って来た稀代の強盗を、その場で縄もかけず、紹介状を書いてやったわけである。
 小殿は、その文《ふみ》を持って、康仲の所へ名乗って出た。そして、章久に云った通りの事を云い、「もし、万一命をたすけて使って下さるのであったら、仲間の強盗共は一々に捕まえてお目にかけましょう。」
 と云った。すると康仲は、それは面白いと考えて命を助けて召し使うことにして、俸給を三十石くれた。むろん、年俸であろうが、一年三十石と云うのは、江戸時代の武士としても、中級の下であり、お目見得以上である。
 昔は、刑罰が非常に軽かったらしい。王朝時代の旧記などにも、死刑にせられたと云うことは殆ど書かれていない。小殿などは、相当人も殺しているだろう が、即座に許されて、巡査部長位になっている。尤も、検非違使庁の下役、つまり現代の巡査級の役人を、放免と云った。それは、放免した罪人を採用したから である。つまり小殿もこの放免になったわけである。
 小殿を召し使って見ると、いかにもかいがいしく、しかも忠実である。そして役に立つのである。それで康仲が当時の検非違使の別当であった徳大寺大納言に小殿のことを話すと、
「それは面白い。そんな男はきっと大事の用にも立つだろう。こちらへ廻してくれ、わしが使いたい。」
 と、云われた。それで、小殿は大納言の家来になったが、今度は侍に取り立てられて、三十石の上に五十石が増された。小殿は、たいへん欣《よろこ》んで、
「これだけ、頂いたら、一生安楽に過すことが出来ます。今は何の心配もありません。この御恩返しには、御殿に祗候《しこヤつ》している間は、御所の中はもとより、近辺にも、何一つ事件は起さない覚悟でございます。」
 と申し上げた。そして、一心に守護したので、夜中盗賊の心配などは、全くなかった。
 ところが、その頃有名な強盗の張本に真木島十郎と云う男がいた。検非違使庁で捕まえようとしてもなか/丶捕まらない。それで、判官康仲が小殿に、お前は 最初許してくれるならば、仲間の強盗を捕まえるのに協力すると云った。あの約束が本当なら、十郎を捕えさせてくれと、云った。小殿は承諾したが、さて云う のには、
「十郎は、なかくしたゝかな奴でございます。簡単に、からめ取ることは出来ません。屈強な男を三十人と、なにか立派な品物を一種かして頂きます。」
 と、云った。それではと云うので、鞍を一つと、人数を三十人つけてやった。小殿は、人数を連れて真木島(後槇島)へ向った。そして逃げ道二、.三カ所に 人数を配ってから、残りの人数に向って、「先ず、自分ではいって、相手に飛びかゝった時、声を揚げるから、その時続いてはいってくれ。」と、云った。
 日が暮れてから、十郎の家の門を、ぽとぽと叩いた。十郎が内から「たそ。」
 と、問うた。
「平六である。あけ給え。」
 と、小殿が答えた。昔は、新聞などないから、小殿が転向したことなどは、十郎には分っていなかったであろう。十郎は、何心なく身支度もしないで、門をあけた。、小殿は、持っていた鞍を出して、
「これを預っていたゞきたい。一寸、通りかかったのだが。」
 と、云った。
「どうした鞍だ。」
「昨タ、ばくちで取ったのだ。」
 と、云ってそのまゝ帰ろうとすると、
「久しぶりだ。はいれ、一杯のもう。」と十郎が云った。
 しめたと思って、小殿は中へはいった。見ると男は一人もいない。女が一人はいたが、酒の用意に奥へやった。二人ぎりなので、小殿は、正面から組みついて、
「えたりや、えたりや。」
 と大声を出したので、かねて待機していた人々が、ドッと押し入って、苦もなく十郎をからめ取った。
 十郎は、
「けしからぬ事をする。腹の黒い虫に食われた。」と、云って口惜しがった。即ち、康仲の家に連れて行くと、康仲は欣ぶこと限りなかった。これが、康仲の第一の高名になった。
 この小殿平六と云う男は、そんな兇暴な人間とは、見えなかった。することが、おだやかで、容貌も整っていた。そして、気がきいて使いよかったので、大納言でも、大切な者に覚召して、いろ/丶用事に使われていたのである。
 ある時、大納言家で、翌朝の十時前に、宇治布十反入用な事に気がついた。ところが、気がついたのが、夜の八時である。気がつくのが遅すぎたが、今更どう することも出来ないので、とにかく宇治へ使いをやることになった。それで、仲間の中の力の強い足早の男に代金を持たせて、護衛として小殿をつけてやること になった。
 ところが、小殿は竹で作った矢籠を背に負い、弓をかついでしかも足駄をはいて歩くのだが、この高名な足早の男が、それに遅れまいと汗だくになるのだ、ど うしても一しょに歩けないのである。七条河原に来た時、小殿はそれに気がついて云った。「お前の歩きようでは、到底急ぎの御用に間に合いそうもない。その 代金をこちらへよこせ。おれが、一人で行って布を持って来る。」
 が、その仲間は、小殿を疑うて、
「お前は、警護のためである。用を云いつかっているのは、自分だから、金をわたすわけには行かない。」
 と、云った。すると、小殿は打ち笑うて、
「おれが、金でも盗ると疑っているのか。金を盗ろうと思えば、お前一人位いたとて、何の妨げになろうか。子供のような事を云うものではない。どうにかして、間に合わせたいと思うから云うのである。」
 と云った。仲間も、なるほどと合点したので、代金を小殿に渡した。すると、小殿は、
「では、お前はこれから、御殿へ帰って、この由を申して置け。」と、云って自分一人で宇治へ行った。仲間が、徳大寺家へ帰り着いたのは十二時頃であった。 上役の人に、そのよしを云うと、上役も同輩も、それはよかったと云う人もあり、小殿を疑うて心配する者もあり、ガヤガヤ騒いでいる所へ、小殿が布を買って 帰って来た。一時を少し廻った頃だった。上下とも、驚いてしまった。まるで、鳥の飛ぶような早さであった。まるで、人の振舞とは覚えぬ位である。
 この小殿は、山を走り水に入りての振舞、凡夫の所為とは思われなかった。この男は、元は男山八幡の稚児で、ひちりき《、、、、》などを優に吹いていた が、所領の争論のことから、叔父を殺して、八幡を出奔して盗賊となったとの事である。だから徳大寺家でも内々の会合などには、小殿にひちりき《、、、、》 を吹かせられたこともあった。
 この小殿が、話した事に、
「-自分は若き時から、武勇を試みて見たが、自分に勝ったと思われる者は、ごく稀である。が、たゞ一人だけいた。それは、大殿が捕えられる時の話である。 自分は、当時大殿と一しょに、山崎に住んでいた。夜の白々とあける時分に、飼犬があやしく吠えたが、自分は少しも気にとめずにいると、大殿が、
『平六、しずかにせよ。この犬の吠えようはたゞ事ではない。外へ出て、見て貰いたい。』
 と云うので手早く弓と矢とを携えると、戸外へ出て見た。しろき直衣《のうし》を着て、引入れ烏帽子《えぼし》を着た侍が、下人三、四人を連れて通り過ぎ ている。が、その先に、背のすばらしく高い、身体のたくましい法師が物の具はつけず、たゞ木の棒を持って歩いているのである。その容子を見て、家にはいっ て大殿に話すと、
『左様の者こそ怪しい。そいつらは、どちらへ行ったか。』
 と訊いたので、
『見届けなかった。』
 と答えると、
『それは不覚である。君、一しょに居て貰うのも、こう云う時の為である。どうして見届けてくれないのか。』
 と、頗《すこぶ》る不興である。
(しまった)と思って外へ出て見ると、大殿が心配した通り、行き過ぎたように思われた法師が、いつの間にか引き返して来て、その家の門に向って立っているのである。
 すわ、事ありと思ったので、弓に矢を打ちくわせて、よく引きしぼって、法師の身体の真只中を狙って、切って放った。絶対に、はずれる矢ではないと思った のに、法師は、躍り上って、矢を下に六寸ばかり下げて通してしまった。そして、自分に跳ねてかゝって来たが、とても矢をつがえる暇もないので、逃げて竹折 戸の中へ走り込んだ。大殿も、こんな時には、とてもすばしこい奴だけに、はや太刀を抜き取って、その竹折戸の中戸のかげにかくれていた。そして、自分を見 ると、はやくはいれと指図してから、自分を追いかけて来た法師に切りつけた。いかにも、あざやかに斬りつけた筈だのに、法師は手もなく、木の棒で受け止め ると、忽ち大殿の額を打って、うつぶしに打ち伏せてしまった。その手並を見ていると、立ち向わんと思ったが、とても敵《かな》う相手でないので、家の後か ら逃げて、川にはいると水の下をくゞって、八幡へ逃げて、その時はどうにか助かったのである。大殿は、この時からめ取られたのである。自分の一生に、この 法師位、手早く心の強《こう》なる男に会ったことがない。」と、語っていた。

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