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平山蘆江「内蔵助道中」

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平山蘆江「内蔵助道中」

芭蕉忌俳莚
 夜になると、|杭瀬川《くいせがわ》の流れの音が耳立ち、|伊吹颪《いぶきおろし》も冷え冷えと頬を撫でる時候だった。お城の太鼓やぐらから、響きの|好《い》い太鼓の音は|鼕《とうとう》々と五つ(夜の八時)の刻限を報じた。
「初夜か」
 大石はそう言ってパチリと石を下した。
「旨《うま》く行ってくれればよいが」
 菅谷半之丞《すがやはんのじよう》も目は盤面に落しているが、心持はお城の方にとんでいる。
 元禄十五年十月十二日の夜のこと。
 此月《このつき》のはじめに京都山科を引はらい、吉良家討入り決行の第一歩を踏出した大石良雄は、今、美濃国まで来て、大垣城下の脇本陣|清定《きよさだ》方に泊っている。
 一行は医者の姿をした菅谷半之丞と、その供人らしく装った三村次郎左衛門、武芸者姿の早水藤左衛門と近松勘六、それに大石を合せて都合五人であった。
「ここに大事の用がある。どうかして果してゆきたいと思うのだが」
 城下へ入る時、大石は街道の松並木をあるきながらはじめて口を切ったのだった。用というのは、大垣城主戸田|采女正氏定《うねめのしよううじさだ》どのに、人交《ひとま》ぜをせずに、又、こちらを赤穂の旧臣と知られずに逢いたいというのだ。
 去年、赤穂明渡しの時、戸田家から来てくれた植村七郎右衛門殿と戸田源五兵衛どの、この御両人のいずれかが、国詰であってくれれば、何でもなかった。生 憎、両人とも江戸詰で、而《しか》も戸田侯は在国という事が京都出発間際に漸《ようや》く判ったので、ここまでは来たが、城内への手蔓がつかなくなったの だ。
 大石がめずらしく困った様子を見せている。
「こちらの身分を人に知られぬよう、そしてこっそり一国一城のあるじと対面するという工夫だ。誰か名案を考えてくれ」
 笑いながらではあったが、困惑を目の中《うち》に浮べて大石は一同を見まわした。誰も返事をするものがない。
「お城への手がかり、拙者が見事につけてお目にかけます」
 脇本陣へ入り夕食をすますとすぐに早水藤左衛門が、そう言って立上った。
「近松と三村、拙者に手を貸してくれ」
 余程自信がありそうだった。
「手がかりを、どうしてつけるつもりだ」
 菅谷が心配そうに聞くと、早水は平気な顔で、
「この家《や》の廊下の長押《なげし》にすばらしい弓が一張かけてあった。あれで思いついたのじゃ。御城内へ矢文を射込んで見よう」
「とんでもないこと、いくら早水藤左衛門の弓勢《ゆんぜい》でも、十万石の大垣城の奥御殿までとどいて、殿様のお膝の前へこっそり落ちるような矢が射込めるものでない」
「それを、見事やっつけて見せるつもりだ」
「しくじったら一大事だぞ」
 三村も危ぶんだ。が、早水は聴かなかった。
躙なんの、しくじったら、我々の誰かが捉《つか》まれば好《い》い。命までとられる気づかいはない。捉まったらそれこそ勿怪《もつけ》の幸いだ。殿様お目通りへ引出してくれと頑張るんだ。お目通りへ出さえしたら、もうこっちのものだ」
-ははは、こいつ、まるで袋のものを掴むような事を言って居る」
 近松も三村も腹をかかえて笑った。
「早水の考えは好いかも知れぬな。やって見るが好い」
 思いがけなく、大石が言ったので、皆《みんな》の笑いは止んだ。間もなく、三人は、こっそり弓を持出して出かけて行ったのだった。
 そのあとの事だ、もはや一|刻《とき》半にもなるのでぼんやり待っても居られず、大石と菅谷は碁を囲みはじめたのだった。
「おかまいも申しませんで、殊に広間が騒がしくて相済みません」
 脇本陣のあるじ、清洲屋《きよすや》定右衛門が、庭下駄をがたつかして、縁からにじり上って来た。
「広間は俳諧のもよおしですな」
 菅谷がそう言って、あるじに茶をすすめたりした。
「左様でございます。桃青大宗匠の祥月《しようつき》命日でございましてな、当御城下には、御門弟がおよそ十四、五人もおいでゆえ、いつも、御命日の運座は、なかなか盛大でございます」
「芭蕉翁がなくなって、何年目でござるかな」
 大石が向直った。
「なくなりまして八年目、当御城下へお滞在の年から十一年目でございます」
「当御城下と芭蕉翁とは、大分縁故が深いと見えますな」
 今度は菅谷が聞いた。
「手前どもの隠居が如行と申しまして、門弟中の年長であります。それから芭蕉翁の故朋輩で谷木因《たにもくいん》老人がおいでです、今夜などは御城内から も三人ほどお見えで、  -当御城下の入口の道しるべの石にまで、発句が彫ってございますくらい盛んです。お気付きでしょう」
 あるじの俳諧談義は滾々《こんこん》として尽きない。
「道しるべの石、ー-そうだ、あったあった、南伊勢くわなへ《、、、、》十里|在郷道《さいこうみち》と……」
 菅谷がものおぼえのよいところを一寸《ちょつと》ほのめかした。
「はいはい、左様でございます。あれをすらすらと読みますと、十七文字にはなっているが、肝腎の季節が入っていないから俳句ではないと皆様が仰しゃいま す。ところがそこに木因宗匠の苦心がございましてな、くわなへ《、、、、》と書いた四《よ》文字、これが急所なので、桑名《くわな》御城下へという事にも なり、桑の苗という意味にもなるという二道かけた名吟なので、ははは」
 三人がどっと笑った。
「城内から見えているお武家は、何という御仁です」
 あるじの言葉の切れ目に大石が口をはさみつつ、広間の方を中庭こしにちらりと見た。
 十人や十五人は集まっているらしいが、今や句作の最中と見え、時たま灰吹《はいふき》を叩く音と、咳ばらいの声だけ、あとはしんと静まりかえっている。
「お馬廻りの衆で岡田平八郎様と仰しゃる御老人と、あとのお二人はお徒士《かち》衆で……」
「杉村十太夫、里見孫太夫というお方を御存じか」
 何とかして城内への手がかりをと、油断なく気をくばっている大石であった。
「杉村さま、里見様、お二人方ともお国詰ならばお見えになったでございましょう。只今は江戸証悶でーー1」
 やっぱり早水藤左衛門の弓勢にたよるよりほかに手はなかった。とはいえ、更に岡田平八郎という老人の事も聞流しにはならない。
「菅谷、貴公も俳諧をやるようだが、飛入りをしたらどうだ。岡田どのとやらへ御近づきを願ってー」
「水に油をさしたようで、御迷惑ではありますまいかな、  御主人、岡田どのという御仁はむずかしいお方ではないか」
 菅谷もすぐに大石の心持を察していた。
広間ではもう発句のよみあげがはじまりそうだった。
 大石と菅谷の心中をあるじは知る筈がなかった。広間のよみあげに耳を傾けつつ、岡田平八郎の人柄を言いはじめた。
「芭蕉翁が御当地へ見えられたのは元禄四年でございました。手前どもへ根城《ねじろ》をお据えになりましてな、近郷近在をそこごこと、お泊りで、まず十日 あまりも御滞在でございましたかな。丁度その年、こちらの殿様は日光御代参のお勤めでしたが、岡田様もお供ぞろいに加えられ、いざ御出立という折だハ、た ので、篠《ささ》の露袴にかけししげり哉《かな》、こういう発句を、芭蕉翁から岡田様へ御餞別でした。そういうわけで、まことに立派なお人柄で……」
 あるじも相当俳諧に凝っていると見えて、一切を俳諧で片付けて了《しま》った。
「およろしかったら、あちらへ御案内いたしましょうか」
 あるじはすすめたが、大石は強いてゆけとも言わなかった。その中《うち》に運座のひらきが愈々《いよいよ》始まり、発句をよみ上げる声が、途切れ途切れながら流れ込んで来た。発句のよみあげが始まると、あるじはそこそこに広間の方へ去った。
 大石は再び盤面に向って碁笥《ごけ》を引きよせる時、四つの太鼓がお城の方から聞えはじめた。
「早水たちは大層遅なはりますなア」
 菅谷が何気なくいうのを大石は手でとめた。しずかに耳を聳《そばだ》てて、
「太鼓の音が前のとちがっている、とは思わぬか」
「なるほど、ちがいます」
「早水藤左衛門め、やぐらの太鼓を射破ったのかも知れぬぞ」
「太鼓をーー」
「五つ(八時)の太鼓は冴え冴えとした美しい音《ね》だった。今度の四つ(十時)は音が濁っている。太鼓が変ったのだ。  太鼓の音をたよりにして弓を射る。  早水のやりそうな事ではないか」
-そうかも知れませぬ。併《しか》し、そうとすればもう帰りそうなものです。一|駒《とき》も経って居りますが、  何事かあったのではありますまいか」
「さあ。  あったにしてもおめおめと捕まる連中でもあるまいから」
 又碁にかかった。早水たちはかえって来ない。広間の俳席も終ったらしい。賑やかに話し声がしはじめた。やがて九つの太鼓だ。やっぱり音の悪い太鼓だ。而も、早水たちは帰って来ない。
「いよいよ何事か仕出かしましたな」
 菅谷はお城のそばまで行って見ようかと言った。大石はやっぱり落着いて、
「朝になったら忙しくなるかも知れぬ。今の中《うち》に寝ておこう」
 次の間に床が展《の》べてあったので、二人は碁盤をかたづけようとした。それにしても、なぜ斯ほどまで、大石は大垣侯に逢いたいのか。
 大垣十万石のあるじ戸田采女正氏定と、大石の旧主人浅野内匠頭|長矩《ながのり》とは年来の懇親で何の隔たりもなく互いに膝を組み、言葉さえ荒々しく罵りあうほどの相性であった。
 去年三月、浅野長矩が、殿中松の廊下で、持ち前の癇癪を破裂させ、吉良義央を斬りそこなって五万三千石を棒にふった時など、戸田采女正は地団駄踏んでくやしがった。
(浅野のうろたえものめ、なぜ飛びかかって抱き込んで、丁えぐりに突かなかったのだ。相手を斬り損なうくらいなら、おのれの癇癪玉の方を断ち切ってのければ好いのに、エエ、いまいましい)
 場所も憚らず、同じ殿中の控えの間で、高々と独り言を言った。
 尤も、浅野と戸田とはただの仲よしというだけではない。内藤飛騨守忠種に姫君二人あり。姉は戸田家へ妹は浅野家へ輿入れして、戸田家には氏定が生れ、浅 野家には長矩が生れた。即ち、両人は母筋の従兄弟《いとこ》同士という、切っても切れぬ肉縁があった。不断、何事もない時でさえ、戸田家に何かあれば浅野 家で判り、浅野家に事あれば戸田家の様子を伺うというくらい、まして、衆人|稠坐《ちゆうさ》の中で、殊には、殿中刃傷という大異変の最中に、人もなげな 大声で、(おれなら、あんな下手《へた》な斬り方はしない)と立ち上って力んだので、忽ち大目付の目が光った。
   殿中に詰合せている浅野家の家臣一同騒ぎたたぬよう、戸田氏定の手で取鎮めるよう
 こういう命令が戸田侯へ下った。毒を以て毒を制し、従弟《いとこ》のしくじりは従兄に片付けさせるといういき方だった。
 氏定は苦笑いをしながら、浅野の家臣を鉄砲洲の邸《やしき》へおとなしく引取らせる事にした。これで用済みかと思うと、引つづいて、老中土屋相模守から 達しがあり、脇坂|淡路《あわじ》、木下《きのした》肥後両人が播州赤穂の城請取りにまいるにつき、万事間違いの起らぬよう、江戸邸同様、国許赤穂城の方 も家臣一同の取鎮め方を、戸田家へ申付けるというのだ。
   梶川|与惣兵衛《よそべえ》の大力に抱きとめられて、浅野は無念無念とくやしがったそうだ。而も相手はおかまいなしで、洒々《しやあしやあ》と活 《い》きている。よもや浅野の家臣が黙ってはいまい、城を枕に討死か、吉良をやっつけるか、何《いず》れ何事かあるにちがいない。そこでおれだ、浅野とお れとの間柄は、大名仲間で誰でも知っている。いよいよ城を枕ときまったら、大垣から加勢を出してやろう。事によったら、東西相呼応して一旗《ひとはた》あ げ、泰平の眠りをさましてやるのも面白い。赤穂はどう出るか、赤穂はどう出るか  。
 まるで我事《わがこと》のように、戸田氏定は意気込んでいたということが、いつ誰からとなく、大石の耳へ入っている。
 その後になっても、どうかすると、大垣侯の言葉が山科へ流れ込んで来た。  浅野の家臣は一体何をしているんだ。言い甲斐のない奴ばら。よもやこの儘泣 寝入りするでもあるまい。など、lIそれやこれやを大石は皆聞流していたが、終《しま》いまで聞流すつもりはなかったのだ。今、いよいよ東下りについて、 戸田侯にお目通りをし、これまでの心づくしにお礼も言上し、まだまだ外に重大な頼み事をしたいと思った。
 そのためには、どうしても戸田侯と大石とが人知れずの対面でなければならなかった。
 さて、早水たちはなかなか戻って来ない。菅谷は碁盤も片付けて了《しま》ってから、もう一度外の様子を見なおした。その時、裏の切戸の外に俄《にわ》かの人声がし、内側の庭向うからも二人三人ならぬ人たちがどやどやと出て来た。
 切戸の外の人々の中では、今にも絶え入るかと思われるうなり声があがる。内側の人々は、何事かしきりにたしかめたりした。間もなく切戸がひらき、戸板に 寝かされた男が、四人の手で支えられて入って来た。果して怪我人らしい。十二日の月光を浴びているので、仰臥《ぎようが》した怪我人の額のあたりは血がに じんできらきらと月光をはねかえしていた。
 向う側の広間の縁には俳席の人々が七、八人ずらりとならび、こちらのはなれには大石と菅谷が控えている中を、戸板はしずしずと通って奥へいった。
「どうしたわけです」
 戸板を運ぶ人々の一番あとについて、女中が縁先を通ったので、菅谷半之丞は聞いた。
「お目ざわりで恐縮いたします。怪我人です。こちらの弟御さんで、前から御城へ上ってお太鼓の役を勤めておいでの方でございます」
 そう言って、女中は母屋の方へ去った。
「お太鼓の役とあればお坊主を勤めているのでしょうが、可哀そうに、早水の弓勢が少々利きすぎましたかな」
 一旦庭へ下ろされた戸板は再びしずしずと奥へ運び込まれた。それを見送る目がはなれの縁に二人、広間の縁に七、八人、露を含んだ萩のしげみを中にして相対した。

の矢、二の矢

 広間では怪我人の事を噂しているらしい。- 弓、太鼓やぐら、  曲者  などの言葉が洩れて来る。菅谷は何度となく立聞きに行《ゆ》こうとしたが、遉《さす》がにそれも仕かねた。
 ところへ又更にちがったざわ,つきが、今度は広間の方で起ったらしい。  岡田様  娘御  すぐに御登城  などの声々。前のとちがって、皆の気色ばんでる様子が、言葉の調子で感じられた。やがて一座は総立ちになるらしく、あとは大波が引いたようにひっそりとなった。
「岡田平八郎という人の娘御にも何かあったらしいな」
「いやどうも早水藤左衛門め、あまりにも弓勢を振いすぎます」
「それにしても、もう帰って来そうなものだ」
 三度目は到頭《とうとう》はなれの番だった。
「月がよいので、あるき過ぎてな、あぶなく桑名まで行くところだった」
 元気よく高《たか》調子で女中に話しかけながら戻って来たのは三村次郎左衛門。
「これ静かにせんか、夜半だぞ」
 そういう風にたしなめるのは早水藤左衛門の声だ。
四近松は」
 菅谷がすぐに聞いた。早水も三村も返事をしない。女中が引下ってから、早水は言った。
「第一の矢は時の太鼓をたよりに太鼓やぐらへ射込みました。見事に太鼓の皮を射ぬいたと思います」
「やっぱりそうだったか」
 菅谷はうなずいた。
「その時、太鼓坊主を傷つけたとは思わぬか」
 大石が聞くと、早水は強く首を振った。
「矢尻はぬいてありますし、ねらいは櫓《やぐら》の上の太鼓につけましたので、万が一にも人に射当てたおぼえはありません。殊にこれは計略のためし矢です」
「計略とは大きく出たな」
 菅谷が笑い出した。
「いや、この計略は大当りでした。何にいたせ、流れ矢一本、時の太鼓を射ぬいたのだから、城内は間もなく大騒ぎです。見張りに立った我々までが少々あわてたくらいで  」
「二の矢は」
 大石が聞いた。
「二の矢に文を結びつけて、城内、奥と表の境へ射込みました。出来る限り、奥をねらいましたが、あれ以上は近よれませんので」
 一の矢で表をさわがせ、宿直《とのい》たちを太鼓やぐらの方へそっくり引きよせておいて、奥近く忍びより、二の矢を奥御殿へ射込むというのが、即ち早水の計略だった。
「そこをも一つ近よったのが近松勘六です。あいつ存外向う見ずですからな」
 三村が言い出した。
「手薄を見込んで城内へ忍び込んだとでもいうのか」
「そうだと思います。二の矢が弦《つる》をはなれる時から急に姿を消しました。はじめは拙者が早水の右に、近松は左について見張りをして居ったのです」
「お城のまわりを三度まわったが、到頭、見つかりません。兎《と》に角《かく》一先ず立戻りました。無事であってくれれば好いが」
 早水も三村もその事で胸が一杯だった。
「早水、弓はどうした」
 菅谷が注意したので、二人ともはねかえされたように外へとび出した。
 即ち、脇本陣の廊下の長押にかけた弓で、持ち出す時のとおりに持ち戻るつもりで、裏の切戸の外まで持って来て、草むらに寝かしておき、二人とも一旦、中 へ入ってから、改めて、一人は外へ出て弓を中へ入れ、内側の一人が受取って、もとの長押へこっそりかえしておこうというつもりだった。
 三村がそとへ出た。無論あたりに気をくばって、垣根際に寝かしてある弓をとった。身の丈五尺八寸の三村次郎左衛門が弓を持って垣根の外に立つと、首から上は垣根よりも高くなるくらいだった。
「三村、貴公のうしろに、曲者がかくれているぞ」
 弓を受取ろうとして早水が囁いた。
 ふりむいて見ると、垣根外の小流れの岸、栗の木のかげに背中をまるめてうずくまっている男の姿が目に入った。
 三村はいきなりとびかかって、鷲づかみにつかまえるつもりだったが、その手をくぐって曲者はとびのきざま手頃の石を流れの中に叩き込んだ。
 出あいがしら、顔にも胸にも、着物の裾かけてぐっしょり水を浴びた三村が、ほんの一あし、たじたじとなったはずみに、曲者はもう小さな影になり、月光の下を、樫の木、栗の木、柏の木の間をくぐりつつ独楽鼠《こまねずみ》のように消え去った。
「いまいましい。まるで稲妻のような素早さだ」
「向うも早かったが、貴公も少々のろかったな」
 早水は水だらけの三村に手拭《てめぐい》をとってやった。
 太鼓やぐらでの怪我人がこの家の弟であったこと、思いがけないところに不思議な曲者がいたこと、広間の客の岡田平八郎にも、何かかかりあいのあるらしいこと、そして近松勘六の身の上など、とりとめもなく考えつつ、三人は枕をならべたが眠れなかった。
 ひとり大石だけしずかに寝息を立てて、やすらかな眠りに落ちた。
奥庭表庭
 早水藤左衛門が射込んだ二筋の矢は大垣城内に夜をこめての騒ぎを惹起した。
 第一の矢は太鼓やぐらを中心にしたお表のさわぎだ。
 丁度、五つ(八時)の太鼓を叩き終えたお坊主がやぐらを下りょうとした時、どこからともなく魔もののように飛んで来た矢が、太鼓の皮へぶすりと当り、皮は破れてプーンと鏑《かぶら》のように響いた。
「曲者だ、出あえ出あえ」
 坊主は度を失うほどの高声をあげて、やぐらの上で足ぶみしつつ、人を呼んだが、何を見ちがえたか、いきなりやぐらからとび下りて悶絶した。
 このお坊主が即ち、清定の弟で、月光にきらきらと光った血潮は、敷石で打ち割った額の疵であった。
 坊主の声と太鼓のうなりとに駈けつけた人々が坊主の悶絶に驚いて又更に人を呼び、到頭、奥向の宿直までが表へかけ集まってひしめき立った。
 そこへ第二の矢だ。
 一の矢を射込んでおいて、早水は濠《ほり》づたいに、松の丸を奥御殿と聞いているので、松並木のかげや、濠端をしのびしのびに近より、矢頃を計って戸田侯のお居間と思われるあたりを目ざした。
 三村は右側の小高い丘、近松は左側の土手上に上って、今、将《まさ》にかまえようとしている、早水の弓に目をつけながら、不図《ふと》、足許を見下す と、月あかりに石垣の中に藪だたみや、広場や、道が手にとるように見える。更に今一歩をすすめたら、松の丸の御殿の庭のあたりへ出られるのではあるまいか と思われるほど究竟《くつきよう》の場所に、自分は立っていると近松は思った。
 一歩、一歩と、熊笹、根笹をふみわけ、到頭、長い長い外縁《そとえん》つきの御殿づくりと、数寄屋風の離れの建物が、斜めに見あったようにして建つ芝生の広庭へ出て了《しま》った。
「殿様のお居間か、それとも広書院か、何しろ、奥の奥まで来たらしいそ」
 近松は胸を轟うかしつつ、とある雪見燈籠のかげに立ち、あたりを見きわめようとした。丁度、そこへ、二の矢が飛んで来た。数寄屋の雨戸に当りは当ったが、あまりにも矢頃が遠いので、立つ力はなく、ぽとりと縁に落ちた。
 数寄屋は雨戸こしにあかりが洩れていた。矢音を聞くと共に、中で人のけはいがして、雨戸はがらりと開き、腰元らしい女が、雪洞《ぼんぼり》をかざして庭を見まわした。
「誰もまいったのではございませぬ。何ものかが矢文を射込んだらしい様子でございます」
 女は数寄屋の中《うち》に向って言った。
「どれ。見せい」
 中で声が聞える。腰元が、矢文を解いて中の人へ渡すと、
「一人重なって右の角を去り、狼はけものを捨《ヘヘへ》て、古鳥《ふるとり》は衣を着て脇本陣にあり。  何の事だ、まるで謎のようなものが書いてある」
 中の人は声をあげて読みつつ姿をあらわした。白|綸子《りんず》の着物を着、紺|緞子《どんす》の帯を前結びにしている。
(殿様だ)
 近松はすぐにそう思って、ひたすらに駈け出してよびかけたいほどの心持だった。が出るにも出られぬ場合だと見ると、殿様らしい人は腰元の手をとって、引きよせ、目と目を見合わせている。恋する人の今将に別れを惜しむ風情だった。
「夜が更ける、気をつけてかえるがよいそ」
「はい。  その矢文は」
「斯様なもの、捨ておけ捨ておけ」
 そうは言ったものの、矢文は片手に、つと家の中に入りかける。
「その謎、解いて進ぜます。殿様、恐れながら、殿様  」
 前後を忘れて近松勘六は一散に燈籠のかげをとび出し、数寄屋の縁へかけ上ろうとした。が、その時はもう遅かった。白綸子の人はうしろも見ずに中へ入り、雨戸はぽたりととざされた上、我身はうしろからしっかり羽がいじめに抱きとめられていた。
「殿様、殿様  」
 よびかけよびかけ、縁へ片足かけたが、抱きとめた力も女に似げなく強かった。
「エイエイエイ」
 矢声を出してふりほどこうとする近松、ねじ倒そうとするうしろの力、三度揉み合って四度目に近松が勝った。足許にどさりと倒れたのを見向きもせずに、近 松は数寄屋の雨戸へ手をかけたが、揉み倒された腰元は素早くいざりよって近松の足へがっちりつかまったので、一たまりもなく近松は撹《どう》とのめった。
 倒れながら}蹴り蹴ると蹴った足へ又からみつく、強くはないが、不思議にねばり強い。
 揉みあいねじあいする中《うち》に、近松は相手の美しさに幾度かまごつかされた。
 紫矢がすりの小袖、立矢《たてや》の字に結んだ黒繻子の帯、その上に女はいつの間にか庭番などの被《き》る赤合羽を被《はお》っていたらしい。近松と揉み合う中《うち》に、引きもぎって芝生へ投げすてていた。
「離せ、殿さまにお目通りを願いたい」
「慮外もの、推参もの」
 女は必死の力、近松はともすればあしらい気味にしているので、隙だらけであった。
 到頭、女をふり切って生垣を飛び越すと、目の前には幾つもの提灯がちらついて、犇々《ひしひし》と迫って来る。元へ戻ると、そこには、もう女が追いすがって来た。右に、左に、近松は女と提灯をよけつつ、元の出口を探すのだが見当らなかった。
 途端に女の手が、再び近松の腰にしがみついた。近松は無言でふりはなそうとする。腰元も始終無言だ。
「曲者」
 提灯の群が、既に二人の組合っている間近へ来ていた。と、いつの間にか、御殿の廊下の方にも雪洞のむれがおしかけていた。
「曲者です。出あえ、出あえ」
 これは女たちの声々であった。その間にも近松は女をふり放そうとあせったが駄目であった。ここは生垣を境にして、やっぱり奥と表の境目であるらしい。 今、自分の身体《からだ》は奥からは奥女中たちに、表からは若侍たちに攻められて挟み打ちにあっているのだ。よし、同じつかまるなら奥の女中たちにつか まった方が、殿様のお膝もとへ少しでも近づく事が出来る。
ーー咄嗟にそう思って、近松はわざとお女中組の方でつまずくふりをして倒れた。
 餌《え》ものにつく蟻のように女たちは近松一人の上へ折重なったが、人も我も見さかいはないほど、うろたえていたらしい。皆のする儘に任せた近松の身辺のざわつきが静まった時、近松は、枝折戸の柱に、はじめの腰元もろとも、背中あわせに縛られているのに心づいた。
「その曲者、我々へお引きわたし下さい」
 表の若侍連中は躍起になって、近松を引取ろうとする。
「奥の出来事は、奥でさばきます」
 老女と見えて、恐ろしく意地のわるい中婆さんが力みかえった。近松は顔を伏せて、苦笑いをしていたが思わず吹出して了った。
「何がおかしい。太々《ふてぶて》しい曲者め」
 女たちも男たちも}緒になって、近松に食ってかかる。
「誰に頼まれ、何のために、ここへは忍んだ。この腰元とはどうした知合だ。ありていに申したてねば、二人とも痛い目を見せるぞ」
 こういう風に、奥の組も表の組も、近松と腰元を一緒に責めたてるのだった。
「殿さまお目通りにおつれ下さい。でなければ、何事も申しますまい」
 近松はこれだけをきっぱり言って、あとは金輪際《こんりんさい》口をつぐんで了った。
 近松がものをいわなくなると、自然、しらべは女の方に向いた。
 夜半の奥庭に、ただ二人で、無言の儘、揉み合っていたのが、不審をかけられる因《もと》だった。二人を一つにして検《しら》べようとしているのが、もつ れの因だった。殊に、奥女中の人々は、一旦見とがめた事は飽くまでも色めがねで、見とおさねば気が済まぬくせがあった。どう出なおしても、所詮は意地わる の一点張りで、いつまでもいつまでもこじれそうだった。果ては女も近松同様、ものをいわなくなった。
「この子の父をよび出しましょう。娘の不義は父親にさばかせる。それがよいではござんせぬか」
 こんな風に言い出した老女があった。
「それがよろしゅうございます」
 腰元もみじの父親が岡田平八郎である。
 娘の始末は父親に任せるという計らいはゆきとどいた仕向のようで、実は、意地わるの頂上であった。
 もみじは近頃、殿様から特別の御寵愛を受けている、というそねみを、女中たち全部が持っていた。今、この場の始末を、皆の力で難くせつけて、もみじを父 親に引きとらせさえすれば、もみじを奥御殿から追っぱらう事が出来る。そうした心持が、はたらきかけて、女中たちの腰元もみじに対する処置は、一応落着く ところへ落着いた。
 岡田平八郎が夜中登城した時も、もみじは近松と背中あわせに、しばられたままの姿であった。
「不埒ものめ」
 平八郎は喋《々ちようちよう》しくならべたてられる不審のかどかどを、黙って聞取ったあとで、只一言娘に言って、さて改めて奥女中たちに向った。
「娘の処置を父親にお任せ下さいました御心持、有難くおうけいたします。此の御仁と私の娘とが何のかかり合でもない事だけ、あかしが立ちますれば、皆様への申訳は立つのでございましょうか」
 急所をつかんで逆ねじにぐいと押した言葉だ。奥女中たちはまごついたが、それ以上おしかえすわけにもいかない。何をいうにも、もみじの本当の不義の相手が近松でないことは、誰にも判りきっているのだから。
「その通りでございます」
 女中たちがつき放す言葉を聞いて岡田は一応引下った。
 朝になって、岡田平八郎は只一人、仲間《ちゆうげん》だけをつれて清定へやって来た。
 ゆうべの俳諧師姿に引きかえ、きょうはぶっさき羽織に義経袴いかめしく、大垣城内の重臣なみ、岡田平八郎として、脇本陣清定方に泊っている五人つれの客に逢いたいというのであった。
「失礼ながらあなた方、御身分は」
 一刀を身近に引きそばめ、はなれの縁際に立って岡田は聞いた。
喇京都から江戸表へまかり下ります、さる堂上方の諸太夫、垣見五郎兵衛と申す、残る四人はつれのもの、又は供人です」
 大石自身が逢って答えた。
「五人つれでござるか」
「左様」
「どなたぞ、此家《このや》の廊下の長押にあった弓を持出した人はござらぬか」
「あります」
 無雑作に答えられて、岡田は却ってまごついた。
「どなたです」
 一旦持出した弓を、持戻る時に、うらの小流れの岸にかくれて窺っていた人にお聞き下さい」
 岡田は又まごついた。結局、岡田も大石もその余の三人も笑い出して了った。
「御眼力《ごがんりき》、恐れ入りました。いつの間にか拙者の姿を」
「慮外ながら、つい窓こしに月あかりでよく見えました。流れに石を投げ込んで立ち去られたうしろ姿が、宵の中《うち》に、怪我人を見ていられた縁側の立ち姿と、あまりによく似て居りましたので」
「一言もありませぬ。ついでに御貴殿、御本名を承ろう」
 無雑作に出れば、大石はいよいよ無雑作に答えた。
「申しましょう。堂上方も諸太夫もない。まことは播州赤穂の浪人大石良雄と申します。斯様に申せば、お城へ矢文を射込んだわけもおのずと御得心がいくと存じますが」
 それだけ聞くと、岡田は何の隔意もなく、改めて縁からにじり上った。大石もほっとした気持で、岡田老人と相対した。
「不躾《ぶしつけ》ながらお尋ね申します。御娘ごに、何事か御難儀がおありと伺いましたが」
「お察しの通り、娘にふりかかったぬれ衣ゆえに、老の身を只一人、斯様に投げ出して御貴殿の前へ推参しましたのは、内分の間に一切の埒をあけたいばかりでござった。拙者の子煩悩をおわらい下さい」
「千万御尤もです。手前とても、貴殿が単身お乗り込みになったお覚悟のほどを見て、何事もあけっ放しに申し上げる気になりました。で、娘御は」
「貴殿御一行の一人と、城内奥表の境目につなぎとめられて居ります」
「ほ、近松勘六め、やっぱり御城内へ忍び込んだな」
 三村が思わず知らず言葉をはさんだ。
「左様です。その近松勘六どのとか仰しゃる御仁は、拙者、身にかえておかえし申すよう計らいます、その代り拙者の娘もみじの身柄を、貴殿お力を以て助けていただきたいのです。娘はお恥ずかしながら、朋輩にそねまれるほどの果報を、お殿様から頂戴して居りますのでな  」
 老人は顔をそむけて額ににじむ汗をふいた。
 殿様のお手がつくという事を、身の果報ともいい、又は第一に奥方から、第二には朋輩から憎まれ、恨まれる立場でもあった。
「判りました。ではどうぞ、即刻、拙者をお殿様御前へおつれ下さいますよう」
 大石は起きぬけから身仕度をととのえていた。
 大垣城内松の丸の御殿、広書院の四方をあけひろげた縁近く、大石は城主戸田采女正氏定と相対し、畳縁《たたみへり》には岡田平八郎が近松勘六と相対している。秋晴れのうららかな日が縁一杯にあたって、庭の樹々は今をさかりの彩りにもえたつような紅葉を見せていた。
 腰元もみじが、四人の間へお茶を運んで来た。
「平八郎、気を揉んだであろうの」
 戸田氏定はにこやかにもみじを見つめながら、岡田に言った。
「恐れながら、一夜の間に十年の寿命がちぢまる思いでございました」
「その代りに、相手が大石と知った時のよろこびも大きかったわけだ」
「御意にございます」
「これを見い。脇本陣に大石がまいって居る事、予はゆうべの中《うち》に知って居ったのじゃ」
 戸田はふところから結び文を出して岡田に見せた。
「  一人重なって右の角《つの》を去り、狼はけものを捨《ヘヘへ》て、古鳥は衣を来て脇本陣にあり  」
 その晩、白綸子姿の人が読んだ通りに、岡田も小首をひねって読んだ。
「そちは俳諧をやるから、判じものも判りそうなものだが、どうじゃ」
「はい」
二人をかさねれば大の字になり、右の字の角《つの》を捨てれば石という字になるな」
「なるほど、それならばけもの偏のない狼が良の字は尤もですが、雄の字の偏を、衣としたのは如何でございましょう」
「そのくらいの出たら目はゆるしてやれ」
「殿は其《そ》れを御判じになっておいでのくせに、手前へ何とも仰しゃらぬのは、お人が悪うございます」
「ははは座興じゃ、ゆるせゆるせ。第一、矢文の飛び込み方が悪い。而も、その場へ忍び込んで、飛び出して来た近松とやらは一番人がわるいそ。野暮な奴め」
 勘六は苦わらいをし、もみじは真赤になっている。
「祗園で有喜大尽《うきだいじん》といわれた大石には、予の心が判ってもらえる筈だがどうじゃ」
「恐れ入ります。大石でなくとも俳諧の道に分け入って芭蕉翁から一句いただいていられる岡田どのにも充分おわかりでございます。篠《ささ》の露袴にかけししげり哉とか申しましたな。もののあわれは、何事につけても同じ心持ではないかと存じます」
 平八郎は目を伏せて思わず両手を畳についた。もみじは堪え切れず次の間へさがった。
「忝《かたじけな》い、大石、よく言ってくれた。慎しむべきものを慎しみ得なかった予の不埒は、改めて平八郎に詫びる。もみじの身も立つように計らってやろう。  何とか申したな」
「篠の露袴にかけししげり哉でございます」
「篠の露袴にかけししげり哉。-ーウム、平八郎しかとおぼえておくそ」
 平八郎はもう畳につっ伏して了った。
「殿様、袴にかけししげりとやら、此度東へ下りまする大石めにも、篠の露のおなさけがいただきとうございますが、如何でございましょうか」
 大石は折入って切出した。
 戸田氏定は膝を叩いて乗り出した。
「ウム、そう来なくてはならぬところじゃ、戸田采女、待ちかねて居った。手勢をくり出してやろうか。上杉への押えを計ってやろうか、それとも何じゃ。遠慮なく申して見い。外ならぬ浅野の無念を晴らす事なら、何なりともしてとらすそ。さあ、この氏定は何をすれば好のじゃ」
 赤穂に浅野あり、大垣に戸田ありと二人はいつも自ら言っていた。それほどの癇癖が今、浅野と二人分になって、戸田のこめかみのあたりにピリピリと動いている。
 大石はしずかに一礼して穏やかな言葉で言った。
「御厚志、千万忘却仕りませぬ、冥土におわす旧主人へ、たしかに御伝え申します。併《しか》し、旧主人の遺志を果します事については、同じ志の旧家臣も居 りますことゆえ、お捨ておきを願いとうございますが、只お力にすがりたいのは、同志のものども、一身を抛《なげう》ったあとのことでございます。五十人ば かりのものども妻もあれば子もあり親兄弟もございますが、それらのものを、一斉に路頭に迷わせるかと思いますと、此ればかりが心苦しゅうございます。飛ぶ 鳥あとを濁させぬ工夫は只々、殿様のお力にすがるより外ないと心得まして、かくの通り、没義道《もぎどう》な御目見得を仕ったのでございます。御賢慮如何 でございましょう」
 赤穂開城の時、赤穂の住民に一銭の迷惑もかけなかった大石である。浅野家の預かり金は浅野家の事にのみ使って、出入りの勘定明らかに書きしたためて、浅 野夫人へかえすものはかえし、長矩の弟大学へ、贈るものは贈り返して潔白をきわめた大石である。今大事決行にあたって、同志四十余人の身辺に、篠の露のし げりを如何にして湿《うる》おしてやったらと、そればかりを苦労にしての大垣推参であった。近松はもとより、平八郎も亦、別の感慨に胸をせまられていた。
「大石、赤穂退転以来、幾月に相成る」
「一年と六ヶ月に相成ります」
「同志の数は」
「只今すぐりすぐって、四十七人でございます」
「まず五十人じゃの。  またこの先も幾月の間、時を待たねばならぬかも知れぬ。あとはあとの事じゃ。戸田氏定、微力ながら、金ですむ事だけは引受けてやるわ。ははは、安心せい」
 金壱千両也、
 右永久御恩借仕候也
  元禄十五年十月十三日 大石内蔵助良雄判
    故殿様御眤懇のお方様へ
 こういう証文が一札、今尚、戸田家に秘蔵されていると伝えられる。

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