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柳宗悦「沖繩人に訴ふるの書」

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amizako

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 沖繩学の先駆者は、彼の著書の一つに題して「孤島苦の琉球史」と名づけた。誰か此の言葉に胸を打たれないであらう。切々たる想ひが迫るではないか。
 識名の名園を訪ふ者は、勧耕台へと案内を受ける。何処を眺めるとも丘又丘であつて少しも海が見えぬ。こんな場所の発見は、孤島に住む者のせめてもの慰めである。だが心もとない慰めではないか。
 沖繩は小さな島々に過ぎない。それも中央からは幾百海里の遠い彼方の孤島である。昔は往き来にさぞや難儀を重ねたであらう。今だとて親しく此の島を訪ふ者はさう沢山はない。だから県外の者の此の島に対する概念は多くの場合いとも杜撰である。疎んずる者は何か蕃地の続きでゴもある如く想像する。沖繩人は長い間此のやうな屈辱を受けた。遺憾ではあるが、今も此の不幸な事情は全く拭はれておらぬ。
 だから沖繩人は沖繩に生れたことを苦しむ。さうして琉球人と呼ばれることを厭ふ。私が沖繩を訪はうとした時、親切な者は囁いて私に此のことを知らせた。本土に笈を負ふて来る者は、屡々琉球の者であることを匿さうとする。あれ程楽しげに郷土の謡に興じる生活も、一度内地を踏めばはたと止める。沖繩の言葉はどんなに邪魔になるか。あの珍らしい沖繩の姓にどんなに引け目を感じることか。なぜなら誰も沖繩を親しげに感じてはくれないからである。まして驚きや敬意を抱いて、沖繩の味方をしてくれる者はゐないのである。稀に逢へばどんなに嬉しいであらう。だが周囲の事情は冷たい。一視同仁の御代とは云へ、沖繩に生れた宿命は呪はれてゐるやうに思へる。早く母語を棄てゝ標準の言葉に更へよう。早く沖繩の着物を脱いで、内地の衣裳を纒はう。一日でも早く本土の風に化すことが幸福を約束する所以とならう。どんなに屡々かう云ふ考へが、脳裡をよこぎつたことか。誰もそれを幸ひな態度とは思はない。併し事情はそれを強ひて来るのである。抑も誰が此の矛盾を呼び起すのであるか。



 地域は狭い。物資には限りがある。運輸は不便である。住民は少ない。暮しは貧しい。新しい施設にはおくれてゐる。何もかも日本に於ての最小の県なのである。予算は少ない。産業は乏しい。天災は激しい。こんなにも貧窮な県はないのである。誰も異口同音に此のことを嘆く。
 官吏の多くは左遷の想ひで欝々と来るのである。誰にも同情される身分である。疫病や毒蛇の話は山程も聞かされてくる。始めから一日も早くこんな地を去りたいのが本志である。身は此の地に移り乍らも心はいつも離れてゐる。県民は是等の人々のもとに統治を受けねばならぬ。それも漸く土地の事情に通じる頃、それ等の官吏は転任して了ふ。此の島に渡ることを喜び、身を以て県民の幸福を守護し、其の精神を振興せしめようと計つてくれた人が、今迄何人ゐたであらうか。百年の計を建てゝ六十万の同胞の為に、骨を此の孤島に埋めようと志してくれた者がゐたであらうか。悲しい哉、事情は其のことを許さないやうに見える。凡ての官吏は或る教養と良き意向との所有者ではあらう。併し棄て身になつてくれる者があらうか。此の土地に敬愛の想ひを燃やしてくれた者があらうか。誰もそれを保障することに躊躇を覚えるであらう。



 沖繩の貧しさは余りにも人々の念頭を去らない。なる程計数の上から見るなら、其の微弱さを匿すことは出来ない。経済の動きは鈍いのである。それに文化の波は遅々として岸辺に近づく。凡てにカが足りないやうに見える。孤島の未来はとかく暗い。それに誰も出て、富や光を約束してはくれないのである。
 だが私は問ふ。果して之が沖繩への正しい見方なのか。沖繩はそんなにも貧しい島々に過ぎないのか。外は小さくとも内に何か大きなものを有つてはゐないか。果して自然に於て、人文に於て、言語に於て、はた又工業に於て、そんなにも乏しい国なのであるか。私は力強く「否、否」と答へよう。久しい間呪はれて来た此の国の運命を想ひ、私は敢然と抗議を申込まう。小さな島であり乍ら、之程に文化財に富む国が日本の何処にあるのかを問ひ糺さう。
 人は文化の程度を、只土地の広狭で計つてはならぬ。只経済の多寡で数へてもならぬ。工業の新旧で評してもならぬ。真の貧富はどれだけ其の国が多くの文化価値を有するかに掛る。こ峯に価値とは正しきもの、誠なるもの、美しきもの、健かなるものを云ふ。是等の性質こそは文化の軽重を測る尺度である。文化価値をおいてどこに文化の意義があらう。かゝる本質的価値に乏しいなら、如何に流行の先を進むとも、如何に尨大な施設を有つとも、如何に大きな販路を開くとも、二次的な事に過ぎないではないか。
 果して沖繩は小さいであらうか。小さいのは土地や人口や経済のことに過ぎなくはないか。文化価値に於ても果して貧しいであらうか。小さな面積の中に、こんなにも多くの文化財を織り込んだ土地が、日本の何処に見出せるだらうか。沖繩が大きな沖繩だと云ふ認識は、欝然として興つて来なければならぬ。



 多くの悲劇は繰り返されたであらう。孤島苦はつぶさに嘗められたであらう。だがか』る命数なればこそ、かち得た幾多のものがないだらうか。之が為に特別な使命が此の島に与へられてゐないだらうか。感謝に余ることがないだらうか。
 容易に渡れない孤島であつたことは、独自の文化を保つのにいたく好都合であつたと云へよう。強く荒波に守られてゐたが故に、今もよく古格ある文化を続けることが出来たのである。本土に於ていち早く傾きかけた大和の風が、今も沖繩の為に支へられてゐるのである。或人は進歩がないと云つて之を責めるかも知れぬ。併し進歩を何の標準に照らして計らうとするのか。退歩したと呼ばれる国に、更に活々した新しいものがないだらうか。進歩を只遷り変る姿に求めるより、永遠の価値に不変の新しさを見出し得ないだらうか。正しいものは常に朽ちない。正しさがなくば新しいものはいつも朽ちる。
 沖繩が力のない小さな島であると、なぜ嘆くのか。一小島嶼にして千余年の独自な文化史を有つものが世界の何処にあらうか。却てあらゆる文化面を小さな空間の中に具備してゐることこそ驚嘆すべきであらう。沖繩は狭いが故に、あらゆる文化がこ峯に圧縮せられ、煮つめられ、結晶されたのだと云つていゝ。ここの文化の濃度は容易に他では見ることが出来ぬ。日本のどこに今旅したら、外は自然から内は生活に、大は建築から小は器具に至る迄、か程迄に美しさを保つ国を見出せるであらう。本土に於て固有の文化は漸く稀薄である。
 こゝに日本を見よと、どうして沖繩人は叫ばないのか。日本とは違ふと想像される沖繩に来て、始めて害はれない日本に逢へるのである。様々な面に於て本土よりも此の孤島が保持する文化度は濃い。なぜ沖繩人は此のことを語るのに遠慮がちなのであらうか。
 恐らく今沖繩の人々にとつて、何より必要なものは「誇り」である。何もかも貧弱だと他人も呼び自らも卑下する現状に於て、此の萎縮から沖繩を解放するものは、沖繩自体に対する自負心である。其の文化価値に関する自覚である。自己の命数を暗く思ふ人々がゐるなら、私は代つて讃嘆すべき沖繩に就て数々のことを列挙しよう。



 標準となるべき中央語が、雑多な語調に乱され、特に外来語の混入によつて和語としての純正さを失ひつゝある時、私達の前には沖繩語が宛ら大写しの如く現れてくる。今は和語を整理し、それを正しい方向に導く可き絶好の機会である。かう云ふ時代に私達にとつて貴重なのは、まだ和語が本来の姿で残つてゐる地方の土語である。見棄てられた東北が急に価値を帯びて来たのは、言語学者の近来の功績である。だが本土のどんな地方に旅するとも、海南の孤島沖繩に於てより、古格ある和語の多くを見ることは出来ぬ。国民意識が旺盛になつて来た今日、沖繩語の存在は、寧ろ国宝視さる可きものであらう。標準語と呼ばれるものに対して、権威を以て其の整理に貢献し得るのは沖繩語である。それは啻に古文献に於て学び得るのみではない。現に活々と用ゐられてゐる日常の言葉から、多くの示唆を得るのである。発音の如き幾多の興味ある題材を投げる。沖繩語の価値は将来益々驚嘆を以て眺められるであらう。
 だが日本国語としての沖繩語の価値は単に学者の攻究に委ぬ可きことではない。自国の母語に対する自覚は何より県民の中から湧き上らねばならぬ。沖繩が最も貴重なる国語を豊富に所有する沖繩であるとの自覚は、県民の血を沸かすだけの力を齎らさう。さうして此の自覚より沖繩の精神を振興せしむる源泉はないであらう。母語への熱情なくして県民の精神は旺盛になれぬ。用語への卑下は文化を最も萎縮させる。どの偉大な民族が、自国の言葉を遠慮がちに用ゐたであらう。
 土語を以て綴る悠久なる文学の発生を望むや切である。嘗ては「万葉」に摩す雄渾なる詩歌を生んだ沖繩語であることを、片時も忘れてはならぬ。詩人よ、出でよ。堂々と沖繩語を以て沖繩を表現せよ。それは日本にとつての大きな名誉である。



 県民は自己の首都が、日本第一の美しい都市だと云ふことを熟知してゐるだらうか。こゝに美しいとは自然と人文とのいみじき結縁を云ふ。こんなにも純粋に混り気のない様態を保有してゐる都市が何処にあらうか。歴史を背負ふ城門や寺院や堂宇、其の彫刻、世にも見事なる本葺の屋根、其の赤瓦と漆喰の白、苔にむす石垣、昔を語る石畳の街道、都を廻る丘陵や田畑のなだらかなる起伏、遠くに開ける広々とした海原、其の碧緑の色、珍らしき植物と美しき花。仮令衰へたりとは雖も、首里は又とない首里である。もつと尨大な都市は別にあらう。殷盛な市街は他にあらう。だがそれ等のものは不浄な幾多なものとの混雑に過ぎない。首里ほど人文と自然とによき調和を示し、独自の風格に統一された都市がどこにあらうか。かかる事実への自覚は、県民を幸福にさせずばおかないであらう。詩人は出でて其の美観を歌ふべきである。画家は筆を励ませて其の大観を描かねばならぬ。
 啻に其の首都ばかりではない。何処にも美しき場面に出逢ふ。建築の形相、特に屋根の美観に至つては、将に日本随一である。天平の古都はかくも美しかつたであらう。其の古都を夢むる者は、沖繩を訪ふがよい。眼前に其の光景が示現されるであらう。県人は須らく故山の美を語らねばならぬ。かゝる特権と使命とが県人の双肩に掛ってゐることを自覚せねばならぬ。



 東洋の美徳はいつも祖先への崇拝に集る。だが漸く此のことが道徳の理論と化しつ』ある時、今も活々した様に於て、此の美徳を保つてゐるのは沖繩である。而も祖先への祀りは只道徳的本務として考へられてゐるのではない。もつと溯って心霊の本能として今も続いてゐるのである。末世の吾々が改めて其の必要を説くが如き比ではない。それは祖先への景仰と呼ぶよりも、寧ろ祖先との直接な交りである。霊魂の実在は理論のことではない。人々にとつて之より活々した事実はない。想ふに沖繩の文化の基礎は、其の深さをこ丶に発足すると考へられる。若し此の信仰が失はれたら、沖繩はいとも平凡な沖繩に沈んで了ふであらう。東北の土俗が活々してゐるのは、等しく此の事実に淵源を有つからである。
 さうして何よりも著しい其の表現が墳墓に結晶されて来たのである。此の世に如何に多くの墓があらうとも、かくも見事な形相のものを、他で見出すことは出来ぬ。それは驚く可き霊想と量感との結合である。人間が生んだ建造物として世にも讃嘆せらる可きものであらう。沖繩人は彼等の祖先、彼等の同胞を世界随一の墳墓に祀ってゐることを誇っていゝ。而もそれは只の碑石ではない。単なる小祠ではない。霊魂が日夜を送る聖廟である。その堂々たる形態に比べるなら、本土に見られる墓石の如き如何に貧弱を極めてゐるであらう。
 沖繩人は彼等の生活の基本をなすかゝる霊廟を有することを誇りとしていゝ。況んや其の霊墓が比類なき美観を有つことを誰か否定し得よう。其の或ものは真に国宝に列せしめねばならぬ。啻に上玉陵に於てのみではない。下一般の家庭に至る迄、世にも見事な墳墓を造ったのである。沖繩人は彼等の骨を埋むる霊所が、正に世界一だと云ふ歓喜の情を有たねばならぬ。
 近時此の墳墓を破壊する如き主張をなす者がある。沖繩独自の存在意義に就て愚昧なるを告白するに等しい。之を否定するのに如何なる合理的理由があるとしても、更に合理的なるものは彼等の墳墓への熱愛である。



 地方の特色は地方の風俗に掛る。就中其の服飾は地方を独自の存在に高める。幸ひにも目本は和装を有し、各地にはまだ僅か乍らも特殊な風俗が残る。だが何処を旅したとて沖繩程固有の服装を今も続けてゐる所はない。まぎれもない大和の風であつて、而も之程の古格あるものを他に見ることは当底出来ぬ。誰もあの「能」の美しい衣裳には讃辞を惜しまぬ。それならどうして其の唯一の直系である沖繩の服飾に無関心でゐられやうや。而もそれは沖繩の自然と気候と色彩とが必然に招いた衣裳である。其の調和から凡ての美しさが発してゐる。恐らく日本の現存する地方的風俗として最も尊重せらる可きものであらう。況んや特色ある風が各地に於て漸く衰へかかつて来た今日、其の存在こそはとりわけ感謝を以て省みられねばならぬ。まして近時の風が浅墓な形や質や、卑俗な模様や色調に沈んで来た時、独り沖繩ばかりは大和の風を残して、優れた質と美しさを保つてゐるのである。
 近次頻りに服装の改善が称へられ、近代の生活に適するものが主張される。其の必要は本土の服装に於ても同じである。だが此のことゝ沖繩独自のものを尊ぶことゝが両立しないであらうか。特に活動を求める生活に対して、在来の服装を合理的立場から批判することは出来よう。併し生活の複雑性を只合理性からのみ割り切らうとするのは、最も不合理な所置であらう。自国の歴史と自然とが産んだ固有の服装を愛する念慮は、郷土を振興せしめる最も大切な道ではないか。さうして此の郷土愛なくして、どこに固有の文化が発達しよう。沖繩の服装はそれ自身一つの合理性に立つてゐるのである。郷土の服装への愛慕は、沖繩の存在を力強いものになすであらう。酷いもの害あるものがあるなら改めていゝ。併し反省も無くそれを放棄するのは、自覚なき時代の力弱い態度に過ぎぬ。
 改善すべき点があるとするなら、それは沖繩固有の風俗を乱さぬ範囲に於て試みられねばならぬ。改められた服装に於て尚かつ沖繩独自の美を示さねばならぬ。改善には其の根底に郷土愛が欠けてはならぬ。之より合理的な基礎はないからである。地方の服飾は中性的であつてはならぬ。徒らに又都会の風を追ふが如きは慎む可きであらう。どこ迄も地方的であることに美を示さねばならぬ。そこに何よりの誇りを見出さねばならぬ。



 染織に於ける沖繩の卓越した位置に就ては、もはや贅言を要しないであらう。大工場は他県にあらう、産額は他国に譲らう。だがそれ等の事実を前にして、沖繩の織物は質に於て美に於て決して揺ぎはない。近時新しい法を入れて他府県に追従しようと試みる者がある。だがそれ程愚かな処置があらうか。啻に琉球自らの特色を失ふのみならず、沖繩が漸く一歩近づく時、他は更に一歩前に進むであらう。追従の反復は沖繩の屈辱である。若し沖繩が彼自身の特色ある織物に立つならば、其の美に於て凡てを圧することが出来よう。それは全く沖繩独自の舞台である。首里、那覇を筆頭に、久米、宮古、八重山の諸島を擁して、歴史は燦然と輝いてゐるのである。特に「手結」の手法による絣は古今独歩であり、多彩な色絣に至つては将に天下第一である。徒らに新しい法を追つて格をくづす如きは、沖繩の織物から美を奪ふのみではなく、まもなく経済的発展をも閉塞せしめるであらう。四囲に強敵は迫つて来るからである。仮りに成功を得たとしても、かゝる勝利は沖繩の恥辱である。どこにも沖繩自体を見ることが出来ないからである。況んや沖繩程正しい伝統と、多くの織手と、独自の手法と、優れた材料とを現に所有する所はないからである。本土の何処に於てかくも変化のある優れた織物の数々を見出し得るであらう。織物に於ても沖繩が沖繩に帰ることは、郷土を高揚せしめる所以ではないか。
 染物に至つては、不幸にも其の仕事が殆ど停止するに至つた。だが「びん型」が染物として第一流のものたるは既に定説である。まだ灰の下には火が燻つてゐる。今にして新しく炭をつぐ者が出るなら伝統は甦るであらう。当事者の此のことへの怠慢は惜しみても余りあることではないか。新しい用途を講ずるなら、道は広々と開かれるであらう。琉球は「びん型」の琉球であることを再び歴史に示さねばならぬ。何の意味あつて、他府県の染を追ふ屈辱を重ねるのであるか。染織は最も光輝ある沖繩の資源である。

一〇

 不幸にも本土に於ては音楽と生活との交りは稀薄にされた。とりわけ都市の生活に於てさうである。音楽は音楽会に行かずば聞くことは出来ぬ。而もかゝる会はひとり音楽者の手に委ねられる。音楽は家庭の所有ではなくなつたのである。生活の中に音楽が活きた日は既に去った。都会の生活からは一つの民謡も湧き出ては来ないのである。偶々あれば俗悪なものに過ぎぬ。近時地方の民謡が好んで求められるのは、有たない者の飢ゑた心とも云へる。だが沖繩の事情を見れば如何に異るであらう。沖繩は民謡の中に暮す沖繩ではないか。何たる至福であらうか。生活と音楽とは二つではないのである。
 文化のさ中に暮すと云はれる吾々は、更に音楽から詩歌や舞踊を分離させて了つた。詩人と音楽者と舞踊家とは分業化せられた専門家に過ぎない。それは一般の民衆とは縁が遠いのである。民衆に交るが如きものは低調なものとさへ考へられる。だがかゝる事情こそは拭ひ難い悲劇ではないだらうか。
 沖繩人は誰も唄ひ誰も踊る。さうして屡々音に和して詩を生んでゆく。文字を知らない人達からさへ歌が生れてくる。さうして驚くことにかくも民衆の生活に深く入ったそれ等のものが、俗悪であつた場合がないのである。沖繩は終りなく美しい民謡を吾々に届ける。あの八重山の如きは、民謡の天国ではないか。謡が生活か、生活が謡か、こんなにも音と歌と踊りとが一つに溶け合つた国はないであらう。どんな都会の音楽者も、それ等の人々より音楽的ではあり得ない。音楽の音楽は琉球の所有である。 「万葉」の古韻を慕ふ者は、其の格調が今も活きる沖繩に来ねばならぬ。舞楽の本性に触れようとする者は、今も生活の中にそれが活きる沖繩を訪ねゝばならぬ。
 日本にとつて沖繩こそは又とない貴重な存在である。

一一

 島々に運ばれる焼物は日々夥しい数に上るであらう。磁器ならまだしも、何故陶器を迄他県のものを迎へるのであらう。壺屋がどんなにい」窯場であるかを振り向かないのは不思議である。
 私達のやうに日本全土の焼物を集めてゐる者が、仮りに其の中に壺屋の骨甕を置いたとしよう。どんなに力強い品物が傍らにあつたとて、壺屋のものは圧倒的な威力である。或ものは既に装飾が過ぎ、近来はコバルトを用ゐる為毒々しい色を呈したりする。だが簡素なものや、昔の色彩を保つものだと、実に比肩するものがない程立派である。其の姿は漢代以降綿々として続く素晴らしい東洋の形態を示してくれる。本土の品で是稀の力を含むだものは、もはや絶えたのである。而も其の美しさは只腕の冴えや、たくらむ趣好から来るのではない。背後の暮しや心の持方、村の気風や、伝はる習慣や、持物や言語や更に建物や、凡てのものが綜合されて湧き出るのである。決して一人の芸術家の天分に俟つ品物ではない。もつと社会的な本能的な力から盛れ上つて来るのである。壺屋ばかりには今も活々と此のカが働いてゐる。
 貧しい沖繩入が、特に田舎の人達が、普段使ひにしてゐるものを取り上げよう。それが壺屋のものである限り、一つだとて醜いものを見ることがない。仮令粗笨に見えるとも、如何にそれが自然なる情から作られてくる健全な品物であるかを考へないわけにゆかぬ。若し壺屋のもので醜いものがあるとするなら、それは近頃趣好を凝らしたものか、さもなくば他国の品を模したものばかりである。壺屋が壺屋自身の伝統に立つ時、少しも過ちを犯してゐない。形に於て模様に於て素晴らしい出来栄えを見せてくれる。
 壺屋に於て沖繩は沖繩の存在を誇ることが出来る。それはどんな本土の窯揚よりも、もつと純粋であり、本格である。

一二

 私達はあの石門や、橋梁や、墳墓や、石碑や、欄杆や、石燈や、階段や、獅子像や、井戸に於て、世にも優れた技倆を示してくれた無名の石工に就ても語る可きであらう。就中石燈の美に至つては、どんな本土のものも之に匹敵することが出来ぬ。それを見ない限り、茶人は彼の庭に燈籠を据ゑてはならぬ。
 試みに今も屋上に安置する魔除けの獅子を見るとしよう。普通の屋根屋が漆喰で吾々の夢想だもしない作品を創造する。それは遠く巧拙の彼岸から湧き出てくる美しさのやうに見える。強ひて独創を求める如き者の作品ではない。識らずして識る本能の力に帰すべきであらう。沖繩は世にも不思議なカの所有者である。なぜ此の力を遠慮なく示してくれないのだらうか。感嘆する人々は速かに集つてくるであらう。

一三

 沖繩人よ、私達は如何に過去及び現在の沖繩に敬嘆すべき数々のものがあるかを広く人々に知らせよう。まだ多くの人達の琉球に対する予想は、杜撰を極めてゐる。如何に豊な文化財がこ』に見出せるかを彼等に伝へよう。さうしてそこに如何に多く吾々が学ばねばならぬものかを忠告しよう。
 県人よ、今や長い間の屈辱的気持ちを放棄すべき時が来たのである。沖繩の貧しさを悲しむよりも、其の驚く可き富に就て、語り出づ可き時が来たのである。何よりも大和文化の独自性を最も多量に所蔵するのは沖繩だと云ふ自覚を有たれよ、さうして本土には既に衰へた数々の文化財が沖繩に現存することを、絶大な誇りとされよ。何事よりも今重要なのは沖繩精神の高揚である。産業の興隆や交通の振興は此の基礎なくして何の効用があらう。沖繩人は沖繩人たることに誇りがなければならぬ。此の自覚をおいて何時沖繩の運命を開かうとするのか、自信を有たれよ、沖繩が有つ文化の使命は大きく深い。此の自覚こそは偉人を生み出さずにはおかないであらう。
 沖繩よ、万歳。琉球よ、万々歳。(昭和十五年紀元節の夕)

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