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小倉金之助「素人文学談義」


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「素人のみた文学の話」というテーマで、自分の長い間の経験をもとにして、何かお話し申しあげましょう。
 この間、わたしは病気で休んでおりましたが、その時分に『マノン・レスコオ』という小説を読んで、非常な感銘を受けました。この小説はアベ・プレヴォーという坊さんが、今から二百二十年も前、およそ一七三〇年ごろに著したものです。
 みなさんもよくご承知とは思いますが、ざっとその筋をお話し申しますと、フランスのある良家に生れたシュヴァリエ・デ・グリュウという青年がおりました。十七歳のとき哲学の勉強を終って宗教家になろうというので、学問に志していたのですが、ある日、マノンという美しい娘さんに出会って急に情熱が燃え上りました。それからシュヴァリエはひたすら恋人の愛を捉えるために、いろいろ詐欺をやったり、賭博をやったり、殺人をも犯したりして、自分では何度か悔いたり悲しんだりしながら、どこまでもマノソを離れることができません。ついに官憲の厳しい命令によって、マノンが新大陸のアメリカへ追放される時が来ました。その時シュヴァリエはマノンの後を追うて、同じ船に乗ってアメリヵの天地で二人の幸福を求めようとしたのでありますが、それもついにうまくいきませんで、とうとう最後にマノンは死んでしまい、シュヴァリエは大平原の草原の中に愛する女の屍を埋めてフランスに帰る、という物語であります。
 マノンというのは善し悪しの判断もできないような女ですが、しかし非常に美しく、つよい魅力の持主であります。そういう女性のためにシェヴァリエは、父や友人の忠告も無視し、家庭の歴史も破壊し、学問の研究も止め、将来有望な地位も捨て、その他あらゆる十八世紀の伝統や権威をも振り捨てて、自分の生涯をマノンのために献げたのであります。
 わたしはこの小説を読みまして、人間の真実の、純粋に高く激しい情熱に、深い感銘を受けたのであります。
 もっともわたしがこの小説を読んだのは、今度が初めてでありません。三十年前にも読んだのですが、その時分にはちっとも感心しなかったのです。何のためにこんなくだらない小説が有名なのか、わからなかった。そのころ、わたしはまだ三十七、八歳で、もっぱら専門に熱中しているばかり、何か人間としての深味に欠けていたと、自分では考えております。『マノン・レスコオ』のような、こういった小説を、もし十代の青年の方々がお読みになれば、非常な感激を受けまして、人間性の解放のためにどのぐらい役立つかしれない、自己を確立することに対して、どのぐらい有益かしれないと思うのです。ところがちょうどその齢ごろ、わたしの中学時代-今から半世紀も前の話ですがーわたしの学校では小説は禁止されて、寄宿舎で小説を読んでいますと、軍人上りの舎監がやって来てみな取上げてしまった。そのころはまるで教育勅語イデオロギーとでもいいますか、人間的な感情をすっかり抑えつけた封建的な教育であったのであります。
 そればかりではありませんでした。わたしはもう既に中学時代から自然科学に熱中したものですから、十年代には小説なんぞには関心を持たなかったのです。そして今日になって、ようやく、この小説の偉大な意味がわかるようになったのであります。
 わたしは『マノン.レスコオ』に感激して、素人の好奇心から少しばかり文学史を調べてみました。そうしますと、この小説について小泉八雲はこう申しています。
「『マノン.レスコオ』に描かれた悩みと悲しみは、どんな時代にあっても、ちょうど自分のものであるかのように感動されるのである。マノンは心からの悪人ではなく、ただ弱くて我儘なだけの女であったのだ。しかもその強い魅力で男性を惹きつけた。犠牲者たちはみな彼女の魅力に惹ぎつけられたのであるが、私たちも同じように彼女の魅力に惹きつけられる。」またアナトール・フランスもこう批評して讃美しました。「たくさんの人たちはこの小説を読み終えたとき、思わずこう吐息を洩らすだろう。ああ、マノソよ! 君が生きていたなら、僕だってどんなに君を愛したことだろう、と。この小さな書物の中に書かれているととは、すべてが自然であり、すべてが真実であり、すべでが的確である。」
 今日、フランスの十大小説といいますと、『マノン・レスコオ』を入れるのが普通になっているようです。著者のアベ.プレヴォーには、ほかにもたくさんの小説がありますが、『クレヴランド』という小説の中では、富の共有と、国家社会主義とでもいうべきことを唱え、イギリスの哲学者クレヴランドが、アメリヵに渡って土人に憲法を与える努力をしています。
 このことは後にジャン・ジャック・ルソーに強い感激を与えたのでありますが、そればかりではありませんでした。小説家としてのプレヴォーの後継者自身が、じつにルソーその人なのであります。
 なぜかと申しますと、ジャン・ジヤック・ルソーは『新エロイーズ』という名高い小説を書きまして、そのなかに『マノン.レスコオ』の情熱と生命を吹き込んだ。その『新エロイーズ』が全ヨーロッパを動かして、ロマンティシズムの先駆をなしたのであります。
 ルソーの『新エロイーズ』は『マノン・レスコオ』よりおよそ三十年ぼかり後に現れたのでありますが、その時には『マノン.レスコオ』の著者アベ・プレヴォーが、まだ生きておったのであります。
 ルソーの『新エロイーズ』が全ヨーロッパを動かしてから十三年の後、ドイツにはゲーテが出て、『若きヴェルテルの悲しみ』を書いたのであります。『若きヴェルテルの悲しみ』は、全世界に読まれて青年を動かし、今日の日本でも若い方が広く読んでいる小説であります。ここまでまいりますと、もう『マノン・レスコオ』とはよほど違った姿になりますけれども、しかし若い読者の情熱を動かす点ではまったく変りがありません。そしてこれらの影響から、十九世紀前半のヨーロッパには、ロマンティシズムの全盛時代がまいりました。イギリスのスコットやバイロン、フランスのユーゴーとか。iたとえば、ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は、みなさんよくご承知のとおり、食物に餓えたあのジャン・ヴァルジャンが、ただ一片のパンを盗んだために、十九年間の牢獄生活を過ごさなけれぽならなかった。彼ジャン・ヴァルジャンは、牢獄を出ましてから、人間社会に悪いことをなくしようという願いのために、雄雄しい働きをするという実に立派な作品であり、深い人間性の物語であります。
 かような大きいロマンティシズムの流れのみなもとを考えますとき、わたしは何といっても『マノン・レスコォ』を推さなければならないと思います。マノンの物語は、考えようによっては非常にくだらないただ一篇の恋愛物語にすぎないかのように思われるかも知れませんが、それが人間性の解放、ロマンティシズム文学の輝かしい先駆者にな・ったということは、われわれに大きな教訓を与えるもので・あると信じます。



 わたしは中学時代、十代のころには小説をほとんど読まなかった、ということを前に申しました。それならいつごろから小説を読み出したのかと申しますと、二十一歳ごろ.からでした。それは明治も末期に近いころで、家庭の事情∴のためにわたしは大学を途中で止め、郷里に帰って家業の商売に従事したのであります。けれどもやっぱり学問を継-続したい。家庭におればどうしても家業を継がなければな・らないし、それが自分に不適当である上に、他にもいろい隔ろ面倒なことがありまして、わたしは学問の研究と封建的りな家族制度の間の矛盾相剋ーそういったことのために大.きな悩みを感じました。そして学問する人間にとっては、人生の一番大事な時とも思われる二十一歳から満四年の間}学問と封建家族制との矛盾に苦しみながら、大部分を郷里で過ごしたのであります。そして暇があれば何か読物をと探しておりますとき、ちょうど自然主義文学が勃興しで来たのでした。
 わたしは国木田独歩の『女難』や『正直者』や『竹の木戸』、また島崎藤村の『破戒』や『春』、あるいは田山花袋の『蒲団』とか『一兵卒』とか『生』というような小説に熱中しだしました。そしてその中に、自分の悩みの解決になるような何らかのヒント、つまり社会の批判とか、あるいは人生の解放とか、そういう問題を探し求めたのであります。
 外国物ではツルゲーネフが翻訳されはじめまして、たとえば、『父と子』というのが出ました。この『父と子』の中のバザーロフという人物は、わたしを非常に驚かしたのでしたが、わたしははじめてここで革命家.虚無主義者《ニヒリスト》という言葉に接したのであります。そしてその後わたしの見聞したところでは、ソ連でも日本でも『父と子』に対して、とかくの批判が行われてきたのでありますが、最近のソ連ではこの作品を非常に高く評価しているという話を聞いております。それから訳されていたのはモーパッサンの短篇でしたが、この当時はモーパッサンも長篇などはちっとも訳されていなかったようで、日本の女性の方々から外国小説では一番多く読まれている『女の一生』はたしか大正蔓年に広津和郎さんが訳されたので、それまではああいう物目を読もうと思ったら英訳で読むしかなかった。
 島崎藤村の友人戸川秋骨の「丸善回顧」という随筆の中、に、こういう意味のことが書かれています。
「丸善の二階で柳田国男君といろいろ話をした時、柳田君がいうには、『君が中央公論に書いたあの文章のために、丸善にあの本を買いに来た者が、非常にたくさんあったそ.うだ。』僕は得意になっていいのか恐縮していいのかわか・らなかった。あの本というのはモーパッサンの『女の一生』のことだ。いずれ風俗壊乱的な文学が見たいので買い・に来たんだろう。それは僕の文章には何の関係もなく、た沸だ風俗壊乱的文学の勢力を示すに過ぎないものであると思、った。……」この話によりましても、当時の知識人がモi、パッサンの『女の一生』を、どういうふうにみていたか、実に隔世の感がいたします。
 明治の末期というのは、まだこんな時代なので、わたしは自然主義文学と少数の翻訳物によって、もっぱらリアリズムの小説を読んだのであります。日本の自然主義文学は、たとえどんな不完全な形であったにせよ、とにかく一種のリアリズムでありまして、日本の封建的、因襲的な道徳や家族制度の問題、あるいは今まで押し隠していた恋愛や性欲の問題を大胆に取上げまして、これまでは青年がほとんど学ぶことのできなかった、人生の真実の半面を窺わせてくれたのです。かような自然主義の小説を読みはじめましてから、わたしには新しい人生観が開けて来た。わたしは自然主義文学から人間性の解放や、個性の自覚を学び取ったのであります。その結果、わたし個人としましては、封建的な家族制度に反逆を企てまして、結局のところ家業を捨てて学問の道を志したというのも、その根本においては、自然主義文学に負うものであります。それのみではありませんでした。自然主義の文学によって、わたしは批判的精神・科学的精神を学んだのでした。もちろん、科学と文学は違ったもので、科学には文学の及ぼない、いろいろなものがあることはいうまでもありません。それどころか、丈学におけるリアリズムは、自然科学の発達を伴った近代社会におきまして、その自然科学をモデルとして生れ出たものなのであります。
 ところが不思議なことに、わたしの学生時代の科学教育からは、科学的精神なんて、学び取ることが、わたしにはできなかったのです。学校では数学の時間に、数学はただ問題を解くものとおぼえました。物理・化学というと、実験したり、いろいろな法則を暗記したりするものでした。だから科学なんていうのはただ単に、科学的知識の寄せ集めとしか教わらなかった。ですから、わたしのような、やや専門的な科学教育を受けた者でも、科学的精神を学び取らなかったのであります。それをわたしは自然主義文学の中から、批判的精神と同時にーいかに物事を科学的にみるか、いかに物事を科学的に考えるかという1科学的精神を学ぶことができたのであります。
 このように自然主義文学に熱中していた、そのころのわたしは、夏目漱石の小説を好みませんでした。学問の研究と封建的家族制度との矛盾に苦しんでいたわたしには、低徊趣味といった、あののんびりした調子が気に入らなかったのです。
 それにもう一つ、『坊ちゃん』──日本で『坊ちゃん』ほどたくさん読まれた小説は恐らくないと思いますが、ーあの『坊ちゃん』の中に扱われている正義心を、わたしはこういうふうに考えたのでした。あの正義というのは、近代的な人間解放とか、人権の擁護とか、新しい思想というような考えとは違ったもので、あの中には何か封建的道徳というふうな保守的なものが、わたしには強く感じられたのです。かようなわけで、わたしは夏目漱石の小説をあまり好みませんでした。
 かように自然主義文学に親しんできたわたしでしたが、作品のテーマがだんだんと狭くなり、社会をみる目がなくなって、もっぱら私小説的になるようになりましてから、わたしは日本の小説に興味を失って、それからは主に西洋の文学を読むことにしました。トルストイの『アンナ・カレーニナ』とか、フローベルの『マダム・ボヴァリー』とか、バルザックのいろんなものなどを読みました。そしてその中から人間と社会に対する豊かな理解と展望とを具体的な形で学びとろうと、勉強をはじめたのであります。
 皆さんごぞんじの『ナナ』という小説があります。それはゾラという自然主義文学の父が書いたものですが、皆さんは『ナナ』をお読みになって、もしできることならこの女優の家族や生いたちなど知りたいものだと、お考えになうませんでしょうか。幸いにもゾラにはナナの両親や、彼女の幼年時代を描いた『居酒屋』というのがあります。またナナの三人の兄のなかで、一番上の兄は画家で『制作』の主人公です。二番目の兄は汽車の運転手で『獣人』の主…人公、三番目の兄は炭礦の坑夫で『ジェルミナール』の主人公です。また母の兄弟(おじさん)は農場の作男として『大地』という小説の主人公になっています。これらの中でも『居酒屋』『ジェルミナール』『大地』などはゾラの傑作と思われますが、『ジェル、・・ナール』の中には炭礦のストライキを扱ったり、社会主義の思想が現れているし、『大地』は広い展望の中で、農村の自然と社会を扱った見事な作品であります。もっともこういう小説をお読みになるには、ちょっと遊び半分ではやりにくいので、少しばかり勉強なさるつもりでノートでも取って、隅々まで研究なさいますと、作者の大きな意図も構成もよくわかりますし、かようにしてこそ文学を通じて、社会のこともよく学び取ることができるようになると思います。



 これまでわたしは、ロマンティシズムとリアリズムの作品についてお話し申しました。ところが十九世紀の末から二十世紀に入りますと、世界情勢が非常に変ってきて、社会的・政治的情勢の大きな変化のために、われわれの生活がおびやかされてまいりました。社会的な、人間的な理想と現実の生活との間にだんだん矛盾が激しくなり、それがまた作家に影響しまして、作家が持っておる人生観.社会観と創作方法との間に矛盾が出てくるようになり、文学にもいろいろな複雑な影響が及んでまいりました。しかしこのような困難な世界情勢の中、社会状態の下でも、堅実な文学が亡び去ったというわけではないのであります。一方新しく生れたソ連では、新しい社会主義リァリズムの文学が生れて来ましたし、また最近では中国にも注目すぺき新しい文学が生れつつあります。西ヨーロッパでも、たとえば、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』、またバルビュスの『クラルテ』。近ごろではマルタン・デュ・ガールの・『チボー家の人々』にいたるまで、われわれの思想や行動に光を与えてくれるような健康な作品も、探せばかなりにあるのであって、そういう作品もいろいろ翻訳されているのであります。わたし個人としましては、わたしの世界観を初めて大きく揺り動かしてくれたのは、バルビュスの『クラルテ』でした。それは学間もなくごく平凡な一人のサラリーマンが、第一次大戦のとき戦場に出て、戦いの間にいろんな悲惨なことや不合理なことを眺め、その大きな戦いを通じて、だんだん革命家に変ってゆくという過程が、力強く描かれている作品であります。
 国家というものはどういうものか、1それをわたしに最初に目ざめさしてくれたのは、実にこのバルビュスの『クラルテ』という小説でした。今もこのお話をしながら、わたしは三十二年のむかしパリの宿で、この小説を読んだ時の感慨を思い浮かぺること、切なるものがあります。
 このように、人間が物事を学ぶには、自分の生活経験からも学ぽなければならないし、学問からも学ばなければなりませんが、しかしそればかりではなしに、非常に大きな尊いものを文学・芸術から学ぶ道がある、ということを知らなければなりません。このことは最近学校の先生方にも大分注意されるようになってまいりましたが、これは家庭の中における子どもの教育上にも大いに必要なことであります。
 けれども子どもの教育を考えます前には、まずお母さんとか姉さん方が御自分でもって、文学から貴いものを学ぶ習慣をつけることが望ましいのであります。
 これまでわたしはたくさんの例を、主に外国の文学から取って来ました。それなら日本の文学はいったいどうなっているのでしょうか。わが国では不幸にも、自然主義の丈学がまもなく私小説に陥ってしまってから後は、人間と社会に対する広い展望を与えるような健康なリアリズムは十分に育たなかったのであります。それで今日では、社会的な経験を積んで来た相当年輩の男子になりますと、日本の純文学-私小説なんぞは自分らの生活に何の役にも立たないし、精神の糧にもならないというので、純文学を顧みないようになりました。
 今日の日本では、小説作品が、だいたい純文学と大衆丈学との二つに分れてしまいまして、純文学を読む者は特殊の男子でなければ、大多数は女性の方であります。ことに翻訳文学の読者は大部分女性である。そして大部分の男性はただ大衆文学を読んでいる。ーこういう状態になったのであります。
 ところで、その大衆文学というものは、どういうものなのでしょうか。まずそこには現実の生活を肯定させるようなサラリーマンもの、たとえば『三等重役』のようなもの、または古い封建的な道徳観の支えになるような髷物、たとえば『宮本武蔵』のようなもの。そうでなければ何か歪められた頽廃的な無道徳なような近代主義《モダニズム》といった作品が多いのであります。みなさんが真面目にお考えになりますな.ら、当然おわかりになることだと思いますが、こういった,大衆文学というものは、今日の日本国民の精神の糧にはな.らない、とわたしは思うのであります。こういう大衆文学は、日本の今日の哀れむべき状態を、なんとかしなけれぽならないという反省の助けにはなりません。それどころか、かえって日本を進歩させようとする意図を失わせるようなものが多い。そうでなければ、古い日本の封建的な思想を保存させる働きーいわゆる逆コースを辿る働きをなすものである。そうでなければ現実の生活があまり重苦しいのだから、自分だけひとり逃げてしまいたい。というような国民を眠らせる作用をするものである。1こんなふうにわたしには考えられるのであります。
 もっとも、わたしは、そう一口にいい切ってしまうわけでもありません。いったい文学-小説作品の価値とか、人に与える影響というものは、人によって非常に違うものであるし、また同じ人でも時と場合によって違った感じを受けるものです。現にわたしは既に、『父と子』に対する、ソ連の評価のいろいろについても、また『マノン.レスコオ』に対するわたし自身の、壮年期と老年期の間の感動の相違についても申しました。また『坊ちゃん』の正義心に対するわたしの見方は恐らく普通の方とは違うのでありましょう。じっさい、こんなにもいろいろの違った見方をさせるほど、敏感な、デリケートなものが文学なのです。そういう敏感な、デリヶートなものであればこそ、文学は貴いので、人間に大きな感動と影響とを与えることができるのだと思います。ですから非常に立派な作品だからといっても、読者の方が受けつけなけれぽ、豚に真珠を投げるようなものであるし、またそれと反対に、低級なものでありましても、読み方次第では非常に大きな感銘を受けることも、また大きな喜びをあたえられることも、十分可能なのであります。けれども大衆文学につきましては、わたしの信頼する多くの方々に共通な意見としましても、ただいま申しましたわたしの考えが、そんなに大きな誤りをしているとは、わたしにはどうしても考えられないのであります。
 みなさん、今日の日本はどうでしょうか。外部からは大きな圧力が加えられ、それと結んで国民を圧迫している内部の力があります。その両方に挾まれて苦しみながら、こういう圧力に対抗して、わが国民がほんとうに解放され、ほんとうに自分の力で起ち上らなければならない時期であります。こういうきびしい時期に当りまして、今日の私小・説や大衆文学のようなものが、はたして国民が衷心から求めるし望みもする小説でありましょうか。それは一人々々の日本人が、本当に心の中から要求している文学ではない、とわたしは思うのであります。われわれ日本国民はわれわれ自らの文学を持たなければなりません。
 近来、国民文学ということについて、いろいろ議論もされ研究もされて来ましたことはひじょうに結構なことで、作家や文学者や教育界の方々が協力して、十分に研究もされ実行もされますことを切望するものです。しかし「国民の文学」というのは、国民全般の物であり、共有財産でありますから、われわれ民衆の中からも、素人の中からも、それに対していろんな註文を付けたり批評をして、国民文学の建設に協力をしなければならないと、わたしは考えています。わたしはもう年も老いましたが、今後の短かい生涯を終るまで、新しい小説も、古い文学も読みつづけたい9そしてそれから多くのことを学びとると同時に、国民文学を見守ってゆくつもりであります。


 註 これは昨年(昭和二十九年)十二月二十一-三日 NHKの「趣味の手帳」の時間に放送した時の速記です。いくぷん字句を修正したばかり、内容には少しも手を加えませんでした。朝の八時半という放送時間の関係上、私はとくに家庭におられる若い婦人の方々を第一の目標においたことを、書きそえておきましょう。
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