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江戸川乱歩「赤いへや」

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amizako

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 異常な興奮を求めて集まった、七人のしかつめらしい男が(わたしもその中のひとりだった)わざわざそのためにしつらえた「赤いへや」の、緋色《ひいろ》のビロードで張った深いひじ掛けイスにもたれ込んで、今晩の話し手が、なにごとか怪異な物語を話しだすのを、今か今かと待ちかまえていた。

 七人のまん中には、これも緋色のビロードでおおわれた一つの大きなまるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台《しよくだい》にさされた、三丁の太いローソクがユラユラとかすかにゆれながら燃えていた。

 へやの四周には、窓や入り口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅な重々しいたれ絹が豊かなひだを作ってかけられていた。ロマ払チックなローソクの光が、その静脈から流れ出したばかりの血のようにもドス黒い色をした、たれ絹の表に、われわれ七人の異様に大きな影法師を投げていた。そして、その影法師は、ローソクの炎につれて、いくつかの巨大なごん虫ででもあるかのように、たれ絹のひだの曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら、はい歩いていた。

 いつもながらそのへやは、わたしを、ちょうどとほうもなく大きな生物の心臓の中にすわってでもいるような気持ちにした。わたしにはその心臓が、大きさに相応したのろさをもって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられるように思えた。

 だれも物をいわなかった。わたしはローソクをすかして、向こう側に腰掛けた人たちの赤黒く見える影の多い顔を、なんということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面のように無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話し手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっとローソクの火を見めながら、次のように話し始めた。わたしは、陰影の加減でがいこつのように見えるかれのあごが、物をいうたびにガクガクとものさびしく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの人形でも見るような気持ちでながめていた。

 わたしは、自分では、確かに正気のつもりでいますし、人もまたそのように取り扱ってくれていますけれど、真実正気なのかどうかわかりません。狂人かもしれません。それほどでないとしても、何かの精神病者というようなものかもしれません。とにかく、わたしという人間は、不思議なほどこの世の中がつまらないのです。生きているということが、もうもうたいくつでしようがないのです。

 初めの間は、でも、人並みにいろいろの道楽にふけった時代もありましたけれど、それが何一つわたしの生まれつきのたいくつを慰めてくれないで、かえって、もうこれで世の中のおもしろいことというものはおしまいなのか、なあんだつまらない、という失望ばかりが残るのでした。で、だんだん、わたしは、何かをやるのがおっくうになってきました。たとえば、これこれの遊びはおもしろい、きっとおまえを有頂天にしてくれるだろう、というような話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、ではさっそくやってみようと乗り気になるかわりに、まず頭の中で、そのおもしろさをいろいろと想像してみるのです。そして、さんざん想像をめぐらした結果は、いつも「なあに、たいしたことはない」と、みくびってしまうのです。

 そんなふうで、いちじわたしは文字どおり何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮らしていました。そして、頭の中だけでいろいろな空想をめぐらしては、これもつまらない、あれもたいくつだと、片っ端からけなしつけながら、死ぬよりもつらい、それでいて人目にはこのうえもなく安易な生活を送っていました。

 これが、わたしが、その日その日のパンに追われるような境遇だったら、まだよかったのでしょう。たとえしいられた労働にしろ、とにかく何かすることがあれば幸福です。それともまた、わたしがとびきりの大金持ちででもあったら、もっとよかったかもしれません。わたしはきっと、その大金のカで、歴史上の暴君たちがやったようなすばらしいぜいたくや、血なまぐさい遊戯や、その他さまざまの楽しみにふけることができたでありましょうが、もちろんそれもかなわぬ願いだとしますと、わたしはもう、あのおとぎばなしにあるものぐさ太郎のように、いっそ死んでしまったほうがましなほど、寂しくものういその日その日を、ただじっとして暮らすほかはないのでした。

 こんなふうに申し上げますと、皆さんはきっと、

「そうだろう、しかし世の中の事柄にたいくつしきっている点では、われわれだって決しておまえにひけを取りはしないのだ。だから、こんなクラブを作って、なんとかして異常の興奮を求めようとしているのではないか。おまえもよくよくたいくつなればこそ、今、われわれの仲間へはいってきたのであろう。それはもう、おまえのたいくつしていることは、いまさら聞かなくてもよくわかっているのだ」

 とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。わたしは、何もくどくどとたいくつの説明をする必要はないのでした。そして、あなたがたがそんなふうに、たいくつがどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、わたしは今夜この席に列して、わたしのへんてこな身のうえ話をお話ししようと決心したのでした。

 わたしはこの階下のレストランへはしょっちゆう出入りしていまして、自然ここにいらっしゃるご主人ともお心安く、ずっと前からこの「赤いへや」の会のことを聞き知っていたばかりでなく、一再《いつさい》ならず入会することを勧められてさえいました。それにもかかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつきそうなたいくつ屋のわたしが、きょうまで入会しなかったのは、わたしが、失礼な申しぶんかもしれませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬほど、たいくつしきっていたからです。たいくつしすぎていたからです。

 犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術《こうれいじつ》その他の心霊上のさまざまの実験ですか、Obscene Pictureの映画や実演や、その他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲《ふうてん》病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものにいくらかでも興味を持ちうるあなたがたは幸福です。わたしは、皆さんが死刑執行のすき見をくわだてていられると聞いたときでさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、わたしはご主人からそのお話のあったころには、もうそういうありふれた刺激には飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少しそら恐ろしい気がしますけれど、わたしにとっては遊戯といってもよい一つの事がらを発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申し上げますと、皆さんはびっくりなさるかもしれませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、わたしはその遊戯を発見してからきょうまでに、百人に近い男や女や子どもの命を、ただたいくつをまぎらす目的のためばかりに、奪ってきたのです。あなたがたは、では、わたしが今その恐ろしい罪悪を悔悟《かいご》して、ざんげ話をしようとしているのかと早がてんなさるかもしれませんが、ところが決してそうではないのです。わたしは少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ、なんということでしょう、わたしは近ごろになって、その人殺しという血なまぐさい刺激にすら、もう飽きあきしてしまったのです。そして、今度は他人ではなくて、自分自身を殺すような事がらに、あのアヘンの喫煙にふけり始めたのです。さすがに、これだけは、そんなわたしにも命は惜しかったとみえまして、がまんにがまんをしてきたのですけれど、人殺しさえあきてては、もう自殺でももくろむほかには、刺激の求めようがないではありませんか。わたしはやがてほどなく、アヘンの毒のために命をとられてしまうでしょう。そう思いますと、せめて筋道のとおった話のできる問に、わたしはだれかに、わたしのやってきたことを打ち明けておきたいのです。それには、この「赤いへや」のかたがたが、いちばんふさわしくはないでしょうか。

 そういうわけで、わたしは実は、皆さんのお仲間入りがしたいためではなくて、ただわたしのこの変な身のうえ話を聞いてもらいたいばかりに、会員のひとりに加えていただいたのです。そして、さいわいにも、新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨にそうようなお話をしなければならぬ定めになっていましたので、こうして今晩、そのわたしの望みを果たす機会をとらえることができた次第なのです。

 それは、今からざっと三年ばかり以前のことでした。そのころは、今も申し上げましたように、あらゆる刺激に飽きはてて何の生きがいもなく、ちょうど一匹のたいくつという名まえを持った動物ででもあるように、ノラリクラリと日を暮らしていたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから、たぶん二月の終わりか三月のはじめころだったのでしょう。ある夜、わたしは一つの妙なできごとにぶつかったのです。わたしが百人もの命をとるようになったのは、実にその晩のできごとが動機をなしたのでした。

 どこかで夜ふかしをしたわたしは、もう一時ごろでしたろうか、少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと、くるまにも乗らないで家路をたどっていました。もう一つ横町を曲がると一丁ばかりでわたしの家だという、その横町をなにげなくヒョイと曲がりますと、出会いがしらにひとりの男が、何かろうばいしている様子で、あわててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。わたしも驚きましたが、男はいっそう驚いたとみえて、しばらく黙ってつっ立っていましたが、おぼろげな街灯の光でわたしの姿を認めると、いきなり、

「このへんに医者はないか」

 と、尋ねるではありませんか。よくきいてみますと、その男は自動車の運転手で、今そこでひとりの老人を(こんな夜中にひとりでうろついていたところを見ると、たぶん浮浪の徒だったのでしょう)ひき倒して大ケガをさせたというのです。なるほど、見ればすぐ二、三間向こうに一台の自動車が止まっていて、そのそばに人らしいものが倒れてウーウーとかすかにうめいています。交番といっても遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさておき、まず医者を捜そうとしたのに相違ありません。

 わたしは、そのへんの地理は、自宅の近所のことですから、医者の所在などもよくわきまえていましたので、さっそくこう教えてやりました。

「ここを左のほうへ二丁ばかり行くと、左側に赤い軒灯のついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って、たたき起こしたらいいだろう」

 すると、運転手はすぐさま助手にてつだわせて、負傷者をそのM医院のほうへ運んでいきました。わたしはかれらのうしろ姿がやみの中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことにかかり合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、──わたしはひとり者なんです。──ばあやの敷いてくれた床にはいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに寝入ってしまいました。

 実際なんでもないことです。もし、わたしがそのままその事件を忘れてしまいさえしたら、それっきりの話だったのです。ところが、翌日目をさましたとき、わたしは前夜の、ちょっとしたできごとを、まだ覚えていました。そして、あのケガ人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、わたしはふと、変なことに気がつきました。

「ヤ、おれはたいへんなまちがいをしてしまったぞ」

 わたしはびっくりしました。いくら酒に酔っていたとはいえ、決して正気を失っていたわけではないのに、わたしとしたことが、何と思つてあのけが人をM医院などへかつぎ込ませたのでしょう。

「ここを左のほうへ二丁ばかり行くと、左側に赤い軒灯のついた家がある……」

 というそのことばも、すっかり覚えています。なぜそのかわりに、

「ここを右のほうへ一丁ばかり行くと、K病院という外科専門の医者がある」

 といわなかったのでしょう。わたしの教えたというのは評判のヤブ医者で、しかも、外科のほうはできるかどうかさえ疑わしかったほどなのです。ところが、Mとは反対の方角でMよりはもっと近いところに、りっぱに設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。むろん、わたしはそれをよく知っていたはずなのです。知っていたのに、なぜまちがったことを教えたか。そのときの不思議な心理状態は、今になってもまだよくわかりませんが、おそらく度忘れとでもいうのでしょうか。

 わたしは少し気がかりになってきたものですから、ばあやにそれとなく近所のうわさなどを探らせてみますと、どうやらケガ人はM医院の診察室で死んだらしいのです。どこの医者でも、そんなケガ人なんかかつぎ込まれるのはいやがるものです。まして、夜中の一時というのですから無理もありませんが、M医院ではいくら戸をたたいても、なんのかんのといって、なかなかあけてくれなかったといいます。さんざん暇どらせたあげく、やっとケガ人をかつぎ込んだ時分には、もうよほど手おくれになっていたに相違ありません。でも、そのときもしM医院の医者が、

「わたしは専門医でないから、近所のK医院のほうへつれて行け」

 とでもさしずをしたなら、あるいはケガ人は助かっていたのかもしれませんが、なんというむちゃなことでしょう。かれはみずから、そのむずかしい患者を処理しようとしたらしいのです。そして、しくじったのです。なんでも、うわさによりますと、M氏はうろたえてしまって、不当に長い間、ケガ人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 わたしはそれを聞いて、なんだかこう変な気持ちになってしまいました。

 この場合、かわいそうな老人を殺したものは、はたしてなんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、それぞれ責任のあることはいうまでもありません。そして、そこに法律上の処罰があるとすれば、それはおそらく、運転手の過失に対して行なわれるのでしょうが、事実上最も重大な責任者は、このわたしだったのではありますまいか。もし、その際、わたしがM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのヘマもなく、ケガ人は助かったのかもしれないのです。運転手は単にケガをさせたばかりです。殺したわけではないのです。M医師は医術上の技量が劣っていたためにじくじったのですから、これもあながち、とがめるところはありません。よしまた、かれに責を負うべき点があったとしても、そのもとはといえば、わたしが不適当なM医院を教えたのがわるいのです。つまり、そのときのわたしのさしず次第によって、老人を生かすことも殺すこともできたわけなのです。それは、ケガをさせたのはいかにも運転手でしょう。けれど、殺したのは、このわたしだったのではありますまいか。

 これは、わたしのさしずが全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、もしそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうというわたしの故意から出たものだったとしたら、いったい、どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。わたしは事実上殺人罪を犯したものではありませんか。しかし、法律はたとい運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者であるわたしというものに対しては、おそらく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、わたしと死んだ老人とは、まるきり関係のないことがよくわかっているのですから。そして、たとい疑いをかけられたとしても、わたしはただ、外科医院のあることなど忘れていた、と答えさえすればよいのではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんはかつて、こういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。わたしはこの自動車事件ではじめてそこへ気がついたのですが、考えてみますと、この世の中はなんという険難至極《けんのんしごく》な場所なのでしょう。いつ、わたしのような男が、何の理由もなく、故意にまちがった医者を教えたりして、そうでなければ取り留めることができた命を、不当に失ってしまうような目にあうか、わかったものではないのです。

 これはその後、わたしが実際やってみて威功したことなのですが、いなかのおばあさんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけたときに、むろんそこには電車ばかりでなく、自動車や自転車や馬車や人力車などが織るように行き違っているのですから、そのおばあさんの頭はじゅうぶん、混乱しているに相違ありません。その片足をかけたせつなに、急行電車か何かが疾風のようにやって来て、おばあさんから二、三間のところまで迫ったと仮定します。その際、おばあさんがそれに気づかないで、そのまま線路を横切ってしまえばなんのことはないのですが、だれかが大きな声で、

「おばあさん、あぶないッ」

 とどなりでもしようものなら、たちまちあわててしまって、そのままつき切ろうか、一度あとへ引き返そうかと、しばらくまごつくに相違ありません。そして、もしその電車があまり間近いために急停車もできなかったとしますと、

「おばあさん、あぶないッ」

 というたったひと言が、そのおばあさんにケガをさせ、わるくすれば命までも取ってしまわないとはかぎりません。さっきも申し上げましたとおり、わ売しはあるとき、この方法でひとりのいなか者を、まんまと殺してしまったことがありますよ。

(T氏はここでちょっとことばを切って、気味わるく笑った)

 この場合、「あぶないッ」と声をかけたわたしは、明らかに殺人者です。しかし、だれがわたしの殺意を疑いましょう。なんの恨みもない見ず知らずの人問を、ただ殺人の興味のためばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに、「あぶないッ」という注意のことばは、どんなふうに解釈してみたって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ、決して恨まれる理由がないのです。皆さん、なんと安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ、相当の処罰を受けるものだと信じて、愚かにも安心しきっています。だれにしたって、法律が人殺しを見のがそうなどとは想像もしな,いのです。ところが、どうでしょう。今申し上げました二つの実例から類推できるような、少しも法律に触れる気づかいのない殺人法が、考えてみればいくらもあるではありませんか。わたしはこのことに気づいたとき、世の中というものの恐ろしさにせんりつするよりも、そういう罪悪の余地を残しておいてくれた造物主の余裕を、このうえもなく愉快に思いました。ほんとうにわたしはこの発見に狂喜しました。なんとすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代に、このわたしだけは、いわば斬《き》り捨てごめんも同様なのです。

 そこでわたしはこの種の人殺しによって、あの死にそうなたいくつをまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることのできない人殺し、ああ、なんという申しぶんのない眠けざましでしょう。以来、わたしは三年の間というもの、人を殺す楽しみにふけって、いつの間にかさしものたいくつをすっかり忘れはてていました。皆さん、笑ってはいけません。わたしは戦国時代の豪傑のように、あの百人斬りを、むろん文字どおり斬るわけではありませんけれど、百人の命をとるまでは、決して中途でこの殺人をやめないことを、わたしは自身に誓ったのです。

 今から三月《みつき》ばかり前です。わたしはちょうど九十九人だけ済ませました。そして、あとひとりになったとき、先にも申し上げましたとおり、わたしはその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それはともかく、ではその九十九人をどんなふうにして殺したか。もちろん九十九人のどのひとりにも、少しだって恨みがあったわけではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、わたしは一度も同じやり方をくり返すようなことはしませんでした。ひとり殺したあとでは、今度はどんな新くふうでやっつけようかと、それを考えるのがまた一つの楽しみだったのです。

 しかし、この席で、わたしのやった九十九の異なった殺人法をことごとくお話しする暇もありませんし、それに、今夜わたしがここへ参りましたのは、そんな個女の殺人方法を告白するためではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、たいくつを免れようとした、そしてまた、ついにはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこのわたし自身をほろぼそうとしている、世の常ならぬわたしの心持ちをお話しして、皆さんのご判断を仰ぎたいためなのですから、その殺人方法については、ほんの二、三の実例を申七上げるに止めておきたいと存じます。

 この方法を発見してまもなくのことでしたが、こんなこともありました。わたしの近所にひとりのあんまがいまして、それがかたわなどによくある、ひどい強情者でした。他人が親切からいろいろ注意などしてやりますと、かえって逆にとって、目が見えないと思って人をバカにするな、それくらいのことは、ちゃんとおれにだってわかっているわい、という調子で、必ず相手のことばにさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。わたしがある大通りを歩いていますと、向こうからその強情者のあんまがやって来るのに出会いました。かれは生意気にもツエを肩にかついで鼻歌を歌いながら、ヒヨッコリヒヨッコリと歩いています。ちょうどその町には、きのうから下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、かれは盲人のことで片側往来どめの立て札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐそばをのんきそうに歩いているのです。

 それを見ますと、わたしはふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあ、N君」

 とあんまの名を呼びかけ(よく療治を頼んでお互いに知り合っていたのです)

「ソラ、あぶないそ、左へ寄った、左へ寄った」

 と、どなりました。それをわざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえばかれは日ごろの性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へは寄らないで、わざと右へ寄るに相違ないと考えたからです。案のじょう、かれは、

「エへへへ……。ご冗談ばっかり」

 などと声色《こわいろ》めいた口返答をしながら、やにわに反対の右のほうへふた足、三足寄ったものですから、たちまち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んでしまいました。わたしはさも驚いたふうを装うて穴の縁へ駆けより、 「うまくいったかしら」と、のぞいてみました。

 かれはうちどころでもわるかったのか、穴の底にぐったりと横たわって、穴のまわりに突き出ている鋭い石でついたのでしょう、一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でもかみ切ったとみえて、口や鼻からも同じように出血しています。顔色はもうまっさおで、うなり声を出す元気さえありません。

 こうして、このあんまは、でも数時間はむしの息で生きていましたが、ついに絶命してしまったのです。わたしの計画はみごとに成功しました。だれがわたしを疑いましょう。わたしはこのあんまを日ごろひいきにしてよく呼んでいたくらいで、決して殺人の動機になるような恨みがあったわけではなく、それに、表面上は右におとしあなのあるのを避けさせようとして、

「左へよれ、左へよれ」

 と…教えてやったわけなのですから、わたしの好意を認める人はあっても、その親切らしいことばに、恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろうはずはないのです。

 ああ、なんという恐ろしくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出したときの、おそらく芸術家のそれにも匹敵する歓喜、そのトリックを実行するときのワクワクした緊張、そして目的を果たしたときのいいしれぬ満足、それにまたわたしの犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い回る断末魔の光景。最初の問、それらが、どんなにまあわたしを有頂天にしてくれたことでしょう。

 あるときは、こんなこともありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、わたしはある郊外の文化村とでもいうのでしょう、十軒あまりの西洋館がまばらに立ち並んだところを歩いていました。そして、ちょうどその中でもいちばんりっぱなコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかったときです。ふと妙なものが、わたしの目に止まりました。といいますのは、そのときわたしめ鼻先をかすめて勢いよく飛んで行った一匹のスズメが、その家の屋根から地面へひっぱってあった太い針金にちょっと止まると、いきなりはね返されたように下へ落ちてきて、そのまま死んでしまったのです。

 変なこともあるものだと思って、よく見ますと、その針金というのは、西洋館のとがった屋根の頂上の避雷針から出ていることがわかりました。むろん、針金には被覆《ひふく》が施されていましたけれど、今スズメの止まった部分は、どうしたことか、それがはがれていたのです。わたしは電気のことはよく知らないのですが、どうかして空中電気の作用とかで、避雷針の針金に強い電流が流れることがあると、どこかで聞いたのを覚えていて、さてはそれだな、と気づきました。こんなことに出くわしたのははじめてだったものですから、珍しいことに思って、わたしはしばらくそこに立ち止まって、針金をながめていたものです。

 すると、そこへ、西洋館の横手から、兵隊ごっこかなにかして遊んでいるらしい子どもの一団が、ガヤガヤいいながら出て来ましたが、その中の六つか七つの小さな男の子が、ほかの子どもたちnはさっさと向こうへ行ってしまったのに、ひとりあとに残って、何をするのかと見ていますと、今の避雷針の針金の手前の小高くなったところに立って、前をまくると、立ち小便を始めました。それを見たわたしは、またもや一つの妙計を思いつきました。中学時代に、水が電気の導体だということを習ったことがあります。今子どもが立っている小高いところから、その針金の被.覆のとれた部分へ小便をしかけるのはわけのないことです。小便は水ですから、やっぱり導体に相違ありません。

 そこで、わたしはその子どもに、こう声をかけました。

「おい、ぼっちゃん。その針金へ小便をかけてごらん。とどくかい」

 すると、子どもは、

「なあに、わけないや。見ててごらん」

 そういったかと思うと、姿勢を変えて、いきなり針金の地の現われた部分を目がけて小便をしかけました。そして、それが針金に届くか届かないかに、恐ろしいものではありませんか、子どもはピョンと一つ踊るように飛び上がったかと思うと、そこヘバッタリ倒れてしまいました。あとで聞けば、避雷針にこんな強い電流が流れるのは非常に珍しいことなのだそうですが、このようにして、わたしは生まれてはじめて、人間の感電して死ぬところを見たわけです。

 この場合もむろん、わたしは少しだって疑いを受ける心配はありませんでした。ただ子どもの死がいに取りすがって泣き入っている母親に丁重な悔みのことばを残して、その場を立ち去りさえすればよいのでした。

 これもある夏のことでした。わたしはこの男を一つ犠牲にしてやろうと目ざしていたある友人、といっても、決してその男に恨みがあったわけではなく、長年の間|無二《むに》の親友としてつき合っていたほどの友だちなのですが、わたしにはかえってそういう仲のいい友だちなどを、なんにもいわないで、ニコニコしながら、アッという間に死がいにしてみたいという異常な望みがあったのです。その友だちといっしょに、房州のごくへんぴなある漁師町へ避暑に出かけたことがあります。むろん、海水浴場というほどの場所ではなく、海にはその部落の赤銅色《しやくどういろ》の膚をした小わっぱたちがバチセバチャやっているだけで、都会からの客といっては、わたしたちふたりのほかには画学生らしい連中が数人、それも海へはいるというよりは、そのへんの海岸をスケッチ・ブック片手に歩き回っているにすぎませんでした。

 名の売れている海水浴場のように、都会の少女たちの優美な肉体が見られるわけではなく、宿といっても東京の木賃宿みたいなもので、それに食物もさしみのほかのものはまずくて口に合わず、ずいぶん寂しい不便なところではありましたが、そのわたしの友だちというのが、わたしとはまるで違って、そうしたひなびた場所で孤独な生活を味わうのが好きなほうでしたのと、わたしはわたしで、どうかしてこの男をやっつける機会をつかもうとあせっていた際だったものですから、そんな漁師町に、数日の間も落ちついていることができたのです。

 ある日、わたしはその友だちを、海岸の部落から、ずっと隔たったところにある、ちょっと断崖みたいになった場所へ連れ出しました。そして、

「飛び込みをやるのにはもってこいの場所だ」

 などといいながら、わたしは先に立って着物を脱いだものです。友だちもいくらか水泳の心得があったものですから、

「なるほど、これはいい」

 と、わたしにならって着物をぬぎました。

 そこで、わたしはその断崖のはしに立って、両手をまっすぐに頭の上に伸ばし、

「一、二、三」

 と思いきりの声でどなっておいて、ピョンと飛び上がると、みごとな弧をえがいて、さかしまに前の海面へと飛ひ込みました。

 パチャンとからだが水についたときに、胸と腹の呼吸でスイと水を切って、わずか二、三尺もぐるだけで、トビウオのように向こうの水面へからだを現わすのが、 「飛び込み」のコツなんですが、わたしは小さい時分から水泳がじょうずで、この「飛び込み」なんかも朝飯前の仕事だったのです。そうして、岸から十四、五間も離れた水面へ首を出したわたしは、立ち泳ぎというやつをやりながら、片手でブルッと顔の水をはらって、

「オーイ、飛び込んでみろ」

 と、友だちに呼びかけました。すると、友だちはむろんなんの気もつかないで、

「よし」

 といいながら、わたしと同じ姿勢をとり、勢いよくわたしのあとを追って、そこへ飛び込みました。

 ところが、しぶきを立てて海へもぐったまま、かれはしばらくたっても、ふたたび姿を見せないではありませんか……。わたしはそれを予期していました。その海の底には、水面から一|間《けん》くらいのところに大きな岩があったのです。わたしは前もってそれを探っておき、友だちの腕まえでは、 「飛ひ込み」をやれば必ず一間以上もぐるにきまっている。したがって、この岩に頭をぶつけるに相違ないと、・見込みをつけてやった仕事なのです。ご承知でもありましょうが、「飛び込み」のわざは、じょうずなものほど、この水をもぐる度が少ないので、わたしはそれにはじゅうぶん熟練していたものですから、海底の岩にぶつかる前に、うまく向こうへ浮き上がってしまったのですが、友だちは「飛び込み」にかけてはまだほんのしろうとだったので、まっさかさまに海底へ突き入って、いやというほど頭を岩へぶつけたに相違ないのです。

 案の定、しばらく待っていますと、かれはポッカリとマグロの死がいのように海面に浮き上がりました。そして、波のまにまにただよっています。いうまでもなく、かれは気絶しているのです。

 わたしはかれを抱いて岸に泳ぎつき、そのまま部落へ駆けもどって、宿の者に急をつげました。そこで出漁を休んでいた漁師などがやって来て友だちを介抱してくれましたが、ひどく脳を打ったためでしょう、もう蘇生《そせい》の見込みはありませんでした。見ると、頭のてっぺんが五、六寸切れて、白い肉がむくれ上がっている。その頭の置かれてあった地面には、おびただしい血潮が赤黒く固まっていました。

 あとにも先にも、わたしが警察の取り調べを受けたものはたった二度きりですが、その一つがこの場合でした。なにぶん人の見ていないところで起こった事件ですから、一応の取り調べを受けるのは当然です。しかし、わたしとその友だちとは親友の間がらで、それまでにいさかい一つしたこともないとわかっているのですし、また、当時の事情としては、わたしもかれもその海底に岩のあるのを知らず、さいわいわたしは水泳がじょうずだったために、あやういところをのがれたけれども、かれはそれがへただったばかりに、この不祥事《ふしようじ》をひき起こしたのだ、ということが明白になったものですから、難なく疑いは晴れ、わたしはかえって警察の人たちから「友だちをなくされておきのどくです」と、悔やみのことばまでかけてもらうありさまでした。

 いや、こんなふうに一つ一つ実例を並べていたんでは際限がありません。もうこれだけ申し上げれば、皆さんもわたしのいわゆる絶対に法律に触れない殺人法を、だいたいおわかりくださったことと思います。すべてこの調子なんです。あるときはサーカスの見物人の中にまじつていて、突然、ここでお話しするのは恥ずかしいような途方もないへんてこな姿勢を示して、高いところで綱渡りをしていた女芸人の注意を奪い、その女を墜落させてみたり、火事場でわが子を求めて半狂乱のようになっていたどこかの細君に、

「子どもは家の中に寝かせてあるのだ、ソラ、泣いている声が聞こえるでしょう」

 などと暗示を与えて、その細君を猛火の中へ飛び込ませ、焼き殺してしまったり、あるいはまた、今や身投げをしようとしている娘の背後から、突然、

「待った」

 ととんきょうな声をかけて、そうでなければ、身投げを思いとまったかもしれないその娘を、ハッとさせたひょうしに水の中へ飛び込ませてしまったり、それはお話しすればかぎりもないのですけれど、もう夜もふけたことですし、それに、皆さんもこのような残酷な話は、もうこれ以上お聞きになりたくないでしょうから、最後に少し風変わりなのを一つだけお話しして、終わりにすることにいたしましょう。

 今までお話ししましたところでは、わたしはいつも一度にひとりの人間を殺しているように見えますが、そうでない場合もたびたびあったのです。でなければ、三年足らずの年月の間に、しかも少しも法律にふれないような方法で、九十九人も人を殺すことはできません。その中でも多人数を一度に殺しましたのは、そうです、昨年の春のことでした。皆さんも当時の新聞記事できっとお読みのことと思いますが、中央線の列車が転覆して、多くの負傷者や死者を出したことがありますね。あれなんです。

 なに、バカバカしいほどぞうさもない方法だったのですが、それを実行する土地を捜すのにかなり手間どりました。ただ最初から、中央線の沿線というだけは見当をつけていました。というのは、この線は、わたしの計画には最も便利な山中を通っているばかりでなく、列車が転覆した場合にも、中央線には日ごろから事故が多いのですから、ああまたか、というくらいで、ほかの線ほど目だたない利益があったのです。

 それにしても、注文どおりの場所を見つけるのには、なかなかほねがおれました。けっきょく、M駅の近くのがけを使うことに決心するまでには、じゅうぶん一週間はかかりました。M駅にはちょっとした温泉がありますので、わたしはそこの宿へ泊まり込んで、毎日毎日湯にはいったり、いかにも長逗留《ながとうりゆう》の湯治客らしく見せかけようとしたのです。そのためにまた十日《とおか》あまりむだに過ごさねばなりませんでしたが、やがてもうだいじょうぶだというときを見計らって、ある日、わたしはいつものようにそのへんの山の中を散歩しました。

 そして、宿から半里ほどのある小高いがけの頂上へたどりつき、わたしはそこでじっと夕やみの迫ってくるのを待っていました。そのがけ-の真下には汽車の線路がカーブを描いて走ってい、線路の向こう側は、こちらとは反対に、深いけわしい谷になって、その底にちょっとした谷川が流れているのが、かすむほど遠く見えています。

 しばらくすると、あらかじめ定めておいた時間になりました。わたしはだれも見ていなかったのですけれど、わざわざちょっとつまずくような格好をして、これもあらかじめ捜し出しておいた一つの大きな石ころをけとばしました。それはちょっとけりさえすれば、きっとがけからちょうど線路の上あたりへころがり落ちるような位置にあったのです。わたしは、もしやりそこなえば…幾度でも他の石ころでやり直すつもりだったのですが、見れば、その石ころはうまいぐあいに、一本のレールの上にのっかっています。

 半時間ののちには下り列車がそのレールを通るのです。その時分にはもうまっ暗になっているでしょうし、その石のある場所はカーブの向こう側なのですから、運転手が気づくはずはありません。それを見定めると、わたしは大急ぎでM駅へと引き返し(半里の山道ですから、それには三十分以上を費やしました)そこの駅長室へはいっていって、

「たいへんです」

 と、さもあわてた調子で叫んだものです。

「わたしはここへ湯治に来ているものですが、今|半里《はんみち》ばかり向こうの、線路に沿ったがけの上へ散歩に行っていて、坂になったところを駆けおりようとするひょうしに、ふと一つの石ころをがけから下の線路の上へけおとしてしまいました。もしもあそこを列車が通れば、きっと脱線します。わるくすると、谷間へ落ちるようなことがないともかぎりません。わたしはその石をとりのけようと、いろいろ道を捜したのですけれど、なにぶん不案内の山のことですから、どうにもあの高いがけを降りる方法がないのです。ぐずぐずしているよりはと思って、ここへ駆けつけた次第ですが、どうでしょう、至急あれを取りのけていただくわけにはいきませんか」

 と、いかにも心配そうな顔をして申しました。

 すると、駅長は驚いて、

「それは大変だ、今下り列車が通過したところです。普通なら、あのへんはもう通り過ぎてしまったころですが……」

 というのです。それがわたしの思うつぼでした。そうした問答をくり返しているうちに、列車転覆死傷数知らずという報告が、わずかに危地を脱して駆けつけた、その下り列車の車掌によってもたらされました。

 わたしはゆきがかり上ひと晩Mの警察署へひっぱられましたが、考えに考えてやった仕事です。手落ちのあろうはずはありません。むろんわたしはたいへんしかられはしましたけれど、別に処罰を受けるほどのこともないのでした。あとで聞きますと、そのときのわたしの行為は、刑法第百二十条とかにさえ(それは五百円以下の罰金刑にすぎないのですが)あてはまらなかったそうです。そういうわけで、わたしは一つの石ころによって、少しも罰せられることなしに、エ…、あれは、そうです、十七人でした。十七人の命を奪うことに成功したのでした。

 皆さん、わたしはこんなふうにして、九十九人の人命を奪った男なのです。そして、少しでも悔いるどころか、そんな血なまぐさい刺激にすら、もう飽きあきしてしまって、今度は自分自身の命を犠牲にしようとしている男なのです。皆さんは、あまりにも残酷なわたしの所行に、それそのようにまゆをしかめていらっしゃいます。そうです。これらは普通の人には想像もつかぬ極悪非道の行ないに相違ありません。ですが、そういう大罪悪を犯してまでのがれたいほどの、ひどいひどいたいくつを感じなければならなかったこのわたしの心持ちも、少しはお察しが願いたいのです。わたしという男は、そんな悪事をでもたくらむほかには、何一つこの人生に生きがいを発見することができなかったのです。皆さんどうかご判断なすってください。わたしは狂人なのでしょうか。あの殺人狂とでもいうものなのでしょうか。

 かようにして今夜の話し手の、ものすごくも奇怪きわまる身のうえ話は終わった。かれはいくぶん血走った、そして白目がちにドロンとした狂人らしい目で、わたしたち聞き手の顔をひとりひとり見回すのだった。しかし、だれひとり、これに答えて批判の口を開くものはなかった。そこには、ただ薄気昧わるくチロチロとまたたくローソクの炎に照らし出された、七人の上気した顔が、微動さえしないで並んでいた。

 ふと、ドアのあたりのたれ絹の表に、チカリと光ったものがあった。見ていると、その銀色に光ったものが、だんだん大きくなっていた。それは銀色の丸いもので、ちょうど満月が密雲を破って現われるように、赤いたれ絹の間から徐々にまったき円形を作りながら現われているのであった。わたしは最初の瞬間から、それが給仕女の両手にささげられた、われわれの飲み物を運ぶ大きな銀盆であることを知っていた。でも、不思議にも万象を夢幻化しないではおかぬこの「赤いへや」の空気は、その世の常の銀盆を、何かサロメ劇の古井戸の中からどれいがヌッとつき出すところの、あの予言者の生首ののせられた銀盆のように幻想せしめるのであった。そして、銀盆がたれ絹から出きってしまうと、そのうしろから、青竜刀《せいりゆうとう》のような幅の広い、ギラギラとしたダンビラが、ニョイと出て来るのではないかとさえ思われるのであった。

 だが、そこからは、くちびるの厚い半裸体のどれいの代わりに、いつもの美しい給仕女が現われた。そして、彼女がさも快活に七人の男の問を立ち回って、飲み物をくばり始めると、その、世間とはまるでかけ離れた幻のへやに、世間の風が吹き込んできたようで、なんとなく不調和な気がしだした。彼女は、この家の階下のレストランの、はなやかな歌舞と乱酔と、キャアというような若い女のしだらない悲鳴などを、フワフワとその身辺にただよわせていた。

「そうら、撃つよ」

 突然Tが、今までの話し声と少しも違わない落ち着いた調子でいった。右手をふところへ入れると一つのキラキラ光る物体を取り出して、ヌーッと給仕女のほうへさし向けた。

 アッというわたしたちの声と、バンというピストルの音と、キャッとたまぎる女の叫びと、それがほとんど同時だった。

 むろん、わたしたちはいっせいに席から立ち上がった。しかし、ああ、なんというしあわせなことであったか、打たれた女はなにごともなく、ただこれのみは無残にも撃ちくだかれた飲物の器《うつわ》を前にして、ボンヤリ立っているではないか。

「ワハハハハ……」T氏が狂人のように笑いだした。

「おもちゃだよ、おもちゃだよ。アハハハ……。花ちゃん、まんまといっぱい食ったね。ハハハハハ」

 では、今なおT氏の右手に白煙を吐いているあのピストルは、おもちゃにすぎなかったのか。

「まあ、びっくりした……。それ、おもちゃなの?」

 Tとは以前からおなじみらしい給仕女は、でもまだくちびるの色はなかったが、そういいながらT氏のほうへ近づいた。

「どれ、貸してごらんなさいよ。まあ、ほんものそっくりだわね」

 彼女は、てれかくしのように、そのおもちゃだという六連発を手にとって、と見こう見していたが、やがて、

「くやしいから、じゃ、あたしも撃ってあげるわ」

 いうかと思うと、彼女は左腕を曲げて、その上にピストルの筒口を置き、生意気な格好でT氏の胸にねらいを定めた。

「きみに撃てるなら、撃ってごらん」

 T氏はニヤニヤ笑いながら、からかうようにいった。

「撃てなくってさ」

 バン……前よりはいっそう鋭い銃声がへやじゅうに鳴り響いた。

「ウウウ……」

 なんともいえぬ気味めわるいうなり声がしたかと思うと、T氏がヌッとイスから立ち上がって、バッタリと床の上へ倒れた。そして、手足をバタバタやりながら、苦悶《くもん》し始めた。

 冗談か。冗談にしてはあまりにも真に迫ったもがきようではないか。

 わたしたちは思わずかれのまわりへ走りよった。隣席にいたひとりが、卓上の燭台《しょくだい》をとって苦悶《くもん》者の上にさしつけた。見ると、T氏はまっさおな顔をテンカン病みのようにけいれんさせて、ちょうど傷っいたミミズが、クネクネはね回るようなぐあいに、からだじゅうの筋肉を伸ばしたり縮めたりしながら、夢中になってもがいていた。そして、だらしなくはだかったその胸の、黒く見える傷口からは、かれが動くたびに、タラリタラリとまっかな血が、白い皮膚を伝って流れていた。

 おもちゃと見せた六連発の第二発めには、実弾が装填《そうてん》してあったのだ。

 わたしたちは、長い間、ボンヤリそこに立ったまま、だれひとり身動きするものもなかった。奇怪な物語りののちのこのできごとは、わたしたちにあまりにも激しい衝動を与えたのだ。それはとけいの口もりからいえばほんのわずかな時間だったかもしれない。けれども、少なくとも、そのときのわたしには、わたしたちがそうして何もしないで立っている間が、非常に長いように思われた。なぜならば、そのとっさの場合に、苦悶している負傷者を前にして、わたしの頭には次のような推理の働く余裕《よゆう》がじゅうぶんあったのだから。

「意外なできごとに相違ない。しかし、よく考えてみると、これは最初からち勘、んと、Tの今夜のプログラムに書いてあったことがらなのではあるまいか。かれは九十九人までは、他人を殺したけれど、最後の百人めだけは自分自身のために残しておいたのではないだろうか。そして、そういうことは最もふさわしいこの「赤いへや」を、最後の死に場所に選んだのではあるまいか。これは、この男の奇怪きわまる性質を考え合わせると、まんざら見当はずれの想像でもないのだ。そうだ、あの、ピストルをおもちゃだと信じさせておいて、給仕女に発砲させた技巧などは、ほかの殺人の場合と共通のかれ独得のやり方ではないか。こうしておけば、下手人《げしゆにん》の給仕女は少しも罰せられる心配はない。そこにはわたしたち六入もの証人があるのだ。つまり、Tはかれが他人に対してやったと同じ方法を、加害者は少しも罪にならぬ方法を、かれ自身に応用したものではないか」

 わたしのほかの人たちも、皆それぞれの感慨にふけっているように見えた。そして、それはおそらく、わたしのものと同じだったかもしれない。実際、この場合、そうとよりほか考え方がないのだから。

 恐ろしい沈黙が一座を支配していた。そこには、うつぶした給仕女の、さも悲しげにすすり泣く声が、しめやかに聞こえているばかりだった。 「赤いへや」のローソクの光に照らし出された、この一場の悲劇の場面は、この世のできごととしては、あまりにも夢幻的に見えた。

「ククククク……」

 突如、女のすすり泣きのほかに、もう一つの異様な声が聞こえてきた。それは、もはやもがくことをやめて、ぐったりと死人のように横たわっていたT氏の口からもれるらしく感じられた。氷のようなせんりつが、わたしの背中をはい上がった。

「クックックックッ」

 その声はみるみる大きくなっていった。そして、ハッと思う間に、瀕死《ひんし》のT氏のからだがヒョロヒョロと立ち上がっても、まだ「クックックックックッ」という変な音はやまなかった。それは胸の底から、絞り出される苦痛のうなり声のようでもあった。だが……、もしや-…・オオ、やはりそうだったのか。かれは意外にも、さいぜんからたまらないおかしさを、じっとかみ殺していたのだった。

「皆さん」

 かれはもう大声に笑いだしながら叫んだ。

「皆さんわかりましたか、これが」

 すると、ああ、これはまたどうしたことであろう。今の今まであのように泣き入っていた給仕女が、いきなり快活に立ち上がったかと思うと、もうもうたまらないというように、からだをくの字にして、これもまた笑いこけるのだった。

「これはね」

 やがてT氏は、あっけにとられたわたしたちの前に、一つの小さな円筒形のものを手のひらにのせてさし出しながら説明した。

「牛のぼうこうで作った弾丸なのですよ。中に赤インキがいっぱい入れてあって、命中すれば、それが流れ出す出掛けです。それからね。このタマがにせ物だったと同じように、さっきからのわたしの身のうえ話というものもね、はじめからしまいまで、みんな作りごとなんですよ。でも、わたしはこれでなかなかおしばいはうまいものでしょう.……さて、たいくつ屋の皆さん、こんなことでは皆さんがしじゅうお求めなすっている、あの刺激とやらにはなりませんでしょうかしら……」

 かれがこう種明かしをしている間に、今までかれの助手を勤めた給仕女の気転で階下のスイッチがひねられたのであろう、突跏慎昼のような電灯の光が、わたしたちの目を眩惑させた。そして、その白い明るい光線は、たちまちにして、へやの中にただよっていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、暴露された手品の種が、醜いむくろをさらしていた。緋色《ひいろ》のたれ絹にしろ、緋色のじゅうたんにしろ、同じテーブル掛けやひじ掛けイス、はては、あのよしありげな銀の燭台《しよくだい》までが、なんとみすぼらしく見えたことよ。 「赤いへや」の中には、どこのすみを捜してみても、もはや、夢も幻も、影さえとどめていないのだった。

   (『新青年』大正十四年四月号に発表)

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