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江戸川乱歩「百面相役者」


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1

 ぼくの書生時代の話だから、ずいぶん古いことだ。年代などもハッキリしないが、なんでも、日露戦争のすぐあとだったと思う。

 そのころ、ぼくは中学校を出て、さて、上の学校へはいりたいのだけれど、当時ぼくの地方には高等学校もなし、そうかといって、東京へ出て勉強させてもらうほど、家が豊かでもなかったので、気の長い話だ、ぼくは小学教員でかせいで、そのかせぎためた金で、上京して苦学をしようと思いたったものだ。なに、そのころは、そんなのがめずらしくはなかったよ。なにしろ給料にくらべて物価のほうがずっと安い時代だからね。

 話というのは、ぼくがその小学教員でかせいでいたあいだに起こったことだ。 (起こったというほど大げさな事件でもないがね)ある日、それは、よく覚えているが、こうおさえつけられるような、いやにドロンとした春先のある日曜日だった。ぼくは、中学時代の先輩で、町の(町といっても××市のことだがね)新聞社の編集部に勤めているRという男をたずねた。当時、日曜になると、この男をたずねるのが、ぼくの一つの楽しみだったのだ。というのは、彼はなかなか物知りでね、それも非常にかたよった、ふうがわりなことを、実によく調べているのだ。万事がそうだけれど、たとえば文学などでいうと、こう怪奇的な、変に秘密がかった、そうだね、日本でいえば平田篤胤《あつたね》だとか、上田秋成《あきなり》だとか、外国でいえば、スエデンボルグだとかウィリアム・ブレークだとか、例の、きみのよくいうボーなども、先生大すきだった。市井《しせい》のできごとでも、一つは新聞記者という職業上からでもあろうが、人の知らないような、へんてこなことをばかにくわしく調べていて、驚かされることがしばしばあった。

 彼の人となりを説明するのがこの話の目的ではないから、別に深入りはしないが、たとえば、上田秋成の『雨月物語』のうちで、どんなものを彼が好んだかということを一言すれば、彼の人物がよくわかる。したがって、彼の感化を受けていたぼくの心持ちもわかるだろう。

 彼は『雨月物語』は全編どれもこれも好ぎだった。あの夢のような散文詩と、それから紙背にうごめく、一種のへんてこな味が・たまらなくいいというのだ・その中でも『蛇性の婬』と『青頭巾《あおずきん》』なんか、よく声を出して、ぼくに読み聞かせたものだ。

 下野《しもつけ》の国のある里《さと》の法師が、十三、四歳の童児を寵愛《ちようあい》していたところ、その童児が病のために死んでしまったので「あまりに嘆かせたまうままに、火に焼きて土にほうむることもせで、顔に顔をもたせ、手に手をとりくみて日を経《へ》たまうが、つひに心みだれ、生きてある日に違《たが》はずたわむれつつも、その肉の腐りただるをおしみて、肉を吸ひ骨をなめ、はたくらひつくしぬ」というところなどは、今でもぼくの記憶に残っている。流行のことばでいえば、変態性欲だね。Rはこんなところがばかにすきなのだ、今から考えると、先生自身が、その変態性欲の持ち主だったかもしれない。

 少し話がわき道にそれたが、ぼくがRを訪問したのは、今いった日曜日の、ちょうどひるごろだった。先生あいかわらず机にもたれて、何かの書物をひもどいていた。そこへぼくがはいって行くと、たいへん喜んで、

「やア、いいところへ来た。きょうはひとつ、ぜひきみに見せたいものがある。そりゃ実におもしろいものだ」

 彼はいきなりこんなことをいうのだ。ぼくはまた例の珍本でも掘り出したのかと思って、

「ぜひ拝見したいものです」

 と答えると、驚いたことには、先生立ち上がって、サッサと外出をしはじめるのだ。そしていうには、

「外だよ。x×観音までつきあいたまえ。きみに見せたいものは、あすごにあるのだよ」

 そこで、ぼくは、いったい××観音に何があるのかと聞いてみたが、先生のくせでね、行ってみればわかるといわぬばかりに、何も教えない.しかたがないので、ぼくはRのあとから、だまってついて行った。

 さっきもいったとおり、雷でも鳴りだしそうな、いやにどんよりした空模様だ。そのころ電車はないので、半里ばかりの道を、テクテク歩いていると、からだじゅうジットリと汗ばんで来る。町の通りなども、天候と同様に、変にしずまり返っている。時々Rがうしろをふり向いて話しかける声が、一丁も先から聞こえるようだ。ぎちがいになるのは、こんな日じゃないかと思われたよ。

 ××観音は、東京でいえば、まあ、浅草といったところで、境内にいろいろな見せ物小屋がある。劇場もある。それがいなかだけに、いっそう廃たい的で、グロテスクなのだ。今時そんなことはないが、当時ぼくの勤めていた学校は、教師にシバイを見ることさえ禁じていた。シバイずぎのぼくは、困ったがね。でも、クビになるのが恐ろしいので、なるべく禁令を守って、このx×観音なぞへは、めったに足を向けなかった。したがって、そこにどんなシバイがかかっているか、見せ物が出ているか、ちっとも知らなかった。 (当時はシバイの新聞広告なんてほとんどなかった)で、Rがこれだといって、ある劇場の看板を指さした時には、非常にめずらしい気がしたものだよ。その看板がまた、かわっているのだ。

    新帰朝百面相役者×x丈出演
    探偵奇聞『怪美人』五幕

 涙香小史《るいこうしようし》の翻案小説に『怪美人』というのがあるが、見物してみるとあれではない、もつともっと荒唐無稽《こうとうむけい》で、奇怪しごくの筋だった。でも、どっか、涙香小史を思わせるところがないでもない。今でも貸本屋などには残っているようだが、涙香のあの改版にならない前の菊判の安っぽい本があるだろう。きみはあれのさし絵を見たことがあるかね。今見なおすと、実になんともいえぬ味のあるものだ。この××丈出演のシバイは、まあ、あのさし絵が生きて動いている、といった感じのものだったよ。

 実にきたない劇場だった。黒い土蔵みたいな感じの壁が、なかばはげ落ちて、そのすぐ前を、ブタのないドブが、変な臭気を発散して流れている。そこへきたないはなたれ小僧が立ちならんで、看板を見上げているつまあ、そういった景色だ。だが、看板だけはさすがに新しかった。それがまた、実に珍なものでね。普通のシバイの看板書きが、西洋流のまねをして書いたのだろう、足がまがった紅毛碧眼《こうもうへきがん》の紳士や、からだじゅう襞《ひだ》だらけで、ばかに顔のふくれあがった洋装美人が、さまざまの格好で、日本流のミエを切っているのだ。あんなものが今残っていたら、すてきな歴史的美術品だね。

 湯屋の番台のような格好をした、無蓋《むがい》の札売《ふだう》り場で、大きな板の通り札を買うと、ぼくらはその中へはいっていった。 (ぼくはとうとう禁令をおかしたわけだ)中も外部に劣らずきたない。土間には仕切りもなく、一面に薄よごれたアンペラが敷いてあるきりだ。しかもそこには、紙くずだとか、ミカンやナンキン豆の皮などが、いっぱいにちらばっていて、うっかり歩いていると、気味のわるいものが、ぺったり足の裏にくっつく、ひどいありさまだ。だが、当時はそれが普通だったかもしれない。現にこの劇場なぞは、町でも二、三番目に数えられていたのだからね。

 はいってみると、もうシバイははじまっていた。看板どおりの異国情緒に富んだ舞台面で、出て来る人物も、皆西洋人くさいふん装をしていた。ぼくは思った、 「これはすてきだ、さすがにRはいいものを見せてくれた」とね。なぜといって、それは当時のぼくたちの趣味に、ピッタリあてはまるようなしろものなんだから。……ぼくは単にそう考えていた。ところが、あとになってわかったのだが、Rの真意はもっともっと深いところにあった。ぼくにシバイを見せるというよりは、そこへ出て来るひとりの人物、すなわち看板の百面相役者なるものを観察させるためであった。

 シバイの筋もなかなかおもしろかったように思うが、よく覚えていないし、それにこの話にはたいして関係もないから略するけれど、神出鬼没《しんしつきぼつ》の怪美人を主人公にする、非常に変化に富んだ一種の探偵劇だった。近ごろはいっこうはやらないが、探偵劇というものも悪くないね。この怪美人には座頭《ざがしら》の百面相役者がふんした。怪美人は警官その他の追跡者をまくために、目まぐるしく変装する。男にも、女にも、老人にも、若人《わこうど》にも、貴族にも、賤民《せんみん》にも、あらゆる者に化ける。そこが百面相役者たるゆえんなのであろうが、その変装は実に手に入ったもので、舞台の警官などよりは、見物のほうがすっかりだまされてしまうのだ。あんなのを、技神に入るとでもいうのだろうね。

 ぼくがうしろのほうにしようというのに、Rはなぜか、土間のかぶりつきのところへ席をとったので、ぼくたちの目と舞台の役者の顔とは、近くなった時には、ほとんど】間ぐらいしか隔たっていないのだ。だから、こまかいところまでよくわかる。ところが、そんなに近くにいても、百面相役者の変相は、ちっとも見分けられない。女なら女、老人なら老人に、なりきっているのだ。たとえば、顔のしわだね。普通の役者だと、絵の具で書いているので、横から見ればすぐばけの皮が現われる。ふっくらとしたほおに、やたらに黒いものをなすってあるのが、こっけいに見える。それがこの百面相役者のは、どうしてあんなことができるのか、ほんとうの肉に、ちゃんとシワがきざ玄れているのだ。そればかりではない。変装することに、顔形がまるでかわってしまう。不思議でたまらなかったのは、時によって、丸顔になったり、細面になったりする。目や口が大きくなったり小さくなったりするのは、まだいいとして、鼻や耳の格好さえひどくかわるのだ。ぼくの錯覚だったのか、それとも何かの秘術であんなことができるのか、いまだに疑問がとけない。

 そんなふうだから、舞台に出て来ても、これが百面相役者というこ之は、想像もつかぬ。ただ番づけを見て、わずかにあれだなと悟るくらいのものだ。あんまり不思議なので、ぼくはそっとRに聞いてみた。

「あれはほんとうに同一人なのでしょうか。もしや、百面相役者というのは、ひとりではなくて、大ぜい替え玉をひっくるめての名称で、それがかわるがわる現われているのではないでしょうかし

 実際ぼくはそう思ったものだ。

「いや、そうではない。よく注意して、あの声を聞いてごらん。声のほうは変装のようにはいかぬかして、たくみにかえてはいるが、みな同一音調だよ。あんなに音調の似た人間がいく人もあるはずはないよ」

 なるほど、そう聞けば、どうやら同一人物らしくもあった。

「ぼくにしたって、何も知らずにこれを見たら、きっとそんな不審を起こしたに相違ない」Rが説明した。

「ところが、ぼくにはちゃんと予備知識があるんだ。というのは、このシバイがふたをあける前にね、百面相役者の××が、ぼくの新聞社を訪問したのだよ。そして、実際ぼくらの面前で、あの変装をやって見せたのだ。ほかの連中は、そんなことにあまり興味がなさそうだったけれど、ぼくは実に驚嘆した。世の中には、こんな不思議な術もあるものかと思ってね。その時の××の気炎がまた、なかなか聞きものだったよ。まず欧米における変装術の歴史をのべ、現在それがいかに完成の域に達しているかを紹介し、だが、われわれ日本人には、皮膚や頭髪のぐあいで、そのまままねられない点が多いので、それについていかに苦心したか、そして、結局、どれほどたくみにそれをものにしたか、というようなことを実に雄弁にしゃべるのだ。団十郎だろうが、菊五郎だろうが、日本広しといえどもおれにまさる役者はないという鼻息だ。なんでもこの町を振り出しに、近く東京のひのき舞台を踏んで、その妙技を天下に紹介するということだった。 (彼はこの町のうまれなのだよ)その意気や愛すべしだが、かわいそうに、先生芸というものを、とんだはき違えて解釈している。何よりもたくみに化けることが、俳優の第一条件だと信じきっている。そして、かくのごとく化けることのじょうずな自分は、いうまでもなく天下一の名優だと心得ている。いなかから生まれる芸には、よくこのたぐいのがあるものだがね。近くでいえば、熱田《あつた》の神楽獅子《かぐらじし》などがそれだよ。それはそれとして、存在するだけの値うちはあるのだけれど…」

 このRのくわしい注釈を聞いてから舞台を見ると、そこにはまた、いっそうの味わいがあった。そして見れば見るほど、ますます百面相役者の妙技に感じた。こんな男が、もし、ほんとうのどろぼうになったら、きっと、永久に警察の目をのがれることができるだろうとさえ思われた。

 やがて、シバイは型のごとくクライマックスに達し、カタストロフィに落ちて、惜しい大団円を結んだ。時間のたつのを忘れて、舞台に引きつけられていたぼくは、最後の幕がおりぎってしまうと、思わずハッと深いためいきをついたことだ。

2


 劇場を出たのは、もう十時ごろだった。空はあいかわらず曇って、ソヨとの風もなく、妙にあたりがかすんで見えた。ふたりとも黙女として家路についた。Rがなぜだまっていたかは、想像のかぎりでないが、少なくもぼくだけは、あんまり不思議なものを見たために、頭がポーッとしてしまって、ものをいう元気もなかったのだ。それほど、感銘を受けたものだ。さて、めいめいの家への分かれ道に来ると、

「きょうはいつにない愉快な日曜でした。どうもありがとう」

 ぼくはそういって、Rに別れようとした。すると、意外にもRはぼくを呼び止めて、「いや、ついでに、もう少しつきあってくれたまえ。実は、まだきみに見せたいものがあるのだ」

 という。それがもう十一時時分だよ。Rはこの夜ふけに、わざわざぼくをひっぱっていって、いったい全体何を見せようというのだろう。ぼくは不審でたまらなかったけれど、その時のRの口調が、妙に厳粛に聞こえたのと、それに当時、ぼくはRのいうことには、何でもハイハイと従う習慣になっていたものだから、それからまたRの家まで、テクテクとついて行ったことだ。

 いわれるままに、Rの部屋へはい二丶そこで、つりランプの下で、彼の顔を見ると、ぼくはハッと驚いた。彼はまっさおになって、ブルブル震えてさえいるのだ。何がそうさせたのか、彼が極度に興奮していることは、一目でわかる。

「どうしたんです。どっか悪いのじゃありませんか」

 ぼくが心配して聞くと、彼はそれには答えないで、押入れの中から古い新聞のとじ込みを捜し出して来て、いっしょうけんめいにくっていたが、やがて、ある記事を見つけ出すと、震える手でそれを差し示しながら、

「ともかく、この記事を読んでみたまえ」

 というのだ。それは彼の勤めている社の新聞で、日付を見ると、ちょうど一年ばかり以前の竜のだった。ほくは何がなんだか、まるでキツネにつままれたようで、少しもわけがわからなかったけれど、とりあえずそれを読んでみることにした。

 見出しは「またしても首どろぼう」というので、三面の最上段に、鹽二段抜きでのせてあった。この記事の切抜きは、記念のために保存してあるがね、見たまえこれだ。


近来諸方の寺院ひんぴんとして死体発掘の厄《やく》にあうも、いまだ該犯人の捕縛を見るにいたらざるは、時節がらまことになげかわしぎ次第なるが、ここに、またもやいまわしき死体盗難事件あり。その次第をしるさんに、去る×月×日午後十一時ごろ、×県×郡×村字×所在×寺の寺男×某(五〇)が、同寺住職のいいつけにて付近の檀家《だんか》へ使いに行き、帰途同寺境内の墓地を通過せるおりから、雲間をいでし月影に一名のくせ者がクワをふるって新仏《にいぼとけ》のどまんじゅうを発掘せるありさまを認め、腰を抜かさんばかりに打ち驚き、どろぼうどろぼうと呼ばわりければ、くせものもびっくり仰天、雲をかすみとにげうせたり。届け出により時を移さず×警察×分署長××氏は二名の刑事を従え現場に出張し取り調べたるところ、発掘されしは去る×月×日埋葬せる×村字××番屋敷××××の新墓地なること判明せるが、くせ者は同人のカンオケを破壊し、死体の頭部を鋭利なる刃物をもって切断し、いずこにか持ち去れるもののごとく、無残なる首なし胴体のみ土にまみれて残りおれり。一方、急方により×裁判所××検事は現場に急行し、×署楼上に捜査本部を設け、百方手を尽して犯人捜査につとめたるも、いまだなんらの手がかりを発見せずと。該事件のやり口を見るに、従来諸方の寺院を荒しまわりたるくせ者のやり口と符節を合わすがごとく、おそらく同一人のしわざなるべく、くせ者は脳髓の黒焼きが万病にきき目ありという古来の迷信により、かかる挙にいでしものならんか。さるにても、世にはむごたらしき人鬼もあればあるものなり。

 そして終わりに「ちなみに」とあって、当時までの被害寺院と首を盗まれた死人の姓名とが、五つ六つ列記してある。

 ぼくはその日、頭がよほど変になっていた。天候がそんなだったせいもあり、一つは奇怪なシバイを見たからでもあろうが、なんとなく、ものにおびえやすくなっていた。で、このいまわしい新聞記事を読むと、Rがなぜこんなものをぼくに読ませたのか、その意味は少しもわからなかったけれど、妙に感動してしまって、この世界が何かこうドロドロした血みどろのもので満たされているような気がしだしたものだ。

「ずいぶんひどいですね。ひとりでこんなにたくさん首を盗んで、黒焼き屋にでも売り込むのでしょうかね」

 Rはぼくが新聞を読んでいるあいだに、やっぱり押入れから、大きな手文庫を出して来て、その中をかきまわしていたが、ぼくが顔を上げてこう話しかけると、

「そんなことかもしれない。だが、ちょっとこの写真を見てごらん。これはね、ぼくの遠い親戚《しんせき》にあたるものだが、この老人も首をとられたひとりなんだよ。そこの『ちなみに』というところに××××という名まえがあるだろう、これはその××××老人の写真なんだ」

 そういって、一葉の古ぼけた手札形の写真を示した。見ると裏には、まちがいなく新聞のと同じ名まえが、へたな手蹟でしたためてある。なるほど、それでこの新聞記事を読ませたのだな。ぼくは一応合点することができた。しかし、よく考えてみると、こんな一年も前のできごとを、なにゆえ今ごろになって、しかもよる夜中、わざわざぼくに知らせるのか、その点がどうも解《げ》せない。それに、さっぎからRがいやに興奮している様子も、おかしいのだ。ぼくはさも不思議そうにRの顔を見つめていたに相違ない。すると彼は、

「きみはまだ気がつかぬようだね。もういちどその写真を見てごらん。よく注意して。……それを見て、何か思いあたる事柄はないかね」

 というのだ。ぼくはいわれるままに、そのしらが頭の、しわだらけのいなかばあさんの顔を、さらにつくづくながめたことだ。するときみ、ぼくはあぶなくアッと叫ぶところだったよ。そのばあさんの顔がね、さっきの百面相役者の変装の一つと、もう寸分違わないのだ。しわのより方、鼻や口の格好、見れば見るほど、まるで生ぎうつしなんだ。ぼくは生涯《しようがい》のうちで、あんな変な気持ちを味わったことは、二度とないね。考えてみたまえ、一年前に死んで、墓場へうずめられて、おまけに首まで切られた老婆が、少なくとも彼女と一分一厘違わない、あるほかの人間が(そんなものはこの世にいるはずがない)××観音のシバイ小屋で活躍しているのだ。こんな不思議なことがありうるものだろうか。

 「あの役者が、どんなに変装がうまいとしてもだ、見も知らぬ実在の人物と、こうも完全に一致することができると思うかね」

  Rはそういって、意味ありげにぼくの顔をながめた。

 「いつか新聞であれを見た時には、ぼくは自分の目がどうかしているのだと思って、別段深くも考えなかった。が、日がたつにしたがって、どうもなんとなく不安でたまらない。そこで、きょうはさいわい、きみの来るのがわかっていたものだから、きみにも見くらべてもらって、ぼくの疑問を晴らそうと思ったのだ。ところが、これじゃ疑いが晴れるどころか、ますますぼくの想像が確実になって来た。もう、そうでも考えるほかには、この不思議な事実を解釈する方法がないのだ」

 そこでRは一段と声をひくめ、非常に緊張したおももちになって、

 「この想像は非常にとっびなようだがね、しかし、まんざら不可能なことではない。まず、当時の首どろぼうときょうの百面相役者とが、同一人物だと仮定するのだ。 (あの犯人はその後捕縛されてはいないのだから、これはありうることだ)で、最初は、あるいは死体の脳ミソをとるのが目的だったかもしれない。だが、そうしてたくさんの首を集めた時、彼が、それらの首の脳ミソ以外の部分の利用法を、考えなかったと断定することはできない。一般に犯罪者というものは異常な名誉心を持っているものだ。それに、あの役者は、さっきも話したとおり、うまく化けることが俳優の第一条件で、それさえできれば、日本一の名声を博するものと、信じきっている。なおその上に、首どろぼうが偶然シバイ好きででもあったと仮定すれば、この想像説はますます確実性をおぴて来るのだ。きみ、ぼくの考えはあまりとっぴすぎるだろうか。彼がぬすんだ首からさまざまの人肉の面を製造したという、この考えは・…・・」

 おお、 「人肉の面」! なんという奇怪な、犯罪者の独創であろう。なるほど、それは不可能なことではない。たくみに顔の皮をはいで、剥製《はくせい》にして、その上から化粧をほどこせば、りっぱな「人肉の面」ができ上がるに相違ない。では、あの百面相役者の、その名にふさわしい幾多の変装姿は、それぞれに、かつてこの世に実在した人物だったのか。

 ぼくは、あまりのことに、自分の判断力を疑った。その時の、Rやぼくの理論に、どこか非常な錯誤があるのではないかと疑った。いったい「人肉の面」をかぶって、平気でシバイを演じうるような、そんな残酷な人鬼が、この世に存在するであろうか。だが、考えるにしたがって、どうしても、そのほかには想像のつけようがないことがわかって来た。ぼくは一時聞前に、現にこの目で見たのだ。そして、それと寸分違わぬ人物が、ここに、写真の中にいるのだ。また、Rにしても、彼は日ごろ冷静をほこっているほどの男だ。よもやこんな重大なことがらを、誤まって判断することはあるまい。

「もしこの想像があたっているとすると(実際このほかに考えようがないのだが)すてておくわけにはいかぬ。だが、今すぐこれを警察に届けたところで、相手にしてくれないだろう。もっと確証を握る必要がある。たとえば、百面相役者のつづらの中から、 「人肉の面」そのものを捜し出すというような。ところで、さいわいぼくは新聞記者だし、あの役者に面識もある。これはひとつ、探偵のまねをして、この秘密をあばいてやろうかな。……そうだ。ぼくはあすからそれに着手しよう。もしうまくいけば、親戚《しんせき》の老婆の供養にもなることだし、また社に対しても非常なてがらだからね」

 ついには、Rは決然として、こういう意味のことをいった。ぼくもそれに賛意を表した。ふたりはその晩二時ごろまでも、非常に興奮して語り続けた。

 さあ、それからというものは、ぼくの頭はこの奇怪な「人肉の面」でいっぱいだ。学校で授業をしていても、家で本を読んでいても、ふと気がつぐと、いつの間にかそれを考えている。Rは今ごろどうしているだろう。うまくあの役者にちかづくことができたかしら。そんなことを想像すると、もう一刻もじつとしていられない。そこで、たしかシバイを見た翌女日だったかに、ぼくはまたRを訪問した。

 行ってみると、Rはランプの下で熱心に読書していた。本は例によって、篤胤《あつたね》の『鬼神論《きじんろん》』とか『古今妖魅考《ここんようみこう》』とかいう種類のものだった。

「ヤ、このあいだは失敬した」

 ぼくがあいさつすると、彼は非常におちついて、こう答えた。ぼくはもう、ゆっくり話の順序など考えている余裕はない。すぐさま問題をきり出した.

「あれはどうでした。少しは手がかりがつきましたか」

 Rは少しけげんそうな顔で、

「あれとは?」

「ソラ、例の『人肉の面』の一件ですよ。百面相役者の」

 ぼくが声を落として、さも一大事という調子で、こう聞くとね、驚いたことには、Rの顔が妙にゆがみだしたものだ。そして、今にも爆発しようとする笑い声を、いっしょうけんめい殺している声音《こわね》で、

「ああ『人肉の面』か、あれはなかなかおもしろかったね」

 というのだ。ぼくはなんだか様子が変だと思ったけれど、まだわからないで、ボンヤリ彼の顔を見っめていた。すると、Rにはその表情がよほど間が抜けて見えたに相違ない。彼はもうたまらないという様子で、やにわにゲタゲタ笑いだしたものだ。

「ハハハハハ、あれはきみ、空想だよ。そんな事実があったら、さぞ愉快だろうというぼくの空想にすぎないのだよ。……なるほど、百面相役者は実際珍しい芸人だが、まさか『人肉の面』をつけるわけでもなかろう。それから、首どろぼうのほうは、これは、ぼくの担当した事件で、よく知っているが、その後ちゃんと犯人があがっている。だからね、この二つの事実のあいだにはなんの連絡もないのさ。ぼくが、それをちょっと空想でつなぎ合わせてみたばかりなのだ。ハハハハ。ああ、例の老婆の写真かい。ぼくにあんな親戚なぞあるものか。あれはね、実は新聞社でうつした、百面相役者自身の変装姿なのだよ。それを古い台紙にはりつけて、手品の種に使ったというわけさ。種明かしをしてしまえばなんでもないが、でも、ほんとうだと思っているあいだは、おもしろかっただろう。この退屈ぎわまる人生もね、こうして、自分の頭で創作した筋を楽しんでいけば、相当愉快に暮らせようというものだよ。ハハハハ」

 これで、この話はおしまいだ。百面相役者はその後どうしたのか、いっこううわさを聞かない。おそらく、旅から旅をさすらって、どこかのいなかで朽ちはててしまったのでもあろうか。
                              ([写真報知し大正十四年七月)
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