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江戸川乱歩「防空壕」

一、市川清一の話

 きみ、ねむいかい? エ、眠れない? ぼくも眠れないのだ。話をしようか。いま妙な話がしたくなった。

 今夜、ぼくらは平和論をやったね。むろんそれは正しいことだ。だれも異存はない。きまりきったことだ。ところがね、ぼくは生涯《しようがい》の最上の生きがいを感じたのは、戦争のさいちゅうだった。いや、みんながいっているあの意味とはちがうんだ。国を賭《と》して戦っている生きがいという、あれとはちがうんだ。もっと不健全な、反社会的な生きがいなんだよ。

 それは戦争の末期、いまにも国が滅びそうになっていたときだ。空襲が激しくなって、東京が焼け野原になる直前の、あの阿鼻叫喚《あびぎようかん》のさいちゅうなんだ。  きみだから話すんだよ。戦争中にこんなことをいったら、殺されただろうし、今だって多くの人にヒンシュクされるにきまっている。

 人間というものは複雑に造られている。生まれながらにして反社会的な性質を持っているんだね。それはタブーになっている。人間にはタブーというものが必要なんだ。それが必要だということは、つまり、人間に本来、反社会の性質がある証拠だよ。犯罪本能と呼ばれているものもそれなんだね。


 火事は一つの悪にちがいない。だが、火事は美しいね。「江戸の華」というあれだよ。雄大な炎というものは美的感情に訴える。ネロ皇帝が市街に火を放って狂喜したあの心理が、大なり小なりだれにもあるんだね。ふろをたいていてね、まきが盛んに燃えあがると、実利を離れた美的快感がある。まきでさえそうだから、一軒の家が燃えたてば美しいにきまっている。一つの市街全体が燃えれば、もっと美しいだろう。」国土全体が灰塵《かいじん》に帰するほどの大火炎ともなれば、さらにさらに美しいだろう。ここではもう死と壊滅につながる超絶的な美しさだ。ぼくはうそをいっているのではない。こういう感じ方は、だれの心にもあることだよ。

 戦争末期、ぼくは会社へ出たり出なかったりの日がつづいた。毎日空襲があった。乗り物もなくなって、会社から非常召集をされると、歩いていかなければならなかった。ひっきりなしにゾーッとするサイレンが鳴り響き、夜なかに飛びおきて、ゲートルを巻き、防空ずきんをかぶって防空壕《ぽうくうこう》へ駆けこむことがつづいた。

 ぼくはむろん戦争をのろっていた。しかし、戦争の驚異とでもいうようなものに、なにかしらひきつけられていなかったとはいえない。サイレンが鳴り響いたり、ラジオがわめいたり、号外の鈴が町を飛んだりする物情騒然の中に、異常に人をひきつけるものがあった。異常に心を昂揚するものがあった。

 最もぼくをワクワクさせたのは、新しい武器の驚異だった。敵の武器だから、いまいましくはあったけれど、やはり驚異に相違なかった。B29というあの巨大な戦闘機がそれを代表していた,そのころはまだ原爆というものを知らなかった。

 東京が焼け野原にならない前、その前奏曲のように、あの銀色の巨大なやつが編隊を組んで、非常な高さをゆうゆうと飛んでぎた。そのたびに、飛行機製作工場などが爆弾でやられていたのだが、ぼくらは地震のような地響きを感じるばかりで、目に見ることはできなかった。見るのはただ、あの高い空の銀翼ばかりだった。

 B29が飛行雲をわかしながら、まっさおに晴れわたったはるかの空を、まるで澄んだ池の中のメダカのようにかわいらしく飛んでいく姿は、敵ながら美しかった。見る目にはかわいらしくても、高度を考えれば、その巨大さが想像された。今、旅客機に乗って海の上を飛んでいると、大汽船がやはりメダカのように小さく見えるね。あれを空へ移したようなかわいらしさだった。

 向こうのほうに、豆粒のような編隊が現われる。各所の高射砲陣地から、豆鉄砲のような連続音口がきこえはじめる。敵のすがたも、味方の音も、しばいの遠見の敦盛《あつもり》のようにかわいらしかった。

 B29の進路をかこんで、高射砲の黒い煙の玉が、底知れぬ青空の中に、あばたみたいにちらばった。敵機のあたりに、星のようにチカッチカッと光るものがあった。まるでダイヤモンドのつぶを、銀色の飛行機めがけて投げつけるように見えた。それは目にも見えない小さな味方の戦闘機だった。かれらは体当たりで巨大なB29にぶっつかっていった。その小さな味方機の銀翼が、太陽の光を受けて、チカッチカッとダイヤのように光っていたのだ。

 きみも思い出せるだろう。じつに美しかったね。戦争、被害という現実を、ふと忘れた瞬問には、あれは大空のページェントの美しい前奏曲だった。

 ぼくは会社の屋上から、双眼鏡で、大空の演技をながめたものだ。双眼鏡の丸い視野の中を、銀色の整然とした編隊が近づいてくる。頭の上にきたときには、双眼鏡にはかなり大きく映った搭乗《とうじよう》員の白い顔が、豆人形のように見わけられさえした。太陽に照りはえる銀翼はやっぱり美しかった。それにぶっつかっていく味方機も見えたが、大汽船のそばの一隻のボートのように小さかった。

 その晩ぼくは、会社の帰り道を、テクテク歩いていた。電車がある区間しか動いていないので一あとは歩かなければならなかった。八時ごろだった。空には美しく星がまたたいていた。灯火管制で町はまっくらだった。ぼくたちはみな懐中電灯をポケットに用意していた。明るいのではいけないし、それに電池がすぐだめになるので、あのころは自動豆電灯というものが市販されていた。思い出すだろう。片手にはいるほどの金属性のやつで、槓桿《こうかん》を握ったり放したりすると、ジャージャーと音をたてて発電器が回転して、豆電灯がつくあれね。足もとがあぶなくなると、ぼくはあれを出してジャージャーいわせた。にぶい光だけれど、電池がいらないので、実に便利だった。

 まっくらな大通りを、黒い影法師たちが、黙々として歩いている。空襲警報が鳴らないうちに早く帰りつきたいと、みなセカセカと歩いている。きょうだけはサイレンが鳴らずにすむかもしれない、というのが、われわれの共通したそらだのみだった。

 ぼくはそのとき伝通院のそばを歩いていた。ギョッとする音が鳴りはじめた。近くのも遠くのも、いくつものサイレンが、不吉な合奏をして、悲愴《ひそう》に鳴りはじめた。いくら慣れていても、やっぱりギョッとするんだね。黒い影法師どもがバラバラと走りだした。ぼくは走るのが苦手なので、足を早めて大またに歩いていたが、その前を、警防団員の黒い影が、「待避、待避」と叫びながら、駆けていった。

 どこからか、いっぱいにひらいたラジオがきこえてきた。家庭のラジオも、できるだけの音量を出しておくのが常識になっていた。同じことを幾度もくりかえしている。B29の大編隊が伊豆《いず》半島の上空から、東京方面に近づいているというのだ。またたくまにやって来るだろう。

 ぼくも早くうちに帰ろうと思って、大塚駅《おおつかえき》のほうへ急いだが、大塚に着かない前に、もう遠くの高射砲がきこえだした。それが、だんだん近くの高射砲に移動してくる。町は真のやみだった。警戒管制から非常管制に移ったからだ。まだ九時にならないのに、町は真夜中のようにシーンと静まり返っていた。ぼくのほかには、ひとりの人影も見えなかった。

 ぼくはときどきたちどまって、空を見上げた。むろんこわかったよ。しかし、もう一つの心では、美しいなあと感嘆していた。

 高射砲弾が、シューッ、シューッと、光の点線を描いて高い高い空へ飛んでいく。そして、パラパラッと花火のように美しく炸裂《さくれつ》する。そのあたりに敵機の編隊が飛んでいるのだろう。そこへは、立っているぼくから三十度ぐらいの角度があった。まだ遠方だ。

 そこの上空に、非常に強い光のアーク灯のような玉が、フワフワと、いくつも浮遊していた。敵の照明弾だ。両国の花火にあれとそっくりのがあった。やみ夜の空の光りクラゲだ。

 高射砲の音と光が、だんだん激しくなってぎた。一方の空だけではなかった。反対側の空にもそれが炸裂《さくれつ》した。敵の編隊は二つにわかれて、東京をはさみ討ちにしていたのだ。そして、次々と位置を変えながら、東京のまわりに、爆弾と焼夷弾《しよういだん》を投下していたのだ。それがそのころの敵の戦法だった。まず周囲にグルッと火の垣《かき》を作って、逃げ出せないようにしておいて、最後に中心地帯を猛爆するという、袋のネズミ戦法なのだ。

 しばらくすると、遠くの空がポーッと明るくなった。そのときぼくは町の警防団の屯所《とんしよ》にいた。鉄かぶとをかぶって、鳶口《とびぐち》を持った人たちが、土嚢《どのう》の中にしゃがんで、空を見上げていた。ぼくもそこへしゃがませてもらった。

「横浜だ。あの明るいのは横浜が焼けているんだ。今ラジオがいっていた」

 ひとりの警防団員が走ってきて報告した。

「アッ、あっちの空も明るくなったぞ。どこだろう。渋谷へんじゃないか」

 そういっているうちに、右にも左にも、ボーッと明るい空がふえてきた。「千住だろう」「板橋だろう」といっているあいだに、空に舞いあがる火の粉が見え、炎さえ見えはじめた。東京の四周が平時の銀座の空のように、一面にほの明るくなった。

 高射砲はもう頭の真上で炸裂していた。敵機の銀翼が、地上の火炎に照らされて、かすかにながめられた。B29の機体が、いつもよりはずっと大きく見えた。低空を飛んでいるのだ。

 四周の空に、無数の光りクラゲの照明弾が浮遊していた。それがありとしもなき速度で落下してくるありさまは、じつに美しかった。その光りクラゲの群れに向かって、地上からは、赤い火の粉がうずをまいて立ちのぼっていた。青白い飛び玉模様に、赤い梨地《なしじ》のすそ模様、それを縫って、高射砲弾の金糸銀糸のすすきが交錯しているのだ。

「アッ、味方機だ。味方機が突っこんだ」

 大空にバッと火を吹いた。そして、巨大な敵機が炎の血だるまになって、落下していった。落下地点とおぼしきあたりから、爆発のような火炎が舞いあがった。

「やった、やった。これで三機めだぞッ」

 警防団の人々がワーッと喚声《かんせい》をあげた。万歳を叫ぶものもあった。

「きみ、こんなとこにいちゃあぶない。早く防空壕にはいってくださいッ」

 ぼくは警防団員に肩をこづかれた。しかたがないので、ヨロヨロと歩きだした。

 大空の光の饗宴《ぎょうえん》と、その騒音は極点に達していた。そのころから、地上も騒がしくなった。火の手がだんだん近づいてくるので、もう防空壕にも居たたまらなくなった人々が、警防団員に指導されて、どこかの広場へ集団待避をはじめたのだ。大通りには、家財を積んだ荷車、リヤカーのたぐいが混雑しはじめた。

 ぼくもその群衆にまじって駆けだした。うちには家内がひとりでるすをしていた。彼女もきっと逃げ出しているだろう。気がかりだが、どうすることもできない。

 いたるところに破裂音がとどろいた。それが地上の火炎のうなり、群衆の叫び声とまじり合って、耳も聾《ろう》するほどの騒音だった。その騒音の中に、ザーッと、夕だちが屋根をたたくような異様な音がきこえてきた。ぼくは夢中に駆けだした。それが焼夷弾の束の落下する音だということ、を聞き知っていたからだ。しかも、頭の真上から降ってくるように思われたからだ。

 ワーッというわめき声に、ヒョイとふりむくと、大通りは一面の火の海だった。八角筒の小型焼夷弾が、束になって落下して、地上に散乱していた。ぼくはあやうく、それに打たれるのをまぬがれたのだ。火の海の中にひとりの中年婦人が倒れて、もがいていた。勇敢な警防団員が火の海を渡って、それを助けるために駆けつけていた。

 ぼくは二度と同じ場所に落ちることはないだろうと思ったので、いちおう安心して、火の海に見とれていた。大通り一面が火におおわれている光景は、そんなさなかでも、やっぱり美しかった。驚くべき美観だった。

 あの八角筒焼夷弾の中には、油をひたした布きれのようなものがはいっていて、落下の途中で、それが筒から飛び出し、ついている羽根のようなもので空中をゆっくり落ちてくる。筒だけは矢のように落下するのだが、筒の中にも油が残っているので、地面にぶつかると、その油が散乱して、一面の火の海となるのだ。だから、たいした持続力はない。木造家屋ならそれで燃えだすけれど、鋪装道路では燃えつくものがないから、だんだん炎が小さくなって、じきに消えてしまう。

 ぼくはそれがホタル火のように小さくなるまで、じっとながめていた。最後は、広い地面に無数のホタルがまたたいて、やがて消えていくのだが、その経過の全体が、仕掛け花火みたいに美しかった。

 空からは、八角筒を飛び出した無数のキツネ火がゆっくり降下していた。たしか「十種香」の道行きで、舞台の背景一面にキッネ火のろうそくをつける演出があったと思うが、あの背景を黒ビロードの大空にして、何百倍に拡大したような感じだったね。どんな花火だって、あの美しさの足もとにも及ぶものじゃない。ぼくはほんとうに見とれた。それが火事のもとだということも忘れて、ポカンと口をあいて、空に見入っていた。

 もう、すぐまちかに火の手があがっていた。それがたちまち飛び火して、火の手の数がふえていった。町は夕焼けのように明るく、はせちがう人々の顔が、まっかにいうどられていた。

 刻々に、あたりは焦熱地獄の様相を帯びてきた。東京じゅうが巨大な炎に包まれ、黒雲のような煙が地上の炎に赤く縁どられて、恐ろしい速度で空を流れ、ヒューッと音をたてて、あらしのような風が吹きつけてきた。向こうには黒と赤との煙のうずが、たつまきとなって中天にまき上がり、屋根がわらは飛び、無数のトタン板が、銀紙のように空に舞い狂った。

 その中を、編隊をといたB29が縦横に飛びちがった。味方の高射砲も、今は鳴りをひそめてしまったので、敵は極度の低空まで舞いさがって、市民を威嚇し、ねらいをさだめて焼夷弾と小型爆弾を投下した。

 ぼくは巨大なB29が目を圧して迫ってくるのを見た。銀色の機体は、地上の火炎を受けて、酔っぱらいの巨人の顔のように、まっかに染まっていた。

 ぼくはあの頭の真上に迫る巨大な敵機から、なぜかてんぐの面を連想した。まっかなてんぐの面が、空いっぱいの大きさで、金色の目玉でぼくをにらみつけながら、グーッと急降下してくる。悪夢の中のように、それが次から次と、まっかな顔で降下してくるのだ。

 火災による暴風と、たつまきと、黒けむりの中を、超低空に乱舞する赤づら巨大機は、この世の終わりの恐ろしさでもあったが、一方では言語に絶する美観でもあった。凄絶《そうぜつ》だった。荘厳でさえあった。

 もう町に立っていることはできなかった。かわら、トタン板、火を吹きながら飛びちがう丸太や板きれ、そのほかあらゆる破片が、まっかな空から降ってきた。ハッと思うまに、一枚のトタン板がぼくの肩にまきついてあごに大きな切り傷を作った。血がドクドクと流れた。その中へ、またしてもザーッ、ザーッと、焼夷弾の束が降ってくる。ぼくはめがねをはねとばされてしまったが、捜すことなど思いも及ばなかった。

 どこかへ避難するほかはなかった。ぼくは暴風帯をつき抜けるために、それを横断して走った。ぼくはそのとき、大塚辻町《おおつかつじまち》の交差点から、寺のある横町を北へ北へと走っていた。走っている両側の家並みも、もう燃えはじめていた。突き当たりに大きな屋敷があった。門があけはなしてあったので、そこへ飛びこんでいった。

 まるで公園のように広い庭だった。立ち木も多かった。颶風《ひようふう》に揺れさわぎ、火の粉の降りかかる立ち木のあいだをくぐって、奥のほうへ駆けこんでいった。あとでわかったのだが、それは杉本《すぎもと》という有名な実業家のうちだった。

 その屋敷は高い石垣《いしがき》の崖《がけ》っぷちにあった。辻町のほうから来ると、そこが行きどまりで、目の下はるかに巣鴨《すがも》から氷川町《ひかわちよう》にかけての大通りがあった。東京にはほうぼうにこういう高台があって、断層のようになっているが、そこも断層の一つだった。ぼくはその町がはじめてだったので、大空襲にょって起こった地上の異変ではないかと、びっくりしたほどだ。

 その断層は屋敷のいちばん奥になっているのだが、断層の少し手前に、コンクリートで造った大きな防空壕の口がひらいていた。あとで、その屋敷の住人は全部疎開してしまって、大きな邸宅がまったくのあき家になっていたことがわかったが、そのときは、防空壕の中に家人がいるのだと思い、出会ったらことわりをいうつもりで、はいっていった。

 床も壁も天井もコンクリートでかためたりっぱな防空壕だった。ぼくは例の自動豆電灯をジャージャーいわせながら、おずおずはいっていったが、入り口からふた曲がりして、中心部にはいってみても、廃墟《はいきよ》のように人けがなかった。

 中心部は二坪ほどの長方形のへやになっていて、両側に板の長い腰かけが取りつけてあった。ぼくはちょっとそこへ掛けてみたが、すぐに立ち上がった。どうもおちつかなかった。空と地上の騒音は、ここまでもきこえてきた。ドカーン、ドカーンという爆音が、地上にいたときよりも激しく耳につき、防空壕そのものがユラユラゆれていた。


 ときどき、いなずまのように、まっかな閃光《せんこう》が屈曲した壕内にまで届いた。その光で奥のほうが見通せたとき、板の腰かけの向こうのすみにうずくまっている人間を発見した。女のようだった。

 豆電灯をジャージャーいわせて、その淡い光をさしつけながら声をかけると、女はスッと立って、こちらへ近づいてきた。

 古い紺がすりのモンペに、紺がすりの防空ずきんをかぶっていた。そのずきんの中の顔を、豆電灯で照らして、ぼくはびっくりした。あまり美しかったからだ。どんなふうに美しかったかと問われても、答えられない。いつもぼくの意中にあった美しさだというほかはない。

「ここのかたですか」ぼくが尋ねると、「いいえ、通りがかりのものです」と答えた。「ここは広い庭だから焼けませんよ。朝まで、ここにじっとしているほうがいいでしょう」といって、腰かけるようにすすめた。

 それから何を話したか覚えていない。だまりがちに、ならんで腰かけていた。お互いに名も名のらなければ、住所もたずねなかった。

 ゴーッというあらしの音とも炎の音ともつかぬ騒音が、そこまできこえてきた。そのあいだにドカーン、ドカーンという爆音と地響き。まっかないなずまがパッパッとひらめき、焦げくさい煙が吹きこんできた。

 ぼくは一度、防空壕を出て、あたりをながめたが、むこうのおもやも炎に包まれ、立ち木にまで燃え移って、パチパチはぜる音がしていた。その辺は昼のように明るく、ほおが熱いほどだった。見あげると、空は一面のどす黒い血の色で、ゴーゴーと颱風《ひようふう》が吹きすさんでいた。広い庭には死に絶えたように人影がなかった。門のところまで走っていったが、その前の通りにも、まったく人間というものがいなかった。ただ炎と煙とがうずまいていた。壕に帰るほかはなかった。

 帰ってみると、まっくらな中に、女はもとのままの姿勢でじっとしていた。

「ああ、のどがかわいた。水があるといいんだが」

 ぼくがそういうと、女は「ここにあります」といって、待ちかまえていたように、水筒を肩からはずして、手さぐりでぼくに渡してくれた。その女は用心ぶかく、水筒をさげて逃げていたのだ。ぼくはそれを何杯も飲んだ。女に返すと、女も飲んでいるようだった。

「もう、だめでしょうか」

 女が心細くつぶやいた。

「だいじょうぶ。ここにじっとしてれば、安全ですよ」

 ぼくはそのとき、激しい情欲を感じた。この世の終わりのような憂慮と擾乱《じようらん》の中で、情欲どころではないというかもしれないが、事実はその逆なんだ。ぼくの知っているある青年は、空襲のたびごとに激しい情欲を催したといっている。そして、オナニーにふけったと告白している。

 だが、ぼくの場合は単なる情欲じゃない。ひと目ぼれの激しい恋愛だ。その女の美しさはたとえるものもなかった。神々《こうごう》しくさえあった。一生に一度という非常の場合に、ぼくがいつも夢見ていたぼくのジョコンダに出会ったのだ。そのミスティックな邂逅《かいこう》がぼくを気ちがいにした。ぼくはやみをまさぐって、女の手を握った。相手は拒まなかった。遠慮がちに握り返しさえした。

 東京全市がひとかたまりの巨大な火炎になって燃え上がり、空は煙の黒雲と火の粉の金梨地《きんなしじ》におおわれ、そこを颶風《ひようふう》が吹きまくり、地上のあらゆる破片はたつまきとなって舞い上がり、まっかな巨人戦闘機は乱舞し、醤、焼夷弾は驪翩と降りそそぎ・天地は疆鑼たる大音響に鳴りはためいているとき、一瞬ののちをも知らぬ、いのちをかけての情欲がどんなものだか、きみにわかるか。ぼくは生涯を通じて、あれほどの歓喜を、生命を、生きがいを感じたことはない。それは過去にもなく、未来にもありえない、ただ一度のものだった。

 天地は狂乱していた。国はいま滅びようとしていた。ぼくたちふたりも狂っていた。ぼくたちは身についたあらゆるものをかなぐり捨てて、この世にただふたりの人間として、かきいだき、もだえ、狂い、泣き、わめいた。愛欲の極致に酔いしれた。

 ぼくは眠ったのだろうか。いや、そんなはずはない。眠りはしなかった。しかし、いつのまにか夜が明けていた。壕の中に薄明が漂い、黄色い煙が充満していた。そして、女の姿はどこにもなかった。彼女の身につけたものも、何ひと品残っていなかった。

 だが、夢ではなかった。夢であるはずがない。

 ぼくはヨロヨロと壕のぞとへ出た。人家はみな焼けつぶれてしまって、一面の焼け木杭《ぼつくい》と煙と火の海だった。まるで焼けた鉄板の上でも歩くような熱さの中を、ぼくは炎と煙をかわし、あき地を拾うようにして飛び歩き、長い道をやっと自分の家にたどりついた。しあわせにもぼくの家は焼け残り、家内も無事だった。

 町という町には、無一物になったこじきのような姿の男女が充満し、痴呆《ちほう》のように、あてどもなくさまよっていた。

 ぼくの家にも、焼け出されの知人が三組みもはいってきた。それから食料の買い出しに狂奔する日がつづいた。

 そのなかでも、ぼくはあのひと夜のなさけを忘れかねて、辻町の杉本邸の焼け跡の付近を毎日のようにさまよい歩き、その辺を掘り返して貴重品を捜しているもとの住人たちにたずねまわった。空襲の夜、杉本家のコンクリートの防空壕にひとりの若い女がはいっていたが、その女を見かけた人はないかと、執念ぶかく聞きまわった。

 こまかい経路は省略するが、非常な苦労をして、次から次と人のうわさのあとを追って、尋ね尋ねた末、やっとひとりの老婆を捜し当てた。地袋の奥の千早町の知人宅にやっかいになっている、身よりのない五十いくつの宮園とみという老婆だった。

 ぼくはこのとみばあさんをたずねていって、根掘り葉掘り聞きただした。老婆は杉本邸のそばのある会社員の家に雇われていたが、あの空襲の夜、家人は皆どこかへ避難してしまって、ひとり取り残されたので、杉本さんの防空壕のことを思い出し、ひとりでその中に隠れていたのだという。

 老婆は朝までそこにいたというのに、不思議にもぼくのことも、若い女のことも知らなかった。ひょっとしたら壕がちがうのではないかと、詳しく聞きただしたが、あの辺に杉本という家はほかになく、コンクリート壕の位置や構造もぼくらのはいったものとまったく同じだった。あの壕には両方に出入り口があった。それが折れ曲がって中心のへやへはいるようになっていた。とみばあさんは壕の中心部まではいらないで、ぼくの出入りしたのとは反対側の出入り口の、中心部の向こうの曲がりかどにでも、うずくまっていたのだろう。それを尋ねても、ばあさんはあいまいにしか答えられなかった。気も転倒していた際のことだから、はっきりした記憶がないのも無理はなかった。

 そういうわけで、けっきょく、女のことはわからずじまいだった。あれからもう十年になる。その後も、ぼくはできるかぎりその女を捜し出そうとつとめてきたが、どうしても手がかりがつかめないのだ。あの美しい女は、神隠しにあったように、この地上から姿を消してしまったのだ。その神秘が、ひと夜のなさけを、いっそう尊いものにした。生涯をひと夜にこめた愛欲だった。

 顔もからだも、あれほど美しい女がほかにあろうとは思えない。ぼくはそのひと夜を境にして、あらゆる女に興味を失ってしまった。あの物狂わしいひと夜の激情で、ぼくの愛欲は使いはたされてしまった。

 ああ、思い出しても、からだが震えだすようだ。空と地上の業火に包まれた洞窟《どうくつ》のくらやみの中、そのくらやみにほのぼのと浮き上がった美しい顔、美しいからだ、狂熱の抱擁、千夜を一夜の愛欲……ぼくはね、「美しさ身の毛もよだつ五彩のオーロラの夢」という変な文句を、いつも心の中でつぶやいている。それだよ。あの空襲の炎と死の饗宴《きようえん》は、極地の大空いっぱいにたれ幕のようにさがってくる五彩のオーロラの恐ろしさ、美しさだった。その下でのひと夜のなさけは、やっぱり、五彩のオーロラのほかのものではなかった。



二、宮園とみの話

 こんなに酔っぱらったのは、ほんとうに久しぶりですよ。だんなさまも酔狂なおかたですわね。

 だんなさまのエロ話を伺ったので、わたしも思い出しましたよ。しわくちゃばあさんのエロ話でもお聞きになりたいの? ずいぶんかわっていらっしゃるわね。オホホホホホ。

 さっきもいったとおり、わたしは広い世間にまったくのひとりぼっち、身よりたよりもない哀れなばばあですが、戦争後、こんな山奥の温泉へ流れこんでしまって、こちらのご主人が親切にしてくださるし、朋輩《ほうばい》の女中さんたちもみんないい人だし、まあここを死に場所にきめておりますの。でも、せんにはずっと東京に住んでいたのでございますよ。あの恐ろしい空襲にもあいました。だんなさま、その空襲のときですよ。じつに妙なことがありましたの。

 あれは何年の何月でしたかしら。上野、浅草のほうがやられて、隅田川《すみだがわ》が死骸《しがい》でいっぱいになったあの空襲のすぐあとで、新宿から池袋、巣鴨、小石川にかけて、焼け野が原になった空襲のときですよ。

 そのころ、わたしは三芳《みよし》さんという会社におつとめのかたのうちに、雇わればあさんでいたのですが、そのおうちが丸焼けになり、ご主人たちを見失ってしまって、わたしは近くの大きなお屋敷の防空壕《ぼうくうこう》に、たったひとりで隠れておりました。

 大塚の辻町といって、市電の終点の車庫に近いところでした。そのお屋敷は辻町から三、四町もはいったところで、高い石垣《いしがき》の上にあったのですが、お屋敷のかたはみんな疎開してしまって、あき家になっておりました。

 コンクリートでできたりっぱな防空壕でしたよ。わたしはそのまっくらな中に、ひとりぼっちで震えていたのです。

 すると、そこへ、ひとりの男が懐中電灯を照らしながら、はいってきました。むこうが懐中電灯を持っているのですから、顔は見えませんが、どうやら三十そこそこの若いお人らしく思われました。

 しばらくは、わたしのいるのも気づかない様子で、壕の中の板の腰かけにかけて、じっとしておりましたが、そのうちに、すみのほうにわたしがいるのを気づくと、懐中電灯を照らして、もっとこっちへ来いというのです。

 わたしはひとりぼっちで、こわくてしかたがなかったおりですから、喜んでその人の隣に腰かけました。そして、ちょうど水筒を持っておりましたので、それを男に飲ませてやったりして、それからひとことふたこと話しているうちに、なんとあなた、その人がわたしの手をグッと握ったじゃありませんか。

 勘ちがいをしたらしいのですよ。わたしを若い女とでも思ったらしいのですよ。小さな懐中電灯ですから、わたしの顔もよくは見えなかったのでございましょう。それに、そとにはボウボウと火が燃えている。おそろしい風が吹きまくっている。そのさなかですから、気も転倒していたことでしょうしね。なにかいろっぽいことをはじめるのですよ。オホホホ……いえね、だんなさまが聞きじょうずでいらっしゃるものだから、ついこんなお話をしてしまって。でも、これは今はじめてお話ししますのよ。なんぼなんでも、気恥ずかしくって、人さまにお話しできるようなことじゃありませんもの。

 エ、それからどうしたとおっしゃるの? わたしのほうでも、空襲で気が転倒していたのですわね。こっちも若い女になったつもりで、オホホホ……いろいろ、あれしましたのよ。今から思えば、バカバカしい話ですわ。先方の言いなりしだいに、着物もなにも脱いでしまいましてね。

 いやでございますわ。いくら酔っても、それから先は、オホホホ……で、まあ、いろいろあったあとで、男はそこへ倒れてしまって、眠ったようにじっとしていますので、わたしは気恥ずかしくなって、いそいで着物を着ると、夜の明けないうちに、防空壕から逃げ出してしまいました。お互いに顔も知らなければ、名まえも名のらずじまいでしたわ。

 エ、それっきりじゃつまらないとおっしゃいますの? ところが、これには後日談があるのでございますのよ。防空壕の中では、相手の顔もわからず、ただ若い男と察していただけですが、それから半月もしたころ、わたしは池袋の奥の千早町の知り合いのところに、台所のてつだいをしながら、やっかいになっておりましたが、そこへ、どこをどう捜したのか、そのときの男がたずねてきたじゃありませんか。

 でも、その人がそうだとは、わたしは知らなかったのです。話しているうちに、だんだんわかってきたのです。あのとき、防空壕の中に若い女がいた。おまえさんが、やっぱり同じ夜、あの防空壕にはいっていたということを、いろいろたずねまわって聞き出したので、わざわざやって来たのだ。その若い女を見なかったか。もしやおまえさんの知っている人じゃなかったかと、それはもう、いっしょうけんめいに尋ねるのです。

 その人は市川清一と名のりました。服装はあのころのことですから、軍人みたいなカーキ服でしたが、ちゃんとした会社員ふうのりっぱな人でした。三十を越したぐらいの年配で、近眼鏡をかけておりましたが、それはもう、ふるいつきたいような美男でございましたよ。オホホホ…・.・。

 わたしは、その人の話を聞いて、すぐに察しがつきました。その市川さんは、とんでもない思いちがいをしていたのです。そのときの相手がわたしみたいなおばあちゃんとは少しも知らず、若い美しい女だったと思いこんでいるのです。いじらしいじゃございませんか。その女が恋しさに、えらい苦労をして、捜しまわっているというのですよ。

 きまりがわるいやら、バカバカしいやらで、わたしはほんとうにどうしようかと思いました。若い女と思いこんでいる相手に、あれはこのわたしでしたなんて、いえるものですか。ドギマギしながら、ごまかしてしまいました。先方はみじんも疑っていないのです。わたしがうろたえていることなんか、まるで感じないのです。

 その美男の市川さんが、目に涙をためて、そのときの若い美しい女をなつかしがっている様子を見ると、わたしもへんな気持ちになりました。なんだかいまいましいような、かわいそうなような、なんともいえないへんな気持ちでございましたよ。

 エ、そんな若い美男と、ひと夜のちぎりを結ぶなんて、思いがけぬ果報だとおっしゃるのでしょう。そりゃあね、この年になっても、やっぱり、うれしいような、恥ずかしいような、ほんとうに妙なぐあいでしたわ。相手が美男だけにねえ、いよいよ気づかれてはたいへんだと、そしらぬ顔をするのに、それはひと苦労でございましたよ。オホホホ……。

                             (「文芸」昭和三十年七月号)

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