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大下宇陀児「ニッポン遺跡」(抄)


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人間の価値
 時間がきていた。
 人間について知りたいことはまだたくさんあるが、たっ
た一回の会見ではその全部をつくすわけにはいかず、それ
にはまた日を改めて会見をくりかえすほうが得策だったし、
他面には人間観覧希望老が引きもきらずやってきていると
いう実情があって、あたしだけが人間を、いつまでも独占
していることはできない。
 残念ながらあたしは、そのへんで第一回の会見を打切る
よりほかなかったが、そのとき思いついて人間に、
「あなたは、まだ十分に自分のおかれている立場を理解し
ていらっしゃらないと思うわ。あなたは冷凍されたってお
っしゃった。冷凍から六十七万年たっちゃったの。いまの
あなたを包む事情が、まるっきり変ってしまっているのだ
から・きっとたいへんにお困りね・困ることは・あみ亡に掬
まかしとけばいいの。ずっとこれから、あたしがパトロン
になってあげる。どう、いまどんなことをしてもらいたい
か、遠慮せずにおっしゃったら」
 というと、彼は前にもいいだした待遇改善問題を強硬に
主張してから、つけ加之て次のようにいった。
「話してみてわかったデろうがおいらはヨ、人問のうちで
もとくに上等の部類の人間だぜ。だんだん思いだしたが、
冷凍志願者はうんとこさいた。資格審査の厳密な標準があ
ってネ、こいつをパスするのは、人間衛星の適格者になる
よりもずっと困難だった。世界的コンクールを何回となく
重ねた上で、おいらが選出されたってものはだ、おいらが
すごく優秀だったからだと思いねえ。どこが優秀だったか
ってえと、一口にいえば.おいらは健康が十分である上に、
進歩的文化人だったからさ。こんなのは、めったにいねえ
ということになった。ところがこの進歩的文化人てのは困
るんだな。特質からして論じなくちゃなるめえが、文化人
てものはだヨ、常住坐臥節度があって上品で理智が発達し
ているから批判的精神が旺盛だし、その批判精神では具象
性を軽蔑し抽象性を尊ぶという傾向がある。勇気に乏しい
代りには、腕力による解決を極度に嫌う。美術や音楽につ
いての鑑賞力をもつことは最大の誇りで、マドロスパイプ
とゴルフが大好きだ。欲がどんなに深くても、欲の深いの
をうまくかくす術を知っているし、弱いものには同情し、
強いものには手を出さねえ。いちばん目につく特徴は、ポ
ーズを作るということでね。ポーズってのは大切なんだ。
いつも上等のポーズをとっていねえと、他人からすぐに馬
鹿にされる。従ってポーズを作るためのいろいろの要素、
こいつはとくに重視しなくちゃいけねえんだがヨ。見てく
れおいらの恰好をヨ。おいらの中味は冷凍で持ちこたえた。
ところがポーズに必要な服装ときたらなっちゃいねえ。冷
凍温度に対しての繊維製品の耐久性ってものを、もっと研
究しておく必要があったんだな。こんなポロを着て世の中
へ出てきたとき、世の中からどんな目で見られるかってこ
とを、冷凍学術会の委員どもが、まるっきり考えてくれな
かったってわけだ」
 たいそうまわりくどい意志表示だったが、つまりこれも
文化人であるせいだろう。彼は服が欲しいといっているの
であった。そんなことだったらおやすい御用だ。服はどん
なのがいいか、あたしが着ているのと同じのなら、すぐに
持ってこさせるとあたしがいうと、彼は少しはにかんだ表
情で手をふった。
「いけね、いけね。だめだよそいつは」
「あらどうして。この服はレディメイドじゃなくってよ。
一流のデザイナーが腕によりをかけて作ったものだわ。カ
ッコいいって、誰でもいうわ。どこが気にいらなくて」
「寸法が合うかどうか心配だよ。そいから、いちばん困る
のは、おめえの服の下腹部のところだ。正確にいや、股と
腹との接合点だね。そこんとこ、おめえの股は、スッポラ
カンとあいてやがる。そんなのあるかってんだ。そこは、
他人には見えねえようにしておくのが、文化人としてのし
きたりじゃねえか」
「へんなしきたりがあったもんね。あたしたちがこの部分
を開放しているのは、そうする必要があり、そうすれば便
利だからよ。身体の各部には、外部へ開放しているのが便
利なところと、開放していなくてもいいところとがあるで
しょ。早い話、顔は開放していないと、誰が誰だかわから
なくて困るわね」
「そりゃまア、そうだな」
「同時に顔には、眼があり耳があり、鼻も口もついていて、
そういうものをしょっちゅう使うから、服の中へしまって
おくと不便だわ。ほかのとことくらべるといいのよ。腹や
胸なんか、内側にあるものだけが消化や呼吸に必要で、外
側を使うってことはほとんどないから、服で包んでしまっ
ておくの。背骨の横んとこ、痒いときだけは、服の中にな
いほうがいいけど、要するところ、使用の便不便を考えて
服ってものは作るんでしょ。だったら、あたしのような服
がいいのだってことわかるはずよ」
「でもさ、人間の習慣じゃ、首から上と手と、ときには足
だけを服のぞとへ出しとくんだよ。そこんとこはやっぱり
どうもね」
「くりかえすけど、首から上と手と足は、使う度数が多い
から、出しといたほうが便利なのよ。だったら、腰のとこ
ろも同じじゃない。前もうしろも毎日何べんか必らず使う
わ。人間は、服へしまったままで使うのかしら」
「ちがうよ。使うときにはサ、服をまくりあげてそとへ出
すか、でなきゃ、指でつまんでひっばり出すかにきまって
るじゃねえかヨ。どうもおいらは文化人だから、こういう
話をするのはきまりが悪いや。ま、いい。そこを開放した
服でもがまんすら。しかし、その代りにゃ、せめてフンド
シぐれえは作ってくれヨな」
「フンドシって」
「やだな。そんなこと訊くなヨ。説明するだけでも、おい
ら、顔が赤くなってもじもじするぜ。フンドシつけねえで、
そこんとこスッポラカンの服着たらばヨ、そいつはまるで
生まれたときのまんまの恰好ってことになっちまわ。文化
人はそういうことしち偽、いけねえ。でえいちおれは、さっ
きからおめえのスッポラカンのとこ、眼についてしかたが
ねえ。見ねえようにしてえと思っても、視線が命令を拒否
しやがる。しかもだ、ふっくらとした曲線美だ。へんだヨ
な。昔から男はその曲線美を見ると、身体の一部が変調を
きたして、おさえりゃおさえるほど、変調の度合が高ぶる
んだ。こいつは不随意筋といって、始末におえねえ代物さ。
この不随意筋をかくしておくだけのためにも、ぜひともフ
ンドシはなくっちゃならねえ。たのんどくぜ。服といっし
ょに、忘れずに届けてくんなL
 よっぽどそれが欲しいらしい。
 熱音心をこめての依頼だった。
 かわいそうだから、あたしは承諾してやった。そしてこ
の天然記念物の檻をはなれた。
 久しい問世の中は、変ったことが起らずにきた。それは
春の小川の水面のように、静けさと和らぎの連続だった。
個と個はよく理解し合って他を犯さず、団体と団体は話合
いを続け協調し、闘争や摩擦を起さなかった。あたしたち
は満足しながら欠伸ばかりしていたから、人間捕獲のよう
な一大異変は、あたしの心をも肉体をも、奇妙な興奮状態
に駆りたてた。帰宅後自家用簡易精神系数測定機にかかっ
てみると、コンマ八五という数字を示した。コンマ九〇だ
と、医院の治療をうけることが法律できめられている。医
院はあたしは好きではない。すぐに平静さをとりもどそう
と思い、水蓮香水のシャワーを浴びていると、もう学会の
諸権威が、彼らが行なった人間観察についての第一次報告
を放送している。
 曰く──
「超古代生物人間は、形体上のダイメンションにおいて、
われわれケール族よりはいくらか大きいように見える。屈
伸自在な関節づきの足を二本、手を二本もっていて、頭部
から尾部に達するまでの脊椎骨を有することも、ほぼわれ
われと同様である。このほか透視解剖によってみれば、首
下位から腰までの内部に、肺や胃袋や腹などをもっている
点も、大体われわれに似ているようで、一見したところで
は、わりに高級な生物といえぬでもないが、とくに注目す
べき二つの大きな差違があることは、ことわっておかねば
ならぬであろう。その一つは彼の手や足、また腹部胸部な
どの皮膚に、直接われわれの手をふれてみること、彼のほ
うからわれわれのほうへ、ある量の熱が伝わってくること
である。トリイ族やコオモリイ族にも、これと同じ現象が
あり、それは体内を流れる血液が温いせいであるとされて
いる。されば人間は、肉体的進化の段階においては、辛う
じてトリイ族やコオモリイ族の段階に達しているだけで、
われわれケール族よりは、はるかに下位にあるものと断定
することができる。
 然り而して、次の二つめの大きな差違は、この生物の手
と足とに現われているものであるが、彼の手や足の指は、
それぞれ長短五本ずつあって、みな基部から孤立して生え
ているのである。すなわち指と指との間隙をふさぎつなぐ
皮膜をまったく欠除している。この皮膜は学術的に指間開
閉連絡筋と呼ばれるものだが、世間的俗称に従い、水かき
といってもよいだろう。つまり人間は、水かきがないので
あるから、水中を歩行する動作が不可能であるにちがいな
い。他面には空気中から酸素を摂取するための肺も、どう
やら陸上においてだけは使用のできる構造を有し、水中で
はまったく用をなさないものであるらしい。ケール族が水
陸どちらでも、好むところに応じて生活できるのに対し、
かくの如くして人間が陸上にのみ生活を限られることは、
なんたる不便なことであろうか。なおまた人間の血液が温
かく、また水中生活が不可能である点では、彼とトリイ族
並びにコオモリイ族のいちじるしき相似点とすることがで
きるけれども、トリイ族とコオモリイ族は翼を有し、空中
を自在に歩くことができるのであるから、人間は地面に密
着して生活する以外に道はなく、従って人間は、トリイ族
やコオモリイ族よりも進化の遅れた低位価値の生物なので
ある」
 曰く──
「人間の皮膚は砂の表面のように乾燥している.。さわると
ザラザラして甚だしい不快感がある。ケール族は、肌から
常に粘液クリームを分泌しているし、ことに最近は薬学界
の進歩発達に基き、粘液の色調を自由に変化せしめ、また
好むがままの芳香を発散しつつ、適度の潤滑性を保有せし
むることが可能になっているが、人間にはまったくそれが
不可能であるから、定めし精神的にも不愉快であろうと思
われる。もっとも彼の皮膚は、粘液を分泌しない代りに、
たくさんの触角を生やさせるという機能をもっている。触
角は、長かったり短かかったり、また細かったり太か(、た
りする。発生する部位により、密生して群落となり、ある
いはひどくまばらで、あるかないかわからないところもあ
る。この触角は、トリイ族及びコオモリイ族のもつ羽毛と
同じものだといえぬでもないが、かすかにこれに触れてみ
れば、触角としての働らきが鋭敏なのだと見てよい。但し
試みに、その触角をつまんでひっぱると、人間はアイテテ
テと叫んだ。それは喜こびの声のようであった。彼はそれ
を好むのであろう。人問をもし愛撫するのであったら、触
角を引っばってやればよいということになる。不思議なの
は、彼の下腹部から足が二本生えている。その足の生え根
のところにある触角は、他の部分のものとちがい、モジャ
モジャとちぢれ曲り、かたまっていることである。そこを
調べるとき人間は、いささかはげしい拒否の動作を示した.
いくどもくりかえし、バカナコトスルナ、コッバズカシイ
と叫んだ。おそらくここの部分の触角は彼にとってとくに
大切なものだろう。叫んだ言葉言葉の意味は、古典学者の
解説を待たねばわからない」
 曰く──
「人間が猛毒を出すという説が流布されたが、どうやらそ
れは誤まった認識であるらしいとわかった。口の中を調べ
るため、長い金属の挺了、釘抜き及びピンセットを用いて
彼の口中にある舌を引きだそうとすると、彼はもっともは
げしい拒否の態度を示し、怒って口中から唾液を分泌し、
われわれの顔へ吐きかけてきた。毒であってはたいへんだ
から、被害者には即刻消毒の手続きをとるとともに、唾液
を分析したけれども、完全に毒性のないことが判明したの
で、われわれは大いに安心したような次第である。ついに
舌を引き出したとき、眼からもポロポロと水がこぼれた。
しかしこの水にも、分析の結果では毒性のないことが判明
した」
 更に曰く──
「すべてにおいて進化のおくれた人間であるが、われわれ
ケール族やトリイ族にはできなくて、人間だけにできるた
った一つのことがあった。それは人間は、腹と背中のどち
らを上にしてでも寝られるということである。もっとも、
それができたからといって、すなわち腹を上へ向けて寝ら
れたからといって、とくに生活や智能の働らきの上で役立
つということはないはずだから、そのこと自身いかなる意
義をも有するのではないが、そのようにして腹を上にして
寝長まった姿を眺めているとき、まことに不可解な発見が
あった。腹部の中心には、不等辺不規則な星型をした小さ
な突起がついている。その形状はなお精細に観察すれば、
紐を結び合せ、その結びめを鋏で断ち切ったという恰好を
していて、断ちきった切口には、黒灰色の脂染みた固まり
が埋めこんであったからこの物質はなんであろうか、また
いかなる作用をするものであるか、生理化学研究所へ送っ
て調査することになった。ちなみに、人間観察にあたって
は、傍らに録音機をすえつけて、人間の発する叫びを録音
することにした。押しよせる見物の大群衆に災いされて、
録音は十分に成功せず、一部分しか収録できなかったが、
上述の腹部中央にある、紐の切口に似た器官を調べるとき、
人間の叫びはわれわれの耳へ『ヨセヤイヘソナンカイジリ
ヤガッテカンニンシテクレヘソバヨセヨセッテバヨセヘソ
ガクスグッテエタマラネエナソコハヘソダッテバヨ』とい
っているように聞えた。残念なことに、この叫び声の意味
はまだまったくわからない」
 部分的に異論はあるけれど、これらの報告は、大体があ
たしの観察に一致している。
 人間があたしたちよりも、いやトリイ族やコオモリイ族
よりも、一段と進化のおくれた生物であったと断定したの
はさすがである。なにしろ六十七万年前の生物だから、そ
れは当然のことだろう。人間自身は、彼を万物の霊長だと
称して威張っていた。でもそれは、うぬぼれに過ぎない。
彼らが地球を主宰した時代にあっても、ほんとうは彼らよ
り優れた他生物がいて、その優れた生物が、ただ表面に顔
を出すだけの勢力がなかった、ということもあり得る。進
化の不足な人間だったればこそ、そのような真理を発見で
きず、我一個のうぬぼれのうちに生きていた。うぬぼれは、
あるとき身を滅ぼす原因にもなるが、また救いでないこと
もない。人間にとっては救いだったかもしれない。うぬぼ
れて満足していた。そして六十七万年たったいま、そのう
ぬぼれが間違いだったことを、あたしたちに指摘されたわ
けである。
 報告のうちで、とくにしかしあたしの注意を強くひきつ
けたのは、最後の報告中の腹部に発見した奇妙な器官につ
いてであった。
 ありていをいえばあたしは、人間との会見中、彼の腹部
の中心にではなく、それより少し下部の、いわゆるちぢれ
た触角の群落の中のひとつの器官のほうハ、、より多くの興
味と関心とを持ちつづけ、鋏で断ち切った紐の結び目のよ
うなものについては、そんなものがあるということすら気
にしなかった。
 いまやその器官は、大きな謎として学界に提出された。
 あたしも研究すべきであろう。
 幸いにしてあたしには、人間の言葉がほかの誰よりもよ
くわかる。録音された言葉を調べた。そして理解すること
ができた。
 人間はそこをいじられることを嫌ったのである。いじら
れたらそこは、くすぐったくなるのである。そこは「ヘ
ソ」という器官であって、平素はあまりいじることのない
ものであるらしい。あたしたちは、おなかがぽってりふく
らみすべすべしていて、そのような器官をもたないから、
へそについての智識はまったくないが、人問にとっては、
おそらく重要な器官であるだろう。肺や心臓や胃袋と同じ
に、それがなかったら生きていられない、というものにち
がいない。これは大きな特徴である。あたしは、ヘソのこ
とを深く知らねばならぬと決心した。

地軸異変

 かなり長いうち、あたしは陸上に棲みつづけた。
 山の中腹にある私の家は、壁材料に不燃性固体窒素を使
ったから、どこの部屋からも花に蔽われた広野原や水草の
浮いた沼沢が見えたし、そのような美しい景色がなかった
にしても、陸の生活そのものに、なかなか捨て難いものが
ある。
 空気がふんだんで、水中よりはさすがに肺の疲労が少な
い。降雨日以外は日光がまんべんなくふりそそぎ、ときに
はやや強烈すぎて、肌が乾燥しかけることもあるが、ホル
モンクリームの備えがあれば平気だし、すずらんの大樹、
かきつばたの森、そこをすかしてくる朝の金色の光や、夕
方の靄とともにたゆたう茜色の光などは、溶かした縞瑪瑙
のように美しい。加うるに明るいときはトリイ族が、光線
が薄れてきたときはケール族の歌手たちが、絶えず演奏会
を開催しているというわけだが、困ったことに陸上は、空
前に飛び交う衛星の数が多すぎる。衛星は形状大小さまざ
まだが、どうやらこの太陽系中で天然にできたものでなく、
ずっとずっと大昔、つまり人間が棲息していた頃に、地上
で作って宇宙へうち上げたものらしいとされている。必要
があうてそうしたのもあるだろうけれど、必要はなくて、
ただ多くうち上げることが、他に対しての優越感を満足さ
せたのもあるらしい。それとも地球のほかに衛星のつなが
りで作った団地をもち、そこへ移住しようという目的があ
ったのか、その点は諸説紛々としていてまだ決定されてい
ないけれども、とにかく衛星は無数にあり、しかも接近す
ると、これも古代原始生物が作って、いまは博物館に陳列
してあるリベッチングマシーンというものの発するような、
鋭い悲鳴をあげるから、それを耳にしたが最後、思想の統
一は乱れてしまう。あたしは人間を見ただけでなく会話ま
で試みた。結果として人間の言葉についてだけでなく、人
間そのものへの探究意欲がわいてきた。大して利益のある
ことではないにきまっている。利益がなくてもいいだろう。
あとでわかったが人間は、利益がないどころか害のあるも
のを、いっしょうけんめい研究した。その意味において人
間の探究は、ある程度意義のあることだともいえるだろう。
あたしは、直ちにそのための思索にはいろうとしたけれど、
前述のような状態だから、陸上はそれに適合しない。
 あたしは、思索のためのよい場所として、水底に用意し
てある別荘へ行くことにした。そこならば、おちついて本
も読めるし、十分に眠って休養をとり、さて好むがまま哲
学的瞑想にも耽ることができるのである。
 珊瑚の丘の昆布林にある別荘まで、あたしはゆっくり歩
いて行くのも楽しみだと思ったけれど、それはもっとひま
のある時のことにして、例により水中車を利用したが、途
中ではいくどか腹が立った。陸の道路に較べて海底道路は
まるでなっていない。いたるところ削りとったり掘り返し
たりの工事中だった。そこをでっかいダンプカーが、規則
におかまいなしの猛スピードで走る。事故を起して死亡す
るのだったら文句はないが、死なずに怪我だけするのだっ
たらやりきれない。なぜ道路の整備をしないのか、これは
政府当局者の怠慢であろう。ゆられてひやひやして、やっ
とこさ別荘へ着いたと思ったら、そこでもまた腹が立った。
 別荘の留守中を、あたしは学生アルバイトの青助に管理
させてある。
 ところが青助は、あたしのベッドを占領し、さも気持よ
さそうに、いびきをかいて寝ているのであった。
 青助はまだほんの少年で、尻尾がとれてからまだいくら
もたたない。顔の斑点がうるしのような黒さで、それに鮮
明な赤のふちどりがしてあるから、容貌からいうとハンサ
ムなほうである。寝顔も、あどけなさのうちに、思春期に
特有な血の色が浮き出ていて、そっと頬ずりをしてやり.た
いほどに可愛いいが、だからといってうっかりできない。
この子は元来不良少年だった。少年少女の非行がこのごろ
問題になっている。どうしてそんなことになったかという
と、学校が悪いからだというのが、いまのところ定説にな
っている。ほんとは学校が悪いわけでなく、どの子も好き
な学校へ行って勉強できるし、教育のための設備は十分に
してあるのだけれど、困ったことには学校がたくさん有り
すぎた。だから生徒の数が足りなくて、学級の編成ができ
ないところもある。学校では、だから卒業試験をたいそう
厳密にした。場合によっては寝食を忘れるほどの勉強をし
ないと、卒業試験を通過できない。卒業難というものが起
った。落第生が多くなった。学校としては、落第生が多い
と、生徒の数が減らないから、学級の編成も容易なわけだ
が、これは生徒を自暴自棄にさせる。いきおい彼らは非行
に走るというわけだそうだ。
 もっとも、あたしの見るところだと、少年少女の不良化
は、学校そのものではなくて、学制に間違ったところがあ
るせいだという気がしないでもない。というのはいまの学
制は、多段式学制である。第一段学校に対しては、卒業期
の学術試験と同時に、素質検定所の検査があり、この検査
に合格すれば文句なしもうそれ以後は学校へ行かなくても
すむが、学術試験を通っても、素質検定が合格しないと、
次の第二段第三段学校へ入らなくてはならない。つまり第
一段学校だけで勉強が終れば、それは優秀だということの
証明になるが、そのあとも学校へ行かなくてはならぬとあ
れば、当人にとっては不名誉なことで、根性も卑屈になる
だろうし、自分で自分を軽蔑し粗末に扱かい、やがては不
良の徒に化すということになる。だから、学校は第一段学
校だけですむように、学制を改革しなければ、少年少女の
非行はおさまらないのではあるまいか。卒業期の学術試験
をやっとこさ乗り越えたと思ったとたんに、なおまた別の
学校へはいらなくちゃならないという、子どもの苦悶を思
いやる必要がある。入学や卒業は、いっぺんだけすれば結
構だ。二度も三度もそれを繰り返させるという学制に欠陥
がある。
 青助は、素質検定ではねられた子だった。可哀そうだと
思ったから、あたしはこの子の将来を引き受け、手もとに
おいてその成長を見守ってやることにした。しかし、あた
しがこんなにも親切にしてやるのに、主人のベッドへもぐ
りこんでいるなんてのは、許せないo
「起きなさいよ、坊や」
 とあたしは青助の惚れぼれするような頬ぺたへ、力をこ
めて往復ビンタを見舞ってやった。
「あれっ、いけね」
 彼はさすがに眠りからさめたが、その眼のあどけなさ美
しさ、あたしはキスしてやりたくなったが我慢した。
「ども、すみません。ぼくちん、よく働らいたんですよ。
庭から天井裏から、きれいに掃除したんですけれど、淋し
くてたまらなかったものですから」
「へんね。淋しいからって、主人のべッドへはいりこむっ
ていう法はないわ」
「ええ、それが、理解してください。ベッドで移り香をか
いでいれば、せめてものそれが慰さめになるってことがわ
かったんです。実際のところ、すごくいい気持ですね。ζ
のような快適さを、なぜいままで知らずにいたか、後悔し
たいくらいです。気が静まり眠たくなって、夢の中でぼく.
は、しっかりとあなたを抱きしめていました」
 どうも、とんでもないことをいう。
 これだから青助は非行少年だといわれるのだ。尻尾がと
れたばかりで、自分のことをぼくちんなんていってるくせ
に、とあたしは思ったが、叱声はとりあえずあとのことに
しておき、あたしが地上からこの水底へやってきたのは、
思索する必要があってのことだから、この際このとき、そ
のような不逞なことをいって、あたしを悩ませてはいけな
いのだと、やさしくいいきかせた。
「わかるね、坊やはいい子になったんだもの」
「よしてくださいよ。ぼくは、なったんじゃなくて、昔か
らいい子だったんですよ。ー1その思索するってのは、ど
ういうことをするんですか」
 おだてられたから青助は、すっかり真面目な顔つきにな
った。
「ええ、それわね。脳髄に命令を与えて、非具象的にいろ
んな事がらを、配列したり分解したり整理するのよ。その
結果は新しい理論や発見が生まれてくるわ。あたしは、六
十七万年も昔の古いことを知らなくちゃならないの。坊や
は女を追いまわすことを、何よりも先に覚えてしまった代
りには、学問的智能指数ときたらゼロでしょ。古いこと、
なんにも知らないんじゃない」
「いやだな。バカにしないでください。ぼくだってこれで
も卒業試験を、半分はパスしたんですから」
「そうだったかしら。じゃ、試しにクイズを答えてちょう
だい。いまの地球は、あたしたちケール族と、空をとぶト
リイ族それからコオモリイ族との世界だけど、ずっとずっ
と昔の大昔、地球上にはもっとべつの生物が繁栄していた
んだってことを知っている?」
「進化論以前の問題ですね。わけないや。それは人間のこ
とでしょう。人間という下等生物がいたんだってこと、学
校でちゃんと習いました」
「いいわ。そこまでは御名答よ。では次に人間について知
ってることをいってごらんなさい」
「ええと、そうだな。ぼくは人間が、ぼくらの祖先である
蛙に対して、まことに残虐な行為をしたってことを知って
います。生きている蛙をつかまえて、その眼玉へ火をつけ
て、蛙の眼玉に灸すえて、これでも飛べるか飛んでみろ、
という詩を作りました。それから、蛙をはりつけにし、電
気を通すという実験をやったでしょう。古い池に蛙がとび
こんだ、べつに大したことじゃないはずだが、そのことを
人間どもは、ひどく神秘で幽玄で古今にわたる大発見だと
考えました。つまり人間は残虐なだけでなく、バカでもあ
ったわけでしょう。ほかにぼくは、ニッポン遺跡のこと、
本で読みました」
「感心ね。よくそこまで知ってるわ。ニッポン遺跡のこと、
説明してごらんなさい」
「ニッポン遺跡は、いまの地球の氷結帯の下で、カチカチ
に凍結しているんでしょう。そのニッポンというのは、人
間がふえてウジャウジャいて、土地が狭かったのにふえす
ぎたから、しまいには人間が海へこぼれおちたし、それで
もまだ人間がふえたため、しまいには土地が人間の重さに
こらえきれず、地盤沈下という現象を起して、ニッポンが
海の底へ沈んでしまったのじゃないですか」
「残念でした。少しお答えが怪しくなってきちゃったわ。
人間が海へこぼれおちたというのは、伝説的生物学界発行
の論文集にも出ていた話だけれど、それは誤りだという学
界の反論があって、人間絶滅の原因については、まだはっ
きりした論拠がつかめないでいるのよ。)但し、人間絶滅の
問題とは切りはなして、ニッポン遺跡凍結については、も
うはっきりした解答が与えられているの。それはね、地球
回転軸の変化によって、そういう現象が起ったのよL
 ここが青助の智能指数が低いところである℃彼は当惑し
てあたしの眼をのぞいた。そして地球回転軸の変化とはい
かなることかと尋ねたので、あたしは厄介なことを言いだ
したと、心のうちで後悔しつつ、あらましの説明をしてや
らねばならなくなった○
「坊やは、地球と太陽との相関的運行の法則を知ってるで
しょ」
門ええ、それは学校の天文学で、いのいちばんに教わりま
した。地球は太陽を中心に大きく公転しながら、自分もた
えず自転しています。そうしてその自転では、地球に一本
の軸があって、軸の一端はいつでも太陽へまっすぐに向き、
従って反対の一端は、いつも太陽には照らされず、太陽か
らいちばん遠いところにあります。学校の先生の説明だと、
ちょうどそれはコマの頭がいつも太陽の方へ向いていて、
心棒の根っこが、太陽と反対の地べたへくっついたまま、
ぐるぐる太陽を廻っていると同じだということでした。こ
れはつまりコマの頭がいつも熱く、心棒の根っこは冷えて
いるということです。自転の軸がそんな工合になっている
ものだから、太陽に向いた地球の半面は、年がら年中太陽
に照らされっぱなしだし、他の半面は、いつまでたっても
太陽には背を向けているんです」
「よろしいわ。大体はそれで正しい智識ね。ところが六十
七万年もの昔になると、地球の自転は、いまとずいぶん変
っていたのよ。正確にいうと、その当時の地球の軸は、南
極から北極へ通っていたのね。そうして軸は、太陽への公
転軌道面に対し、六六・五度という傾斜角を持っていたの
よ。そういう傾斜があるから、地軸の太陽に対する動き方
は、ミソスリ運動とも称ばれていたわ。しかるに、よくっ
て、ここんとこむつかしいから、しっかり聞いていなくち
釦、だめ。地軸、つまりあなたの学校の先生がいったコマの
心棒は、いまから六十七ガ年もの昔、動き方を変えちゃっ
たの。誰がどんな風にして変えたのかは別問題よ。結果的
にいうと、地軸の軌道面に対する傾斜角が、ゼロになっち
やったのよ」
「たいへんだ。そんなことしたらコマの心棒が地べたへ倒
れて、廻らなくなってしまう」
「違うわ。コマじゃなくて地球よ。地球は宇宙の中で空気
に包まれて廻るのだから、そうなってもちゃんと廻ること
は廻るの。ところが古代は、地軸と公転軌道面との間に、
一定の傾斜角があったものだから、自転に応じて、太陽に
向いている地球半面は、明るくて暖かくて昼になり、その
反対の半面が、暗くて冷めたい夜だった代りには、いつか
またぐるりと廻って、昼だった部分が夜になるし、夜だっ
た部分が昼になるという仕組にできていたのよ.、けど、い
まいったように、軸の傾斜に大変動があり、軸が公転面へ
寝てしまった場合を考えてごらんなさい。そうなっても、
地球は太陽を公転するの。そうして太陽に向いたきりの一
端を持つ半面、つまリコマの頭の方よ、そっちは年から年
中昼ばかりが続くし、裏がわの半面、つまりコマの根(.こ
ね、こっちはしょっちゅう夜だということになるはずでし
ょ。わかる、この理屈はP」
「わ、わかります」
「へんな顔してるじゃないの。まるで顔へ水をぶっかけら
れたみたい。でも、いいわよ。ともかくそんな工合で、太
陽に照らされ続けの半面は、とくにその中心部が、太陽熱
の集中で焦熱地獄の砂漠になっちゃったし、裏側の暗い部
分の中心、コマでいえば心棒の根っこのところね、ここは
何十万年ものうち日光が届かないから、寒くて凍りついて、
零下何十度という極寒地帯になってるわ。ニッポンという
ところは、幸か不幸か、その根っこに近いところだったの..
だから、海へ沈んだのじゃなくて、厚い氷の層の下へ閉じ
こめられてしまったというわけ。土地も建物も、そしてそ
のときもまだ人間がいたから、もちろん人間もいっしょに
なって、冷凍ニッポンができちゃったのよ」
「おもしろいですね。まるでお伽話みたいだ。ぼくらの住
んでいるこの明暗環状地帯以外に、生物が住んでいたとこ
ろがあるなんて、夢にも考えたことはないんですよ。ニッ
ポン以外には、同じようなところはもうありませんか」
「ないことはないわ。あたしがずっと子どもだった頃に、
学者が行って砂漠を調査していたら、ボーリングでへんな
もの見つけたのよ。それはね、棒の先にいく本かの骨がつ
いていて、骨と骨との問には膜があり、骨をひろげると膜
がぱっとひらく仕掛になっているの。早い話、あたしたち
が手の指をひろげたようでもあるし、トリイ族やコオモリ
イ族が翼をひろげたようにも見える。学者たちが論争した
わ。きっとそれは超古代のコオモリイ族の化石だろうとい
う説と、いや、ケール族祖先の化石だろうという説と、長
いうち論争したけれど、結局のところそれは、古代生物人
間が使用したアマガサハ、ていうものだとわかったのよ。ア
マガサは、雨が降るときに人間が使ったものだそうだわ。
人間て不便だったのよ。雨にぬれると死んじゃったのでし
ょうね。だから雨をよけるためのアマガサを使ったんだけ
れど、それが出てきたから砂漠の調査隊は、なお熱心にボ
ーリングを続け、そのあげく、砂漠に埋もれた下の方に、
ロンドンというところがあるのだとわかったわ。ロンドン
もやっぱり人間の住んでいたところでしょうね。それから
ロンドンのほかでは、もっともっと熱い砂漠で、ニューヨ
ークってのも、あったらしいという推定がついているの
よ」
「どうしてそういう推定がついたんですか」
「こっちは、砂漠で水が欲しくなって、砂漠を掘っている
うちに、まるい形のドルという金属を見つけたのよ。きっ
と何かのバッジでしょ。材質がいまいちばん多量に存在す
る黄金と同じものだから、あんまり値打ちはないけれど、
考古学的には貴重な出土品だわ。ドルについて調べたら、
どうやらその下には、ニューヨークってとこが埋没してい
るらしいってわかったのよ」
「じゃ、そういうとこ、どんどん発掘したら、まだとても
いろんな出土品があるでしょうね。ぼくは考古学ってもの、
きっとおもしろいだろうって思っています。そういうとこ
ろへ行って発掘隊の一員になって、モリモリ出土品を掘り
だしたいなL
「いいこといったわね。いままで坊やのいったことのうち
では、それがいちばんりっぱな言葉だわ。まかしとき、あ
たしが心得ている。そのうちに、ニッポン遺跡、ロンドン
やニューヨークの遺跡、みんな発掘されるでしょう。その
ときに、あたしが坊やを発掘隊員の一人として推薦してあ
げるわよ」
 若い青助の瞳のうちには、将来に対する明るい希望が燃
えてきた。
 不良少年でも、これから何をやるかという目的を与えて
やりさえすれば、がらり変ったいい子になるということが、
これでりっぱに立証できるだろう。
 あたしは、なお彼に、地球や太陽や、古代生物の話をし
てやるつもりだったが、そのときあたしの腕飾りにつけて
いるマイクロ・ラジオは、世界連邦議会における生命大臣
の演説を放送しはじめた。

卵生の倖せ

 生命大臣は閣僚中唯一の男性大臣だった。
 男性にしては珍らしく虚飾家でなく饒舌でなく泣虫でも
なく、識見豊かで実行力に富み、声が美しくないとか、容
貌がオカチメンコであるとか、女性への意慾が薄弱である
とか、多少は個人差的欠陥があるにしても、ほかでは信頼
のおける政治業者である。その汚ない声でがなり立てた演
説は、議会における予算審議の席上、来年度産児並びに死
亡者数推定に関するものであった。
「従いまして、来年度死亡志願者につきましては、近来に
稀なる願書提出はありましたものの、該当資格不十分なる
ものも相当多数に見込まれましたので、死亡許可制審議会
の答申と睨み合せ、政府はこれを三百五十万までに絞るこ
とができました。ほかに近年の嘆かわしき風潮といたしま
して、無許可死亡、またはモグリ死亡など、年毎に増加し
ている傾向にはござりまするが、これは官民協力ひたすら
根絶を期する次第でござりますので、来年度は羨むべき自
然死数を、成長率七パーセントに応じて計算し、九百二十
一万とおさえまして、死亡総数千二百七十一万といたしま
すことは、せいぜいのところ誤差ニパーセント内外のもの
かと存ぜられるのでござります。しかり而して、これに対
応しての新生児孵化は、前述の数字に従いまして、これを
千二百七十一万と計上することも、皆様におかれまして十
分御諒承いただけるものと存ずるのでござります。つきま
しては本案件施行にあたり、優良卵千二百七十一万個を、
直ちに確保せねばならぬのでありますが、政府保管のもと
にある在庫卵五十七億個のうち、従来採用されてきました
透視法、すなわち日光に透かしつつ振って見て、なお音を
確かめるという方法以外に、新しく登場いたしました優性
鑑別光線分析法により、もっとも厳密なる検査をとり行な
いましたるところ、孵化適格卵は僅かに二百七十八万個し
かないという、悲しむべき結果に到達したような事情にご
ざります。まことに厖大な数の産出卵に対しまして、いか
なればかくも僅少なる適格卵しか得られなかったか、原因
はいろいろとあることでござりましょうし、それには体育
性育の面と合せて、倫理徳育の面につきましても、関係当
局今後の御検討に深く期待するものがありますが、生命省
独自の立場と責任におきましては、目下のところそういう
問題を究明するの余裕が全くござりません。この点諸派政
党並びに一般識老各位の御賢察と御宥恕を懇願するよりほ
かござりませんが、とりあえず政府といたしましては、差
引き不足分九百九十三万個の適格卵を、大至急獲得いたさ
ねばならぬのでござります。いかにして九百九十三万個の
適格卵を補給するか、申すまでもなくそれは、一般男女皆
様よりの御供出に仰がねばなりませんので、政府の苦衷の
存するところ、これをよく御諒察くださいまして、十分な
る御協力を賜わりたく、優良卵産出に誠心誠意従事いたさ
るるよう、-お願い申上ぐる次第にござります。なおつけ加
えて申しますなれば、近年学校施設充足の結果、卒業難時
代を招来しておりまするが、ここに提出いたしました予算
においては、その点も十分吟味してあるつもりでございま
して、近き将来に卒業難など完全に絶滅するであろうこと
は、第二種類公約、すなわち間違いなく実行される公約と
して、本大臣ほはっきり宣言いたしておきます。本論に立
ちかえりまして、もとよりして御供出の優良卵につきまし
ては、新旧の別は問わないのが立て前になっておりますか
ら、家庭に御保有の古いものでも一向にかまいませぬし、
価格の点におきましても、昔のように、それぞれ目方をは
かって代金を支払うようなことは、絶対いたしません。卵
価公正取引委員会も立会いの上、審議会法定の価格を堅持
するとともに、慎重なる試験を行ないまして、適格卵は直
ちにこれを孵化公社に送附する段取りとなるのでござりま
すが、これらのうちとくに優秀と認めらるる卵につきまし
ては、該優秀卵御供出の御両親二十組に限り、任意希望死
去を許可するという、特別扱かいの法律案件が、すでに本
議会において通過しているのでござります。どうか皆さん、
ふるって優良卵を産出なされますように……」
 べつにこれは、珍らしいというほどの演説ではない。
 毎年度末の通常議会で、一般会計予算案の審議と前後し
て、必らず生命大臣が発表するものだったし、成長率が少
少上廻っている傾向はあるにしても、優良卵千二百七十一
万個という数字は、そうおどろくには当らないものだろうQ
 ただ、政府からの放出分二百七十八万個に対し、民間割
当供出が九百九十三万個だという比率が、たいしたいざこ
ざもなしにこの決定に漕ぎつけたのは、生命大臣のお手柄
といってもよいことであって、あとは要するに、ほんとう
に値打ちのあるよい卵を公正に選びだすだけの話になる。
それには透視法その他新しい検査の方式がどうであるか、
というようなことよりも、審査委員会の構成が問題になる
だろう。もうそれはめったにないことだとはされているが、
かつて審査員の汚職があった。不良卵を蓄積していた母親
がいた。彼女は審査員に贈賄し、自分の不良卵を孵化させ
ることに成功した。生まれた赤ん坊は、まだ尻尾もとれな
いうちから、男の子を追いまわす、火つけをやる、悪質な
冬眠薬遊びをやる、バクチにケンカにヒキニゲというわけ
で、しまいにはナンデモカンデモ反対同盟というテロリス
トの頭目になり、手もつけられない女に成長した。あんな
ことがあったのは、審査員としての不適格者が任命された
からのことで、まさか今度はそのような失態もないのであ
ろう。
 青助も生命大臣の演説には、耳を傾むけていたらしい。
彼はため息をついたo
「わりといまの演説はうまかったですね。タレントとして、
じきに売りだすんじゃないかな」
「なまいきいって。もう売りだしているわよ。あたしはあ
のハスキーな声が好きよ。評判とちがって案外ミリキがあ
るじゃない」
「ミリキだなんて、へんなところに感心するんだなあ。ぼ
くちんはですよ。演説聞いていて、つくづくぼくたちはよ
かったと思った」
「そうお。何がよ」
「ぼくたちだけじゃない、この点ではトリイ族も同じだけ
ど、ぼくたちの子どもは、卵になって生まれます。これは
実にすばらしいことじゃありませんか。卵でなくて、生ま
れたとたんに、親と同じ形になっているっていうのは、
たしか胎生っていうんでしたね。コオモリイ族がそうだっ
たのじゃないですか。胎生だったらば、ぼくたちはおっそ
うしく不便なことになっていたろうと思います。胎生じゃ、
生まれたがさいご、すみ、に親が赤ん坊を育ててやらなくち
偽、ならない。親でなくて政府かなんかがやるにしても、生
まれたてのやつはほっといたら、死んでしまうんですから
ね。そしてですよ、卵でないと、優良かどうか鑑別する方
法はないんだから、いい赤ん坊であろうが悪い赤ん坊であ
ろうが、同じように育てるんでしょう。結果としてはいま
のぼくたちみたいに、渚の世の中を、いい赤ん坊だけにす
るってことが不可能になります。良不良善悪優劣こちゃま
ぜだ。誰を信用していいかわからない。お互いを疑が(、て
かかる。だったらいつもいつも不安だし、とってもとって
も淋しいんじゃないですか。誰にでも自分の内側を見せて
しまったら、どんなやつがどんなことを企てるかわからな
いから、自分はいつも自分の内側に、そっともぐりこんで、
孤独でいるほかはないでしょう。それに較べたら、ぼくた
ちの世の中は恵まれていますよ。質の悪い卵だったら、処
置としては簡単に、孵化させずにおけばすむことです。ま
た場合によりよい卵でも、育成の準備がととのわないとい
うようなことだったら、なにもすぐに孵化させる必要はな
い。そういうのは、生んだあと保存しといて、さて適当な
ときに孵化して、赤ん坊を作ればいいんですからね」
 青助を幼稚だとばかりは侮れない。あたしにしても、彼
のこの感想にはまったく同調できた。
 卵生を胎生にくらべたら、よい赤ん坊と悪い赤ん坊との
問題以外に、まだたくさんの利点があるだろう。いま地球
上に棲息する生物としては、三つの大種族が目立っている。
すなわちケール族とトリイ族、そうしてコウモリイ族だが、
このうちケール族とトリイ族は、甚だ高度の文化をもつの
に対し、コオモリイ族はひどく知能指数が低くて野蛮らし
い。そうしてそのような差違が生じた根本原因は、卵生と
胎生との差違にあるとしてよいのではないか。
 ともに種族を増殖し繁栄させるための手段であることは
いうまでもない。
 しかし胎生が、いかにして文化の発達を阻害するか、そ
の点については学術的にも芸術的にも、たくさんの興味あ
る研究があり発表がある。と同時に、もっと簡単に考えて
みても、卵生ははるかに胎生よりすぐれているのである。
 たとえば赤ん坊を胎生するという仕事は、コウモリイ族
の風習についてみればよくわかる。赤ん坊を生む前に医師
に相談したり湯を沸かしたり、お祈りをし祝い品を持ちよ
り、まことに煩雑な準備と処置を要するものだが、産卵に
あっては、精神的にも物質的にも肉体的にも、それは母親
の努力をほとんど必要とせぬものであり、まして釦、医師そ
の他の諸儀式を用いずして、極めて自然に完遂される仕事
である。
 もとよりして、直接の当事者たる母親が、産卵に際して
苦痛を伴うようなことは全然ない。それどころか、生みお
とすときの快感は、どんな言葉をもって表現したらよいの
であろうか。下品な小説家がいったことがある。それは長
いうち秘結したあとで気持のいいお通じがあったのと同じ
だと。言い得て妙ではあるけれども、ただそれだけの表現
では物足りなくもある。卵があたしたちの体内にある卵道
をくぐりぬけてくるときは、適度の潤滑度があり適当の抵
抗があり、感覚のすべてはそこに集中されるから、頭脳の
方は一種の麻痺状態で、体内のあらゆる骨め、筋肉が、うっ
とりとろけてしまうようである。もしそれ並外れて偉大な
卵を生むとき、またはいささか畸形ではあるけれども、中
央にくびれのある卵を生むときなどには、快感度が二倍に
も三倍にも増大するから、卵が単に生みだされるだけでな
く、もういっぺんでもニへんでも、いや数限りなく卵道を、
出てははいり、はいっては出て、つまり往復運動をしてく
れればいいということを願わぬものはなく、産婦はしばし
ば快感の極致の死を連想し、死ぬ死ぬと叫ぶほどのもので
ある。
 加うるに産卵後の処置も、胎生で赤ん坊を牛んだあとに
くらべたら、話にならぬほど単純である。
 生んだあとすぐに、何かのパーティのお呼ばれがあると
か、または旅行などに出かけるにしても、生みおとした卵
を気にすることはないだろう。生んだ直後、アルコールを
浸した綿球でぬぐい、または市販の洗剤でもよい、その微
温湯に浸してさっと消毒した方がよいということになって
いるが、いまではバイキン附着の恐れがほとんどなくなっ
ているから、それはもう気がすむすまぬの問題でもある。
卵は、箱や戸棚やひき出しの奥へ、番号だけを記入して、
しまっておけばよいことになる。胎生だったら、とてもそ
う簡単には行けそうもない。生むとすぐに乳首をくわえさ
せ、寒さを防ぎ湿気をよせつけず、母親がそばを離れるこ
とができなくなる。それに、卵を生んでも、子どもは欲し
くないという場合だってあるだろう。それには卵生が絶対
有利だ。子どもが欲しくなるときまで、あたしたちは卵の
形で保存しておける。政府の供出要請でも新旧を問わずと
いっている。おとして壊さない限り、卵はじっとして孵化
されるときを待っているのだ。
「あたし、なんだか気持がへんになってきたわ。顔へ血が
のぼるみたいL
 とあたしがいうと青助は、
「そりゃいけない。病院へ行きますか」
 といった。
「バカね。そういう感度の鈍い男は、あたしだいきらい。
いまの大臣の演説で、あたしが卵を生みたくなってるって
ことわからないの。いいわよ、ほっといて」
 あたしはいらいらしてきたが、そのときに思いだした。
地球軸のことだの卵のことだの、そんなことは問題ではな
い。あたしは六十七万年前の生物人間について、研究を開
始するつもりだった。人間に関しては、いま話題にした卵
生か胎生かの問題もまたわかっていない。ほかに、無数の
未解決な謎が残されているではないか。
「ああ、そうだったわ青助君。あなたは人間のおなかのま
ん中にあるヘソってもののこと知っている」
「え、ヘソですか。いえ、知りませんね。聞いたこともな
いですよ。学校の教科書にも出ていなかったし」
 聞いてみたこっちがどうかしている。
 青助は、さもさも当惑した顔だった。
 やはりそれは、自分で調べねばならぬことであった。
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