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亀井勝一郎「桂離宮」


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 桂離宮は日光のもとに見るべきものではない。月光のもとに見るべきものである。それも満月
の折は欠陥をあらわす惧れがある。下弦の月の頃、長夜の宴でも張ったとき、はじめてこの離宮
は真珠のような微光を人心に通わせるかもしれない。これは離宮の全景を綜合的に見た上での私
の予想である。
 四季のいずれの時間を選ぶかは、極めて大切なことだ。御殿と林泉と茶室と人の心が、おのず
から融けあう刹那は、古人においてもそう屡ーあったとは思われない。それでいいのだ。離宮と
は元来、「贅沢な時間」のために構想されたものであるから。人は日常性から意識的に遊離した
かたちでここに遊ぶ。
*
 洛西の郊外、桂川は嵐山をめぐって東南に流れ、.淀川に注いでいる。その流域のほぼ中ほど
に、離宮の地は設定された。周囲はすべて田野である。自然として利用すべきものは、桂川の水
以外にはない。この平坦で平凡な場所に、一万三千坪の庭園と宮殿を構想することは、大きな冒
険であったと云えるだろう。たとえば銀閣寺や修学院離宮のごとく、山麓を選び、自然の樹木を
そのまま構想に入れることはここでは出来ない。一切は人工にまたねばならぬ。桂離宮とはつま
り巨大な「箱庭」なのである。盆石、盆景、盆栽への愛好は東山時代に発するが、そこにみられ
る巧緻なる人工を拡大すれば、即ち桂離宮になる。盆山水はもともと林泉の小なるものであり、
林泉とは盆山水の大なるものと云われる。一万三千坪を盆上にのせて眺めると思えばよい。人工
の面白さもいやらしさも、おのずから了解されるであろう。
 離宮の建物には桃山風の豪華絢爛さは全くない。伏見城や聚楽第の遺構に比べてみれば、誰に
もわかることだ。むろん造営の目的はちがうが、彼には覇者の気魄と威嚇性があり、是には王者
の放心と遊楽性がある。桂離宮は徹底した無抵抗主義の産物である。そして遊楽性にみられる簡
素と高淡は、或る意味で東山風の復活とも云えるだろう。
*
 この離宮は長いあいだ小堀遠州の構想指導に成るものと伝えられてきたが、事実は正親町天皇
   ともひと    ともただ
の皇子智仁親王とその子息智忠親王の二代にわたる造営である。そのための側近の公家や禅僧の
いたことが、最近森蘊氏の研究「桂離宮」で明らかにされた。むろん「遠州好み」と云われるも
のが入ってはいるが、遠州ひとりの造営という説は一種の伝説にすぎないことが実証された。し
かしこの離宮には様々の欠陥がある。
 徳川家光の寛永年間は、東山の復活時代と云われる。豪華壮麗を極めた桃山時代の反動とし
て、再び東山の高淡がしのばれたとは岡倉天心の説であるが、そうかと云って、仮に東山の足利
義政と寛永の小堀遠州を比べるならば、これは全く段ちがいである。異質的な存在である。義政
         らんだ
の底をついたような懶惰の悲哀と、没落の危機感は、遠州にはおよそ無縁のものである。遠州は
才気ある審美家にすぎなかったように思われイ、ならぬ。私は義政の歌が好きである。銀閣寺に隠
棲して、かなしい風流に惑溺した政治的無能力者にして且つ将軍であった人の心は、二三の歌で
示せば次のごとくである。
何もた.・過ぐれば夢と思ふなり今見ることもうつ・とはなし
何事も夢まぼろしと思ひ知る身にはうれひも悦びもなし
はかなしやめつる心の花園にまよふ胡蝶の夢の世の人
 こういう義政が、もし桂離宮を見たら、どんな感想を抱くであろう。銀閣寺の林泉を作ったと
    そうあみ
云われる相阿弥ならば、何と言うか。聞きたい気がする。一万三千坪の平面に林泉を人工するな
どは大冒険だと云ったが、この冒険を示唆したのは誰であったか。惜しむらくは、その意図を野
放図に遂行する造園家がいなかった。いないのが当然かもしれない。少くとも利休ほどの放胆と
剛愎がなければ不可能な筈で、遠州は所詮その器ではない。桂離宮の林泉に遠州の息吹がかかっ
ているとして、彼は当初の構想を、ただ細部において凝ってみせただけのように私には思われ
る。たとえば修学院離宮のごとき雄大な気品はここにはない。建築の方面から云えば、豊臣時代
                       がんこう
に建てられた古書院、中書院、楽器の間の、三棟の雁行はすばらしい着想だが、後に建てられた
新書院はこの調和を破壊してしまった。
 桂離宮の「完成」とは一の悲劇ではなかろうか。細部において時に美しい詩も、広大な林泉、
御殿、茶室と、綜合においてみれば雑然と消え去って行くようだ。歩いてみて、何という落着き
のない庭だろう。御殿から眺めて、どこに一体焦点があるのか。建築にも造園にも全く門外漢
で、その上行きずりの旅人にすぎない私の感想は、専門家からはおかしく思われるだろうが、眼
に映った最初の印象はそのまま述べておきたい。
*
 桂離宮のような有名なところは、まだ見ぬ前から感心しているものである。感心するつもりで
行くから感心する。他の古美術についても同様に云えるだろう。桂川を渡り、桂の駅で降りて、
四五町の村道を行くと、穂垣と桂垣にかこまれた離宮の森がみえる。御門の前に立ったときは、
さすがに心がときめいた。門をくぐって、御殿玄関前の中門までの三十間ほどは、黒い小さな石
                                   つつじ
を堅く敷き埋めた道である。両側は松、杉、樫の大樹が繁り、高さ六尺ほどの躑躅など交えた垣
根がこれにつづき、庭の大半はまだみえない。この道を歩いていると、カタコトと音がする。雪
の日など、音をたてつつ履物の雪を落し、同時にその音で、来客の訪れがわかるようになってい
るそうだ。風流な思いつきには相違ないが、こういう何んでもないことについては、説明の言葉
が大切で、意味ありげな説明など読むと、馬鹿らしくなるものである。桂離宮には、どうやら意
味ありげなものがあるらしい。それで田舎の大名は感心してしまうのかもしれない。
 私はまず林泉を巡ることにした。中門の前から池に向って左側に紅葉を植えた築山がある。そ
こから更に奥へ進むと、蘇鉄を植えた低い築山があって、その前に待合がある。私はここに腰を
おろして、まず桂の庭の一端から仔細に眺めようと欲した。池はみえない。背後は深山のよう
で、周囲には、杉、松、樫、楓などが繁り、光線は葉を通して柔く地面を照らしている。地面の
飛石に対する、それは効果ある照明だ。土深く埋められた巨大な飛石を中心に巧みに散在してい
る。眼前にはおよそ十数本の古い蘇鉄。それに配置された大小の庭石。遠州の構想だという。私
にはよくわからぬが、この場所では、何となく心静まり落着く。光線が適度であり、また石と蘇
鉄の配置が不思議にぴったりしている。あの鋭い葉をもつ南方の植物は、当時としては異国趣味
               きけい
であろう。飛石や築山を堅める石の奇警さは、他の植物なら必ずその過度を感じさせるであろう
が、蘇鉄だけは石のあらゆる奇警さに堪えるのではなかろうか。鉱物的な葉が私をほどよく緊張
させる。同時に技巧を凝らした石のためにそんなに悩まされないでもすむ。庭を巡り、御殿を見
た後も、幾度私はここへ休みに来たことだろう。しかし蘇鉄にばかり感心しているのは具合がわ
るいような気がして、また立ちあがる。
*
 蘇鉄の築山を過ぎ、池畔に立つと、向う側に松琴亭がみえる。この池畔の一部は、小さな南瓜
ほどの石塊で堅められ、それが細く池にのびて、突端に高さ三尺ほどの石燈籠が立っている。海
辺のさまを模したと云われるが、小細工を弄したふざけたものである。
池をゆっくり迂廻しながら、松琴亭へ近づく前に、卍(まんじ二景という待合に達した。これ
は腰掛の位置がたがい違いになっていて、つまり四人が夫々腰かけても、互の顔を正面から見ず
にすむように出来ている。ちょっと洒落た思いつきだ。茶席に案内されるまで正面きって互の顔
をみることなく、各ーが前方の景色や樹木を勝手に眺めていられるのはともかく有難い。しかし
お互の横顔はいやでも見なければならぬ。ことによると林泉や樹木を背景とした横顔を見せるの
に、こんな工夫をしたのではあるまいかと考えた。そうだとすれば実にキザな話である。
 まんじ亭を降りて、大きな一枚石の橋を渡って、松琴亭に行くわけだが、この辺りの石の配置
は、もううるさいかぎりである。一つ一つに入念の選択と、配置上の苦心があるに相違ないが、
これでもかこれでもかと責められる感じだ。それも思いきって巨大な巖ならいい。池の広さ、周
囲の樹木の高さに比例して、あまりに小さすぎる。小さいくせに奇警を弄しているから、こま
ちゃくれた子供のような印象を受ける。桂の庭の中で、最も失敗した部分の一つではなかろう
か。飛石も濫用されている。築山の道まで石を敷かなくてもいい。その一つの石を見ても、職人
の丹念な細工はわかるのだが、あまりに自然を無視しすぎていると思う。
*
 さて、松琴亭の前に立つと、眼前はひらけて、池の大半と、向う側の月波楼、古書院がみえ
る。離宮の美しさは、月波楼と古書院の辺りにあるようだ。杉と樫の巨木を中心に、緑の垣、古
書院の白壁、くすんだ檜葺の屋根、それがよく調和している。簡素で清潔だ。しかし池そのもの
は広すぎる。尤も舟遊びもし、また舟に乗って茶室へも渡るのだから、これだけの広さは必要で
あろうが、これだけの広さに必要なのは更に或る程度の流動感と深みではあるまいか。造営当時
は桂川の水がふんだんに流れこんでいた筈だ。水量も多く、水も清らかであったろう。何らかの
かたちで流動感を与えるか、或は深淵の趣を与えたとき、この池ははじめて眺めるに堪えるので
はあるまいか。
                                         いたずら
 水も少く、淀み濁っている現在から、この池を評価するのはまちがっているかもしれぬ。徒
に広いだけで、生命を失っているのだ。池の形骸である。銀閣寺のような池は、静かに澱んでい
ていい。それにしても銀閣寺の池の、あの深い豊かさはどこからくるのであろう。桂の池には深
みは感ぜられぬ。深みを石でごま化したようなところがある。いっそ桂川の水を、川のままこの
庭園に導き入れて、縦横に貫流せしめた方が面白かったかもしれない。大きな点で奇警さがない。
大胆さが足りぬ。この広さに対して誤算したのである。そして細部にのみ人工を弄したのが致命
的であった。その欠陥を蔽うごとく、石を濫用したのではあるまいか。林泉の最も重要な部分で
桂離宮は落第である。素人は勝手なもので、私はこんなことを考えながら池をめぐっていた。
                    すこぶ
 池畔に立っていると、時々ボチャンという頗る散文的な音がする。石上に甲羅をほしている亀
の子が、水に入る音だ。飛び込むのでなく、すべり落ちると云った方がいい。見ていると、ちょっ
と首を出し、ひっこめ、また首を出し、うろうろし、のそのそと這い出して、やがて横斜めに、
ぶざまな恰好でボチャンと落ちる。ブルーノi・タウトは、古池に亀の落ちこむこの音こそ、日
本的な美だとくりかえしかいている。よほど感心したらしい。これが蛙であったら、或はタウト
の関心をひかなかったかもしれぬ。異邦人の感覚は妙なものである。亀の落ちこむ水の音など、
私は全然面白くもない。
*
 大和の古寺を歩きながら、私はよく茶の饗応を受けた。作法は知らないが、茶を飲むことは好
きだし、茶室に坐っているのも好きだ。しかしとくに研究のつもりで茶室を見たことはない。大
和では当麻寺と小泉慈光院の、片桐石州の茶室で幾たびか茶をご馳走になったことがある。坐っ
てお茶を飲んでいればいいので、無名の茶室でもいい。京都では茶室は殆んど知らない。一応見
ただけというなら修学院離宮と銀閣寺と飛雲閣ぐらいのもので、他に記憶はない。桂離宮では松
琴亭と笑意軒と月波楼と、三つの有名な茶室がある。むろん外側から見るだけで、点茶など思い
もよらない。しかし点茶をせずに茶室だけを見るというのは、生理的に不具感を与えられて妙に
落着かないものである。
 数奇は凝らしてある。松琴亭のごとき、その手法の細部について語ろうとすれば、際限がな
い。いや私には語ることが出来ず、説明を聞いただけなのだが、そのトリヴィアリズムがやりき
れない。目だたぬところに精緻な工夫を凝らしているらしいが、目だたぬところに精緻な工夫を
凝らしていることがわかるように出来ているから困る。尤もそれをとりあげて、意味ありげに感
心する方が悪いかもしれない。利休の構想した「自然」にはとても及ばぬ。「遠州」の名の伝わ
るところ、悉くポーズがあり、凝りすぎてキザなところがある。一体このような茶室はどのよう
に用いられたのであろう。;二の人の佗茶ではあるまい。皇族公卿、或は招かれた大名武将達
の、かなり華やかな遊楽ではなかつたかと思われる。遺憾なことに、私は当時の遊び方を知らな
い。松襲ユ早の一之間二之間、饗応の設備、笑意軒の台所をみても、少くとも十名以上の客が集っ・
て、相当に派手な宴の開かれたことが推察される。少人数であればこれらの茶室は不適当であ
る。それにしても松琴亭、笑意軒、月波楼などと、なぜ田舎の三流料理屋のような名称を附した
のであろう。もっといい名がありそうなものだ。
 松琴亭から再び池畔に沿って十間ほど歩き、橋を渡ると今度は小高い築山に入る。賞花亭(山
の茶屋)のあたりはさすがに深山らしい気配があって、池の雑駁な広さと石の過剰にいささか辟
易した身には有難い。気分が一変するように出来ているが、それは平凡のためである。どんな山
道にでもあるような平凡さだ。しかし、私はほっとするとともに、多少うんざりしたのも事実で
ある。深山らしいと云ったが、深山らしく出来ていることがすぐばれるのである。
*
 賞花亭を過ぎ、親王の持仏堂たる円林堂を過ぎ、弓なりの橋上に立って、私ははじめて離宮御
殿の全体を見わたした。床は高く、六尺ほどもあろう。桂川の氾濫を防ぐためとも、また湿気予
防のためとも云われる。私は古書院、中書院、楽器の間とその前の縁、この三棟の建物が、鍵形
に連続しながら、次第に小さく雁行しているすがたに感心した。床が高いにも拘らず、この三棟
の御殿は、低く低く、謙譲に地に伏して行くようにみえる。檜葺のくすんだ屋根も低く、廂も深
い。その形と色が、建物全体につつましい陰翳を与えている。障子の色は映える。たしかに一種
の音楽だ。雁行は建物に流動感を与える。地に伏すように動いて行く。音楽とすれば忍ぶ音楽
だ。そして幽かな牧歌調がある。西洋の壮麗な石造宮殿に比べるならば、これは田園の納屋にみ
えるかもしれない。桃山建築に比べるなら、これは殆んど喪服を着た家のようだ、それほど簡素
で内気である。しかし決して暗くない。障子と壁の白さ、おそらくは広い池の光りの反映もあっ
て瀟洒な「色気」さえうかがわれる。近づいて行けば、床の高さがそのまま建物の高貴さを保証
する。
 この雁行した三棟につづいて、後に新書院が建てられたわけだが、前述のごとく新書院はこの
すべての調和と床しさを破壊してしまった。もし建てるならば、更に低い感じを与えるように、
更に目だたぬように工夫あって然るべきだ。さきの三棟を無視するごとく、高い屋根をもった大
きな建物をくっつけてしまったのである。接続の仕方が無遠慮だ。相当長い渡り廊下をつくっ
て、一応の独立性を与えたらまだ救われたかもしれない。私は離宮の建物全体の形を述べている
のだが、こういう見方は不当だろうか。絵画はあくまで絵画だ。絵画を文学的に語ってはならぬ
ように、建築を絵画的に見てはならないのかもしれない。しかし当初の作者の構想の裡では、必
ず池畔から眺めた折の形態美は精密に顧慮されていたであろう。内部の機能から云っても、そう
あらねばならぬ筈だ。「すべてすぐれた機能をもつものは、同時にその外観もまたすぐれている」
と、桂離宮を激賞したタウトが、新書院のすがたの不調和を指摘しなかったことは不思議である。
*
 内部を拝見しよう。私は中門から輿寄(玄関)に至る内庭の辺りが好きだ。例によって凝って
いるが、建物の簡素がこれを救ってくれる。目にしみいるような緑の苔、その中になかば埋りつ
つ点々と斜めにつづく飛石、月波楼の築山との問に立てられた低い壁垣、適度に植えられた樹木
の影、日本の古い家や茶室の露地など、どこにでもありそうでいて、実はどこにもない、云わば
精髄だけを集めたようなものだ。我々の心の底深く眠っている懐しい日本の玄関がここにある。
私は中門の辺りに立った時、遠い日本という故郷に帰ったような気がした。人を迎える入口と
は、まさにかくあらねばならぬものだ。
 まず古書院を通って、その縁先に立ってみた。広い芝生を隔てて林泉が明るく展ける。今まで
は池畔からこの建物を眺めていたわけだが、今度は建物の内部から林泉の全体を見わたしてみ
た。縁先から突き出た月見台の上にあぐらをかいて暫く眺めた。どうしても感心出来ない。目の
やり場に困るのだ。御殿と林泉とがまるで他人のようだ。この二つを親しくつなぎあわせる何も
のもない。一万三千坪をもてあまし、あちこちと人工を分散的に弄した結果にちがいない。公園
と庭園の合の子のようなものである。乃至は林泉の博覧会と云ってもいいだろう。よく見れば見
るほど疲れるように出来あがっているからふしぎだ。池の向う側につらなる築山の樹木は、すで
に三百年の歳月を経ている筈だ。嵐山が遠望出来たというから、当初それははるかに低かったで
あろう。適当に刈りこんで、低く広い池と調和していたかもしれない。しかし現在は伸びるにま
かせてあるから、樹々の高さが全体の調和を崩し、林泉は一層雑駁にみえる。
 中書院の廊下まで来たとき、間近に高さ二丈ほどの杉の巨木が、たった一本立っていた。私は
この杉に身を(つまり眼を)寄せるようにして、その間から林泉を見たが、やっと救われる思い
がしたのである。つまり御殿と林泉を融和させる大切な役目を、このたった一本の杉の木が果し
ているわけだ。この杉の枝と葉を通して、眼はだだっ広い池を適当に分割し、そこに一の落着き
を得るのである。いっそ古書院中書院の周囲に、眼をさえぎるほど樹木を一杯に植えたらどうで
あったろう。樹間を通してわずかに池を眺めた方がずっと落着きをもたらすのではないかと空想
した。一万三千坪をもてあましたということは、換言すればこの広さのもつ光りをもてあました
ということでもある。
 中書院の廊下を巡って、楽器の間の前に立ってみる。前面はやはり芝生になっていて、往時は
   けまり
ここで蹴鞠をしたという。楽器の間の前のやや広い板敷は、見物席ともなった。ここからさらに
廊下を巡ると、新書院に通ずる。私は内部の機能に感心した。書院、上段の間、寝室、化粧の
間、用水、厠、湯殿、納戸、すべてが実に合理的である。つまり簡素で清潔で無駄がない。それ
はタゥトの言うように、外観にもあらわれねばならぬ筈だ。新書院だけを独立して、別の場所に
置いてみたらいいのかもしれない。
*
 新書院の一番奥まったところに、上段の間がある。部屋ではない。二畳ほどの高座で、吹抜窓
があり、親王はここに坐って書見などされたのであろう。精妙な技を凝らした桂棚がある。私は
吹抜窓を通し、廊下を隔てて、その向うの障子を開いて貰ったとき、その眺めに感心した。ここ
には林泉のうるさい技巧は全くない。庭はただ一面の刈込で、一つの石一つの燈籠もない。およ
そ十間ほど離れて、向うには;二丈の樹木が一杯に繁っている。それだけだ。吹抜窓の前に坐
り、外部を見ると、障子一枚開いただけの空間は全部青葉である。床が高いので地面はみえな
い。やや奥まっているので、樹木の根もともみえない。初夏の青葉だけが、額縁一杯におさまっ
たような眺めだ。緑の光線が室内に入ってくる。春ならば若葉、秋は紅葉、冬は雪、四季とりど
りの色彩が、同じように障子一枚だけの空間に満ちて眺められるであろう。ここにならばゆっく
りと坐って居られそうだ。しかし思索に適する場所ではない。長く住みついたならば頭脳は悪く
なろう。
 古書院から新書院へかけて、私は幾たびも往復してみた。障子を全部開け放ったならば、林泉
の緑は池に映え、更にそれが室内に反射して、畳までその色に染めてしまうかもしれない。秋な
らば紅葉の色がどのような効果をもたらすか。問題は住んでみることであり、遊楽であり、その
間に発見する「贅沢な時間」だ。建築の批評とはその機能に従って住んでみる以外にない。今と
なれば一片の夢にすぎないが、私は日光のもとでよりも、月光のもとをよしと言った。林泉の雑
駁さを思うと、そうでも言うより他に仕方がないのである。
 庭の石燈籠はすべて低い。;二尺のものばかりだ。これに灯をともすと、飛石を伝う足もとを照
らすようになる。林泉の所々に、点々と石燈籠の灯がともり、それが池に映る。かかる夜半に散
策したならば、離宮の意外な趣がわかるかもしれない。或は月並に終るかもしれない。みな想像
だけで、よくわからぬのであるが。現在の我々は白昼見学する以外にないのだが、「与えられた
時間」というものは貧寒なものである。
 この離宮をつくるとき、遠州が秀吉と契約したと云われる掟が残っている。むろん伝説である
が、掟そのものは何びとかによって書かれ言い継がれたのであろう。
 一、労費を吝むなかれ。
 二、成功を急ぐなかれ。
 三、成功に至るまで来り観るなかれ。
造営者たちは、或はこの掟に従って造営にいそしんだのかもしれない。しかし仮に彼らの亡霊
が今の世にあらわれて、離宮を眼の前にしたならば、やはり同じようにこの三つの掟を口にし
て、その未完成を嘆くかもしれない。
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