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伊藤左千夫「隣の嫁」

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伊藤左千夫「隣の嫁」
     一
「満蔵《まんぞう》満蔵、省作《しようさく》省作、そとはまっぴかりだよ。さあさあ起きるだ起きるだ。向うや隣でや、もう一仕事したころだわ。こん天気のえいのん朝寝していてどうするだい。省作省作、さあさあ」
 表座敷の雨戸をがらがらあけながら、例のむずかしやの姉が怒鳴《どな》るのである。省作は眠そうな眼をむしゃくしゃさせながら、ひょこと頭を上げたがまたぐたり枕へつけてしまった。目は覚めていると姉に思わせるために、頭を枕につけていながらも、口の内でぐどぐどいうている。
 下部屋《しもべや》の戸ががらり勢いよく開《あ》く音がして、まもなく庭場の雨戸ががらがら二三枚ずつ蝸度に押し開ける音がする。正直な満蔵は姉に怒鴨られて、いつものように帯締めるまもなく半裸で雨戸を繰《く》るのであろう。
「おっかさんお早うございます。思いのほかな天気になりました」
 満蔵の声だ。
「満蔵、今日は朝のうちに籾《もみ》を干すんだからな、すぐ庭を掃《は》いてくれろ」
 姉はもう仕事を言いつけている。満蔵はまだ顔も洗わず着物も着まいに、あれだから人からよく言われないだなどと省作は考えている。この場合に臨んではもう五分間と起きるを延すわけにゆかぬ。省作もそろそろ起きねばならんでなお夜具の中でもさくさしている。すぐ起きる了簡ではあるが、なかなかすぐとは起きられない。肩が痛む腰が痛む、手の節《ふし》足の節ともにきゃきゃして痛い。どうもえらいくたぶれようだ。なあに起きりゃなおると、省作は自分で自分を叱るように独言《ひとりごと》いって、おおいに奮発して起きようとするが起きられない。またしばらく額《ひたい》を枕へ当てたまま打伏《うつぶせ》になってもがいている。
 まったく省作は非常にくたぶれているのだ。昨日《きのう》の稲刈では、女たちにまでいじめられて、さんざん苦しんだため体のきかなくなるほどくたぶれてしまった。
 「百姓はやアだなあ……。ああばかばかしい、腰が痛くて起きられやしない。あアあア」
 省作はなお起きかねて家《いえ》の者らの気《け》はいに耳をすましている。
 満蔵は庭を掃いてる様子、姉は棕椙箒《しゆろぼうき》で座敷を隅から隅まで、サッサッ音をさせて掃いている。姉はじつに働きものだ。姉は何をしたってせかせかだ。座敷を歩くたって品《ひん》ぶってなど歩いてはいない。どしどし足踏《あしぶみ》して歩く。起されないたって寝ていられるもんでない。姉は二度起こしても省作がまだ起きないから、少しぶんとしてなお荒っぽく座敷を掃く。竈屋の方では下女が火を焚き始めた。豆殻《まめがら》をたくのでパチパチパチ盛に音がする。
鶏もいつのまか階りて羽ばたきする。コウコウ雌鶏《めんどり》が鳴く。省作もいよいよ起きねばならんかなと、思ってると、
「なんだこら省作……省作……戸をあけられてしまってもまだ寝ているか。なんだくたぶれた、若いものが仕事にくたぶれたって朝寝《あさね》をしてるもんがあるかい」
姉なんぞへの手前があるから、母はなお声烈しく言うのだ。
「そんなにお母さん烈しく起さねたってすぐ起きますよ」
「すぐ起きますもねいもんだ。今時分《いまじぶん》までねてるもんがどこにある。困ったもんだな。そんなことでどこさ婿《むご》に往ったって勤まりゃしねいや」
「また始まった。婿に往けば、婿に往った気にならあね」
「よけいな返答をこくわ」
 つけつけと小言を言わるれば口答えをするものの、省作も母の苦心を知らないほど愚《おろか》ではない。省作が気盤《きまま》をすれば、それだけ母は家のものたちの手前をかねて心配するのである。慈愛のこもった母の小言には、省作もずるを極《き》めていられない。
「仕事のやり始めは誰でも一度はそういうものだよ。何が病気なもんか。仕事着になって、からだが締まれば痛みはなくなるもんだ」
 母はそういっても、どこか悪いところがあるかしらんと思ったらしく、省作の背へ廻って見上げ見下《みおろ》したが、なるほど両手の肘《ひじ》と手頸《てくび》が少し腫《は》れてるようだけど、やっぱりくたぶれたに違いないと言う。
「そうかしら、何んだかしらないけど、ばかに腰が痛いや。ばかぼかしいな百姓は」
「百姓がばかばかしいて、百姓の子が百姓しねいでどうするつもりかい。あの藤吉《とうきち》や五郎助《ごろすけ》を見なさい。百姓なんどつまらないって飛びだしたはよいけど、あのざまを見なさい」
 省作がそりゃあんまりだ、藤吉の野郎や五郎助といっしょにするのはひどい、と言うのを耳にもとめずに台所の方へ往ってしまった。
 冷かな空気に触れ、つめたい井戸水に顔を洗って、省作もようやく生気《せいき》づいた。いくらか体がしっかりしてきはきたが、まだ痛いことは痛い。起きないうちは判らなかったが、起きて歩いてみると股根《ももね》が非常に痛む。とても直立《ちよくりつ》しては歩けない。省作はようやくのことよちよち腰をまげつつ歩いて井戸端《いどばた》へ出たくらいだ。下女のおはまがそっと横目に見てくすっと笑ってる。
「このあまっこめ、早く飯をくわせる工夫《くふう》でもしろ……」
「稲刈に揉《も》まれて、体が痛いからって、わしおこったってしようがないや、ハハハハハハ」
「ばかア。手前《てめえ》に用はねい……」
 省作はこれで今日は稲が刈れるかしらと思うほど、五体がみしみしするけれど、下女にまで笑われるくらいだから、母にこそ口説《くど》いたものの、ほかのものにはけっして痛いなどと言わない。
 省作は今年十九だ。年の割合には気は若いけれど、体はもう人並以上である。弱音《よわね》を吹いてみたところで、いたずらに嘲笑を買うまでで、誰あって一人同情をよせるものもない。誰だってそうだと言われてみるとこれきりの話だ。
 省作も今は、なあにという気になった。今日の稲刈で、よし田ん中へ這《は》ったって、苦しいのなんのと書うもんかと力《りき》んでみる。省作はしばらく井戸端に佇《たたず》んで気を養うている。井戸から東へ二間《にけん》ほどの外は竹|藪《やぶ》で、形ばかりの四《よ》つ目垣《めがき》が廻《めぐ》らしてある。藪には今藪鶯がささやかな声に鳴いてる。垣根のもとには竜《りゆう》の髭《ひげ》が透間《すさま》なく繁って、青い玉の何ともいえぬ美しい実が黒い繁り葉の間に綴《つづ》られてある。竜の髭の実はじつに色が麗《うるわ》しい。たとえて言いようもない。鮮かに潤《うるお》いがあるとでも言ったらよいか。藪から乗りだした冬《もち》青の樹には赤い実がたくさんなってる。渋味のある朱色《しゆいろ》で厭味のない古雅な色がなつかしい。省作は玉から連想して、おとよさんの事を思いだし、穏かな顔に、にこりと笑《え》みを動かした。
「あるある、一人ある。おとよさんが一人ある」
 省作はこう独言《ひとりごと》にいって、竜の髭の玉を三つ四つ手に採《と》った。手《て》の平《ひら》に載《の》せてみて、しみじみとその美しさに見とれている。
「おとよさんはじつに親切な人だ」
 また一言いって玉を見ている。
 省作は体は大きいけれど、この春中学を終えて今年からの百姓だから、何をしても手廻しがのろい。昨日の稲刈などはずいぶんみじめなものであった。誰にもかなわない。十四のおはまにも危く負けるところであった。じつは負けたのだ。
「省さん、刈りくらだよ」
 というような掛声で十四のおはまに揉《も》みたてられた。
「くそ……手前なんかに負けるものか」
 省作も一生懸命になって昼間はどうにか人並に刈ったけれど、午後も二時三時ごろになってはどうにも手がきかない。おはまはにこにこしながら、省作の手許《てもと》を見やって、
「省さんは私に負けたら私に何をくれます……」
「おまえにおれが負けたら、お前のすきなもの何《なん》でもやる」
「きっとですよ」
「だいじょうぶだよ、負ける気遣《きつか》いがないから」
 こんな調子に、戯言《じようだん》やら本気やらで省作はへとへとになってしまった。おはまがよそ見をしてる問に、おとよさんが手早く省作のスガイ藁《わら》を三十本だけ自分のへ入れて助《す》けてくれたので、ようやく表面おはまに負けずにすんだけれど、そういうわけだからじつはおはまに三十本だけ負けたのだ。
 省作はここにまごまごしていると、すぐ呼びたてられるから、今しばらく家のものの視線を避けようとしていると、おはまが水汲みにきた。
「省さん、今日はきっと負《まか》してやります」
「ばかいえ、手前なんかに片手だって負けっこなしだ」
「そっだらかけっこにせよう」
「うん、やろ」
 おはまはハハハッと笑って水を汲《く》む。
「はま……誰かおれを呼んだら、便所にいるってそういえよ」
「いや裏の畑に立ってるってそういってやらア」
 「このあまめ」
 省作は例の手段で便所策を弄《ろう》し、背戸の桑畑へ出てしばらく召集を避《さ》けてる。はたして兄がしきりと呼んだけれど、はま公がうまくやってくれたからなお二十分間ほど骨を休めることができた。
 朝露しとしとと滴《こぼ》るる桑畑の繁り、次ぎな菜畑、大根畑、新たに青み加わるさやさやしさ、一列に黄ばんだ稲の広やかな田畝《たんぼ》や、少し色づいた遠山の秋の色、麓《ふもと》の村里には朝煙薄青く、遠くまで棚曳《たなび》きわたして、空は瑠璃《るり》色深く澄みつつ、すべてのものが皆|活《いきいき》々として、おのおのその本能を発揮《はつき》しながら、またよく自然の統一に参合している。省作はわれみずからもまた自然中の一物《いちぶつ》に加わり、その大いなる力に同化せられ、その力の一端が吾が肉体にも吾が精神にも通いきて、新たなる生命に活きかえったような思いである。おとよさんやおはまや、晴晴と元気のよい、毛の先ほども憎気《にくげ》のない人たちと打興《うちきよう》じて今日も稲刈かということが、何となし嬉しく楽しくなってきた。
 太陽はまだ地平線に顕《あら》われないが、隣村の誰れ彼れ馬を曳《ひ》いてくるものもある。荷車を曳いてくるものもある。天秤《てんびん》の先へ風呂敷ようのものをくくしつけ肩へ掛けてくるもの、軽身に懐手《ふところで》してくるもの、声高《こわだか》に元気な話をして通るもの、いずれも大廻転の波動かと思われ、いよいよ自分の胸の中にも何かが湧きかえる思いがするのである。
 省作は足腰の疲れも、すっかり忘れてしまい、活気を全身に湛《たた》えて、皆の働いてる表へ出てきた。
     二
「省作お前は鎌を研《と》ぐんだ。朝前《あさめえ》のうちに四|挺《ちよう》だけ研いでしまっておかねじゃなんねい。さっきあんなに呼ばったに、どこにいたんだい。何だ腹の工合《ぐあい》がわるい、……みっちりして仕事にかかれば、たいていのことはなおってしまう。この忙しいところで朝っぱらからぶらぶらしていてどうなるか」
「省作の便所は時によると長くて困るよ。仕事の習い始めは、ずいぶんつらいもんだけど、それや誰でもだからしかたがないさ。来年は誰にも負けなくなるさ」
 兄夫婦は口小言《くちこごと》を言いつつ、手足は少しも休めない。仕廓の習い始めはずいぶんつらいもんだという察しがあるならば、少しは想《おも》いやってくれてもよさそうなものと思っても、兄や姉には口答えもできない、母に口答えするように兄や姉に口答えしたら大へんが起る。どこの家でもそうとは極っていないが、親子と兄弟とは非常に感じの違うものである。兄には妻がありかつ年をとっている兄であるといよいよむずかしい。ことに省作の家は昔から家族のむずかしい習慣がある。
 省作はだまって鎌を研ぐ用意にかかる。兄は極った癖《くせ》で口小言を言いつつ、大きな箕《みの》で倉からずんずん籾《もみ》を庭に運ぶ。跡《あと》から姉がその籾を拡げて廻る。満蔵は庭の隅から隅まで、藁シブを敷いてその上に蓆《むしろ》を並べる。これに籾を干すのである。六十枚ほど敷かれる庭ももはや六分どおり籾を拡げてしまった。
 省作は手水鉢《ちようずばち》へ水を持ってきて、軒口の敷居に腰を掛けつつ片肌脱ぎで、ごしごしごしごし鎌を研ぐのである。省作は百姓の子でも、妙な趣味を持ってる男だ。
 森の木蔭から朝日がさしこんできた。始めは障子《しようじ》の紙へ、ごくうっすらほんのりと影がさす。物の影もその形がはっきりとしない。しかしその間の色が最も美しい。ほとんど黄金を透明にしたような色だ。強みがあって輝きがあってそうして色がある。その色が目に見えるほど活きた色で少しも固定しておらぬ。一度は強く輝いてだんだんに薄くなる。木の葉の形も小鳥の形もはっきり映るようになると、きわめて落薯[いた静かな趣《おもむ》きになる。
 省作はそのおもしろい光景に我を忘れて見とれている。鎌を研ぐ手はただ器械的に動いてるらしい。おはまは真に苦も荷もない声で小唄をうたいつつ台所に働いている。兄夫婦や満蔵はほとんど、活きた器械のごとく、秩序《ちつじょ》正しく動いている。省作の眼には、太陽の光が寸一寸と歩を進めて動く意味と、ほとんど同じようにその調子に合せて、家の人たちが働いてるように見える。省作はもうただただ愉快である。
 東京の物の本など書く人たちは、田園生活とか何とかいうて、田舎はただ暢気《のんき》で人々すこぶる悠長《ゆうちょう》に生活しているようにばかり思っているらしいが、実際は都人士の想像しているようなものではない。なまけ者ならば知らぬこと、まじめな本気な百姓などの秋といったら、それはずいぶんと忙しい烈しいものである。
 のらくらしていては女にまで軽蔑《けいべつ》される。恋も金も働きものでなくては得られない。一家にしても、その家に一人の不精《ぶしょう》ものがあれば、そのためにほとんど家庭の平和を破るのである。そのかわりに、 一家|手揃《てぞろい》で働くという時などにはずいぶん烈《はげ》しき労働も見るほどに苦しいものではない。朝夕忙しく、水門《みなと》が白むとともに起き、三つ星の西に傾くまで働けばもちろん骨も折れるけれど、そのうちにまた言われない楽しみも多いのである。
 おのおの好き好きな話はもちろん、唄もうたえば洒落《しゃれ》も言う。噂の恋や真《まこと》の恋や、家の内ではさすがに多少の遠慮もあるが、そとで働いてる時には遠慮も憚《はばか》りもいらない。時には三丁と四丁の隔《へだ》たりはあっても同じ田畝《たんぼ》に、思いあっている人の姿を互に遠くに見ながら働いている時など、よそ目にはわからぬ愉快に日を暮し、骨の折れる仕事も苦しくは覚えぬのである。まして憎《にく》からぬ人と肩肘《かたひじ》並べて働けば少しも仕事に苦しみはない。よし色恋《いろこい》の感情は別としても、家《うち》じゅう気を揃《そろ》えて働けば互に心
持よく、いわゆる一家の和合《わう》から湧き起る一種の愉快もまたはなはだ趣味の深いものである。
 省作が片肌脱いで勢よく鎌を研《と》ぎ始めれば、兄夫婦の顔にもはやむずかしいところは少しもなくなって、快活な話が出てくる。母までが端近《はしぢか》に出てきてみんなの話に鉞《ばつ》を合せる。省作がよく働きさえすれば母は家のものに肩身が広くいつでも愉快なのだ。慈愛の親に孝《こう》をするはわけのないものである。
「今日明日《きょうあす》とみっちり刈れば明後日《あさって》は早終《はやじまい》の刈上げになる。刈上げの祝いは何がよかろ、省作お前はむろん餅だなア」
 そういうのは兄だ。省作はにこり笑ったまま何とも言わぬうち、
「餅よりは鮓《すし》にするさ。こないだ餅を一度やったもの、今度は鮓でなけりゃ。なア省作お前も鮓仲間になってよ」
「私はどっちでも……」
「省作お前そんなこと言っちゃいけない。兄さんと満蔵はいつでも餅ときまってるから、お前は鮓になってもらわんけりゃ困る。私とおはまが鮓で餅の方も二人だから、省作が鮓となればこっちが三人で多勢だから鮓ときまるから……」
 省作は相変らず笑って、右とも左とも言わない。満蔵はお祖母さんが餅に賛成だという。姉はお祖母さんは稲を刈らない人だから、裁決《さいけつ》の数にゃ入れられないという。おのおの受持の仕事は少しも手を緩《ゆる》めないで働きながらの話に笑い興じて、賑《にぎや》かなうちに仕事は着々進行してゆく。省作が四挺の鎌を研ぎ上げたころに籾干《もみほし》も段落がついた。おはまけ御《ご》ぜんができたと言うてきた。
 昨日はこちから三人往って隣の家の稲を刈った。今日は隣の人たちが三人来てこちの稲を刈るのである。若い人たちはとかく多勢《おおぜい》で賑かに仕事をすることを好むので、懇《ねんご》ろな間にはよく行われることである。
 隣から三人、家のものが五人、都合《つごう》八人だが、兄は稲を揚げる方へ廻るから刈手は七人、一人で五百|把《ば》ずっ刈れば三千五百刈れるはずだけれど、省作とおはまはまだ一人前は刈れない。二人は四百把ずっ刈れと言いわたされる。省作は六尺大の男がおはまと組むは情ないという。それじゃ五百でも六百でも刈ってくれと姉が冷笑する。おはまはまた省さんが五百刈れば私だって五百刈るという。おはまは何でもかでも今日は省さんを負かして何か買ってもらうんだという。
「おれがおはまに負けたら何でも買ってやるけれど、お前がおれに負けたらどうする」
「私も負けたら何かきっとあげるから、省さんの方からきめておいてください」
「そうさなア、おれが負けたら、皸《あかぎれ》の膏薬《こうやく》をおまえにやろう」
「あらア人をばかにして、……そんならわたしが負けたら一文膏薬を省さんにあげぺい。ハハハハハ」
 仕事着といっても若いものたちには、それぞれ見えがある。省作は無頓着《むとんちやく》で白メレンスの兵児帯《ホへこおび》が少し新しいくらいだが、おはまは上着は中古《ちゆうぶる》でも半襟《はんえり》と帯とは、仕立おろしと思うようなメレンス友禅《ゆうぜん》の品《ひん》の悪くないのに卵色の襷《たすき》を掛けてる。背丈《せたけ》すらっとして色も白い方でちょっとした娘だ。白地の手拭をかぶった後姿、一村の問題に登るだけがものはある。満蔵なんか眼中にないところなどはすこぶる頼もしい。省作にからかわれるのがどうやら嬉しいようにも見えるけれど、さあ仕事となれば一生懸命に省作を負かそうとするなどははなはだ無邪気《むじやき》でよい。
 清《せい》さんと清さんのお袋といっしょにおとよさんは少しあとになってくる。おとよさんはけっして清さんといっしょになって歩くようなことはないのだ。お早うございますがてんでに交換され、昨日のこと天気のよいことなど喃《なんなん》々と交換されて、気の引きたつほど賑かになった。おとよさんは、今つい庭前《にわさき》まで浮かぬ顔色できたのだけれど、みんなと三言四言|詞《ことば》を交えて、たちまち元のさえざえした血色《けつしよく》に返った。
 おとよさんは、みなりも心のとおりで、すべてがしっかりときりっとして見るもすがすがしいほどである。おはまはおとよさんを一も二もなく崇拝《すうはい》して、何から何までおとよさんを真似《まね》る。おはまはおとよさんの来たのを見るや、庭まで出ておとよさんを迎え、おとよさんの風《ふう》の上から下まで見つめて、やがておとよさんの物をこれは何これはどうしてと、いちいち聞いてみる。おとよさんは十九だというけれど、勝気な女だからどう見たって二十前《はたちまえ》の女とは見えない。女としては体がたくましすぎるけれど、さりとてけっして角《かどかど》々しいわけではない。白い女の持前で顔は紅《くれない》に色どってあるようだ。唇はいつでも「べに」を畷《すす》ったかとおもわれる。たくさんな黒髪をゆたかに銀杏返《いちようがえ》しにして帯も半襟も昨日とは変って華《はな》やかだ。どう見てもおとよさんは隣《と登》の清さんが嫁には過ぎてる。おとよさんの浮かない顔するのもそれゆえと思えば可哀《かわい》そうになってくる。
「省作、いくら仕事に馴《な》れないからとて、その体で女に刈り負けるということないど。どうでもえいと思ってやれば、いつまでたったって仕事は強くならない」
 母は気遣《きづか》って省作を励《はげ》ますのである。省作は例のごとくただにこりの笑いで答える。やがて八人用意整えて目的地に出かける。おとよさんとおはまの風はたしかに人目にとまるのである。まア綺麗《きれい》な稲刈だことと褒《ぼ》めるものもあれぼ、いやにつくってるなアと嘲《ののし》るものもある。おはまの奴《やつ》が省作さんに気があるからおかしいやというようなのも聞える。おはまはじろり悪口いう方を見たが誰れだか判らなかった。おとよさんは、どういう心持かただだまって俯《うつむ》いたまま傍目《わきめ》も振らずに歩いてる。姉は突然、
「おとよさん、家ではおかげで明後日《あざつて》刈上げになります。隣ではいつ……」
「私とこでもあさって……」
「家ではね、餅だというのを、ようよう鮓にすることになりました。おとよさんとこは何」
「私とこでは餅だそうです。私餅はきらい」
「それじゃおとよさん、明後日は家へお出でなさいよ」
「それだら省さんがお隣へ餅をたべに往っておとよさんが家へ鮓をたべにくるとえいや」
 こういうのはおはまだ。
「朝っぱらから食うことばかりいってやがらア」
 そういって兄は背負《せお》うたスガイ藁を右の肩から左の肩へ移した。隣のお袋と満蔵とはどんなおもしろい話をしてかしきりに高笑いをする。清さんはチンチンと手鼻をかんでちょこちょこ歩きをする。おとよさんは不興な顔をして横目に見るのである。
 今年の稲の出来は三四年以来の作だ。三十俵つけ一まちに纒《まと》まった田に一草の晩稲《おくて》を作ってある。一株一握にならないほど大株に肥えてる。穂の重みで一《ひと》つらに中伏《ちゆうぶし》に伏している。兄夫婦はいかにも心持よさそうに畔《くろ》に立って眺める。西の風で稲は東へ向いてるから、西手の方から刈り始める。
 おはまは省作と並んで刈りたかったは山々であったけれど、思いやりのない満蔵に妨げられ、仏頂面《ぶっちようづら》をして姉と満蔵との問へはいった。おとよさんは絶対に自分の夫と並ぶを嫌って、省作と並ぶ。何といってもこの場では省作が花役者だ。何事にも穏かな省作も、こう並んで刈り始めてみると負けるは残念な気になって、一生懸命に顔を火のようにして刈っている。満蔵はもう独《ひと》りで唄を歌ってる。おとよさんは百姓の仕事は何でも上手で強い。にこにこしながら手も汚《よご》さず汗も出さず、綽々《しゃくしゃく》として刈ってるが、四把と五把との割合をもってより多く刈る。省作は歯ぎしりを噛んで競うてみても、おとよさんにかけてはほとんど児供だ。おとよさんは微笑で意を通じ、省作のスガイを十本二十本ずつ刈りすけてやる。おはまは何といっても十四の小娘だ。おとよさんのその仕草《しぐさ》に少しも気がつかない。満蔵は独りで唄い飽きて、
「おはまさア唄えよ。おとよさアなで今日は唄わねいか」
 誰れも唄わない。サッサッと鎌の切れる音ばかり耳に立ってあまり話するものもない。清さんはお袋と小声でぺちゃくちゃ話している。満蔵は欠伸《あくび》をしながら、
「みんな色気があるからだめだ。省作さんがいれば、おとよさんもはま公も唄もうたわねいだもの」
 満蔵は臆面《おくめん》もなくそんなことを言って濁笑《だみわらい》をやってる。実際満蔵の言うとおりで、おとよさんは省作のいるとこでは、話も思いきってはしない。省作はもとから話下手《はなしぺた》ときてるから、半口並んで仕事をしていてもろくに口も利《き》かないという調子で、今日の稲刈は大へん賑《にぎや》かであろうと思った反対にすこぶる振わないのだ。しかし表面賑かではないが、おとよさんとおはまの心では、時聞の過ぐるも覚えないくらい賑かな思いでいるのである。
 省作はもちろんおとよさんが自分を思ってるとはまだ気がつかないが、少しそういうところに経験のある眼か
ら見れば、平生《へいぜい》あまり人に臆せぬおとよさんが、とかく省作に近寄りたがる風がありながら、心を抑えて話もせぬ様子ぶりに眼を留めないわけにゆかない。何か心に思ってることがなくて、そんなによそよそしくせんでもよい人に、勉《つと》めてよそよそしくするのはおかしいに極《きま》っている。稲を刈って助けるのは、心あっての事ともそうでないとも見られるが、そのそぶりは何んでもないもののすることとは見られない。
 午後もやや同じような調子で過ぎた。兄夫婦は稲の出来栄《できばえ》にほくほくして、若い手合のいさくさなどに眼は及ばない。暮方になってはさしもに大きな一まちの田も、綺麗に刈上げられて、稲は畔《くろ》の限りに長く長城のごとくに組みたてられた。省作もおとよさんのおかげで這廻《はいまわ》るほど疲れもせず、負恥《まけはじ》もかかずすんだ。おはまがもしおとよさんの仕草を知ったら大騒ぎであったろうけれど、とうとうおはまはそれを知らなかった。おはまばかりでない、誰も知らなかったらしい。
「今日くらい刈れば省作も一人前だなア」
 これが姉の褒詞《ほめことば》で見ても知られる。のっそり子《こ》の省作も、おとよさんの親切には動かされて真底からえい人だと思った。おとよさんが人の妻でなかったらその親切を恋の意味に受けたかもしれないけれど、生娘《きむすめ》にも恋したことのない省作は、まだおとよさんの微妙なそぶりに気づくほど経験はない。
 元来はこの秋二軒が稲刈をお互にしたというもすでにおとよさんの省作いとしから湧いた画策なのだ。おとよさんは年に合わして、気前のすぐれたやり手な女で、腹のこたえた人だから、自然だいそれた真似をやりかねまじき女とも言える。
 こう考えてみるとただおとよさんが目的を逮したばかりで、今日の稲刈には何の統一もなかった。稲刈は稲さえ思うだけ刈上げさえすればよいわけだが、仕事の興味という点からいうと、二軒いっしょになって刈るというところに仕事以外の興味がなければならないのに、今度の稲刈はどうもそれが欠けておった。清さんはさもつまらなそうに人について仕事をしてるばかり、満蔵もおはまも清さんのお袋も何だかおもしろくなかった。身上《しんしよう》の事ばかり考えて、少しでもよけいに仕事をみんなにさせようとばかり腐心《ふしん》している兄夫婦はまったく感情が別だ。みんながおもしろく仕事をしたかどうかなどと考えはしない。だからこんなことはつまらんとも思わない。ただ若いものらが多勢でやりたがるからこれに故障を言わないまでのことだ。ほかの人たちはそうでない。多勢でしたらおもしろかろう走思って二軒いっしょにお互この稲刈をしたのだが、何だかみんなの心がてんでん向き向きのようで、格別おもしろくなかった。だから今日の終いごろには清さんも満蔵もおはまも、言い合さないでつまらなかったとこぼした。
 それはそのはずなのだ。おとよさん一人のために皆が騒がせられたようなもので、いわばみんながおとよさんにばかにされたのだ。誰とておとよさんにばかにされていたと気づきはしないけれど、事実がそれであるから興味がなかったのである。おとよさんももちろん人をばかにするなどの悪気があってしたことではないけれど、つまりおとよさんがみんなの気合にかまわず、自分一人の秘密にばかり屈託していたから、みんなとの統一を得られなかったのだ。いつでも非常ないい声で唄をうたって、随所《ずいしよ》の一団に中心となるおとよさんが今日はどうしたか、ろくろく唄もうたわなかったからして、みんなの統一を欠いたわけだ。清さんや清さんのお袋は、またどうしたか御機嫌が悪いや、珍らしくもない、というくらいな心で気にかけない。この稲刈にはおとよさんがいなかったらかえってほかの者らには統一ができたのだ。そういうおとよさんははなはだ身勝手な女のように聞えるけれど、人を統一する力あるものはまたその統一を破るようなことをかならずするものだ。
 おとよさんの秘密に少しも気づかない省作は、今日は自分で自分が解らず、ただ自分は木偶《でく》の坊《ぼう》のように、おとよさんに引き廻されて日が暮れたような心持がした。
     三
 今日は刈上げになる日であったのだが、朝から非常な雨だ。野の仕事はむろんできない。丹精《たんせい》一心の兄夫婦も、今朝はいくらかゆっくりしたらしく、雨戸の開けかたが常のようには荒くない。省作も母が来て起すまでは寝せておかれた。省作が目を覚ました時は、満蔵であろう、土間《どま》で米を搗《つ》く響がずーんずーと調子よく響いていた。雨で家にいるとせば、縄《なわ》でもなうくらいだから、省作は腹の中ではよい塩梅《あんばい》だわいと思いながら元気よく起きた。
 省作は今日休ませてもらいたいのだけれど、この取入れ最中に休んでどうすると来るが恐ろしいのと、省作がよく働いてくれれば、私は家にいて御飯がうまいとの母の気遣いを思うと休みたくもなくなる。
「兄さん今日は何をしますか」
「うんしかたがない、縄でもなえ」
「兄さんは何をしますか、縄をなうならいっしょに藁を湿《しめ》しましょう」
「うんおれは俵《たわら》を編む、はま公にも縄をなわせろ」
 省作は自分の分とはま公の分と、十把ばかり藁を湿して朝飯前にそれを打つ。おはまは例の苦のない声で小唄をうたいながら、台所の洗い物をしている。姉はこんな日でなくては家の掃除も十分にできないと言って、がたひち音をさせ、家の隅々をぐるぐる雑巾《ぞうきん》がけをする。丹精な人は掃除にまで力を入れるのだ。
 朝飯がすむ。満蔵は米搗《こめつき》、兄は俵あみ、省作とおはまは縄ない、姉は母を相手に襤褸繕《ぼろつくろ》いらしい。稲刈から見れば休んでるようなものだ。向うの政公も藁をかついでやってきた。
「どうか一人|仲間入《なかまいり》さしてください。おや、おはまさんも縄ない……こりゃありがたい。私はまたせめておはまさんの姿の見えるところで縄ないがしたくてきたのに……」
「あア政さん、ここへはいんなさい。さアはま公、おまえがよくて来たつんだから……」
「あらアいやな」
 おはまはつッと立って省作の右手へうつる。政さんはにこにこしながら省作の左手へ座をとる。
「昨日の稲刈は賑かでしたねい。私はおはまさんに惚《ほ》れっちゃった。ハハハハハ」
 政さんは話上手でよく場合に応じての話がすこぶるうまいもんだ。戯言《じようだん》とまじめと工合よく取交ぜて人を話に引入れる。政さんはおはまの顔を時々見てはおとよさんを褒《ほ》める。
「女の前でよその女を褒めるのは、ちっと失敬なわけだけど、えいやねい、おはまさん、おはまさんはおとよさんびいきだからねい」
 おはまはわきを見て相手にならない。政さんは誰へも渡りをつけて話をする。外は秋雨しとしとと降って、この悲しげな雨の寂しさに堪《た》えないで歩いてる人もあろう、籠《こも》ってる人もあろう。一家和楽の庭には秋のあわれなど言うことは問題にならない。兄のきまじめな話がひとくさりすむと、満蔵が腑抜《ふぬ》けな話をして一笑い笑わせる。話はまたおとよさんの事になる。政さんは真顔になって、
「おとよさんは本当に可哀そうだよ。いったいおとよさんがあの清六の所にいるのが不思議でならないよ。あんまり悪口いうようだけど、清六はちとのろすぎるさ。親父だってお袋だってざま見さい。あれで清六が博奕《ばくち》も打《ぶ》つからさ。おとよさんも可哀そうだ。身上《しんしよう》もおとよさんの里から見ると半分しかないそうだし。なにおとよさんはとても隣にいやしまい」
「お前そんなことを言ったって、どこがよくているのか知れるもんじゃない。あの働きもののおとよさんが、いてくれさえすれば困るようなことはないから」
 兄はつやけのないことを言ってる。
「もっとも家じゅう一生懸命にとりもって、おとよさんを置こうとしているらしい。それでもこの節はおとよさんの機嫌がとりきれないちゅう話だ。いてもらおうと思う方がよっぽどむりだ」
 おはまは喉《のど》のつまったような声をして突然、
「おとよさんがいなくなったら私やどうしよう」
「おとよさんはいなくなりゃしないよ。なにがいなくなるもんか。ただ話だわ」
「そうかしら」
 兄のおとよさんを誉《ほ》めようはおもしろい。
「おらアおとよさん大好きさ。あの人は村の若い女のよい手本だ。おとよさんは仕事姿がえいからそれがえいのだ。おらアもう長着で羽織など引っかけてぶらぶらするのは大嫌いだ。染めぬいた紺《こん》の絣《かすり》に友禅の帯などを惜気《おしげ》もなくしめてきりっと締まった、あの姿で手のさえるような仕事ぶり、ほんとに見ていても気持が晴《せいせい》々する。なんでも人は仕事が大事なのだから、若いものは仕事に見えするのはえいこった。休日などにべたくさ造りちらかすのはおらア大嫌い。はま公もおとよさん好きだっけなア。まねうまねろ。仕事もおとよさんのように達者でなけやだめだなア」
「や、これや旦那はえいことをいわっしゃった。おはまさんは何でも旦那に帯でも着物でもどしどし買ってもらうんだよ」
 省作はただ笑う仲間にばかりなっていっこうに話はできない。満蔵はもう一俵の米を搗《つき》上げてしまった。兄は四俵の俵をあみ上げる。省作の縄ないはやはりおはまの仲間で、二人とも二把の藁が綯《な》いきれない。兄はもう家じゅう手揃で仕事をすれば機嫌はよい。
「はま公、そんなににわかに稼ぎださなくともえいよ。天気のえい時にはみっちら働いて、こんな日にゃ骨休めだ。これがえいのだ。なまけて遊んだっておもしれいもんでねい。はまア薩摩芋《さつまいも》でも煮ろい」
 おはまは竈屋《かまや》へゆく。省作は考えた。兄は一に身上二に丹精で小むずかしいことばかりいうて解らない人とのみ思っていたに、今日の話はなかなか解ってる。なるほどこれがえいのだ。これでおもしろいのだ。みんなしてこうしておもしろく働くがえいのだろう。田園生活などいうても、百姓の辛労《しんろう》を見物ものにして、百姓の作ったものをぶらぶら遊んで見ていたって、そりゃ本当の田園趣味でない。なるほどおれも百姓になろう。百姓は骨が折れるからとばかり思って、とかく本気に百姓しようと思わなかったけれど、考えると兄の言うことがほんとうだ。百姓になろう百姓になろう。そう考えてみると、なるほどおとよさんは立派な女だ。年は同じだけど吾々お坊さんとはわけが違う。それでおとよさんは真から親切だ。省作は独り思いに耽って昨日のおとよさんの様子を思いだした。政さんのいうことも本当だ。おとよさんは隣に嫁になってるとは可哀そうだ。なるほど政さんのいうとおり隣にゃいないかもしれない。そう思うとまた妙におとよさんがなつかしくなって別れたくないような気がするのである。
「省作さん、ちっとお話しなさいよ。何か考えてるね。ハハハハハ」
 省作は、はっとしたけれど例のごとく穏《おだや》かな笑いをして政さんの方へ向く。政さんは快活に笑って三つの縄をなってしまった。省作が二つ終えないうちに政さんはちょろり三つなってしまった。満蔵は二俵目の米を倉から出してきて臼《うす》へ入れてる。おはまは芋を鍋いっぱいに入れてきて囲炉裏《いろり》にかけた。跡はお祖母さんに頼んでまた縄ないにかかる。
 満蔵はほどよく米を臼に入れて俵は元の倉へ戻し、臼へ腰を掛けつつしばらく人の話を聞いているうち、調子
はずれな声を出して、
「きょうは省作さアに奢《おご》ってもらうんだっけ。おらアたしかな証拠を見たんだ」
 意外な満蔵の話に人々興がりいっせいに笑いをもって満蔵の話を迎える。
「省作さんに奢《おご》らねけりゃなんねいことがあるたアこりゃおもしれい。満蔵君早く話したまえ。省作さんも奢るならまたそのように用意が入るから」
 政さんに促《うなが》されて満蔵は重い口を切った。
「おとよさアが省作さアに惚《ほ》れてる」
「さアいよいよおもしれい。どういう証拠を見た、満蔵さん。省作さんもこうなっちゃ奢んなけりゃなんねいな」
 口軽な政さんはさもおもしろそうに相言《あいこと》をとる。
「満蔵何をぬかすだい」
 省作はそうは言ったものの不思議と顔がほてりだした。満蔵はとんだことを言いだして困ったと思うような顔つきで、
「昨日の稲刈でおとよさアは、内処《ないしよ》で省作さアのスガイ一把すけた。おれちゃんと見たもの。おとよさアは省作さアのわき離《はな》れねいだもの。惚れてるに違いねい」
 おはまは眼をぎろっとして満蔵を見た。省作はもう顔赤くして、
「嘘だ嘘だ。そらおとよさんはおれがあんまり稲刈が弱いから、内処で助《す》けてくれたには相違ないけど、そりゃおとよさんの親切だよ。何も惚れたのどうだのっていことはありゃしない。ぱか満《まん》め何をいうんだえ」
 省作も一生懸命弁解はしたものの何となし極りが悪い。のみならずあるいはおとよさんにそんな心があるのかとも思われるから、いよいよ顔がほてって胸が鳴ってきた。満蔵はそれ以上を言う働きはないから急いで米を搗《つ》きだす。政さんはいよいよ興がって、
「こりゃ判《わか》んねい。そこまで満蔵さんに見られちゃア、とにかく省作さんは奢るが至当だっぺい。うん人の女房《にようぼ》だって何だって、女に惚れられっちは安くない、省作さん……」
 兄はまさかそんな話の仲間にもなれないだろう、むずかしい顔をしている。政さんは兄の顔に気がついて、言いだした話を引っこませかける。突然|囲炉裏《いろり》ばたの障子が開《あ》いて母が顔を出した。
「満蔵」
「はあ」
「お前、今おとよさんの事を言ったねい」
「はあ」
 満蔵はもう大変なことになったと思ってか、色青くして眼がはや潤《うる》んでる。
「お前どんなことを見たか知んねいが、おとよさんはお前隣の嫁だろ。家の省作だってこれから売る体じゃないか。戯言《じようだん》に事欠いて、人の体さ疵《きず》のつくようなこというもんじゃない。わしが頼むからこれからそんなことはいわないでくろ」
「はア」
 満蔵はもう恐れ入ってしまって、申訳も出ない。正直な満蔵は真《しん》からとんだことを言ってしまったとの後悔が、隠れなく顔にあらわれる。満蔵が正直|溢《あふ》れた無言の謝罪には、母もその上叱りようないが、なお母は政さんにもそれと響くよう満蔵に強く念を押す。
「ねい満蔵、ちょっとでもそんな噂を立てられると、おとよさんのため、また省作のため、本当に困ったことになるからね。忘れてもそんなことを言うてくれるな。えいか」
「はア」
 事はまじめになって話は火の消えたようになった。すると噂を言えば影とやらで、どうやらおとよさんの声が
する。竈屋の裏口から、
「背戸口からごめんくださいまし」
 例の晴《はればれ》々した、りんの音《ね》のような声がすると、まもなくおとよさんは庭場へ顔を出した。にっこり笑って、
「まあ賑《にぎや》かなこと。……うっとしいお天気でございます。お祖母さん何んですか。あそうですか、どうもこちそうさま」
 今まで唯一の問題になっていた本人が、突然はいってきたのだから、みんな相|顧《かえり》みて茫然《ぼうぜん》自失というありさまだ。さすがの政さんも今までお前さんの噂をしていたのさとは言いかねて、 一心に縄を綯う風にしている。おとよさんはみんなにお愛想を言うて姉のいる方へ上った。何か機《はた》の器具を借りに来たらしい。
 やがて芋が煮えたというので、姉もおとよさんといっしょに降りてくる。おお勢《ぜい》輪を作って芋をたべる。少しく立優《たちまさ》った女というものは、不思議な光を持ってるものか、おとよさんがちょっとここへくればそのちょっとの間おとよさんがこの場の中心になる。知らず知らず誰の目もおとよさんにあつまる。
 顎《あご》のあたりゆたかに艶《つや》よきおとよさんの顔は、どことなく重みがあった。ずいぶんお饒舌《しやべり》な政さんなぞも、蔭でこそかれこれ茶かしたようなことを言っても、面《めん》と向ってはすっかりてれてしまって戯言一《じようだん》つ言えない。おはまは先におとよさんが省作に気があるというのを聞いて、自分がおとよさんといっそう近しくなったような心持で、おとよさんの膝にすり寄っておとよさんの顔を見上げている。省作はわざと輪からはずれて立って芋をたべてる。政さんはしきりにおとよさんの方を窃《ぬす》み見て、おとよさんが省作に対する動作に何物かを発見せんとつとめているけれど、政さんなんかに気取られるようなそんな浅々しいおとよさんではない。おとよさんは省作へはちらと目をくばる様子もない。やがておとよさんは、今夜は早く風呂ができるからはいりに来てくれるようにと、お祖母さんはじめみんなへ言うて帰った。
 昼過ぎても雨は止まない。満蔵は六斗の米を搗《つ》き上げてしまって遊びに出た。跡は昼前のとおりへ清さんも藁を持ってやってきた。清さんがきてみれば、もうおとよさんの噂もできない。おはまを相手に政さんがらちもなきことを饒舌《しやぺ》って賑かしてる。省作は考えまいとしても、どうしても考えられてならない。考えてると人にそう思われてはいよいよ困るから、ことさらにらちもない話に口を出して、腹は沈んで口では浮いてるように振舞ってるけれど、そういうことは省作の柄《がら》でないから、はたで見てるとよほどおかしい。
 おとよさんがおれを思ってる、本当かしら、夫のあるおとよさんが、そんなことはありゃしまい。おとよさんは何もかもきちんとした人だ。おいらなどよりもよほど大人《おとな》だもの。おれを思ってるなんて嘘だ。嘘だ、嘘に違いない。第一本当であったらおとよさんは見掛に寄らず不埒《ふらち》な女郎《めろ》だ。いやそんなことがあるもんか。贐だ。嘘だ嘘だと心で霽うほど、思いあたることが出てくる。おとよさんがおれに親切なは今度の稲刈の時ばかりでない。成東《なるとう》の祭の時にも考えればおかしかった。この間の日暮などもそうっと無花果《いちじゆく》を袂《たもと》へ入れてくれた。そうそうこの前の稲刈の時にもおれが鎌で手を切ったら、おとよさんは自分の冠《かぶ》っていた手拭を惜気《おしげ》もなく裂いて結《ゆ》わいてくれた。どうも思ってるのかもしれない。
 考えだすと果てがない。省作は胸が躍《おど》って少し逆上《のぼ》せた。人に怪《あやし》まれやしまいかと思うと落着いていられなくなった。省作は出たくもない便所へ往く。便所へ往ってもやはり考えられる。
 それではおとよさんは、どうもおれを思ってるのかもしれない。そうするとおとよさんはよくない女だ。夫のある身分で不埒な女だ。不埒だなア。省作はたしかに一方にはそう思うけれど、それはどうしても義理ひととおりの考えで、腹の隅の方で小さな弱々しい声で鳴る声だ。恐ろしいような気味の悪いような心持が、よぼよぼしたみすぼらしいさまで、おとよ不埒を瘠《やせが》我|慢《まん》に偽善的に言うのだ。省作はいくら眼をつぶっても、眉の濃い髪の黒い艶々したおとよの顔がありありと見える。何もかも行きとどいた女と兄も褒《ほ》めた若い女の手本。いくら憎く思ってみてもいわゆる糠《ぬか》に釘で何らの手対《てこた》えもない。あらゆる偽善の虚栄心を覆《くつがえ》して、心の底からおとよさん嬉しの思いがむくむく頭を上げる。どう腹の中でこねかえしても、つまりおとよさんは憎くない。いよいよおとよさんがおれを思ってるに違いなけりゃ、どうせばよいか。まさかぬしある女を……おとよさんもどういう了簡かしら。いやだいやだ、おとよさんがいくらえい女でも、ぬしある女、人の妻、いやだいやだ。省作はようやくのこと、いやだいやだと口の底で言いつつ便所を出たけれど、もしも省作がおとよさんに逢って、おとよさんのあの力ある面つきで何とか言いだされたら、省作がいま口の底でいう、いやだいやだなんぞは、手の平の塵《ちり》を吹くより軽く飛んでしまいそうだ。省作は知らず知らず溜息《ためいき》が出る。
 省作が自分の座へ帰ってくると、おはまはじいっと省作の顔を見て何か言いたそうにする。省作は周章《あわ》てて、
「はま公、芋の残りはないか。芋がたぺたい」
「ありますよ」
「それじゃとってくろ」
 それから省作はろくろく縄も綯《な》わず、芋を食ったり猫を逐《お》い廻したり、用もないに家の囲《まわ》りを廻ってみたりして、わずかに心のもしゃくしゃをまぎらかした。
     四
 夕飯が終えるとお祖母さんは風気《かぜけ》だとかで寝てしもた。背戸山の竹に雨の音がする。雫《しずく》の音がしとしとと聞える。その竹山こしに隣のお袋の声だ。
「となりの旦那あ。湯があきましたよ」
「はあえー」
 おはまが竈屋《かまや》から答える。兄夫婦は湯に呼ばれて往った。省作は小座敷へはいって今日の新聞を見る。小説と雑報とはどうかこうか読めた。それから源氏物語を読んだが読めればこそ、一行も意義を解しては読めない。省作は本を持ったまま仰向《あおむ》きに踏反返《ふんぞりかえ》って天井板《てんじよういた》を見る。天井板は見えなくておとよさんが見える。
 今夜は湯に行かない方がええかしら。そうだゆくまい。行かないとしよう。なに行ったってえいさ。いやいや行かない方がえい。ゆくまいというは道徳心の省作で、行きたい行きたいとするのは性慾の省作とでも言おうか。一方は行かない方がえいとは言うけれど、一方では行きたい行きたいの念がむらむらと抑《おさ》えきれない。
 もしおとよさんが、こっそり湯端《ゆぶち》へきて何とか言ったらどうしよう。こう思うと気味が悪くて恐ろしくて、腹がわくわくする。省作はまた耳がほかほかしてきた。行かない方がえいなア。あアゆくまいゆくまい。こう口の底でいうてみる。ゆきたい心はかえって口底《くちそこ》にも出てこず、行きたいなどとはけっして言わないが、その力は磐石糊《ばんじやくのり》のように腹の底にひっついていて、どんなことしたって離れそうもしない。果《はて》はつかれてぼんやりした気分になってると、
「省作省作、えい湯だど。ちょっと貰っておいで。隣でも待ってるよ」
 姉が呼ぶのに省作は無意識に立ってしまった。もうなんにも考えずに、背戸の竹山の雨の暗がりを走って隣へ往ってしまった。
 湯は竈屋《か輩や》の庇《ひさし》の下で背戸の出口に据《ナ》えてある。あたり真暗ではあれど、勝手知ってる家だから、足さぐりに行っても仔細《しさい》はない。風呂の前の方へきたら釜《かを》の火がとろとろと燃えていてようやく背戸の入口も判った。戸が細目に開いてるから、省作はごめんくださいと言いながら内へはいった。表座敷の方では年寄たちが三四人高笑いに話してる。今省作がはいったのを知らない。省作は庭場の上りロへ廻ってみると煤《すす》けて赤くなった障子へ火影が映って油紙を透《すか》したように赤濁りに明るい。障子の外から省作が、
「今晩は、お湯を貰いに出ました」
「まア省作さんですかい。ちとお上《あガ》んさい。今|大話《おおばなし》があるとこです」
 というのは清さんのお袋だ。喜兵衛どんの婆さんもいる。五郎兵衛《ごろぺえ》どんの婆さんもいる。七兵衛の爺さんもいた。みんな湯にはいってしまって話しこんでいるらしい。誰れか障子を開けて皆が省作に挨拶する。清さんは囲炉裏《いろり》のはたにごろねをしていた。おとよさんだけが影も見えず声もしない。よい塩梅《あんばい》だなと思う心と、失望みたような心が同時に湧く。湯は明《あ》いてますからとお袋が言うままに省作は風呂場へゆく。風呂はとろとろ火ながら、ちいちいと音がしてる。蓆蓋《むしろぶた》を除《の》けてみると垢臭《あかくさ》い。ずいぶん多勢はいったと見える。省作は取りあえずはいる。はいってみれば臭味《くさみ》もそれほどでなく、ちょうどころ合の温かさで、しぱらくつかっているとうっとり
して頭が空《から》になる。おとよさんの事もちょっと忘れる。雨が少し強くなってきたのか、椎の葉に雨の音が聞えて雫《しずく》の落つるが闇に響いて寂しい。座敷の方の話声がよく聞えてきた。省作は頭の後を桶《おけ》の縁へつけ眼をつぶって温まりながら、座敷の話に耳を欹《そばだ》てる。やっぱりそのこやごやした話声の中からおとよさんの声を聞きだそうとするような心も、頭のどこかに働いている。声はたしかに五郎兵衛婆さんだ。
「そら金公の嬶《かかあ》がさ、咋日|大狂言《おおきようげん》をやったちでねいか」
「どこで、金公と夫婦喧嘩か、珍らしくもねいや」
「ところが昨日のはよっぽどおもしろかったてよ」
「あの津辺《うべ》の定公《さだこう》ち親分の寺でね。落合の藪の中でさ、大博奕《おおばくち》ができたんだよ。よせぱえいのん金公も仲間になったのさ。それを誰れが教えたか嚊に教えたから、嚊がそれ火のようになってあばれこんだとさ」
「うん博奕場へかえ」
「そうよ、嚊の怒《おぐ》るのもむりはねいだよ、婆さん。今年は豊作というにさ。作得米《ホさくとくまい》を上げたら扶持《ふち》とも小遣《こづかい》ともで二俵しかねいというに、酒を飲んだり博奕まで仲間んなるだもの、嚊にむりはないだよ」
「そらまアえいけど、それからどうしたのさ」
「蝉がね。眼真暗《めまつくら》で飛びこんでさ。こん生畜生《いけちくしよう》め、暮の飯米《はんまい》もねいのに、博奕ぶちたあ何事《なにごつ》たって、怒鳴《どな》ったまではよかったけれど、そら眼真暗だから親父と思ってしがみついたのがその親分の定公であったとさ。そのうちに親父は外へ逃げてしまった。みんなして、おっかまア静かにしろって抑《おさ》えられて、見ると他人だから、嚊もそ
れ大まごつきさ。それでも婆さん、親分と名のつくものは感心だよ。いやおっかアにむりはねい。金公が悪い。金公金公、金公どうしたって言うもんだから、金公も極《きま》り悪く元の所《とこ》へ戻ってくると、その始末で、いやはよっぽどの見もんであったとよ」
「そりゃおかしかったなア」
 皆いっせいに笑う。
「それからまだおかしいことがあるさ。金公もそのままのめのめと嚊と二人で帰《けえ》られめい。金公が定親分にちょっとあやまってね、それから嚊の頭を二つくらしたら、嚊の方は何が飛んだかなというような面《つら》をしていて、かえって親分が、何だ金公、おれの前で嚊を打《ぶ》つち法はあ
んめいって怒鳴られて、二人がすごすご出てきたとこが変なもんであったちよ」
「うんそうか。それでも昨日の日暮おれが寄ったら、刈上げで餅を搗《つ》いたから食っていかねいかって、二人がうんやなやでやってたよ」
「うん、あん嚊いつもそうさ。やっぱり似たもの夫婦だよ。アハハハハハ」
 それから何か次の話が出そうですこぶる賑《にぎや》かだ。省作も思わず釣りこまれて独笑いしていると、細目にあいてる戸の問から白い女の顔がすっと出た。省作ははっとする間もなくおとよさんは、風呂の前へきて小声で「今晩は」という。省作はちょっと息つまって返辞ができないうちに、声かすかに、
「お湯がぬるくありませんか」
「ええ」
「少し燃《も》しましょう」
 おとよさんは風呂の前へしゃがんで火を起す。火がぱっと燃えると、おとよさんの結いたての銀杏《いちようがえ》返しが、てらてらするように美しい。省作はもう戦《ふる》えが出て物など言えやしない。
「おとよさんはもうお湯がすんで」
と口のなかで言っても声には出ない。おとよさんはやがて立った。
「おオ寒い、手がつめたい」
と言って二本の真白《まつしろ》い手を湯の申へ入れる。省作はおとよさんの手にさわっては大へんとも何とも思わないけれど、何となく恐ろしく体を後へ引いた。
「省作さん、流しましょうか」
「ええ」
「省作さんちょっと手拭を貸してくださいな」
 おとよさんは忍び声でいうので、省作はいよいよ恐ろしくなってくる。恐ろしいというてもほかの意味ではない。こういう時は経験のある人の誰でも知ってる恐ろしさだ。省作は手拭をおとよさんに貸して体を湯に沈めている。おとよさんは少し屈《こご》み加減になって両手を風呂へ入れているから、省作の顔とおとよさんの顔とは一尺四五寸しか離れない。おとよさんは少し化粧をしたと見え、えも言われないよい香りがする。平生《へいぜい》白い顔が夜目に見るせいか、匂いのかたまりかと思われるほど美しい。幽《かす》かにおとよさんの呼吸《いき》の音《ね》の聞取れた時、省作は何だかにわかに腹のどこかへ焼金《やきがね》を刺されたようにじりじりっと胸に響いた。
 はたして省作の胸にさっき起った、不埒《ふらら》な女だとかはなはだよくない人だとか思ったことが、どこの隅へ消えたか、影も形も見せないのだ。省作も今はうっとりしておとよさんに見とれるほかなかった。人の話声も雨の音も何んにも聞えないで、夢のような、酔ったような、たわいもない心持になって、心のすべて、むしろ体のすべてをおとよさんに奪われてしまった。省作は今おとよさんにどうされたって、おとよさんの意のままになるよりほか少しでもさからうべき力がないようになってしまった。なるほど女というものは恐ろしいものだ。
 おとよさんは「ありがとうございました」と小声で言うて手拭を手渡しながら、いっそう幽《かす》かな声で「省作さん」というた。その声はさすがにふるえている。省作は、「はア」と答える声すら出ないで、ただおとよさんの顔をじっと見上げているうちに、座敷の方で、
「おとよおとよ」
 と呼ぶのはお袋の声だ。おとよさんは無言のまますっと身を替わして戸の内へはいる。はいってから、
「はアい」
 と鮮かな返辞をする。
「湯がぬるかないか。釜の下を見てあげてくれ」
「はい」
 おとよさんはふたたび出てきて、今度はさえざえした声で、
「省作さんおぬるいでしょう。 ゆっくりはいっててください。今燃しますから……」
 人を憚《はばか》らない声だ。薪《まき》を二三本釜に入れて火を燃しつけた。省作はそれにはかまわず、湯を出て着物を着かけている。
「省さんもう上ったんですか。ぬるかったでしょう」
 省作はいくじなく挨拶の詞《ことげ》も出ないが、帯を締めるにもことさらに手間どってもじもじしている。おとよさんはつと立ってきて髪の香りの鼻をうつまで倚添《よりそ》う。そし
て声を潜めて、
「この間里から蜂屋柿《はちやがき》を送ってくれたから省さんに二つ三つあげますよ」
 おとよさんは冷たい髪の毛を省作の湯ぼてりの顔へふれる。省作も今は少し気が落ちついている。女の髪の毛が顔へふれた時むらむらとおとよさんがいじらしくなった。おとよさんは柿を省作の袂《たもと》へ入れ、その手で省作の手を採《と》った。こんな場合を初めて経験する省作はそのおとよさんの手を採り返しもせず、採られたままにおどおどしていた。採られた手にいっそう力がはいったと思うと、おとよさんはそのまま手を引き、燕《つばめ》のように身を翻《ひるがえ》して戸の内へ消えてしまった。省作はしばらくただ夢心地であったが、はっと心づいてみると、一時《いつとき》もここにいるのが恐ろしく感じて早《そうそう》々家に帰った。省作はこの夜どうしても眠れない。いろいろさまざまの妄想《もうそう》が、狭い胸の中で、もやくやもやくや煮えくり返る。暖かい夢を柔かなふわふわした白絹《しろきぬ》につつんだように何とも言えない心地《こころ》がするかと思うと、すぐ跡から罪深い恐ろしい、いやでたまらない苦悶が起ってくる。どう考えたっておとよさんは人の妻だ、ぬしある人だ、人の妻を思うとは何事だ、ばかめ破廉恥《はれんち》め、そんなごとができるか、ああいやだ、けれどおとよさんはどこまでも悪い人ではない、憎い女ではない、憎いどころではない、おとよさんのような女でそうしてあんなに親切な人はどこにもない、いったいどういうわけであのしっかりとしたおとよさんが、隣の家のようなくず揃《そろ》いの所にいるのか、聞けばまったく媒妁《なこうど》の人に欺《あざむ》かれたのだというのに、解らねいなア、そのくせ清さんと仲がえいかというにけっしてそうでないようだに、おとよさんはえい人で可哀そうな人だ、どうしたらえいだろう。
 ただお互に思い合ってるぼかりで、どうもしなければ差支《さしつか》えもあるまいが、それでお互に満足ができようか、それがまたできたところでつまりはつまらないことになってしまう。いくら考えても結局を思えぼ、おれとおとよさんが何ほど思い合ってもどうすることもできやしない。いたずらなる感情の上に空しき思いを通わせても罪の深いことは同じだ。世間に噂でも立てられた日には二人が蒙る禍も同じだ。ああつまらないばかばかしい。そうだおとよさんによく言い聞かして、つまらぬ考えはやめさせよう、それに限る。それでもおとよさんがおれの誓うことを聞くかしら、いったいおとよさんはどういう了簡《りょうけん》かしら。何もかも解ってるおとよさんが、人の妻でいながらあんなことをするのは、困ったなア。いくら考えなおしてもおとよさんはえい人だ、いとしい人だ。おとよさんのためならおら罪人になってもえい。極道人《ごくどうにん》になってもえい。それでおとよさんさええいと思っててくれるなら。ああ困った。
 省作はとうとう鶏《とり》の鳴くまで眠れなかった。幾百回考えても、繋がれてる犬がその棒を廻《めぐ》るように、廻っては元へ返り、返っては元へ戻り、愚にもつかぬことをぐるぐる考え廻っていたのだ。泳ぎを知らない人が水の深みへはいったように、省作は今はどうにもこうにも動きがとれない。つまりおとよさんの恋の手に囚《とら》われてしまっているのだから、省作が一人であがいた分《ぶん》には、いくらあがいたって何んにもならないのだ。この事件は省作の心だけではどうすることもできないのだ。
     五
 それから後のおとよさんは片思いの人ではなかった。隣同志だから何といっても顔見含せる機会が多い。お互にそぶりに心を通わし微笑に意中を語って、夢路をたどる思いに日を過した。後には省作が一筋に思い詰《つ》めて危険をも犯しかねない熱しような時もあったけれど、そこはおとよさんのしっかりしたところ、懇《ねんご》ろに省作をすかして不義の罪を犯すようなことはせない。
 おとよさんの行為は女子に最も卑《いやし》むべき多情の汚行《おこう》と言われても立派な弁解はむろんできない。しかしよくその心事に立入ってみれば、憐《あわれ》むべき同情すべきもの多きを見るのである。
 おとよさんが隣に嫁入ったについては例の媒妁の虚偽《きょぎ》に誤られた。おとよさんの里は中農以上の家であるに隣はほとんど小作人同様である。それに清六があまり怜悧《りこう》でなく丹精でもない。おとよさんも来て間もなくすべての様子を知っていったん里へ還《かえ》ったのだが、おとよさんの父なる人は腕一本から丹精して相当な財産を作った人だけに、財産のないのをそれほどに苦にしない。働けば財産はできるものだ、いったん縁あって嫁いったものを、ただ財産がないという一力条だけで離縁はできない、そういう不人情な了簡ではならぬと書われて、おとよさんはいやいや帰ってきた。父の言うとおり財産のないだけで、清六が今少し男子《おとこ》らしければ、おとよさんも気を揉《も》むのではない。そういう境遇のところへ、隣のことであるから、自然省作の家と往復《ゆきき》して、省作の人柄が、温和な内にちゃんとしたところがあり、学問とて清六などの比ではない、そのほかおとよさんとどこか気のあったところのあるので、おとよさんはついに思いをよせることになったのだ。蔭ながらも省作を見、省作の声を聞けば、おとよさんはいつでも胸の曇りが晴れるのだ。それがためとうていだめと思ってる隣の家に浮か浮か半年を過したのである。その年もようやく暮れて、十二月半ごろに突如として省作の縁談が起った。隣村|某家《なにがしけ》へ婿養子になることにほぼ定《きま》ったのである。省作はおはまの手引によって、一日おとよさんと某所《ぼうしょ》に会し今までの関係を解決した。
 お互に心の底を話してみれば、いよいよ互に敬愛の念が漲《みなぎ》り返るのであるが、ままならぬ世のならいに背《そむ》きえず、どうしても遠い他人にならねばならない。男同志ならばいよいよ親密の交りができるのに男女となるとそうはゆかない。じつにつまらない世の中だ。吾が身心を吾が思いに任せられないとは、人間というものは考えてみるとばか気きったものだ。結婚せねばならぬという理窟《りくつ》でよくは性根《しょうね》も判らぬ人と人為的に引寄せられて、そうしてみずから機械のごときものになっていねばならぬのが道徳というものならば、道徳は人間を絞殺す道具だ。二人は互に手を採って涙の糸を縒合《よりあわ》せ、これから先き神の恵みに救われるようなことがあったらば、互に持った涙の縄を結び合せようと約束した。
 このことあった翌々日、おとよさんは里へ帰ってしもうた。そうしてついに隣へ帰ってζなかった。省作もいったん養家へ往ったけれど、おとよさんとの噂が立ったためかついに破縁になった。

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