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馬場恒吾「自伝点描」序


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東西文明社で私の書いたものを出したいという。それで私は自伝的の文書を集めて一冊に纏めることにした。しかし私の経歴は新聞社に勤めたか、浪人しても何かの原稿を書いたかの以外にないのだから、政治家とか軍人とかいう人々のような活躍的な話はない、ただ原稿用紙に向って五十年を過して来たというに過ぎない。したがって今もなお机に向うか、しからずんば閑静な所を選んで散歩するかのほかに日課はない。現在私が何を考えているかを示すために最近ある雑誌に「真夏の夜の夢」と題して書いたものを再録して序文とする。

 私が少年時代に愛読した、荒木又右衛門の「身を捨てゝ浮ぶ瀬もあれ水の月」という剣法の極意が、何となしに頭に浮ぶ。それは、今の日本がどうなるのであろうかと思い悩んでいる一瞬の経験であった。
 思えば過去十年の日本の悪夢は、今さら繰り言をいっても何の役にも立たぬ。盲目なる軍人と、それに阿付迎合した官僚が、自分らの功名と利欲のために、大事な日本と日本国民を犠牲にするところの見当違いな戦争を始めた。それが日本の歴史あって以来の、初めての無条件降伏やら、五年余の占領政治を招いた。誰をか恨まん。身から出た錆だとあきらめてはいるものの悲憤痛恨の涙は、われわれの歴史に溢れるであろう。そして、我らの後に来る日本人にも、また感慨無量の思いをさすであろう。
 しかし、歴史はまだ終ってはいない。日本には起死回生の途は開かれている。けだし、明治維新の時、即ち徳川幕府の封建制度が崩潰して、諸国諸大名の蕃地が取り上げられ、明治政府が全国を支配するようになったとき、東北では会津藩が反抗したり、十年後には西郷隆盛が西南戦役を起したりなどした。それは、天下の大勢に逆行するものであったが故に、永続きはしなかった。その時代には、九州から北海道に旅行するには、一カ月もかかったであろう。今は航空機で行けば一日の航程にも満たない。これは日本ぽかりの問題ではない。地球全体が小さくなったといえる。約三十三年前、第一次欧州大戦の終った頃には、日本からロンドンまたはパリに行くのに、米国経由で一ヵ月、インド洋経由で一ヵ月半かかったのに、今は二日ないし三日で、楽々と到着する。世界に独立国家が、何力国あるかは普通には数え切れないが、太平洋戦争を片付けるためのサンフランシスコ講和会議に集った諸国の数が五十二、調印した国が四十九国あった。それだけの国の名を記録文書を見ないで、覚えているのは少いであろう。
 明治維新当時の、日本の諸国諸大名が廃藩置県で改革されたのも、今から数えるとわずか八十年そこそこである。しかるに現代の人に、その諸大名の名を挙げてみよといってみたところで、それを数え得るものはないであろう。長州の毛利、薩摩の島津、仙台の伊達など、歴史や演劇で有名なもの以外は、大抵、忘却の彼方に押しやられている。
 封建制度時代に、国家至上権を振り回していた諸国諸大名が辿った運命は、やがて現在独立国と称する世界の各国に来るのではあるまいか。現在の世界はただ二つの陣営に分れている。一方はソ連を中心として、中国も参加している共産主義陣営と、これに対立する米国を中心とし英、仏、伊と西独を含む欧州群と、日本、豪州、ニュージーランドなどの太平洋群が民主主義陣営を形成している。
 この二つの陣営が、戦火を交えて衝突するか否かが、人類の関心の焦点となっているが、誰だってこれに明瞭な回答を与えるものはない。民主主義陣営が、自から進んで戦争を始めることは考えられない。米国も欧州諸国も、政府が大体、民主主義的に運ばれているが故に、政府首脳者が、かつての日本の軍人が敢えてしたように、国民の意向を問わずして、闇討ち的に戦争を始め得る国情にはなっていない。したがって彼らが、戦争に巻き込まれるとすれば、それは相手国から、まず打たれて後ればせに応戦するの余儀なきに到るのであろう。一方、ソ連や中国のごとき、共産党の独裁主義国に於ては、独裁者が見てもって絶好の機会と断定した時に、猛然飛び掛って来ることに疑いはない。太平洋戦争の結末一週間前に、日本の政府首脳部が降伏を相談している時ソ連は日本との中立条約が存在していることを無視し、日本に宣戦して、千島と樺太を併合した。その間際になっても、日本の当局者の中には、ソ連を仲介者として英・米との戦争をやめようというものがあったのを見ると、如何にわれわれが甘い人種であるか驚異に値いする。しかし、それに呆れるのは呆れるとしても、われわれは国際信義を無視したのが日本でなかったことをよろこぶ。
 日本の封建制度が、徳川幕府の大政奉還と共に崩潰したごとく、世界の各国の独立した制度も、交通機関の発達による地球の縮小とともにその実質に変化が生ずる。まさか日本の封建制度の崩潰とともに、諸藩が一国になった程度には行くまいが、日本も最早東洋の一国ではなく、世界の民主主義諸国家と一緒になって、世界の秩序を維持することに貢献しなければなるまい。日本の明治政府が樹立された後の二、三十年間、日本の政治を指導した勢力は維新の変乱に際しても、主導権の役割りを演じた薩長土肥の諸藩の人々であった。それと同じことが、今後の世界政治に於ても行われるのではないか。今日の世界は、共産主義の独裁と、民主主義の議会政治に分かれている。われわれは民主主義が結局、世界を支配するであろうと予想する。そして、世界に民主主義の支配が樹立されたとき、最も多くの発言権をもつのは、この民主主義確立に最も多く貢献した国であろう。それは日本の維新時代の経験を顧みても、明白なことである。
 世界の民主主義の確立のために、今日最大の貢献をなし得る国は、米国を首として英国がこれに次ぐ。日本とドイツは、漸く占領政治から解放されたばかりであるが、米国は、日独両国に対し、将来の世界の支柱となる多くの期待をもつかのごとく見える。日本の諺にいうところの、悪に強ければ善にも強いという諺が生きてこの世界の転換期に際し、日本がわが維新の薩長土肥のごとき役目を果たすのではないか。こういう期待は、単なる真夏の夜の夢として、捨て去らるべきではあるまい。
昭和二十七年八月五日
馬場恒吾

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