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旧日本全般 - (2017/04/23 (日) 17:03:09) の1つ前との変更点

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 #CONTENTS
 
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 **従軍僧侶は旧軍の制度として置かれていたものなのでしょうか?仮に旧軍の制度として置かれていたとして宗派は何宗の僧侶が選ばれたのでしょうか?
 浄土真宗本願寺派管長大谷光瑞へ勅語(明治40年5月13日)
 
 明治三十七八年ノ戦役ニ際シ先志ヲ紹述シテ門末一般ノ奉公ヲ奨励シ又汎ク従軍僧侶ヲ出征部隊ニ派遣シ士気ヲ鼓舞ス
 ルニ努メ其労尠カラス朕深ク之ヲ嘉ス
 
 従軍僧侶は各宗派教団が戦地に送った僧侶で、軍から給与はうけていない。各宗派教団が旅費その他を支給していた。
 #right(){(6:117-118)}
 
 **山本五十六がドイツの騎士鉄十字勲章を貰ったのは本当ですか?今も日本にあるのでしょうか?
 戦死後の1943年5月27日
 柏葉剣付騎士十字章を授与されています。現存は不明
 
 同様に古賀峯一元帥も死後騎士十字章を授与されています。
 #right(){(7:222)}
 
 **八八艦隊ってなんですか?
 元は日露戦争辺りで六六艦隊というのがあり、その昭和パワーアップ版。
 内訳は戦艦八隻と巡洋戦艦(日本では名称が違うが実質はこのカテゴリ)八隻の建造計画。
 イロイロあって途中で断念。
 #right(){(12:338)}
 あと、DD×8、対潜ヘリ×8ってのもありましたなー>ハチハチ艦隊
 #right(){(12:341)}
 
 **旧日本陸軍で、士官学校出でない兵隊が終戦後中尉で帰還できる道はあったのですか?
 幹部候補生というシステムがあります。
 
 日華事変後、将校・下士官の不足が懸念され、
 旧制中学で教練に合格した卒業者は、兵隊勤務の後に
 幹部候補生試験を受験する権利を得ていました。
 
 この試験で甲種合格を果たすと、陸軍予備士官学校を経た後
 予備役少尉として任官することができました。
 
 恐らく戦後中尉に昇進したのは、うろ覚えですが
 軍の方で最後の俸給を上げるために全員昇進を行った「ポツダム昇進」でしょう。
 #right(){(14:名無し厨尉)}
 
 **「旧制中学の教練」以後、予備役少尉として任官するまで何年かかるでしょう。
 志願ないし徴兵で入営後、半年は兵としての教練を受け、
 その後幹部候補生試験、1年の候補生教育の後
 
 (修正ですが昭和13年以降が予備士官学校における教育、
  それ以前は所属部隊内での教育でした。)
 
 見習い士官を経て予備少尉に任官します。
 およそ2年といったところでしょうか。 
 #right(){(14:名無し厨尉)}
 
 **大日本帝国では、国民の寄付金によって買われた飛行機には、すべて「愛国」の字がついたのでしょうか?
 陸軍の献納兵器(飛行機とか戦車とかトラックとか)には「愛国」が付いていた。
 で、海軍の献納兵器(飛行機とか装甲車とか)には、「報国」が付いていた。
 
 でも、英国みたいに、戦艦を献納したとか言うのはないんだな。
 やっぱり資力の差か。
 #right(){(15:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
 
 **太平洋戦争時日本の高級将校や官僚などで優れた人物はいなかったのでしょうか?
 主観にも拠りますが、高級将校では、海軍の田中頼三とか、陸軍の山下奉文
 そして、陸軍の前田利為、あと軍政官ですが、徳川義親辺りが海外からも評価されています。
 
 田中頼三少将は水雷戦一筋で、2水戦を率いてルンガ沖夜戦でTF67を壊滅させたのは有名です。
 ただ、鼠輸送には二度失敗し、解任されています。
 (とは言え、拙劣な作戦を考えた軍官僚の詰め腹を切らされていると言えなくもありませんが)
 なお、後に舞鶴海兵団長、ビルマの第十三根拠地隊司令で敗戦を迎えています。
 
 山下奉文大将は頑迷な日本の陸軍将官にあって、独創性のある戦術を採る柔軟性を有していた稀有な将軍でした。
 普通の陸軍将軍など、シンガポールの無血開城などはなかなか出来ないのではないでしょうか。
 結局は戦犯として絞首刑に処されていますが、これも中央の軍官僚と衝突したあげく、有効な比律賓防衛戦略が出来なかったのが原因でしょう。
 
 前田利為少将(戦死後大将)は、前田侯爵家の当主でしたが、陸軍武官として欧州に滞在していた頃は、
 自費で各国にスパイ網を構築し、運用していたスパイマスターでした。
 帰国後、弘前師団を率いて満州に渡り、対ソ戦に備えます。
 この時、欧州各国の実情を把握していた彼は、
 中ソ二正面作戦回避を主張して関東軍の参謀総長だった東条英機と対立し、司令官を解任され、予備役に編入されます。
 太平洋戦争後、ボルネオの軍政官として赴任しますが、航空機事故で事故死しました。
 
 最後の徳川義親は、旧尾張藩主の19代目の侯爵です。
 自身は植物学者であり、ジョホールのスルタンの知友を得て、虎狩り・象狩りをした様な人でしたが、
 北海道の尾張藩士が運営していた農場で、今は北海道の名物である木彫りの熊の置物を考案したような人でした。
 また、現在の参議院のような職業別議会制の導入を骨子とした貴族院改革を訴え、一方で、
 大川周明、橋本欣五郎による「3月事件」では資金を提供しています。
 でも、日本社会党の創設者でもあるんですね。
 大戦中には、ジョホールのサルタンの縁で、マレー方面への派遣を願い出て、陸軍嘱託として
 マレー軍政部顧問に就任し、現地の博物館、植物園の維持管理に奔走しました。
 ま、厳密に言えば、官僚でも将官でもないですが、こんな人も居たと言うことで。 
 #right(){(15:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
 
 **飛行師団とはなんぞや?
 大日本帝国陸軍航空隊の編制上の単位です。
 #right(){(16:490)}
 
 **三島には昔、連隊?の駐屯地があったようですが、この連隊?は第何連隊でしょうか。
 こういうサイトがありました。
 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun22.html
 
 これによると、三島は第3師団野戦重砲兵第1旅団の旅団司令部・野戦重砲兵第2・第3連隊の駐屯地のようですね。
 また、国立東静病院は連隊の陸軍病院として創設されたものです。
 #right(){(16:910)}
 
 **野戦憲兵、督戦隊、について聞きたいのですが、実際、戦闘になったら何をしているんですか?
 野戦憲兵…戦場に至る道の交通整理。
        占領地、軍隊内の規律、治安の維持
        軍関係者による犯罪行為の取り締まり。
 督戦隊 …全体主義国家による犯罪者師団の逃走防止装置。
 
 憲兵は、軍隊内の警察官ですから、戦場に出ることはまずありません。
 督戦隊は、前線後方で逃亡者を警戒しています。
 #right(){(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
 
 **第二次大戦時、日本は何カ国と交戦したんでしょう?
 交戦と言う意味では、中華民国(延安、重慶政権)、インド帝国、米国、
 英国、オーストラリア自治領、ニュージーランド自治領、オランダ王国、
 タイ王国、フィリピン自治政府、フランス共和国、ソ連。
 
 宣戦布告だけなら、国際連合に最初に加盟した国々ですね。
 #right(){(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
 帝国主義全盛の当時は独立国が少なかったので、アメリカ大陸の国々が
 軒並み宣戦布告してくれるだけで、結構な数になります。
 (実際そうなりましたし) 
 #right(){(17:魚花 うるふ)}
 
 **どうして船橋市行田の軍事施設跡は円形なのですか?
 あれはアンテナの跡です。円の中心に塔が立っていて、
 そこから放射線状にステー(塔を支えるワイヤ)が塔の最上部から伸びていました。
 そのステーの接地点を繋ぐと円形になるのです。
 #right(){(20:バーナー保守員)}
 
 **昔の日本で陸軍にも海軍にも在籍した人はいたのでしょうか?
 西郷隆盛の弟、西郷従道は陸軍中将からくらがえして海軍中将になり、
 明治18年に初代の海軍大臣となりました。
 明治27年10月に海軍大臣のまま(?)海軍大将に任ぜられています。
 その後、初代元帥にもなっているそうな(ご存知の通り元帥は階級ではないので階級は大将です)。
 
 まぁ、これは一般的な陸海軍両方に在籍したと言えるかというとちょっと疑問ですが。
 #right(){(21:275)}
 
 **なぜ日本は対ソ参戦しなかったんですか?
 >そうすれば、日独でソ連を挟み撃ちにして勝てたのに。
 「ソ連に侵攻してどうしようもない」
 
 結局そんな感じでお流れになりました。
 
 日ソ中立条約があったから、日本は中国と戦争しようなんて気になったのです。
 #right(){(29:133-314)}
 
 **昭和天皇の軍事に関する知識はどの程度のレベルだったのでしょうか?
 政治家としての昭和天皇、軍人としての昭和天皇の評価は
 論評する人間の立場で大きく異なりますが、こと「軍事
 知識の深さ」に限定するならば、当時の日本で得られる
 最高水準であったと断言できます
 #right(){(36:790)}
 
 **戦前、サラリーマンで兵役についていた人は、元いた職場をいったん退職して兵役についたのですか?
 通常は退職して兵役に就く
 農業人口比率が現在よりはるかに高く、無駄飯食いの二男、三男が兵役対象であり
 基本的に潜在労働力が雇用需要をはるかに上回っていたので国民経済的には問題ない
 また、年寄りに話を聞くと仕事を止めて入隊したものが除隊後、元の職場に復帰する
 例はほとんどなかったようだ
 #right(){(61:393)}
 
 **戦前の武器輸出の実績はどんなものがあったのでしょうか?
 有名なところでは、タイへの艦船輸出があります。
 スリ・アユタヤ級海防艦2隻に小型潜水艦4隻・その他砲艦などを輸出しています。
 これは兵器の性能というよりもタイとの政治関係から行われた輸出です。
 その他三十八式歩兵銃が訓練用小銃として欧州に輸出されていたはずです。
 #right(){(70:名無し軍曹)}
 第一次大戦期に90万丁以上の火器をロシアに輸出しています。
 38式小銃は弾道の良さから、軽迫撃砲は扱いのよさから評価が高かったようです。
 #right(){(70:672)}
 流転のフネ、五百島もそうですね。
 播磨造船所製で、中華民国に輸出され「?(蜜の上半分に再の下半分)海」として
 中国海軍の主力でした。
 昭和12年、揚子江で日本に沈められましたが、浮上回航されて日本で修理、
 海防艦五百島となりました。
 #right(){(70:678)}
 
 **ドイツと同盟を結び、どの様な恩恵を授かったのですか。また与えたのでしょうか。
 蒋政権を援助していたドイツに手を引かせたことが一番大きい恩恵かと。
 元々、中国・ソ連向けの利害で同盟結んだもの。
 が、中国にどっぷりはまったもんで、関特演で部隊を集められずにソ連攻撃は頓挫しました。
 結局、本来の意味が薄くなってしまった。
 #right(){(71:189)}
 
 **奉勅命令とはなんですか?
 勅命とは天皇が法律等によらず直接議会等に下した命令のこと。
 奉勅命令も似たようにみえるが、天皇自らが直接統帥大権をもっ
 て命令を下すことをいう。つまり軍隊に対して行うものともいえる。
 #right(){(75:539)}
 
 **宣戦布告前の奇襲攻撃は日本の常套手段で、太平洋戦争だけでなく、日清、日露戦争も日本の奇襲で始まったんですか?
 かなりそれに近いかな?
 ただ太平洋戦争の場合、宣戦布告文書を期限までに係官がタイプできずに
 先に真珠湾攻撃が始まる形となり「騙まし討ち」の汚名を未来永劫被る!
 #right(){(79:826)}※中傷する記述は削除
 戦術上は奇襲ありきだったけどね。ま、戦術では普通だよな。
 #right(){(79:827)}
 
 **東郷茂徳が朝鮮人ってほんとう?
 旧姓「朴」
 朝鮮出兵で島津に捕まった朝鮮人の末裔
 #right(){(80:138)}
 
 **皇國って何て読むの?
 國→"国"の旧漢字。つまり"こうこく"と読む。
 #right(){(80:710)}
 
 **欧米に比して自動車化・馬車化が遅れていたの?
 1936年の段階で、日本の自動車全体(乗用車、貨物車、小型車、三輪車)の
 生産台数は、9000余台。
 輸入組立車(横浜Ford、大阪GM)が30,000余台。
 
 対して、米国は400万台、英国46万台、ドイツ27万台、仏伊ソ連がそれぞれ、
 10数万台。
 
 拡充しても、東京自動車(今のいすゞ、日野)が20,000台、トヨタ20,000台、
 日産12,000台程度だったりする。
 #right(){(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 
 **憲兵って民間人を取り締まる権限持ってましたっけ?
 ありましたよ。
 明治14年に制定された憲兵条例には、「凡そ憲兵は陸軍兵律の一部に位し、
 巡安検察のことを司り、軍人の非違を視察し、行政警察、司法警察のことを兼ね、
 内務、海軍、司法に兼隷して国内の安寧を司る」となっています。
 即ち、軍人に対する秩序維持と、国内の民権運動などの過激派取り締まりがそも
 そもの任務になります。
 
 昭和3年7月4日に、憲兵隊内に思想係が設置され、思想警察が主な任務となり、
 国内の民間人に対する思想運動取り締まりが強まっていきます。
 また、太平洋戦争勃発後は、非戦、反戦運動に対する思想的弾圧、また統制経済
 を維持するために、民間にあった隠匿物資の摘発なども主任務になっていきます。
 #right(){(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 民間人も逮捕できます.
 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8926/gdhq.html
 
  例えば,関東大震災のドサクサに,大杉栄を憲兵大尉時代の甘粕正彦が
 逮捕・扼殺した事件は比較的有名です.
 #right(){(85:消印所沢 ◆z3kTlzXTZk)}
 甘粕正彦は大杉栄を逮捕してません。無政府主義者の命が狙われてると嘘を
 ついて「保護」してからブッ殺しましたが。
 #right(){(85:473)}
 正しくは甘粕が大杉等を「検束」した、であって現在で言う逮捕・保護とは多少ニュアンスが異なります。
 検束は旧憲法下で認められていた市民拘束の手段で、
 泥酔者や自殺者志願者などの救護を目的とする保護検束と、
 公安を害するおそれがある場合にその予防を目的とする予防検束
 (反政府集会の参加者等がこの対象となった)とがありました。
 いずれの場合も拘束可能期間は翌日の日没まで。
 
 この事件については、検束時の大杉は帰宅途中であったため予防検束の対象とはなり得ず、
 「命を狙われている可能性が高い」保護対象者として検束したと法的にはいえますが、
 当時は「検束する」の一言で誰彼構わず引張れたのが実情です。
 なお、検束は官憲の判断で強制的に行うものであり、対象者の同意は必要ありません。
 
 現在では、警察官による予防検束は不可、保護検束は「保護」として残っています。
 ソースは…ググって下さい。 
 #right(){(85:797)}
+
+**軍板ではなぜ日本国や日本軍または日本製兵器の悪口を言う人が極端に多いのですか?
+戦争は兵器のみにて勝敗がつくものにあらず。
+用兵、戦略思想、戦術、人事、などなどにおいて、旧日本軍の稚拙さが
+先の大戦では目立ったのも事実なり。
+これを指摘することを、「悪口」と捉えるか、
+前向きに「批判」として捉えて現代日本への教訓として生かすかは、
+汝らの心得次第なり。
+#right(){(87:軍神)}
+
 
 **戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが,実際はどうなんでしょう?
 明治憲法下では女性の参政権がなかった。また軍の統帥権が天皇にあることや、軍部大臣現役武官制のため安全保障政策に関して
 軍がイニシアチブを取り易くシビリアンコントロールは全くなってなかった。
 
 戦前の日本の民主主義は極めて「未熟」だったとういうのが多くの学者に共通する認識。
 
 **第二次大戦直前~戦中の大日本帝国の内閣はどのように選ばれてましたっけ?
 
  元々,内閣総理大臣は元老によって選定されていた.
  で,第二次大戦の前までには元老が西園寺公望だけになっちゃったので,重臣会議というものができて,ここで首相を選定することになった.
  国民の意思の影響はあったか,となると,ゼロではないんじゃないかな.限りなくゼロに近いとはしても. 
 
  ちなみに,東條英機を首相に選んだのは当時の天皇側近たち. 
  東條は戦争バカで陸軍内で力を持っていたが,天皇への忠誠心も強かった. 
  そこで東條を首相にして,天皇から戦争反対を意志を伝えられれば,東條が陸軍の主戦派を押さえてくれるであろう,という期待があった.
 
 (世界史板)
 
 **今読んでる本に,当たり前のように「1930~1945年の日本はファシズム時代で軍国主義である」と断言して書いてあるのですが,本当ですか?
 
  とりあえず,ファシズムについてwikiの記述
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
 
  で,
 「日本にファシズムありや?無しや?」
 ってのは,色んな思想の人が考えては頭狂いそうになってた思想.
  例えば丸山真男は,ヨーロッパ・ファシズムの定義が日本になかなか当てはまらんので,日本風ファシズムを考えようとして,入院しちゃったりしてるし,江藤淳は天皇の空状態を説明しようとして,それが後年,突発発狂を彼の持病にしたという因果.
  司馬っちの「魔法の杖」※に至っては,とても「なるほど」と言える思想じゃない(思想家じゃないから良いけど).
 
  でも,あの時代は確かに軍国主義だった.
  少ない時で国家予算の3割を,多いときで九割近くを軍事予算に突っ込む程度には軍国主義だった.
  高速道路網を整備しようとした洋行帰りの内務官僚が興亜院に転属させられた上満州でぬっ殺されるなど,立派に寡頭政だし.
 
  本場物の軍国主義やファシズムに比べるとぬるいけどね.
 
  ※司馬の辻政信批判の中にある言葉.
 「近代国家の高級軍人で,しかも統帥権という魔法の杖をもっている人間が,戦車の知識が全くないんですよ」
 
 **日本の技術力って,当時そんなに劣っていたんですか?
 
  「技術力」の格差を実感するには,本を何冊も読むより,日本工業大学にある工業博物館にいってみるのがいいと思います.
  当時の工作機械がずらっと展示されてるんですが,国産のものと米・独製では作りが雲泥の差です.
  国産工作機械は部品の合わせ目がいい加減で,やすりで削って無理やり噛み合わせた跡だらけです...
  技術者にいわせると,技術ってのは要するに精度だということですから,巨大な「技術力」格差があったわけです.
 
  うちの親父は航空自衛隊で整備整備やってたけど(’50~’60年代),工具ひとつ取っても工業水準の差はものすごかったらしい.
  米軍はPROTOの工具を一定期間が過ぎると廃棄してたそうな.
  メッキのしっかりしたまだまだ使えるものだったため,米軍が廃棄したものを拾ってきて自分用の工具にしていたそうな.
  特攻隊の記念館で見た日本製の工具は,錆びてるとはいえかなりお粗末なものでした.
  勝てるわけ無いなぁと思いました.
 
  電線もひどいもんだったからねぇ
  方やアメさんはゴム被覆の打ち出し縒り線.
  此方日本は金槌で叩き出した単線紙巻き.
 
 **現在の日本はベアリングで世界の3分の1のシェアを持ち、品質にも定評がありますが、大戦中の国産ベアリングの品質はどうだったのですか?
 >google検索したところ,1916年に国産第一号が生産され,1944年には3500万個を生産したとありましたが,品質についての言及が見当たりませんでしたので.
 欧州SKS製のそれに比べると凡そ10倍も精度が悪く、SKS製が表面の凸凹が0.002mm以内、 
 対して、国産のものは、1940年のもので、表面の凸凹が0.012~0.015mmもあったりします。 
 但し、キ61生産の際には、真円度0.002~0.003mmのものを選別して使っています。 
 
 後、ローラーベアリングの場合は、表面硬化法で処理されていましたが、表面はBenz製と同様な 
 硬度でしたが、その厚みは1mmしかなく(本来は1.5mm以上は必要)、滲炭部の組織を見ると、 
 Benzのものはmartensite組織ですが、国産のものはmartensiteにtroostiteが析出され、製鋼法 
 にも問題があったそうです。 
 #right(){(254:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 
 **1939年当時の1円の価値は,現在のどれくらいでしょうか?
  発行時の価値が,現在の貨幣価値に換算してどのくらいかというのは,なかなか難しいのですが,小学館編『日本20世紀館』に掲載されている物価の推移表(偶数年)中の米価をもとに,平成8年(1996)の米価を基準として価値を算出してみました(小数点第3位以下四捨五入,1厘×10=1銭,1銭×100=1円).
 
  ただし,同書には明治期のうち明治33年(1900)以降の物価を掲載していますので,明治期は明治33年(1900)の1厘の価値を算定しています.
  また,同書には,昭和13年の米価は掲載されていませんので,昭和15年(1940)の米価から当時の1銭硬貨の価値を算出しています.
 
  なお,他の資料から推定しますと明治6年の1厘は,明治33年の1厘の2倍以上の価値と思われます.
 
 明治33年 1厘… 4.98円 1円…4980.54円
 大正5年  5厘…23.45円 1円…4689.35円
 昭和15年 1銭… 1.62円 1円…1618.19円
 
  また,ご参考までに戦争直後と戦後10年ごとの1円の価値も算出しました.
 
 昭和21年(1946):1円…267.23円
 昭和25年(1950):1円…12.08円
 昭和35年(1960):1円…6.18円
 昭和45年(1970):1円…2.89円
 昭和55年(1980):1円…1.30円
 
  ちなみに,江戸時代につくられた寛永通寳銅銭も,昭和28年に小額通貨に関する法律が改正されるまでは,法律上,1厘(四文銅銭は2厘)として通用する貨幣でした.九州や東北地方などでは,実際に昭和初期まで流通していたようです.
 #right(){(HN:テンプレキボン in 日本史板)}
 **戦前の物価や兵器の価格はどれぐらいだったんでしょうか?
 費用比べ(1937年現在) 
  新帝国議会議事堂 …2,600万円 
  戦艦陸奥       …8,200万円 
  九三式重爆撃機   …  10万円 
  八九式戦車      …   8万円 
  聴音器         …   8千円 
  九三式単軽爆撃機  …   8万円 
  九一式戦闘機     …   7万円 
  十五糎榴弾砲     …  2万8千円 
  八八式高射砲     …    2万円 
  丸の内ビルヂング  … 1,000万円 
  九一式装甲自動車  …   2万円 
  魚型水雷        …   2万円 
  四十糎戦艦主砲弾丸 … 4千円 
  三年式重機関銃    … 1.5千円 
  丹那トンネル      … 2,467万円
 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ 第9幕:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **戦前にも工業規格はあったの?
 戦前の工業規格についてですが、19世紀後半に英・米・仏がそれぞれ独自の
 規格を策定し、本国と影響圏で標準化を進めています。その後英米は両者の規格
 統一化を部分的に進め(ようとし)たユニバーサル規格を、仏は欧州諸国を巻き
 込んで現在のISO規格へと発展していきます。
 
 戦前の日本では尺貫法等も含めた種々の規格が混在していましたが、ISOをベース
 として1921年に日本標準規格JESを策定し標準化を図ります。しかしながらJESへの
 一本化は中々進まず、JES自体もISOだけではなくユニバーサルや米式規格も入れて
 並存を認めるようになり、工業規格の一本化という理念は大幅に後退してしまいます。
 やがて戦時経済化と経済混乱の下、規格を大幅に緩めた臨時JESが1939年に制定されます。
 その他にも、民生品レベルでは町工場レベルで規格外の代物も作られていました。
 
 この他の軍規格や航空機規格等は基本的にJESベースだったのですが、元のJES自体が
 混在を認めていたのですから共通性は言わずもがな‥ 
 #right(){(269:597)}
 **先の大戦時の日本にはJIS規格のようなものがなくて兵器の質が悪かったとか
 当時も確か規格はあった
 でもその規格は守られなかった(というか規格通りに作る工作精度がなかった)
 工場が違うと互換性がなく、物によっては下手すると同じ工場でも
 ヤスリで上手く調整しないとハマらない部品とか普通だった
 ちなみにこの時代、共通規格を完璧に運用出来たのは米国のみ
 (それだけ米国の工業力・技術力は凄かったと言える)
 独国や英国も日本よりはマシではあったが、完全な規格化は出来ていなかった
 #right{(358:499)}
  今だと信じられないと思うけど、戦前の日本の工業技術力は
 欧米の国に比べると激しく低かった。
 航空用エンジンの工作精度なんかソビエトよりも低かったほど。
  凄腕の技術者と神業の職人の腕前で何とかしてたので、一品物だと
 世界最高レベルのものが作れたりしたのに、それを量産することが
 生産現場の限界でできなかった。
  何せ、同じ設計図から作った同じものの筈なのに、工場が違うと
 互換性がなかったりしたのだから。
 ネジなんかも、製造会社が違うとスクリューピッチやサイズが合わないのは
 「普通」だった。
 JIS規格はそれへの反省から作られたようなもの。
 #right{(358:496)}
 **戦前日本は南方資源地帯の獲得に動きますが,昭和初期から終戦までの期間,鉱産物の自給率はどの程度だったのでしょうか?戦時中,無茶な資源採掘を行ったのは知ってますが,それでどの程度賄えたのか気になりまして.
 
 鉄鉱石87%
 石油75%
 高オクタン価燃料についてはほぼ100%輸入
 石炭11%
 生ゴム100%
 
 以上数値は昭和5-9年の平均値
 http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/H05-01.htm
 
 **日本が戦争中にさまざまな資源が輸入できなくなりましたが,鉱物資源の場合,必要量に対して日本国内や大陸,台湾,朝鮮半島でコストを度外視して採掘しても戦前の必要量すら確保できなかったのでしょうか?
 
  石炭,鉄鉱石など連合国の通商破壊で日本本土への輸入が叶わなくなった資源の場合,本当に採算を度外視して,鉱脈があれば人的資源を投入して採掘を行ないました.
 
  しかしながら,重要な問題として,当時の日本は重工業における生産の為の機械を,ほとんど自前で用意できませんでした.ぶっちゃけ後進国に毛が生えたレベルでしたから.
 
  その結果,その鉱山開発に必要な採掘機械生産への投資や,資源配分が行なわれなかったため,既存の鉱山から採掘機械を転用するなどして,本来,重要鉱山(例えば,室蘭の鉄,常磐,筑豊の炭坑など)で使用すればもっと生産が上がったであろうものまで影響を受けており,そうした資源開発をすることは反って生産効率を落とすことになっています.
 
  そして,石油は開戦時の日本の領土領域からは絶対に必要量が確保できないものでした.
  たとえその後になって油田が発見された土地でも,その当時では採掘する技術や石油が産出する,という調査資料がありませんでしたので.
 
  そもそも, コストを度外視したら,国家経済が破綻してしまいます.
  そうなったら戦争どころではなくなるかと・・・.
 
 (眠い人 ◆gQikaJHtf2他)
 
 **WW2当時,日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄,服の繊維,銃の火薬を調達していたのですか?
 鉄鉱石は中国から輸入、コークスも中国から輸入(日本のは北海道のものを除いて品質が低くてお話にならない)、
 但し、日本の技術で鉄鋼を作るのには、屑鉄が必要でしたから、これは米国から輸入していました。
 米国の輸出停止で、どうしようも無くなり、国内で金属回収運動ということで、寺の梵鐘からビルに設置されていた
 エレベーターのゲージまで回収してそれに充てますが、更にそれが消耗すると、金属加工で出た金属屑を回収して
 屑鉄の代わりにしています。
 
 服の繊維は、綿糸や羊毛の輸入は途絶しますので、麻を中心に、更に化学繊維としてスフの増産が奨励され、
 民需向けには綿糸、羊毛にはスフが混入されるようになりますが、羊毛に関しては、軍需向けのものもあり、こちらは、
 ある程度保護されています。
 化学繊維としては、木材パルプを用いたスフとレーヨンが増産されます。
 スフは羊毛の代用品、レーヨンはエジプト綿の代用品です。
 絹糸は未だ自給が可能なので、一定量は残されます。
 
 しかし、大戦が進展するにつれて、こういった産業は不要不急産業(輸出が出来ないから外貨獲得源としての価値がない)
 として、軍需産業に転身させられています。
 一番大きいのは、航空機の部品製造への転身で、工場の女工ごとその製造に入ったケースが多いです。
 
 火薬は、TNTの主原料のトルオールが、石炭乾留工程の副産物ですので、製鉄所で生産出来ます。
 その他の原料も或程度は国産化出来ますので、一応の自給は可能でした。
 但し、大量生産出来るかと言うと、少し疑問符が付きますが。
 #right(){(250:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 
 **戦前日本の石油はどこから賄われていたのか?
 
  主にアメリカ.
  そのため,パレンバン石油に目をつけることになったという.
  以下引用.
 
  日本の石油生産量は年間40万t以下.
  約500万tの需要に対し,自給率は1割にも満たなかった.
  37年には「人造石油7ヵ年計画」を策定し,ドイツと同じように開発したが,生産量は全く期待できない状態だった.
  石油の不足分は海外からの輸入に依存せざるをえず,しかも,最大の輸入相手国は米国だった.石油の対米輸入量は35年(昭和10年)時点で年間231万t.輸入全体の67%を占めた.
  日中戦争の泥沼化で石油の需要はさらに拡大し,39年には対米輸入量は全体の90%に達した.
  つまり,日本は第1次大戦後,米国をソ連と並ぶ仮想敵国と見なしながら,最重要の軍事物資である石油を,米国に決定的に依存していたのだった.
 
  この矛盾を解消できる可能性が40年(昭和15年)夏,突如,降って湧いた.
  もたらしたのはナチス・ドイツだった.ドイツは39年9月の第2次大戦開戦直後,欧州大陸で快進撃を続けた.40年5月にはオランダを占領,翌6月にはフランスを降伏させた.
  オランダが植民地としていた蘭領東インド(蘭印,現在のインドネシア)には,アジア随一の産油量を誇るパレンバン油田があった.
  この油田は米国とオランダの資本により開発された.
  石油生産量は年間470万t.増産に務めれば,この油田だけで日本の年間需要を賄えるほどだった.
  仏領インドシナ(仏印=現在のベトナム,カンボジア,ラオス)と共に,「無主の地」になりそうなこの地域を手に入れることができれば,米国依存経済から脱却できる――軍部も政府も,南方進出という「悪魔に見入られた思索」(作家・土門周平氏)にとらわれたのである.
 読売新聞 2005/12/22
 **大日本帝国の最大版図って何km2か分かるでしょうか?
 まず、日本の正式領土は、内地、小笠原島(文久元年幕府回収)、沖縄(明治5年琉球藩王としたときに日本領土を確認)、 
 千島(明治8年領土確定)、大東島(明治18年沖縄編入)、硫黄島(明治24年東京府編入)、魚釣島(明治28年日本領確認)、 
 南鳥島(明治31年東京府編入)、沖大東島(明治33年沖縄県編入)、竹島(明治38年島根県編入)、沖ノ鳥島(昭和6年東京 
 府編入)。 
 内地が総計で382,309平方キロメートル。 
 
 これに加え、朝鮮が明治43年条約により日本領土になり、台湾と澎湖島は明治28年条約により日本領土が確定し、新南群島 
 (現在の南沙群島)は昭和13年に高雄市に編入。 
 樺太は明治38年条約により日本領土に編入。 
 
 朝鮮が220,741平方キロメートル、台湾が35,846平方キロメートル、澎湖島が127平方キロメートル、樺太は36,090平方キロメートル。 
 日本領土の外地合計で、675,1113平方キロメートル。 
 
 租借地は明治39年に獲得した関東州であり、これが3,462平方キロメートル。 
 なお、租借地は他に、膠州湾が大正9年~11年まで存在した。 
 
 委任統治区域はVersailles条約の結果獲得した南洋群島で、2,149平方キロ 
 メートル。 
 
 一部統治区域は、明治39年に獲得した南満州鉄道付属地帯で、これは290平方 
 キロメートル。 
 但し、これは、昭和12年に満州国に返還しています。 
 
 日本の法的に認められた支配地域は、以上の681,013平方キロメートルです。
 
 
 一時占領地域とか大東亜共栄圏の支配地域としては、以下の通り。 
 
 満州国(1,303,143平方キロメートル)、中華民国(全土で10,361,604平方キロメートル。但し、支配地域が必ずしも明確 
 ではないので、面積としての算出は不可能。概算では北支、中支が占領地なので、2,150,000平方キロメートルは含む))、 
 蒙古連合自治政府(450,000平方キロメートル)、アンダマン諸島(6,496平方キロメートル)、ニコバル諸島(1,645平方キロ 
 メートル)、英領ビルマ(603,200平方キロメートル)、英領マレー(137,776.2平方キロメートル)、香港(1,013平方キロメー 
 トル)、英領ボルネオ(211,258平方キロメートル)、仏領インドシナ(740,400平方キロメートル)、広州湾(842平方キロメー 
 トル)、伊領天津租借地(0.5平方キロメートル)、蘭領インド(1,900,151平方キロメートル)、ポルトガル領チモール諸島 
 (18,990平方キロメートル)、澳門(16平方キロメートル)、米領フィリピン群島(296,295平方キロメートル)、グアム島(534 
 平方キロメートル)、英・豪領ソロモン諸島(72,496平方キロメートル)、ギルバート諸島(430平方キロメートル)、エリース諸島 
 (36平方キロメートル)などなど。 
 
 後は足し算よろ。 
 #right(){(176:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **大日本帝国の最大範図ありますか?
 http://livedoor.blogimg.jp/yamato26840/imgs/2/5/25024377.JPG
 http://www.geocities.jp/chonshineunko/img/Imperial_Japan.jpg 
 #right(){(中国軍総合17:72)}
 
 **大東亜共栄圏とはどこからどこまでを想定していたのでしょうか?
 大東亜 の「大」っていうのは「印度を含めて」という意味がある。
 なので中東地域とシベリア以外の全アジア、オーストラリアとニュージーランド
 以外のオセアニア、という事になる>大東亜
 #right(){(271:36)}
 **戦争直前~戦時中の米の自給率は?
 
  1940年の時点では,米の年間消費量1200万トン. 
  一人当たり約152kg,一日に換算すると一日約450g(三合)となります. 
  この頃の日本人はエネルギーの7~8割,蛋白質の3割を米から摂取していました.
  都市部では,一人一日約500g(三合半)の米を食べていました. 
  ちなみに現在では,年間僅かに65kg.それだけ,食が多様化したと言えるでしょうか. 
 
  当時は「白米ブーム」で,「日の丸弁当」が質素な生活の象徴となったのも,白米が潤沢にあったから. 
  しかし,1940年の年間消費量1200万トン,対して,国内総生産量は900万トン,つまり,差し引き300万トンは不足し,タイやインドからの輸入,朝鮮,台湾からの移入で賄っていました.
 **明治や大正時代に、拳銃は国などの許可なしに、一般人でも所持可能だったのでしょうか? 
 
 ・「銃砲火薬類取締法」(明治43年法律第53号)で厳しく禁じられています。
 
 ・戦前、特に大正時代から昭和初期には、個人でかなり自由に拳銃が購入できた。 
 取り締まる法律はあったが、実際には「住民票などを提示すれば購入できる」レベルの制限に過ぎなかった。 
 
 ・大正時代は調べられなかったけど、「戦前」というなら昭和10年代だと、大卒初任給が70円の時代に 94式拳銃の値段は80円だよ。
 #right{(496:255-258)}
 **太平洋戦争で戦死した皇族軍人は何人いるのでしょうか?
 臣籍降下後に2名戦死していますが、皇族の身分では事故死のこの1例だけみたいです。 
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1212706.html 
 #right{(658:461)}
 **戦前の高等官について
 >戦前の高等官なのですが、現在の国Iのようなものだと認識しています。 
 >例えば帝大を出て高文に受かり大蔵省とか内務省で高等官として採用された場合、 
 >最初はどのような立場でどのような部署に付けられるのでしょうか? 
 >現代であれば、昇進速度はともかく最初は平からでしょうが、戦前は採用時から明確に 
 >高等官であり他の判任官とかと待遇が違ったわけですよね? 
 >いきなり係長とか課長補佐とかに補任されたのでしょうか?  
 一応、高文の合格は、官界昇進の不可欠の必要条件ではありますが、十分条件ではありません。 
 1921年11月に合格した216名中187名が官庁に採用となり、敗戦前に退官しましたが、東大卒は137名、 
 その他の大学卒が26名、専門学校、中学校、小学校、警察講習所、逓信管理練習所修了者も24名おり、 
 そのうち、勅任官に昇進したのはそれぞれ70名、10名、2名となっています。 
 即ち、高文に合格したとしても、圧倒的に優位ではなく、東大を出て奏任官止まり(課長クラス以下)が半数 
 以下という世界です。 
 
 で、此処は軍事板なので、陸軍将校と比べてみます。 
 1920年東大卒の官吏A氏の場合、1935年には商工省工務局長となり、官等は高等官二等になります。 
 1920年東大卒の大学教授B氏の場合は、1935年には東大法学部教授で、官等は高等官二等になります。 
 最後に、1917年に陸士を卒業して、1925年に陸大を卒業した軍人C氏は、陸軍砲兵少佐参謀本部部員ですが、 
 高等官五等にしかなりません。 
 
 但し、軍人の場合は満20歳そこそこで高等官たる少尉になり、24歳で中尉に昇進しますが、高文合格の官吏でも、 
 24歳では判任官のままです。 
 大学の場合は、判任官の期間が可成り長い訳です。 
 しかし、高等官になりさえすれば、その官等昇進は急カーブで上り、軍人の官等を追い越します。 
 とは言え、大学卒高文合格者で勅任官になれるのは、半分以下であるのに対し、陸大卒は80%が勅任官になります。
 #right(){(524:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **太平洋戦争前の日本は何故、軍艦や軍用機の燃料だけはアメリカの石油資本に任せていたんですか?
 当時は中東の油田は発見されておらず、満州の油田も発見されておらず、米国が世界最大の産油国で 
 世界2位の産油国インドネシアを支配していたのはオランダと英国の合弁のシェルだった。
 満州には石油があったが日本はそれを探し当てる探鉱技術がなくて、日本石油が新潟で極僅か生産していたにすぎない。 
 
 とはいえ、石油炊きボイラにくらべ石炭炊きボイラは同じ重さで蒸発量=出力が2/3以下で当時は人力給炭に近い状態だったので。 
 軍艦は石油炊きしか選択の余地がなかった。 
 仕方ないのでインドネシアを占領と石炭液化の二本立てで考えたが、後者は技術や材料の問題でドイツでは成功したが日本は失敗した。
 #right(){(533:121)}
 **太平洋戦争中の日本の車両用ディーゼル、ガソリンエンジンの技術はどの程度のものだったんですか?
 ガソリンエンジンに関しては、外国製の模倣が主です。 
 
 例えば豊田はシボレーのエンジンを解体して模倣したものですし、日産はグラハム・ページの生産設備 
 一切を購入していました。 
 (因みに、戦後でも、GMやフォード車のエンジンが故障したら、トヨタか日産の工場に行けば、取り敢ず 
  合う部品があるから急場凌ぎに役に立つとまで言われています) 
 ダットサンも、フランスのベンジャミンと言う小型車のエンジンの模倣です。 
 東京自動車工業(いすゞ)のエンジンは、源流を辿れば英国のウーズレーに辿り着きます。 
 
 ディーゼルに関しては、その最初は三菱がスイスのザウラーから技術導入したものですし、日本ディゼル 
 工業(鐘淵ディーゼル、後の日産ディーゼル)は、ドイツのユンカースから技術導入しており、そのエンジン 
 をライセンス生産しています。 
 
 新潟鐵工所のディーゼルは内火艇用の転用で、性能は劣っていました。 
 新潟鐵工所のものは、後に鉄道車両用になりましたが、国鉄時代も使われ続け、化石化しており、後に分割 
 民営化して大量の馘首が出た時、再就職に非常に難儀したそうです。 
 
 ヂーゼル自動車工業(後のいすゞ)のディーゼルは、試行錯誤を重ねた結果、水冷式予燃焼室式のエンジン 
 を試作し、外国製のものに劣らない性能を示しています。 
 また、池貝鉄工所(後に小松製作所に吸収される)の製品も、渦流室式で、小型ディーゼルとしての性能は 
 充分でした。 
 #right(){(546:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 >つまりガソリンエンジンに関しては外国製の模倣から抜けきれなかったが、ディーゼルエンジンでは 
 >一部世界レベルの開発能力を持つ企業もあったという事でしょうか? 
 >同時期に陸軍が中心となって開発していた統制エンジンは余り良く出来た物では無かったと聞きますが、 
 >やはりディーゼルエンジンでも世界水準とはそれなりの開きがあったんでしょうか? 
 と言うか、ディーゼルエンジンでは独自に発展する余地が有った、と言う事です。 
 つまり、欧米の自動車に今からガソリンエンジンで太刀打ち出来はしないし、コスト的に 
 太刀打ち出来ない。 
 一方でディーゼルエンジンは欧米でも発展途上であるが故に、日本が追いつく事は強ち 
 不可能ではないと言う考えで各社が技術を競っていました。 
 
 ディーゼルエンジン開発の際、ベンツの予燃焼室式、MANの空気室式、クルップの空冷 
 水平対向予燃焼室式、オーベルヘンスリーの蓄熱渦流室式、英国のドルマン・リカードの 
 渦流室式を購入してテストしましたが、MAN以外のディーゼルには日本の技術者はさして 
 感心していません。 
 
 製品を開発する際、当初は海外製品の模倣から始めますが、ほどなく、その考えでは、 
 成立しないことが判明し、予燃焼室式のエンジンを開発しています。 
 ここから発展したエンジンは、非常に堅牢且つ静粛で、陸軍向けの試作車輌に搭載した 
 テストでは、試験官の「出発用意!」と言う号令でエンジンを掛けて待機していた所、試験 
 官から、「おい、エンジンを掛けろ!」と怒鳴られたと言う逸話もあります。 
 
 因みに、予燃焼室式のエンジンは、本家であるドイツでも幾つか試作されていますが、本家 
 ドイツでも統制型ディーゼルは、MAN空気室式が採用され、予燃焼室式のエンジンである 
 ヘンシェルやフンボルトドイツ(KHD)は、大した性能ではなかったと言えます。
 #right(){(547:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **日本の航空技術は戦前はドイツから伝わったんじゃないの?  
 航空機技術の基礎は英国からです。 
 ドイツからの航空技術導入は1923年以降になります。 
 1925年にドイツから技師が来日し技術伝授を始めてから、日本の航空技術はドイツよりになってきました。 
 正確には、米英仏からも機体輸入を行っているので、ソ連以外の当時の航空先進各国からのごった煮に近い状況です。 
 ドイツの航空技術が本格的に導入されるのは日独伊3国防共協定が結ばれる時期からです。 
 生産技術については、ドイツにはブランクがあります。 
 #right(){(554:249)}
 **大臣は総理、次長は総長が決めると思うのですが、参謀総長、軍令部総長、軍事参議官はどのようにして決まるのか分かりませんので教えてください。
 日本陸海軍の場合内閣の国務大臣を任命するのは天皇陛下。
 総理大臣は大臣任命するに足る人物を推挙するだけ。
 更に、軍大臣は総理大臣にも選定権限がなく、人事に口出しが出来なかった。
 これは有名な「統帥権の独立」というものがあり、憲法上は「天皇陛下の軍隊」
 である帝國陸海軍は天皇陛下の直卒組織であり、内閣とは序列上同位の組織と
 されていたから。
 
 なので陸海軍大臣は軍部の中で有力者が選ばれて推挙され、任命された。
 
 また陸海軍とも高位の人事は制度上建前上は天皇陛下の裁定事項。
 これも軍部内で推挙された人物が天皇陛下に推挙され、陛下が考慮して任命した。
 実際には陛下はほとんど推挙に異を唱えられなかった(全く何も言わなかったわけ
 ではないが)ので、軍部の有力者が合議して独善的に決めてた。
 
 補足しとくと軍司令官や師団長も制度上天皇陛下の裁可が必要
 (任命状に御名御璽がある)ので、陛下の許可なく勝手に解任することは
 できない。
 
 また天皇陛下の御名御璽がある以上、任命された者の行動を批判したり
 就いてる役職を全うする能力に疑いの意見を述べることは、天皇陛下を
 批判することと同じ扱いになった。
 
 これが陸軍の現場指揮官が暴走しても誰もそれを止められないし、
 阿呆な作戦指揮をして大損害を出して作戦を失敗させても責任を問われない、
 という悪弊を作った。
 
 これは日本軍の組織的弱点の一つ。
 #right(){(334:382,384)}
 **官僚の昇進って軍人よりずいぶん早いようだけど?
 官等昇進は官吏や大学教授に比べるとずっと遅くなります。 
 従って、同年齢で比較すると、甚だ低いことになります。 
 
 例えば、同年齢で、官吏で課長(高等官三等で年収3,360円)、大学教授(高等官五等で年収1,220円+ 
 職務棒800円以内)に対し、軍人は大尉(高等官六等で年収1,900円)です。 
 特に陸士陸大(海大でも同じ)の人間からすると、東大卒高等文官試験合格者と同じくらい、もしくは 
 頭脳優秀なのに、なぜ、と言う不満がありました。 
 
 敗戦時の内閣書記官長だった迫水久常の回想で、「敗戦時は内閣書記官長でしたが、内閣書記官長 
 は中将相当官なんだ。ところが、私と同い年の人が陸軍では大佐。軍務局の軍事課長という陸軍の中 
 枢の人が、『何だって君が中将で、俺が大佐なんだ」と言って非常に怒っていた」という話があります。 
 
 ちなみに、軍人の場合は、満20歳で高等官である少尉になり、24歳で普通ならば中尉に任官します。 
 官吏の場合は、24歳でも判任官が少なくありません。 
 大学の場合も判任官(助手)が長かったりします。 
 しかし、官吏や大学教授は高等官に任官すると、それ以降昇進は急カーブとなり、軍人を忽ち追い抜か 
 すことになります。 
 但し、文官の勅任官就任は、大卒高文合格者のうち、半分以下。 
 軍人の勅任官就任は、陸大卒の場合は、80%に上ります。 
 #right(){(331:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **旧日本の電線について、米軍との格差の象徴と言われる紙巻き電線って実際どれぐらい使われてたんでしょうか? 
 当時の樹脂被膜電線に関してはアメリカ製の製品が傑出してて、それ以外の国のは 
 五十歩百歩というところ。 
 というか、「電気」に関する技術ではアメリカは世界のトップを走っていて、 
 アメリカ>(超えられない壁)>それ以外 
 という世界だった。 
 
 それら五十歩百歩の中でも日本は技術的にも品質的にも高い方ではなかったが、 
 別に日本だけが紙巻電線を使っていた訳ではない。 
 
 日本の場合、高品質の樹脂被覆電線はアメリカからの輸入品だった上に、物資が 
 欠乏してくると本来は樹脂被覆電線にしなければいけない防水性を要する配線に 
 紙巻電線に樹脂分の多い塗料を厚めに塗っただけの代用被覆電線を使ってたりして、 
 このあたりが 
 「アメリカのはちゃんとした樹脂被覆電線なのに日本は紙巻電線だからダメだった」 
 という話の元になっている。 
 #right(){(597:243)}
 **戦前のマスメディアの報道について、朝日新聞に対する批判が特に厳しいのは何故なのでしょうか? 
 朝日新聞はその言論統制が始まる前から軍に報道協力をを行なってきました。 
 満州事変での石原莞爾の報道戦略にも一枚噛んでいます。 
 そして戦勝報道や愛国的な扇動報道によるによる売上の増加に味をしめ、 
 軍が求めた以上に率先して戦争を煽りまくりました。 
 終いにはそれが日本の外交戦略や軍事戦略を捻じ曲げる域まで達してしまいした。 
 
 また、戦時中に主筆であった緒方竹虎などは情報局総裁として言論統制に積極的に協力しています。 
 言論人でありながら言論統制に協力すると言った姿勢が批判されるのは当然でしょう。 
 
 そして戦時の社長や会長と言った主要幹部は責任を取って辞任するどころか、 
 政界に転出したり社に残ってその後も順調に出世しています。 
 結局、誰も戦時報道の責任を取らず、戦前からの無責任体質を維持し続けている事が批判の対象なのでしょう。 
 
 詳しくは『朝日新聞の戦争責任』をご覧になると良いでしょう。 
 朝日新聞が著作権侵害を盾に闇に葬り去ろうとしたほどの曰く付きの一冊です。 
 #right(){(322:119)}
 
 **軍票とはどのようなものだったのでしょう?
 戦争をするには、当然の事ながら戦費というのが必要になります。
 この費用で兵士の給与から装備品の購入まで行うわけです。
 しかし、全部が税金で賄われるわけではなく、戦後に償還すると言うことで、
 戦時国債を発行する場合もあります。
 
 これでも足りない場合、軍政を敷いている地域では軍の権限で紙幣を発行します。
 これが軍票と呼ばれるもので、政府の法定貨幣と同じ価値をその占領地域では有することになっていました。
 また、戦争終了後、治安が回復した場合は法定貨幣と交換することになっています。
 
 日本の場合は、南方や香港において軍票を乱発し、現地に深刻なインフレーションを引き起こしました。
 
 華北、満州に於いては朝鮮銀行が国債と引き替えに、日本銀行と預金取引をして、
 中国儲備銀行など、傀儡政府の銀行と帳簿上の取引をし、日本軍が現地でその銀行から
 預金を引き出すと言う形を取っていました。
 これにより華北、関東軍の駐留経費は全部中国が被り、
 日本へのインフレーションの影響を最小限に留めています。
 
 日本の場合は、軍票を従来通用していた現地貨幣と強制交換させた上、
 戦中のインフレーションと敗戦で紙屑同然になったと言う問題があります。
 この資産を物価スライドさせて現在の貨幣価値に換算して支払えと言う訴訟が、
 香港、シンガポールの華人を中心に起きていますね。
 #right(){(37:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
 
 **「大日本帝国」は英語ではなんと表記していたのでしょうか?
 海外資料において帝国海軍はIJN、つまりImperial Japanese Navyと略されます 
 だから多分Imperial Japanで通じるかと。Japanese Empireでも通じると思うけど。 
 Greatは他がつける尊称なので無し。
 #right(){(40:337)}
 
 **八紘一宇 なんてよむの?
 「はっこういちう」。 
 
 日本書紀「掩二八紘一而為レ宇」が語源。天下を一つの家のようにすること。 
 太平洋戦争中に日本が大東亜共栄圏建設のためのスローガンにした言葉。
 #right(){(46:592)}
 
 **最高戦争指導会議って何ですか?
 大東亜戦争遂行のため、最高首脳が集った「大本営政府連絡会議」が小磯国昭内閣の手によって改称されたもの。
 基本的な性格や、参与する資格は変わらなく、政府からは総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣。軍部からは陸軍参謀総長、海軍軍令部総長が出席し、さらに天皇も臨席した。
 簡単に言うと国民から信頼を失った、大本営という組織を単に看板だけ架け替えただけだと言われている。
 尚、多く言われている大本営に意見を伺いつつ昭和天皇が、無条件降伏を決断したと言われるが、これは間違いで、
 昭和二十年八月十四日の最高戦争指導会議に於いて決断されたのというのが正しい。
 #right(){(53:最高戦争指導会議 ◆kaigi9N7vY)}
 
 **WW2時に日本が朝鮮半島で徴兵を行った事実はありますか?
 月については、資料が埋もれているので覚えていませんが、1944年に
 朝鮮半島に徴兵令が敷かれています。
 その前の1938年から朝鮮人陸軍特別志顧兵令、朝鮮人海軍特別志願
 兵令がありました。
 
 徴兵人数もかなりに上っています。
 #right(){(53:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 昭和19年4月1日ね
 #right(){(53:296)}
 
 **大日本帝國は、中国戦線、太平洋戦線、東南アジア戦線の3正面作戦を取りながら、なんで8年も戦えたの?
 日本は一応列強だったから。
 列強を非列強が局地戦以外で負かすのは不可能に近い。
 米と交戦するまで戦争で本土の存亡に関わるようなことにはなりようがなかった。
 #right(){(75:854)}
 日本は五大国の一つとして国連の常任理事国だった。
 主要兵器が国産化出来る程度に工業化していた。
 
 それに、「三正面作戦」といっても8年間ずっとじゃない。
 まあ、アメリカが出てきて「三正面」化したとたん、ああなっちゃったけど。
 #right(){(75:856)}
 
 **三国同盟を結んだときって、日本はナチスドイツのユダヤ人虐殺とかについてまったく知らなかったんでしょうか? 
 「河豚プラン」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B1%9A%E8%A8%88%E7%94%BB
 ユダヤ人問題に関しては日本側に引き入れて積極的に利用しようという向きもあったが、 
 基本的には中立的な対応に終始した。 
 
 三国同盟の時点ではユダヤ人の迫害は行われていたが、それが強制収容所への移送や虐殺にまで発展したのは太平洋戦開戦後。 
 戦前から反ユダヤ主義は国内に持ち込まれていたが、日本の場合なぜかそれが日ユ同祖論になったりして訳のわからないことになっている。 
 青森県の戸来村のキリストの墓「伝説」もその日ユ同祖論の産物。 
 当時の日本人にとってはユダヤ人も反ユダヤ主義も遥か海の彼方の存在で、実感もないし大して興味もなかった。 
 #right(){(320:587,602)}
 **日本はドイツが捕獲したステンを「安いし、構造も製造も簡単だ!」と、コピー生産した様に連合国の捕獲兵器をコピー生産したことはないのでしょうか? 
 ぱっと思いついたところで。 
 つ ノルデン爆撃照準器(キ74などに搭載。されど何気に故障多し) 
 つ M1ガランド自動小銃(試作してみたけど弾が…) 
 つ ボフォース40mm機関砲(ラインメタル37mmのラインを閉鎖して作ったが少数生産) 
 つ コンチネンタル空冷星形エンジン(戦車用)のディーゼル版 
 #right(){(314:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **川西航空機と中島飛行機は、会社設立時の経緯を見ると仲が悪かった? 
 >知久平さんと清兵衛さん、個人的にも仲は悪かった? 
 そんなに仲が悪いと言う訳ではないと思います。 
 
 確かに、内部は中島派と川西派に分かれて、結局は喧嘩別れしましたが、 
 川西清兵衛の方は、元々別の投資家が絡んでいた知久平の飛行機作りに、 
 債権者と言う格好で引きずり込まれた感じですし、将来性ある事業としての 
 投資と言う位置づけで航空産業に参画しています。 
 
 ただ、中島知久平と言う人物が、川西清兵衛のポリシーと相反する経営方針 
 だったから、戸惑いはありました。 
 地盤とする地域も、川西清兵衛は関西であるのに対し、中島知久平は北関東で、 
 離れています。 
 元々、地域的に見て川西の統制が及ぶ状況ではなく、しかも、資金的には後ろに 
 三井が控えている事が透けて見えます(中島は知らないであろうと高をくくっていた 
 でしょうが、川西は関西でも手広く事業を行っていますので、それくらいの情報は 
 耳に入ってきていたでしょう。)。 
 
 であれば、川西としては、言葉は悪いですが、将来的に三井に中島のお守りを押しつけ、 
 自らは中島の元で育てた航空機製作技術や人を引き取って、新たに自分の目の届く範囲に 
 工場を作った方が、自分の思い通りに会社を動かせると考えた訳です。
 #right(){(626:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **日本の開発した超々ジュラルミンって、列強の同様の航空機用ジュラルミンと比べても優れた特性をもったものだったンでしょうか?
 超々ジュラルミン。住友金属で開発された新合金で主翼主桁に使用されている。
 後に米国でも同様の合金が実用化されている。日本・英語圏ともESDと呼ばれるが、
 日本では「超々ジュラルミン」の英訳である「Extra Super Duralumin」の略
 であるのに対し、英語圏ではベース合金の「E合金」と「Sander合金」から
 とった略号である。ちなみに現在のJIS規格では、7000系のアルミ合金に
 相当する
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
 
 A2017:ジュラルミン。強度が高い(A2017-T4,引張り強さ435 N/mm2)。
 A2024:超ジュラルミン。強度が高い(A2024-T4,引張り強さ430 N/mm2,A2017よりせん断強さ,疲れ強さに優れている)。
 A7075:超々ジュラルミン。強度が高い(A7075-T6,引張り強さ585 N/mm2,耐力が高い)。
 http://www.nmri.go.jp/eng/khirata/design/ch02/ch02_02.html
 
 太平洋戦争で、あの有名な零戦の主翼に採用され、たまたまそれを捕獲した
 アメリカ軍の技術者が機体を調べ、日本の技術力の高さに仰天したという
 逸話があります。
 #right(){(307:571)}
 **大日本帝国がドイツなど無視しアメリカと組んで第二次大戦に参戦することは可能でしたか?
 中国や韓国の利権争いで、日露戦争後から日米関係は悪化していったと思われるが?
 #right(){(303:476)}
 最近講談社から出版された、黒野耐著「「たら」「れば」で読み直す日本近代史」
 と言う本をお読みになるが、宜しいか、と。
 
 そうした構図に持って行くには、日露戦争後のHarrimanによる満鉄共同経営、
 第一次大戦での日本軍総出の欧州出兵とかその辺まで遡らないとどうしようも
 ない訳で。
 #right(){(303:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **太平洋戦争時、皇族も徴兵は義務だったんでしょうか?
 明治天皇が「皇族はなるべく陸海軍に進むように」という意思を示されたため、男子の皇族は
 士官学校に進む義務がありました。
 ですので、理屈上皇族の徴兵はありません。
 #right(){(300:351)}
 **零戦やチハの価格はいくらですか?
 昭和17年度装軌車の価格: 
 九五式軽戦車:  八七一九〇円 
 九七式中戦車:一六五四〇〇円(但し除武器←笑) 
 ・ソースは佐山二郎著「機甲入門」 
 ちなみに 
 一式戦:約二五〇〇〇円 
 ゼロ戦:約三〇〇〇〇円 
 一式陸攻:約六〇〇〇〇円・・・ 
 ・ソースは雑誌「丸」 
 
 このサイトだとまたちょっと違うな。 
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7092/G-onedann-Ni.html 
 零戦一八万円 
 チハ一四万7000円(武器を除く) 
 #right(){(659:750-760)}
 **戦前の陸海軍大臣というのは、慣例とかではなく正式な法的根拠に基づく資格ってどんな風でしょうか?
 大正15年宮内省達乙13号文武奏任官以上宮中儀式上席次では、第一階第五の
 「元帥国務大臣宮内大臣内大臣」に当たりますかね。
 >成文法による陸海軍大臣就任要件は?
 大正2年勅令第165号の陸軍官制改正、大正2年勅令第168号の海軍官制改正、
 または、昭和11年勅令第63号の陸軍官制改正、昭和11年勅令第64号の海軍
 官制改正になります。
 陸海軍大臣を内部から出すのは、陸軍は内規、海軍は慣例になっています。
 >田中義一はその内規に照らし合わせると陸軍大臣としての条件を満たしていなかったから、東条英機みたいな「陸軍大臣兼務」が出来なかったということで良いでしょうか?
 陸軍大臣は、現行の陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三長官一致の原則としていました。
 とは言え、これは建前で、他にも陸軍次官、人事局長の進言・情報、軍の長老クラス、特に皇族、元帥、軍事参議官其の他
 大将クラスの意向も無視できません。
 
 また、彼の場合は、将官とは言え、予備役もしくは後備役の人物です。
 幾ら、大正2年の改正で現役でなくてもよい、とは言え、現役に拘る軍内の意向を無視することが不可能です。
 
 ちなみに、東条英機の場合は、陸軍次官と参謀次長の談合で決まったりします。
 彼の場合は、未だ退役している訳ではないので、昭和11年の官制改正で規定された規程に合っています。
 #right(){(293:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **日本の蒸気機関車は欧米より技術が低くて低性能(牽引力がない)だったのですか?
 蒸気機関車に関しては国内で使われてた国鉄型蒸気機関車と満鉄の蒸気機関車は別物と言っても良い。 
 満鉄に関しては欧米レベルになんとか到達してた。 
 そして日本の国鉄型蒸気機関車の性能が劣悪だったのは事実だよ。 
 国鉄の技術陣は発展的な設計にはきわめて臆病で蒸気機関車の国産化が可能になってからの進化の遅さが際だって目立つ。 
 おかげで同じ狭軌でもイギリスの蒸気機関車に速度性能、石炭の燃焼効率、保守、全ての面で劣ってる。 
 粗悪な石炭でも十分にエネルギーを取り出せるという日本にとって良いことづくめの燃焼室設計も 
 欧米や満鉄での成功を見ても取り入れようとせず、戦争でせっぱ詰まった時に急いで作ったD52にようやく採用されたという有様。 
 一説では国鉄型機関車の石炭燃焼効率は他国と比べて10%以上劣っていたと言われてる。 
 
 戦争に負けたのを機関車の性能と決めつけるのはやりすぎだが、間違いなくその他大勢の要素の中での一つに入るだろうね 
 #right(){(689:966)}
 **内閣総理大臣って、他の大臣と担当が違うだけで特別に偉い人ではなかったの? 
 その通りです。 
 総理大臣は「同輩中の首席」にすぎませんでした。 
 統帥権の問題などもあわせて、明治憲法は構造的欠陥を抱えていたと言えます。 
 #right(){(110:722)}
 
 本来は、明治22年の内閣官制で、 
  「事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルゝノ件ヲ 
   除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スヘシ」 
 となっており、統帥事項に関するもののみ奏上するもので、軍政事項は内閣総理大臣 
 への報告を行なわなければなりませんでしたが、統帥事項の範囲を拡大して解釈したり、 
 内閣官制に書かれた規程を無視することも珍しくありませんでした。 
 
 ちなみに、内閣総理大臣は各大臣の首班として、旨を承けて、行政各部の統一を保持するもの 
 と定められ、内閣に於いては同輩者中の第一人者たる地位が認められたに過ぎません。 
 従って、各大臣への命令を行なう権限はなく、施政の大本の方針を定めてこれを閣員に示し、 
 閣員間に衝突があるときはその調和を図り、各省主任の事務にしても、内閣全体の方針に矛盾の 
 無いよう警告するなどの任務を有するのみです。 
 #right(){(110:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **大戦中は英語の使用が禁止されていたのですよね? 
 当時の日本が英語を禁止されていたというその認識がまず間違いです。 
 海軍兵学校などは、井上成美校長の意向もありましたが、最後まで入試に英語を残していました。 
 
 陸軍は英語を使用しない方向で行っていたようですが、ロシア語は重視されていました。 
 海軍の英語も同様ですが、敵が用いている言語を聞き取れないようでは戦争になりませんからね。 
 
 また、当時の文部官僚は今と同じようなリベラル系(良くも悪くも)で、英語の教科書もちゃんと存在してます。 
 後に英語教育は消えましたが、要するに戦況の悪化や学徒動員などで英語を含む全ての学業が吹っ飛んだというだけの話。 
 
 基本的に英語の規制というのは民間などでの話です。 
 今も昔も、民間の過剰な自主規制という日本人の性癖にさしたる差はなかったわけで。 
 #right(){(112:143)}
 **戦前の陸軍と警察だとどっちが位が上なんでしょうか? 
 「ゴーストップ事件」をググって下さい…なんてね。 
 
 陸海軍とも官階は同じです。 
 
 将校 勅任官 将官 親任官    大将 
 将校 勅任官 将官 高等官一等 中将 
 将校 勅任官 将官 高等官二等 少将 
 将校 奏任官 佐官 高等官三等 大佐 
 将校 奏任官 佐官 高等官四等 中佐 警察 警視  高等官四等~八等 
 将校 奏任官 佐官 高等官五等 少佐 
 将校 奏任官 尉官 高等官六等 大尉 
 将校 奏任官 尉官 高等官七等 中尉 
 将校 奏任官 尉官 高等官八等 少尉 
                           警察 警部  判任官一等~四等 
                           警察 警部補 判任官二等~四等 
 
 つまり、警察の官階は将校より低いです。 
 判任官というのは、軍隊では准士官(特務曹長)、下士官(曹長~伍長)に相当します。 
 #right(){(116:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **戦前の消防団、警防団には軍式の階級があったそうですが、団員は軍人と同様の礼遇を受けたのですか? 
 警防団自体は、消防組と防護団が1939年に勅令第二十号警防団令により、 
 両者を統合したものです。 
 1947年、これが発展解消したのが消防団です。 
 
 これは、警視総監、府県知事が職権によって設置するもので、軍とは何ら関係 
 はありません。 
 団長と副団長は地方長官(府県知事)が任命し、団員は17~55歳までの市町村 
 区域内の住民から警察署長が任免します。 
 団長や副団長には、地方名士の他、在郷軍人が任命されることが多く、在郷軍人 
 に関しては陸海軍軍人ですから、同様の待遇を受けることが出来ます。 
 
 しかし、本来は、地方自治体の町内会的組織ですから、在郷軍人でない人は、 
 軍人と同待遇を受けることはありません。 
 #right(){(116:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **特別高等警察と憲兵は協力関係にあったのでしょうか?
 組織系統から見て、内務大臣が治安維持法事件の指揮系統の一つとして、 
 憲兵司令部と関係と保っている以外、各地の特別高等警察課と直接協力関係 
 にあった訳ではありませんし、憲兵隊が特別高等警察課を指揮命令系統下に 
 置いた訳でもありません。 
 
 簡単に図に表わすと、以下のようになります(ずれるかも)。 
 
 内務大臣-→ 警保局 → 保安課 → 特別高等警察課 
  |  |                      ↑ 
  |  --→ 警視庁(府県警察) → 警察部-+→各警察署特高係 
   +----+ 
         ↓ 
 陸軍大臣→憲兵隊司令部→各憲兵隊→特高第一課(外事警察・防諜) 
             |         |          +→指揮班 
             |          +→特高第二課-+→政経班 
             |                    +→右翼班 
             |                    +→左翼班 
             +→朝鮮憲兵隊司令部→各憲兵隊 
 
 なお、憲兵隊には昭和期にはいると特高課が設けられ、所謂思想警察的な面が 
 出てきます。(末期には経済犯にも対応) 
 こちらは、警察の方と区別が付かない場合があるようです。
 #right(){(122:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **「憲兵」は民間人を逮捕できないとの事ですが本当でしょうか?
 治安維持法違反で憲兵に拘禁されたものは多数居りますし、憲兵は軍事警察権の他、 
 普通警察権も執行出来ます。 
 後者は、内務省所管の警察が担当する職務を内務大臣の指揮下に(名目上)関与する 
 ものとされていますが、この指揮権はしばしば無視されました。 
 
 また、戦地の憲兵は完全に治安維持のため、民間人の逮捕権を有しています。 
 #right(){(122:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **支那事変から太平洋戦争終結までの国債総額とそれが国家予算何年分か教えてください。 
 1937~1945年までの国債発行額は1,368億円。 
 
 1944年度の歳出規模(一般会計歳出+特別会計歳出+臨時軍事費)は約1,587億円。 
 1944年度の予算を基準にすれば、1年分に満たず。 
 
 1937年度の歳出規模は約132億円。 
 1937年度の予算を基準にすれば、約10年分。 
 #right(){(123:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **昔は東大に行くより士官学校や軍の経理学校のほうが難しいと聞きましたが。
 >そんなに軍人が花形だったんですか?
 経理学校、士官学校は高等学校卒業レベルですので、東大よりは…と言うのは違います。
 
 難しかったのは、陸軍大学校の方で、これは陸士卒業の1割と正にエリートになります。
 例えば、同期で入隊しても、大尉で1年、少佐で3年、中佐で4年、大佐で6年と進級に凄く差が付きます。
 また、陸大出は、常に省部にあり、それ以外は部隊勤務と待遇でも差が出ます。
 
 花形かどうかと言う問いについては、大正期は肩身が狭かったです。
 昭和初期の場合は、「大学は出たけれど」という言葉に象徴されるように、会社勤めするにも大変で、
 軍人に人気が出ました。
 #right(){(266:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 東北の有名な中学校で、陸士に入学する場合、 
 1935年では、200人中、2,30番以内でないと難しかったのに、1936年は5,60番以内でも入れ、 
 1937年にはその倍に入学者数が増えたと言う記述があります。 
 #right(){(191:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **旧日本の陸・海軍大臣は誰が選出してるの? 
 >確か首相には任命権or指名権がないんですよね 
 陸軍の場合は、大正13年、後任陸軍大臣は三長官(陸軍大臣・参謀総長・教育総監)一致の 
 推薦を必要とすると言う、「陸軍省参謀本部教育総監部業務担任規程」という内部規定に基づき、 
 大臣を選出します。 
 ちなみに、大臣がその職を執行し得ない時(敗戦時の東久邇宮内閣)は、次官が三長官会議に 
 参加します。 
 ただ、この時は、土肥原教育総監を陸軍大臣に推しますが、首相の意志で、下村定北支那方面軍 
 司令官になりました。 
 
 三長官の意向と言っても、無統制時代(1930年代)には、内部的に省部(陸軍省・参謀本部)中堅将校 
 の意向・人気・鼻息に左右されていますし、それ以外の時代でも、陸軍次官、人事局長の進言、情報、 
 軍の長老である、皇族、元帥、軍事参議官などの大将クラスの意向も無関係ではありません。 
 ちなみに、東条陸相の場合は、陸軍次官と参謀次長の談合で決定しています。 
 
 海軍の場合は、前任海軍大臣の専権事項です。 
 但し、1932年以降は、伏見宮博恭海軍軍令部長の同意、1941年の辞任後も元帥たる彼の同意 
 を得なければ、海軍大臣の推挙は出来ませんでした。 
 #right(){(136:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **平賀譲が電気溶接を基礎研究含めて全面的に禁止したってのは本当ですか? 
 >第4艦隊事件とかの絡みで電気溶接の見直しをしていたのは知っていますが
 溶接に関しては、全面的な禁止をしていません。 
 1935年10月21日に組織された臨時艦艇性能改善調査委員会での結論は、 
 艦の「重要部(船体とか艦橋など艦の主要構造部)」に対する溶接の禁止で 
 あって、全面禁止ではありませんでした。 
 ですので、応力の掛からない部分についての溶接の使用は許されています。 
 
 但し、そう言った状況なので、発展は一時的に停滞し、戦後の米国の調査では、 
 米国に比べて8年間遅れていると言われたり、1949年に当時の通産省が出した 
 『我が国鉱工業技術の現状』には、世界に30年遅れを取っていると書かれてい 
 ます。 
 
 溶接に関しての研究は、1936年に既に赤崎繁海軍大佐が「赤崎式溶接法」という 
 自動溶接法を編み出していますし、これは後に「新赤崎式溶接法」に発展していま 
 す。 
 また、呉海軍工廠でも1930年代後半から辻影雄技師が中心となり、「呉船式溶接法」 
 を作っていますし、民間でも三菱長崎造船所でも自動溶接機械を試作していました。 
 >しかし、「応力のかからない部分のみ溶接可」という方針はいつ頃まで維持されていたんでしょうか?
 戦時標準船建造などでブロック建造が大々的に行われるようになるまでは、 
 その傾向が強かったようです(但し、民間船ではそう言う束縛は無いので、 
 比較的自由に建造できました)。 
 
 但し、その戦時標準船についても、設計で熔接を使用する比率は全体の接合場所の30% 
 程度であり、全面熔接まで至っていません。 
 戦時標準船で、熔接の取り入れ比率が大きかったのは、2E、2ET、4ETくらいの近海用くらい 
 でした。 
 
 また、熔接棒は戦時急造であっても、最初はその規格の心線が日本で製造されておらず、 
 鋲材を便宜使用していたりしています。 
 熔接方法についても、大口径棒の6粍棒~9粍棒による半自動熔接が大手造船所に採用 
 されたのみで、米国の様な、ユニオンメルト等による全自動熔接は、生産が徹底した単一 
 船型でなかったこと、ユニオンメルト使用技術が未熟だったこと、鋼材の加工についても、 
 手動ガス切断を主とした状況では、ユニオンメルトをはじめとする全自動熔接採用の前提 
 条件である幾何学的正確さの鋼材縁の加工を行うことが出来ないと言った要因があり、 
 採用が出来ませんでした(結局、三菱長崎のそれは試用で終わっています) 
 #right(){(139:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **皇宮警察が後から誕生していますが、近衛兵がある中でわざわざ後で皇宮警察を作ったのは何故でしょうか?
 禁闕守衛については近衛歩兵聯隊、鹵簿に列するのが近衛騎兵聯隊が 
 中心で、禁闕守衛に関しては、警戒と儀仗が主な任務になります。 
 この任務のため、皇城守衛隊が皇居内に設置され、正門儀仗隊として54名、賢所儀仗隊が 
 25名、東宮御所守衛隊が若干名という体制で推移しています。 
 それ以外の屋内警備、宮廷内消防などを管轄しているのが皇宮警察です。 
 (他にも一般の陸海軍部隊、警視庁、憲兵隊が宮城警衛を担当していますが) 
 
 余談ですが、敗戦後の一時期、皇宮警察と近衛師団は統合され、禁衛府が 
 設置されます。 
 これは、皇宮警察部の他、皇宮衛視総隊本部の下、第一皇宮衛士隊(旧近衛 
 歩兵第一聯隊)、特別儀仗隊(旧近衛騎兵聯隊)、第二皇宮衛士隊(旧近衛歩兵 
 第二聯隊)、皇宮奏楽隊(旧陸軍戸山学校軍楽隊)から成っていました。 
 当然、こういう姑息な手が許されるわけもなく、1946年3月に解体されています。
 #right(){(141:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **戦前の日本の軍艦の鋼鈑はどこが製作していたのでしょうか? 
 海軍の鋼鈑については、従来は装甲板、砲身砲架用鋼材を呉海軍工廠で生産していました。 
 ちなみに、陸軍も第一次大戦までは、呉海軍工廠から大口径砲用素材を調達しています。 
 
 艦艇建造用普通鋼材、即ち厚板や、ボイラー用鋼鈑に関しては、八幡製鉄所が一手に引き 
 受けていましたが、後に室蘭製鉄所も参画しています。 
 
 その後、日本製鋼所がVickers-Armstrongの出資で設立されると、砲身用鋼材、砲架用鍛鋼、 
 鋳鋼品については呉海軍工廠製鋼部から、日本製鋼所に移され、呉海軍工廠製鋼部は、装甲 
 板を専門に扱う製鋼所となっていきました。 
 
 ちなみに、現在でも日本製鋼所室蘭製作所は自衛隊向け兵器用特殊鋼を全て生産しています。 
 また、陸軍向けの砲身砲架用鋼鈑も一部は日本製鋼所で作られています。 
 後、陸軍の鉄帽用鋼鈑は、大同製鋼星崎工場、後に尼崎工場、機関銃身鍛造は大同製鋼築地工場、 
 その他陸軍向け装甲板は、大同製鋼で製作されたものも多いです。
 #right(){(255:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **WW2当時、日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄、服の繊維、銃の火薬を調達していたのですか?
 鉄鉱石は中国から輸入、コークスも中国から輸入(日本のは北海道のものを除いて品質が低くてお話にならない)、 
 但し、日本の技術で鉄鋼を作るのには、屑鉄が必要でしたから、これは米国から輸入していました。 
 米国の輸出停止で、どうしようも無くなり、国内で金属回収運動ということで、寺の梵鐘からビルに設置されていた 
 エレベーターのゲージまで回収してそれに充てますが、更にそれが消耗すると、金属加工で出た金属屑を回収して 
 屑鉄の代わりにしています。 
 
 服の繊維は、綿糸や羊毛の輸入は途絶しますので、麻を中心に、更に化学繊維としてスフの増産が奨励され、 
 民需向けには綿糸、羊毛にはスフが混入されるようになりますが、羊毛に関しては、軍需向けのものもあり、こちらは、 
 ある程度保護されています。 
 化学繊維としては、木材パルプを用いたスフとレーヨンが増産されます。 
 スフは羊毛の代用品、レーヨンはエジプト綿の代用品です。 
 絹糸は未だ自給が可能なので、一定量は残されます。 
 
 しかし、大戦が進展するにつれて、こういった産業は不要不急産業(輸出が出来ないから外貨獲得源としての価値がない) 
 として、軍需産業に転身させられています。 
 一番大きいのは、航空機の部品製造への転身で、工場の女工ごとその製造に入ったケースが多いです。 
 
 火薬は、TNTの主原料のトルオールが、石炭乾留工程の副産物ですので、製鉄所で生産出来ます。 
 その他の原料も或程度は国産化出来ますので、一応の自給は可能でした。 
 但し、大量生産出来るかと言うと、少し疑問符が付きますが。
 #right(){(250:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **九四式トラックは自動車工業と瓦斯電が共同設計したらしいのですが、他のメーカーも製造に当たっていたのでしょうか? 
 九四式自動貨車の製造は、両社のほか、六甲ST40の名称で、川崎車輌も製作しています。 
 元々、自動貨車製造については、陸軍もさることながら、商工省の存在が大きいです。 
 
 1939年8月に、国産車の技術向上を目指し、「自動車技術委員会」というのが商工省次官を会長に、商工省各担当部署の責任者、 
 学識経験者、鉄道省の関係者、豊田から豊田喜一郎、日産から浅原源七がメンバーとなり、国産車の種々の問題に関して、軍当局 
 から提起された事項を中心に、部会で検討会が作られました。 
 自動車の形式、自動車部品の共用化もこの委員会で論議され、1000~1500ccは日産が、2500cc級はトヨタが、3500ccは日産、トヨタ 
 両社で、4500cc以上は「ヂーゼル自動車」がエンジンの製造を行うことになりました。 
 
 これにより重複による無駄を避けることが出来、試作車の投資の無駄を避けるようになっています。 
 
 このヂーゼル自動車は、陸軍がディーゼルエンジンの統一的製造を要求したため、自動車工業と瓦斯電、それに、ディーゼルの 
 製造設備を持つ、三菱、日立、池貝自動車製造、川崎車輌の各設備を集約して誕生したものです。 
 ここから、特殊車両に関しては、別途日野重工業が分かれています。 
 
 なお、これより先、鉄道省とスミダとチヨダの共同作業で、商工省標準車が作られています。 
 これが軍用としては九七式自動貨車となったものです。 
 
 但し、こういった動きに三菱だけが同調せず、陸軍から不採用になった三菱製の車輌は、 
 鉄道省標準車として、「三菱ふそう」の名の下、バスとして採用されています。 
 >部品共用化はどの程度進んでたのでしょうか?
 軍用自動車の指定業者として、軍部から指定されたのはトヨタ、日産の二社で、後に 
 ヂーゼル自動車が加わっています。 
 トヨタと日産については、商工省の統一の動きより早く、独自の車輌を製作しています。 
 なので、同規模の車輌を複数種類調達していかざるを得ない面がありました。 
 
 このときの商工省標準自動貨車のコンセプトは、GM、フォードの一クラス上の大型車で、 
 GM、フォードと競争する形で、トヨタと日産のトラックがありました。 
 
 従って、部品共用化と言っても、自動車部品の殆どは、各社で内製していますから設計 
 思想の統一くらいで実際の部品共用まで進んでいないのではないかと思います。 
 また、「自動車技術委員会」で検討されたものは、研究段階で、実際に施行されたのは 
 1942年以降となっており、これが戦時規格型トラックに具現化していきますが、これも 
 車輌製造仕様の統一で終わっていたみたいです。 
 
 でもって、戦前の自動車は大まかに言って、シャーシの上にボディを架装するものでした。 
 ボディは、板金工の手による叩き出しですから、精度などはあまり気にならないです。 
 豊田にしても日産にしても、シャーシ部分だけ製造して、他の業者が架装することも多い 
 訳です(現在のバスがそのような手法を採っていますね)。 
 
 また、エンジンにしても、トヨタと日産のエンジンは、極端に言えば、当時日本で最も多く 
 走っていた、シボレーのものを原型にしており、両車ともGMの部品が有れば整備出来 
 ました。 
 
 いすゞのディーゼルエンジンはユンカースが原型ですが。 
 
 それと、輸出販売ルートとしては、トヨタが中国大陸、日産が満州となっており、国産車同士の 
 食い合いは避けていたようです。 
 #right(){(158:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **何故、大日本帝國は、防衛関連の省を陸軍省と海軍省の二つも持っていたのでしょうか? 
 元々、明治政府になってからは兵部省の名の下、陸軍とそれに付随する形で海軍があったわけです。 
 (但し当初は、名称順が太政官の下、海陸軍務課、海陸軍務総督という格好で、海陸軍と言う位置づけ 
 でしたが) 
 
 なので、兵部省の組織=陸軍の軍政組織でもあった訳で。 
 当時はフランスの影響を受けて、シビリアンコントロール的な形で、兵部卿が全体の軍政を統括しようと 
 していました。 
 
 しかし、屋上屋を重ねる感じになっているのと、誰を兵部卿にするか(薩長の対立が既に始まっている訳で) 
 で揉める形になったこともあり、兵部省を発展的に解消し、陸軍は陸軍省、海軍は海軍省という形で陸軍に 
 従属する形ではありますが、陸海軍が並立した訳です。 
 
 最終的に、海軍が陸軍から自立するのは、1903年、勅令第293号の戦時大本営条例を待たなければなりま 
 せんが、少なくともそれまでは、(語弊はありますが)一つにまとまっていた訳です。 
 #right(){(235:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 
 全ては山県有朋の所為。かつては統合幕僚本部が存在したのだが── 
 
 1872年に兵部省から、陸軍省と海軍省に分かれて独立し、後に 
 陸軍省の参謀局が昇格して、独立機構の参謀本部が出来上がる。 
 初代の 参謀本部長は山県有朋。しかし海軍の将官は、参謀本部長が 
 『陸海軍』の統帥権を 握っていることに不満を持っていた。 
 
 そして暫くは『陸主海従』の状態が続くのだが、1893年、日清戦争の直前の頃になると 
 海軍は「陸軍は朝鮮海峡に自力で橋をかけて、朝鮮に兵を送るのだろう」 
 嫌味を言ってきたので、止むを得ず海軍が独自の統帥機関をもつことを認めた。 
 これが軍令部となるが、陸軍は戦時に、陸軍が最高統帥権を握ることを確保する為に、 
 「戦時大本営条例」を 制定し、参謀総長を『統合幕僚長』とし、 
 戦時には参謀次長と軍令部長をその配下に置くこととした。 
 そして日清戦争はなんとか『陸主海従』で乗り切った。 
 
 日清戦争で北洋艦隊を破り、発言力を増した海軍は、『統合幕僚長』に海軍軍人がなれるように迫りまる。 
 陸軍はこれに勿論反対、戦時だけでなく平時にも『統合幕僚長』を置くことを主張し、 
 陸軍の参謀総長が 『統合幕僚長』を兼任する体勢にするべきだと主張し、明確に『陸主海従』を貫こうとする。 
 
 しかし、今度は日露戦争が不回避となり、海軍の協力を得るために山県はまたもや譲歩 
 せざるを得なくなってしまった。しかし、統合幕僚長に海軍軍人に取られるくらいなら、いっその事 
 なくしてしまえ、と言う事で統合幕僚本部を廃止。ここに陸海並立が成立。 
 
 後は、知っての通り、互いに別々の仮想敵を設定したり、予算の取り合いの為に師団増設なり 
 八八艦隊計画などを立てたりと、やりたい放題になってしまったと言う訳。 
 #right(){(235:678)}
 **臨時軍事費特別会計の内訳がどうなっていたか、教えてください。
 臨時軍事費特別会計の1943年度予算は以下の通りです。 
 
 公債金:17,163,802千円 
 借入金: 3,300,000千円 
 他会計よりの繰り入れ:4,916,203千円 
  (一般会計:4,336,469千円 
   関東局:71,799千円 
   通信事業:64,000千円 
   帝国鉄道;116,000千円 
   朝鮮総督府:203,058千円 
   台湾総督府:102,703千円 
   樺太庁:22,173千円) 
 北支事変特別税:290千円 
 軍事費献納:18,809千円 
 物品払い下げ代金他雑収入:1,600,894千円 
 歳入合計:27,000,000千円 
 
 これに対する歳出項目は、陸軍関係で部隊の派遣維持、時局応急の兵備改善、 
 作戦資材の応急整備、航空要員急速補充、造兵設備増強、占領鉄道の管理改良等 
 が挙げられ、海軍関係は、艦船部隊の派遣維持、艦船航空兵力および軍需品の急速 
 充実、工作通信補給、各種施設の急速整備などに関する諸経費並びに、南方物資の 
 取得に関する経費があります。 
 残念ながら、金額までは不明でした。 
 
 1937~1945年のトータルならば、支出は以下の通りです。(単位は百万円) 
 
 陸軍                    海軍 
  人件費: 9,370              俸給賞与:4,519 
  物件費:60,872              庁  費:  133 
  機密費:  756              雑給雑費: 972 
  一時賜金: 240              衣料費:  4,738 
  臨時家族手当:105           軍港要港費: 291 
  俘虜収容費: 119            艦営費:   390 
  軍政費:    114            水路費:  3,646 
  物資購入特別諸費: 4,664      造船造兵修理費: 32,454 
                         研究費:    282 
                         受託造修費: 136 
                         船舶費:   1,377 
                         営繕費:  11,721 
                         臨時特別給与品費: 270 
                         物資特別購入諸費:1,853 
                         艦艇製造費: 2,214 
 
 #right(){(171:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **戦前、戦中の日本領事館の警察部や領事警察官について、その地位役割や構成員の詳細などを教えてください。
 領事警察に関しては、「外務省の百年(下)」1393頁辺りに領事館警察史という項目があります。 
 後、英修道「日本の在華治外法権」(有斐閣/1943年)とか。 
 多分、外交資料館にはあるのではないでしょうか。 
 
 基本的に領事警察は租界に配置されます。 
 但し、日本の場合は、中国の一般地域にも設置していました。 
 当然、中国当局は認めず、諸外国はこれを非難しています。 
 この根拠は、明治29年日清通商航海条約第3/20/22条、同36年日清追加通商航海条約第10/11条と 
 していますが、前者は領事裁判権の根拠、後者は条約港区域内に清国官庁の承諾を得なければ、 
 自己の警察を設置してはならないとなっており、相手の抗議を無視して警察を置けると言う趣旨ではあ 
 りませんでした。 
 当時の日本の見解では、条約上の根拠はないが、領事裁判権を認める以上、当然必要になる、と消極 
 的な正当化を行っています。 
 
 ちなみに、領事警察官は、大正5年勅令第196号「外国在勤ノ外務省警察ニ関スル件」で定められ、大東 
 亜省設置後は、大東亜省警察官となりました。 
 これら警察官は、各総領事館、領事館に配置され、此処に警察署の看板を掲げ、在留邦人の保護取締 
 を行っています。 
 1943年当時、警察官吏は2,968名いました。 
 #right(){(171:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **陸軍省や海軍省には防衛庁事務官のような文民官僚はいなかったのですか? 
 陸軍省の場合、政務次官、参与官などの政務官を置いていました。 
 但し、統帥事項には関与できません。 
 また、大臣以下主要ポストは武官(法務中将が設置されるまでの法務局長を除く)です。 
 とは言え、大臣、次官は文官の身分も持ちます。 
 
 大臣は大将または中将、次官は中将(名目上少将でも可)、局長は中将か少将、課長は 
 大佐または中佐です。 
 
 下っ端の方ですと、普通文官、教官、技術官(後に技術将校)、法務官(後に法務部将校)、 
 監獄官、通訳官などがあります。 
 
 海軍省の場合も同様に政務官がいますが、軍機軍令には関与出来ません。 
 大臣以下の主要ポストは武官で、大臣、次官は文官の身分を同時に持ちます。
 #right(){(181:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **日本にとって樺太と台湾とではどっちのほうが重要度が高かったの?
 どちらかというと、台湾でしょうね。 
 台湾の植民地としての歴史は、1894年以来なのに対し、樺太は1905年以来ですから、 
 しかも、製糖を始めとする投資額は前者の方が多いわけです。 
 
 また、台湾を統べる台湾総督の権限は、大正初期まで陸海軍大中将が任じられ、民政 
 と共に陸海軍を指揮して、台湾防衛をする権限を与えられていました。 
 但し、台湾の場合は、台湾総督は拓務大臣の配下に属し、上奏する場合は、拓務大臣を 
 通じて内閣総理大臣経由で行うとか、貨幣、銀行、専売、関税は大蔵大臣、郵便電信は 
 逓信大臣の監督を受けることになっており、権限としては極めて弱いものでしかありません。 
 
 また、総督の命令である律令、総督府令を発する権限はありますが、制約の多いものでした。 
 ちなみに、総督の補佐として、総務長官(旧称民政長官、後藤新平が就いていた)が置かれ、 
 これには、内地の知事クラスが就任しています。 
 
 一方の樺太は、樺太庁の管轄下にあり、最高権限者は、樺太庁長官です。 
 樺太庁長官は、兵権を託されることもなく、法律に代わる命令を発する権限もありません。 
 
 この体制は、1943年法律第85号樺太ニ関スル法律ノ特例ニ関スル件廃止により、法律上、 
 内地に編入されることで、終焉を迎えます。 
 つまり、内地の一地方官庁として、北海道庁と同列になります。 
 但し、完全な地方自治体ではなく、議会を設けることもなく、樺太庁特別会計も、1945年まで 
 継続されています。 
 #right(){(223:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
 **明治以後、広島にはなぜ軍事上重要な施設が集まったのですか?
 まず、九州は情勢不穏のため重要施設を余り置くことが出来ず、中国でも、防長二カ国については、 
 仮想敵国である清国やロシアに面しているから戦時には艦砲射撃を受ける可能性がありました。 
 瀬戸内海なら、内海なので、関門、紀淡、明石など海峡に要塞を構築してしまえば、海軍による侵攻は 
 ほぼ防衛できます。 
 また、瀬戸内海の広島近辺には島嶼が多く、ここに砲台を据え付けることで、例え中に侵入されても、 
 撃退可能です。 
 
 しかし、瀬戸内海でも四国側に拠点を置いたのでは、本土から孤立するため、補給などに難があり、余り 
 軍都として相応しくない。 
 岡山は逆に大陸から遠く、補給線が延びる。 
 広島なら、戊辰戦争で浅野家が官軍として戦ったことで情勢は不穏でもない訳で…。 
 
 それと、最大の要因は、鉄路が広島までしか延びていなかったことです。 
 1870~80年代当時は官営鉄道がやっと東京~神戸間を敷設した状態で、その他の地区への敷設はまだまだでした。 
 其処で、各企業家が中心となって、各地に鉄道を敷設します。 
 現在の東北線、両毛線、常磐線、関西線、福知山線などは元々私鉄でした。 
 
 現在の山陽線である、神戸からの鉄道も山陽鉄道という私鉄で、元々は神戸~姫路だけ敷設する予定でしたが、官許を 
 得る際に、馬関まで敷設するように要請を受け、1894年に広島まで開通していました。 
 ここから先は舟運に依った訳で、補給路の末端と言うことで、広島が自然と軍都の性格を帯びていくことになります。 
 #right(){(206:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
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