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旧日本全般」を以下のとおり復元します。
#CONTENTS

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**従軍僧侶は旧軍の制度として置かれていたものなのでしょうか?仮に旧軍の制度として置かれていたとして宗派は何宗の僧侶が選ばれたのでしょうか?
浄土真宗本願寺派管長大谷光瑞へ勅語(明治40年5月13日)

明治三十七八年ノ戦役ニ際シ先志ヲ紹述シテ門末一般ノ奉公ヲ奨励シ又汎ク従軍僧侶ヲ出征部隊ニ派遣シ士気ヲ鼓舞ス
ルニ努メ其労尠カラス朕深ク之ヲ嘉ス

従軍僧侶は各宗派教団が戦地に送った僧侶で、軍から給与はうけていない。各宗派教団が旅費その他を支給していた。
#right(){(6:117-118)}

**山本五十六がドイツの騎士鉄十字勲章を貰ったのは本当ですか?今も日本にあるのでしょうか?
戦死後の1943年5月27日
柏葉剣付騎士十字章を授与されています。現存は不明

同様に古賀峯一元帥も死後騎士十字章を授与されています。
#right(){(7:222)}

**八八艦隊ってなんですか?
元は日露戦争辺りで六六艦隊というのがあり、その昭和パワーアップ版。
内訳は戦艦八隻と巡洋戦艦(日本では名称が違うが実質はこのカテゴリ)八隻の建造計画。
イロイロあって途中で断念。
#right(){(12:338)}
あと、DD×8、対潜ヘリ×8ってのもありましたなー>ハチハチ艦隊
#right(){(12:341)}

**旧日本陸軍で、士官学校出でない兵隊が終戦後中尉で帰還できる道はあったのですか?
幹部候補生というシステムがあります。

日華事変後、将校・下士官の不足が懸念され、
旧制中学で教練に合格した卒業者は、兵隊勤務の後に
幹部候補生試験を受験する権利を得ていました。

この試験で甲種合格を果たすと、陸軍予備士官学校を経た後
予備役少尉として任官することができました。

恐らく戦後中尉に昇進したのは、うろ覚えですが
軍の方で最後の俸給を上げるために全員昇進を行った「ポツダム昇進」でしょう。
#right(){(14:名無し厨尉)}

**「旧制中学の教練」以後、予備役少尉として任官するまで何年かかるでしょう。
志願ないし徴兵で入営後、半年は兵としての教練を受け、
その後幹部候補生試験、1年の候補生教育の後

(修正ですが昭和13年以降が予備士官学校における教育、
 それ以前は所属部隊内での教育でした。)

見習い士官を経て予備少尉に任官します。
およそ2年といったところでしょうか。 
#right(){(14:名無し厨尉)}

**大日本帝国では、国民の寄付金によって買われた飛行機には、すべて「愛国」の字がついたのでしょうか?
陸軍の献納兵器(飛行機とか戦車とかトラックとか)には「愛国」が付いていた。
で、海軍の献納兵器(飛行機とか装甲車とか)には、「報国」が付いていた。

でも、英国みたいに、戦艦を献納したとか言うのはないんだな。
やっぱり資力の差か。
#right(){(15:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**太平洋戦争時日本の高級将校や官僚などで優れた人物はいなかったのでしょうか?
主観にも拠りますが、高級将校では、海軍の田中頼三とか、陸軍の山下奉文
そして、陸軍の前田利為、あと軍政官ですが、徳川義親辺りが海外からも評価されています。

田中頼三少将は水雷戦一筋で、2水戦を率いてルンガ沖夜戦でTF67を壊滅させたのは有名です。
ただ、鼠輸送には二度失敗し、解任されています。
(とは言え、拙劣な作戦を考えた軍官僚の詰め腹を切らされていると言えなくもありませんが)
なお、後に舞鶴海兵団長、ビルマの第十三根拠地隊司令で敗戦を迎えています。

山下奉文大将は頑迷な日本の陸軍将官にあって、独創性のある戦術を採る柔軟性を有していた稀有な将軍でした。
普通の陸軍将軍など、シンガポールの無血開城などはなかなか出来ないのではないでしょうか。
結局は戦犯として絞首刑に処されていますが、これも中央の軍官僚と衝突したあげく、有効な比律賓防衛戦略が出来なかったのが原因でしょう。

前田利為少将(戦死後大将)は、前田侯爵家の当主でしたが、陸軍武官として欧州に滞在していた頃は、
自費で各国にスパイ網を構築し、運用していたスパイマスターでした。
帰国後、弘前師団を率いて満州に渡り、対ソ戦に備えます。
この時、欧州各国の実情を把握していた彼は、
中ソ二正面作戦回避を主張して関東軍の参謀総長だった東条英機と対立し、司令官を解任され、予備役に編入されます。
太平洋戦争後、ボルネオの軍政官として赴任しますが、航空機事故で事故死しました。

最後の徳川義親は、旧尾張藩主の19代目の侯爵です。
自身は植物学者であり、ジョホールのスルタンの知友を得て、虎狩り・象狩りをした様な人でしたが、
北海道の尾張藩士が運営していた農場で、今は北海道の名物である木彫りの熊の置物を考案したような人でした。
また、現在の参議院のような職業別議会制の導入を骨子とした貴族院改革を訴え、一方で、
大川周明、橋本欣五郎による「3月事件」では資金を提供しています。
でも、日本社会党の創設者でもあるんですね。
大戦中には、ジョホールのサルタンの縁で、マレー方面への派遣を願い出て、陸軍嘱託として
マレー軍政部顧問に就任し、現地の博物館、植物園の維持管理に奔走しました。
ま、厳密に言えば、官僚でも将官でもないですが、こんな人も居たと言うことで。 
#right(){(15:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**飛行師団とはなんぞや?
大日本帝国陸軍航空隊の編制上の単位です。
#right(){(16:490)}

**三島には昔、連隊?の駐屯地があったようですが、この連隊?は第何連隊でしょうか。
こういうサイトがありました。
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun22.html

これによると、三島は第3師団野戦重砲兵第1旅団の旅団司令部・野戦重砲兵第2・第3連隊の駐屯地のようですね。
また、国立東静病院は連隊の陸軍病院として創設されたものです。
#right(){(16:910)}

**野戦憲兵、督戦隊、について聞きたいのですが、実際、戦闘になったら何をしているんですか?
野戦憲兵…戦場に至る道の交通整理。
       占領地、軍隊内の規律、治安の維持
       軍関係者による犯罪行為の取り締まり。
督戦隊 …全体主義国家による犯罪者師団の逃走防止装置。

憲兵は、軍隊内の警察官ですから、戦場に出ることはまずありません。
督戦隊は、前線後方で逃亡者を警戒しています。
#right(){(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**第二次大戦時、日本は何カ国と交戦したんでしょう?
交戦と言う意味では、中華民国(延安、重慶政権)、インド帝国、米国、
英国、オーストラリア自治領、ニュージーランド自治領、オランダ王国、
タイ王国、フィリピン自治政府、フランス共和国、ソ連。

宣戦布告だけなら、国際連合に最初に加盟した国々ですね。
#right(){(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
帝国主義全盛の当時は独立国が少なかったので、アメリカ大陸の国々が
軒並み宣戦布告してくれるだけで、結構な数になります。
(実際そうなりましたし) 
#right(){(17:魚花 うるふ)}

**どうして船橋市行田の軍事施設跡は円形なのですか?
あれはアンテナの跡です。円の中心に塔が立っていて、
そこから放射線状にステー(塔を支えるワイヤ)が塔の最上部から伸びていました。
そのステーの接地点を繋ぐと円形になるのです。
#right(){(20:バーナー保守員)}

**昔の日本で陸軍にも海軍にも在籍した人はいたのでしょうか?
西郷隆盛の弟、西郷従道は陸軍中将からくらがえして海軍中将になり、
明治18年に初代の海軍大臣となりました。
明治27年10月に海軍大臣のまま(?)海軍大将に任ぜられています。
その後、初代元帥にもなっているそうな(ご存知の通り元帥は階級ではないので階級は大将です)。

まぁ、これは一般的な陸海軍両方に在籍したと言えるかというとちょっと疑問ですが。
#right(){(21:275)}

**なぜ日本は対ソ参戦しなかったんですか?
>そうすれば、日独でソ連を挟み撃ちにして勝てたのに。
「ソ連に侵攻してどうしようもない」

結局そんな感じでお流れになりました。

日ソ中立条約があったから、日本は中国と戦争しようなんて気になったのです。
#right(){(29:133-314)}

**昭和天皇の軍事に関する知識はどの程度のレベルだったのでしょうか?
政治家としての昭和天皇、軍人としての昭和天皇の評価は
論評する人間の立場で大きく異なりますが、こと「軍事
知識の深さ」に限定するならば、当時の日本で得られる
最高水準であったと断言できます
#right(){(36:790)}

**戦前、サラリーマンで兵役についていた人は、元いた職場をいったん退職して兵役についたのですか?
通常は退職して兵役に就く
農業人口比率が現在よりはるかに高く、無駄飯食いの二男、三男が兵役対象であり
基本的に潜在労働力が雇用需要をはるかに上回っていたので国民経済的には問題ない
また、年寄りに話を聞くと仕事を止めて入隊したものが除隊後、元の職場に復帰する
例はほとんどなかったようだ
#right(){(61:393)}

**戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが,実際はどうなんでしょう?
明治憲法下では女性の参政権がなかった。また軍の統帥権が天皇にあることや、軍部大臣現役武官制のため安全保障政策に関して
軍がイニシアチブを取り易くシビリアンコントロールは全くなってなかった。

戦前の日本の民主主義は極めて「未熟」だったとういうのが多くの学者に共通する認識。

**第二次大戦直前~戦中の大日本帝国の内閣はどのように選ばれてましたっけ?

 元々,内閣総理大臣は元老によって選定されていた.
 で,第二次大戦の前までには元老が西園寺公望だけになっちゃったので,重臣会議というものができて,ここで首相を選定することになった.
 国民の意思の影響はあったか,となると,ゼロではないんじゃないかな.限りなくゼロに近いとはしても. 

 ちなみに,東條英機を首相に選んだのは当時の天皇側近たち. 
 東條は戦争バカで陸軍内で力を持っていたが,天皇への忠誠心も強かった. 
 そこで東條を首相にして,天皇から戦争反対を意志を伝えられれば,東條が陸軍の主戦派を押さえてくれるであろう,という期待があった.

(世界史板)

**今読んでる本に,当たり前のように「1930~1945年の日本はファシズム時代で軍国主義である」と断言して書いてあるのですが,本当ですか?

 とりあえず,ファシズムについてwikiの記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0

 で,
「日本にファシズムありや?無しや?」
ってのは,色んな思想の人が考えては頭狂いそうになってた思想.
 例えば丸山真男は,ヨーロッパ・ファシズムの定義が日本になかなか当てはまらんので,日本風ファシズムを考えようとして,入院しちゃったりしてるし,江藤淳は天皇の空状態を説明しようとして,それが後年,突発発狂を彼の持病にしたという因果.
 司馬っちの「魔法の杖」※に至っては,とても「なるほど」と言える思想じゃない(思想家じゃないから良いけど).

 でも,あの時代は確かに軍国主義だった.
 少ない時で国家予算の3割を,多いときで九割近くを軍事予算に突っ込む程度には軍国主義だった.
 高速道路網を整備しようとした洋行帰りの内務官僚が興亜院に転属させられた上満州でぬっ殺されるなど,立派に寡頭政だし.

 本場物の軍国主義やファシズムに比べるとぬるいけどね.

 ※司馬の辻政信批判の中にある言葉.
「近代国家の高級軍人で,しかも統帥権という魔法の杖をもっている人間が,戦車の知識が全くないんですよ」

**日本の技術力って,当時そんなに劣っていたんですか?

 「技術力」の格差を実感するには,本を何冊も読むより,日本工業大学にある工業博物館にいってみるのがいいと思います.
 当時の工作機械がずらっと展示されてるんですが,国産のものと米・独製では作りが雲泥の差です.
 国産工作機械は部品の合わせ目がいい加減で,やすりで削って無理やり噛み合わせた跡だらけです...
 技術者にいわせると,技術ってのは要するに精度だということですから,巨大な「技術力」格差があったわけです.

 うちの親父は航空自衛隊で整備整備やってたけど(’50~’60年代),工具ひとつ取っても工業水準の差はものすごかったらしい.
 米軍はPROTOの工具を一定期間が過ぎると廃棄してたそうな.
 メッキのしっかりしたまだまだ使えるものだったため,米軍が廃棄したものを拾ってきて自分用の工具にしていたそうな.
 特攻隊の記念館で見た日本製の工具は,錆びてるとはいえかなりお粗末なものでした.
 勝てるわけ無いなぁと思いました.

 電線もひどいもんだったからねぇ
 方やアメさんはゴム被覆の打ち出し縒り線.
 此方日本は金槌で叩き出した単線紙巻き.

**現在の日本はベアリングで世界の3分の1のシェアを持ち、品質にも定評がありますが、大戦中の国産ベアリングの品質はどうだったのですか?
>google検索したところ,1916年に国産第一号が生産され,1944年には3500万個を生産したとありましたが,品質についての言及が見当たりませんでしたので.
欧州SKS製のそれに比べると凡そ10倍も精度が悪く、SKS製が表面の凸凹が0.002mm以内、 
対して、国産のものは、1940年のもので、表面の凸凹が0.012~0.015mmもあったりします。 
但し、キ61生産の際には、真円度0.002~0.003mmのものを選別して使っています。 

後、ローラーベアリングの場合は、表面硬化法で処理されていましたが、表面はBenz製と同様な 
硬度でしたが、その厚みは1mmしかなく(本来は1.5mm以上は必要)、滲炭部の組織を見ると、 
Benzのものはmartensite組織ですが、国産のものはmartensiteにtroostiteが析出され、製鋼法 
にも問題があったそうです。 
#right(){(254:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**1939年当時の1円の価値は,現在のどれくらいでしょうか?
 発行時の価値が,現在の貨幣価値に換算してどのくらいかというのは,なかなか難しいのですが,小学館編『日本20世紀館』に掲載されている物価の推移表(偶数年)中の米価をもとに,平成8年(1996)の米価を基準として価値を算出してみました(小数点第3位以下四捨五入,1厘×10=1銭,1銭×100=1円).

 ただし,同書には明治期のうち明治33年(1900)以降の物価を掲載していますので,明治期は明治33年(1900)の1厘の価値を算定しています.
 また,同書には,昭和13年の米価は掲載されていませんので,昭和15年(1940)の米価から当時の1銭硬貨の価値を算出しています.

 なお,他の資料から推定しますと明治6年の1厘は,明治33年の1厘の2倍以上の価値と思われます.

明治33年 1厘… 4.98円 1円…4980.54円
大正5年  5厘…23.45円 1円…4689.35円
昭和15年 1銭… 1.62円 1円…1618.19円

 また,ご参考までに戦争直後と戦後10年ごとの1円の価値も算出しました.

昭和21年(1946):1円…267.23円
昭和25年(1950):1円…12.08円
昭和35年(1960):1円…6.18円
昭和45年(1970):1円…2.89円
昭和55年(1980):1円…1.30円

 ちなみに,江戸時代につくられた寛永通寳銅銭も,昭和28年に小額通貨に関する法律が改正されるまでは,法律上,1厘(四文銅銭は2厘)として通用する貨幣でした.九州や東北地方などでは,実際に昭和初期まで流通していたようです.
#right(){(HN:テンプレキボン in 日本史板)}
**戦前の物価や兵器の価格はどれぐらいだったんでしょうか?
費用比べ(1937年現在) 
 新帝国議会議事堂 …2,600万円 
 戦艦陸奥       …8,200万円 
 九三式重爆撃機   …  10万円 
 八九式戦車      …   8万円 
 聴音器         …   8千円 
 九三式単軽爆撃機  …   8万円 
 九一式戦闘機     …   7万円 
 十五糎榴弾砲     …  2万8千円 
 八八式高射砲     …    2万円 
 丸の内ビルヂング  … 1,000万円 
 九一式装甲自動車  …   2万円 
 魚型水雷        …   2万円 
 四十糎戦艦主砲弾丸 … 4千円 
 三年式重機関銃    … 1.5千円 
 丹那トンネル      … 2,467万円
#right(){(しょうもない知識を披露するスレ 第9幕:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**戦前にも工業規格はあったの?
戦前の工業規格についてですが、19世紀後半に英・米・仏がそれぞれ独自の
規格を策定し、本国と影響圏で標準化を進めています。その後英米は両者の規格
統一化を部分的に進め(ようとし)たユニバーサル規格を、仏は欧州諸国を巻き
込んで現在のISO規格へと発展していきます。

戦前の日本では尺貫法等も含めた種々の規格が混在していましたが、ISOをベース
として1921年に日本標準規格JESを策定し標準化を図ります。しかしながらJESへの
一本化は中々進まず、JES自体もISOだけではなくユニバーサルや米式規格も入れて
並存を認めるようになり、工業規格の一本化という理念は大幅に後退してしまいます。
やがて戦時経済化と経済混乱の下、規格を大幅に緩めた臨時JESが1939年に制定されます。
その他にも、民生品レベルでは町工場レベルで規格外の代物も作られていました。

この他の軍規格や航空機規格等は基本的にJESベースだったのですが、元のJES自体が
混在を認めていたのですから共通性は言わずもがな‥ 
#right(){(269:597)}
**先の大戦時の日本にはJIS規格のようなものがなくて兵器の質が悪かったとか
当時も確か規格はあった
でもその規格は守られなかった(というか規格通りに作る工作精度がなかった)
工場が違うと互換性がなく、物によっては下手すると同じ工場でも
ヤスリで上手く調整しないとハマらない部品とか普通だった
ちなみにこの時代、共通規格を完璧に運用出来たのは米国のみ
(それだけ米国の工業力・技術力は凄かったと言える)
独国や英国も日本よりはマシではあったが、完全な規格化は出来ていなかった
#right{(358:499)}
 今だと信じられないと思うけど、戦前の日本の工業技術力は
欧米の国に比べると激しく低かった。
航空用エンジンの工作精度なんかソビエトよりも低かったほど。
 凄腕の技術者と神業の職人の腕前で何とかしてたので、一品物だと
世界最高レベルのものが作れたりしたのに、それを量産することが
生産現場の限界でできなかった。
 何せ、同じ設計図から作った同じものの筈なのに、工場が違うと
互換性がなかったりしたのだから。
ネジなんかも、製造会社が違うとスクリューピッチやサイズが合わないのは
「普通」だった。
JIS規格はそれへの反省から作られたようなもの。
#right{(358:496)}
**戦前日本は南方資源地帯の獲得に動きますが,昭和初期から終戦までの期間,鉱産物の自給率はどの程度だったのでしょうか?戦時中,無茶な資源採掘を行ったのは知ってますが,それでどの程度賄えたのか気になりまして.

鉄鉱石87%
石油75%
高オクタン価燃料についてはほぼ100%輸入
石炭11%
生ゴム100%

以上数値は昭和5-9年の平均値
http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/H05-01.htm

**日本が戦争中にさまざまな資源が輸入できなくなりましたが,鉱物資源の場合,必要量に対して日本国内や大陸,台湾,朝鮮半島でコストを度外視して採掘しても戦前の必要量すら確保できなかったのでしょうか?

 石炭,鉄鉱石など連合国の通商破壊で日本本土への輸入が叶わなくなった資源の場合,本当に採算を度外視して,鉱脈があれば人的資源を投入して採掘を行ないました.

 しかしながら,重要な問題として,当時の日本は重工業における生産の為の機械を,ほとんど自前で用意できませんでした.ぶっちゃけ後進国に毛が生えたレベルでしたから.

 その結果,その鉱山開発に必要な採掘機械生産への投資や,資源配分が行なわれなかったため,既存の鉱山から採掘機械を転用するなどして,本来,重要鉱山(例えば,室蘭の鉄,常磐,筑豊の炭坑など)で使用すればもっと生産が上がったであろうものまで影響を受けており,そうした資源開発をすることは反って生産効率を落とすことになっています.

 そして,石油は開戦時の日本の領土領域からは絶対に必要量が確保できないものでした.
 たとえその後になって油田が発見された土地でも,その当時では採掘する技術や石油が産出する,という調査資料がありませんでしたので.

 そもそも, コストを度外視したら,国家経済が破綻してしまいます.
 そうなったら戦争どころではなくなるかと・・・.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)

**WW2当時,日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄,服の繊維,銃の火薬を調達していたのですか?
鉄鉱石は中国から輸入、コークスも中国から輸入(日本のは北海道のものを除いて品質が低くてお話にならない)、
但し、日本の技術で鉄鋼を作るのには、屑鉄が必要でしたから、これは米国から輸入していました。
米国の輸出停止で、どうしようも無くなり、国内で金属回収運動ということで、寺の梵鐘からビルに設置されていた
エレベーターのゲージまで回収してそれに充てますが、更にそれが消耗すると、金属加工で出た金属屑を回収して
屑鉄の代わりにしています。

服の繊維は、綿糸や羊毛の輸入は途絶しますので、麻を中心に、更に化学繊維としてスフの増産が奨励され、
民需向けには綿糸、羊毛にはスフが混入されるようになりますが、羊毛に関しては、軍需向けのものもあり、こちらは、
ある程度保護されています。
化学繊維としては、木材パルプを用いたスフとレーヨンが増産されます。
スフは羊毛の代用品、レーヨンはエジプト綿の代用品です。
絹糸は未だ自給が可能なので、一定量は残されます。

しかし、大戦が進展するにつれて、こういった産業は不要不急産業(輸出が出来ないから外貨獲得源としての価値がない)
として、軍需産業に転身させられています。
一番大きいのは、航空機の部品製造への転身で、工場の女工ごとその製造に入ったケースが多いです。

火薬は、TNTの主原料のトルオールが、石炭乾留工程の副産物ですので、製鉄所で生産出来ます。
その他の原料も或程度は国産化出来ますので、一応の自給は可能でした。
但し、大量生産出来るかと言うと、少し疑問符が付きますが。
#right(){(250:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**戦前日本の石油はどこから賄われていたのか?

 主にアメリカ.
 そのため,パレンバン石油に目をつけることになったという.
 以下引用.

 日本の石油生産量は年間40万t以下.
 約500万tの需要に対し,自給率は1割にも満たなかった.
 37年には「人造石油7ヵ年計画」を策定し,ドイツと同じように開発したが,生産量は全く期待できない状態だった.
 石油の不足分は海外からの輸入に依存せざるをえず,しかも,最大の輸入相手国は米国だった.石油の対米輸入量は35年(昭和10年)時点で年間231万t.輸入全体の67%を占めた.
 日中戦争の泥沼化で石油の需要はさらに拡大し,39年には対米輸入量は全体の90%に達した.
 つまり,日本は第1次大戦後,米国をソ連と並ぶ仮想敵国と見なしながら,最重要の軍事物資である石油を,米国に決定的に依存していたのだった.

 この矛盾を解消できる可能性が40年(昭和15年)夏,突如,降って湧いた.
 もたらしたのはナチス・ドイツだった.ドイツは39年9月の第2次大戦開戦直後,欧州大陸で快進撃を続けた.40年5月にはオランダを占領,翌6月にはフランスを降伏させた.
 オランダが植民地としていた蘭領東インド(蘭印,現在のインドネシア)には,アジア随一の産油量を誇るパレンバン油田があった.
 この油田は米国とオランダの資本により開発された.
 石油生産量は年間470万t.増産に務めれば,この油田だけで日本の年間需要を賄えるほどだった.
 仏領インドシナ(仏印=現在のベトナム,カンボジア,ラオス)と共に,「無主の地」になりそうなこの地域を手に入れることができれば,米国依存経済から脱却できる――軍部も政府も,南方進出という「悪魔に見入られた思索」(作家・土門周平氏)にとらわれたのである.
読売新聞 2005/12/22
**大日本帝国の最大版図って何km2か分かるでしょうか?
まず、日本の正式領土は、内地、小笠原島(文久元年幕府回収)、沖縄(明治5年琉球藩王としたときに日本領土を確認)、 
千島(明治8年領土確定)、大東島(明治18年沖縄編入)、硫黄島(明治24年東京府編入)、魚釣島(明治28年日本領確認)、 
南鳥島(明治31年東京府編入)、沖大東島(明治33年沖縄県編入)、竹島(明治38年島根県編入)、沖ノ鳥島(昭和6年東京 
府編入)。 
内地が総計で382,309平方キロメートル。 

これに加え、朝鮮が明治43年条約により日本領土になり、台湾と澎湖島は明治28年条約により日本領土が確定し、新南群島 
(現在の南沙群島)は昭和13年に高雄市に編入。 
樺太は明治38年条約により日本領土に編入。 

朝鮮が220,741平方キロメートル、台湾が35,846平方キロメートル、澎湖島が127平方キロメートル、樺太は36,090平方キロメートル。 
日本領土の外地合計で、675,1113平方キロメートル。 

租借地は明治39年に獲得した関東州であり、これが3,462平方キロメートル。 
なお、租借地は他に、膠州湾が大正9年~11年まで存在した。 

委任統治区域はVersailles条約の結果獲得した南洋群島で、2,149平方キロ 
メートル。 

一部統治区域は、明治39年に獲得した南満州鉄道付属地帯で、これは290平方 
キロメートル。 
但し、これは、昭和12年に満州国に返還しています。 

日本の法的に認められた支配地域は、以上の681,013平方キロメートルです。


一時占領地域とか大東亜共栄圏の支配地域としては、以下の通り。 

満州国(1,303,143平方キロメートル)、中華民国(全土で10,361,604平方キロメートル。但し、支配地域が必ずしも明確 
ではないので、面積としての算出は不可能。概算では北支、中支が占領地なので、2,150,000平方キロメートルは含む))、 
蒙古連合自治政府(450,000平方キロメートル)、アンダマン諸島(6,496平方キロメートル)、ニコバル諸島(1,645平方キロ 
メートル)、英領ビルマ(603,200平方キロメートル)、英領マレー(137,776.2平方キロメートル)、香港(1,013平方キロメー 
トル)、英領ボルネオ(211,258平方キロメートル)、仏領インドシナ(740,400平方キロメートル)、広州湾(842平方キロメー 
トル)、伊領天津租借地(0.5平方キロメートル)、蘭領インド(1,900,151平方キロメートル)、ポルトガル領チモール諸島 
(18,990平方キロメートル)、澳門(16平方キロメートル)、米領フィリピン群島(296,295平方キロメートル)、グアム島(534 
平方キロメートル)、英・豪領ソロモン諸島(72,496平方キロメートル)、ギルバート諸島(430平方キロメートル)、エリース諸島 
(36平方キロメートル)などなど。 

後は足し算よろ。 
#right(){(176:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**大日本帝国の最大範図ありますか?
http://livedoor.blogimg.jp/yamato26840/imgs/2/5/25024377.JPG
http://www.geocities.jp/chonshineunko/img/Imperial_Japan.jpg 
#right(){(中国軍総合17:72)}

**大東亜共栄圏とはどこからどこまでを想定していたのでしょうか?
大東亜 の「大」っていうのは「印度を含めて」という意味がある。
なので中東地域とシベリア以外の全アジア、オーストラリアとニュージーランド
以外のオセアニア、という事になる>大東亜
#right(){(271:36)}
**戦争直前~戦時中の米の自給率は?

 1940年の時点では,米の年間消費量1200万トン. 
 一人当たり約152kg,一日に換算すると一日約450g(三合)となります. 
 この頃の日本人はエネルギーの7~8割,蛋白質の3割を米から摂取していました.
 都市部では,一人一日約500g(三合半)の米を食べていました. 
 ちなみに現在では,年間僅かに65kg.それだけ,食が多様化したと言えるでしょうか. 

 当時は「白米ブーム」で,「日の丸弁当」が質素な生活の象徴となったのも,白米が潤沢にあったから. 
 しかし,1940年の年間消費量1200万トン,対して,国内総生産量は900万トン,つまり,差し引き300万トンは不足し,タイやインドからの輸入,朝鮮,台湾からの移入で賄っていました.
**明治や大正時代に、拳銃は国などの許可なしに、一般人でも所持可能だったのでしょうか? 

・「銃砲火薬類取締法」(明治43年法律第53号)で厳しく禁じられています。

・戦前、特に大正時代から昭和初期には、個人でかなり自由に拳銃が購入できた。 
取り締まる法律はあったが、実際には「住民票などを提示すれば購入できる」レベルの制限に過ぎなかった。 

・大正時代は調べられなかったけど、「戦前」というなら昭和10年代だと、大卒初任給が70円の時代に 94式拳銃の値段は80円だよ。
#right{(496:255-258)}
**太平洋戦争で戦死した皇族軍人は何人いるのでしょうか?
臣籍降下後に2名戦死していますが、皇族の身分では事故死のこの1例だけみたいです。 
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1212706.html 
#right{(658:461)}
**戦前の高等官について
>戦前の高等官なのですが、現在の国Iのようなものだと認識しています。 
>例えば帝大を出て高文に受かり大蔵省とか内務省で高等官として採用された場合、 
>最初はどのような立場でどのような部署に付けられるのでしょうか? 
>現代であれば、昇進速度はともかく最初は平からでしょうが、戦前は採用時から明確に 
>高等官であり他の判任官とかと待遇が違ったわけですよね? 
>いきなり係長とか課長補佐とかに補任されたのでしょうか?  
一応、高文の合格は、官界昇進の不可欠の必要条件ではありますが、十分条件ではありません。 
1921年11月に合格した216名中187名が官庁に採用となり、敗戦前に退官しましたが、東大卒は137名、 
その他の大学卒が26名、専門学校、中学校、小学校、警察講習所、逓信管理練習所修了者も24名おり、 
そのうち、勅任官に昇進したのはそれぞれ70名、10名、2名となっています。 
即ち、高文に合格したとしても、圧倒的に優位ではなく、東大を出て奏任官止まり(課長クラス以下)が半数 
以下という世界です。 

で、此処は軍事板なので、陸軍将校と比べてみます。 
1920年東大卒の官吏A氏の場合、1935年には商工省工務局長となり、官等は高等官二等になります。 
1920年東大卒の大学教授B氏の場合は、1935年には東大法学部教授で、官等は高等官二等になります。 
最後に、1917年に陸士を卒業して、1925年に陸大を卒業した軍人C氏は、陸軍砲兵少佐参謀本部部員ですが、 
高等官五等にしかなりません。 

但し、軍人の場合は満20歳そこそこで高等官たる少尉になり、24歳で中尉に昇進しますが、高文合格の官吏でも、 
24歳では判任官のままです。 
大学の場合は、判任官の期間が可成り長い訳です。 
しかし、高等官になりさえすれば、その官等昇進は急カーブで上り、軍人の官等を追い越します。 
とは言え、大学卒高文合格者で勅任官になれるのは、半分以下であるのに対し、陸大卒は80%が勅任官になります。
#right(){(524:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**太平洋戦争前の日本は何故、軍艦や軍用機の燃料だけはアメリカの石油資本に任せていたんですか?
当時は中東の油田は発見されておらず、満州の油田も発見されておらず、米国が世界最大の産油国で 
世界2位の産油国インドネシアを支配していたのはオランダと英国の合弁のシェルだった。
満州には石油があったが日本はそれを探し当てる探鉱技術がなくて、日本石油が新潟で極僅か生産していたにすぎない。 

とはいえ、石油炊きボイラにくらべ石炭炊きボイラは同じ重さで蒸発量=出力が2/3以下で当時は人力給炭に近い状態だったので。 
軍艦は石油炊きしか選択の余地がなかった。 
仕方ないのでインドネシアを占領と石炭液化の二本立てで考えたが、後者は技術や材料の問題でドイツでは成功したが日本は失敗した。
#right(){(533:121)}
**太平洋戦争中の日本の車両用ディーゼル、ガソリンエンジンの技術はどの程度のものだったんですか?
ガソリンエンジンに関しては、外国製の模倣が主です。 

例えば豊田はシボレーのエンジンを解体して模倣したものですし、日産はグラハム・ページの生産設備 
一切を購入していました。 
(因みに、戦後でも、GMやフォード車のエンジンが故障したら、トヨタか日産の工場に行けば、取り敢ず 
 合う部品があるから急場凌ぎに役に立つとまで言われています) 
ダットサンも、フランスのベンジャミンと言う小型車のエンジンの模倣です。 
東京自動車工業(いすゞ)のエンジンは、源流を辿れば英国のウーズレーに辿り着きます。 

ディーゼルに関しては、その最初は三菱がスイスのザウラーから技術導入したものですし、日本ディゼル 
工業(鐘淵ディーゼル、後の日産ディーゼル)は、ドイツのユンカースから技術導入しており、そのエンジン 
をライセンス生産しています。 

新潟鐵工所のディーゼルは内火艇用の転用で、性能は劣っていました。 
新潟鐵工所のものは、後に鉄道車両用になりましたが、国鉄時代も使われ続け、化石化しており、後に分割 
民営化して大量の馘首が出た時、再就職に非常に難儀したそうです。 

ヂーゼル自動車工業(後のいすゞ)のディーゼルは、試行錯誤を重ねた結果、水冷式予燃焼室式のエンジン 
を試作し、外国製のものに劣らない性能を示しています。 
また、池貝鉄工所(後に小松製作所に吸収される)の製品も、渦流室式で、小型ディーゼルとしての性能は 
充分でした。 
#right(){(546:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
>つまりガソリンエンジンに関しては外国製の模倣から抜けきれなかったが、ディーゼルエンジンでは 
>一部世界レベルの開発能力を持つ企業もあったという事でしょうか? 
>同時期に陸軍が中心となって開発していた統制エンジンは余り良く出来た物では無かったと聞きますが、 
>やはりディーゼルエンジンでも世界水準とはそれなりの開きがあったんでしょうか? 
と言うか、ディーゼルエンジンでは独自に発展する余地が有った、と言う事です。 
つまり、欧米の自動車に今からガソリンエンジンで太刀打ち出来はしないし、コスト的に 
太刀打ち出来ない。 
一方でディーゼルエンジンは欧米でも発展途上であるが故に、日本が追いつく事は強ち 
不可能ではないと言う考えで各社が技術を競っていました。 

ディーゼルエンジン開発の際、ベンツの予燃焼室式、MANの空気室式、クルップの空冷 
水平対向予燃焼室式、オーベルヘンスリーの蓄熱渦流室式、英国のドルマン・リカードの 
渦流室式を購入してテストしましたが、MAN以外のディーゼルには日本の技術者はさして 
感心していません。 

製品を開発する際、当初は海外製品の模倣から始めますが、ほどなく、その考えでは、 
成立しないことが判明し、予燃焼室式のエンジンを開発しています。 
ここから発展したエンジンは、非常に堅牢且つ静粛で、陸軍向けの試作車輌に搭載した 
テストでは、試験官の「出発用意!」と言う号令でエンジンを掛けて待機していた所、試験 
官から、「おい、エンジンを掛けろ!」と怒鳴られたと言う逸話もあります。 

因みに、予燃焼室式のエンジンは、本家であるドイツでも幾つか試作されていますが、本家 
ドイツでも統制型ディーゼルは、MAN空気室式が採用され、予燃焼室式のエンジンである 
ヘンシェルやフンボルトドイツ(KHD)は、大した性能ではなかったと言えます。
#right(){(547:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**日本の航空技術は戦前はドイツから伝わったんじゃないの?  
航空機技術の基礎は英国からです。 
ドイツからの航空技術導入は1923年以降になります。 
1925年にドイツから技師が来日し技術伝授を始めてから、日本の航空技術はドイツよりになってきました。 
正確には、米英仏からも機体輸入を行っているので、ソ連以外の当時の航空先進各国からのごった煮に近い状況です。 
ドイツの航空技術が本格的に導入されるのは日独伊3国防共協定が結ばれる時期からです。 
生産技術については、ドイツにはブランクがあります。 
#right(){(554:249)}
**大臣は総理、次長は総長が決めると思うのですが、参謀総長、軍令部総長、軍事参議官はどのようにして決まるのか分かりませんので教えてください。
日本陸海軍の場合内閣の国務大臣を任命するのは天皇陛下。
総理大臣は大臣任命するに足る人物を推挙するだけ。
更に、軍大臣は総理大臣にも選定権限がなく、人事に口出しが出来なかった。
これは有名な「統帥権の独立」というものがあり、憲法上は「天皇陛下の軍隊」
である帝國陸海軍は天皇陛下の直卒組織であり、内閣とは序列上同位の組織と
されていたから。

なので陸海軍大臣は軍部の中で有力者が選ばれて推挙され、任命された。

また陸海軍とも高位の人事は制度上建前上は天皇陛下の裁定事項。
これも軍部内で推挙された人物が天皇陛下に推挙され、陛下が考慮して任命した。
実際には陛下はほとんど推挙に異を唱えられなかった(全く何も言わなかったわけ
ではないが)ので、軍部の有力者が合議して独善的に決めてた。

補足しとくと軍司令官や師団長も制度上天皇陛下の裁可が必要
(任命状に御名御璽がある)ので、陛下の許可なく勝手に解任することは
できない。

また天皇陛下の御名御璽がある以上、任命された者の行動を批判したり
就いてる役職を全うする能力に疑いの意見を述べることは、天皇陛下を
批判することと同じ扱いになった。

これが陸軍の現場指揮官が暴走しても誰もそれを止められないし、
阿呆な作戦指揮をして大損害を出して作戦を失敗させても責任を問われない、
という悪弊を作った。

これは日本軍の組織的弱点の一つ。
#right(){(334:382,384)}
**官僚の昇進って軍人よりずいぶん早いようだけど?
官等昇進は官吏や大学教授に比べるとずっと遅くなります。 
従って、同年齢で比較すると、甚だ低いことになります。 

例えば、同年齢で、官吏で課長(高等官三等で年収3,360円)、大学教授(高等官五等で年収1,220円+ 
職務棒800円以内)に対し、軍人は大尉(高等官六等で年収1,900円)です。 
特に陸士陸大(海大でも同じ)の人間からすると、東大卒高等文官試験合格者と同じくらい、もしくは 
頭脳優秀なのに、なぜ、と言う不満がありました。 

敗戦時の内閣書記官長だった迫水久常の回想で、「敗戦時は内閣書記官長でしたが、内閣書記官長 
は中将相当官なんだ。ところが、私と同い年の人が陸軍では大佐。軍務局の軍事課長という陸軍の中 
枢の人が、『何だって君が中将で、俺が大佐なんだ」と言って非常に怒っていた」という話があります。 

ちなみに、軍人の場合は、満20歳で高等官である少尉になり、24歳で普通ならば中尉に任官します。 
官吏の場合は、24歳でも判任官が少なくありません。 
大学の場合も判任官(助手)が長かったりします。 
しかし、官吏や大学教授は高等官に任官すると、それ以降昇進は急カーブとなり、軍人を忽ち追い抜か 
すことになります。 
但し、文官の勅任官就任は、大卒高文合格者のうち、半分以下。 
軍人の勅任官就任は、陸大卒の場合は、80%に上ります。 
#right(){(331:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**旧日本の電線について、米軍との格差の象徴と言われる紙巻き電線って実際どれぐらい使われてたんでしょうか? 
当時の樹脂被膜電線に関してはアメリカ製の製品が傑出してて、それ以外の国のは 
五十歩百歩というところ。 
というか、「電気」に関する技術ではアメリカは世界のトップを走っていて、 
アメリカ>(超えられない壁)>それ以外 
という世界だった。 

それら五十歩百歩の中でも日本は技術的にも品質的にも高い方ではなかったが、 
別に日本だけが紙巻電線を使っていた訳ではない。 

日本の場合、高品質の樹脂被覆電線はアメリカからの輸入品だった上に、物資が 
欠乏してくると本来は樹脂被覆電線にしなければいけない防水性を要する配線に 
紙巻電線に樹脂分の多い塗料を厚めに塗っただけの代用被覆電線を使ってたりして、 
このあたりが 
「アメリカのはちゃんとした樹脂被覆電線なのに日本は紙巻電線だからダメだった」 
という話の元になっている。 
#right(){(597:243)}
**戦前のマスメディアの報道について、朝日新聞に対する批判が特に厳しいのは何故なのでしょうか? 
朝日新聞はその言論統制が始まる前から軍に報道協力をを行なってきました。 
満州事変での石原莞爾の報道戦略にも一枚噛んでいます。 
そして戦勝報道や愛国的な扇動報道によるによる売上の増加に味をしめ、 
軍が求めた以上に率先して戦争を煽りまくりました。 
終いにはそれが日本の外交戦略や軍事戦略を捻じ曲げる域まで達してしまいした。 

また、戦時中に主筆であった緒方竹虎などは情報局総裁として言論統制に積極的に協力しています。 
言論人でありながら言論統制に協力すると言った姿勢が批判されるのは当然でしょう。 

そして戦時の社長や会長と言った主要幹部は責任を取って辞任するどころか、 
政界に転出したり社に残ってその後も順調に出世しています。 
結局、誰も戦時報道の責任を取らず、戦前からの無責任体質を維持し続けている事が批判の対象なのでしょう。 

詳しくは『朝日新聞の戦争責任』をご覧になると良いでしょう。 
朝日新聞が著作権侵害を盾に闇に葬り去ろうとしたほどの曰く付きの一冊です。 
#right(){(322:119)}

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