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---- #CONTENTS **WW2の潜水艦で,甲板にむき出しになってる砲の防水対策はどうなってるの? 当然の事ながらたっぷり油を塗ってあるし、通常は砲口に栓をしてあるよ #right(){(くだらない質問はここに書け!:461)} **第二次世界大戦時の潜水艦でも潜航中の潜水艦を撃沈することは可能だったのでしょうか? まずムリ。(しかし1件だけ大戦中の実例があるはず。) 潜水艦同士の水中戦闘はあくまで大戦後のお話。 より高精度のソナーと誘導魚雷(ともに大戦中に発達)がなければ水中戦闘はムリ。 #right(){(くだらない質問はここに書け!:Mk-46)} 潜望鏡潜航してる潜水艦が同じく潜望鏡出して航行してる潜水艦を沈めた例なら一例だけある。 ただ完全な「水中戦闘」ではないので質問の答えになってるかは微妙だな。 絶対不可能とはいわないが、多分無理 当時のソナーは、魚雷の照準に使えるほど精度が高くない。 現在と違って、誘導式の魚雷もない(一応、ドイツだけはほぼ実用化していたが、それでも水上の船を狙うのが精一杯) フィドー対潜魚雷がありますね。航空魚雷のMk13に3次元誘導機構を 搭載した対潜魚雷です。これは大西洋でのUボート狩りではかなりの戦果を上げているようです。 ttp://www.warbirds.jp/ansq/4/D2000128.html サンテーの航空隊は、いまや誘導魚雷“Fido”(音響追尾魚雷)を装備していた。 それにより、新しい攻撃の形が使えるようになったのである。ワイルドキャットは 潜水艦を潜水させ、アベンジャーがFidoを落とした。魚雷は目標をかぎつけ、 U-160を乗組員もろとも海底に送り込んだ。 ttp://green.ap.teacup.com/applet/y-kuro/20060802/archive #right(){(351:83-93)} 浮上航行中の潜水艦を、潜航中の潜水艦が撃沈した例はいくつかある。 ちなみに日本海軍も、当時まだ対日参戦していなかったソ連の潜水艦を 撃沈したことがある。 #right(){(572:132)} **潜水艦のイ号って、アでもなくウでもないのですか?それともア号があったのかな?アボーン? 違うよ。 いろはにほへと順。 トン数に応じて、伊号、呂号、波号があった。 #right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} **昔の潜水艦についてる、砲は錆びちゃったりしないん…ですか? 一応、潜航前に蓋をすることになっています。 しかし、戦前の潜水艦は、潜航よりも浮上中の期間の方が長い「可潜艦」ですので、 後でしっかりメンテナンスすれば錆は余り問題にならなかったようです。 #right(){(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **イ号潜水艦は飛行機を格納してたみたいですが、実際のところ役に立ったのでしょうか? イ号潜水艦が全部艦載機を積んでいたわけではないです。 一部の艦載機が米西海岸の森だったかどこかに爆弾を落として、火災を起こしました、 本格的艦載機搭載潜水艦イ-400は18隻建造計画(実績3隻)でパナマ運河を 空襲、封鎖することを戦略的目的として開発されました。 今で言えば、弾道ミサイル原潜やトマホーク搭載原潜のはしりですね。 #right(){(20:らむ ◆26Am7uFo)} 英国、フランス、アメリカでも偵察機搭載の潜水艦が一度は建造されています。 しかし、そういった設備を持つと必然的に大きくなり、運動性が悪く、捕捉されやすいため、試作で終りました。 ドイツも建造してまして、Ar-231と言う専用の飛行機を制作しましたが、後にヘリに移行しています。 ただ、偵察機搭載というアイデアに関しては、戦後の潜水艦に少なからぬ影響を与え、 米ソとも巡航ミサイルを搭載して、敵地近くで発射すると言う形で取り上げています。 (トマホークより以前の話です。念のため) #right(){(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)} 造る必要の無さについては開戦後に軍令部でも認識していたようです。 潜水艦畑を歩んできた井浦中佐(当時)がその有効性と必要性を考慮して 以降の建造の中止を提案し、かなりの妥協策を引き出していました。  実戦においてはかなりの活躍をしたと思います。伊400は特殊ですがその他の艦の目的はあくまで偵察です。 前述のオレゴン州の森林攻撃時までは爆弾の搭載装置すら積んでいない状態でした。 潜水艦搭載の偵察機の強みは水上艦の艦載機や陸上機の航続距離外、敵地の奥深くにおいての活動が可能だったことです。 もちろんかなりの制限はありましたが。  主だった作戦としては真珠湾攻撃後の戦果確認、オーストラリア方面・アフリカ東岸・ アリューシャン方面等で特潜の攻撃や味方の上陸に先立って偵察を行っています。 インド洋で商船を探して洋上偵察飛行なんてのも一度だけ行われています。          開戦時    開戦直後の提案  以降の建造計画 潜水空母    18          0             9 新巡潜型 船台の許す限り  建造中の艦から   3隻に1隻は        (2隻に1隻は    格納庫を撤去、   偵察機搭載、        偵察機搭載)    以降は通商破壊  新型艦は研究                    用の新型艦へ    を継続 #right(){(20:@潜 ★)} **第二次世界大戦では、潜水艦同士の戦いはあったのでしょうか? 片方が浮上航行中(あのころは基本的に浮上航行してる)を狙って、もう片方が 襲撃したことなら良くありますが。 そこそこの数の潜水艦が、敵潜水艦に撃沈されています。 一例だけ、潜望鏡深度で撃沈された例あり。 U864が英潜に沈められた。1945年2月。 映画によく出てくるような深々度ではないけど(当時の技術では無理)。 #right(){(33:644,653)} **砲撃潜水艦ってなんでしょうか? 漏れは船は素人だが・・・それは前時代の遺物>砲搭載潜水艦 今の潜水艦は浮かび上がったら負けです。 #right(){(33:935)} 第二次世界大戦の潜水艦の武装として、魚雷以外にデッキ上に大砲を一門 装備していました。非武装の商船相手の武器なのです。 魚雷より信頼性のある兵器だからです。 現在の潜水艦には前近代的な大砲は装備されません。 >935氏の説明の通りです。 #right(){(33:一等自営業 ◆O8gZHKO.)} **アメリカ潜水艦は攻撃を受けるとわざと油を排出して、撃沈されたふりをしていたのでしょうか マジでやっていました、というか古典的な戦法のひとつ。 そこら辺はドイツ軍も旧海軍もやってます。 #right(){(48:大渦よりの何某か。)} **漫画でアメリカの潜水艦が海底鎮座を二日間やってるのですが酸素は大丈夫なのでしょうか? 第二次大戦後ですが、アメリカのディーゼル潜水艦で2日近く潜航していたものがありました。 問題になるのは酸素よりは二酸化炭素で、ほとんど全員がひどい頭痛がしたそうです。 12時間近く潜航していると空気が重苦しくなり、24時間近く?潜航してると頭痛を訴えるものが出るとか。 CO2を吸収するために水酸化リチウム結晶を使いますが、十分に吸収できないようです。 #right(){(72:296)} 当時のディーゼル潜水艦であれば普通は一日以上やらないみたいですね。 こちらのネタは、アメリカの潜水艦「ガジオン」が旧ソ連領海内でスパイ活動をしていたときに発見され、 水上艦に包囲攻撃された時の話です。64時間近く水中にいて我慢できなくなったので浮上し、 「演習協力に感謝する」と信号を送られて放免されたとか。 #right(){(72:302)} って言うか、頭上に敵艦がいたら浮上できないでしょう? 二日以上頭を押さえられて酸素や電池がつき、最後は浮上して決戦を挑んで撃沈された 潜水艦の話などゴロゴロしています。 #right(){(72:303)} 二酸化炭素も問題だが、トイレが使用不可能になるのも問題。 衛生的な問題もあるが、換気不能の狭い艦内に悪臭が漂うと乗員の士気に多大な影響が出る。 #right(){(72:331)} **日本の潜水艦で、伊52ってありましたよね。どうのような行動をした船だったのか 伊52は2艦あります。 先代は、大正7年度計画で呉工廠にて作られた艦で当初は第51潜水艦と なり、竣工直前に伊52となりました。 大正14年5月20日竣工。 昭和17年5月20日に伊152と改名し、昭和17年8月1日に除籍され、戦後解体 されました。 この艦はドイツ巡洋潜水艦の技術を導入し、スイス製ズルザー式ディーゼルを 備えて、水上速力20Knotを越える艦を目標に開発されましたが、主機にトラブル が多く、目標値に達せずに結局試作1艦で終わりました。 もう1艦は、丙型改で、昭和16年度の計画艦で、偵察用の乙型を基に、航空兵装を 撤去して備砲を増強したものです。 速力は戦時建造艦のため、量産型主機を搭載したので低下しましたが、航続距離は 延びています。 昭和18年12月8日に竣工。 その航続力を生かして訪独艦に指定され、昭和19年3月10日にフランスのビスケー湾に 向けて航行しますが、昭和19年6月24日に到着直前のビスケー湾にて米護衛空母ボーグ の艦載機より攻撃を受けて撃沈され、昭和19年12月10日に除籍されました。 ちなみにこれが、最初の航海でした。 艦長は宇野亀雄中佐です。 #right(){(74:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **太平洋戦争が開戦する前に、ドイツに行っている潜水艦ってあるのでしょうか? 戦前に独に行ったのは重巡洋艦足柄くらいではないでしょうか。 潜水艦では戦前にはありません。 第一次大戦の戦利艦ならドイツから長躯回航したケースはありましたが。 #right(){(74:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第2次世界大戦で日本からドイツに金塊を運んだ潜水艦を全て教えてください 伊52潜が金塊を積んでいたと言われていましたが1990年代の調査で 金塊はなく錫であったことがわかっています。 #right(){(76:320)} **日本のイ号潜水艦の安全潜航深度は、100メートル位。 >日本の潜水艦の船体強度は、諸外国に比べてどうだったんでしょうか? カタログ上は強度に問題はなかったようですが、 問題だったのは、日本の潜水艦はかなり後まで溶接を使用せず鋲構造だったことです。 このため、深深度潜水をやると漏水や搭載した重油の漏洩などの問題に悩まされました。 #right(){(79:119)} **U-21や伊201等の高速潜水艦を撃沈する方法が確立されたのは何時? 「高速潜水艦」っていったって上に駆逐艦がいる間は静かにじっとしておるわけで 通常のドン亀となんら変わりない方法で撃沈可能です それに水中速度はたかだか20ktぐらいで、 全速で逃げようなんてバカなことしたらたちまち駆逐艦の餌食にしかなりません #right(){(80:235)} 1953年にガトー級の潜水艦6隻 Angler (SS240) Bashaw(SS241) Bluegill(SS242) Bream(SS243) Cavalla(SS244) Croaker(SS246)がそれぞれ改装されてSSKに分類されています。 潜水艦による対潜攻撃任務は大体このあたりからじゃないですかね? #right(){(80:242)} **第二次世界大戦時の太平洋戦線のアメリカ潜水艦はボトム(海底に沈む事)を二日以上しても二酸化炭素とか大丈夫なのでしょうか? 1957年8月中旬にウラジオストックの偵察任務についていた米潜水艦”ガジオン"SS-567は ソ連水上艦に発見されたため実に64時間の連続潜航を余儀なくされました。 この結果艦内の二酸化炭素濃度もかなり危険なレベルに達したたためやむなく浮上しました。 幸いソ連は”ガジオン"を沈めようとはしませんでした。 艦内には二酸化炭素を吸収するため水酸化リチウム結晶入りの容器がおかれていましたが、 完全に吸収することは出来ず、また一酸化炭素を吸収することは出来ませんでした。 要するに、二日以上の連続潜航は非常に困難だということです。 #right(){(80:名無し軍曹)} **なんで第2次大戦の頃の潜水艦は対潜水艦戦闘が任務じゃなかった? ・誘導魚雷がなかったもしくは性能が不十分 ・センサーシステムとFCSの能力不足 ・航行能力の不足 潜水艦が無誘導魚雷で浮上航行中の潜水艦を沈めたって例はあるけどね‥ #right(){(87:576)} センサーと武器の問題、潜水艦の機動力の問題、戦術の問題。。 まともなホーミング魚雷(誘導魚雷)もないのに、目視できない敵を攻撃できない。 水中機動力はたいしたことないので、対潜水艦戦闘するほどてきぱき動けん (今の非原子力潜水艦もその点は同じ) #right(){(87:577)} **第二次大戦中とかの潜水艦って今のと違ってそのまま船みたいな感じなのはなぜですか >見た感じ 潜航できる船といった感じなんですが >後 砲とかもついてるのがありますが使う場面ってあったんですか 当時の潜水艦は「潜水艦」でなく「可潜艦」というのがふさわしいという話もあるようですね 潜航可能時間が短く、水中速力も低かったため、対潜機にレーダーが積まれるまではほとんどの時間を浮上走行していたようです 魚雷は高価で数も少ないので、護衛のない輸送船などは浮上して砲撃したそうです>>砲 #right(){(94:801)} WW2まではまんま「潜航できる船」ですので、水上性能が重視されていました。 これは潜航したままだと長時間行動できない点や速度が遅いといった問題があったためです。 あと砲ですが、通商破壊の際、浮上して攻撃できる際にはできるだけ砲撃による攻撃が行われました これは魚雷が非常に高価でありまた搭載本数も少なかったためです。 ただし大戦後期になると砲を使用する機会が極端に減ったため取り外されることもありました。 #right(){(94:804)} 攻撃を受けて潜航不能になった時の最後の武器でもある。 #right(){(94:805)} 単純に、水の中で高速移動するための形が現在の物。 その形が開発されていなかったと考えてください。 #right(){(94:807)} **第一次世界大戦と第二次世界大戦当時の潜水艦はどの程度違いがあるのでしょうか? >ドイツのUボートが二つの大戦で登場するので違いが気になったのですが。 念のために聞くが、Uボートがドイツ語で「うんてるぜーぼーと」つまり「潜水艦」という意味なのは存じていますか? 違いとして、潜航深度の増加、武装の強化、電波兵器の装備などがあげられます #right(){(94:716)} 大まかに言うと初期~中期のUボートで、大きさ、水中航続力、実用最大潜航深度 が1.5倍ぐらいになってます。水中速力は変わりません。 後期になると水中の行動が重視され水中航続力、実用最大潜航深度、水中速力が3倍ぐらいになってます。 #right(){(94:717)} **水防隔壁が水圧で裂けるのを防ぐため、突っかえ棒する話がよく出てきますが、これは鋲接合だからですか? 太平洋戦争時に潜水艦艦長だった板倉光馬氏は、かつて自分が乗り組んだ潜水艦で 浸水防止用に搭載されていた木材をあらかじめ小さく切っておいて 緊急時に木栓として使用しやすいようにして銅栓と併用して効果をあげたと 著作で述べています。 現在でも木材は緊急時の浸水防止用に有効だと思われますが、ゴム栓は使用しないでしょう。 #right(){(99:578)} >銅板で木を包んで打ち込んで水密性を確保するのでしょうか?毛布を使ったという話も聞きますが・・ >支柱を最初から噛まして建造しない理由は軽量化ですか? 強度上必要なリブや隔壁は配していますし、 燃料・水タンクなど以外で隔壁に大げさな支柱かませていたら、 スペース効率が悪くて使えませんて。 #right(){(99:590)} モノによりますが木って柔らかいですよ。それにいざとなれば削ることだって出来るわけで。 乾燥した木材を使えば水を吸って膨れるし。 ゴムって変形して杭としては打ち込みにくいです。 毛布は使われました。あと乗員の古着とか使えるものは何でも使ったようです。 #right(){(99:591)} 浸水時の応急対策の一例ですが、裏に板をあてた毛布・マットで破孔を塞ぎます。 板はつっかえ棒で支えますが、板と棒(角材)の面がうまく合わないのでここに楔を打ち込みます。 因みに楔の形状からすると(円状の)孔を塞ぐには適当では無さそうですが、 細長い裂け目に楔を突っ込んだらますます傷口は広がっていきます。 #right(){(99:597)} 楔は木栓の誤りだと思う。 #right(){(99:601)} **旧海軍の潜水艦の種別である 伊とか呂とかを当時の米海軍は何と標記していたのでしょうか? Jane's Fighting Ships 1931などでは、 伊号呂号はそれぞれ、I-xx Ro-xxです。 "1st Submarine(Over 1000t Class)" "2nd Submarine" 特型駆逐艦は、 "1st Destroyer(Over 1000t Class)Fubuki" ですが、Conwayだと、 特型駆逐艦は、 "Special Destroyer" Fubuki 潜水艦は、 大型が"KD"、"J"、"KRS"、"A"、"B"、"C"、"ST"、"SH"、"D"、"STO"が使われています。 なお、甲乙はそれぞれ、a,bとなります。 中型が"K""L""D"などになっており、小型が"SS"、"STS"になっています。 但し、艦名に関してはJaneと同じです。 #right(){(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の軍艦の居住性が劣悪なことが原因で大敗北をしたというような例はあるのですか? 居住性は間接的な影響を与えるものなので、これといった例はないと思いますが 呂100型潜水艦が短期間で全艦戦没したのは、 局地防衛用に設計された小型艦を広範囲に使用したため 航洋性、航続距離の不足に加え居住性の悪さもその一因と言われています #right(){(104:560)} **潜水艦がシュノーケルを使い始めた頃、うまく操作出来ず乗り組み員がCO中毒になったなんて事はあったのでしょうか? >Uボート977(朝日ソノラマ)を読んでのことです。 >シュノーケル航行中、深度調節に失敗して海面下にシュノーケルが潜ってしまい空気を取り入れられなくなると、 >艦内の空気をディーゼル機関が吸引して艦内が物凄い陰圧になったり排気が充満したり、とても大変な目にあった、と書いてありました。 >実際排気が充満なんかしたらCO中毒になったりするんじゃないか?と思いました。 >潜水艦がシュノーケルを使い始めた頃、うまく操作出来ず乗り組み員がCO中毒になったなんて事はあったのでしょうか? >また現在のディーゼル潜水艦では、シュノーケル航行中に間違って海面下に潜ってしまった場合、 >同じ様に艦内の空気をヂーゼルエンジンが吸い込んで陰圧になったり、排気が艦内に充満したりしてしまう事があるんでしょうか? つ 日本海軍の第六潜水艇あたり。 最初のSnorkelは、単純な延長チューブで、頂部が水面に隠れた場合は、 管からの浸水を防ぐ手段が無かったりしました。 オランダ海軍が、頂部に球状の浮子を使って水に浸かった場合は自動的に 弁が閉じる方式を開発します。 ドイツが開発したのは、オランダが開発したのが、直接エンジンに繋がる送気管 であったのに対し、管を単純に艦に引込み、通常の方法でディーゼルは吸気する ものでした。 但し、その空気の必要量は、1時間当り4700m^3に上ります。 このバルブが突然閉鎖した場合は、外気からの供給が喪われますが、取り敢えず、 前期の構造から、主機の短時間の継続稼働は可能でした。 しかし、数分使うと、乗員はCO中毒より、空気必要量の喪失から、目眩、呼吸困難、 鼓膜破裂、意識喪失、そして、窒息死になる可能性があります。 従って、Snorkelの運転中は、吸気弁が閉まる度に主機を止めるように機関兵が常時 監視していました。 後に、このバルブは自動化されています。 現在のものは、これを発展させたものですが、それでも、操作を誤れば、陰圧になる 可能性は十分にあり得ます。 #right(){(378:204)} **第二次世界大戦の艦艇のレーダーは潜水艦の潜望鏡を捉えることはできましたか? できました。このためUボートの潜望鏡に電波ステルス対策がなされたほどです。 電波吸収用のゴム貼ってました。 #right(){(377:560,564)} **第二次世界大戦中の潜水艦はどうやって障害物や深海の地形を把握できていたのでしょうか? >現代の潜水艦であれば、高性能のソナーで周辺を探知し、モニターで瞬時に地形を弾きだせることができ、距離も算出することができます。 >しかし大戦中の潜水艦にはまだ、高性能とはいえないソナーしかなく、叉、モニターとして使用するブラウン管の品質も悪かったはずです。 まず、事前に海底の地形図とか深度とかの情報を海域ごとに調査船で測定したのを用意して、それと突き合わせながら 「この辺の深度は○mまでだから、これ以上は潜れない」とかいうのを慎重に決定して航行する。 当然細かい地形まではわかんないから、かなりおおまかな航行になる。 (よって、あんまり浅いとか狭いとかいう場所は潜水艦の潜水航行そのものを回避する) もちろん、ミスって座礁したり沈没したりすることもあるが、沈む時は外に連絡なんか付かないんで比較的浅瀬で座礁したとか、 後に偶然発見されたとかでない限り、座礁で沈んだのか撃沈されたのかは当時は判別は困難。 #right{(497:171)} **「空飛ぶ潜水艦」を日本海軍が企画していた…みたいな記事がありました。本当に計画されたのでしょうか? 米海軍が60年代初め、コンベアに可潜ジェット戦闘機を試作させかけたことがある 完成予想図が公表された段階で計画はつぶれてしまったが ミリエア別冊の「アメリカの試作戦闘機」の海軍編にそのイラスト付きで掲載されてるから探してみ #right(){(350:462)} **第二次世界大戦で潜水艦の拿捕が試みられたことはあるのでしょうか? U33.U110.U570.U559.U505 いずれも米英軍に鹵獲が試みられた、あるいは鹵獲が成功した艦。 全潜水艦に対する割合から言えば、非常に小さい。 あと、乗員は助かったが、暗号や機密が漏れて最終的に枢軸国にダメージを与えている。 米英軍は上記潜水艦、特にU570 U505を拿捕して暗号資料の奪取や潜水艦の情報収集をしている。 #right(){(557:207,218)} **日本に機雷敷設用潜水艦はあったんでしょうか?あったとしたら、アメリカ西海岸に機雷を敷設したんでしょうか? 伊号21(後121)号型が4隻ありました。 原型は、第一次世界大戦時のドイツ潜水艦U117型のO1で、それをそのまま技術導入して 建造された型です。 但し、老朽化で機雷敷設も殆ど行わず、補給用潜水艦とか訓練用潜水艦で終わって います。 #right(){(341:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **太平洋戦争の日本潜水艦はかなりの数がやられていますがなんでですか? アメリカ側の情報収集と暗号の解読により、日本潜水艦の行動が筒抜けになり、おまけに米軍の潜水艦の高性能の レーダーによって簡単に捕捉され、待ち伏せされて攻撃されたからです。 当時の日本の潜水艦は工作が悪くてとてもうるさかったので、ソナーで一発探知できた その辺り、潜水艦の艦長クラスは十分承知していて、特に新造艦を受け取る際にはタンクに 木屑や工具が残っていないか神経質に調べたけど、それでも取り除けないのがいっぱいあって 思わぬときに騒音を発して敵に発見されちゃったりする 当時のドイツ海軍も日本の潜水艦のうるささにびっくり、なんて記録もある で、旧ソ連の退役大将の回想では90年代までの海自の潜水艦も、ソ連の基準でさえ許されない ほどうるさかったそうだよ #right(){(336:890,876)} 日本海軍での潜水艦運用方法が硬直化していたからです。 日本では艦隊決戦の前哨戦として、あらかじめ定められた配備線に沿って展開し 主力艦隊の交戦前に少しでも敵艦隊を沈めるという目的のために潜水艦を整備していました。 つまり、司令部からの指示によって動き、単独での独立した行動は行わないわけです。 ですので、事前に潜水艦と司令部の交信から配備パターンを読まれて護衛艦に次々と 撃沈されるという悲劇がごろごろ出ています。 米護衛駆逐艦DE-635イングランドがソロモン方面で1944年5月19日から13日間で実に6隻もの 日本潜水艦を撃沈したのがその際たるものではないでしょうか。 #right(){(336:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} >いやなんで日本潜水艦のかなりの数が敵潜水艦にやられるのか知りたいわけで 駆逐艦は背が高いから、潜水艦からも目視で見つけられるんだよ。 だから駆逐艦相手なら潜行するなりなんなりして準備できるんだけど、 潜水艦に発見されたら不意打ちを食らう。 #right(){(336:892)} **日本海軍の潜水艦はUボートに比較すると、水中での最大潜航深度、機動性、静粛性において相当劣ると感じますが 船体に使われる鋼材の質、溶接技術の差、ディーゼル機関等、 根本的なところからかなり劣っています。そもそも日本の潜水艦は 第一次世界大戦でのドイツからの戦利艦からの発展ですのでどうしても劣ってしまいます。 日本側としては、あのくらいの性能で満足してたというのが一つあると思われ。 ペナン潜水艦部隊にいてドイツ潜水艦に接した井浦祥二郎参謀曰く、 一長一短はあるが全般にドイツ>日本。でも、うらやましくてたまらないほどの差ではない。 潜航深度100mあるし、潜入速度も30秒でいけるから十分というのが認識のようだ。 静粛性の問題はあるが、これは日本の対潜能力が低かったために、 戦前は顕在化しなかったという面があるようだ。 ゆえに設計面だけでなく、乗員の行動なんかも静粛性を割と適当にしてる感はある。 戦時中に問題になってからは、そこそこ手は打てている。 機動性というのが速度のことなら、通常型では水中速度は有意な差はない。 技術的な面で、電池技術が日本は劣ってた面はあり、 水中高速潜水艦の開発に関しては、結果としては後れたとはいえる。 #right(){(585:199,201)} **伊号潜水艦は何を基にして作ったのですか 海大型については、基本的には今までの集大成であり、日本独自のものになります。 巡潜型については、第一次世界大戦で活躍したドイツのU141級に、若干日本独自の改正を加え、 線図自体はそのままで建造されています。 機雷潜についても、第一次世界大戦終了後に日本に分配されたU125と同型です。 #right(){(334:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の沿岸警備に潜航艇は配備されなかったんでしょうか? 日本の潜水艦は騒音がひどく、米軍に容易に察知されて撃沈されています。 上陸艦隊の空母や戦艦等の大型艦と刺し違えれるのならともかく、上陸用舟艇 数隻と引き換えに潜水艦と育成に時間がかかる乗員全員を喪失してしまうのだっ たら、費用効率はさぞかし悪いものになるでしょう。 #right(){(330:眠い人@出張中)} **帝国海軍潜水艦が使用した運荷筒は、潜水艦の浮上潜航に合わせて浮き沈みするのですか? 運荷筒には深度や方向を調整する機能はありません。 本体にあるトリムタンクに注水してあらかじめ予備浮力を調整しておき、 4~5ノットで曳航すれば水面すれすれで引っ張れるようになっていました。 しかし、迂闊に速度を上げて引っ張るとすぐに深く潜ってしまったそうです。 #right(){(607:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **第二次世界大戦時代の潜水艦では水上見張りは特殊技能で素人の乗組員にはできなかったの? 基本的に乗組員 「 全 員 」 が見張りの訓練はもちろん、 急速潜航の時の非常動作も訓練されてます。 潜水艦では一人二役・三役が当たり前。 その手の記述は大抵の戦記ものにゴマンと出てます。 >霞ヶ浦の住人が読んだ戦記では、見張り員が外の空気を吸えることを、他の乗組員がうらやましかったとありました。 >彼らを除く大多数の乗組員は、出港から帰港まで、外の空気を吸うことは無かったそうです。 例えば 「潜水艦隊」(井浦祥二郎)には >艦橋後部で、煙草をうまそうに吸っている機関兵が目に止まった。                             とありますよ。 また >艦橋当直者以外の人数を極度に制限する必要 ともあり、裏を返せば当直者以外の者も交替で上がれた、ということです。 戦局が厳しくなるにつれてこの人数も制限が加わっていきましたが、 太陽を拝める機会は平等に与えられるよう配慮はされてます。 敵性水域でなければ、上甲板の一角に露天風呂まで設けて、同時に数名ずつが命の洗濯と洒落込むことさえありました。 こちらは「潜水艦入門」の記述。 どちらも入手はそう難しくないはずです。 #right(){(618:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)} **大戦中の潜水艦は魚雷発射管が艦尾にも設けられていますが、何故日本の潜水艦は艦首にしか装備されていないのですか? 簡単に言うと、用兵思想の違いです。 日本は海上での決戦(戦艦の撃ちあい)に際して、決戦前に潜水艦で敵艦隊を攻撃させ、敵戦力を漸減させるつもりでした。 (ちなみにに優秀な駆逐艦や魚雷、二式飛行艇なんかも同じ思想で作ったもの) なので、敵艦隊に一斉に発射できる魚雷の数を増やすため、艦首に魚雷発射管を集中させました。 この思想(発射管艦首集中)が実現したのは、巡潜3型(平たく言えば昭和12年以降に完成するフネ)からで、 それからは日本は艦尾発射管を持たないフネを建造します。 (艦尾発射管を持つ海大6型bは昭和13年完成だが、混乱するからここでは無視しろ) それ以前の海大1~6型も一応、同じ思想(敵艦隊の漸減)で作ってますが、艦尾にも発射管を持ってます。 これは、それまでの潜水艦は艦尾発射管を持っているのが普通だったからです。 オードソックスに作ったら、艦尾発射管もついてました、と。 #right(){(301:192)} **イ号のように浮上攻撃を視野に入れた潜水艦ならアメリカの駆逐艦と対等に撃ち合えましたか? 最近、橋本以行の「日米潜水艦戦」という本を読んだのですが、駆逐艦以上との 砲戦は、潜水艦側が非常に不利だと言う記述がありましたし、戦時中の本でも、 浮上砲戦は、無防禦に等しい潜水艦が行うのは無謀で、精々それで狙うのは 商船に対して行う、航空機を射撃する、萬やむを得ずに自分を護る為に応戦する 以外は砲戦は禁じられています。 これは、砲側照準が標準的で、まともな射撃装置が装備されていない潜水艦と、 小なりとは言え、それなりに射撃装置が装備されている駆逐艦とでは、撃合うと 余程の僥倖がない限り駆逐艦の側が勝利します。 砲の口径が大きくとも、照準装置がまともでなければ、太刀打ち出来ませんがな。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時の潜水艦なんですが、おフロがついている艦はありましたか? ほとんどの潜水艦にはシャワー室があった(トイレと兼用のものがほとんど)。 潜航中は使えないのが普通。 例外的にアメリカの潜水艦は独立したシャワー室があったりした。 アメリカの潜水艦は各国の潜水艦の中でも例外的に居住性が良く(艦内空調設備が ついてるとか)、シャワーもそれなりに使えたらしい。 #right(){(281:16-18)} **旧海軍の潜水艦の種別である 伊とか呂とかを当時の米海軍は何と標記していたのでしょうか? >同様に特型駆逐艦は英語で何というのでしょうか? Jane's Fighting Ships 1931などでは、 伊号呂号はそれぞれ、I-xx Ro-xxです。 "1st Submarine(Over 1000t Class)" "2nd Submarine" 特型駆逐艦は、 "1st Destroyer(Over 1000t Class)Fubuki" ですが、Conwayだと、 特型駆逐艦は、 "Special Destroyer" Fubuki 潜水艦は、 大型が"KD"、"J"、"KRS"、"A"、"B"、"C"、"ST"、"SH"、"D"、"STO"が使われています。 なお、甲乙はそれぞれ、a,bとなります。 中型が"K""L""D"などになっており、小型が"SS"、"STS"になっています。 但し、艦名に関してはJaneと同じです。 #right(){(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次世界大戦における潜水艦の魚雷発射手順を教えて下さい。 >魚雷の設定、発射後の行動等、できれば計算方法も教えて下さい。 UボートVII以降の場合ですが…。  1. 聴音、見張りなどで目標を発見する。  2. 艦長は水上攻撃か潜航襲撃かを決定する。  2'. (水上襲撃の場合)主席将校が攻撃を指揮し、艦上の照準器を用いて計算値を入力。  3. (潜航襲撃の場合)艦長は攻撃用潜望鏡を用いて標的を観測し、その大きさ、速力、進路、吃水を判定し、その結果を    主席将校にその情報を口頭で伝達。    同時に、自艦との相対速力、相対針路を推定し、これも主席将校に口頭で伝達。  3'. 艦長は算定値の向上を企図して観測を行なうか、被発見率の低下を企図してその数値を信用するかを考えてどちらの    方策が必要かを選択し、魚雷到達時の未来位置の推定から使用魚雷の選択をし、標的の前方位置を占めるように、針路    を考え、標的の重要性、天候、その他情報を吟味して魚雷発射本数を決め、(誘導魚雷の場合)魚雷発射後の捜索パターン    を決定する。  4. 主席将校は、魚雷戦計算盤に、雷速、艦長の推定した目標との推定距離、推定標的斜進角、推定的速、標的回頭率に    関する修正要素を入力。    魚雷戦計算盤では以上の数値を元に、方位角、収斂点、射角、最大射程を計算し、発射管室の開角受信機に発射開角    を送信。  5. 目標前方に針路を取り、魚雷発射位置を占位する。(発射距離は約900~3000m)  5'. 水雷科下士官は主席士官の指示に従って、発射管に魚雷を挿入(基本的に定期点検時を除き、挿入しっぱなしの状態に    なっていましたが)  6. 指示計を確認し、各発射管に手動(改良型は自動)でジャイロ斜進角を入力し、魚雷調整を行なう。  7. 主任士官の発射命令に従い、魚雷を発射。  8. 魚雷員が目標到達までの時間を計測。  8'. 艦長が再攻撃の検討を行なう。または脱出手段の設定などを行なう。 #right(){(106:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **伊四〇〇型みたいに航空機を搭載した潜水艦は他国にはなかったのですか? イギリスやフランスにも飛行機を搭載した潜水艦(ついでに大型の砲を搭載)はあった。 ドイツのU-ボートにはバッハシュテルツェという回転翼式の有人凧を搭載したものもあった。 ただこれらは搭載機が非常に小型で、空中からの弾着観測や偵察が主要な目的だったようだ。 #right(){(140:238)} 英国、フランス、ドイツで研究されたり、実際に試作されていますが、実用化したのは 日本だけです。 艦載機を搭載するのは、必然的に艦の大型化を招きますが、それは水中機動性の 低下と同義ですし、何より通商破壊など、隻数が必要とされる潜水艦を整備するのに、 そんな大型艦が必要か、と言う疑問が出されたのもあります。 加えて艦隊に随伴するにも、中途半端な速度しか出ず、ロンドン条約で補助艦の制限 が行なわれたので、大型艦の整備は不利と考えられたが為に、廃れました。 日本は、通商破壊よりも艦隊支援という面が強いのと、個艦の優秀で、隻数に対抗しよう とした関係で、艦載機を搭載したものです #right(){(151:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦前・戦中の日本海軍の潜水艦はいずれもディーゼル/電動機推進でしたが、ディーゼル・エレクトリックは技術的に不可能だったのでしょうか? 日本海軍に於いては潜水艦は洋上決戦補助兵力として位置づけられていました。 なので、大航続力の大型艦で、水上での高速航行性能に重点が置かれていました。 従って、洋上ではディーゼル機関を用いた方が高速が発揮出来ることになります。 ついでに、ディーゼル電気推進では高出力の機関、電動機が必要となり、その機関、 電動機の開発が、日本では難しかったりしています。 余談ながら、戦前、ディーゼル機関車の試作の為にドイツから輸入したものは、ディー ゼル機関に大型電動機1基が直結されており、動力伝達はロッド式という複雑な構造だっ たために、これ以上の発展はしませんでした。 #right(){(142:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **吉村昭氏の「深海の使者」には、日本潜水艦のエンジン音が大きすぎるとのドイツ側の見解がありますが。 日本海軍の潜水艦のディーゼル機関の騒音が大きいのは問題で、 これにより米駆逐艦・護衛艦に容易に探知されて多数が撃沈されました。 理由としては、工作精度の低さが上げられますが、その他には防音のための配慮 (エンジンの台にゴムを引くなど)が全くなされなかったことや、高速化のために 直接ディーゼル機関でスクリューを回していたためのギヤ周りの騒音、 またディーゼル機関が他国の潜水艦に比べて大出力(つまり騒音が大きい) だったことなどがあります。 余談ですが、日本で最初に実用化された潜水艦用ディーゼル機関であった 艦本式一号ディーゼルは複動式2サイクルディーゼルだったりします。 複動式は出力は大きいのですが、ピストンの上下両面で爆発燃焼を行うという 機構上非常に複雑な構造になり、なおかつエンジンが大きくなってしまいます。 #right(){(258:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **特型運貨筒のスペックを教えて下さい。 特型運貨筒は、直径1.8mの筒状で、特殊潜航艇と外観は似ており、後ろ半分はまんま六年式魚雷で、 中央部に乗員室があり、前部に上方に少し傾いた状態になった貨物室があります。 乗員室は通常1名、場合によって2名の水兵が乗り組んでいます。 最高速力は8ノットで、荷物は10tしか積めません。 ちなみに、操縦者は目的地に到着すると陸上部隊に加わる、と言うものです。 その他のスペックですが(英語の本を参考にしたのでメートルになってないのはご容赦)、 特型運貨筒 排水量:43.9t 全長:77ft1in 全幅:5ft11in 深さ:5ft11in 魚雷用圧縮空気エンジン×1 大型運貨筒 排水量:544t 全長:135ft6in 全幅:16ft1in 深さ:16ft1in 曳航速度:4~5kts 潜航深度:400ft 中型運貨筒 排水量:280t 全長:108ft7in 全幅:12ft10in 深さ:12ft10in 曳航速度:4~5kts 潜航深度:450ft 小型運貨筒 排水量:88.5t 全長:80ft4in 全幅:8ft 深さ:8ft 曳航速度:4~5kts 潜航深度:180ft 大型は375t、中型は185t、小型は58tの荷物を搭載出来ます。 運貨筒の安全深度は設計上可成りまで潜れますが、実際には30m程度だった様です。 大型運貨筒は、貨物室が二つに、中、小型は貨物室が四つに分かれています。 大型運貨筒の搭載容積は9,200立方ft、中型運貨筒の搭載容積は6,500立方ft、小型運貨筒のそれは2,000立方ft でした。 建造所は全て呉で、特型は1942~43年に、大型は1943年に、中型と小型は1943~44年に建造されていますが、総数は 分かりません。 余談ですが、試作品は生き残り、戦後、少なくとも2本が、Bougainvilleで銅鉱石の輸送用(?)に用いられていたようです。 #right(){(146:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **二次世界大戦中のソ連の潜水艦って、どんな物がありますか? 1915年竣工のBudnov級Pantiera、米国から部品輸入し、1916~23年にかけて建造された AG級のAG25、Kamanev、Lunakharskiy、Trockiyが元々ありました。 加えて、1926年度海軍拡張計画で、1928~29年竣工のSeriesIが6隻(Dekabrist、Narodovolec、 Krasnogvardeyec、Revolucyoner、Spartakovec、Yakobinec)、機雷敷設潜水艦として、1931年に SeriesIIが6隻(Leninec、Stalinec、Frunzovec、Garibaldyec、Charist、Karbonariy)、1935~36年に SeriesXIが6隻(Voroshilovec、Dzherzhinec、Kirovec、L10、L11、L12)、1937~38年にSeriesXIIIが 7隻(L13~19)、その改良型SeriesXIIIbisが6隻(L20~25)。 沿岸用潜水艦としてSeriesIIIが1930~31年に4隻(Shch301~304)、1933~35年にSeriesVが19隻 (Shch101~112、305~311)、改良型のSeriesVbisが1934年に12隻(Shch113~121、201~203)、 更に改良型のSeriesVbis-2が1935年に9隻(Shch122~125、204~208)。 新型のSeriesXが1935~37年に19隻(Shch126~141、209~215、317~324、401~404、421~422、 424)、改良型のSeriesXbisが1939~47年に20隻(一部未竣工、工事中断有り;Shch135~138、216、 405~411、以後は戦後竣工か工事中止/412~419)。 航洋潜水艦のSeriesXIVが1934年に3隻(Pravda、Zvesda、Iskra)。 小型潜水艦のSeriesVIが1933~34年に30隻(M1~28、M51~52)、SeriesVIbisが1934~35年に18隻 (M53~56、M71~86)、SeriesXIIが1936~37年に3隻(M87~90)、SeriesXIIbisが1937~41年に43隻 (M30~36、M57~62、M91~122)、SeriesXVが1940年と戦後竣工で14隻(M200~213)。 中型潜水艦のSeriesIXが1935年に3隻(S1~3)、SeriesIXbisが1936~47年に44隻(S4~24、31~37、 45、51~57、101~108/23~24、36~37は戦後竣工、36~37、105~108までは未起工か破壊)。 試験用潜水艦M400。 大型潜水艦として、SeriesXIVが1938~41年に12隻(K1~3、K21~23、K51~56)。 他にLatviaから接収艦としてRonis、Spidola、Estoniaからの接収艦としてKalev、Lembit。 英国から貸与されたものとして、U級のV1~V4。 Romaniaからの賠償艦として、S3、S4、TS4。 これらが第二次世界大戦中のものです。 #right(){(148:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時代の潜水艦の先っぽには、何かギザギザのノコギリのようなものが付いていますが、あれはなんですか? 艦首のぎざぎざは防潜網カッターです。 当時は潜水艦の行動力が今より限られていたため、 「防潜網」という網と機雷を組み合わせた対潜防御兵器がありました。 これは主に港・泊地の入り口に展開して、潜水艦の侵入を防ぐためのものです。 防潜網に絡めとられると、浮上を余儀なくされたり、機雷が爆発して艦にダメージを受けたりします。 そうならないために、艦首にカッターを設置して防潜網を切り裂こうとしたわけです。 #right(){(245:126)} **大戦中の潜水艦の乗組員達、どうやって体を清潔にしたの? >もしかして、乗組員達および潜水艦内部はすごくくさかった? 言葉では言い表せないほどすさまじい臭いだったのではないでしょうか。 戦前の日本潜水艦では艦内はまるで蒸し風呂のような高温多湿で、 しかも潜航中に空気清浄剤を使用するとそれの発熱のためにさらに 艦内の温度は上昇します。 後期には冷房設備も設けられるようになりましたが、電力節減のために 使用は限定されていました。 艦内での真水の使用は限定されているので、風呂どころか洗濯すら出来ません。 タオルで体をこするとぼろぼろと垢が落ちてくるありさま。 そのタオルを濯ごうにも干すことすら出来ず(艦内がとてつもなく湿気が高いため) 結局黒いまま…。ということで結局着の身着のままで服も体も垢だらけになります。 さらに困ったことに、潜航中はトイレが使用できません。艦外に排出できないからです。 このためあちこちにくりぬいた一斗缶を置いて用を足しました。 戦闘中ともなると爆雷の衝撃やら急激なアップ/ダウントリムのためにそれが転がりまわって 糞尿まみれということも…。 しかし、米潜水艦ではやや事情は違い、小さいながらもシャワー室や洗濯設備なども 設けられており、多少はマシだったようです。(使用できるかどうかは別として) #right(){(160:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **イギリスのX型多砲塔潜水艦についての詳細お願いします。 X1は、1923年6月16日に試作艦としてChatnam造船所で竣工しました。 この艦は戦後の潜水艦標準を設定することと、大航続力の潜水艦の可能性を探ること、 主砲に火器管制装置を取り付け、駆逐艦と交戦出来ることを目的としています。 その艦体構造は、従来の英国潜水艦よりも近代的で、二重船殻構造になっています。 また、その艦体を構成する鋼板も厚いものを使用し、設計上350ft、実際のテストでは200ftまで 潜水できる様になっていました。 燃料タンクは殆どが船殻の外殻部に置かれ、内殻部には総燃料搭載量の約1割弱の40.5tしか 搭載していません。 ディーゼル機関は、海軍省式のもので、片舷出力3,000bhpのものを2基搭載し、軸を直結駆動 していました。 また、補助機関と言うか、電動機への動力伝達用に、賠償艦として引き渡されたU126のディー ゼル機関を2基搭載しており、これらはそれぞれ1,200bhpの出力を発揮しますが、これを用いて 発電機を動かし、その発電機から供給された電力で、電動機を回す仕組みで、この電動機出力 が各々1,000bhpとなり、総出力8,000bhpに達しました。 但し、この補助機関は動力ロスが大きく、1,000bhp分が消滅し、結局は総出力が7,000bhpになり、 水上速力19.5kts、水中では8ktsを発揮し、空気清浄機のおかげで、2日半の潜行が可能とされて いました。 主砲は、駆逐艦と同じ5.2in42口径Mk.I速射砲を連装砲塔に2基、魚雷発射管は前部にのみ21in 魚雷発射管が6門あり、12本のMk.IV魚雷を持っていました。 進水は1921年11月2日、完成は1925年9月23日ですが、試験ではこれら複雑な機構故に機械故障 に悩まされました。 就役後は、建造地のChatnamに配備され、1933年12月には繋留状態となり、1937年に結局解体され ました。 ちなみに、この潜水艦に付いた渾名は、"White Elephant"だったそうです。 #right(){(167:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本が潜水艦主機に空気噴射式ディーゼルを採用したのはなぜでしょう? 魚雷発射用高圧圧搾空気が必要だったため。 また、無気噴射式ディーゼルは、燃焼が良くなく、それに伴って排気も悪いので不評であった。 ちなみに、1934年1月に開設された米海軍技術研究所が一番最初に課せられた研究テーマ には、ディーゼルエンジンの無気噴射化と小型化に伴う燃焼問題の深刻化を打開するための 燃料規格改訂だったりする。 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ10:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **どうして日本海軍は燃料用輸送潜水艦を建造しなかったの? 既存のを改造したからだよ 全部で20隻ぐらいか #right(){(俺初質スレ2049:403)} **第二次世界大戦頃の話を聞きたいのですが、潜水艦って普通の軍艦と同じ船台とかで作るんですか? 同じ所で建造されますが、ノウハウが必要なところがありますから、 一種潜水艦専用という造船所もあります。 呉とか川崎造船所神戸とかが代表的です。 #right(){(75:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} *Uボート **Uボートに書いてある魚のようなノコギリザメのようなマークについて知ってる方おしえてください Uボートの所属する潜水戦隊のマーク、あるいは個々の艦のマスコットとして描かれたものです。 たとえば、北フランスに展開していた第9潜水戦隊などは同じようにノコギリエイをマスコットとして描いていました。 #right(){(7:246)} **Uボートってまだ残ってます? シカゴの博物館に米軍に捕獲されたU-505が展示されてます(屋外)。 以前に見た番組ではU-505の元艦長と捕獲したハンターキラーグループの 指揮官が戦後数十年を経て艦上を見学して談笑してました。 ひょっとしたら乗れるかも... #right(){(20:@潜 ★)} **映画『Uボート』で水圧で船体のリベットがはじけ飛んでいましたが、Uボートは電気熔接のはずです。 >あの描写は何だったのでしょうか。 飛んでいたのは船体のリベットではなく、 内部を通る注排水用パイプを留めるボルト だったと記憶していますが…。 #right(){(53:449)} そのことは映画公開時から話題になりました。 原作ではリベットが飛ぶ、という描写はありません。 つまり、映画制作時に付け加えられた創作シーンです。 #right(){(53:464)} **「Uボート入門」という本を買ったのですが「ワルター機関に、水を噴射して温度を制御可能な2700度まで制御する装置がついていた」といった旨の文が載っていましたが本当? 過酸化水素の分解によって発生する温度は500~600°程度。 燃料の着火には十分な温度です。で、排気温度はヒドラジン添加ガソリンで1900°程度(RI203、RI209航空機用 ロケットエンジンの場合)となっています。純酸素で燃やすわけですから、空気よりは温度が上がるでしょうが、 水蒸気も混じっているわけで、2700°の排気温度というのはちょっと考えづらいです。純酸素+アセチレンを 得られる温度に最適化して作られたガス溶接機ですら、3000°が限界です。得られる動力と安定性に最適化 して作られ、水蒸気混じりで燃焼させるワルター機関でそれに迫る温度が得られるとは考えられません。1700° の誤植、あるいは資料の誤り、というのが妥当だと思います。 #right(){(86:system)}※リンク先消滅のためリンク削除 **なんでドイツの潜水艦はUボートってゆうの?Uって何? ウンターゼー・ボートの略です。 ウンターは英語のアンダー、ゼーは英語のシー(海) 潜水艦、ということですね。 #right(){(95:14)} **UボートXXI型の戦果が全く無い理由 >ある本では油圧関係のトラブル頻発が原因としてあげられていますが >100隻も竣工したのにこれほどまでスカなのは他にも原因があるんでしょうか? テスト及び乗員育成のため時間を食った。 まったくの新型艦である為、まず公試運転に長い時間を費やして、欠陥や不具合を洗い出さねばなりません。 次に、やはり新型艦のために、艦長から末端の水兵までに至る全乗員の訓練に時間がかかります。 旧来型のボートであれば、乗員を新兵半分熟練半分にして、訓練期間の大幅な短縮が見込めますが、新型ではそれが出来ません。 加えて、戦争末期であり連合国側の対潜戦力が非常に充実していたため、活躍の余地がほとんどなかったことも考えると良い。 #right(){(356:265)} **XXI型がUボートが本格稼動してたら英米海軍の対潜部隊は太刀打ちできなかったと聞きますが、潜水艦の水中速度が格段に速くなったというだけでそんなに問題なんですか? 1.大抵の護衛艦より足が速い 2.21型を追跡可能な速度では当時のソナーは雑音だらけで探知できない つまり従来の積極的な対潜戦術がほとんど使えなくなったのです。 たまたま探知範囲に21型が入ってくれば捕捉できるけど高速で逃げられたらすぐに探知範囲外に逃げられてしまう、 追跡するために速度を上げたら今度はソナー性能の限界で探知できなくなってしまう。 これは事実上、21型を捕捉可能な範囲が従来のUボートよりはるかに狭くなったことを意味します。 言ってみれば英対潜部隊と独Uボートの力関係が開戦当初に戻されたようなものです。 この時期もUボートは撃沈されてましたが損害を補って余りある戦果を挙げてましたね? あの悪夢が再来することを意味したわけです。 #right(){(580:637)} **映画「Uボート」見て、食糧管理がずいぶんとずさんじゃないですか? >艦内は狭いから寝床にまで食品がぶらさがっているのは分るけど、乗組員に「好きなようにつまんでね」っていってるみたいだし。 そのとおりです。あれは好きにつまんでいいんです。 パンやハムなど非戦闘時に各自が食べることを許されていました。 U-bortに関しても、あの積み込みにはコツがあって、早めに消費する生鮮食品を 取り出しやすい場所に置き、保存の利く缶詰等を奥にしまっていきます。 積み込み方を間違えると同じようなものばかり食べる破目になるため、補給担当は 積み込み方に気を使っていました。 潜水艦の乗員に対しては考えられる限り最も上質の食事が提供されます。 積み込んだ食料は1~2ヶ月の航海を行う量としては十分でしたが、やはり 航海が長引くと缶詰ばかりになってしまいました。 #right(){(125:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ドイツが1944年 アスディック対策に潜航中のUボートから科学的に気泡を出す装置をカプセルから発射する「ボールド」を発明したが、実際にUボートに搭載されたのですか? 搭載された艦もありましたが、当時潜水艦攻撃は現代のホーミング魚雷と違って 44年からは、ヘッジホッグ攻撃(探知したU艦に150~200m範囲のモンロー効果の爆弾攻撃) を米英駆逐艦、コルベット艦は行なってます。音響魚雷も両陣営ありましたが、 数が少なく性能も低いのであまり使われなかったようです。ですからデコイ等はほとんど使われてません。 Uボートの損失は従来の爆雷攻撃、ヘッジホッグの組み合わせ、また浮上中の航空攻撃が多いようです。 XXI型についてはシュノーケルが発見されても潜航すれば水中16ノットという速さで逃げ切る事が可能です。 当時連合軍はシュノーケルを捕捉できる3センチ波長のソナーを、もってましたが敏感すぎるため、コルベット艦は ソナー探知の為低速でしか速度をだせず、XXIはその間に逃げ切れたようです。 シュネー少佐のU2511が実証しています。彼は降伏直後、連合軍艦隊に模擬攻撃を仕掛け まったく発見されず離脱してます。 #right(){(134:857)} **Uボートの無線を探知するハフ=ダフという連合軍の装置があったそうですが、これに対してドイツ海軍は対策を立てられなかったのでしょうか? 基本的にドイツ海軍の首脳は、HF/DF装置があることは知っていましたが、 その装置は地上設置であり、艦艇に装備しているとは思いもよりませんでした。 また、送信時間が20秒あれば、位置が特定できるというのも知りませんでした。 このため、通信は出来るだけ控える命令は出されていましたが、一方で、彼らは 艦の状態、位置、状況を絶えず、詳細に報告する様に求めてもいました。 しかし、戦争が続くにつれて、こう言った楽観的な考えは影を潜め、出撃から帰投 まで艦長は一切の通信をしなくなります。 こうしたものの対抗手段として、手動でのキー打鍵を中止し、機械式の打鍵を試み ました。 KZG44/2 Kurierがそれで、7文字を0.4秒と言う時間でバースト送信し、同時に送信時の 周波数を継続連鎖的に変えるものです。 この装置は、1944年中頃に実用化され、約20隻に搭載されました。 また、敗戦時試験中でしたが、使い捨て交信ブイ(記録装置と送信機、時限信管を持つ もので、予め艦内で電文を入れておき、送信周波数と送信開始時間を設定、洋上で事前 設定の遅延時間を待ち、該当時間が来たら報告を送信、自動で海没するもの)というのも 考えられていました。 #right(){(140:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **なぜ大戦中のドイツはXXI型潜水艦をもっと早く開発しなかったんでしょう? >複殻構造も、大容量のバッテリーも、大馬力のモーターも、シュノーケルも、それほど画期的なアイデアとも思えません。 大戦前期、連合国の機体が効果的なエアカバーを提供しない時期では、 Uボートは潜航より浮上航行の時間の方が多かったため、水中を高速で 航行する潜水艦なんてのは必要なかった訳で。 それと蓄電池の大容量化は、即ちセル数の多さに繋がります。 しかし、電池工場は国内に二カ所、それでは足りずに更に二カ所追加で 新工場を建設しますが、軍需省の優先度が低く、なかなか稼働に至って なかったり。 シュノーケルにしても、オランダが実用化したのは、エンジンに直結する 複雑な構造だった訳で…ちなみに、XXI型のディーゼルは空気容量が、 4,700立方メートルも必要だ、と。 ついでに、これを動かすと聴音機が使えないし、潜航状態が長引くと電装品 がやられたり、使用中は最高速度が6ノットで、それ以上だと潜望鏡が振動 で見れなくなると。 #right(){(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **XXI型は水中高速艦などと言われていることが多いですが、実際ドイツはXXIをどんな風に運用するつもりだったんですか? IXcの後継となる遠距離作戦用攻撃潜水艦として使用する予定でした。 1942年より徐々に連合軍が航空機の傘に依って対潜作戦を確立し始め、ドイツ海軍としては これに対抗するために、在来Uボートの対空火器増強を行ないますが、焼け石に水であり、しかも、 それらの兵装は水中機動の妨げとなり、遂には水上戦を放棄し、水中性能の向上に活路を見出す ことになります。 当初はワルター機関を有するXVIIIの開発が提案されましたが、流石に冒険が多く、オーソドックスな 駆動系を持つ潜水艦として開発されたのがXXIです。 #right(){(148:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----
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一応、潜航前に蓋をすることになっています。 しかし、戦前の潜水艦は、潜航よりも浮上中の期間の方が長い「可潜艦」ですので、 後でしっかりメンテナンスすれば錆は余り問題にならなかったようです。 #right(){(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **イ号潜水艦は飛行機を格納してたみたいですが、実際のところ役に立ったのでしょうか? イ号潜水艦が全部艦載機を積んでいたわけではないです。 一部の艦載機が米西海岸の森だったかどこかに爆弾を落として、火災を起こしました、 本格的艦載機搭載潜水艦イ-400は18隻建造計画(実績3隻)でパナマ運河を 空襲、封鎖することを戦略的目的として開発されました。 今で言えば、弾道ミサイル原潜やトマホーク搭載原潜のはしりですね。 #right(){(20:らむ ◆26Am7uFo)} 英国、フランス、アメリカでも偵察機搭載の潜水艦が一度は建造されています。 しかし、そういった設備を持つと必然的に大きくなり、運動性が悪く、捕捉されやすいため、試作で終りました。 ドイツも建造してまして、Ar-231と言う専用の飛行機を制作しましたが、後にヘリに移行しています。 ただ、偵察機搭載というアイデアに関しては、戦後の潜水艦に少なからぬ影響を与え、 米ソとも巡航ミサイルを搭載して、敵地近くで発射すると言う形で取り上げています。 (トマホークより以前の話です。念のため) #right(){(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)} 造る必要の無さについては開戦後に軍令部でも認識していたようです。 潜水艦畑を歩んできた井浦中佐(当時)がその有効性と必要性を考慮して 以降の建造の中止を提案し、かなりの妥協策を引き出していました。  実戦においてはかなりの活躍をしたと思います。伊400は特殊ですがその他の艦の目的はあくまで偵察です。 前述のオレゴン州の森林攻撃時までは爆弾の搭載装置すら積んでいない状態でした。 潜水艦搭載の偵察機の強みは水上艦の艦載機や陸上機の航続距離外、敵地の奥深くにおいての活動が可能だったことです。 もちろんかなりの制限はありましたが。  主だった作戦としては真珠湾攻撃後の戦果確認、オーストラリア方面・アフリカ東岸・ アリューシャン方面等で特潜の攻撃や味方の上陸に先立って偵察を行っています。 インド洋で商船を探して洋上偵察飛行なんてのも一度だけ行われています。          開戦時    開戦直後の提案  以降の建造計画 潜水空母    18          0             9 新巡潜型 船台の許す限り  建造中の艦から   3隻に1隻は        (2隻に1隻は    格納庫を撤去、   偵察機搭載、        偵察機搭載)    以降は通商破壊  新型艦は研究                    用の新型艦へ    を継続 #right(){(20:@潜 ★)} **第二次世界大戦では、潜水艦同士の戦いはあったのでしょうか? 片方が浮上航行中(あのころは基本的に浮上航行してる)を狙って、もう片方が 襲撃したことなら良くありますが。 そこそこの数の潜水艦が、敵潜水艦に撃沈されています。 一例だけ、潜望鏡深度で撃沈された例あり。 U864が英潜に沈められた。1945年2月。 映画によく出てくるような深々度ではないけど(当時の技術では無理)。 #right(){(33:644,653)} **砲撃潜水艦ってなんでしょうか? 漏れは船は素人だが・・・それは前時代の遺物>砲搭載潜水艦 今の潜水艦は浮かび上がったら負けです。 #right(){(33:935)} 第二次世界大戦の潜水艦の武装として、魚雷以外にデッキ上に大砲を一門 装備していました。非武装の商船相手の武器なのです。 魚雷より信頼性のある兵器だからです。 現在の潜水艦には前近代的な大砲は装備されません。 >935氏の説明の通りです。 #right(){(33:一等自営業 ◆O8gZHKO.)} **アメリカ潜水艦は攻撃を受けるとわざと油を排出して、撃沈されたふりをしていたのでしょうか マジでやっていました、というか古典的な戦法のひとつ。 そこら辺はドイツ軍も旧海軍もやってます。 #right(){(48:大渦よりの何某か。)} **漫画でアメリカの潜水艦が海底鎮座を二日間やってるのですが酸素は大丈夫なのでしょうか? 第二次大戦後ですが、アメリカのディーゼル潜水艦で2日近く潜航していたものがありました。 問題になるのは酸素よりは二酸化炭素で、ほとんど全員がひどい頭痛がしたそうです。 12時間近く潜航していると空気が重苦しくなり、24時間近く?潜航してると頭痛を訴えるものが出るとか。 CO2を吸収するために水酸化リチウム結晶を使いますが、十分に吸収できないようです。 #right(){(72:296)} 当時のディーゼル潜水艦であれば普通は一日以上やらないみたいですね。 こちらのネタは、アメリカの潜水艦「ガジオン」が旧ソ連領海内でスパイ活動をしていたときに発見され、 水上艦に包囲攻撃された時の話です。64時間近く水中にいて我慢できなくなったので浮上し、 「演習協力に感謝する」と信号を送られて放免されたとか。 #right(){(72:302)} って言うか、頭上に敵艦がいたら浮上できないでしょう? 二日以上頭を押さえられて酸素や電池がつき、最後は浮上して決戦を挑んで撃沈された 潜水艦の話などゴロゴロしています。 #right(){(72:303)} 二酸化炭素も問題だが、トイレが使用不可能になるのも問題。 衛生的な問題もあるが、換気不能の狭い艦内に悪臭が漂うと乗員の士気に多大な影響が出る。 #right(){(72:331)} **日本の潜水艦で、伊52ってありましたよね。どうのような行動をした船だったのか 伊52は2艦あります。 先代は、大正7年度計画で呉工廠にて作られた艦で当初は第51潜水艦と なり、竣工直前に伊52となりました。 大正14年5月20日竣工。 昭和17年5月20日に伊152と改名し、昭和17年8月1日に除籍され、戦後解体 されました。 この艦はドイツ巡洋潜水艦の技術を導入し、スイス製ズルザー式ディーゼルを 備えて、水上速力20Knotを越える艦を目標に開発されましたが、主機にトラブル が多く、目標値に達せずに結局試作1艦で終わりました。 もう1艦は、丙型改で、昭和16年度の計画艦で、偵察用の乙型を基に、航空兵装を 撤去して備砲を増強したものです。 速力は戦時建造艦のため、量産型主機を搭載したので低下しましたが、航続距離は 延びています。 昭和18年12月8日に竣工。 その航続力を生かして訪独艦に指定され、昭和19年3月10日にフランスのビスケー湾に 向けて航行しますが、昭和19年6月24日に到着直前のビスケー湾にて米護衛空母ボーグ の艦載機より攻撃を受けて撃沈され、昭和19年12月10日に除籍されました。 ちなみにこれが、最初の航海でした。 艦長は宇野亀雄中佐です。 #right(){(74:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **太平洋戦争が開戦する前に、ドイツに行っている潜水艦ってあるのでしょうか? 戦前に独に行ったのは重巡洋艦足柄くらいではないでしょうか。 潜水艦では戦前にはありません。 第一次大戦の戦利艦ならドイツから長躯回航したケースはありましたが。 #right(){(74:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第2次世界大戦で日本からドイツに金塊を運んだ潜水艦を全て教えてください 伊52潜が金塊を積んでいたと言われていましたが1990年代の調査で 金塊はなく錫であったことがわかっています。 #right(){(76:320)} **日本のイ号潜水艦の安全潜航深度は、100メートル位。 >日本の潜水艦の船体強度は、諸外国に比べてどうだったんでしょうか? カタログ上は強度に問題はなかったようですが、 問題だったのは、日本の潜水艦はかなり後まで溶接を使用せず鋲構造だったことです。 このため、深深度潜水をやると漏水や搭載した重油の漏洩などの問題に悩まされました。 #right(){(79:119)} **U-21や伊201等の高速潜水艦を撃沈する方法が確立されたのは何時? 「高速潜水艦」っていったって上に駆逐艦がいる間は静かにじっとしておるわけで 通常のドン亀となんら変わりない方法で撃沈可能です それに水中速度はたかだか20ktぐらいで、 全速で逃げようなんてバカなことしたらたちまち駆逐艦の餌食にしかなりません #right(){(80:235)} 1953年にガトー級の潜水艦6隻 Angler (SS240) Bashaw(SS241) Bluegill(SS242) Bream(SS243) Cavalla(SS244) Croaker(SS246)がそれぞれ改装されてSSKに分類されています。 潜水艦による対潜攻撃任務は大体このあたりからじゃないですかね? #right(){(80:242)} **第二次世界大戦時の太平洋戦線のアメリカ潜水艦はボトム(海底に沈む事)を二日以上しても二酸化炭素とか大丈夫なのでしょうか? 1957年8月中旬にウラジオストックの偵察任務についていた米潜水艦”ガジオン"SS-567は ソ連水上艦に発見されたため実に64時間の連続潜航を余儀なくされました。 この結果艦内の二酸化炭素濃度もかなり危険なレベルに達したたためやむなく浮上しました。 幸いソ連は”ガジオン"を沈めようとはしませんでした。 艦内には二酸化炭素を吸収するため水酸化リチウム結晶入りの容器がおかれていましたが、 完全に吸収することは出来ず、また一酸化炭素を吸収することは出来ませんでした。 要するに、二日以上の連続潜航は非常に困難だということです。 #right(){(80:名無し軍曹)} **なんで第2次大戦の頃の潜水艦は対潜水艦戦闘が任務じゃなかった? ・誘導魚雷がなかったもしくは性能が不十分 ・センサーシステムとFCSの能力不足 ・航行能力の不足 潜水艦が無誘導魚雷で浮上航行中の潜水艦を沈めたって例はあるけどね‥ #right(){(87:576)} センサーと武器の問題、潜水艦の機動力の問題、戦術の問題。。 まともなホーミング魚雷(誘導魚雷)もないのに、目視できない敵を攻撃できない。 水中機動力はたいしたことないので、対潜水艦戦闘するほどてきぱき動けん (今の非原子力潜水艦もその点は同じ) #right(){(87:577)} **第二次大戦中とかの潜水艦って今のと違ってそのまま船みたいな感じなのはなぜですか >見た感じ 潜航できる船といった感じなんですが >後 砲とかもついてるのがありますが使う場面ってあったんですか 当時の潜水艦は「潜水艦」でなく「可潜艦」というのがふさわしいという話もあるようですね 潜航可能時間が短く、水中速力も低かったため、対潜機にレーダーが積まれるまではほとんどの時間を浮上走行していたようです 魚雷は高価で数も少ないので、護衛のない輸送船などは浮上して砲撃したそうです>>砲 #right(){(94:801)} WW2まではまんま「潜航できる船」ですので、水上性能が重視されていました。 これは潜航したままだと長時間行動できない点や速度が遅いといった問題があったためです。 あと砲ですが、通商破壊の際、浮上して攻撃できる際にはできるだけ砲撃による攻撃が行われました これは魚雷が非常に高価でありまた搭載本数も少なかったためです。 ただし大戦後期になると砲を使用する機会が極端に減ったため取り外されることもありました。 #right(){(94:804)} 攻撃を受けて潜航不能になった時の最後の武器でもある。 #right(){(94:805)} 単純に、水の中で高速移動するための形が現在の物。 その形が開発されていなかったと考えてください。 #right(){(94:807)} **第一次世界大戦と第二次世界大戦当時の潜水艦はどの程度違いがあるのでしょうか? >ドイツのUボートが二つの大戦で登場するので違いが気になったのですが。 念のために聞くが、Uボートがドイツ語で「うんてるぜーぼーと」つまり「潜水艦」という意味なのは存じていますか? 違いとして、潜航深度の増加、武装の強化、電波兵器の装備などがあげられます #right(){(94:716)} 大まかに言うと初期~中期のUボートで、大きさ、水中航続力、実用最大潜航深度 が1.5倍ぐらいになってます。水中速力は変わりません。 後期になると水中の行動が重視され水中航続力、実用最大潜航深度、水中速力が3倍ぐらいになってます。 #right(){(94:717)} **水防隔壁が水圧で裂けるのを防ぐため、突っかえ棒する話がよく出てきますが、これは鋲接合だからですか? 太平洋戦争時に潜水艦艦長だった板倉光馬氏は、かつて自分が乗り組んだ潜水艦で 浸水防止用に搭載されていた木材をあらかじめ小さく切っておいて 緊急時に木栓として使用しやすいようにして銅栓と併用して効果をあげたと 著作で述べています。 現在でも木材は緊急時の浸水防止用に有効だと思われますが、ゴム栓は使用しないでしょう。 #right(){(99:578)} >銅板で木を包んで打ち込んで水密性を確保するのでしょうか?毛布を使ったという話も聞きますが・・ >支柱を最初から噛まして建造しない理由は軽量化ですか? 強度上必要なリブや隔壁は配していますし、 燃料・水タンクなど以外で隔壁に大げさな支柱かませていたら、 スペース効率が悪くて使えませんて。 #right(){(99:590)} モノによりますが木って柔らかいですよ。それにいざとなれば削ることだって出来るわけで。 乾燥した木材を使えば水を吸って膨れるし。 ゴムって変形して杭としては打ち込みにくいです。 毛布は使われました。あと乗員の古着とか使えるものは何でも使ったようです。 #right(){(99:591)} 浸水時の応急対策の一例ですが、裏に板をあてた毛布・マットで破孔を塞ぎます。 板はつっかえ棒で支えますが、板と棒(角材)の面がうまく合わないのでここに楔を打ち込みます。 因みに楔の形状からすると(円状の)孔を塞ぐには適当では無さそうですが、 細長い裂け目に楔を突っ込んだらますます傷口は広がっていきます。 #right(){(99:597)} 楔は木栓の誤りだと思う。 #right(){(99:601)} **旧海軍の潜水艦の種別である 伊とか呂とかを当時の米海軍は何と標記していたのでしょうか? Jane's Fighting Ships 1931などでは、 伊号呂号はそれぞれ、I-xx Ro-xxです。 "1st Submarine(Over 1000t Class)" "2nd Submarine" 特型駆逐艦は、 "1st Destroyer(Over 1000t Class)Fubuki" ですが、Conwayだと、 特型駆逐艦は、 "Special Destroyer" Fubuki 潜水艦は、 大型が"KD"、"J"、"KRS"、"A"、"B"、"C"、"ST"、"SH"、"D"、"STO"が使われています。 なお、甲乙はそれぞれ、a,bとなります。 中型が"K""L""D"などになっており、小型が"SS"、"STS"になっています。 但し、艦名に関してはJaneと同じです。 #right(){(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の軍艦の居住性が劣悪なことが原因で大敗北をしたというような例はあるのですか? 居住性は間接的な影響を与えるものなので、これといった例はないと思いますが 呂100型潜水艦が短期間で全艦戦没したのは、 局地防衛用に設計された小型艦を広範囲に使用したため 航洋性、航続距離の不足に加え居住性の悪さもその一因と言われています #right(){(104:560)} **WWⅡにおける潜水艦の魚雷発射手順を教えて下さい。 >魚雷の設定、発射後の行動等、できれば計算方法も教えて下さい。 UボートVII以降の場合ですが…。  1. 聴音、見張りなどで目標を発見する。  2. 艦長は水上攻撃か潜航襲撃かを決定する。  2'. (水上襲撃の場合)主席将校が攻撃を指揮し、艦上の照準器を用いて計算値を入力。  3. (潜航襲撃の場合)艦長は攻撃用潜望鏡を用いて標的を観測し、その大きさ、速力、進路、吃水を判定し、その結果を    主席将校にその情報を口頭で伝達。    同時に、自艦との相対速力、相対針路を推定し、これも主席将校に口頭で伝達。  3'. 艦長は算定値の向上を企図して観測を行なうか、被発見率の低下を企図してその数値を信用するかを考えてどちらの    方策が必要かを選択し、魚雷到達時の未来位置の推定から使用魚雷の選択をし、標的の前方位置を占めるように、針路    を考え、標的の重要性、天候、その他情報を吟味して魚雷発射本数を決め、 (誘導魚雷の場合)魚雷発射後の捜索パターンを決定する。  4. 主席将校は、魚雷戦計算盤に、雷速、艦長の推定した目標との推定距離、推定標的斜進角、推定的速、標的回頭率に    関する修正要素を入力。    魚雷戦計算盤では以上の数値を元に、方位角、収斂点、射角、最大射程を計算し、発射管室の開角受信機に発射開角を送信。  5. 目標前方に針路を取り、魚雷発射位置を占位する。(発射距離は約900~3000m)  5'. 水雷科下士官は主席士官の指示に従って、発射管に魚雷を挿入 (基本的に定期点検時を除き、挿入しっぱなしの状態になっていましたが)  6. 指示計を確認し、各発射管に手動(改良型は自動)でジャイロ斜進角を入力し、魚雷調整を行なう。  7. 主任士官の発射命令に従い、魚雷を発射。  8. 魚雷員が目標到達までの時間を計測。  8'. 艦長が再攻撃の検討を行なう。または脱出手段の設定などを行なう。 #right(){(106:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **潜水艦がシュノーケルを使い始めた頃、うまく操作出来ず乗り組み員がCO中毒になったなんて事はあったのでしょうか? >Uボート977(朝日ソノラマ)を読んでのことです。 >シュノーケル航行中、深度調節に失敗して海面下にシュノーケルが潜ってしまい空気を取り入れられなくなると、 >艦内の空気をディーゼル機関が吸引して艦内が物凄い陰圧になったり排気が充満したり、とても大変な目にあった、と書いてありました。 >実際排気が充満なんかしたらCO中毒になったりするんじゃないか?と思いました。 >潜水艦がシュノーケルを使い始めた頃、うまく操作出来ず乗り組み員がCO中毒になったなんて事はあったのでしょうか? >また現在のディーゼル潜水艦では、シュノーケル航行中に間違って海面下に潜ってしまった場合、 >同じ様に艦内の空気をヂーゼルエンジンが吸い込んで陰圧になったり、排気が艦内に充満したりしてしまう事があるんでしょうか? つ 日本海軍の第六潜水艇あたり。 最初のSnorkelは、単純な延長チューブで、頂部が水面に隠れた場合は、 管からの浸水を防ぐ手段が無かったりしました。 オランダ海軍が、頂部に球状の浮子を使って水に浸かった場合は自動的に 弁が閉じる方式を開発します。 ドイツが開発したのは、オランダが開発したのが、直接エンジンに繋がる送気管 であったのに対し、管を単純に艦に引込み、通常の方法でディーゼルは吸気する ものでした。 但し、その空気の必要量は、1時間当り4700m^3に上ります。 このバルブが突然閉鎖した場合は、外気からの供給が喪われますが、取り敢えず、 前期の構造から、主機の短時間の継続稼働は可能でした。 しかし、数分使うと、乗員はCO中毒より、空気必要量の喪失から、目眩、呼吸困難、 鼓膜破裂、意識喪失、そして、窒息死になる可能性があります。 従って、Snorkelの運転中は、吸気弁が閉まる度に主機を止めるように機関兵が常時 監視していました。 後に、このバルブは自動化されています。 現在のものは、これを発展させたものですが、それでも、操作を誤れば、陰圧になる 可能性は十分にあり得ます。 #right(){(378:204)} **第二次世界大戦の艦艇のレーダーは潜水艦の潜望鏡を捉えることはできましたか? できました。このためUボートの潜望鏡に電波ステルス対策がなされたほどです。 電波吸収用のゴム貼ってました。 #right(){(377:560,564)} **第二次世界大戦中の潜水艦はどうやって障害物や深海の地形を把握できていたのでしょうか? >現代の潜水艦であれば、高性能のソナーで周辺を探知し、モニターで瞬時に地形を弾きだせることができ、距離も算出することができます。 >しかし大戦中の潜水艦にはまだ、高性能とはいえないソナーしかなく、叉、モニターとして使用するブラウン管の品質も悪かったはずです。 まず、事前に海底の地形図とか深度とかの情報を海域ごとに調査船で測定したのを用意して、それと突き合わせながら 「この辺の深度は○mまでだから、これ以上は潜れない」とかいうのを慎重に決定して航行する。 当然細かい地形まではわかんないから、かなりおおまかな航行になる。 (よって、あんまり浅いとか狭いとかいう場所は潜水艦の潜水航行そのものを回避する) もちろん、ミスって座礁したり沈没したりすることもあるが、沈む時は外に連絡なんか付かないんで比較的浅瀬で座礁したとか、 後に偶然発見されたとかでない限り、座礁で沈んだのか撃沈されたのかは当時は判別は困難。 #right{(497:171)} **「空飛ぶ潜水艦」を日本海軍が企画していた…みたいな記事がありました。本当に計画されたのでしょうか? 米海軍が60年代初め、コンベアに可潜ジェット戦闘機を試作させかけたことがある 完成予想図が公表された段階で計画はつぶれてしまったが ミリエア別冊の「アメリカの試作戦闘機」の海軍編にそのイラスト付きで掲載されてるから探してみ #right(){(350:462)} **第二次世界大戦で潜水艦の拿捕が試みられたことはあるのでしょうか? U33.U110.U570.U559.U505 いずれも米英軍に鹵獲が試みられた、あるいは鹵獲が成功した艦。 全潜水艦に対する割合から言えば、非常に小さい。 あと、乗員は助かったが、暗号や機密が漏れて最終的に枢軸国にダメージを与えている。 米英軍は上記潜水艦、特にU570 U505を拿捕して暗号資料の奪取や潜水艦の情報収集をしている。 #right(){(557:207,218)} **日本に機雷敷設用潜水艦はあったんでしょうか?あったとしたら、アメリカ西海岸に機雷を敷設したんでしょうか? 伊号21(後121)号型が4隻ありました。 原型は、第一次世界大戦時のドイツ潜水艦U117型のO1で、それをそのまま技術導入して 建造された型です。 但し、老朽化で機雷敷設も殆ど行わず、補給用潜水艦とか訓練用潜水艦で終わって います。 #right(){(341:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **太平洋戦争の日本潜水艦はかなりの数がやられていますがなんでですか? アメリカ側の情報収集と暗号の解読により、日本潜水艦の行動が筒抜けになり、おまけに米軍の潜水艦の高性能の レーダーによって簡単に捕捉され、待ち伏せされて攻撃されたからです。 当時の日本の潜水艦は工作が悪くてとてもうるさかったので、ソナーで一発探知できた その辺り、潜水艦の艦長クラスは十分承知していて、特に新造艦を受け取る際にはタンクに 木屑や工具が残っていないか神経質に調べたけど、それでも取り除けないのがいっぱいあって 思わぬときに騒音を発して敵に発見されちゃったりする 当時のドイツ海軍も日本の潜水艦のうるささにびっくり、なんて記録もある で、旧ソ連の退役大将の回想では90年代までの海自の潜水艦も、ソ連の基準でさえ許されない ほどうるさかったそうだよ #right(){(336:890,876)} 日本海軍での潜水艦運用方法が硬直化していたからです。 日本では艦隊決戦の前哨戦として、あらかじめ定められた配備線に沿って展開し 主力艦隊の交戦前に少しでも敵艦隊を沈めるという目的のために潜水艦を整備していました。 つまり、司令部からの指示によって動き、単独での独立した行動は行わないわけです。 ですので、事前に潜水艦と司令部の交信から配備パターンを読まれて護衛艦に次々と 撃沈されるという悲劇がごろごろ出ています。 米護衛駆逐艦DE-635イングランドがソロモン方面で1944年5月19日から13日間で実に6隻もの 日本潜水艦を撃沈したのがその際たるものではないでしょうか。 #right(){(336:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} >いやなんで日本潜水艦のかなりの数が敵潜水艦にやられるのか知りたいわけで 駆逐艦は背が高いから、潜水艦からも目視で見つけられるんだよ。 だから駆逐艦相手なら潜行するなりなんなりして準備できるんだけど、 潜水艦に発見されたら不意打ちを食らう。 #right(){(336:892)} **日本海軍の潜水艦はUボートに比較すると、水中での最大潜航深度、機動性、静粛性において相当劣ると感じますが 船体に使われる鋼材の質、溶接技術の差、ディーゼル機関等、 根本的なところからかなり劣っています。そもそも日本の潜水艦は 第一次世界大戦でのドイツからの戦利艦からの発展ですのでどうしても劣ってしまいます。 日本側としては、あのくらいの性能で満足してたというのが一つあると思われ。 ペナン潜水艦部隊にいてドイツ潜水艦に接した井浦祥二郎参謀曰く、 一長一短はあるが全般にドイツ>日本。でも、うらやましくてたまらないほどの差ではない。 潜航深度100mあるし、潜入速度も30秒でいけるから十分というのが認識のようだ。 静粛性の問題はあるが、これは日本の対潜能力が低かったために、 戦前は顕在化しなかったという面があるようだ。 ゆえに設計面だけでなく、乗員の行動なんかも静粛性を割と適当にしてる感はある。 戦時中に問題になってからは、そこそこ手は打てている。 機動性というのが速度のことなら、通常型では水中速度は有意な差はない。 技術的な面で、電池技術が日本は劣ってた面はあり、 水中高速潜水艦の開発に関しては、結果としては後れたとはいえる。 #right(){(585:199,201)} **伊号潜水艦は何を基にして作ったのですか 海大型については、基本的には今までの集大成であり、日本独自のものになります。 巡潜型については、第一次世界大戦で活躍したドイツのU141級に、若干日本独自の改正を加え、 線図自体はそのままで建造されています。 機雷潜についても、第一次世界大戦終了後に日本に分配されたU125と同型です。 #right(){(334:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の沿岸警備に潜航艇は配備されなかったんでしょうか? 日本の潜水艦は騒音がひどく、米軍に容易に察知されて撃沈されています。 上陸艦隊の空母や戦艦等の大型艦と刺し違えれるのならともかく、上陸用舟艇 数隻と引き換えに潜水艦と育成に時間がかかる乗員全員を喪失してしまうのだっ たら、費用効率はさぞかし悪いものになるでしょう。 #right(){(330:眠い人@出張中)} **帝国海軍潜水艦が使用した運荷筒は、潜水艦の浮上潜航に合わせて浮き沈みするのですか? 運荷筒には深度や方向を調整する機能はありません。 本体にあるトリムタンクに注水してあらかじめ予備浮力を調整しておき、 4~5ノットで曳航すれば水面すれすれで引っ張れるようになっていました。 しかし、迂闊に速度を上げて引っ張るとすぐに深く潜ってしまったそうです。 #right(){(607:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **第二次世界大戦時代の潜水艦では水上見張りは特殊技能で素人の乗組員にはできなかったの? 基本的に乗組員 「 全 員 」 が見張りの訓練はもちろん、 急速潜航の時の非常動作も訓練されてます。 潜水艦では一人二役・三役が当たり前。 その手の記述は大抵の戦記ものにゴマンと出てます。 >霞ヶ浦の住人が読んだ戦記では、見張り員が外の空気を吸えることを、他の乗組員がうらやましかったとありました。 >彼らを除く大多数の乗組員は、出港から帰港まで、外の空気を吸うことは無かったそうです。 例えば 「潜水艦隊」(井浦祥二郎)には >艦橋後部で、煙草をうまそうに吸っている機関兵が目に止まった。                             とありますよ。 また >艦橋当直者以外の人数を極度に制限する必要 ともあり、裏を返せば当直者以外の者も交替で上がれた、ということです。 戦局が厳しくなるにつれてこの人数も制限が加わっていきましたが、 太陽を拝める機会は平等に与えられるよう配慮はされてます。 敵性水域でなければ、上甲板の一角に露天風呂まで設けて、同時に数名ずつが命の洗濯と洒落込むことさえありました。 こちらは「潜水艦入門」の記述。 どちらも入手はそう難しくないはずです。 #right(){(618:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)} **大戦中の潜水艦は魚雷発射管が艦尾にも設けられていますが、何故日本の潜水艦は艦首にしか装備されていないのですか? 簡単に言うと、用兵思想の違いです。 日本は海上での決戦(戦艦の撃ちあい)に際して、決戦前に潜水艦で敵艦隊を攻撃させ、敵戦力を漸減させるつもりでした。 (ちなみにに優秀な駆逐艦や魚雷、二式飛行艇なんかも同じ思想で作ったもの) なので、敵艦隊に一斉に発射できる魚雷の数を増やすため、艦首に魚雷発射管を集中させました。 この思想(発射管艦首集中)が実現したのは、巡潜3型(平たく言えば昭和12年以降に完成するフネ)からで、 それからは日本は艦尾発射管を持たないフネを建造します。 (艦尾発射管を持つ海大6型bは昭和13年完成だが、混乱するからここでは無視しろ) それ以前の海大1~6型も一応、同じ思想(敵艦隊の漸減)で作ってますが、艦尾にも発射管を持ってます。 これは、それまでの潜水艦は艦尾発射管を持っているのが普通だったからです。 オードソックスに作ったら、艦尾発射管もついてました、と。 #right(){(301:192)} **イ号のように浮上攻撃を視野に入れた潜水艦ならアメリカの駆逐艦と対等に撃ち合えましたか? 最近、橋本以行の「日米潜水艦戦」という本を読んだのですが、駆逐艦以上との 砲戦は、潜水艦側が非常に不利だと言う記述がありましたし、戦時中の本でも、 浮上砲戦は、無防禦に等しい潜水艦が行うのは無謀で、精々それで狙うのは 商船に対して行う、航空機を射撃する、萬やむを得ずに自分を護る為に応戦する 以外は砲戦は禁じられています。 これは、砲側照準が標準的で、まともな射撃装置が装備されていない潜水艦と、 小なりとは言え、それなりに射撃装置が装備されている駆逐艦とでは、撃合うと 余程の僥倖がない限り駆逐艦の側が勝利します。 砲の口径が大きくとも、照準装置がまともでなければ、太刀打ち出来ませんがな。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時の潜水艦なんですが、おフロがついている艦はありましたか? ほとんどの潜水艦にはシャワー室があった(トイレと兼用のものがほとんど)。 潜航中は使えないのが普通。 例外的にアメリカの潜水艦は独立したシャワー室があったりした。 アメリカの潜水艦は各国の潜水艦の中でも例外的に居住性が良く(艦内空調設備が ついてるとか)、シャワーもそれなりに使えたらしい。 #right(){(281:16-18)} **旧海軍の潜水艦の種別である 伊とか呂とかを当時の米海軍は何と標記していたのでしょうか? >同様に特型駆逐艦は英語で何というのでしょうか? Jane's Fighting Ships 1931などでは、 伊号呂号はそれぞれ、I-xx Ro-xxです。 "1st Submarine(Over 1000t Class)" "2nd Submarine" 特型駆逐艦は、 "1st Destroyer(Over 1000t Class)Fubuki" ですが、Conwayだと、 特型駆逐艦は、 "Special Destroyer" Fubuki 潜水艦は、 大型が"KD"、"J"、"KRS"、"A"、"B"、"C"、"ST"、"SH"、"D"、"STO"が使われています。 なお、甲乙はそれぞれ、a,bとなります。 中型が"K""L""D"などになっており、小型が"SS"、"STS"になっています。 但し、艦名に関してはJaneと同じです。 #right(){(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次世界大戦における潜水艦の魚雷発射手順を教えて下さい。 >魚雷の設定、発射後の行動等、できれば計算方法も教えて下さい。 UボートVII以降の場合ですが…。  1. 聴音、見張りなどで目標を発見する。  2. 艦長は水上攻撃か潜航襲撃かを決定する。  2'. (水上襲撃の場合)主席将校が攻撃を指揮し、艦上の照準器を用いて計算値を入力。  3. (潜航襲撃の場合)艦長は攻撃用潜望鏡を用いて標的を観測し、その大きさ、速力、進路、吃水を判定し、その結果を    主席将校にその情報を口頭で伝達。    同時に、自艦との相対速力、相対針路を推定し、これも主席将校に口頭で伝達。  3'. 艦長は算定値の向上を企図して観測を行なうか、被発見率の低下を企図してその数値を信用するかを考えてどちらの    方策が必要かを選択し、魚雷到達時の未来位置の推定から使用魚雷の選択をし、標的の前方位置を占めるように、針路    を考え、標的の重要性、天候、その他情報を吟味して魚雷発射本数を決め、(誘導魚雷の場合)魚雷発射後の捜索パターン    を決定する。  4. 主席将校は、魚雷戦計算盤に、雷速、艦長の推定した目標との推定距離、推定標的斜進角、推定的速、標的回頭率に    関する修正要素を入力。    魚雷戦計算盤では以上の数値を元に、方位角、収斂点、射角、最大射程を計算し、発射管室の開角受信機に発射開角    を送信。  5. 目標前方に針路を取り、魚雷発射位置を占位する。(発射距離は約900~3000m)  5'. 水雷科下士官は主席士官の指示に従って、発射管に魚雷を挿入(基本的に定期点検時を除き、挿入しっぱなしの状態に    なっていましたが)  6. 指示計を確認し、各発射管に手動(改良型は自動)でジャイロ斜進角を入力し、魚雷調整を行なう。  7. 主任士官の発射命令に従い、魚雷を発射。  8. 魚雷員が目標到達までの時間を計測。  8'. 艦長が再攻撃の検討を行なう。または脱出手段の設定などを行なう。 #right(){(106:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **伊四〇〇型みたいに航空機を搭載した潜水艦は他国にはなかったのですか? イギリスやフランスにも飛行機を搭載した潜水艦(ついでに大型の砲を搭載)はあった。 ドイツのU-ボートにはバッハシュテルツェという回転翼式の有人凧を搭載したものもあった。 ただこれらは搭載機が非常に小型で、空中からの弾着観測や偵察が主要な目的だったようだ。 #right(){(140:238)} 英国、フランス、ドイツで研究されたり、実際に試作されていますが、実用化したのは 日本だけです。 艦載機を搭載するのは、必然的に艦の大型化を招きますが、それは水中機動性の 低下と同義ですし、何より通商破壊など、隻数が必要とされる潜水艦を整備するのに、 そんな大型艦が必要か、と言う疑問が出されたのもあります。 加えて艦隊に随伴するにも、中途半端な速度しか出ず、ロンドン条約で補助艦の制限 が行なわれたので、大型艦の整備は不利と考えられたが為に、廃れました。 日本は、通商破壊よりも艦隊支援という面が強いのと、個艦の優秀で、隻数に対抗しよう とした関係で、艦載機を搭載したものです #right(){(151:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦前・戦中の日本海軍の潜水艦はいずれもディーゼル/電動機推進でしたが、ディーゼル・エレクトリックは技術的に不可能だったのでしょうか? 日本海軍に於いては潜水艦は洋上決戦補助兵力として位置づけられていました。 なので、大航続力の大型艦で、水上での高速航行性能に重点が置かれていました。 従って、洋上ではディーゼル機関を用いた方が高速が発揮出来ることになります。 ついでに、ディーゼル電気推進では高出力の機関、電動機が必要となり、その機関、 電動機の開発が、日本では難しかったりしています。 余談ながら、戦前、ディーゼル機関車の試作の為にドイツから輸入したものは、ディー ゼル機関に大型電動機1基が直結されており、動力伝達はロッド式という複雑な構造だっ たために、これ以上の発展はしませんでした。 #right(){(142:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **吉村昭氏の「深海の使者」には、日本潜水艦のエンジン音が大きすぎるとのドイツ側の見解がありますが。 日本海軍の潜水艦のディーゼル機関の騒音が大きいのは問題で、 これにより米駆逐艦・護衛艦に容易に探知されて多数が撃沈されました。 理由としては、工作精度の低さが上げられますが、その他には防音のための配慮 (エンジンの台にゴムを引くなど)が全くなされなかったことや、高速化のために 直接ディーゼル機関でスクリューを回していたためのギヤ周りの騒音、 またディーゼル機関が他国の潜水艦に比べて大出力(つまり騒音が大きい) だったことなどがあります。 余談ですが、日本で最初に実用化された潜水艦用ディーゼル機関であった 艦本式一号ディーゼルは複動式2サイクルディーゼルだったりします。 複動式は出力は大きいのですが、ピストンの上下両面で爆発燃焼を行うという 機構上非常に複雑な構造になり、なおかつエンジンが大きくなってしまいます。 #right(){(258:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **特型運貨筒のスペックを教えて下さい。 特型運貨筒は、直径1.8mの筒状で、特殊潜航艇と外観は似ており、後ろ半分はまんま六年式魚雷で、 中央部に乗員室があり、前部に上方に少し傾いた状態になった貨物室があります。 乗員室は通常1名、場合によって2名の水兵が乗り組んでいます。 最高速力は8ノットで、荷物は10tしか積めません。 ちなみに、操縦者は目的地に到着すると陸上部隊に加わる、と言うものです。 その他のスペックですが(英語の本を参考にしたのでメートルになってないのはご容赦)、 特型運貨筒 排水量:43.9t 全長:77ft1in 全幅:5ft11in 深さ:5ft11in 魚雷用圧縮空気エンジン×1 大型運貨筒 排水量:544t 全長:135ft6in 全幅:16ft1in 深さ:16ft1in 曳航速度:4~5kts 潜航深度:400ft 中型運貨筒 排水量:280t 全長:108ft7in 全幅:12ft10in 深さ:12ft10in 曳航速度:4~5kts 潜航深度:450ft 小型運貨筒 排水量:88.5t 全長:80ft4in 全幅:8ft 深さ:8ft 曳航速度:4~5kts 潜航深度:180ft 大型は375t、中型は185t、小型は58tの荷物を搭載出来ます。 運貨筒の安全深度は設計上可成りまで潜れますが、実際には30m程度だった様です。 大型運貨筒は、貨物室が二つに、中、小型は貨物室が四つに分かれています。 大型運貨筒の搭載容積は9,200立方ft、中型運貨筒の搭載容積は6,500立方ft、小型運貨筒のそれは2,000立方ft でした。 建造所は全て呉で、特型は1942~43年に、大型は1943年に、中型と小型は1943~44年に建造されていますが、総数は 分かりません。 余談ですが、試作品は生き残り、戦後、少なくとも2本が、Bougainvilleで銅鉱石の輸送用(?)に用いられていたようです。 #right(){(146:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **二次世界大戦中のソ連の潜水艦って、どんな物がありますか? 1915年竣工のBudnov級Pantiera、米国から部品輸入し、1916~23年にかけて建造された AG級のAG25、Kamanev、Lunakharskiy、Trockiyが元々ありました。 加えて、1926年度海軍拡張計画で、1928~29年竣工のSeriesIが6隻(Dekabrist、Narodovolec、 Krasnogvardeyec、Revolucyoner、Spartakovec、Yakobinec)、機雷敷設潜水艦として、1931年に SeriesIIが6隻(Leninec、Stalinec、Frunzovec、Garibaldyec、Charist、Karbonariy)、1935~36年に SeriesXIが6隻(Voroshilovec、Dzherzhinec、Kirovec、L10、L11、L12)、1937~38年にSeriesXIIIが 7隻(L13~19)、その改良型SeriesXIIIbisが6隻(L20~25)。 沿岸用潜水艦としてSeriesIIIが1930~31年に4隻(Shch301~304)、1933~35年にSeriesVが19隻 (Shch101~112、305~311)、改良型のSeriesVbisが1934年に12隻(Shch113~121、201~203)、 更に改良型のSeriesVbis-2が1935年に9隻(Shch122~125、204~208)。 新型のSeriesXが1935~37年に19隻(Shch126~141、209~215、317~324、401~404、421~422、 424)、改良型のSeriesXbisが1939~47年に20隻(一部未竣工、工事中断有り;Shch135~138、216、 405~411、以後は戦後竣工か工事中止/412~419)。 航洋潜水艦のSeriesXIVが1934年に3隻(Pravda、Zvesda、Iskra)。 小型潜水艦のSeriesVIが1933~34年に30隻(M1~28、M51~52)、SeriesVIbisが1934~35年に18隻 (M53~56、M71~86)、SeriesXIIが1936~37年に3隻(M87~90)、SeriesXIIbisが1937~41年に43隻 (M30~36、M57~62、M91~122)、SeriesXVが1940年と戦後竣工で14隻(M200~213)。 中型潜水艦のSeriesIXが1935年に3隻(S1~3)、SeriesIXbisが1936~47年に44隻(S4~24、31~37、 45、51~57、101~108/23~24、36~37は戦後竣工、36~37、105~108までは未起工か破壊)。 試験用潜水艦M400。 大型潜水艦として、SeriesXIVが1938~41年に12隻(K1~3、K21~23、K51~56)。 他にLatviaから接収艦としてRonis、Spidola、Estoniaからの接収艦としてKalev、Lembit。 英国から貸与されたものとして、U級のV1~V4。 Romaniaからの賠償艦として、S3、S4、TS4。 これらが第二次世界大戦中のものです。 #right(){(148:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時代の潜水艦の先っぽには、何かギザギザのノコギリのようなものが付いていますが、あれはなんですか? 艦首のぎざぎざは防潜網カッターです。 当時は潜水艦の行動力が今より限られていたため、 「防潜網」という網と機雷を組み合わせた対潜防御兵器がありました。 これは主に港・泊地の入り口に展開して、潜水艦の侵入を防ぐためのものです。 防潜網に絡めとられると、浮上を余儀なくされたり、機雷が爆発して艦にダメージを受けたりします。 そうならないために、艦首にカッターを設置して防潜網を切り裂こうとしたわけです。 #right(){(245:126)} **大戦中の潜水艦の乗組員達、どうやって体を清潔にしたの? >もしかして、乗組員達および潜水艦内部はすごくくさかった? 言葉では言い表せないほどすさまじい臭いだったのではないでしょうか。 戦前の日本潜水艦では艦内はまるで蒸し風呂のような高温多湿で、 しかも潜航中に空気清浄剤を使用するとそれの発熱のためにさらに 艦内の温度は上昇します。 後期には冷房設備も設けられるようになりましたが、電力節減のために 使用は限定されていました。 艦内での真水の使用は限定されているので、風呂どころか洗濯すら出来ません。 タオルで体をこするとぼろぼろと垢が落ちてくるありさま。 そのタオルを濯ごうにも干すことすら出来ず(艦内がとてつもなく湿気が高いため) 結局黒いまま…。ということで結局着の身着のままで服も体も垢だらけになります。 さらに困ったことに、潜航中はトイレが使用できません。艦外に排出できないからです。 このためあちこちにくりぬいた一斗缶を置いて用を足しました。 戦闘中ともなると爆雷の衝撃やら急激なアップ/ダウントリムのためにそれが転がりまわって 糞尿まみれということも…。 しかし、米潜水艦ではやや事情は違い、小さいながらもシャワー室や洗濯設備なども 設けられており、多少はマシだったようです。(使用できるかどうかは別として) #right(){(160:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **イギリスのX型多砲塔潜水艦についての詳細お願いします。 X1は、1923年6月16日に試作艦としてChatnam造船所で竣工しました。 この艦は戦後の潜水艦標準を設定することと、大航続力の潜水艦の可能性を探ること、 主砲に火器管制装置を取り付け、駆逐艦と交戦出来ることを目的としています。 その艦体構造は、従来の英国潜水艦よりも近代的で、二重船殻構造になっています。 また、その艦体を構成する鋼板も厚いものを使用し、設計上350ft、実際のテストでは200ftまで 潜水できる様になっていました。 燃料タンクは殆どが船殻の外殻部に置かれ、内殻部には総燃料搭載量の約1割弱の40.5tしか 搭載していません。 ディーゼル機関は、海軍省式のもので、片舷出力3,000bhpのものを2基搭載し、軸を直結駆動 していました。 また、補助機関と言うか、電動機への動力伝達用に、賠償艦として引き渡されたU126のディー ゼル機関を2基搭載しており、これらはそれぞれ1,200bhpの出力を発揮しますが、これを用いて 発電機を動かし、その発電機から供給された電力で、電動機を回す仕組みで、この電動機出力 が各々1,000bhpとなり、総出力8,000bhpに達しました。 但し、この補助機関は動力ロスが大きく、1,000bhp分が消滅し、結局は総出力が7,000bhpになり、 水上速力19.5kts、水中では8ktsを発揮し、空気清浄機のおかげで、2日半の潜行が可能とされて いました。 主砲は、駆逐艦と同じ5.2in42口径Mk.I速射砲を連装砲塔に2基、魚雷発射管は前部にのみ21in 魚雷発射管が6門あり、12本のMk.IV魚雷を持っていました。 進水は1921年11月2日、完成は1925年9月23日ですが、試験ではこれら複雑な機構故に機械故障 に悩まされました。 就役後は、建造地のChatnamに配備され、1933年12月には繋留状態となり、1937年に結局解体され ました。 ちなみに、この潜水艦に付いた渾名は、"White Elephant"だったそうです。 #right(){(167:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本が潜水艦主機に空気噴射式ディーゼルを採用したのはなぜでしょう? 魚雷発射用高圧圧搾空気が必要だったため。 また、無気噴射式ディーゼルは、燃焼が良くなく、それに伴って排気も悪いので不評であった。 ちなみに、1934年1月に開設された米海軍技術研究所が一番最初に課せられた研究テーマ には、ディーゼルエンジンの無気噴射化と小型化に伴う燃焼問題の深刻化を打開するための 燃料規格改訂だったりする。 #right(){(しょうもない知識を披露するスレ10:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **どうして日本海軍は燃料用輸送潜水艦を建造しなかったの? 既存のを改造したからだよ 全部で20隻ぐらいか #right(){(俺初質スレ2049:403)} **第二次世界大戦頃の話を聞きたいのですが、潜水艦って普通の軍艦と同じ船台とかで作るんですか? 同じ所で建造されますが、ノウハウが必要なところがありますから、 一種潜水艦専用という造船所もあります。 呉とか川崎造船所神戸とかが代表的です。 #right(){(75:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} *Uボート **Uボートに書いてある魚のようなノコギリザメのようなマークについて知ってる方おしえてください Uボートの所属する潜水戦隊のマーク、あるいは個々の艦のマスコットとして描かれたものです。 たとえば、北フランスに展開していた第9潜水戦隊などは同じようにノコギリエイをマスコットとして描いていました。 #right(){(7:246)} **Uボートってまだ残ってます? シカゴの博物館に米軍に捕獲されたU-505が展示されてます(屋外)。 以前に見た番組ではU-505の元艦長と捕獲したハンターキラーグループの 指揮官が戦後数十年を経て艦上を見学して談笑してました。 ひょっとしたら乗れるかも... #right(){(20:@潜 ★)} **映画『Uボート』で水圧で船体のリベットがはじけ飛んでいましたが、Uボートは電気熔接のはずです。 >あの描写は何だったのでしょうか。 飛んでいたのは船体のリベットではなく、 内部を通る注排水用パイプを留めるボルト だったと記憶していますが…。 #right(){(53:449)} そのことは映画公開時から話題になりました。 原作ではリベットが飛ぶ、という描写はありません。 つまり、映画制作時に付け加えられた創作シーンです。 #right(){(53:464)} **「Uボート入門」という本を買ったのですが「ワルター機関に、水を噴射して温度を制御可能な2700度まで制御する装置がついていた」といった旨の文が載っていましたが本当? 過酸化水素の分解によって発生する温度は500~600°程度。 燃料の着火には十分な温度です。で、排気温度はヒドラジン添加ガソリンで1900°程度(RI203、RI209航空機用 ロケットエンジンの場合)となっています。純酸素で燃やすわけですから、空気よりは温度が上がるでしょうが、 水蒸気も混じっているわけで、2700°の排気温度というのはちょっと考えづらいです。純酸素+アセチレンを 得られる温度に最適化して作られたガス溶接機ですら、3000°が限界です。得られる動力と安定性に最適化 して作られ、水蒸気混じりで燃焼させるワルター機関でそれに迫る温度が得られるとは考えられません。1700° の誤植、あるいは資料の誤り、というのが妥当だと思います。 #right(){(86:system)}※リンク先消滅のためリンク削除 **なんでドイツの潜水艦はUボートってゆうの?Uって何? ウンターゼー・ボートの略です。 ウンターは英語のアンダー、ゼーは英語のシー(海) 潜水艦、ということですね。 #right(){(95:14)} **UボートXXI型の戦果が全く無い理由 >ある本では油圧関係のトラブル頻発が原因としてあげられていますが >100隻も竣工したのにこれほどまでスカなのは他にも原因があるんでしょうか? テスト及び乗員育成のため時間を食った。 まったくの新型艦である為、まず公試運転に長い時間を費やして、欠陥や不具合を洗い出さねばなりません。 次に、やはり新型艦のために、艦長から末端の水兵までに至る全乗員の訓練に時間がかかります。 旧来型のボートであれば、乗員を新兵半分熟練半分にして、訓練期間の大幅な短縮が見込めますが、新型ではそれが出来ません。 加えて、戦争末期であり連合国側の対潜戦力が非常に充実していたため、活躍の余地がほとんどなかったことも考えると良い。 #right(){(356:265)} **XXI型がUボートが本格稼動してたら英米海軍の対潜部隊は太刀打ちできなかったと聞きますが、潜水艦の水中速度が格段に速くなったというだけでそんなに問題なんですか? 1.大抵の護衛艦より足が速い 2.21型を追跡可能な速度では当時のソナーは雑音だらけで探知できない つまり従来の積極的な対潜戦術がほとんど使えなくなったのです。 たまたま探知範囲に21型が入ってくれば捕捉できるけど高速で逃げられたらすぐに探知範囲外に逃げられてしまう、 追跡するために速度を上げたら今度はソナー性能の限界で探知できなくなってしまう。 これは事実上、21型を捕捉可能な範囲が従来のUボートよりはるかに狭くなったことを意味します。 言ってみれば英対潜部隊と独Uボートの力関係が開戦当初に戻されたようなものです。 この時期もUボートは撃沈されてましたが損害を補って余りある戦果を挙げてましたね? あの悪夢が再来することを意味したわけです。 #right(){(580:637)} **映画「Uボート」見て、食糧管理がずいぶんとずさんじゃないですか? >艦内は狭いから寝床にまで食品がぶらさがっているのは分るけど、乗組員に「好きなようにつまんでね」っていってるみたいだし。 そのとおりです。あれは好きにつまんでいいんです。 パンやハムなど非戦闘時に各自が食べることを許されていました。 U-bortに関しても、あの積み込みにはコツがあって、早めに消費する生鮮食品を 取り出しやすい場所に置き、保存の利く缶詰等を奥にしまっていきます。 積み込み方を間違えると同じようなものばかり食べる破目になるため、補給担当は 積み込み方に気を使っていました。 潜水艦の乗員に対しては考えられる限り最も上質の食事が提供されます。 積み込んだ食料は1~2ヶ月の航海を行う量としては十分でしたが、やはり 航海が長引くと缶詰ばかりになってしまいました。 #right(){(125:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **ドイツが1944年 アスディック対策に潜航中のUボートから科学的に気泡を出す装置をカプセルから発射する「ボールド」を発明したが、実際にUボートに搭載されたのですか? 搭載された艦もありましたが、当時潜水艦攻撃は現代のホーミング魚雷と違って 44年からは、ヘッジホッグ攻撃(探知したU艦に150~200m範囲のモンロー効果の爆弾攻撃) を米英駆逐艦、コルベット艦は行なってます。音響魚雷も両陣営ありましたが、 数が少なく性能も低いのであまり使われなかったようです。ですからデコイ等はほとんど使われてません。 Uボートの損失は従来の爆雷攻撃、ヘッジホッグの組み合わせ、また浮上中の航空攻撃が多いようです。 XXI型についてはシュノーケルが発見されても潜航すれば水中16ノットという速さで逃げ切る事が可能です。 当時連合軍はシュノーケルを捕捉できる3センチ波長のソナーを、もってましたが敏感すぎるため、コルベット艦は ソナー探知の為低速でしか速度をだせず、XXIはその間に逃げ切れたようです。 シュネー少佐のU2511が実証しています。彼は降伏直後、連合軍艦隊に模擬攻撃を仕掛け まったく発見されず離脱してます。 #right(){(134:857)} **Uボートの無線を探知するハフ=ダフという連合軍の装置があったそうですが、これに対してドイツ海軍は対策を立てられなかったのでしょうか? 基本的にドイツ海軍の首脳は、HF/DF装置があることは知っていましたが、 その装置は地上設置であり、艦艇に装備しているとは思いもよりませんでした。 また、送信時間が20秒あれば、位置が特定できるというのも知りませんでした。 このため、通信は出来るだけ控える命令は出されていましたが、一方で、彼らは 艦の状態、位置、状況を絶えず、詳細に報告する様に求めてもいました。 しかし、戦争が続くにつれて、こう言った楽観的な考えは影を潜め、出撃から帰投 まで艦長は一切の通信をしなくなります。 こうしたものの対抗手段として、手動でのキー打鍵を中止し、機械式の打鍵を試み ました。 KZG44/2 Kurierがそれで、7文字を0.4秒と言う時間でバースト送信し、同時に送信時の 周波数を継続連鎖的に変えるものです。 この装置は、1944年中頃に実用化され、約20隻に搭載されました。 また、敗戦時試験中でしたが、使い捨て交信ブイ(記録装置と送信機、時限信管を持つ もので、予め艦内で電文を入れておき、送信周波数と送信開始時間を設定、洋上で事前 設定の遅延時間を待ち、該当時間が来たら報告を送信、自動で海没するもの)というのも 考えられていました。 #right(){(140:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **なぜ大戦中のドイツはXXI型潜水艦をもっと早く開発しなかったんでしょう? >複殻構造も、大容量のバッテリーも、大馬力のモーターも、シュノーケルも、それほど画期的なアイデアとも思えません。 大戦前期、連合国の機体が効果的なエアカバーを提供しない時期では、 Uボートは潜航より浮上航行の時間の方が多かったため、水中を高速で 航行する潜水艦なんてのは必要なかった訳で。 それと蓄電池の大容量化は、即ちセル数の多さに繋がります。 しかし、電池工場は国内に二カ所、それでは足りずに更に二カ所追加で 新工場を建設しますが、軍需省の優先度が低く、なかなか稼働に至って なかったり。 シュノーケルにしても、オランダが実用化したのは、エンジンに直結する 複雑な構造だった訳で…ちなみに、XXI型のディーゼルは空気容量が、 4,700立方メートルも必要だ、と。 ついでに、これを動かすと聴音機が使えないし、潜航状態が長引くと電装品 がやられたり、使用中は最高速度が6ノットで、それ以上だと潜望鏡が振動 で見れなくなると。 #right(){(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **XXI型は水中高速艦などと言われていることが多いですが、実際ドイツはXXIをどんな風に運用するつもりだったんですか? IXcの後継となる遠距離作戦用攻撃潜水艦として使用する予定でした。 1942年より徐々に連合軍が航空機の傘に依って対潜作戦を確立し始め、ドイツ海軍としては これに対抗するために、在来Uボートの対空火器増強を行ないますが、焼け石に水であり、しかも、 それらの兵装は水中機動の妨げとなり、遂には水上戦を放棄し、水中性能の向上に活路を見出す ことになります。 当初はワルター機関を有するXVIIIの開発が提案されましたが、流石に冒険が多く、オーソドックスな 駆動系を持つ潜水艦として開発されたのがXXIです。 #right(){(148:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----

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